名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~



 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。






 ひと月。

 たかがひと月、されどひと月。

 もうすぐ、社会人になって一年目の冬を迎える、新人デザイナー見習いの湖沼(こぬま)美兎(みう)は困り果てていた。

 想いを寄せている、猫人の妖であり、小料理屋の店主である火坑(かきょう)の店に行けず、約ひと月。

 色々な人から背中を押されてはいるのに、勇気が出せず一歩前に進めない。

 だが、出せない理由もある。

 美兎の気持ちが、火坑にバレているんじゃないかと。その上で、美兎の気持ちを弄んでいなくとも、受け入れてはくれずに店主と客の間柄でいたいんじゃないかと。

 そんな弱気な思いが先走り、美兎は前を進めずにいた。

 守護についてくれている、座敷童子の真穂(まほ)にも呆れられてしまっているが。基本的には見守ってくれている。

 だけど、それなら何故。

 何故。


「この前来れなかったお店に来ちゃうんだろう……?」


 先日。

 勘違いされたとは言え、火坑の妹弟子である雪女の花菜(はなな)と出会い、友達になれた。

 火坑がかつて過ごした店でもある楽養(らくよう)にも行けて、ほんの少しばかり彼らの師である黒豹の霊夢(れむ)の料理も堪能出来た。

 何か礼をせねばならないな、と冬に近づいた今日。

 花菜と出会う直前に、行こうとしていたマカロン専門店に来てしまっていた。

 だけど、考えるのは霊夢達のことよりも火坑のことばかり。

 マカロンは砂糖が多く使われる菓子ではあるが、メレンゲのお陰ですっと口の中で溶けて、そして軽い食感が特徴的だ。

 ひとつくらいなら、彼でも食べられるかもしれない。

 だから、出来るだけ甘さを控えた種類を物色しようとしたのだが。

 どれもこれも美味しそうで、目移りしてしまい。小一時間悩んでしまっている。客は他にも女性客が多いので、特に店員にも声をかけられなかったが。


「おやおや、お嬢さん。随分と悩まれているねえ?」


 店員、にしては渋い声だ。

 ぞくっと背筋が伸びるような、耳通りの良過ぎる声。

 なら、店長さんだろうかと振り向けば、そこにいたのは少し明るめの色合いのスーツ姿の男性。しかも、かなりの高齢者だ。失礼だが、定年間近に見える年齢なのに異様に若々しい。

 顔のシワもだが、髪は綺麗なグレーだ。染めているのかもしれない。初対面だと美兎は思うが、どこかで見かけたのだろうか。しかし、思い返しても見当がつかない。


「あの……失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「! いやいや、お嬢さんとはある意味(・・・・)初対面だよ? おじさんが勝手に知ってるだけでね? この界隈……と言えば分かると思うけど」
「あ!」


 もしかして、と思ったが。周りを見ても店の中のままだし、客足も途絶えてはいない。

 けど、このご老人は自ら『妖』と告げてきたのだ。

 なら、周囲には自分達の会話は聞こえていないのかもしれない。

 だのに、今日は真穂も出て来ない。何故だろうか。


「ふふ。驚くのも無理はないけどね? おじさんは特殊な位置に部類されてる妖でねぇ? 真穂ちゃんもすぐには気づかないと思うよ?」
「真穂ちゃんを知って?」
「ああ。界隈では随分と噂されているとも。稀代の座敷童子がわざわざ守護につくほどの、吉夢の持ち主。夢喰いよりも先に目をつけるとは、あの子もやるねえ?」
「えっと……それで、あなたは?」
「おっと。歳を取ると前置きが長くなって仕方ない。おじさんの名前は、間半(まなか)。ぬらりひょんと言う妖はご存知かな?」
「ぬらりひょん??」


 聞いたことはあるようなないような。

 正直にわからないと答えれば、間半はくすくすと笑い出した。


「人間に知られたのは、さほど古くはないからねぇ? 座敷童子とは違う、家妖怪の一種とされているんだ。そして、気配を住人などの人間達には悟らせない。またを、妖の総大将とも言われているのさ」
「え……では、えらい人なのですか?」
「はっはっは。おじさんを見てそう思うかい?」
「えっと……どこかの社長さんとかには見えます」
「ふふ。久しぶりにめかし込んで、正解だったね?」


 けれど、なら何故美兎に接触してきたのかはわからない。

 首を傾げていると、間半はまたくすくすと笑い出した。


「あの?」
「うんうん。妖の総大将と知っても、然程驚かない肝の据わった態度。うんうん、おじさん感心しちゃうよ」
「まなか……さん?」
「是非とも、お嬢さんが気に入りの楽庵に。一緒に行かないかい?」
「え!」
「お代はおじさんが奢ってあげるよ? 手土産のマカロンも一緒に選ぼうじゃないか! あ゛!?」


 ペースに乗せられてしまうと、思いかけたら。

 突如、彼の上から穴のようなものが出現して。何か出てきがと思ったら、本性の子供サイズの真穂だった。

 そして、躊躇うことなく間半の脳天をかち割る勢いで、鉄拳制裁をお見舞いして彼を床に倒れさせてしまったのだった。


「何してんのよ、総大将が!?」
「う……ふ、ぐぐ」
「ま、真穂……ちゃん?」
「真穂が守護してる子に、勝手に声かけないの! このスケコマシ!」
「真穂ちゃん、古いよ……」
「いいの! こう言う色ボケじじいには!」


 穴から降りてきた彼女は、そのまま倒れた間半の背中に乗ってしまい。彼が苦笑いしながら顔を上げるまで、ずっと仁王立ちしていた。

 さすが妖と言うべきか。ぬらりひょんの間半(まなか)は特に怪我もなく起き上がれて。

 最後に真穂(まほ)がぴょんぴょんと背中に飛んでも、こらこらと苦笑いするだけだった。


「いきなり、酷いねぇ?」
「総大将が、結界張るんだから! 真穂もすぐに来られなかったんだもん!?」
「いやいや、君やあの猫坊主が気に入る人間の女の子が気になってねぇ?」
「け……っかい?」
「そうよ? 真穂達がこれだけ騒いでても気づかれないのは。こいつの結界のせいだもん」
「界隈に引き込むことも可能だけど。あれだけ真剣に選んでいるからねぇ? ちょっとお話したくなったんだよ」


