羨ましい羨ましい、と言うオーラが美兎の目でもわかるくらい。
だが、それなら話しかけてばいいのに、とも思うが。
合歓には、それが出来ないだろう。
とりあえず、美兎は秋保の話を聞くことにした。
「へー? 医療機関の研究者?」
「まだまだ新米だけど、新薬開発の補助とかそう言うのばっかり」
「けど、凄い。頭いいんだ?」
「理系の、勉強結構好きだから」
同い年なのに、美兎は純粋に凄いと思えた。
美兎もデザインのために、色々プログラムなどの勉強をしてきたが。それでも秋保には劣るだろう。
しかし、骨好きから医療関係と言うのは必然的なのか。秋保の顔は照れながらも、いきいきとしていた。
「お待たせ致しました。手羽元と大根などの煮付けです」
「え、もう!?」
「ふふ。妖怪だけが使える魔法のようなもので、ささっと作らせていただきました」
火坑がカウンターに置いてくれたのは。
醤油の色が美しい、手羽元に大根。あと、ゆで卵がある煮物だった。香ってくる匂いが食欲をかき立ててくる。
秋保もだが、美兎も合歓も食べることにした。
まずは、肉もいいが煮汁が染みていそうな大根から。
箸で割ると、中まで煮汁が染みていて琥珀色に輝いていた。口に入れると、ジュワッと甘辛い煮汁と大根の水分があふれてくるようだった。
「うわーうわー!! お肉にも味がしっかり染みてて、大根も美味しい!! 煮卵もー!」
秋保も気に入ったのか、梅酒を挟みながらもぱくぱくと食べ進めていた。
甘い、甘辛いと交互に食べ進めると、たしかに口の中が最高だった。
「ふふ、お粗末様です」
「店長さんは色んな料理が作れちゃうんですね?」
「一応料理人なので」
「すごいです! 店長さんの彼女さんは幸せ者ですよね?」
「ふふ、そうですか? 美兎さん?」
「もちろんです」
きっぱり言うと、秋保は初めて知った事実に目を丸くして、火坑と美兎を交互に見た。
「え、え、え?! 店長さんと美兎ちゃん、お付き合いしてるんですか!?」
「そうなの」
「ちなみに、僕ら以外にも妖と人間がお付き合いされている方が何組かいらっしゃいますよ?」
「へー……いいんだ」
最後にぽつりとつぶやいた相手が、合歓かもしれないと美兎は本能で悟った。
合歓本人は気づいていないようだったが。
「……そういや、俺のお客さんとかにも。ここが縁組みスポットとか言われてるね?」
ようやっと口を開いたかと思えば、楽庵の話だった。
「スポット??」
「そーそー。妖と人間との良縁を結ぶって、もっぱら噂になってるなってる。あ、俺これでも一応美容師なんだ」
「なるほど」
意外と言うわけでもないが、派手な外見にはよく似合っていた。
それで、言い寄られることが多かったわけか、と美兎は納得出来た。
「合歓さんはカッコいいですもんねー? 彼女さんとか居そう〜」
「え? いないいないいない!! 俺フリーだし!?」
「……ほんとですか?」
きょとんとなった、秋保の本心は安心したのかどうかはわからないが。
全力で否定している、合歓の表情を見る限り、ほっとは出来たのだろう。
これも時間の問題かもしれない。
とりあえず、秋保がひと通り食事を堪能してから。
二人は約束のために、楽庵を出たのだった。
「時間の問題でしょうか?」
「さあ。しかし、本当に僕は何もしていませんのに。縁組みをしてたんですかね?」
「道真様の飼い猫だったからじゃ?」
「ふふ。僕はあの方が現世で亡くなられる前に、一度死んだんですよ?」
「うーん? じゃあ、なんでしょうね?」
根拠はわからないままだが。
それでも、いいことには変わりないので。美兎は少し笑ってから、残ってた雑炊を口に入れるのだった。
秋保と合歓の関係もうまくいくようにと願いながら。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
界隈には、人間界と似せている箇所と似せていない箇所がある。
隣接する境目は、似せていて。
住居を除いた別のところは似せていない。つまりは、ほとんど空の空間だ。更地やかつて栄えた地域の成れの果てというのが多い。
