「……あなた、が座敷童子?」
美兎は楽庵に来るようになってまだ数ヶ月程度だが。子供は晴れ男らしい灯矢しか見たことがない。
しかし、この少女の見た目をしている妖は、実は子供ではないかもしれない。今も店主の火坑に出された、先付けの梅ときゅうりのたたき和えを食べながら、すぐに温燗を頼んだのだから。
「……うん。真穂は座敷童子。家を行き来する妖なの。お姉ちゃん、ヒトなのに珍しいね? 真穂の幸運いらないだなんて」
そして、飲みっぷりがまだ日本酒に慣れていない美兎よりも板についている。これのどこが子供に見えるのだろうか。
「ふふ。やはり、真穂さんでしたか? ヒトがお好きなあなたでしたら、湖沼さんにご興味を抱きますからね?」
「……お腹空いてたのはたまたまだったけど。真穂に美味しいお菓子くれたんだもん。御返ししただけ」
「お、おかえし?」
「あのお菓子は、心の欠片に匹敵するくらいのものだったの。だから、もらい過ぎはいけないから。真穂の幸運をあげたの」
以前に、夢喰いの宝来にも言われたことがある。
お礼のお礼と言えど、もらい過ぎも与え過ぎもいけない。平等に、均等に、わけて与えなくてはいけない。
特に、ヒトと違い妖はそこに機敏でいるらしい。だから、火坑にも心の欠片以外の代金を求められていないのだが。
「……そんなにも、美味しかった?」
美兎がゆっくりと質問すれば、温燗を煽った真穂と言う座敷童子は子供らしい笑顔になったのだった。
「すっごく、すっごく美味しかったよ!? たしか洋菓子のマドレーヌだったっけ? けど、表面にザラメがかかってて、甘くてすっごく美味しかった!」
「そ、そう? 丸善の洋菓子屋さんで火坑さん達へのお土産に買ったあまりだったけど」
「あ、丸善? 今は色々あるもんねー? 真穂もビル内に住んでた時は、視えるヒト達にお願いして色々食べさせてもらったなぁー?」
「え、ビルとかにも住むの?」
「うん。今はおっきなデパートとかになってるの。一回は、真穂や他の座敷童子が住んでたよ?」
じゃあ、まさか美兎の会社にも来てるんじゃ、と思わずにいられない。
そんなことを考えていたら、また真穂が小さく笑い出した。
「吉夢の吉夢を生み出すお姉ちゃん? 真穂の幸運をいらないだなんて、普通のヒトだとあり得ないわ。幸運だと、大抵の人間は喜ぶのに」
「い、いや……いらないと言うか、仕事がなくなるのは嫌だなあって?」
正直に話すと、真穂はまたひと口温燗を飲んでから、首を傾げた。
「ヒトって、お仕事嫌じゃないの?」
「嫌……と言うか。あり過ぎるのが嫌なだけで、仕事自体は嫌いじゃないよ?」
「ふふ。ここに来たばかりの湖沼さんは、色々悩まれていらっしゃいましたが」
「も、もう、火坑さん!?」
「すみません。……はい、本日のオススメ鱧の刺身です」
「はも?」
「あら、落としじゃなくて刺身?」
「先付けに梅を使ったので」
それと、旬の盛りを過ぎた終い鱧と言うらしい。今日は柳葉市場で安く売っていたので仕入れたのだそうだ。
ひと口ポン酢醤油で食べると、少しコリコリした食感が楽しい味わいだった。
「美味しいです! 鱧ってあんまり馴染みがないイメージだったので」
「うなぎなどの仲間ですしね? 骨切りをしっかりすれば、色々お料理出来ますよ?」
「あ、ねーねー大将さん。お姉ちゃんにもっと美味しい食べ方教えようよ?」
「もっと……? ああ、南蛮漬けですね?」
「え! これ南蛮漬けにも出来ちゃうんですか?!」
「はい。では先に、お二人から心の欠片を頂戴しますね?」
「うん!」
「あ、はい!」
人間だけから心の欠片を取り出せると思っていたが、そうではないらしく。真穂からは玉ねぎ、美兎からは唐辛子を取り出した火坑は張り切って作業着の袖をまくった。