 間半はスーツのシワを伸ばしてから、また美兎(みう)ににこりと微笑んでくれた。

 そして、もう一度周りを見ても。客は美兎達から少し距離を置いているように見える以外、何も動じていない様子だ。まるで、こちらが店の一部から切り離されているような。


「で? なんで、美兎の気持ちも知らないで楽庵(らくあん)に連れて行こうとしたの?」
「ん?」
「ま、真穂ちゃん!?」


 たしかに、助けてくれたのは嬉しかったけども。美兎の気持ちをバラしてまで、総大将を引き止める意味がわからない。

 けども、もう知られてしまったので、美兎はあわあわとしか出来ないでいる。


「ふむ。そうだね? 彼女の本心は見るだけでわかりやすかったけど、あの猫坊主があまり甘いものを得意としていないのに真剣に選んでいるからさ? それだけ、一度は食べてもらいたい相手だと思って興味を持ったんだよ」
「あの、猫坊主って……火坑(かきょう)さんのことですか?」
「ああ。地獄の補佐官だったとは言え、千年以上も生きていない輩は猫畜生であれ。僕にとってはあれも坊主さ?」
「そ、そんなにも長生きされていらっしゃるんですか?」
「うん。少なくとも、ヒトの歴史で言うなら大化改新あたりだねえ?」
「え!?」


 美兎でも覚えている範囲の歴史の重大事件。

 そんな時代から生きているとは思えず、つくづく、妖はなんでもありなんだと思うしか出来なかった。


「話がずれたけど。こんなにも可愛らしい女性を悩ませるあいつが。今どんな接客をしてるのか気になってね?」
「で、反応を見るついでに美兎を連れて行こうとしたわけ?」
「うん。Exactly!」
「……はあ」


 つまりは、面白半分で美兎を連れて行こうとしたわけか。

 とは言え、美兎の気持ちはそんなにもバレやすいのか。もしかしたら、火坑にもやっぱり知られているのではと思っていると、大学生の姿になっていた真穂から頭を撫でられた。


「言う言わないに関わらず、そろそろ行ったほうがいいよ? あいつも美兎が来なくなって心配してると思うよ?」
「そ、そう……かな?」


 たしかに、定期的に来てた客が来ないのにも心配をかけてしまうかもしれないが。常連仲間の美作(みまさか)辰也(たつや)以外の人間の客を、美兎も見たことはない。

 栄養源である心の欠片を出せていないから、ひょっとしたらそっちかと思いかけたが。違う違うと真穂に今度は肩に手を置かれた。


「全然来なくなった客に対して、妖でも人間でも関係ないよ? 心配するのは」
「そ、そう……?」
「おじさんもそう思うよ? どれくらい行っていないんだい?」
「え、えっと……ひと月ほど」
「よく我慢出来たね?」
「仕事……で忙しくて」
「それで逃げてたんでしょ?」
「はぁう……」


 真穂に言われてしまっては、ぐうの音も出ない。

 とりあえず、行くか行かないか決めなと言われたら。あれだけいじいじしていた心と向き合うと、すぐに答えは出た。


「……行く。告白は出来ないけど、行く」
「よし。そうと決まれば、手土産を選ぼうではないか!」


 そうして、間半が指をパチンと鳴らせば。辺りの騒ぎ声が戻ってきて、美兎達がいたスペースもどんどん狭まってきた。


「あんまり長居は出来そうにないわね? 美兎、今日のお土産に見当はついたの?」
「そ、それが……まだ」


 どれが食べやすいか迷っていただけで、これと言った品には到達していなかった。

 すると、今度は可愛らしいメイド服のような売り子の店員さんが、トレーを片手に美兎達の前に現れた。


「ご試食用です。イチゴとクリームチーズのマカロンですよ。新商品です!」
「あ、食べる!」
「わ、私も」
「おじさんにもいいかな?」
「はい、是非」


 三人で試食用のひと口サイズに仕上がっている、ピンク色のマカロンを口に放れば。

 クリームが爽やかでほのかに酸っぱく。マカロンの部分もチーズとの相性抜群で、そこまで甘さが引き立てられていない。

 これにしよう、と美兎は間半にお願いするのだった。


「うん。いい選択だね? 甘過ぎずくど過ぎず。ちょうどいい具合だ。あいつも喜ぶと思うよ?」
「そうだと……いいんですけど」


 間半が多めに買ってくれたので、美兎の荷物はいっぱいになったが。後悔はしていない。

 あれだけ後ろめいていた気持ちが晴れて、スッキリしているのだから。

 だから、きちんと界隈の入り口を目指して足を進めることが出来た。

 美兎(みう)(にしき)にやって来る数日前。

 小料理屋楽庵(らくあん)には、少し珍しい客人達がやってきたのだった。


「……おや、師匠に皆さん」
「よ!」
「……久しぶり」
「お、お久しぶりです! 兄さん!」


 黒豹の霊夢(れむ)を筆頭に、小料理屋楽養(らくよう)の一行がやって来たのだ。兄弟子の元狗神である蘭霊(らんりょう)は相変わらずの迫力で、妹弟子である雪女の花菜(はなな)も相変わらず極度の恥ずかしがり屋で兄弟子の後ろに隠れていた。

 料理人の三人ともやって来たと言うことは、今日あちらをわざわざ休業にして来たわけか。何故、と思うことはあるが、せっかく来ていただけたので。火坑(かきょう)は精一杯料理を振る舞うだけだ。

 蘭霊は手製の梅干しだと、火坑に手渡してくれた。火坑も受け継いだ梅酒もだが、彼は漬け込み作業が実にうまいので楽しみだった。

 温かいおしぼりを二つ。残り一つは冷却してある方からひとつ取り出して渡した。雪女に熱は毒なので、熱いおしぼりは避けねばいけないから。


「楽養勢揃いは珍しいですね?」
「お前の今の腕を知りたかったのもあるが……」
「? 師匠、やけに意味深な物言いですね?」
「……お前、女出来たのか?」
「!? せ、先輩!?」


 突然やって来て、突然の兄弟子の発言に。思わず盛大に唾を吹き出しそうになったのを堪えた。

 いったい全体なんのことだと、訳がわからなくなりそうだったが。いつもは挨拶以外話しかけてこない、花菜も手をあげたのだった。


「あ、あの、兄さん。すみません」
「は、花菜ちゃん?」
「わ、私が……美兎ちゃんがろくろ首の盧翔(ろしょう)さんのお店に行かれたことを聞いて、つい先日界隈に引き込んでしまったんです。でも、すぐに……誤解とわかりました。なのに、友達になってくれたんです……!」
「……事情は深く聞きませんが。盧翔さんなら、先日一度だけこちらに来られましたね?」
「え!?」
「お前のことはいーだろ? で、夕飯ついでにうちんとこに来たんだよ。心の欠片ももらって、料理も振る舞った」
「……なるほど」