がしゃどくろの合歓は、そこのひとつに笹河原秋保を連れて行く。
約束通りに、合歓の本性であるがしゃどくろを見せるためだ。
だが、骨マニアなのに、他は普通の女性らしく怖がる性格である彼女は。
だんだんと不気味な雰囲気が漂う界隈の様子を見て、合歓の上着の裾を控えめにつかんでいる。その様子がいじらしくて、合歓は内心悶々としていた。
まだ出会って一週間程度。
普段はLIMEで何気ない会話をやり取りするくらい。
一目惚れしてから、ほんの少しだ。
彼女からどう思われているかわからないうちに、秋保からのお願いで合歓の本性を見せることになった。だが、普通の妖よりも巨大な存在なので、おいそれと街中で本性を晒せないのだ。
だからこそ、界隈の端程度の更地でしか出来ないわけである。
「……笹河原さん、大丈夫?」
「だ……だいじょぶでふ!」
「……いや、説得力ないんだけど」
街灯も少なくなってきた場所で聞けば、秋保はガタガタのプルプルの状態で返事をしてくれた。
この錦では、人肉を食べるような輩がいないのは知っているが、妖などの妖怪と接するようになったのが最近である秋保には怖くて仕方がないだろう。
合歓自身もその対象になり得るのに。
かと言って、ここから怖がりの人間ひとりで帰らせるわけにもいかない。迷い込んで、食べはしないだろうが霊力に惹かれて手込めにしようとする連中はいないとも限らない。
だから、合歓はまだ本性を見せるのをためらっているのだ。
「だ、だいじょぶです!! ずっと楽しみにしてた、合歓さんの本性が見られるんですもん!! ちょ、ちょっとこの辺の雰囲気が怖いだけなんて!!」
「……じゃあ。この辺ならいいかな」
障害物も少ない、更地が適度に広がっている場所。
秋保が怖がっていても、さっさと見せるなら見せた方がいいだろう。
秋保に少し離れるように言い聞かせてから、合歓は被ってた帽子と上着だけを脱いだ。
それを地面に置いて、右手を顔の前に近づける。
まず、肉がごっそりと無くなる感覚がした。
手足が伸びて、服は消失して骨だけになった身体がぐんぐんと空に向かって伸びて行く。
髪も消え、頭蓋骨が盛り上がる感覚もした。
久しぶりになった、『がしゃどくろ』。
埋葬されなかった、死者の骨や怨霊の塊となった巨大骸骨の妖。
数メートル近くの巨体となる感覚を得たら、下にいるはずの秋保を探す。
絶対怖がっているだろうと思っていたのだが。
合歓の目には、まるでテーマパークのキャラクターを目にしたように。
くりくりの大きな瞳を輝かせ、頬を赤くしていた女性が映っていたのだった。
怖い、はずだと思っていたのに。
本当に、骨が好きなのか。秋保は目を爛々と輝かせていたのだった。
「…………すっごい!! 凄いですぅうう!!」
合歓が声をかける前に、秋保はぴょんぴょんとその場で跳ねたのだった。
「……怖く、ないの?」
本性のがしゃどくろのせいで、変にかすれた声になるが。秋保は気にせずに首を縦に振ったのだ。
「ちょっと、大きいのには驚きましたけど!! 失礼ですけど、骨格標本がまるまるおっきくなったんですもん!! 私は好きです!! 大好きです!!」
「だ、だいすき……って」
合歓のことではなく、がしゃどくろの方だろうが。
それでも、この本性の姿で『好き』と好印象を持たれるのがまずなかったため。
今、合歓は人化じゃなくてよかったと思った。
本性なら血肉などがないので、顔色がバレないからだ。けど、嬉しくないわけではない。むしろ。
「合歓さん、合歓さん! 触ってみてもいいですか!?」
「へ? さわ!?」
「だってだって!! リアルに骨に触れる機会ないですもん!! ね? ね?」
「あー……ああ……うん」
合歓というよりは、『がしゃどくろ』に触りたいのだろう。
少し複雑な気分にはなったが。触りたいという女性は今までひとりもいなかったので、正直言って嬉しい。
だが、足だと万が一踏んづけてはいけないので、手に乗るように促した。
「わ、わ! 乗っていいですか!?」
これまた、テーマパークのアトラクションに乗るみたいなはしゃぎっぷりだ。