その何気ない仕草だけでも、美兎の心をときめかせて忙しなかった。
身と骨に粉をまぶして、骨を先にあとで身をよく揚げて。
身は軽く火を通す程度で上げて、骨はしっかりとキツネ色に。油切りをしたら、千切りした野菜と一緒につけ汁の中に入れて仕上げに唐辛子の輪切りを。
そして、冷蔵庫で休ませている間に、美兎の好物であるスッポンのスープを出してくれた。
が、真穂には胆汁の水割りを出していたのだった。
「そ、それ猛烈に苦いんじゃ!?」
「慣れれば美味しいよー? お姉ちゃんには生き血のポートワインがいいんじゃなーい?」
「い、いや、あれは」
味はいいが、生き血を飲むのにはまだまだ抵抗があるので無理だった。真穂に正直に話すと彼女は子供の外見に似合わない妖艶な笑みを見せてきた。
「うぶなように見えて強か。真穂が認めるヒトの子として、相応しいわ。お姉ちゃんは……美兎は、これからもっともっと上に行くわ。望むなら、ヒトの役職なんかも」
「え、え、え? い、いいよ」
「……いらないの?」
真穂の表情が、今度は子供らしくきょとんとしてしまったので、美兎はうんと頷いた。
「私。まだまだ新入社員だけど、ずっと現場で働きたいの。いろんな人達にいろんな広告を届けたい……。だから、真穂ちゃんの幸運も嬉しくないわけじゃないけど。自分で掴み取りたいの」
正直に言うと、真穂は目をまん丸としたがすぐに胆汁の水割りを煽って、ふふふと笑い出した。
「欲のあるようでない、稀なるヒトの子よ。ならば我の望みを聞いてくだしゃんせ?」
「……望み?」
なんだろう、と首を傾げたら、何故か火坑がいつもの梅酒のロックを美兎と真穂に差し出してきた。
「今宵、我の友として飲むこと」
「……それなら」
妖は恩人がほとんどだったので、友人と言う括りはいなかったが。
断る理由もないので、美兎は真帆と一緒に飲むことになったのだった。明日は休日だし、無理のない範囲で火坑の料理もつまみつつ。
今宵も楽しいひと時を。
それから真穂と飲みに飲み明け暮れてしまい、何時に帰ったか記憶になく。気がついたら、自宅に戻ってベッドに寝ていたのだが違和感を感じたのだ。
「……あ、あれ?」
頭痛に吐き気はないのだが、腹の辺りに違和感を感じたのだ。起き上がって見てみると、幼稚園児くらいの少女が気持ち良さそうに眠っていた。
親戚の子でもなんでもない、座敷童子の真穂。
どう言うわけか、美兎の自宅についてきてしまったらしい。いや、見た目はともかく、中身は超長寿の妖であるから、彼女に送ってもらったかもしれない。
「あ、あの……真穂、ちゃん?」
ゆさゆさと、肩辺りを揺さぶると真穂の顔が多少歪んだが、すぐに目を擦って起きてくれた。
「あ、美兎。おはよう」
「お、はよう……。ねぇ、真穂ちゃんが連れて来てくれたの?」
「んー? ここ、火坑の家だよ?」
「え、え?」
想い妖の自宅。
嘘だと見渡しても、たしかに美兎の自宅ではなく、家具の位置やら諸々違っていた。
美兎の服は昨夜のブラウスやスカートのままだったが、少々シワになってしまっている。おそらく、酔い潰れてわざわざ自分の自宅まで運んでくれたのだろう。
ものすごく申し訳なさを感じたが、同時にプライベート空間に連れて来てもらえた嬉しさも芽生えてきた。
「頭痛くない? 吐き気は?」
「な、ないよ?」
「ごめんね? 真穂、嬉しくて美兎にたくさん飲ませちゃって」
「う、ううん。私……どれくらい飲んでた?」
「えーと。梅酒ロック三杯に麦焼酎のボトルを真穂と一本空けていろんな飲み方してたね? あと熱燗二本?」
「うっわ……寝落ちただけで済んでよかったぁ」