 それで、火坑の昔話などを色々聞いたかもしれないが。

 どうして、その流れで火坑が美兎に惚れているとバレてしまっているのか。まさか、美兎も知ったのでは、と思いかけた。だから、ここひと月くらい錦に来ない理由はそのせいなのかと。

 すると、カウンター越しに霊夢が火坑の頭をぽんぽんと撫でてきた。


「お嬢さんに、お前の気持ちは伝わってねーって。俺らが憶測しただけだ。お前の店を気に入ってることは話してくれたし、今は色々理由があって会いに行けねーんだと?」
「そ……ですか」


 いくらか安堵は出来たが、やはり火坑の彼女への想いはバレていたのか。閻魔大王達にもだが、自分は本心を隠すのが得意でいたのに、身内にはバレやすいのか。

 とりあえず、気を取り直して。先に出来ていた、スッポンの肉の生姜醤油漬けを出した。今日のスッポンは雌で、新鮮な卵もあったのでそれも加えたものだ。


「スープとかはまだだろ? (ぼん)、お前の梅酒がいいな?」
「……先輩の舌を唸らせるほどでは」
「構いやしねーって。あのお嬢さんも気に入っているようだったぜ?」
「……そうですか」


 美兎がいないのに、美兎の話ばかり出てしまう。

 この面子でなら、いつも料理談義だと言うのに。不思議だ。彼女がいないのに、彼女がいるような雰囲気になってくる。

 梅酒をロックで出すと、蘭霊はスッポンの卵を口に含んでからくいっと煽った。


「……悪くはない。が、俺なら黒砂糖をもう少し追加するな?」
「……勉強になります」
「はっはっは! 俺より蘭の方が実質うめーからな? 火坑、今日はスッポン以外なら何がある?」
「そうですね。本当の旬ではありませんが、割といい鹿肉が手に入りました。うちは洋食メインではないのでシチューは仕込んでいませんが。ローストかステーキか?」
「あー、そうだな?」
「どうしてもらおうか?」
「あ、あの! 兄さん!」
「何かな?」
「ず、ずっと昔に……師匠に褒められていた、チーズ入りのハンバーグを!」
「よく覚えてたなあ?」
「あれか」
「かしこまりました」


 たしかに、あのハンバーグは懐かしい。

 少々手間はかかるが、脂のノリが春夏に比べると質が違うこの肉にはちょうどいいかもしれない。

 なので、火坑は得意とする柳葉包丁達を片付けて、肉用の刃が少し大振りの包丁を二本、まな板の上に置くのだった。

 そして、メインの鹿肉。

 繁殖期で、熟練の猟師らが舌鼓を打つ春夏よりも脂のさしは多いが、柔らかさはいくらか劣る。

 けれど、挽肉にしてハンバーグにするならちょうどいいかもしれない。火坑は、包丁の一本を手にして。挽肉にしやすいようにまずはカットしていくのだった。

 なかなかに、妹弟子は懐かしいメニューを蘭霊(らんりょう)にとっては弟弟子である猫人の火坑(かきょう)に提案したものだ。

 ハンバーグは、具体的にいつ日本に伝わって来たのかは定かではないのだが。

 蘭霊がまだ狗神だった頃。しかも、元号が明治と呼ばれていた頃に、ヒト達の噂で『ジャーマンステーキ』だとか『ミンチボール』とも呼ばれていた記憶がある。

 何故、ドイツを意味するジャーマンが含まれているのかは。ヨーロッパに伝わってから、ドイツでは現代のハンバーグに近い形状とレシピで作られていたために、そのステーキを敬称して呼ばれた説がある。

 そして今。火坑は、通常の豚でも牛でもなく。鹿肉でハンバーグを作っている。ミンチも手作業で。

 酒を飲みながら、のんびりと待つことに慣れている面子だから、気兼ねなく料理が出来るのだ。

 妹弟子である、雪女の花菜(はなな)は食い入るように見つめているが。たしかに、楽養(らくよう)でも滅多に作らなくなったメニューなので、作り方が気になるのだろう。

 今火坑は、二本の包丁で小ぶりのブロック肉にした鹿肉を叩いてミンチにしていた。


「たまにしか作らないので、少々時間がかかってしまいますが」
「なーに? 今は俺達だけだ。久しぶりの腕前見せてもらうぜ?」
「師匠、プレッシャーかけないでください……」
「けど、兄さん。速いです!」
「まあ、普段はスッポンの肝を叩いているからね?」


 けれど、量も質感も違うので、どうしても作業に時間がかかってしまうのは仕方がない。

 そして、粗挽きではあるが十分に細かくて粘り気が出た肉を一旦ボウルに入れて冷蔵庫に。まな板と包丁を変えてから、玉ねぎを多めにみじん切りにして半分は生で。半分はソースにするのか丁寧にフライパンで炒めていく。

 ソースが粗方出来てから、ミンチに玉ねぎ、卵、牛乳で湿らせたパン粉を投入して、塩胡椒も合わせる。そこから、成形しやすいように混ぜていくのだった。


「おっと、肝心のチーズを忘れるところでした」
「このハンバーグの要を忘れんなよ?」
「すみません……」


 チーズは載せるのではなく、詰めていくタイプだ。

 だが、そうすると中に火が通りにくいために、表面を焼いたらグリルでじっくり焼く方法だ。ここにもだが、楽養にも専用のグリルがあるので出来る。家庭なら、レンジやオーブンでもいい。

 火坑が成形する際に、たっぷりのピザ用にも使うチーズをハンバーグのタネの中に詰めて。熱した鉄のフライパンで、表面を綺麗な焦げ目に焼いたら。

 アルミホイルで表面にこれ以上焦げ目がつかないように覆い、専用のプレートに載せてグリルの中でじっくり焼いていく。

 結構な時間が経ったが、師の霊夢(れむ)も冷酒を片手に眺めていた。目は真剣ではあるが、どこか懐かしい風景を目にしているようで、蘭霊にとっては少しこしょばゆかった。

 蘭霊よりも先に店を出した火坑を、一番可愛がっていたのは他でもなく、この黒豹なのだから。

 蘭霊自身は、霊夢に大恩があるので暖簾分けする気がないのだが。今の自分では経験出来ない感情だ。少しだけ、羨ましく思うが。


「あ、皆さん。ご飯はいかがされますか?」
「胡麻塩だろ!」
「だな?」
「お願いします!」


 西洋ならパンであろうが、蘭霊達は人間ではなくとも日本で育ったのだから当然米派だ。

 酒も飲みつつ、がっつり食べる気で腹を空かせてきたのでまだ全然足りない。スープは、ここの看板名物であるスッポンのスープがあるのでいらない。

 だが、ハンバーグはもう少し時間がかかるので、先にスープを出されたのだった。


「はふ。おいひいです!」
「今日のは雌だが、活きがいいなあ? 値が張ったか?」
「そうですね? 少々高かったですが、師匠達に喜んでいただけたのなら何よりです」
「うん、美味い」