全然、まったく怖がらずに合歓の骨だけの手の上に乗り。潰さないように、握り過ぎないようにと、丁寧に軽く握ってから顔の近くにまで持ち上げてやる。
だが、間違っていたのかもしれない。
秋保の、子供のように興奮して、頬が紅潮した様子が間近に見えるのだから。
そして、手の方は目の前にあるので既にペタペタと触られていた。
「すっごい、すっごーい!! 生の骨ってこんな感じなんだ?! 標本とかじゃ、プラスチックや樹脂だから冷たいし質感も違うし」
「……楽しい?」
「はい! あ、頭蓋……顔もいいです?」
「……どーぞ」
もうここまで来たら、許す以外ないだろう。
もう少し顔を近づけて、触りやすいようにしてみたが、よくなかった。
人化で言う唇。
歯の上部分をペタペタと触るのだから、なんだかむず痒くなってきたのだ。噛まないように気をつけていたが、これ以上はまずい。
さすがにくすぐったくなってきたのだった。
「あー、満足! ありがとうございました!!」
くすぐったいのを我慢していたら、秋保は満足したらしく。
もう、終わりか、と。少し寂しさを覚えたのが時間も時間なので。
送るために、秋保を下ろしてから素早く人化した。
元に戻るというわけではないのに、人化の方がやけにしっくりしたのだ。
上着と帽子を見つけて身につけていたら、離れたところに下ろしてた秋保がダッシュでこちらに来た。
「合歓さん、合歓さん!」
「……なんだい?」
怖がられていないのに、少し嬉しく感じたが。人化の合歓では物足りないと思われるだろうに。
秋保は合歓の手をいきなり掴んだのだ。
「こっちの合歓さんもですけど! 骨の合歓さんもかっこよかったです!!」
「……本気??」
「はい!! だって、イケメンさんですから骨の形状も綺麗でしたし、納得です!!」
ぶんぶんと握られた手を振りながら、頬を紅潮させているのだから本心なのだろう。
だから、合歓も感極まってしまい。
思わず、秋保の手を引いて、胸に抱き込んでしまった。
「……ありがとう」
この人間の子が、欲しい。
好きになったから、欲しい。
合歓は、あの猫人の言っていた『好きになった相手』のことがよくわかったのだ。
抱きしめられた。
妖怪とは言え、男の人に抱きしめられてしまった。
父親や親戚以外だと初めての事だったので、秋保は頭が沸騰しそうなくらい慌てた。
だけど、ジタバタしていても合歓は秋保をぎゅっと抱きしめるだけで。それと、秋保の頬に少し生温かい液体が落ちてきた。
なんだろうと、顔を上げたら。
「合歓、さん。泣いてる……?」
「…………え?」
本人も気づいていなかったのだろうか。
秋保が声をかけても、ちっとも泣き止む気配がなくて。けれど、大粒の涙をぽたぽたと流している様子が。
この上なく、綺麗で。
秋保は不謹慎だと思うが、彼の泣き顔に胸が高鳴ったのだった。
「だ、大丈夫、ですか……?」
「あ、うん。ごめん……いきなり抱きしめちゃって」
「い、いえ……」
そう言いながら、腕の中から解放してくれたのだが。どうしてか、少し寂しいと感じた。
どうしてしまったのだろうか。秋保は変になってしまったのか。念願だった、骨を堪能した反動のせいだろうか。
ちらっと、合歓を見ると、まだ涙は止まらないようで。
人間の姿はただでさえ、美形の美形なのに。やっぱり、泣き顔も綺麗で秋保の胸がドキドキしてしまう。
たしかに、ずっとかっこいいとかイケメンとか言ったりはしていたが。
ただ、男性としてはそこまで意識していなかった。だから、今まさに。
妖怪であろうが、彼を『ひとりの男性』として意識してしまったのだ。そう合点がいくと、先程のハグまで再確認するように意識してしまう。
匂い。
体温。
しっかりとした腕。
そのひとつひとつに、これまで恋人がいなかった秋保は。初めてだらけのことに意識してしまった。
恋人がいなかったのは、秋保の個人的な趣味である骨マニアに大半の男性が引かれてしまったからだ。友達もいなくはないが少ない方。美兎が久しぶりに友達になれたくらい久しぶりだ。
それはいいとして。
「あ〜……くっそ、止まんねぇ」
