名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 色々緊張の連続だった。

 北野天満宮に着くなり、祭神である道真(みちざね)から縁結びを強くしてもらってから。

 参拝をして、ここでもまたお守りを買ってから。

 宿にチェックインするために、タクシーで移動したのだが。


響也(きょうや)……さん」
「はい?」
「ほ……んとうに、ここですか?」
「ええ、こちらですよ?」


 いかにも、『The・高級旅館』と言ったたたずまい。

 間違っているんじゃ、と思ったら火坑(かきょう)は首を横に振って肯定の意思を伝えてきた。


「た、たたた、高いんじゃ!?」
「お金の話はしましたよね?」
「していただきました、けど!? こんな素敵なとこにいいんですか!?」
「ふふ。驚きと喜びが混じっていますね? 僕としては嬉しいですよ?」
「……うう」


 至れり尽くせりとは、まさにこのことでは。

 今日一度も、美兎には支払いをさせてはいない。交通費もだが、お土産もお守りもおみくじも、全部火坑が払ってくれたのだ。

 甘やかし過ぎではないかと思うが、火坑がお土産屋で言ってたのだ。


『女性を立てるのは、男として当然ですよ?』


 と言い切って、全額負担してくれたのだから。

 多少の申し訳なさはあったが、正直言って嬉しかった。

 本当に、美兎(みう)にはもったいないくらいの彼氏だ。

 旅館に入る前に、真穂(まほ)が影から出てきて結界を張り、ずっと預けていた旅行鞄を出してもらった。

 一泊だから、そこまで荷物はないのに、また火坑が全部持ってくれた。


「いてら〜」


 実質真穂もついていくことになるが、美兎の影に潜っているから別空間らしい。

 宿に入ると、すぐ受付だったので火坑が美兎の手を引きながら向かった。


「予約していた、香取(かとり)ですが」
「お待ちしておりました」


 綺麗な着物を着た女性だったが、火坑は特に気にならずに受付を済ませていく。美兎が恋人だから、と再確認出来るようで嬉しかった。

 受付が終わり、別のスタッフに部屋まで案内されて。

 てっきり別々かと思ったら、ツインの和風ベッドがある部屋だった。


「わあ!?」


 飾り障子の向こうには、京都の町並みが一望出来た。

 年甲斐もなくはしゃぎそうだったが、簡単にスタッフから説明を受けてから備え付けのお茶を飲むことにした。


「さて。お昼ごはんはここでもいいですが、着物を返却する近くに。美味しい創作料理のお店もあるんですよ? どちらがいいですか?」
「創作料理ですか!?」
「ふふ、そちらにしましょうか?」


 ただ混み具合を確認するのに、火坑がスマホで連絡してみると。今はちょうど空いているらしい。スマホで聞くくらいだから、そのお店の店主もまた妖か何かだろうか。

 旅館を出て、またタクシーで二年坂近くで下ろしてもらうと。少し入り組んだ細い通路を通れば、その店の看板が見えた。


「創作料理、まほろば?」
「僕の知人兄弟が店主なんです」
「ご兄弟でですか?」
「ええ。…………本性は一つ目小僧です」
「!」


 今は人間のフリをしているので、バレることはないだろうが。

 引き戸を火坑が開けると、中から男性二人の声が聞こえてきた。
 店に入った瞬間。

 ほんの少しだけ、火坑(かきょう)楽庵(らくあん)に似ていると思った。

 カウンター以外にも、テーブル席があるし。もう少し広い空間なのに。

 何故か、似ていると思った。


「いらっしゃい!」


 声を掛けてくれたのは、もうひとりの男性よりは小柄で背が低め。けれど、美兎(みう)よりは少し高かった。

 火坑から一つ目小僧とは聞いたが、人間に化けているのでごく普通の男性にしか見えない。奥にいる背の高い方が渋めで、こっちに来た男性は眼鏡で口元に髭有り。

 妖の人化は美形が多いはずなのに、火坑に似て随分と普通の男性だった。


「こ、こんにちは。初めまして」
「ども。こんちは。火坑はんの奥さんやんなあ?」
「お、おく!?」
朔斗(さくと)さん、まだです」
「なーんや。こっちにまで噂流れてきたんに。色々尾びれ背びれついたんか?」