 ちょうど、蘭霊は頭の部分を食べていたが。身は柔らかくても、程よく弾力が残っていて食べ応えがある。頭蓋骨を割れば、ピンク色の小さな脳が出てくるが、鋭い牙の上に載せてから舌に移動させて。ちゅるんと喉を通らせる。

 塩気もまずまず。

 弟弟子には、相変わらず厳しい蘭霊だった。


「さて、お待ちかねです」


 出来上がったハンバーグに、温め直した玉ねぎのソースをかけて。鉄板ではないが、店で上等な皿に盛り付けられた鹿肉のハンバーグは、蘭霊達の鼻や目を喜ばせてくれた。

 順番に渡され、胡麻塩がふりかけられたライスも準備出来たら。後は食すのみ。


「ふわ〜……美味しそうです!」


 花菜が箸でハンバーグを割れば、中からとろりとしたチーズの洪水が出てきたのだった。

 基本的に、女性はチーズを好む傾向が強いから。一応火坑とは両想いである、あの湖沼(こぬま)美兎(みう)も好きそうだろう。

 けれど、彼女はその女性が好む傾向が強いキノコとこんにゃくが嫌いなので、確定は出来ないが。


「ほふほふ。……ほぉ、久しぶりだが。いい塩梅だ。肉も悪くねーし、こりゃトマトソースもいいが玉ねぎと塩ベースのこのソースとも相性がいい」
「ありがとうございます」
「どれ……」


 蘭霊はまだ手をつけていなかったので、早速箸を伸ばす。

 グリルでじっくり火を通したことで、湯気がすぐに消えない。箸で割れば、スッと通っていき抵抗なくハンバーグが割れた。

 中からは、とろけたチーズが溢れ出て来た。

 食べやすいように切り分け、チーズとソースを絡めてから口に入れる。

 程よい塩気と、チーズの濃厚さに合わせて豚や牛では出来ない肉の野性味溢れた風味。

 ソースはあくまでさっぱりしていて、これだけの濃厚さとうまく調和していたのだった。


「……うん。あの頃と同じ味だ」


 花菜が、まだまだ使い物にならなかった頃に、火坑があまり物の鹿肉と玉ねぎで(こさ)えた逸品。

 蘭霊も少し食べたが、同じ肉ではないのにこうも再現度が高いとは。梅酒はまだまだだが、これは蘭霊でも無理だろう。


「腕、ちょっとばっかし上がったんじゃないか?」
「……先輩」


 火坑は少し目尻に涙をためかけていたが、すぐにぬぐって、酒の貯蔵庫から洋物の酒を持ってきた。


「きっと、これが合うと思います!」
「お! 白ワインか!」
「わー!」
「ま、今日は無礼講だしな?」


 他に客が来る気配もないようだし、楽養のメンバーで貸し切りもありだろう。

 それにしても、と蘭霊は思う。

 これだけ、成長した弟弟子に惚れてるらしいあの人間の女は。

 霊夢の考察だと、種族の違いと寿命の差で悩んでいるかもしれないと言ってはいたが。

 ひょっとしたら、他の理由もあるかもしれない。蘭霊の勘がそう騒いで仕方がなかった。

 いざ、いざ。

 新人デザイナー見習い、湖沼(こぬま)美兎(みう)

 今日まで避けていた、(にしき)の妖界隈にある小料理屋の楽庵(らくあん)に出陣するために、久しぶりに界隈に足を運んだ。

 想い人である猫人の火坑(かきょう)に会いに行くべく、同伴者に座敷童子の真穂(まほ)とぬらりひょんの間半(まなか)は居るが。これほど、心強い同伴者はいない。

 間半は今日出会ったばかりだが、面白がったりはしても相手を尊重してくれる節がある。詫びとは言え、火坑への手土産を購入してくれたり、今日楽庵(らくあん)での代金も支払ってくれるそうだ。

 いきなり初対面とは言え、ここまで提案してくれるのはナンパでもそう多くはない。それに、真穂が一度窘めたから、美兎もこれ以上は言わない。

 だから、楽庵の前に到着した時には、何度か大きく深呼吸をしたのだ。


「い、行きます!」
「ああ」
「オーケー」
「……あれ?」


 引き戸に手をかけたのだが、何故かあちらから開いてしまったのだった。

 夜も夜半に近くなって来たし、客かと思ったのだが。見えてきた手の形と毛並みに美兎の心臓が早鐘を打ち始めた。


「……おや、湖沼さん?」
「か、火坑さん!」


 スッキリと整った猫顔。涼しげな微笑み。

 ひと月も会っていなかったのだが、なんだか懐かしく思えて。思わず、美兎は涙ぐんでしまいそうになったが、なんとか堪えた。

 二人揃って顔を合わせたままだが、まずは謝ろうと美兎の方から腰を折った。


「い、一ヶ月も来れなくてすみませんでした!」
「い、いえ。僕は怒ってはいませんが」
「い、色々理由があって来れなかったんです。本当にすみません!」
「……湖沼さん」


 しっかり謝罪すると、火坑から小さく笑う音が聞こえてきて、柔らかい肉球のない手で美兎の頭を撫でて切くれた。その手つきはとても優しかった。


「はーい! とりあえず、美兎の謝罪は終わり。真穂達もいるよ?」
「!……これは、総大将まで」
「相変わらず、憎たらしい性格をしてるね? 猫坊主。女性一人を悩ませちゃうんだから」
「……はい?」
「わーわー!? 間半さん!!」


