名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~


 喫茶店、というか家庭的な雰囲気のレストラン、よりも洋食屋のような。

 火坑(かきょう)のように、一人で切り盛りするのにはちょうどいいサイズ感。見渡せるキッチンに、ピザ用の窯。カウンター席が数席にテーブル席が二つ。

 大きなガラス窓の向こうには、飲み食いしている妖が多数いるが。狐顔だったり、たぬき顔だったりと見たことがないタイプだ。

 楽庵(らくあん)や妖デパートで多少は慣れたつもりではいたけど、はじめての場所はやはり緊張してしまうものだ。

 すると、木で出来た重そうな扉がひとりでに開いたかと思えば。


「らっしゃい! 店先で突っ立つようにメニューは置いてないんだが?」


 どうやら従業員が入って来ないからか心配したようだ。

 だが、その外見に、美兎(みう)は色んな意味で驚いてしまう。


「え、人間?」
「ん?」


 顔も、手足も。

 どこをどう見ても、美兎と同じくらいか歳上に見える人間の青年にしか見えない。

 パッと見、そこそこイケメンの部類に入る。美兎の場合、火坑に惚れているので大抵の人間がフツメンに見えるようになってしまったが。

 その従業員は、美兎のこぼした言葉を聞き取ったのか。にっと笑顔を見せてくれた。


「え、え……と」
「お嬢さん、俺とかが視えて(・・・)るんでしょ? けど、ちょっと惜しいね? 俺は『ろくろ首』って妖なんだ」
「ろくろ首……? って、首が長い?」
「そうそう。ほら」
「きゃあああああああああああ!?」


 軽く、首をさすっただけで自由自在に首が伸びてあちこちに頭部が動いていく。

 アミューズメントパークやなんかで見せられる、作り物のろくろ首よりもリアルで生々しくて。思わず、今日は大学生サイズに変身している真穂(まほ)に、ぎゅーぎゅーに抱きついた。


「美兎。ちょっと首が伸びただけじゃない?」
「だ……ダメなの! 妖の皆がいい人だってわかっててもダメなの! ニュルニュルとかノビる虫とか動物がダメなの!」
「に、ニュルニュルって……」
「ひぃひひひひ、ひぃいいい!! 盧翔(ろしょう)! お前さん、嬢ちゃんの苦手パターンだったんだな!!」


 真穂はなだめてくれたが、夢喰いの宝来(ほうらい)にはおかしかったのか地面に転がりながら小さな手足をジタバタするという、器用な笑い方をしたのだった。


「んもぉ、宝来笑い過ぎ。どうする、美兎? 帰る?」
「う……でも、正直お腹ペコペコ」
「はははは! 面白いもん見せてもらったし、今日は俺っちの奢りだ! 盧翔、三名案内頼むー」
「へ、へーい……」


 盧翔というろくろ首の男性には、本当に申し訳ないが首を引っ込めてくれて助かった。

 昔、いたずらっ子とかに蛇の抜け殻やイモリにヤモリを無理矢理近づけられて、以来苦手以上にダメになったのだ。中学高校になってからは、時折草むらで見かける程度だったが、あの、ニュルっとした動きだけで美兎にとってはアウト対象であった。

 ひとまず、まだ真穂の腕にしがみつきながら、サルーテと書かれた店に入っていく。案内されたのは、団体客だからか大きなテーブル席。

 手前が宝来で、奥に真穂と美兎が座った。そこで、ようやく美兎は真穂から離れられたのだった。


「メニューは何がいい? ここはイタリアンタイプならなんでも揃っているぜぃ?」
「え、えっと……キノコ以外なら」
「そうだった。嬢ちゃんダメだったんだよなあ?」
「ねー?」
「……あの」


 水とおしぼりを持ってきた盧翔が、席ごとに置いてから美兎にぺこりと謝ってきた。


「先程は驚かせてすみません。視えるお客様、しかも女性は久しぶりだったもので」
「あ、いえ! こちらこそ、過剰に驚いてしまってすみませんでした!」


 苦手意識がある対象物だったとしても、妖は妖だ。好き好んで嫌いになる対象ではないし、美兎もペコペコ謝ってから顔を合わせた。

 やはり、美形ではあるがどうしても火坑と比較してしまう。火坑の人型は、素朴だけどとても温かみのある感じだったから。


「はは! 律儀なお嬢さんだねぇ? よっしゃあ! 初来店サービスってことで、俺のオリジナルピッツァを一枚ご馳走するよ! キノコ以外ならいいんだよね?」
「え、え、え?」
「わーい! ピザがタダ〜!」
「んじゃ、他はとりあえず適当に決めるぜぃ?」
「毎度!」


 失礼なことをしたのに、逆に気に入られてしまい。シーザーサラダと、サイドメニュー少々。飲み物は軽めにと、100%絞りたてのブラッドオレンジを使ったカシスオレンジ。

 カシスオレンジは、ブラッドオレンジが濃厚で酸味が強かったが甘いカシスとの相性が抜群だった。


「ん〜〜、このシーザーサラダ美味しい! ドレッシングが市販のとも違う気がするー!」
「それわざわざ手作りらしいですぜ、真穂様?」
「そうなんだー?」
「あの、宝来さん」
「なんだい?」
「真穂ちゃんを様付けするのって、やっぱりすごい妖だからですか?」
「そりゃ、最強の妖の一端だからねぃ?」
「ま、ねー?」


 初対面から結構馴れ馴れしい態度をしてしまっている美兎だったが。真穂は敬うことなど気にするなというテイでいるし、むしろ普通でいろと言われてるような。

 さらに言うなれば、守護をしてくれる妖以上に友達でいて欲しいと出会った当初、飲み明かした晩に言われたから。

 だからか、真穂には必要以上に甘えてしまう。それは、火坑を想う気持ちとは別に心地よかった。


「美兎は美兎のままでいいんだよー? よそよそしくなったら、真穂泣いちゃう」
「え、し、しないよ?」
「はは! こりゃ、簡単に仲は裂けねーですぜぃ!」
「あったりまえ!」
「お待たせ致しましたー! キノコ抜きのビスマルクピッツァです!」
「お」
「おお!」
「わー……」


 宅配のピザくらいしか最近は食べていなかったのだが、薄く、しかも大きなサイズのピザは初めてだった。

 手延ばし、と言うのだろうか。

 薄く均一に伸ばされたピザ生地はカリッカリに焼かれていて、どこを食べても美味しそうに見えた。


「具材は中央に卵。他はうち自家製のベーコンとトマトソースだけにしたよ? 美兎さんにも、食べやすいかな?」
「お、お気遣い、ありがとうございます」
「いいって。俺だって、空豆とか嫌いだから。苦手なもん入ってたら嫌な気持ちはわかるさ」
「だなあ? 盧翔の手製のピザ。冷めないうちに食おうぜぃ!」
「だから、宝来の旦那。ピッツァだって!」
「細けーことにこだわるなあ?」
「そりゃ……っと、はーい。今行きまーす」


 盧翔が呼ばれて行ってしまったので、あらかじめ切り込みが入っている部分を引っ張れば。

 綺麗に糸を引くくらい、チーズが伸びていくこと。


「すごーい!」
「盧翔の凝り性はすげーからなあ? 生地も手作りだし」
「あ。あの焼き窯!」
「全部一から手作りって……火坑のように師匠を持ってるのかしら?」
「へぇ。人間に化けやすいですしねぃ。イタリアに単身渡航して修行してきたそうでやんすよ?」
「ふーん。あ、美味しい」
「ね! 美味しい!」