 とりあえず、カウンターに案内されると。すぐに、温かい蕎麦茶が出てきた。

 京都は春でも、少し肌寒かったので有り難く感じた。


「……いきなり、兄が驚かせて……すみません」


 奥に居たのは弟さんだったようで、見た目を裏切らずに声まで渋めだった。軽く会釈してから、先付けのようなものを持ってきてくれた。


「ぶり大根作った時の煮汁で作った、煮凝りや。他の料理はメニュー見て決めてください」


 朔斗がメニューの冊子を持ってくると、火坑が言ってた創作料理がずらりと並んでいた。

 どれも美味しそうで、あれこれ頼みたくなるくらい。だが、まだ着物なのであんまり食べ過ぎるとお腹がぽっこりしてしまう。

 宿は同室で、そう言うことがないとわかっていても、火坑に見苦しい体型を見せたくはない。

 とりあえず、先付けで出た煮凝りは想像以上に美味しかった。


「この煮凝り美味しいです!」
「おおきに。弥勒(みろく)が丹精込めて作ったぶり大根から、こしらえたもんでなあ?」
「……兄さん、恥ずかしい……」
「ええやん。ほんまのことやし」
「せっかくですので、美兎さんの心の欠片をお渡ししませんか?」
「! ええのん!?」
「あ、そうですね!」


 火坑の知人で、まだ煮凝りしか食べていないが。美兎も欠片を渡すのは賛成だった。少しでも、火坑の支払い負担が楽になるのならと。

 火坑の前に両手を差し出すと、ぽんぽんと彼が手を軽く叩いて。

 一瞬光ったと思ったら、出てきたのは大振りのアボカドだった。


「おお! 立派なアボカドやねえ?」


 朔斗に渡せば、感心したように眺め出した。


「……サラダ、ピザ、グラタン。……色々出来ますが」


 弥勒がぽつりとつぶやくと、美兎はさらに悩んでしまう。


「では、半分はグラタン。もう半分はピザでお願い出来ますか?」
「へい」
「火坑さん?」
「サラダもいいですが、美兎さんはその二つで悩んでいたのではと」
「……はい」


 本当に、気遣いの出来る彼氏である。
 ピザとグラタン。

 女子なら当然迷ってしまうだろう。

 美兎(みう)は少し気恥ずかしく思いながらも、料理が出来るまで火坑(かきょう)と待っていた。

 人間界の店なのに、他に客がいないのは不思議だったが。少し入り組んだ道の先にあるので迷っているか。もしくは、一つ目小僧兄弟の術か何かで引き寄せないようにしているのか。

 だとしたら、随分と贅沢な時間だ。


「えーと、美兎はん?」


 蕎麦茶を飲みながら、ぽーっとしていたら兄店主の朔斗(さくと)に呼ばれたのだった。


「あ、はい!」
「いや〜、火坑はんが随分とかいらしい嬢ちゃん連れて来るって、びっくりもんやで? こっちまで噂で聞くくらいやしなあ?」
「噂……さっきも言ってましたよね?」
「おん。元獄卒……いや、補佐官やった猫人に。かいらしい嬢ちゃんが伴侶になったとか。ま、伴侶は尾びれついたようやけど」
「美兎さんには、まだまだこちら側に引き込むわけにはいきませんから」
「せやなあ? まだまだ若いし、人間界の生活を謳歌したいやろうね?」
「……はい」


 新人のタグは外れても、まだまだ社会人としては新米だ。

 仕事も楽しいし、火坑と本当の意味で結ばれたら。美兎は人間ではなくなってしまう。

 今も半分くらいは人間ではないが、妖が視えたり、簡単な術が使える程度。

 火坑の気遣いも嬉しいが、まだ人間ではいたいのだ。


「……先にピザが出来ました」


 話込んでいたら、弟店主の弥勒(みろく)がピザを持って来てくれた。

 ピザとは聞いたが、普通のピザではなくて。

 生地が、油揚げだった。


「わあ!」
「油揚げでピザですか?」
「意外と人気やで? 人間の料理人達でもちょいちょい作るんや」
「味付けは……味噌とマヨネーズです」
「いただきましょう、美兎さん」
「はい!」