合歓は合歓で、全然止まらない涙に苦戦しているようだ。
袖で擦っているせいで、妖怪でも目元が赤くなっていた。だから、咄嗟に鞄からハンカチを出して彼に渡してやった。
「あ、あの。気休めですけど、使ってください……」
「……いいの?」
「はい。腕で擦ったら、痛くなりますし」
「……ありがと」
また、言われた。
抱きしめられた時にも言われたのだが、あの時は何に対してだろう。
秋保は骨妖怪である『がしゃどくろ』を褒めちぎっただけなのに。いけないことをしたわけではないだろうが。
特に、お礼を言われるようなことはしていないはずだ。
首をひねりながら考えているうちに、合歓の涙もようやく落ち着いたらしい。
「大丈夫ですか……?」
「あー、うん。ごめん、情け無いとこ見せて」
「いえ。……あの、私何かしました?」
秋保のわがままで、今日の約束をして。
秋保のわがままで、好き勝手に骨を堪能させてもらった。
それだけなのに、彼は何故か泣いてしまい、秋保を抱きしめてお礼を言ったのだ。考えても考えても、わからない。
すると、合歓は小さく笑い出した。
「したよ? 俺の本性を怖いと思うどころか。喜んでくれた」
「え……だって、大好きな骨でしたし」
「それそれ。大好きだなんて、言われたことなかったんだよ。あの姿で。仕事関係とかで、ほら、俺人化じゃこの見た目だから言い寄られることはあっても。あっちで言われるどころか逃げ出されるばっかだから」
「……酷い」
たしかに、骨だけの姿は普通の女性だと恐怖に映るかもしれないが。
あれだけの曲線美に、立派な骨格は標本と比べるまでもない。
その姿を見ただけで、好きになった相手を拒否するだなんて、意味がわからない。
とは言え、秋保もだいぶ特殊な趣味だとは自覚はしているけれど。
ぽつりとつぶやいたのが聞こえていたのか、合歓はまた小さく笑ってくれた。
「だから、笹河原さんがそう言ってくれたのが、俺にとって初めてだから嬉しかったわけ」
と、ぽんぽんと髪を撫でてくれる手つきが優しくて。
今度は、秋保が泣きそうになってしまった。
ああ、まだ出会ったばかりなのに。
自分の趣味でお礼を言われることなんてなかったから。
不謹慎だが、この妖怪さんに惹かれているのを自覚したのだった。
秋保が合歓の本性である『がしゃどくろ』を見させてもらったらしい日から数日後。
美兎は、楽庵に来て欲しいと秋保から連絡があり。
時間になって、店に向かえば。先に来ていた秋保が、美兎を見るなりいきなり抱きついてきたのだ。
「……秋保ちゃん?」
「うわーん!! 美兎ちゃん美兎ちゃん、どうしよう!?」
どうした、と言いたいのは美兎の方だが。それでは話が始まらないので、ひとまずは落ち着かせて。
席に座ってから、火坑も苦笑いしつつ、温かい煎茶を出してくれた。
「さあ、笹河原さん。美兎さんもいらっしゃったんですし、ゆっくりお話してくださいませんか?」
「え、火坑さんには何も?」
「ええ。ここに来てからは『どうしよう、どうしよう』とばかりで」
「うう〜〜……だってだって!!」
秋保はそう言うと、カウンターテーブルに顔を突っ伏した。本当に何があったのだろうか。
「秋保ちゃん?」
「だって……人間でもないのに、妖怪さんを好きになるだなんて、初めてなんだもん」
「え?」
「おや。もしや、合歓さんをですか?」
「そーなんですぅ……!!」
まさか、と思っていたことが当たっていたのにも驚いたが。
だが、この様子だとまだ合歓には告げていないようだった。なぜだかは、これから彼女の口から教えてもらえるのだろう。
「え、いつ? いつ好きになっちゃったの?」
「……この前。合歓さんのがしゃどくろ、見せてもらった時」
「んー? どう言うタイミングで?」
「……見せてもらった時ははしゃいじゃったんだけどぉ。人間に戻った? 後に、褒めたら……抱きつかれたの」
「え……えー?」
「あ、別に告白されたわけじゃないよ? なんでかお礼言われたの」
「お礼??」
「ですか?」
「骨さんの姿で、誰かに褒められることがなかったから。嬉しかったんだって」