 耳の部分はカリカリしつつも、もちもち感も残っていて。チーズとソースの部分はとろりとして絶妙なハーモニー。

 ビスマルクは基本的に、キノコや卵を楽しむためのピザらしいが、美兎が先に嫌いだと口にしたのでベーコンにしてくれた気遣いも嬉しかった。

 これに、自家製カシスオレンジを合わせると、ジャンキーな組み合わせなのに幸せを感じてしまう。

 なら、と美兎は次に盧翔がボロネーゼパスタを持ってきてくれた時に手土産の箱のひとつを差し出した。


「その……お詫び、と言うには大したものじゃないんですが。よかったら、もらってください」
「いいんすか?」
「はい、ショコラのフィナンシェですが」
「美兎のお願いだからいいと思うよ?」
「! んじゃ、真穂様のお言葉もいただいたのでありがたく!」
「盧翔、追加注文だ。お前さんお得意のマルゲリータを。せっかくだから、次は作るところ見せてやんな?」
「お安い御用だぜ!」


 せっかくなので、ちょうど空いたカウンター席に座らせてもらい。専用の箱の中から、丸い塊を出した彼の手捌きは。

 顔つきもだが、プロのモノになった。

 その表情が、火坑の食材に向き合うものとよく似ていて。

 ああ、彼に早く会いたいと思わずにいられなかったのだった。

 幽世(あの世)幽世(あの世)との境目。

 猫人である、火坑(かきょう)は手土産にした重箱の弁当を落とさないようにしながら、地獄に通じる階段を降りていく。


「ここを降りるのも、久しぶりですねえ?」


 前はいつだったか。

 少なくとも、元上司である閻魔大王から弁当を作って欲しいと、依頼があったくらいか。それも随分と前だ。

 火坑がまだ、楽庵(らくあん)を開業させた前後で、客入りもまばらだった頃。

 それを思うと、()の閻魔大王に馳走を持っていくのは、本当に久しぶりだ。今年はまだ一度も楽庵に来てくれていないし、先輩だった亜条(あじょう)を寄越す辺り、暇な時間が取れないのだろう。


「……今年は年がら年中、厄介な風邪が流行っていますしね?」


 たしか、インフルエンザの種類が多数。火坑は自宅で人間界のチャンネルを登録してテレビを見ているので、時事関係は多少精通している。

 そのため、人間の死亡率が激増してしまったために、あの世の裁判云々が色々押してしまっているのだろう。

 自分のケサランパサラン問題はさっさと解決させて、またいつもの日常に戻りたい。しかし、閻魔大王に救援を求めたところで、また亜条を貸し出してくれるとは思えないが。


「ここを通るのか?」
「死者でも生者でもない、お主は誰ぞ?」


 夢中で降りていたら、もう彼ら(・・)と遭遇する場所まで来てしまったのか。

 だが、疾しさなどこれっぽっちもないので、火坑は軽く両手を上げて降参の意思を示した。


「ご無沙汰しております、牛頭(ごず)さん。馬頭(めず)さん」
「ん? お主は」
「やや! 久しいな? 閻魔大王の元第四補佐官!」
「はい。火坑です」
「うむ。久しいな?」


 巨大な牛の身体と、馬の体。どちらも、今の火坑よりはるかなほど巨大ではあるが。今の人間に近い大きさである火坑にとって、常人とアスリートの差くらいでしかない。

 妖になる以前は、本当に小さな猫畜生でしかなかったのだから。


「少々。現世で厄介な事態に巻き込まれてしまったので。閻魔大王様のお力をお借りしたく、こうして参りました」
「なるほど。それならば致し方あるまい」
「よく来たぞ。通るが良い」


 現世とあの世を繋ぐ、門番達。

 彼らがいないと、死者や生者が入り乱れてしまうのだ。妖達も気まぐれで訪れたりはするが、まず彼らの存在に圧倒されるに違いない。

 とりあえず、彼らに遭遇するのも忘れてはいなかったので、火坑は門を通る前に重箱などを入れたリュックサックから小さな箱を取り出した。


「これ、つまらないものですが」
「! お主の手製か!」
「これはありがたい!」
「簡単につまめるおにぎりですけど」


 中身は俵むすびを数種類。紅鮭だったり、若菜だったり、変わり種でオムライス。

 どれも、二人にはひと口で食べ切れてしまうが、手土産にはちょうどいいだろう。その箱を渡してから、火坑は門を通ることにした。


「相変わらず、優しい人達です」


 火坑が猫畜生だった補佐官の時と変わらず。とにかく、時間が限られているのであの世に通じる道を急ぎ、第五裁判所になる八大地獄の入り口を通って。

 現世の暑さとはまた違った、灼熱地獄にやってきたので温風なそよ風を受けながら火坑は裏口から裁判所の中に入った。


「ん?」
「お」
「あ!」


 小鬼、鬼、元死者でいる人間の姿がちらほらと。

 見つかると、火坑は深々と彼らに向かって腰を折った。


「皆さん、お疲れ様です。ご無沙汰しております、火坑です」
「やっぱり、火坑さん!」
「どうしたんすか!?」
「閻魔大王様にですか?」
「裁判さっき終わったばかりなんで知らせてきます!」
「ありがとうございます」


 姿は、少し人間に近い火坑でも。元同僚達は覚えてくれていたのだろう。

 小鬼が閻魔大王に知らせてくれる、と言ってくれたが。大王がこちらに来るのはあまりよろしくないので、囲まれながらも大王のいる裁判の間に向かうことにした。


「珍しいですね?」
「今日はどうしたんですか?」
「いえ。僕の店先にケサランパサランが大量にはびこってしまって。申し訳ないのですが、大王のお力をお借りしたく」
「あ。それで背中の大荷物!」
「大王、火坑さんの料理大好きですしね!」
「恐縮です」


 今日のお弁当も気に入ってくれるといいが。

 すると、正面からドタバタするような大きな地響きが聞こえてきて。全員でそちらを見ると大柄な青年が豊かな黒髭を大袈裟なくらいに揺らしながら、走ってきた。


「火坑!」
「大王!」


 そして、目的が火坑と分かれば、鬼達はサッと火坑から離れて大王に道を開けた。途端、閻魔大王は火坑にぎゅっと抱きつき頬ずりする始末。


「息災だったか!」
「だ、大王、皆の前ですよ?」
「何を今更! 姿形は妖とは言え、お前は儂の気に入りの猫に変わりない!」
「あの……お弁当、作ってきたんですが」
「火坑の弁当!?」


 また、サッと離れると背中に背負っているリュックサックの中身を見たいと言うように、まるで子供のような笑顔になった。

 そんな地獄一偉い存在なのだが、正面からやってきた第一補佐官の亜条には大袈裟なくらいにため息を吐かれた。


「大王、火坑が来たからってはしゃぎ過ぎですよ?」
「しかしだな! 火坑の弁当だぞ!」
「それは魅力的ですが。とりあえず、遊びに来たわけではないようですし。彼の話を聞きましょう」
「む? 火坑、先日気に入った女子(おなご)と結ばれたのか?」
「亜条さん!?」
「どうやら違うようですよ。さあさあ、皆さんも仕事に戻ってください」


 ぱんぱんと、亜条が軽く手を叩いたので鬼達は元の仕事に戻ってしまい。火坑達は、閻魔大王の休息の間と言う休憩室で弁当を広げながら話すことになった。

 大王は腹ペコだったのか、オムライスのおにぎりを渡すとより一層目を輝かせたのだった。

 プロの料理人の調理を目の前で見るのは。

 少なくとも、美兎(みう)火坑(かきょう)以外だと初めてかもしれない。

 ろくろ首の盧翔(ろしょう)は、真剣にピザ生地、いやピッツァの生地と向き合い、タイミングをじっと伺っているようだ。

 生き物ではない生地に、何故タイミングが必要なのかは料理人ではない美兎にはさっぱりだが。盧翔が生地を再び手に取った途端、それは起こった。


「よっ……と!」


 せっかくの丸い生地を潰したかと思えば、次にはある程度平らに伸ばして。

 それを両手でキャッチボールするように移動させていくだけでも、また生地が伸びて。

 ある程度伸びたら、今度は空中に投げて広がっていく生地の薄さを均一にするのに。クルクルと回転させながら両手で調整していく。

 俗に言う、ピザ回しだ。それを生でお目にかかることが出来るとは思わないでいた。


「すっご!」
「ね、ね! すごいね!」
「相変わらずの腕前だぜぃ」
「合いの手ありがとごぜぇやす!」


 そこから、ピッツァ生地を銀色の大きなヘラの上に載せて、トマトソースにモッツァレラチーズをちぎり、生のバジルを載せて。

 煌々と燃え盛っている、ピザ窯の中に放り込み。生地が焼けてきたらヘラでクルクルと生地を回して均一に火が通るように焼いていき。

 焼けたらヘラで皿に載せて、すぐに盧翔が仕上げに多分オリーブオイルを薄く回しかけてから、ピザカッターで綺麗に切り分けてくれた。


「お待たせ! サルーテ特製マルゲリータピッツァの完成!」
「美味しそう!」
「モッツアレラチーズたっぷり!」
「良いもの見れて、気分が落ち着いただろぃ?」
「はい!」