最初に火坑と出会った頃のような悪酔いはしてなかったが、結局は火坑へ迷惑をかけたことに変わりない。すると、暖簾のような簾を軽く叩く音が聞こえてきた。
「真穂さん、湖沼さん。起きましたか?」
「うん」
「あ、はい!」
「おはようございます。ちょうどよかったですね? 朝ごはん出来ましたよ?」
「わーい!」
「え!?」
わざわざ朝ごはんまで用意してくれた。
その事実にまた嬉しさと申し訳なさを感じたが、体は正直ですぐに空腹をアピールすべく音を響かせた。そのことに大変な羞恥心を抱いたが、真穂も火坑も気にせずに微笑んでくれるだけだった。
それがまた居た堪れなさを感じるが、ここは火坑の厚意に甘えておこう。
一人暮らしらしいのに、きちんとリビングがある彼の自宅は思いの外広々としていた。
そして、テーブルに乗っていた料理の数々は、朝ご飯にしては贅沢な品ばかり。米、卵焼きに焼きサバ、味噌汁に小松菜らしき青菜のお浸し。
あまりの香りの洪水に、美兎の胃袋はさらに空腹を訴えかけてきた。
「お代とかは気にせずに。どうぞ、召し上がってください」
「あ、ありがとう……ございます」
「いっただき、まーす!」
真穂は遠慮せずに食べ始めてしまっている。しかし、その様子だけを見ると外見相応の子供らしさしか見えない。
昨夜の、時々見せたあの妖艶な雰囲気の欠片もない。
あれは、いったいなんだったのだろうか。とは言え、ここは火坑の厚意に甘えて、ご飯をいただくしかない。真穂の隣に腰掛けてから、美兎も手を合わせた。
「……あ。しじみの味噌汁」
「ふふ。二日酔いでなくてよかったです。ですが、朝に貝の味噌汁はほっと出来ますしね?」
「は、はい!」
それと、よくよく見たら火坑の服装も違っていた。人間と同じような夏の服装。ただのTシャツにズボンスタイルだが、猫顔なのに様になっていた。
また違う一面を見れて、美兎の心は高鳴りを抑えきれなくなるが、食事を味わうことでなんとか誤魔化した。
焼きサバの焼き加減に塩加減、卵焼きの味は店でいただいたのと同じ味。しじみの味噌汁は体に染み渡っていくようでおかわりしたいくらいだった。
「ねーねー、美兎。昨夜のこと覚えてる?」
「ゆ、昨夜のこと?」
突然の真穂の質問に、飲んだことかと聞くとそうじゃないと首を横に振られた。
「美兎の守護になるから、時々美兎のご飯食べたいって」
「え……えぇ!?」
最近会えていない、美作辰也が契約しているかまいたち三兄弟のように、美兎と真穂が契約するということは。真穂と一緒に暮らすことにならないにしても、多大な迷惑をかけることになるだろう。
昨夜飲みに飲みまくって承諾したにしても、これはいけないと真帆に向かって手を合わせた。
「ご、ごめん。真穂ちゃん! 昨夜飲んでた記憶以外ほとんど覚えてないの! も、もう契約しちゃった?」
「してないけど。美兎、やっぱり相当酔ってたんだね? けど、この界隈に来るのに美兎みたいに夢喰いとかに好まれる霊力の持ち主だと……真穂みたいな妖と契約した方がいいよ?」
「へ?」
「喰べられないにしても。霊力を好む妖は多いもん。真穂となら、美兎を守ってあげられる」
「た、食べ……?」
いったいなんのことだ、と首を傾げたら火坑が説明しましょう、と挙手してくれた。
「単身で妖界隈に来られる人間の方々の場合、霊力の質が色々ありますので。特に湖沼さんの場合は夢喰いだけでなく、座敷童子の他にも何件か該当するんですよ。妖はヒトの霊力を糧にする場合もありますからね? だから、昨夜真穂さんがご提案されたのに、湖沼さんは許諾なされてたんですが」
「ほ、ほんとですか!?」
「うん。だから、真穂はいいよーって言ったの」