美兎も当然、がしゃどくろと言う妖の姿を見ていないので想像はつかないが。
けど、合歓と出会った時には。彼は悪酔いするまで本性のことを嫌っているように見えた。
それを思えば、その本性を褒めちぎってくれた女性には、お礼を言うだろう。
ましてや、一目惚れした相手からなら尚更。
「……秋保ちゃんは、嫌だったの?」
「……うーうん。びっくりしたけど、合歓さんも泣いてたから……どう声をかけたらいいかわかんなくて。でも」
「でも?」
「不謹慎だけど、泣いてる顔が綺麗だって思ったの」
「で、気づいちゃった?」
「……うん」
「なるほど。一目惚れとは違いますが、笹河原さんはきちんと合歓さんを見ていらっしゃったんですね?」
「んーもぉー、どうしようなんですよ!? 恋とか初めてだし、ましてや大好きな骨持ってる妖怪さんだーかーらぁ!?」
「落ち着いて、秋保ちゃん」
「だって〜〜……!!」
酒は飲んでいないようだが、自分の気持ちの大きさに触れて、若干パニックになっているようだ。
初々しいが、どうしたものか、と思っていると。
扉の方から、勢いよく開く音が聞こえてきたのだった。
「さ……さ、河原、さん……今のマジ!?」
噂をすればなんとやら。
話題にしていた合歓が、顔を真っ赤にさせて立っていた。ちらっと火坑を見れば、ぺこりとお辞儀しながらスマホを手に持っていたのだ。LIMEとかで、合歓に連絡したのだろう。
「え……え、え、ふぇ!?」
まさか、秋保は大声にしてた言葉を聞かれるとは思わなかったらしく。
合歓の登場に、立ち上がっていた膝をかくんとさせてしまい。
美兎は間に合わなかったが、合歓がすぐに腕を掴んだことで間一髪、カウンターに頭をぶつけずに済んだ。
「……あの、さ。ちょっと、ここじゃなんだし。話がしたい」
と言う言葉に、秋保は反射で頷いてしまい。
楽庵から、二人は去って行ったのだった。
「いいカップルになりそうじゃない?」
影から、真穂が女性の姿で出てきて、秋保が座っていたところに腰掛けた。
「ね? けど、火坑さんもずるいですよ? 合歓さんにわざわざ連絡いれちゃって」
「ふふ。後悔したくないのであれば、来た方がいいですよと告げただけです」
「十分、意地悪じゃない?」
「ふふ」
とにかく、あとは時間に身を任せるだけ。
明日以降に、美兎も秋保にLIMEで教えてもらおうと決めたのだった。
はじめは、嘘だと思った。
火坑から、『後悔したくないなら、店に来てください』と連絡があったので。秋保に何かあったのかと思って急いだら。
扉を開けようとした時に、秋保の大声が聞こえてきて。
合歓を、好きになったかもしれない、と。
そんなまさか、と思って扉を開け放ち。
思わず、自分まで大声を出してしまったが。その反動で秋保が膝をかくっとさせてしまったので、慌てて抱きとめた。
怪我もなく無事だったが、今ここで秋保の本心を再確認するのはどうかと思った。何せ、お節介焼きの火坑とその恋人である美兎がいるからだ。
それに、出来れば二人きりになりたい。
ので、合歓は秋保を連れて店を出ることにした。彼女の勘定は、適当に合歓が支払ってから。
そこからは、合歓が秋保の手を引いて。
裏の裏を通り、とある神社にやってきた。
枝垂れ桜と、ソメイヨシノが美しく植わっている神社。
ずっと黙り込んでいた秋保も、さすがにこの光景には感嘆の声を上げた。
「うわぁ……!」
ちらっと顔を見れば、まるで少女のように、頬を紅く染め上げていた。その表情すら愛らしく、またすぐに抱きしめたい衝動に駆られたが。
今、ここで、確かめたい。
そう思うと、すぐに行動に移したくなって。
合歓は秋保を繋いでた手を変えて、彼女に向き合った。
桜に夢中だった秋保も、本題を思い出したのか合歓を見てくれた。その表情はとても男の心をくすぐってくれるような、扇情的なものだった。
泣いてはいないが、目が潤んで、心情を雄弁に語っていた。合歓をどう思っているのかを。
「笹河原……さん。もう一度確認していい?」
「ひゃ、ひゃい!?」
ああ、どうして。