 たしかに、楽庵(らくあん)に行けないことには悲しさが募ったが。宝来(ほうらい)、それに座敷童子の真穂(まほ)がいてくれたお陰で今日は驚きの連続だったがほとんどが楽しかった。

 マルゲリータは盧翔が席に運んでくれて、せっかくだからとりんごたっぷりのサングリアを薦めてくれたので、美兎は初めて飲んでみたのだが。


「さっぱりしていて、飲みやすいです!」
「ふふーん。師匠の国直伝のサングリアだからね?」
「あ、宝来さんに聞きました。イタリアに修行に行かれたって」
「そだよ? 最初は正体隠してたけど、歳取らないし。飲み過ぎた時に、ろくろ首だってバレちゃってね? けど、いい人だったよ。俺の正体知ってでも弟子だって認めてくれたし」
「? 過去形、ですか?」
「ああ。当時も人間の歳じゃ結構だったし、俺が渡航したのも三十年前。もうあの世行きだよ」
「……そうですか」


 その話に、美兎は思った。

 いくら、真穂や宝来が大丈夫だとは言っても。

 もし、火坑と結ばれたとしても。歳を取る人間の自分と、火坑の寿命の差。それはどう足掻いても難しいのではと確信を得たのだが。不意に、真穂から肩をぽんぽんと叩かれた。


「余計なこと考えてるでしょ?」
「……なんでわかるのかな?」
「美兎が分かり易すぎるから」
「うう……」


 やはり、遙か長い年月を過ごしている彼女には、すべてお見通しなのだろう。ちょっとしょんぼりとしていると、また真穂に頭を撫でられた。


「火坑と契っちゃえば、美兎も同じくらいの寿命もらえるんだよ?」
「……はい?」
「お、火坑? って、小料理屋の大将? え、なになに? 美兎さん、あの大将が好み?」
「おいおい、盧翔。いっぺんに聞くな」
「だって、旦那? 元地獄の補佐官だった大将にだぜ? 人間でも、わざわざ座敷童子の真穂様自ら守護になる相手だよ? ふーむ、俺はしばらく大将に会ってないが、似合いじゃねぇか?」
「でしょ?」


 美兎が盛大に慌てているのに、周りはどこ吹く風。

 と言うよりも、もはや美兎と火坑が付き合っている前提で話が進んでいる気がする。

 なので、誤魔化しついでにマルゲリータを口にしたが。ビスマルクよりも、モッツアレラのおかげでチーズがよく伸びて。生地もカリカリともちもちが健在する素晴らしい出来だった。

 ただし。


「わ、私なんかが、火坑さん……と、釣り合うとは、思え……ないです」
「なんでだよ? 美兎さん可愛いじゃん?」
「う。お世辞でも嬉しいですが」
「世辞でもねーんだけどなあ?」


 盧翔は首を軽く掻いてから、美兎の頭をぽんぽんと撫でてくれた。


「自分に正直になった方がいいぜ? 人間はどうしたって、俺達妖より寿命も短いし体も脆い。だから、後悔しないように生きた方がいいよ?」
「後悔……ですか?」
「おう。俺も師匠が女だったが、惚れかけても既に既婚者だったしね? 代わりに子供達を自分の子供のように育てたんだよ。今じゃ、見た目だけは逆だけど」


 ちょっとついて来いと言われたので、ピザ窯の近くにある壁に連れて行かれると。色んな額縁に納められた写真で埋め尽くされていた。

 家族写真のように見えたが、全部に今と変わらない盧翔が写っていて。比較的新しいのには、まるで親子のように並んでいるのがあったが。それが彼の師匠だった子供達の今の姿だろう。


「……最近も行かれたんですか?」
「おう。つい先月だがな? 俺の見た目が自分らの子供くらいでも、俺の方が兄貴分だからって今でも懐かれているしよ?」


 そして、その彼らにも子供が産まれて、盧翔にも抱かさせてくれたそうだ。人間に似た人間でない妖でも関係はない、家族だからと言われたからだと。


「美兎さんも後悔しない生き方をした方がいい。ましてや、それが妖と結ばれるかもしれないことは、出来るだけ早めに決めた方がいい。君らは俺達に比べて成長が早いからな?」
「……はい」


 この写真のように、盧翔のような幸せを望んでいるのは美兎も同じだ。だけど、不安だけで生き方を決めてはいけない。

 きちんと、火坑と向き合うには。早くあのケサランパサランを楽庵から解放しなければいけないのだが。

 知識のない美兎には、どうしようもなかった。


「けーど。あれだけ、ケサランパサランが楽庵に貼り付いてちゃ、いつまで経っても楽庵は営業再開出来なさそうだし?」
「ケサランパサランが、ですかい?」
「うん。最近界隈でも増えまくっているけど、楽庵には埃の溜まり場くらい増えててさー?」
「へー? それで、わざわざ俺の店に?」
「俺っちが、たまにはって誘ったんだよぃ」
「なるほど。……あ、もしかして」
「なに?」


 ぽんっと、盧翔が手を叩くと閃いたように指を立てた。


「俗説ですが、ケサランパサランは幸運の象徴ですけど。逆に『幸福の証』の気を食べに来るって、イタリアにいた時聞いたことが」
「幸福?」
「の証?」
「楽庵に、ですか?」


 どう言うことがさっぱりだが、今度は真穂が手をぽんと叩くと美兎の髪をわしゃわしゃし出した。


「美兎の、火坑を好きな気持ちが。霊力で店に溜まってるかも!」
「……え?」


 つまりは、美兎のせいだと言うのか。

 これには、さーっと背筋が凍る気がしたのだった。

 久しく会うことのなかった、己の第四補佐官であった妖猫となった火坑(かきょう)

 今日は、奴が拠点を構えている、名古屋の(にしき)町から地獄までやってきたのだが。荷物の大半を占めていた弁当箱と言うよりも、重箱を取り出して。

 一番上には、大量の握り飯が入っていたのだが、海苔ではなく薄焼き卵で巻いている握り飯には見覚えがあった。


「おや、オムライスをおにぎりに出来るのかな?」
「現世では、コンビニに売られているくらい定番の品なのです。僕のはあの味に到達はしていませんが」
「何を言う! 火坑の料理はどれもが美味揃いだ!」
「けれど、大王? 火坑の用件もきちんと聞きましょうね?」
「……応」


 たしかに、用件もなく現世から地獄にやってくる意味はない。火坑は、己の課した修行の意味を込めて現世に、しかも人間ではなく妖に転生させた。

 生真面目で、気配り上手で、手際もいい。

 そんな愛猫に、最近気に入りの女が出来たと、第一補佐官である亜条(あじょう)から確認の報告があったのだが。どうやら、そちらの用件ではないようだ。

 休憩の間で、火坑からオムライスの握り飯の皿を渡してくれると、我慢出来ずに素手で持ってひと口頬張る。


「!……冷めるのを考慮して、あえて濃い目の味付け。中には伸びないがチーズも入っておる!」
「大王の好みかと思いまして」
「うむ! 実に美味い! して、用件とはなんぞ?」
「はい、実は……」


 昼休憩もだが、そろそろ出雲の縁結びでの宴に出向かなくてはいけないので時間はあまりない。しかし、先日たまたま亜条を使いにやっても、解決していないと言うことはなにか。