今までは、宝来が吉夢を与えたことで、所謂マーキングをされたせいで他の妖は寄り付きもしなかったが。それも、限界が来ていた。
真穂と出会ったことで、霊力とマーキングに上書きをされて、多少なりとも喰われていたのだ。だから、このままだと他の大妖怪と呼ばれる高位の妖に目をつけられる可能性があるので、真穂は昨夜提案してくれたらしい。
しかし、肝心の美兎には記憶がなかったのだった。
「こ、これからも火坑さんのお店に行く時……真穂ちゃんと契約しておいた方がいいんですか?」
「そうですね。お客様に危険な目に遭っていただくのは忍びないですし。何より、大妖怪の一端である真穂さんご自身が望まれているのであれば、湖沼さんのメリットは大きいですよ?」
「お仕事の邪魔とかしないよ? 幸運も適度に抑えるし、美兎の霊力をもらう代わりに真穂は美兎が死ぬ時まで護ってあげるから」
「い、いいの?」
「うん! 対価も、時々美兎の作るご飯食べさせて?」
「それだけで?」
「充分だよ?」
と言うわけで、結局は真穂と契約を結ぶことになったわけである。
朝ご飯をしっかり堪能してから、契約を結ぶべく火坑と一緒に居間を片付けて広いスペースを作る。
そして、座敷童子の真穂はどこからか取り出した大きな白い布を床に敷いていく。よく見ると、布には達筆で何か描かれているが、逆に達筆過ぎて美兎にはなにも読めなかった。
「? 真穂ちゃん、なーにそれ?」
美兎が聞くと、真穂はにっこりと微笑んでくれた。
「契約だもの。揺るぎがないように、しっかり結びたいからね? ちょっとした準備だよ。美兎、真ん中の円の中に座ってくれる?」
「う、うん」
妖だから、形式を大事にするのかもしれない。憶測ではあるが、少なからず火坑を含める妖と関わってきたことで、美兎も無関係ではないのだ。
最初の時とは違い、単純に好きになった相手との交流を深めるのにこの錦町の界隈に通っていたが。美兎に危険が及ばないように、真穂が手助けをしてくれるのはむしろ有難すぎる。
その報酬が、霊力以外にも少々美兎の手料理だけでいいだなんて破格の扱いだ。
円の内側に腰掛けてから、同じく向かいに座った真穂に両手を取られた。
「我が守護。我が誓い。我が願い」
真穂の手から、腕、肩、頭などの順に光が灯り。美兎にもその光が伝わってくる。
「今ここに開眼せん!!」
力強い言葉とともに、光が目を開けられないくらい強く輝き出し、美兎は思わず目をつむった。
そして、小さな手に軽くとんとんと肩を叩かれるまで目を閉じていたら、目を開けても真穂は真穂のままだった。
「……あれ? 特に変わったりしないんだね?」
「繋がりとかの縁だけだもの。見た目はそう変わらないわ?」
「そうなんだ?」
「美作さん以外に、湖沼さんも契約おめでとうございます。これで、僕や他の店に行く時も安心して妖界隈に出かけられますよ?」
「は、はい!」
一番の理由が、火坑の店に通えなくなるのが嫌だからとは、口に出来ない。
妖、つまりは人間ではない生き物。種族と寿命の違いが大きすぎて、想いを告げられるわけがない。
それを胸に秘めて、とりあえず家に一度真穂を招くべく、これから帰宅することになったが。契約で思いの外霊力を消費しているらしいので、専用のお茶をいただいた。味は普通に美味しいアイスティーだったが。
「さて。昼間の妖界隈を軽く出歩きませんか? 真穂さんの案内だけですと、お酒ばかりに行きそうですし」
「むー、正解だからとやかく言えないー」
「お昼の、妖のお店ですか?」
「なんてことはないですよ? 僕のように心の欠片を代金に営む店もあれば普通の貨幣を扱う店もあります」
「い、行きたいです!」
真穂はいるが、好きな相手と出歩くことが出来る。