 箸で持てるように綺麗に切り分けられた油揚げピザを。

 アボカドが落ちないように持ち上げて、ひと口。

 少し火が通ったことで、ほくほくのアボカドに味噌マヨとチーズのコク。

 さらに、土台になっている油揚げのサクサク感が、歯を楽しませてくれる。

 普通のピザのようにモチモチ感と食べ応えはないが、これはこれで小腹を満たすには十分だった。


「いいお味ですね? アボカドの火加減は好みが分かれますが、これは美味しい!」
「時々来る人間のお嬢さん方にも、具材を変えて提供してるんや」
「低糖質で高タンパク……油抜きも多少して、います」
「全部手製とまではいかないけど、知恩院(ちおんいん)さん下ったとこの豆腐屋から仕入れてるんや」


 こだわりがすごいのだろう。

 感心していたら、 朔斗が話しながら作っていたグラタンの方を持ってきてくれた。

 アボカドを半玉丸ごと使ったグラタンは、見た目でも十分楽しませてくれる。少し先がとがったスプーンを二人分用意してもらい、美兎からすくい上げれば。


「あ、ジャガイモも……マヨネーズ……?」
「ちゃうで? 俺手製のホワイトソースや」
「すごいです!」


 ひと口頬張れば、たしかにホワイトソース。なめらかで、アボカドのコクと喧嘩していない。

 とても優しい味わいだった。

 ごろっとした具材は、ジャガイモの他にサーモンが入っていた。燻製したものを使っているのかと、独特の塩気とスモーキーがまたなんとも言い難かった。


「……心の欠片をいただいたので、こちらよかったら」


 と、弥勒が出してくれたのは、炊き込みご飯だった。

 きのこ類がなくてほっとしたが、いただいたそれは魚の炊き込みご飯。味付けは上品より濃いめだったが、なんの魚かは分からなかった。


「鯛ですか? わざわざいいんですか、弥勒さん?」
「……至高の心の欠片をいただいたんだ。これくらい」
「せやな? この種だけでも相当な吉夢がある。これ一個でうちの店ひと月分の儲けや」
「そ、そんなに!?」