 肉球のない手をもじもじとしながら、俯く様子は補佐官時代と変わらず愛らしい。が、愛でている場合じゃないので閻魔は握り飯を食べながらも聞くことにした。


「ふむ。先日、わたくしが追い払った袈裟羅(けさら)婆娑羅(ばさら)がまた戻ってきたのかな?」
「その通りです。僕の妖術でも幾らか散ったりしたのですが。亜条さんに来ていただいた時以上に増えまして」
「先週だからね? ちょっと立て込んで、調査の方は部下達に頼んでいるのだれど」
「ほう? 袈裟羅の大量発生か? 今時白粉を使うのは人間達でもごく限られているのに。火坑よ、お前は白粉を与えたのか?」
「いえ。桐箱に入れてただけで。そこからあふれるくらいに、店先まで増えてしまったんです」
「ふむ。興味深い」


 亜条から小耳に挟んではいたが、袈裟羅・婆娑羅。今風に言えば、ケサランパサランの大量発生。

 しかも、人間の界隈ではなくて、妖の界隈。先日の亜条の来訪日に、座敷童子の真穂(まほ)が言っていたようにデパートまではびこっているそうだ。これは、地獄の管理を任されている閻魔も、見逃すわけにはいかない。


「であれば、白粉を与えずに増える方法。何かを求めて、もしくは火坑の店先に美味しいものがあるかもしれませんね、大王?」
「お前……儂の言いたいことを全部言ったな?」
「大王が考え過ぎだからですよ」


 相も変わらず、見た目に反して可愛くない奴だ。だが、有能過ぎて閻魔はこの補佐官を第一から外すことは出来ないでいる。

 とりあえず、亜条の仮説と閻魔の考えもだいたい同じではあったので、それをヒントに考察していくことにした。

 ついでに、弁当は三人で程よく食べているのだが。どれもこれも美味過ぎて、よく味わって食べている。


「火坑よ、具体的にはいつ頃から袈裟羅達が増えたのだ?」
「と言いますと?」
「亜条の仮説を推奨するのであれば、お前の店に何かを美味い霊力や妖力が貯まってきているのかもしれぬぞ?」
「美味しい、霊力か妖力……?」


 すると、ニコニコしていた妖猫の表情が何かを思いついたかのように、驚きの変化を見せた。


「思い当たったか?」
「え、いえ。その……湖沼(こぬま)さんと真穂(まほ)さんが? それに、おそらく美作(みまさか)さん達も」
「もう、今は()いでいる先の常連達とは違い、まだまだ幼いのだろう? であれば、その人間達と守護になった妖らの気が美味いのであろうな? 袈裟羅達は時に白粉よりも好むゆえに」
「……けれど、皆さんは大事なお客様です」
「なに、追い払えと言った訳ではない。おそらく、お前の妖力のカスも食ったことで、増え続けているのだろう。なら、お前はさっさと、その湖沼と言う女に告げよ?」
「え、大王?」
「憎からず想っているのなら、さっさと言え。そして、いつかは契れ。お前の子が出来たら、儂も是非抱き上げてみたいのぉ」
「だ、だだだ、大王!?」


 望みを口にすれば、火坑は珍し茹で蛸のように白い毛並みを赤くしてしまい、そして想像したのか後ろに倒れ込んでしまった。適当に座布団を敷いていたお陰か、頭を強く打つことはなかったが。


「うむ。気を失ったか?」
「いきなり、まくしたて過ぎですよ。大王」
「じゃが、あの女子(おなご)も此奴を憎からず想っているのだろう?」
「ええ。であれば、大半は湖沼さんの火坑を想う気持ちが、霊力で埃のように溜まって袈裟羅達が寄ってきているのでしょう? 大王、どうします?」
「ふむ。今回はお前と儂の手製で、木札でも作ってやろう。一時的とは言え、此奴の気に入りの女子などが、あの店に行けぬのも可哀想だ」
「そうしましょうか?」


 そして、火坑の方は小一時間で目を覚ましたのだが。終始赤くなったままで、弁当の残りは閻魔と亜条とですべて平らげた。

 地獄から現世に帰る分には、支障がなかろうが。幾らかは休ませてもいいだろう。

 その間に、休憩の間で木札を用意して。終わってから、気絶したままの火坑の頬を軽く叩いた。


「ん、んん? だ……いお?」
「処置の策はしておいた。儂と亜条手製の木札を店先に置いておけば、袈裟羅達は立ち去るであろう」


 が、根本的な問題は解決しないだろうと告げれば、形の良い耳を火坑は畳んだのであった。


「僕が……湖沼さんにですか?」
「なにも疾しい気持ちがないのであろう? その湖沼とやらも、お前の店に通うくらいなのだから……ひょっとしたら同じ気持ちかもしれぬぞ?」
「え!?」


 そうして、空になった重箱をリュックサックに入れて、大事に木札を持って行った火坑の店は。

 木札を置いてしばらく経ってから、ケサランパサラン達が集まらなくなったと、後日火坑本人からの式神で閻魔は知ったのだった。


 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。







 秋も暮れに差し掛かり。

 新人デザイナー見習いであり、社会人一年目の湖沼(こぬま)美兎(みう)は、今日も仕事に明け暮れていた。

 守護についてくれている、妖であり座敷童子の部類でいる少女の真穂(まほ)のお陰で、日々充実した日常を過ごせている。

 けれど、今年の夏から想いを寄せている、猫人の妖である火坑(かきょう)の店である、小料理屋の楽庵(らくあん)にはなかなかいけないでいた。

 真穂からの連絡で、(くだん)のケサランパサラン問題は解決となって、店先もいつもどおりに戻ったと教えてはもらったのだが。

 最後に錦に来た時に、夢喰いの宝来(ほうらい)に奢ってもらったろくろ首が店主のイタリアレストランへ来た以来。

 どうしても、錦に赴くことが出来ないでいた。

 理由は、美兎自身もよく理解はしている。単純に火坑に会いにいくのが、少し怖いのだ。見透かされているかはわからないが、美兎が火坑に惚れ込んでしまっていることは人間にも妖達にもバレてしまっている。

 だから、火坑本人にもバレてしまっているのではないかと。それを聞くのが、人間特有の臆病さが出てしまって美兎は錦を意識的に避けてしまっている。

 ろくろ首の盧翔(ろしょう)が言っていたように、後悔のない生き方をしろと助言をもらっても、すぐに実行出来ないのが決断力の弱い人間だ。

 美兎も漏れなくその部類なので、どうしても弱気になってしまう。真穂からは、じっくり考えろと言われたので今は時々部屋にやって来ては美兎の料理を食べに来るだけと、以前と変わりなく過ごしている。


「……今日も、真穂ちゃん来るかな?」


 栄の地下街に続く順路を歩こうかと思ったが、たまには界隈に近いお菓子屋さんで彼女への手土産を考えようとしたら。

 背後からいきなり、秋にしては冷たい風が吹き上がって来たので、慌てて振り向いた。


「な……なに!?」


 まさか、人間界にまで妖が関与してるんじゃ。と、美兎は常連仲間である美作(みまさか)辰也(たつや)のことを思い出したが、かまいたちは風で人を転ばせる程度。

 こんな冬の寒風を思い出すような芸当ではないはず。

 そして、振り返った先には。艶やかな長い黒髪に、真穂以上に透けそうなくらいの白い肌の女性。服装は、今時の若者らしい感じではあるが、一点だけおかしかった。冬にはまだ早いのに、スヌード、つまりは輪っか状のマフラーを着込んでいるのだ。

 あと、人混みが多かったはずなのに、美兎と彼女以外誰もいなくなっていた。おそらく、そんな芸当が出来るのは目の前の彼女しかいない。


「あ、あの」
「あの!」


 彼女から、やっと声をかけられた。

 そしてその可愛らしさに、思わず胸が高鳴りかけたが。全員が全員、友好な妖ではないと真穂から注意を受けたので。近づくのはやめておいた。


「え……と?」
「あ、あああ、あの! いきなり……すみません! あなたがその」
「は、はい?」
「ろ……盧翔さんと少し前にお知り合いになられた、湖沼さんですか!?」
「は、はい」