それを知ってか知らないか、火坑は絶妙なタイミングで手を差し伸べてくれるのだ。軽く身支度を整えてから、真穂を間に彼女の手をそれぞれ握っていると、なんだか親子のように見られるかもしれない。
「昼間の錦って、お店がほとんど閉まってるイメージですけど」
「人間界の方ではそうでしょうね? ただ、我ら妖の本分は夜半であれ、基本的に昼夜関係ありませんよ? 色々な店が賑わっています」
ほら、と火坑が指した場所には。朝早いのにクレープ屋がのぼりを上げていた。
店主は、ポメラニアン犬の顔をした人のような妖だったが、美兎を見てもすぐににこやかに微笑んでくれた。
「おや、お早いお越しで。座敷童子がいなきゃ恋人に見えてましたねぇ?」
「こ、こい!?」
「からかうのもよしてください、珠央さん。こちら、真穂さんと契約なさった湖沼美兎さんです」
「あら、座敷童子の真穂と? これはこれは、サービスしなくちゃねぇ?」
「え、え?」
「うちの代金は現金だけど、トッピングはサービスしますよ? 遠慮なく言ってくださいね?」
「真穂、苺チョコスペシャルの苺ましまし!」
「あいよ!」
「せっかくなので、お代は僕が持ちますよ? 湖沼さんも遠慮せず……」
「い、いいんですか?」
「お祝いですしね? ささ」
「じゃ、じゃあ」
食事のクレープを避けて、抹茶レアチーズケーキの抹茶クリーム増しで。珠央と言う犬人は快く引き受けてくれて、期待以上のボリュームがあるクレープを作ってくれた。ちなみに、火坑は抹茶と小豆クリームだった。どうやら、個人で食べる分には甘過ぎないのが好きなのは本当らしい。
「おいひー!」
「すっごい! 生地が軽いのにもちもちしてて」
クレープ発祥とも言われる原宿にも一度だけ行ったことはあるが、ここまでもちもちしていなかった。抹茶クリームもレアチーズケーキとよく合う苦味でいくらでも食べれそうだった。
真穂もだが、美兎もあれだけ朝食を平らげたのにものの数分でクレープを食べ終えてしまった。
「ごちそうさまー!」
「火坑さん、ごちそうさまでした」
「いえいえ。たまには、なので」
それから、真穂の茶碗と箸が欲しいと彼女に請われたので妖デパートというのに赴いて色々驚きなどの刺激を得たが。無事に美兎の自宅に向かうときには、妖界隈の端で見送ってくれた。
そのエスコートのスマートさに、美兎はますます想いを募らせてしまう。
「みーう?」
自宅に案内して、お茶を淹れるのに真穂に待っててもらっていたら、何故か声をかけられた。
「ん、なーに?」
「お茶、注ぎすぎ」
「え? え、え、あ!」
冷たい麦茶がコップから溢れて大洪水になってしまっていた。
慌てて古いバスタオルで拭くと、真穂にはため息を吐かれた。
「美兎、分かり易すぎ。火坑が好きなんでしょ?」
「え、え、え!?」
「クレープ屋よりも前。火坑の店とか家でもずーっとあの人ばっか見てたもん。真穂でもわかるよ?」
「え、え……ごめん」
「なんで謝るの? いいことじゃん?」
「けど……私人間だよ?」
「半分の妖……半妖は結構いるよ? その子孫とかが、美兎みたいな美味しい霊力の持ち主とか言われているくらいだし?」
「い、い……の?」
火坑にとっては迷惑かもしれないが、想いを告げるのが妖相手でも悪くないだなんて。
だけど、小心者の美兎にはすぐにだなんて無理無理と思いながら。とりあえず、誕生日は妖にも存在するらしいので、次回の来店の際に聞いてみようかと思ったが。
なんと、真穂が知っていたのだ。
「火坑は十二月十二日に妖になったんだよ?」
「疑問形?」
「閻魔大王様の補佐官から、現世に降りた特例だしね? 料理人は本人の希望だけど、なんだかんだ、時々閻魔大王様も来るらしいよ?」