 だから、火坑も懐が潤っているのだろうか。

 とりあえず、美味しいランチをいただいてからレンタル着物屋さんに向かい。

 着替えてから、今度は京都の(にしき)に出向くことになった。
 歩きに歩き回って、足は疲れたが。

 心は、充実していた。

 美兎(みう)火坑(かきょう)と一緒に、夕方あたりに宿屋に戻ってから。備え付けの露天風呂を堪能していた。

 ひとりじゃなくて、今日守護として荷物持ちとしてずっと頑張ってくれてた、座敷童子の真穂(まほ)もだが。


「ふぃ〜、極楽極楽〜!」


 少し年寄り臭いが、実際に真穂は長命なので間違っていないかもしれない。怒られるかもなので、口にはしないが。

 今の姿は、本来の子供のような姿。風呂はあまり広くないので省エネモードらしい。


「今日はありがとう、真穂ちゃん」
「大したことしてないわよ? 美兎が楽しめたんなら、何よりだわ」
「……うん」


 彼氏と旅行だなんて初めてで。

 こんなにも幸せでいいかってくらいに、素敵な日を過ごせて。

 至れり尽くせり、だった。夕食はこれからだが、きっととても豪華なのだろう。

 今日は甘いものを中心に食べ歩いたりしたが、満腹までは食べていないせいか少し空腹気味だった。

 火坑もそれを見越して、エスコートしてくれたのだろう。

 かけると肌がツルツルになるお湯で、今は真穂と一緒に楽しんだ。今日限りだけど、肌がツルツルになるのは嬉しかった。


「……まあ。あいつはほとんどなんもしないと思うけど」
「? うん?」
「何回か間違えられたみたいに、夫婦気分でいたいんじゃない?」
「ふ!?」


 夫婦。

 たしかに、何回か勘違いされてしまったが。

 嬉しくなかったわけじゃない。だが、少し恥ずかしかった。まだまだ美兎は火坑に比べたら子供同然なのに、あの涼しい笑顔を向けられると心が蕩けてしまいそうになる。

 決して、嫌じゃない。

 だが、昼間。一つ目小僧の朔斗(さくと)に告げていたように。まだまだ美兎を人間として扱ってくれている。

 それに、ほんの少し。淋しいと思ったのも嘘じゃない。

 なんて、あさましい思いを抱いているのかとは思うが。顔に出てたのか、真穂に鼻をつままれた。


「みーうー?」
「ふぁい?」
「ひとりで抱え込まないの! そう言うことは火坑や真穂とかにちゃんと言うの!!」
「だって……呆れない?」
「内容によるわね?」
「…………たい」
「ん?」
「…………もっと。火坑……さんに、近づき……たい」


 ぽつり、と口にすれば。真穂は呆れるどころか口笛を吹いた。


「んじゃ、セックスは出来ないんだったら……添い寝とか?」
「そ、添い寝?」
「まだしてないでしょう?」
「……して、ない」


 じゃあ、口にしてみろと言われたが。

 それから、お風呂から上がっても。

 美味しい美味しい京都の豆腐料理を堪能しても。

 食後の日本酒のスパークリングを軽く飲んでも。

 美兎は緊張でガチガチになって、なかなか言えずにいたのだった。


「……美兎さん。どうかしましたか?」


 夜も猫人に戻らず、響也(きょうや)のままでいた火坑はピッチリと綺麗に着た浴衣姿で、優雅に日本酒のグラスを傾けていた。

 それがどうしようもないくらい、綺麗で美兎は見惚れてしまいそうになったが。

 彼の言葉に、すぐに首を横に振った。


「な、ななな、なんでもないです!」
「ふむ。なんでもと言う割には顔が赤いですよ?」
「……呆れ、ませんか?」
「ふふ。美兎さんからのお願いに、呆れはしませんよ?」
「!」


 じゃあ、と二人以外に誰もいないのにひそひそ声で彼の耳元で呟いたら。

 彼は、にっこりと笑って美兎の手を掴んできた。


「そのような可愛いらしいお願い、叶えないわけにはいきません」
「い……いん、ですか?」
「もっと先に進むのは、まだまだですからね? 添い寝であればお任せください」


 そうして、軽いキスを何度かしてから。

 美兎と火坑は、ひとつのベッドで仲良く眠りについたのだった。
 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。












 人間のはじめての友達が、『お土産』を買ってきてくれた。


「……八つ橋のアソート?」
「色々迷ったけど、名古屋じゃほとんど八つ橋ないし。色んな味を楽しめるんじゃないかなって」


 兄弟子の恋人。湖沼(こぬま)美兎(みう)が、兄弟子の火坑(かきょう)と京都に小旅行へ行ってきたそうだ。

 LIMEでその話題はあったが、具体的な話は聞いてはいなかった。もともと積極的に話すタイプではない、雪女の花菜(はなな)は交友関係も恋愛関係も臆病だったから。

 今は、違うが。


「俺にもいいのー?」


 ろくろ首の盧翔(ろしょう)

 今花菜達がいるイタリアンレストランのオーナーシェフであり、花菜の恋人だ。

 彼は、花菜達に手製のカプチーノを淹れてくれたのだった。


「はい。皆さんに買ってきたんで」
「皆って……俺達以外にも、霊夢(れむ)の大将とか色々あっただろ? 気ぃ遣わなくてもいいのに」
「いえ。皆さんにはお世話になっていますから」


 専用の手袋で、カップを凍らせないように気をつけて。熱く甘い液体をちびちびと口に入れる。口の部分は他の妖と同じなので、物語であるように雪の息吹を吐く以外は人間とも変わりない。