 異様にかみかみな口調ではあるが、言いたいことはなんとなくわかって来た。

 どうやら、この綺麗な女性は以前立ち寄った、イタリアレストランっぽいサルーテと言うお店の店主。盧翔に気があるようだ。美兎は他人の気持ちには過敏に読み取れるのだが、自分に関しては鈍感だった。


「あ、あのあの! 盧翔さんのこと、どう思っていますか!?」
「え……ピザの美味しいお店の店長さんとしか?」
「え?」


 そう言いたいのはこちら側だ。早とちりとは言え、他人の恋心を初対面の人間に聞こうとするのはいかがなのものか。

 いや、妖だから、大胆な行動に実行してしまうのか。非常に恥ずかしがり屋な感じではいるが。


「あの。不躾だとは思いますが、私が盧翔さんのことを、恋愛感情で見ていたと勘違いなさったんですか?」
「ち、ちちち、違うんですか?」
「違います。私、好きな方は別にいますし。あのお店には恩人が連れて行ってくださっただけで」
「う、ううううう〜〜〜〜!? またやっちゃったぁああああああ!!」


 女性はペタリと地面に膝をついてしまい、恥ずかしいのが両手で顔を覆うのだった。

 そして、ほぼ同時に冬も真っ青な寒風が彼女を中心に吹き荒れていく。なんだなんだと思っても、美兎には何も出来ないので飛ばされないように耐えていたら。

 ふわっと、暖かい風のようなものに包まれていった。


「……まったく、勘違いも大概にしなさいっていつも言っているでしょ? 花菜(はなな)!」


 聞き覚えのある少女の声。

 美兎の前に立ち、守ってくれるかのように寒風から遮ってくれている。座敷童子の真穂だ。


「真穂、ちゃん!」
「んもぉ、帰って来ないし、錦に久しぶりに来そうだったから迎えに来たらこれだもん。美兎はとことん、巻き込まれ体質だね?」
「真穂ちゃんが言う?」
「ふふーん」


 近づいて来た、今日は子供の姿の彼女にツン、と軽く突いてもどこ吹く風な感じだ。これが彼女だから、美兎は憎めないでいる。


「す、すすす、すみません……! 真穂様が、守護なさっていらっしゃる方とは」


 そして、花菜と呼ばれた女性の妖は、白い着物に白い羽織り。髪には雪化粧の髪飾りをつけた、いわゆる妖の姿になっていたのだった。


「雪、女?」
「そう、雪女の花菜。盧翔に首っ丈の女だよ?」
「今時、首っ丈って使わないよ?」
「そう? じゃあ、らぶらぶ?」
「まあ?」


 とりあえず、泣き崩れているこの雪女をどうすべきか。

 ひとまず、真穂が気に入りでもある喫茶店に行くかと言うことになり、真穂が大きくなって連れていくまでは良かったが。


「ま、ほ……様ぁ!?」
「真穂ちゃん、扱いが雑!」
「だって、美兎にちょっかいかけたんだもん」


 着物の首根っこを掴んで引きずると言う、古典的な行動に美兎は驚いたが。罰は罰、と真穂が言い切るので喫茶店までその状態だったのだ。

 喫茶『かごめ』。

 妖界隈のどの店もだが、ここももれなく落ち着いた雰囲気である。店主は、座敷童子の真穂(まほ)の遠い親戚らしく。しかし、人間と妖との婚姻を繰り返した血族だそうなので、寿命は少しばかり妖に近いそうだ。

 見た目だいたい五十代後半くらいなのに、妖界隈に店を構えて妖力を含む空気を吸い続けたせいか、実際はその倍近く生きているらしい。

 そんな店主の、サイフォンで淹れてもらった手製のコーヒーを一杯ずつ注文して。まずは、状況整理をするのにひと口ずつ飲もうとしたが。


「あ」


 美兎(みう)に近づいてきた、雪女の花菜(はなな)のカップが。表面だけ薄っすら凍っていくのだった。彼女は、それを見てから砂糖のポットから二個ほど角砂糖を取ってコーヒーの中に落としていく。どうやら、見た目の可憐さにもれなく、甘いものを好む性格らしい。


「そ、そそそ、その! か……勘違いしてすみませんでした!」


 そして、そのコーヒーをひと息で飲み干してから。花菜は勢いよく腰を折って、また美兎に謝罪してきたのだった。


「え、いえ。間違いに気づいたのなら、私は全然」
「ううん。美兎はもっと怒った方がいいよー? こいつ、美兎が盧翔(ろしょう)に気があるとわかったら……絶対氷漬けにして殺してたね?」
「え」
「う、うう……そこまで、しませんけどぉ」
「いいや! あんたの能力で、人間界からあえて妖界隈に呼び込むくらいなんだよ? あんたの盧翔へのベタ惚れは、自制心飛んだら何が起こるかわかんないんだから!」
「うう……はいぃ」


 どうやら、色々拗れた性格の妖でいるらしい。

 人間の、雪女へのイメージはどちらかと言えばもっと冷たくかつクールビューティーなものだが。花菜を見ていると、どうも若かりし大学生だと思ってしまいがちだ。恋愛にうぶと言うか、拗れた性格の旧友となんとなく被っているなと。

 コーヒーの方は、酸味が程よく苦味も尖っていなくてまろやか。ブラックでも充分美味しく飲めるのだが、苦手な者には苦手なのだろう。花菜を見てると、そう思えた。


「えと、再確認ですけど。私がろくろ首の盧翔さんのお店に行ったのは、どこから得た情報なんですか?」


 基本的にプライバシーが守られているようで、そうでない妖界隈だが。美兎の質問に、花菜は猫のように肩を跳ねさせてから、またしゅんという感じに首を垂れた。


「その……湖沼(こぬま)さん」
「あ、美兎でいいですよ?」
「!……えと、美兎さん。夢喰いの宝来(ほうらい)さんはご存知です……よね?」
「ええ。恩人です」
「その……た、たまたま、宝来さんと出会うきっかけがありまして。美兎さんのことを……褒めちぎっていました。盧翔さんもサービスしたくなるくらい可愛い、人だって」
「宝来さん!?」
「あいつ、酔っ払いついでにペラペラと美兎の情報くっちゃべったのね……?」


 少々、真穂の周りが怖い空気になった気がしたが。それは一旦置いておいて、花菜が少し泣きそうな雰囲気だったので慌てて振り返った。


「だから……だから、盧翔さんに新しい恋人が出来そうじゃないかって。いても経ってもいられずに……美兎さんに、あんなことを!」
「だ、大丈夫ですから! わ、私が好きなのは別の人ですし!」
「……美兎は火坑(かきょう)にぞっこんだもんねー?」
「真穂ちゃん、それもあんまり言わないよ?」
「あれー?」
「火坑、兄さんに……ですか?」
「お兄さん?」


 雪女と、猫人が兄弟。

 少し不思議に思って聞き返すと、花菜は顔の前で手を振りながら訂正の意志を示してきた。


「あ、す、すみません! 兄さん……火坑さんは私とは兄弟弟子の間柄でして。し、師匠が同じなんです」
「この慌てっぷりだけど、花菜は火坑に次ぐ料理人の端くれなんだよ〜?」
「ま、真穂様!」
「え、じゃあ。花菜さんもお店を?」
「いえ! まだ暖簾分けまでは……。し、師匠の元で働いて、います」


 なるほど、それなら合点がいく。

 しかし、火坑とともに修行してきた間柄はとても羨ましく思えた。種族以上に密接な関係に。けど、美兎はあの日飲んだくれになっていなければ、火坑にも宝来にも出会わなかった。

 だから、その縁を大事にしたい。


「そうなんですか。花菜さんも料理人だったんですね?」
「まだ……その、端くれですが」
「私は火坑さんのお店ばっかり行っているんですが、やっぱり和食メインですか?」
「そ、そそそ、そうですね! アレンジはたまに師匠もするんですけど、基本的には和をお届けするようにしています!」