この女性はこんなにも素直で愛らしいのか。
この前は合歓の骨に夢中になっていたせいで、わからなかったが。今は、はっきりとわかった。
合歓のように、少なからず秋保も合歓のことを。いつのタイミングでそうなったかまではわからないが。
「……さっき。楽庵で聞いちゃったの。ほんと?」
「ど、ど、どこから……?」
「『恋とか初めてだし、ましてや大好きな骨持ってる妖怪さんだーかーらぁ!?』から?」
「わー!? わーわー!!?」
わざと真似するように言えば、彼女は空いてる手で合歓の口を塞いできた。
こんなところも、いじらしくて愛らしい。
恋は盲目だと、人間達がよく言うのを知ってはいたが。今なら、意味がわかる。
そちらの手も掴んで、合歓は秋保を逃がさないためにしっかりと握った。
「俺は……一目惚れだったよ?」
「ふぇ!?」
「あの日。楽庵に来た時から。めちゃくちゃ可愛い人間の女の子だなって」
「ほ……ほんとに?」
「マジ。声とか結構うわずってたけど、気づかなかった?」
「……全然」
鈍いとこまで愛らしい。
ああ、今抱きしめてしまいたいが。
まだ、ちゃんと確認してからにしようと、少し我慢した。
「笹河原さんも、俺と同じ?」
「……はい。合歓さんの泣き顔見てから」
「え、あれ? かっこ悪かったのに?」
「ぜ、全然です! 綺麗でした!!」
「綺麗って……」
骨マニアもだが、人化の合歓の泣き顔まで綺麗などと。
まったく、興味の尽きない女性だ。
だから、もう我慢出来ずに。合歓は秋保を抱き寄せた。
「ひゃ!?」
「……好きだよ。秋保」
「!……わ、私も。好きです、合歓さん」
「そこはタメ語でいいのに?」
「そう言いましても、私なんかよりずっとずっと歳上さんには無理です!」
「そーいうもん?」
「そうです!」
変なとこで頑固だが、そこも可愛いらしい。
思わず、性的な意味で食べてしまいたいが。そこはまだ出来ない。
妖が人間と交われば、人間は妖力を得て老化が止まり、長寿を得てしまう。
仕事をしている彼女に、まだその段階は早いから。
だから、合歓は。
膨れっ面になった彼女の顎をすくい上げて。
そっと、唇を重ねたのだった。
直後に、脳の許容範囲が越したことで、秋保をふにゃふにゃにさせてしまったが。
落ち着いてから、また楽庵に行く時には。
秋保は合歓の腕に、自分の腕を絡めてくれた。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
烏天狗。
天狗の一種であり。
山伏のような装いをしていて。
背には、濡羽の立派な翼。
彫刻のように、美しい顔が特徴的で。
少しだけ、人間と似ているようでそうでいない妖だが。
まさか、翠雨は人間の女と懇意な関係になるとは思わないでいた。
昔も、今も。
烏天狗の一員として、唯一人の存在でいるものだと思っていたのだから。
紗凪と初めて出会った時は。
彼女が、まだ六つ程の子供だった。
『……けて。たす……けて!!』
翠雨が、久しぶりに尾張に出向いた時に。
やけに、強い霊力を感じたので気になって探していたら。
怨霊の塊である存在が、幼い人間の女に襲いかかろうとしていた。
別に翠雨は正義の味方ではないのだが、反射的に身体が動いて。その怨霊を調伏した。
『……大丈夫でござるか?』
翠雨が天狗の面を外して、膝を付けば。小さい女は目を輝かせていたのだった。
『おにーさん、きれー!』
あれだけ怖い思いをしただろうに、翠雨の顔の美しさに手をパチパチと叩き出した。幼いのに、意外に肝が据わっているのだろうか。
『某のことはいい。……界隈に迷い込むとは。いつから居た?』
『かいわい??』
何も知らずに迷い込んだのだろう。
この年頃は特に迷いやすいと言われているので、仕方がないが安全な出口を出てからも人化して送り届けるか。
しかし、この子供。
幼いながらも、桁違いに霊力が高い。探していた霊力の持ち主を見つけられたが、こんなにも幼いとは予想外だった。
それに加えて、なんと愛らしい。
成長した姿が楽しみに思えるくらい。