 花菜好みの甘いコーヒーの味に、ちらっと盧翔を見れば彼はにっと口端を上げたのだった。


「んじゃ、ありがと。花菜と一緒に食うよ」
「はい。色んな味があるので楽しめると思います」


 そして、美兎が楽養(らくよう)に行ってから。花菜と盧翔は美兎が持ってきてくれた八つ橋を食べることにした。

 個包装されている、一種類一種類は小さいが二人で食べ比べするにはちょうどいい。

 花菜はチョコが気になったが。

 まずは定番の餡子から食べ始めた。


「ん!? 定番!」
「……美味しいですね?」


 ういろうとは違うモチモチの生地に、程よく粒感が残った餡子。

 ひと口で食べるにはちょうどよくて、どんどんと口に入れてしまう。

 これには茶だな、と盧翔が新しく茶を淹れに行ってしまったが。少しして戻ってきた時に持ってきたのは緑茶だった。


「ほい」
「ありがとうございます」


 美兎達より少し後に付き合い出したばかりの二人だが。

 盧翔はともかく、花菜はまだ敬語が取れないでいた。ジャンルは違うが、料理人としては先輩だったのと花菜もなかなか敬語が外せれない性格なのだ。美兎だけが、今のところ友人として特別だから。


「そういやさ、花菜?」
「? はい?」


 盧翔はひょいぱくと八つ橋を食べながら、花菜に問いかけてきた。


「あんま聞いてなかったけど。花菜が霊夢の大将んとこで修行してるきっかけとかってなんなんだ?」
「! 聞きたい……ですか?」
「ちょっとなあ? 種族はあれだけど、あそこいい男揃いじゃん?」
「そ、そう言う理由じゃ!」
「わかってるって。お前は俺一筋だろ?」