 相変わらずのかみかみ口調だが、少しばかり生き生きとしてきた。やはり、今の仕事が好きなのだろう。美兎も今の会社に勤めて生きがいを見出せたばかりだが、気持ちは同じだ。


「なにやら楽しそうですね?」


 店主がトレーを片手にやってきた。火坑や先日少し会った亜条(あじょう)に似た雰囲気の柔らかい笑み。真穂の親戚には見えないような落ち着きぶりだが、トレーに載せていたものを美兎達のテーブル置くと軽く会釈してくれた。


「真穂さんのお知り合いと言うことで、サービスです。小布施(おぶせ)の栗を使ったモンブランアイスです」
季伯(きはく)、ふとっぱらじゃない?」
「真穂さんが久しぶりにお客様をお連れくださったからですよ?」
「おぶせ……の栗?」
「えと。長野の小布施と言う地域特産の栗ですね? この時期にあると言うことはシロップ漬けとか加工品が多いですが。あの、マスターさんも加工されたのですか?」


 急な、花菜の饒舌っぷりにも驚いたが。やはり、料理人であるがために調理法も熟知しているのだろう。店主の季伯は、花菜の質問にもニコニコと笑顔で答えてくれた。


「シロップ漬けは、あとで混ぜ込んだ栗の方ですね? ペーストにしたのは茹でて冷凍にしたものです。私は小布施の栗が好きでして、仕入れてからは自分で楽しむ以外にもこう言うお菓子を作ります」
「なるほど……茹で栗の冷凍」
「さあ、完全に手作りなので溶けやすいです。お早めにお召し上がりください」
「いっただきまーす!」
「いただきます」
「い、いただき、ます」


 見た感じ、小ぶりのモンブランケーキにも見えるが。全て店主の手製であるアイスらしい。美兎は溶けやすいからとアイススプーンを手に取り、ゆっくりとすくい上げてから口に入れた。


「! とっても、優しい甘さです!」
「ありがとうございます」
「モンブランって、結構濃いイメージが強いんですけど。これは、口当たりが滑らかで優しい味わいですね!」
「シロップ漬けの方の甘みを、贅沢に和三盆で仕上げているからでしょうか?」
「相変わらずの、凝り性ね?」
「はは。花菜さんや火坑さんのお師匠様程ではないですが」
「店主さんも、火坑さんのことを?」
「ごくたまに、ですが。あそこのスッポンスープとポートワインの虜になった一人でして」


 世間が狭いのは、人間だけでなく妖界隈も当てはまるのだろう。季伯はごゆっくりと告げてから、また仕事に戻っていった。


「ねえ、花菜さん」
「は、はい」
「勘違いはもう終わりにしましょう? そのかわり、ひとつお願いがあるんですけど。いや、交換条件というか」
「美兎?」
「??」
「盧翔さんのことは応援しますから、私に火坑さんと過ごしてきた修行時代のお話してくれませんか?」
「! よ、よよよ、喜んで!」
「じゃ、今からはタメ口でもいい?」
「い、いいい、いい……よ」
「あ、美兎。ずっるーい!」
「真穂ちゃんは真穂ちゃんだもん」
「ふふ」


 わだかまりが解決したことで、美兎は初めて。花菜の年相応のような愛らしい笑顔を見ることが出来たのだった。

 ちなみに、花菜の実年齢は季伯と同じだったのだが。

 待ち人来ず。

 その文言がしっくりくる位、秋も暮れに差し掛かってしまったが。錦町の妖界隈に小料理屋の楽庵(らくあん)を構えている、猫人の店主・火坑(かきょう)の元に。

 座敷童子の真穂(まほ)の守護を受けている、人間であり、店の常連客でもあり、そして想い人でもある湖沼(こぬま)美兎(みう)が。ちっとも店に来ないのに、どうしようか考えあぐねていた。

 本当に、(くだん)のケサランパサラン問題は一応解決の方向になり、店の営業も再開出来たと言うのに。

 なんの音沙汰もなく、ぷつりと糸が切れたように来ないのだ。同じ常連仲間の美作(みまさか)辰也(たつや)にそれとなく聞いても、聞いていないと首を振られてしまったのだ。

 そして、案の定。彼にも火坑自身が美兎を想っているのがバレてしまった。


「くく。……外野の俺でもわかるくらいでしたよ?」
「も、申し訳ありません……」
「なんで? いいことじゃないっすか? 奈雲(なくも)達にも時々聞きましたよ? 人間と妖が結婚するのも珍しくないって」
「まあ、珍しくはありませんが……」


 何故、美兎と付き合っている前提で話が進んでいるのだろうか。一応否定はしても、辰也には笑われているだけだった。


「空いてるかーい?」
「お、辰也じゃねーかぃ?」


 次にやってきたのは、見た目は人間とあまり変わりがないろくろ首の盧翔(ろしょう)。もう一人は小さな二足歩行のマレーバクのようでいる、夢喰いの宝来(ほうらい)だった。


「あ、宝来さん。久しぶりです!……そちらの方は?」
「お、初めまして! 俺はろくろ首の盧翔ってもんだ!」
「ろくろ首? 首が長い?」
「そうそう、ほれ」
「お、おおお」


 首が伸びるのを見てもらえないと、最初の人間にはわからない盧翔の特徴だが。正体を現すと、辰也は少し驚いていたが。首を元に戻されると少しほっとしていた。


「どうぞ。おかけください」


 客入りは、今のところ辰也だけなので他の妖とかはいない。彼の守護についているかまいたち三兄弟は、ちょっとだけ用事があると今はいないのだ。

 少し冷え込んできたので、熱いおしぼりをそれぞれ渡して手を清めてもらってから、注文を聞くことにした。


「本日はいかがなさいましょう?」
「俺、スッポンスープあるなら。それと芋のロック!」
「俺っちも! あと適当につまめるもん!」
「かしこまりました。先付けは自家製の甘辛キムチ です」
「お、嬉しいね!」
「旦那の漬物とかも、天下一品だからねぃ?」


 飲むエンジンがかかってきたのか、ゆっくりと味わうように食べている間に。火坑も仕事の顔に戻しながら、酒や料理を仕上げていく。


「盧翔さん、当たりですよ? 今日は頭の部分が残っていたので」
「マジ! 俺好きー!」
「俺無理ですよ。だって、捌いた頭をそのままだなんて」
「兄さん、ゲテモノは無理かい? スッポンの脳味噌とか美味いのに」
「や、や、ちょっとハードル高いです」
「慣れれば、女でも平気らしいぜ?」
「……ああ。湖沼さんもそう言えば食べていたような」
「! あの美兎の嬢ちゃんか! そういや、ここに通ってるって聞いてたけど」
「! 盧翔さん、お会いになられたのですか?」
「おん! 俺っちが、旦那の店が休業中ん時にこいつんとこの店に連れていったのさ?」
「…………なるほど」


 宝来の誘いになら、あの女性もついていくのは仕方がない。何せ、吉夢(きちむ)を与えただけでなく、吉夢を返したのだから。

 他にも、座敷童子の真穂が気に入るくらいの霊力の持ち主。そして、いつも笑顔で店にやってきては菓子折を持ってきてくれるのだが。火坑は、それだけしか彼女を知らないでいる。


「へー? 盧翔さんも料理人なんですか?」
「盧翔でいいぜ? 兄さんはなんてんだ?」
「あ、俺は美作辰也」
「辰也って言うのか! おう、俺も料理人だぜ? ピッツァ中心のイタリア系だ!」
「へー! ピザは最近食ってないなあ?」
「へへーん! ここで出会ったのも何かの縁だ。うちに来てくれたらサービスするぜ? サルーテってんで、こっからもそんな離れてねーんだ」
「そっか。奈雲達なら知ってるかも」
「おっと? 不思議な霊力かと思えば、守護持ちか? 美兎の嬢ちゃんと同じだなあ?」