 言いふらすつもりはないだろうが、美兎の気持ちをバラしかけたので慌てて二人の間に入った。

 とりあえず、火坑は客の気配がしたのに店に入って来ないのが気になって引き戸を開けたそうだ。なので、美兎達は中に入ってカウンター席に座った。

 やはり、冬になってきたので外の寒さとの差が激しく、エアコンの暖かさにほっと出来た。さらに、熱いおしぼりを渡されると殊更身に沁みた。


「あ、あの。皆で選んだお菓子なんですが」


 料理を注文する前に、先に例のマカロンの袋を渡した。

 すると、袋を見ただけで火坑の顔が華やぐように輝いたのだった。


「あ、そこ僕も知っています! 秋口にリニューアルオープンしたマカロン専門店ですよね? 甘過ぎないマカロンだと柳橋でも聞いていたんですが。……わざわざありがとうございます」
「えと。今日のは、新商品のイチゴとクリームチーズのマカロンです。火坑さんでも、食べられると思いまして」
「? 僕、甘過ぎるのが苦手なお話しましたでしょうか?」
「ずっと前に、真穂達とクレープ屋行ったじゃん? あの時に〜」
「ああ、それで。お気遣いありがとうございます」


 火坑自身が気になっていた店の商品なら、選んで良かったと思えた。

 美兎がずっと来ないでいたのも、いくらか心配はかけてしまったようだが、怒らせてはいなかったことにも安心は出来た。とは言え、まだまだ告白などは先の先としか思えないでいるが。


「さて、猫坊主。今日は故あって僕の奢りだ。お嬢さん達にとびきりの馳走を振る舞ってあげておくれよ?」
「はい。かしこまりました。スッポンも久しいでしょうし、今日は雌を仕入れられました。まずは、卵とかいかがでしょう?」
「お願いします!」
「真穂も!」
「僕は胆汁の水割りを」
「はい」


 まずはいつものコースから。それを味わうのも随分と久しぶりに感じるが、生姜醤油の卵と足の肉の和物も変わらずにとても美味であったのだった。


「寒いし、ふぐもいいがタラもいいだろうねぇ? 猫坊主、どちらかあるかい?」
「今日はふぐがありますよ? 鰭酒(ひれざけ)の準備もしてあります」
「ほう、いいねぇ? 美兎のお嬢さんは日本酒は大丈夫かな?」
「あ、はい。飲めます。ひれざけってなんですか?」
「名の通り、ふぐの鰭を使った酒さ。寒くなってきた今日にはもってこいの酒だよ」
「へー?」


 なんだか、間半が言うと素敵な響きに聞こえてきた。


「鍋、刺身、唐揚げとありますが。今宵はどうしましょうか?」
「ひととおり、にしようか?」
「え!? ふぐ料理って高くないですか?」
「はっはっは! おじさんの懐事情は心配しなくていいよ?」
「ふふ。懐石としてのふぐ料理専門には劣りますが、精一杯頑張りますので」
「うん。では、出来上がり次第順に出してもらおうか?」
「かしこまりました」


 久しぶりの来店で、高級料理。

 とんでもないタイミングで、来てしまったものだ。

 ぬらりひょんの厚意とは言え、いきなり高級料理を奢ってもらうことになるとは。

 ふぐ、と言う料理を美兎(みう)は生まれてこの方。ほとんど食べたことがない。いや、皆無と言っていいかもしれない。

 幼い頃から、裕福ではないが不自由もしてない普通の家庭で育ったために、縁がなかっただけだ。

 それを、二十三歳になった今年。初めて口にすると言う事態。美兎がぬらりひょんの間半(まなか)に心の欠片で支払うと言われても、いいからいいからとあしらわれてしまう始末。

 座敷童子の真穂(まほ)からも、気にしない気にしないと手を振られてしまった。


「超超高級料亭じゃないんだし、火坑(かきょう)も客のこと考えて選別してきてるんだがら。肉とかのA5ランクとかじゃないんだし?」
「そ、そうなの?」
「ふふ。おっしゃる通りです。たしかに本日仕入れたふぐは一等品ではないので。……(ひれ)の方も乾かす必要があるので、今日捌いたものではないのです」


 ほら、と火坑が厨房の壁を指差すと。カウンターと厨房の境目の壁に、小さな(すだれ)のようなものが立てかけてあった。そこには虫ピンのような針で留められている、黒い鰭があったのだ。乾燥しているので、すぐにでも調理出来そうだ。


「ほう? いい感じじゃないか? 酒も期待出来そうだねぇ?」
「ふふ。だといいですが」
「あの、ひれざけって。どう言う風に作るんですか?」
「お嬢さん、下関には行ったことはあるかい?」
「えっと……ない、です」
「面白い話があるんだよ。そもそも、鰭酒に最初出来たのは……大戦後間もない時代だったんだ」
「たいせん?」
「第二次世界大戦ですね? あれがなければ、日本は変わりませんでしたが」
「!?」


 そうだ、見た目で忘れかけていた。真穂も、火坑もだが、見た目はほとんど人間と差がないようにしている間半はずっとずっと昔から存在しているらしい妖のひとり。

 美兎みたいな人間なんて、子供よりも赤ん坊に等しいだろう。なのに、態度を変えることなく唯一人の人間として接してくれている。

 美兎は、そんな御長寿である間半の話を聞くことにした。


「今では酒造出来ない、酒に似せたマズい酒を人間達は飲むしか出来なかった。戦後のせいで物資はままならなかった時代になってしまったからね? それは漁師も変わらない。だが、ある冬の寒い時期。船で熱燗を飲むのにも混ぜるものがないと、食べ残したふぐの鰭でかき混ぜたら……人間にとっては美味いと感じたらしい」
「とは言っても、干していなかった鰭を実際にやると生臭くなってしまうんですよね? けれど、ただでさえ食が貧困していた時代には美味しく感じたのでしょう」
「だろうね? では、猫坊主。今の鰭酒を披露してもらおうか?」
「かしこまりました。熱燗もちょうどいい塩梅ですし」


 火坑が虫ピンのひとつを手に取り。人数分取ってから、一枚一枚を細長いトングの先に挟んで。弱火にしていたコンロの上でじっくり炙っていくのだった。


「生もだが、料理人の腕の見せ所なんだよ。弱火でじっくり炙らないとせっかくの鰭が焦げてしまうからね?」
「ええ、その通りです。これを端っこがこんがりするくらいまで炙って」


 いつもより大きめの、酒器。お猪口よりも、ぐい飲みみたいな陶器に出来立ての鰭を一枚入れて。その後に、湯気がすごい熱燗を注いだ。

 これで出来上がりかと思えば、チャッカマンで火をつけてしまい、まるで洋食のフランベのように青い火がついてしまった。


「え、え?」
「火が消えた辺りが飲み頃です。お待たせ致しました、トラフグの鰭酒です」
「わーい!」
「ふむ、悪くなさそうだ?」
「火、つけちゃうんですか?」


 綺麗ではあるが、これは演出なのだろうか、と思うと。また間半がくつくつと笑い出した。


「酒の好みにもよるが、鰭酒の場合強い酒で作ることが多い。今日は猫坊主の好みに任せたんだが、酒に火が入ると酒精……アルコールが飛ぶとも言うだろう? クセが抑えられて飲みやすくなるんだ」
「……そうなんですか」


