なかなかに、妹弟子は懐かしいメニューを蘭霊にとっては弟弟子である猫人の火坑に提案したものだ。
ハンバーグは、具体的にいつ日本に伝わって来たのかは定かではないのだが。
蘭霊がまだ狗神だった頃。しかも、元号が明治と呼ばれていた頃に、ヒト達の噂で『ジャーマンステーキ』だとか『ミンチボール』とも呼ばれていた記憶がある。
何故、ドイツを意味するジャーマンが含まれているのかは。ヨーロッパに伝わってから、ドイツでは現代のハンバーグに近い形状とレシピで作られていたために、そのステーキを敬称して呼ばれた説がある。
そして今。火坑は、通常の豚でも牛でもなく。鹿肉でハンバーグを作っている。ミンチも手作業で。
酒を飲みながら、のんびりと待つことに慣れている面子だから、気兼ねなく料理が出来るのだ。
妹弟子である、雪女の花菜は食い入るように見つめているが。たしかに、楽養でも滅多に作らなくなったメニューなので、作り方が気になるのだろう。
今火坑は、二本の包丁で小ぶりのブロック肉にした鹿肉を叩いてミンチにしていた。
「たまにしか作らないので、少々時間がかかってしまいますが」
「なーに? 今は俺達だけだ。久しぶりの腕前見せてもらうぜ?」
「師匠、プレッシャーかけないでください……」
「けど、兄さん。速いです!」
「まあ、普段はスッポンの肝を叩いているからね?」
けれど、量も質感も違うので、どうしても作業に時間がかかってしまうのは仕方がない。
そして、粗挽きではあるが十分に細かくて粘り気が出た肉を一旦ボウルに入れて冷蔵庫に。まな板と包丁を変えてから、玉ねぎを多めにみじん切りにして半分は生で。半分はソースにするのか丁寧にフライパンで炒めていく。
ソースが粗方出来てから、ミンチに玉ねぎ、卵、牛乳で湿らせたパン粉を投入して、塩胡椒も合わせる。そこから、成形しやすいように混ぜていくのだった。
「おっと、肝心のチーズを忘れるところでした」
「このハンバーグの要を忘れんなよ?」
「すみません……」
チーズは載せるのではなく、詰めていくタイプだ。
だが、そうすると中に火が通りにくいために、表面を焼いたらグリルでじっくり焼く方法だ。ここにもだが、楽養にも専用のグリルがあるので出来る。家庭なら、レンジやオーブンでもいい。
火坑が成形する際に、たっぷりのピザ用にも使うチーズをハンバーグのタネの中に詰めて。熱した鉄のフライパンで、表面を綺麗な焦げ目に焼いたら。
アルミホイルで表面にこれ以上焦げ目がつかないように覆い、専用のプレートに載せてグリルの中でじっくり焼いていく。
結構な時間が経ったが、師の霊夢も冷酒を片手に眺めていた。目は真剣ではあるが、どこか懐かしい風景を目にしているようで、蘭霊にとっては少しこしょばゆかった。
蘭霊よりも先に店を出した火坑を、一番可愛がっていたのは他でもなく、この黒豹なのだから。
蘭霊自身は、霊夢に大恩があるので暖簾分けする気がないのだが。今の自分では経験出来ない感情だ。少しだけ、羨ましく思うが。
「あ、皆さん。ご飯はいかがされますか?」
「胡麻塩だろ!」
「だな?」
「お願いします!」
西洋ならパンであろうが、蘭霊達は人間ではなくとも日本で育ったのだから当然米派だ。
酒も飲みつつ、がっつり食べる気で腹を空かせてきたのでまだ全然足りない。スープは、ここの看板名物であるスッポンのスープがあるのでいらない。
だが、ハンバーグはもう少し時間がかかるので、先にスープを出されたのだった。
「はふ。おいひいです!」
「今日のは雌だが、活きがいいなあ? 値が張ったか?」
「そうですね? 少々高かったですが、師匠達に喜んでいただけたのなら何よりです」
「うん、美味い」
ちょうど、蘭霊は頭の部分を食べていたが。身は柔らかくても、程よく弾力が残っていて食べ応えがある。頭蓋骨を割れば、ピンク色の小さな脳が出てくるが、鋭い牙の上に載せてから舌に移動させて。ちゅるんと喉を通らせる。
塩気もまずまず。
弟弟子には、相変わらず厳しい蘭霊だった。
「さて、お待ちかねです」
出来上がったハンバーグに、温め直した玉ねぎのソースをかけて。鉄板ではないが、店で上等な皿に盛り付けられた鹿肉のハンバーグは、蘭霊達の鼻や目を喜ばせてくれた。
順番に渡され、胡麻塩がふりかけられたライスも準備出来たら。後は食すのみ。
「ふわ〜……美味しそうです!」
花菜が箸でハンバーグを割れば、中からとろりとしたチーズの洪水が出てきたのだった。
基本的に、女性はチーズを好む傾向が強いから。一応火坑とは両想いである、あの湖沼美兎も好きそうだろう。
けれど、彼女はその女性が好む傾向が強いキノコとこんにゃくが嫌いなので、確定は出来ないが。
「ほふほふ。……ほぉ、久しぶりだが。いい塩梅だ。肉も悪くねーし、こりゃトマトソースもいいが玉ねぎと塩ベースのこのソースとも相性がいい」
「ありがとうございます」
「どれ……」
蘭霊はまだ手をつけていなかったので、早速箸を伸ばす。
グリルでじっくり火を通したことで、湯気がすぐに消えない。箸で割れば、スッと通っていき抵抗なくハンバーグが割れた。
中からは、とろけたチーズが溢れ出て来た。
食べやすいように切り分け、チーズとソースを絡めてから口に入れる。
程よい塩気と、チーズの濃厚さに合わせて豚や牛では出来ない肉の野性味溢れた風味。
ソースはあくまでさっぱりしていて、これだけの濃厚さとうまく調和していたのだった。
「……うん。あの頃と同じ味だ」
花菜が、まだまだ使い物にならなかった頃に、火坑があまり物の鹿肉と玉ねぎで拵えた逸品。
蘭霊も少し食べたが、同じ肉ではないのにこうも再現度が高いとは。梅酒はまだまだだが、これは蘭霊でも無理だろう。
「腕、ちょっとばっかし上がったんじゃないか?」
「……先輩」
火坑は少し目尻に涙をためかけていたが、すぐにぬぐって、酒の貯蔵庫から洋物の酒を持ってきた。
「きっと、これが合うと思います!」
「お! 白ワインか!」
「わー!」
「ま、今日は無礼講だしな?」
他に客が来る気配もないようだし、楽養のメンバーで貸し切りもありだろう。
それにしても、と蘭霊は思う。
これだけ、成長した弟弟子に惚れてるらしいあの人間の女は。
霊夢の考察だと、種族の違いと寿命の差で悩んでいるかもしれないと言ってはいたが。
ひょっとしたら、他の理由もあるかもしれない。蘭霊の勘がそう騒いで仕方がなかった。