 見た目だけの年齢ならば、二人は同じ年頃のせいか。すぐに打ち解けてしまった。それにしても、美兎が盧翔の店に行ったとは。

 火坑のはらわたが煮えくり帰りそうになったが、どこに行くのも彼女の自由なのに、とこっそりため息を吐いた。


「機嫌が悪そうだねぃ、旦那?」
「……そうですか?」


 盧翔と辰也が話に花を咲かせている間に、宝来がすぐに出した芋焼酎のロックを飲みながらくすくすと笑い出した。


「相変わらず、お前さんが嬢ちゃんを想っているのはバレバレだぜぃ?」
「! 宝来、さん!」
「ああ、安心しな? 嬢ちゃんにはバレてねーぜぃ?」
「……安心してもいいものか」


 盧翔とは違い、猫の半人。手に肉球はないとは言え、猫の半分人間。のような、出で立ちでいるから絶対好意の対象には思われていないだろう。嫌われてはいないのだと、よく見ればわかるのだが。

 だが、何故。

 きっと真穂から連絡が行っているはずなのに、地獄に訪れる少し前から姿を見せてくれない。それが、非常に寂しく思えるのだ。


「うっわ、やっぱりえぐいよ。盧翔!」


 何事かと、辰也達の方を振り向けば。盧翔が実に美味しそうにスッポンの頭の部分をしゃぶっていた。

 皮が外れれば、すぐに頭蓋骨ごと骨が現れ。その頭蓋骨を割れば、小さな小さな脳味噌が出てくる。彼の言う通り、そこはぷりぷりとして実に珍味であるのだが。


「うっめ! しょっちゅうはこれねーけど、これがあるからたまんねぇんだよなあ?」
「ま。一から調理してくれるから、美味しいとは思うけど」
「辰也も今度挑戦してみなって?」
「んー、まあ?」


 この空返事だと、まだまだ挑戦するのは無理そうだ。しかし、美兎も好きなスッポンの雑炊はとても好きらしい。

 辰也の方の御燗を追加で注文を受けたら、すぐにそちらの調理に移るのだった。


「っ、くぅうううう! 締めの雑炊はたまんないなあ!」
「叩いた肝も生臭くないし、いいよな? 火坑さん、なんか秘訣でもあるんですか?」
「臭み消しに、ニンニクの粒と青ネギの青い部分と一緒に煮込んでいるんです」
「へー!」
「食うだけでなく、これから増えてくネギは格別だしなあ? 俺の店でも季節のピッツァに和風タイプ増やそうかなあ?」
「旦那! 俺っちに熱燗!」
「かしこまりました」


 美兎や真穂がいない男所帯な今晩ではあるが。たまには、こんな日があってもいいかもしれない。

 けれど、このままでは、いつまで経っても火坑は前に進めない。ケサランパサラン発生の原因にもなった、自分の想いをあの可愛らしい女性に伝えるためにも。

 かごめでデザートを堪能したわけだが、まだまだお腹は空腹状態。

 色々あり、結局友達になれた雪女の花菜(はなな)や守護についてくれている、座敷童子の真穂(まほ)と一緒にいるわけだが。

 せっかくなら、女子会でもしようと意気込んだものの。美兎(みう)は妖界隈に然程詳しくないので、どの店に行こうか悩んだ。

 火坑(かきょう)楽庵(らくあん)か、妖デパートの鏡湖(かがみこ)。花菜が想いを寄せている、ろくろ首が営むサルーテ。

 最初、美兎がせっかくならサルーテに行こうかと誘おうとしたが。真穂から今日は定休日だと教わったので、がっくしするしかなかった。


「じゃ、じゃあ! 私が働いているお店に来ないかな?」
「マジ!?」
「火坑さんの、修行時代のお店……!」


 行く、絶対行く、と決まり。花菜の案内で袋小路である錦の妖界隈を歩いて。

 楽庵よりは大きいけれど、一見高級お寿司屋をイメージするような店構え。お金は、お金はと美兎は思わず財布を確認しそうになったが、花菜の方からひとつ提案があった。


「美兎……ちゃん。火坑兄さんのお店では支払いってどうしてる?」
「え、と……心の欠片で、だけど」
「じゃ、じゃあ! 師匠達も大丈夫だと思うよ! 妖より人間のお客様、最近どこも少ないし」
「……いいの?」
「うん。妖力とは違う、私達妖の……栄養剤みたいなものだから」
「へー!」


 火坑の店に通って、随分と時間が経ったはずなのに。その理由は知らなかった。彼からは生きる糧、もしくは賃金の代わりとしか聞いていなかったから。

 とりあえず、先に花菜が入って説明をするらしく、少し待つように言われた。


「…………楽養(らくよう)?」


 なんとなく読めた字だが、楽庵と似ていたので、つい頬が緩んでしまう。


「たーしか。火坑が暖簾分けに一字もらったって聞いたことがあるよ?」
「そうなんだ? やっぱり、お師匠さんのお店だから?」
「多分? 真穂もこっちに来るの随分と久しぶりだし?」
「へー?」


 丁寧に掃除がされているが、それだけ歴史があるところなのだろう。花菜の年齢もだが、火坑が妖になってどれくらい経つのか。

 そう言えば、あとひと月程で。彼の生誕日が来てしまう。何か用意しようにも、楽庵に行っていいものか悩んでしまう。

 また、ケサランパサランを引き寄せてしまうから。


「おう、いらっしゃい。花菜から聞いてはいるよ?」
「わぉ?」
「ひぇ!?」


 いきなり、暖簾の向こうから出てきたのは。口の長い犬と言うか狼と言うか。背丈も美兎以上にあって、少し恐ろしかった。

 思わず、美兎は真穂に抱きついてしまう。


「えー、美兎? こいつも怖い?」
「こここここ、こわ、怖くは!」
「あー……なんだったら、人化しようか?」
「大丈夫大丈夫。慣れさせなきゃ?」
「真穂ちゃんぅううう!?」
「本当に大丈夫か?」


 ケラケラ笑いながら、狼ではあっても火坑のような割烹着を着ていて、まるでぬいぐるみを見ているような。そう思うと、ちょっと安心できるかと思いきや、笑うたびに見え隠れする牙が怖い。やはり、怖い。

 花菜は中にいるかと思えば、カウンター席しか無い店にはもう一人、誰かが立っていた。


「らっしゃい。花菜が世話になったって聞いたが?」


 黒、真っ黒。

 けど、目は金色。耳は丸っこくて可愛らしい。

 たしか、動物園で見るような、黒豹だったはず。そういう妖がいるのか、と美兎は驚くと同時に疑問に思うのだった。


「は、はじめ……まして」
「おう。俺ぁ、黒豹の霊夢(れむ)っつーもんだ。お嬢さんが普段行ってる、楽庵の火坑とは師弟関係を結んでるぜ?」
「火坑さんの、お師匠さん?」
「おぅ、花菜は妹弟子で。そっちの狗神だった蘭霊(らんりょう)ってんで、あいつには兄弟子にあたる」
「ども」


 自己紹介をしてもらってから、霊夢に前に座りなと言われたのでカウンターの席に真穂と腰かけていたら。花菜がゴム製の薄い手袋をはめて、髪をまとめた日本料理人のような服装で奥の方から出てきたのだった。


「お、お待たせしました!」
「おう、花菜。えらい吉夢を持ってるお嬢さんを連れてきたな?」
「は、はい! い、色々……ありまして」
「色々?」
「おーめ、まさか。また」
「わーわーわー! 兄さん!」
「…………花菜、今ので台無しだぞ?」
「あ、し、師匠ぉ!」