そこで、思考が逸れていたと頭を振り、まだ輝かせていた目で翠雨を見ている子供の頭を撫でてやった。
『ここは、お前のような子供が居ていい場所ではござらん。送ろう、立てるか?』
『え……へへへ』
何故か笑い出したが、よく見ると膝を深く擦りむいていた。泣き叫んでいてもいい傷なのに、怨霊に襲えわれかけたのと翠雨の登場で忘れていたのだろう。
翠雨は厨子から傷薬の小箱を取り出して。傷口を水の術で軽く洗ってから塗ってやった。
塗った途端に、傷口がみるみる消えていく。烏天狗の秘薬だから当然だろう。
子供はパチパチとまた手を叩いた。
『痛くはないか?』
『だいじょーぶ! おにーさん、ありがとー!!』
『そうか』
礼を言われるほどではなかったが、何故かむずがゆく感じた。
そうして、人化してから手を繋ぎながら界隈を歩き。子供を人間達のいる狭間まで送ったが。
将来的に、この子供と恋仲になるだなんて、この時の翠雨は思いもしなかった。
あれから、十五年以上経ったが。
今、翠雨はあの時の子供だった紗凪と一緒にいる。
幼い時よりも、はるかに美しく愛らしく育った彼女と再会したのは。助けてから十年後。
翠雨が名古屋の街並みを歩いていた時だった。用事がいくらかあったので、人化をしていたのだが。
それが終わってから、久しぶりに界隈にでも一杯するかと考えていた時に。走ってきたらしい、紗凪に腕を掴まれた。
『……誰、だ?』
振り返れば、人間の女がいた。
妖に負けず劣らずなくらいに、美しく愛らしい。髪は染めているのか茶色だったが、翠雨は初めて会うはずの女なのにどこかで見た覚えがあった。
『お、おにーさん! あの時の天狗、さ!?』
『大声でそれを言うな!?』
思い出した。
妖的にはついこの間ことだが。人間としてはひと昔前のこと。
怨霊に襲われかけていた、幼い子供。
それの成長したのが、今目の前にいる女なのだろう。翠雨は女の口を片手で覆いながら、仕方なく界隈に引きずっていく。話すにも、内容が内容なので人間界では無理だからだ。
『〜〜!! 〜〜!?』
界隈に連れてくると、女は口を覆われていても嬉しそうにもごもごと動かしていた。その感触にくすぐったく感じたが、もういいだろうと離した。
『……あの時の、子供でござるか?』
『! そうです! やっぱり、お兄さんだったんだ!! 妖怪さんって全然変わんないんだね??』
『……そうでござる』
女は、変わった。
幼く頼りなさそうだった身体は娘らしく育ち。
顔なども、とても美しくなっていた。愛らしくて、妖と疑いかけたくらいに。
だが、霊力はあの頃以上にまで膨れ上がっていた。
『探したんだよ? あの日以来、こう言うとこに来たくても……お兄さんがくれたこのお守りで無理だったし』
と言って、女が懐から取り出したのは。
翠雨が手製で作った、守り袋。たしかに、人間界に送った後に子供に渡していた。
霊力が豊富にあるとは言え、また界隈に迷い込まないように。変な妖などに襲われないように、と。
少し、綻びはあるが大切に持ってくれていたのだろう。
翠雨は、何故か胸の内が熱くなってきた。
だが。
『何故、某を探したのでござるか?』
守り袋があれば、大抵の悪霊やよからぬ妖からは身を守れるのに。
何故、翠雨を探していたのだろうか。翠雨にはよくわからなかった。
すると、女はいきなり翠雨の手を掴んできた。
『一目惚れだったの!! お兄さんが好きなの!!』
『……は?』
『私の初恋叶えて!!』
『はぁ!?』
どう言うわけか惚れられてたと知っても。
妖と人間の生き方は違う。
儚い命しか持っていない人間は、妖と交わるまではともに生きていけない。だが、交われば人間ではなくなってしまう。
そう説き伏せても、女──紗凪は聞く耳を持たず、翠雨と一緒なら構わないと言い切るだけで。
そこから、さらに数年かけて。紗凪が成人しても数年経ってから。
結局、翠雨も彼女に惚れているとわかったため、交際を始めることになった。烏天狗の長にも報告したら、巫の女であれば問題ないと言われただけで済んだ。
だから、今も。
翠雨は紗凪と一緒にいる。