 だとしたら、普通程度しか飲めない美兎を思ってか、美味しさを提供するためか。

 どちらにしても、美兎の火坑への好意数値がますます高まってしまうのだった。

 とりあえず、火が消えてからひと口飲んでみることにした。


湖沼(こぬま)さん、鰭は取り出してもそのままでもお好みでどうぞ」
「じゃ、せっかくなのでこのままで」


 酒も器もかなり熱かったが。

 アルコールをいくらか飛ばしたのと、炙った鰭の香ばしさで。これが酒なのかと思えないくらい、飲みやすい飲み物と化していた。


「ふふーん。美兎、気に入った?」
「うん! なんか、スープ飲んでるみたい!」
「言い得て妙。冬にしか飲めない酒だしね?」
「トラフグの旬ですしね?」


 先付けに出た、春雨サラダと合わせてもとても美味しい。おかわりしたくなるが、やはり二杯目はいつもの梅酒にしようと決めた。


「さて、鰭酒とくれば。てっさもいいですが、冬も近いですし。てっちり鍋……ふぐ鍋といたしましょう」


 ただ、その前にと火坑は身の部分ではなく、ふぐの皮をいきなり細切りにして鍋で軽く湯引きするのだった。

 何せ、ふぐ料理をデビューしたばかりの美兎(みう)なので。骨はともかく魚の皮。シャケや青魚はともかく、毒があると有名なふぐの皮まで食べられると言うのは衝撃的過ぎた。

 余程驚いた顔になっていたのか、猫人の火坑(かきょう)は涼しげな笑顔で答えてくれたが。


「皮の湯引きは、人間でもポピュラーに食べられているのですよ。てっさ……ふぐ刺しにもよく添えられています」


 味はもちろんしないので、ポン酢醤油と和えるのが一般的ですが。と、彼はそう言いながら、細切りにした皮をボウルの調味料で和えていった。

 小鉢に体よく盛り付けられた一品は、とても可愛らしく見えた。


「本日、ふぐ刺しではありませんので。皮を湯引きしてポン酢醤油で和えてみました」
「いただきます」
「いっただきまーす!」
「うん、いただこう」


 薄っすらと透けているが、トラフグの独特の模様が愛らしい皮の湯引き。混ぜて食べると美味しいと火坑が言ってくれたので、薬味に載せてあった紅葉おろしと小ネギもしっかりと混ぜて。


「! コリコリしてて、味はあんまり感じないです。けど、紅葉おろしとポン酢醤油でいい塩梅になります!」
「お気に召しましたでしょうか?」
「はい! 美味しいです!」


 たしかに皮自体に味はほとんどないが、コリコリとした食感が実に楽しい。正月の数の子とも、沖縄料理のミミガーとも違うなんとも言えない味わい。

 これは、おそらく美兎の給料では楽庵(らくあん)以外で早々に食べられないに違いない。とは言えど、今日は間半(まなか)の奢りだ。妖に最近奢られがちではあるが、厚意を無碍に出来ないのでのっかるしかない。


「さて、次はふぐ鍋ですね?」


 そして、ひとつの鍋で煮込んだものではなく。小ぶりの土鍋を美兎達の前にそれぞれ置く前に。火力は、旅館とかでも使うような固形燃料。それを土台の中に入れて、チャッカマンで火をつけて。その上に土鍋を置くのだった。


「わ! 言い方悪いですけど、タラのお鍋みたいですね?」


 ふぐだと薄造りのイメージが強かったが、今回の鍋では大胆にぶつ切りだったのだ。もう既に煮込まれているので、白身魚の塊が美しく見えた。


「ふぐって、実は繊維質がすごいんですよ。皮の湯引きでおわかりでしょうが、身を普通の刺身のようにすると噛み切れにくいですしね? なので、刺身だと薄造りが基本だとも言われています。鍋ですと、煮込むことでいくらかやわらぐので大振りなんですね」
「そうなんですね!」
「タレは先ほどと同じ、紅葉おろしとポン酢醤油でお召し上がりください」
「はい!」


 ひとり鍋だなんて、なんて贅沢なのだろう。こう言うこじんまりとしたお店ならではの気遣いかもしれない。野菜もよく煮込まれているが、せっかくなのでぶつ切りに切られたメインのふぐを食べることにした。


「ん! いいよ、火坑! いい塩梅!」


 先に食べていた真穂(まほ)が、火坑に向けて親指を立てていた。

 そんなにも美味しいのかと、美兎もタレをつけて軽く息を吹きかけてから口に入れた。


「はふ……あふ! わ! 本当にかみごたえありますね!!」


 一見柔らかそうな感じではなくて、もちもちした弾力のある白身魚だった。けど、味は出汁とポン酢醤油のお陰で、もちもち噛んだあとから旨味がやってくる。

 骨は流石に無理なので、丁寧にとってからまたひと口。

 これに、二杯目にとお願いした火坑特製の梅酒が合うこと。蘭霊(らんりょう)の梅酒もたしかに美味ではあったが、美兎には飲み慣れたこちらの味が懐かしく思えた。

 ああ、ひと月来ないでいた時間が惜しく思えたのだと。

 意地を張らずに、臆病にならずに。火坑の料理や語らいをもっとしたかった。

 肝心なところで、情けないなあと、涙が出そうになったのを堪えた。


「さて、唐揚げも出来ましたよ」


 いつのまに、と思ってカウンターに置かれた料理は。

 鍋の切り身同様に、大胆なぶつ切りでカラッと揚げられた唐揚げの登場だった。


「わあ……!」
「こちらも、身はかなり弾力があるので気をつけてください。レモンをかけると美味しいですよ?」
「じゃ、早速……!」


 鍋を少しずらして、唐揚げの皿を目の前に置き。

 添えてあったレモンのくし切りを絞って、きゅっとふぐの唐揚げにかけていく。


「ほう? 猫坊主、やるじゃないか? 下味がしっかりしてるねえ?」
「お粗末様です」


 間半が褒めるくらいに美味しい唐揚げ。

 なら、時々食べていたスッポン並みかそれ以上か。

 美兎も我慢出来ずに、箸で持ち上げるのだった。

 久しく口にしていなかった、元幽世(あの世)の獄卒であり閻魔大王の補佐官であった、猫人の妖となった者の料理。

 界隈でも指折りと数えられている、黒豹人の霊夢(れむ)の弟子となった後に。同じ(にしき)の界隈に店を出したのだが。

 なかなかどうして。小生意気な性格に反して、悪くない馳走を振る舞ってくれる。ぬらりひょんの間半(まなか)は、てっちり鍋とも呼ばれるふぐ鍋を堪能しながら、鰭酒の次に頼んだ熱燗を楽しんでいた。