 と言いながら、すぐ隣に居たので軽くキスされてしまった。

 嫌ではないのだが、不意打ちは心臓に悪い。とてもドキドキしてしまうから。

 唇の柔らかさの余韻に浸りながら、花菜は数十年前のことを振り返ることにした。
 妖にも学校と言うのがある。

 と言っても、ずっとずっと昔は寺子屋の延長のようでしかなかったが。ごく最近は人間達を真似て、義務教育や専門学校のような学び舎が出来るようになってきた。

 花菜(はなな)もそこに飛び込んだ一員であった。

 義務教育はそつなくこなして、ただ進学なのか就職組にしようかが迷っていて。

 だけど、簡単に決めていいことではないと思ったから。その頃は、学校が終われば界隈の街に出歩いていた。

 手に職を持ちたいとは思っていたが、人間に混じるだなんてビビりの花菜には到底無理で。だけど、界隈ならとてくてく歩いていた。

 どんな根拠だと思われるかもしれないが、とにかくあちこち覗いてみた。飲食店、ブティック、雑貨などなど。

 色々見て回ったが、これといった店や職種を見てもピンと来なかった。


「……はぁ。どうしよう」


 学校から、ギリギリまで進路調査は待ってあげるからと言われているが。ずるずると大学に行く気もない。

 もともと、職人気質が多い花菜の一族だから、手に職を持ちたいのは至極同然だった。とは言え、実家は兄達が継ぐので家督については問題ない。

 ので、末っ子の花菜は就職でも進学でも、はたまた結婚でもなんでもいいのだ。だが、最後は恋愛に人一倍臆病な花菜には到底無理だった。


「……なんか、仕事をしたいのはわかってるんだけど」


 昭和に入って十数年の界隈は、人間界の方だと戦争が終わったどうたらこうたらと生き難いそうなので。いつも、騒がしくていた。

 賑やかが嫌いではないが、どちらかと言えば落ち着いている方が好きだ。

 界隈でそんなお店があるかわからないのに、とぼーっとしながら歩いていたら。誰かと肩がぶつかってしまった。


「! ご、ごめんなさ!?」
「いえいえ。こちらこそ」


 ぶつかってしまった相手は、顔は白猫。

 体は見える手足が猫の体毛と同じでも、指先は人間と同じ。

 ぶつかったのは花菜なのに、本当に気にしていないのかにこにこと微笑んでくれたのだった。

 もう一度謝ると、花菜の方から腹の虫が鳴く音が聞こえてしまった。


「!? すみませ……!?」
「おや、お嬢さん。お腹が空いているんですか?」
「……はい」


 今日は学校が休みだったので、進路を決めるべく朝からずっと街を歩いていた。名古屋の中心地からどれだけ歩いたかはわからないが、ずっと何も食べていなかった。

 正直に話すと、猫人はぽんと手を叩いた。


「僕が勤めているお店に来ませんか?」
「! お店……ですか?」
「ええ。お昼時はあまり混み合いませんので、お嬢さんもゆっくり出来ると思います」


 さあ、と言うので。

 普段ならビビりで断る花菜なのに、彼の言うことにはすぐに頷けた。よっぽど、お腹が空いていたからかもしれないが。

 彼に付いて行きながら、(にしき)の裏路地を歩いていると。

 ぼんぼりが可愛らしい、小さな看板がある店に案内された。

 店の名前なのか、『楽養(らくよう)』と書かれていた。


「ここ、ですか……?」
「ええ。若いお嬢さんには古めかしい店かもしれないですが、味は保証しますよ? 僕は、火坑(かきょう)と言います」
「あ、雪女の、花菜です……!」
「可愛いらしいお名前ですね? さあ、どうぞ」


 他の店員も彼のような優しい猫人かと思って、期待して暖簾をくぐったが。

 くぐった先には、黒豹と大きな狼の店員がいたので、思わず失神しかけたのだった。
 びっくりして、びっくりし過ぎて。

 火坑(かきょう)に支えてもらわなければ、絶対失神していただろう。

 あわあわしていたら、黒豹の店員がからからと笑い出した。


「おい、火坑。随分と可愛らしい嬢ちゃん連れてきたじゃねぇか? お前のこれか?」
「師匠……お嬢さんに失礼ですよ? 通りで少しぶつかったんです。で、お腹が空いていらっしゃったので」
「連れてきたってわけか?」
「……雪女、か?」


 狼のような見た目の妖に、正体を見抜かれた。雪女の格好や本性を見せていないのに。まだまだ妖としては子供の花菜(はなな)には、相手の正体を察知する能力はほとんどないのだ。


「あ……は、はい。雪女……の花菜、です」
「驚いただろう? 俺は、霊夢(れむ)っつーんだ」
「俺は蘭霊(らんりょう)だ」


 人間じゃないから、風貌の恐ろしい妖は多いのは当然だが。

 よくよく見ると、動物の顔立ち以外は整っているように見えた。同級生の女子達が知ったらはしゃぐくらい。

 とりあえず、カウンターに座るように言われたので、ゆっくりと腰かけた。そして、鞄から薄い布で出来た手袋を出してはめたのだ。


「お? 凍結防止の手袋か?」


 霊夢は知っていたようで、お茶を出してくれる時にしきりに頷いていた。

 雪系の妖は、肌で直接触れた相手や物体に直接氷の妖力を伝わせてしまうのだ。年月が経てばコントロールは可能だが、まだまだ子供の花菜には到底無理だ。

 だから、妖力遮断の手袋をはめれば普通に飲食が出来るのである。

 冬も始まったばかりだが、雪女でも温かいお茶はありがたかった。


「腹減ってんだろ? うちは和食がほとんどだが、お嬢ちゃんくらいなら人間が好む『洋食』の方が好きか?」
「え、えっと……お品書き、は?」
「基本的に、ないな? 好き嫌い聞いてから、俺達のおまかせで作るのが多い」
「じゃ、じゃあ…………青えんどう……がなければ、大丈夫です」
「んじゃ、豆ご飯はダメだな? 蘭、卵系頼んだ。火坑は夕方の仕込みの続き」
「おう」
「はい」


 花菜が青えんどう、後のグリンピースと呼ばれている大豆に似た豆が嫌いなのは。薄皮の部分と中身のぱさぱさ感が口の中で不快に思うからだ。大豆は平気なのだが、青臭さが目立つグリンピースはどうしてもダメで。