紗凪が社会人として二年目の春になって、ようやく火坑が営む楽庵に連れて行けるのだった。
大好きな人が、去年友達になってくれた湖沼美兎の恋人の店に連れて行ってくれる。
恩人でもある烏天狗の翠雨の所用が立て込んで、今日まで難しかった。美兎達とのダブルデートで言っていたマンボウの肉も、結局は食べられなかった。
また三重県か和歌山県で夏頃になれば人間界でも食べられるそうなので。その時期に合わせて、翠雨が仕入れてくれるようだ。
とりあえず、今日は。
火坑が栄の錦の界隈で営んでいる、小料理屋の楽庵に行く予定。であったのだが。
「ねえねえ、お姉ちゃん。俺らと飲みに行かない?」
錦に到着した途端、キャッチに絡まれてしまった。
たしかに、紗凪は可愛い。モデルだった母親の遺伝子を濃く受け継いでいるし、子供の頃は子役モデルもしたぐらいだ。今はただの一般人だが。
それは妖怪とかにも好かれやすく、父譲りの霊力で怖い怖い幽霊や妖怪達に襲われかけたのも一度や二度じゃない。それは、翠雨のお陰で一応解決はしている。今も持っている彼手製のお守りがあるからだ。
が、人間は関係ない。
歓楽街に近い錦だから、いなくはないと思っていたが。
「あの。私彼氏いるし、待ち合わせしてるんで」
「え〜、いいじゃん? 遅れてる彼氏より俺らと飲もうよ」
「そーそー」
「結構です!」
強く言っても聞く耳を持たない。
まったく、自分の顔の良さを恨むのはこう言う時だ。相手は自分達に自信があるようだが、はっきり言って下の中くらい。
麗しい容姿を持つ、翠雨とは比べるまでもない。
とは言え、振り切るのも難しい。
どうすれば、と思っていたら。
「……俺の恋人に何か用か?」
耳通りが良い低い声。
明らかに機嫌が悪いのがわかったが、紗凪には救いの手だった。
「すーくん!」
ダッシュで翠雨のところに走って、彼の胸にダイブする。
抱きとめた翠雨から、頭をぽんぽんと撫でられると、翠雨はまだぽかんとしているキャッチの男達に言い放つ。
「俺の恋人に手出ししようとするだなんて、良い度胸だな? 次はないと思え」
「ひぃ!?」
「ふぁ、ふぁい!?」
抱きついているので顔は見えないが、きっと怖い顔なのだろう。慌てた足音が遠ざかって行くのが聞こえてから、紗凪はさらに翠雨にぎゅっと抱きついた。
「ありがと、すーくん!」
「……まったく。次この辺りに来るのなら、コーヒーショップとかで待ってろ」
「うん! そーする!!」
一応二十四になったとは言え、少し童顔の紗凪だとメイクをしていてもまだ大学生に見られてしまう。一応仕事帰りだが、飲食店のウェイトレスなので制服以外はほぼ私服。
だから、人通りの多いところに行くとナンパやらキャッチやらに遭うわけで。
とりあえず、美男の翠雨にも注目を集めてしまっているので、界隈に入ろうと彼に手を引かれる。
建物の隙間を通り、進んで進んで曲がって曲がって。
歩いて行けば、錦の界隈に到着。
少し久しぶりに見る、妖怪達のたむろう繁華街。
街並みは、人間界とそう変わらず飲食店やホストなどの店で賑わっていた。
「さて、こちらでも某から離れるなよ?」
「うん!」
繋いでた手を離して、腕に自分の腕を組んで。
周りの景色を楽しみながら、小径を歩いていけば。
少し大きいビルの一階に、『楽庵』と言う小さな看板がある店が見えてきた。狭いと聞いていたが、予想以上に狭そうだ。
本当に、こじんまりした個人経営の店のようで。紗凪が働いているチェーン店よりも小さい。
だが、絶対絶対。美味しい料理が出てくると信じている。翠雨が常連と言うくらいだから。
「紗凪、腕を離してもらっていいか? 店はお前が思っている以上に狭い」
「はーい」
名残惜しいが、言われたらしょうがないので離した。
そして、翠雨が引き戸を開ければ、中から『いらっしゃいませ』と声が聞こえてきて。
翠雨のあとに続いて店に入れば、本当に予想してたよりもはるかに狭くて。けど、とても暖かい空間のそこには。
去年会った時とは違う、猫の頭に尻尾がある妖怪が調理場に立っていた。
「紗凪ちゃん!」
それと、美兎がカウンターの一席で座っていたのだった。