 そして、だが。

 盧翔(ろしょう)の恋人と勘違いしかけてたことが、師である霊夢達にバレてしまい。盛大にお叱りを受けた花菜は今日、お詫びに霊夢達と共に美兎らをもてなすことになった。

 いつもなら、心の欠片をもらうらしいが、ここは美兎も提案した。


「あ、あの! 火坑さんについて色々知りたいんです! 花菜ちゃんとは、そのお願いもあって友達になったんです」
「!……そうか。件の袈裟羅・婆娑羅達が寄り集まった騒ぎには、お嬢さんが」
「え、お師匠さんも。知って?」
「おう。俺んとこにまで知らせは届くさ? けど、あいつ。俺より閻魔大王に策を授かるとは、少し生意気だなあ? まあ、あっちの方が縁は強いし」


 けど、と霊夢は金色の目を優しく細めた。


「あの?」
「座敷童子の一角まで守護を受けるとか。お嬢さんになら、あいつをやってもいいねぇ?」
「や、やる!?」
「霊夢のお眼鏡にもかなったわけだね!」
「おう。せっかくだ、駄賃と言うか。お嬢さんの心の欠片も見てみたいね?」
「あ、じゃあ……」


 色々気恥ずかしくはなったが、お腹は正直なので彼の前に手を出すと。霊夢が肉球のない黒い手で美兎の手をぽんぽんと叩いた。

 途端、光と共に粒状の何かが現れた。


「ほーう? 時期外れではあるが、銀杏か?」
「これ、銀杏なんですか?」


 ピスタチオに似た殻に包まれたものは、どうやら銀杏であるらしかった。

 心の欠片での、食材の取り出し方については未だに不思議過ぎではあるが。火坑(かきょう)が生み出した料理はどれもが絶品揃いだった。

 なら、その師である霊夢(れむ)の料理も一級品であるはず。

 だが、すぐに調理に取り掛からずに、黒豹の彼は考えているのか顎に手を添えていた。それが、人間だったらイケオジに部類されるくらい様になっている。彼の年齢もだが、火坑の年齢も知らないのにイケオジと思ってはいけないだろうが。


「そうだなあ? 秋も暮れてっし、茶碗蒸しには少し早いか。心の欠片だから毒性は気にしなくてはいいが……」


 彼の独り言に、とんでもない言葉が混じっていた。


「え、銀杏に毒があるんですか?」
「お、聞こえてたか? そうだ。植物は大概鳥とか虫を外敵にしてっから、食用出来る部分に毒性を少なくとも含んでんだ。ま、お嬢さんから取り出したこいつは心配ないが。銀杏の食い過ぎで気分が悪くなる人間や妖も少なくねーんだよ」
「へー」


 火坑に聞けば、同じ返答をしれくれるだろうが。またひとつ料理の勉強になったのだった。


「けど、見たところ腹は空かしているだろうし。かやく飯やおこわは炊くのに時間がかかるからなあ? 普通の炒り銀杏とかじゃ、腹は膨れねーしよ?」
「師匠、アレンジでアヒージョとかどうだい? 俺、この間作ったけど。手軽で美味かったぜ?」
「ほう。けど、ニンニク強いぞ? このお嬢さんは他の人間と接するのが多くないか?」
「あ、そっか」


 火坑の兄弟子である、いぬがみと言う部類らしい蘭霊(らんりょう)が提案はしてくれたが。すぐに霊夢が渋い顔をしたのと、美兎(みう)の仕事を思うと難しいのではと却下したのだった。

 美兎としては、アヒージョを過去に食べたことがあるので。マッシュルームとかを入れられたらとてもじゃないが、完食する自信はなかったので助かった。隣にいる真穂(まほ)は知っているのでくすくすと笑われたが。


「あ、あの! 師匠、兄さん」
「あ?」
「ん?」
「その……美兎ちゃん、きのこ全般がダメだそうで。兄さんのアヒージョとかは、多分食べられそうに……ない、です」
「おっと」
「先に聞いとくべきだったな? お嬢さん、他に嫌いな食いもんあるか?」
「えっと……こんにゃく、が」
「おっし。それも除外すっか。んで、腹にたまるなら……やっぱり、茶碗蒸しだな? ついでにつまみ用に炒り銀杏作ってやるよ」


 雪女の花菜(はなな)や蘭霊に指示を飛ばしながら、霊夢は丁寧に銀杏の殻をペンチのようなもので、少し割っていく。それから厚手の鉄鍋のようなものに、おそらく塩だけしか入っていないが。その中に銀杏をふたつかみ入れてから、火の上でゆっくりと鍋を振るうのだった。


「炒り器とか今時はあるんだが。こう言う方法もあんだぜ?」


 美兎がじっと見ていたせいか、霊夢が喉の奥で笑いながら答えてくれた。


「お嬢さん、あいつを必要以上に気にかけてくれてんだろ?」
「え!?」
「なんで、と続けるなら。……そうだな? 強いて言えば、あいつの師匠だから。かな?」
「え、え、え、火坑さんに、何か聞いたんですか?」
「いいや? ケサランパサランの件も風の噂で聞いた程度だ。ここ一年くらい会ってねーよ?」
「けど……」
「ま。ここは女ならぬ、男の勘ってやつか? それと、真穂ちゃんの守護がついたお嬢さんは、ちょっとした有名人だからな? まさか、うちの馬鹿弟子が連れてくるとは思わなかったが」


 馬鹿の部分を強調すると、鶏肉か何かにお湯をかけていた花菜の肩がびくんと大きく揺れたのだった。それをわかっているのか、霊夢はまた、くくくと笑い出した。


「ま、経緯はなんであれ。一度うちの店に来てくれて嬉しいぜ?…………っと、跳ねてきやがった。ちょいと気をつけてくれよ?」


 ぽん、ぱん、と音が聞こえてくると、彼の手にある塩の鍋から銀杏がぴょんぴょんと跳ね上がっていた。


「こう言うのはしょうがねーからな? っと、いい具合だ。ほらよ、熱いから気をつけな?」


 塩ごとざるに入れて、余分な塩を取ってから器に盛り付けてくれた。ご丁寧に、殻用の器まで差し出してくれて、お酒もよく冷えた冷酒を。


「じゃ、かんぱーい」
「うん、乾杯」


 涼しげなガラスの猪口を軽く打ち合い、ほんのひと口含む。甘めだが、スッキリとした味わい。この味は楽庵(らくあん)になかった。


「飲みやすいだろう? 妖でも人間でも、女性客には人気のやつだ」
「すっごく、飲みやすいです」
「水とまではいかねーが、飲みやすくて結構酔っ払っちまうのが難点だが。つまみと一緒に飲んでみな?」


 なので、剥きやすくしてくれた銀杏の殻を割り、薄皮をめくって口に放り込む。

 温かく、甘く、ほのかに苦くて少し塩っぱい。

 その後に、冷酒を口に含んだら。幸せの循環が訪れた。


「美味しいです!」
「簡単なように見えるつまみもなかなかのもんだろ?」
「はい。火坑さんのお店では、自家製の梅酒ばかり飲んでましたが」
「杏と高麗人参入りのか? あれも、俺が教えたんだぜ? お嬢さんの気に入りなら良かった」
「ここでもあるんですか?」
「おう、仕込みはここ数年は蘭霊に任せてるんだが。蘭霊、お嬢さん達にロックで一杯ずつ」
「あいよ」


 本家本元なら、どんな味か。美兎はウキウキし出してしまい、炒り銀杏をぱくぱくと口に頬張っていく。

 この銀杏は気にしなくていいらしいが、とても毒があるだなんて思えない。が、花には毒があるとも言うし、実にも毒があってもおかしくないのだろう。

 蘭霊が、ルビーのように赤い梅酒のロックを持って来てくれたと同時に。

 花菜が作った、特製の茶碗蒸しが出来上がったらしい。出汁の良い香りが鼻をくすぐった。


「お、お待たせ致しました。銀杏と鶏肉の茶碗蒸しです! キノコは入っていません」
「花菜ちゃん、ありがとう!」
「うわ〜、良い匂い!」
「あ、熱いので火傷にはご注意ください」
「うん!」
「食べよ食べよ!」


 さて、ひと口。とまずは、梅酒の方から口にしたが。

 味わいが火坑の店のものと比べようがなくて、甘くてスッキリしていて、とても喉越しが良かった。