 まず、霊夢が出してくれたのは芋の煮っ転がしのような小さな器だった。


「ほら、まずは里芋の煮っ転がしだ」
「……いただき、ます」


 箸で落とさないように持ってから、ひと口。

 冷めてはいるが、ほっくり感に甘辛い味が花菜の好みだった。お腹が空いていたので、思わずぱくぱくと食べてしまうくらいに。


「おいおい。そんな腹減ってたのか?」
「おいひい……美味しい、です!」
「はっは。焦りなさんな? まだまだ料理はあるぜ?」


 と、次々に出てきたのは。野菜の天ぷらにだし巻き卵。青菜の胡麻和えに寒天菓子。

 どれもこれもが華美ではないが、しっかりとした味付けで花菜の胃袋を満足させてくれた。

 そして最後に。ほうじ茶でひと息をついている頃には、花菜はもう決めていた。


「あの……霊夢さん」
「ん?」


 断られるかもしれない。けど、花菜の決意は揺らがない。


「どうしたら、私も……このお店で働けますか!?」
「は?」
「へ?」
「おや」


 花菜の決意に最初は全員驚かせてしまったが。

 少し間を置いて、霊夢は口端を上げながら笑い出した。


「そうだな? 半分はここで皿洗い、あとはせっかくこの時世だ。そう言う料理の学舎にも行ってみろ」


 と言われたので、花菜は彼の言う通りに実行して。数十年後の今も楽養(らくよう)に勤めているわけである。

 と言うのが、花菜(はなな)楽養(らくよう)で働くきっかけだったのである。


「ふーん、じゃあさ?」


 ろくろ首の盧翔(ろしょう)は、花菜の長い髪をくるくる遊ぶと自分の口元に寄せた。それが絵になっているようで、花菜の鼓動が早くなっていく。


「先に俺とお前が会ってたら、俺んとこに来るかもしれなかったよな?」
「ど、どうでしょう??」


 花菜は霊夢(れむ)達が手がけた料理を自分で作りたいと思っただけで、盧翔のようなイタリアンが作れるようになるかどうかはわからない。

 それに、盧翔に恋をしたのは妖の年月からだとごく最近なので。その頃に出会ったとしても弟子入り志願をするかどうかは、流石にわからなかった。

 正直に話すと、盧翔はがっくしとテーブルに突っ伏した。


「まあ、そうだよな……そうだよな!? 俺そん頃日本にいなかったし!!」


 ないものねだりをしても仕方ないと、盧翔は顔を上げて苦笑いしたのだった。

 とりあえず、美兎(みう)が持ってきてくれた残りの八つ橋を食べながら。

 二人はお互いのことを話し合い、時々じゃれながら過ごしていたら。花菜の勤務時間になったので、花菜は急いで楽養に飛んで行った。


「お、おはようございます!!」


 裏口から入れば、ちょうど蘭霊(らんりょう)が何か仕込みをしているところだった。


「おう、おはよう。さっき美兎の嬢ちゃんが来たぜ?」
「あ……盧翔さんのお店でお土産いただきました」
「そうか。(ぼん)がいっちょ前に京都旅行……しかも、菅公(かんこう)に施しを受けたら。いつ結婚してもおかしくねぇなあ?」
「ま、そこはわからんだろ?」


 霊夢もこっちに来たので、花菜は挨拶した。


「まあ、まだあの嬢ちゃんは人間の時間を過ごしたいだろ? 坊の方が、良縁を結ぶ店とか言われてっし。なんかパワースポットみたいになってんな?」
「はっは! いいことじゃねぇか? 実際、人間と妖との良縁を結びまくっているしな?」