 界隈の端で、偶然目にした人間の女。

 座敷童子の一角である真穂(まほ)がわざわざ守護となった、湖沼(こぬま)美兎(みう)と言う人間でもまだまだ社会に飛び出したばかりの女。妖以下の霊力しかないが、何か惹かれたのかワガママで有名な真穂が虜になる相手だ。

 だから、間半は気になって近づいた。錦に来る理由が、小生意気な猫坊主である火坑(かきょう)の店に足蹴よく通っていると噂では聞いていた。

 なので、間半は彼女が表の菓子店で入った隙をついて、結界を張り問いかけたのだ。すぐに真穂に気づかれてしまったが、知りたいことは十分に知れた。

 (くだん)のケサランパサランの増殖。その一端に噛んでいたのは、やはりこの女と火坑なのだと。

 幸運の象徴とも言われているケサランパサランは、時に幸福な霊力と妖力を好むとされている。本人達にとっては、栄養剤のようであるらしいがそう多くは得られない。

 だから、妖界隈によく出入りするようになった彼女が猫坊主に想いを寄せているのを察知した、ケサランパサランが楽庵(らくあん)に寄り添ってしまった。

 その逆も然り。

 なのに、想い合う二人は周囲の気持ちを知らずに、真実を知っているようで知らぬまま。お互いの想いもだ。これを滑稽以外になんと言う。

 だから間半は、気分が良かったので美兎を誘い、今日の支払いをすべて請け負った。もともと懐事情に寂しいものはないし、家などに無鉄砲に侵入するのがぬらりひょんの特徴と言われるがそれだけではない。

 妖の総大将と言われるだけあって、妖達の揉め事などを解決するのに出向き。報酬を受け取る。なので、賃金などは不定期ではあるが潤っているくらいだ。


「唐揚げ、美味しいです!」


 そして、今楽庵で共に食事をしている美兎の表情は生き生きとしている。

 火坑を想うことで、臆病になっていた彼女の表情が一変してとても歓喜の表情でいた。

 一級品ではないが、初めてのふぐ料理を堪能して、とても喜んでいる。この表情を見れただけで、連れてきて良かったと思えた。その笑顔に、肴は足りてるはずなのに杯が進んでいくこといくこと。


「お鍋の時みたいにもちもちしてるんですね!」
「はい。大振りでない子供サイズのふぐの身は、旬になればスーパーでも見かけますよ? なので、家庭でも簡単に鍋や唐揚げを作ることが出来ます」
「……難しいですか?」
「ふふ。毒抜きはされていますから。あとは普通の魚と然程調理に差はありませんよ? 湖沼さんでもきっと出来ます」
「ちょっ、挑戦してみます!」


 それに、二人の会話は何気ないものでも想い合っているのだとわかれば、歯痒さを覚えてしまいそうだ。

 美兎の隣、つまり間半との間に挟まれた真穂の方も、慣れたのか呆れているのか、梅酒をちびちびと飲みながらため息を吐いていた。


「ねーねー、真穂ちゃん?」
「? 何よ、総大将?」
「二人って、いっつもこう?」
「……そうよ。真穂も疲れてきた」
「ふふふ。ケサランパサラン以上に幸福の象徴である君が叶えられないとはねぇ?」
「まったくよ」


 美兎と火坑は話に夢中になっているので、こちらの会話は聞こえていないようだ。

 なので、思い思いに話が出来て幸いだが。なんと言うか、本当に歯痒い。歯痒すぎて、逆にくっつけたくなる。

 そこで、間半はいいことを思いついた。


「では、〆はどうなさいましょう? スッポンかふぐ鍋の残りで雑炊も出来ますが」
「せっかくだから、ふぐ!」
「異議なし!」
「僕もお願いしようか?」


 挑戦(チャンス)は一度きり。

 美兎と真穂が帰ると言ったあとだ。

 雑炊を堪能してから、が本番だ。

 お腹が膨れて、安心し切った美兎達は間半に礼を言ってから帰っていく。間半本人は、もう少し酒を飲むと言う理由で一人留まる。

 そして、完全に気配が遠のいてから間半が切り出した。


「時に猫坊主」
「はい?」
「たおやかな花を手折らない訳を聞いても?」
「は……?…………え、え!? 総大将どうして!?」
「何。今日お前を見ていてよーくわかった。件のケサランパサラン事情も納得の理由さ?」
「……大王から何か?」
「いいや。幽世(あの世)は関係ないね? 時折、あのお嬢さんは真穂ちゃんとのことで噂になっていたんだ」
「……そうですか」


 とは言え、今日は語らうだけで終わらせるつもりはない。


「あの子が、どこかの妖の流れをくんでいるんだから。契るのを厭う理由にはならない。それに、一切考えなかったのかい? 彼女が、何故ひと月もこの店に来なかったのか?」
「……お仕事では?」
「いくら、社会人一年目の新人でも。真穂ちゃんのお陰でちょいちょい落ち着いているはずさ? そうじゃなくて、お前を……とは思わないのか?」
「僕……ですか?」


 肝心のところで鈍いのは相変わらずか。とりあえず、順を追って説明することにした。


「ケサランパサランの解決方法はなんだった?」
「……僕が湖沼さんを想う気持ちが溢れかえっているから、と」
「そう。なら、逆は思わなかったのかい?」
「逆……?……………………え、え、え!?」


 やっと理解したのか、火坑はその場でずっこけそうになった。

 少し頭痛がしそうだった間半は更に続けた。


「片方だけでなく、双方の霊力と妖力が溜まればケサランパサランも寄ってくるだけですまない。鏡湖(かがみこ)にも彼女の痕跡はあったからね? だから、閻魔大王の策以上に。解決策はただ一つ」
「……と言いますと?」
「わかってるんなら、ここはいいからさっさと行ってきな!」
「すみません!!」


 何を実行すればいいかわかった火坑は、上着も着ずに料理人の服装のまま店を飛び出して行ったのだった。


「……はあ。燗酒はすっかり温くなってしまったが。解決しそうでよかったよ」


 実は、火坑には少し嘘をついていたのだが。

 閻魔大王からの式神で、こっそり美兎と火坑の仲を取り持ってやってくれないかと頼まれたのだ。

 だから、美兎から探りを入れてこちらに来たわけである。

 うまく行って欲しいものだが、火坑のあの様子ならきっと大丈夫だろう。

 そう、間半は思っておくことにしたのだった。

 自分は、いつだって他人を優先していたと思う。

 地獄の獄卒以前に、ただの猫畜生だった頃も。猫の生き方であれ、主人を蔑ろにせずに過ごしてきた。

 それが死してまさか、地獄の獄卒。さらには、閻魔大王の第四補佐官に任命された後でも。

 いつだって、自分のことよりも他人の事を優先していた。その生き方に後悔はなかったが、いざ自分の事となるとどうしていいのか。年甲斐もなく、慌てていた。

 ぬらりひょんの間半(まなか)に背中を押され、妖界隈から自宅に帰る途中の湖沼(こぬま)美兎(みう)を探しているのだが。

 猫人なので、火坑(かきょう)はそこまで鼻が効かない。常人以上、犬以下なので繁華街の匂いに紛れて探せないのだ。

 とにかく、急いで急いで美兎とその守護についている座敷童子の真穂(まほ)を探しているのだが。人間界と同じく碁盤のように区切られている、この広小路はとにかく迷路と同じだ。

 どこがどうで、目印があるようでない。店とかも、大体が似通っているために同じく目印にならない。

 どこだどこだ、といくつか角を曲がったところで。火坑はようやく見覚えのある二人組の女性の背中が見えたのだった。


「こ……ぬま、さん!」


 やっと見つけた。

 けど、まずい。

 あの道順を辿れば、すぐに人間界へと戻ってしまう。真穂や間半のように、人間に似せているどころか猫の頭である火坑だと人間界に行ったら騒ぎを起こしてしまう。

 だから、疲れていても、全速力で二人の背を追った。


「こ、ぬまさん…………み、うさ。美兎さん!」
「うぇ!? はい!?」
「あら?」


 なんとか、人間界に通じる角を曲がるギリギリ手前で捕まえられた。

 勢いで名前まで呼んでしまったが、美兎は大きく肩を跳ね上がらせただけだった。


「す、すみませ……ぜーっ、ぜー……」
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫ですか、火坑さん!?」


 とにかく、全速力で駆け寄ったのでなかなか息が整わない。獄卒だった頃は体力諸々丈夫ではあったのに、妖に転生したら同じではなかった。全く、情けない。

 しかし、言うべきことは決まっているので。美兎に伝えたい。言いたい。

 だから、と思ったら。何故か真穂に軽く肩を引っ張られた。


「ちょっと。大事な話をこんな道端でするつもり?」
「真穂、さん?」
「『かごめ』に行こ? 季伯(きはく)なら場所を貸してもらえるだろうし」
「え、こんな時間に行っていいの?」
「妖の領分は夜だもん。行こ行こ」


 と言うわけで、火坑が来た道を戻りつつ喫茶『かごめ』に場所を移して。

 そして、マスターの季伯が喜んで迎えてくれてから。火坑は美兎と向かい合って座ることになった。真穂は一人カウンターで季伯とあえて話をしてくれている。

 緊張はしてきたが、火坑は言うと決めて追いかけてきたのだから、と。季伯が出してくれたブレンドコーヒーをひと口飲んだ。


「あの、どうして追いかけてきたんですか?」


 火坑から話そうと思ったら、美兎から話しかけてきた。その表情は、少し不安を抱いているが火坑を見ながらも頬を赤らめていた。

 ああ、それがもう。

 今まで、何故気付かなかったかと後悔しか浮かんでこなかった。


「……あなたにお伝えしたいことがありまして」
「えっと。何か忘れ物でも?」
「いえ。忘れ物は僕にあります」
「火坑さんが?」


 ああ、恋愛事に鈍い様子も酷く愛らしい。顔立ちも愛らしいのに、何故相手がいなかったのか。

 いや、過去に相手はいたかもしれないが。彼女は火坑と知り合い、火坑自身を好いてくれてから誰も見向きをしなかったのだろう。

 常連仲間の、美作(みまさか)辰也(たつや)も悪くない好青年ではあるのに。人間ではなく、猫人の自分に好意を向けてくれてただなんて。

 間半に言われなければ、本当に気づかなかった。自分で気づこうにも、相手にされないと勝手に決めつけていたからだ。

 そんな臆病者に、こんなにも愛らしい好意を向けてくれているのだ。火坑は、もう迷わないと決めた。


「湖沼さんに……美兎さんに、お伝えしたいことがあるからです」
「な、まえ」
「率直に言います。僕は、あなたに惹かれているんです。お付き合い、していただけませんか?」
「え…………え、え、え!?」
「やるじゃん、火坑?」


 真穂の合いの手も入ったが、美兎は顔をさらに赤らめてからあわあわと口を上下に動かしていた。


「か、かかか、火坑……さんが、私を?」
「いつから……と言うのは、僕にもわかりません。ですが、気がついたらあなたを想っていました。おそらく、ケサランパサランのことがあった辺りに」
「あ、あれは。わ、私のせいじゃ」
「え?」
「……私、が。火坑さんを……す、好きな気持ちが。霊力になって溜まったって」
「ふふ。あなただけじゃありません。僕の気持ちも溢れ返ったんですよ」
「え、じゃあ……!」
「はい。色んな人に言われて気づいて。でも、自信がなかったもので、今日までお伝え出来なかったんです」
「ほ、本当に……?」
「はい、美兎さん」


 基本的に名字を持たない妖以外で、客を名前で呼ぶことがなかったのだが。

 名が短い呪いと言われているくらい、呼ぶだけで胸の中が温かくなっていく。こんな経験は、火坑にとって初めてだった。


「わ、わわわ、私……も。火坑、さんが好きです!」


 そして、きちんと返事をしてくれた美兎の顔は。

 泣きながら笑っているのだが、火坑が見てきたどの表情よりも魅力的で。

 思わず、席から立ち上がって抱きついてしまったのだった。


「妖と結ばれても。後悔はさせません」


 そう固く誓った言葉を告げると、美兎の力が抜けたので覗いてみると。


「美兎さん!?」
「いきなり刺激的な行動するからよ」


 真穂には呆れられてしまったが。美兎は気持ちの受け止めがうまくいかずに気絶してしまったようだ。

 なので、起きるまで季伯に休憩室を借りて、膝枕したのだが。彼女はなかなか起きなかった。


「……絶対、幸せにします」


 すよすよと寝ている美兎の前髪を手でよけて、火坑は額に軽くキスを贈ったのだった。