 それよりかは、花菜と盧翔だと蘭霊に言われると。花菜は顔に熱が集まっていくのを感じた。


「わ、私、ですか!?」
「付き合いはまだ短いとは言え、想い想い合っていたんだろ? だったら、いっそ早いうちに結婚しちまえよ」
「蘭、早過ぎだろ?」
「そうか?」


 盧翔と結婚。

 まだまだ当分先だと思っていたので。

 今度こそ、花菜の頭では処理出来ず気を失ってしまったのだった。

 気がついた頃には、休憩室で寝かされていたので。またやってしまったと反省してから。

 急いで着替えて、今日も下っ端としてたくさん働きに行くことにした。


「いらっしゃいませ!」


 今日も楽養での一日が始まった。
 美兎(みう)は今、楽庵(らくあん)に居た。


「へー? 花菜(はなな)ちゃんが楽養(らくよう)で働くきっかけが」


 今日も今日とて、恋人の営む小料理屋に足を運んでいたのだ。お土産を配り終えてから、座敷童子の真穂(まほ)とゆったりと酒や料理を楽しむ。

 その時に、火坑(かきょう)が雪女の花菜が楽養で働くきっかけの日を話してくれたのだ。


「ええ。大人しそうなお嬢さんが、勇気を出して師匠にお願いされてましたからね?」
「あいつ、土壇場の行動力は高いもんね?」


 盧翔(ろしょう)の事もだけど。

 と、真穂がぼやくのに美兎達は苦笑いするしか出来なかった。


「まあまあ。今はちゃんと付き合えるようになったんだから、いいんじゃない?」
「みーう? 脅されかけたのに、よくそんな暢気に言えるわね?」
「うーん? とりあえず、勘違いだってすぐにわかったし?」
「懐広いわね?」
「そうかな?」
「ええ。美兎さんはお優しいですから」


 そう言われてしまうと、くすぐったい気持ちにもなるが嬉しくなってしまう。

 四月になり、少し温かくなってきたので、美兎は梅酒のロックをちびりちびりと飲んでいた。


「で? 道真(みちざね)に縁結びの儀式してもらったんだから? 何年先に結婚すんの?」
「ぶ!?」
「ふふ、どうでしょうね?」


 妖と本当の意味で結ばれれば、人間の美兎は寿命や外見が歳を取らなくなる。

 真穂も、海峰斗(みほと)といつかは結婚すると約束しているのに、そこはどうするのだろうか。

 少し梅酒をむせてしまったが、美兎はそんなことを考えていた。


「真穂は真穂で、みほとの事はちゃんと考えてるって言ったでしょ?」


 美兎の表情で読んだのか、得意げに言うのだったが。


「ふふ。さて、次のお料理はどうしましょうか?」


 話に夢中になっていたので、真穂もだが美兎もあまり料理は口にしていない。

 何にしよう、スッポンにしようか。他にしようか。

 真穂と話し合いながら、いつものように心の欠片を火坑に差し出して。

 京都でも食べた、アボカドの器で出来たグラタンを食べることになったのだ。


「アボカドでグラタンねぇ?」
「美味しかったよ?」
「美兎は火坑の作るもんならなんでも美味しいって言うでしょ?」
「う」
「ふふ。少し趣向を変えますので、お待ちください」


 そして、少し待っている間に出来たアボカドのグラタンは。

 朔斗(さくと)が作ってくれたのは、ホワイトソースでのグラタンだったが。

 火坑が作ってくれたのは、全体的に薄茶色の仕上がりになっていた。


「何入れたの?」
「お味噌です」
「味噌、ですか?」
「合わせ味噌に、少々マヨネーズを加えたものです。甘辛くて美味しいですよ? 実は先日試作してみたんです」


 火坑がそう言うのなら、絶対美味しいに決まってる。

 美兎は手を合わせてから、添えられた漆塗りのスプーンを手に取り。

 パン粉も少しかかっているのか、サクッとした感触が伝わってきて期待が高まっていく。少し湯気が出たので、軽く息を吹きかけたら。

 味噌とマヨネーズがアボカドに調和していて、蕩けた食感が堪らなかった。


「おい」
「し!」


 大振りのアボカドを取り出したので、半分でもとても食べ応えがあった。

 夢中で、グラタンと梅酒を交互に口にすれば。幸せの循環が訪れたのだった。


「ふふ。お粗末さまです」


 そんな美兎達を、相変わらず火坑は涼しい笑顔で見守ってくれていた。

名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

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