「え、閻魔……様」
あの涼しげな笑顔が似合う猫人は、そう言えば地獄の役人をやっていたのだなと改めて実感したのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
夏も過ぎ。
名古屋の大手広告代理店の新人デザイナーである湖沼美兎にはちょっとした、他人には言いにくい秘密を抱えている。
ひとつは、錦の裏の裏とも言われる妖界隈の小料理屋、『楽庵』に通っていること。
ひとつは、そこの店主の猫の妖である火坑に恋心を抱いていること。
ひとつは、妖界隈の護衛ともなる存在として、最強の妖の一人である座敷童子の真穂と契約を結んだこと。
契約したことで、真穂の能力が安定したのか。彼女と遭遇して気に入られた以降よりは、落ち着いて仕事が出来るようになって来ている。仕事量も少しずつ増えて、出来ることが増えたお陰だが。
ここ最近は、少し仕事も立て込んでいたので。そろそろ錦に赴いて火坑の店にも行きたかった。
「う〜〜ん」
今晩は久しぶりに楽庵に行くので、気合を入れて差し入れを選んでいるのだが。好きな相手とは言え、あの優しげな微笑みが眩しい猫人の好みを、美兎はそう多く知らない。
知人から友人の関係にまでステップアップしたわけでもなく、むしろ知人は知人のままだ。真穂が妖と人間が結婚することはよくあるから構わないと言っても、先に進めやしない。
けれど、現状維持も大事であることに変わりないので、こうして差し入れをすることでしか恩を返せていないが。
「どれにしようかな……」
悩んでいるのは、今日は和菓子。
洋菓子だとマドレーヌやフィナンシェの焼き菓子が好きとは聞いているが、毎回同じでも代わり映えがないし飽きるだろう。
だから、今日は抹茶や小豆関連のものにしようとディスプレイを眺めていたのだが、秋といえば和菓子のシーズンでもあるので種類は豊富だ。
美兎ももれなく、和菓子は大好きなのだがこれだけあると悩んでしまうものだ。
「なーに、悩んでんのー?」
「わ、真穂ちゃん!?」
人前に妖が出てきてよくないわけではないらしいが、むしろ神様のような存在でもある座敷童子の真穂は、たまに人間にちょっかいをかけるらしく、ヒトの目に映るようにしているらしい。
今も、美兎の目には大学生のような出立でいるから、抱きつかれても周囲はニコニコ笑うだけだった。
妖力、のせいか。美兎が時々与えているらしい霊力のお陰か。人間界に居ても真穂が活動しやすい形態を取ることが出来るらしい。
「火坑に持ってく差し入れ?」
「そ……うなんだけど。今日は和菓子にしようかなって」
「じゃ、抹茶の葛切りにしたら? 火坑は甘過ぎるのあんまり好きじゃないらしいけど、葛切りの黒蜜がけは好きらしいよ?」
「へー?」
たしかに、砂糖でも使う材料が違うから、それで好みが別れるかもしれない。また新たな情報をひとつ知れて、美兎は食後のデザートも兼ねて少し多めに買い揃えた。
行きは、真穂と並んで歩くことにして、二人で楽庵を目指したのだが。
「……あれ。湖沼さん?」
界隈に入ろうとしたら、後ろから聞き覚えのある男性の声がした。
「あ、美作さん!」
「だーれ?」
「前に話した、かまいたちさんと契約された男の人だよ?」
「……ああ!」
真穂とは初対面だったので、界隈に入ってから彼女はいつも通りの幼稚園児の姿に縮んだ。
「え、え? 子供……?」
「真穂は座敷童子。美兎と契約を結んだ、守護の妖よ?」
「あ、そうなんだ。俺は、美作辰也と言います」
「あ、真穂の姐御!」
「お久しぶり!」
「ですう!」
「やほ〜」
かまいたち三兄弟もすぐに姿を見せたので、辰也と少しほっと出来た。
「それにしても。湖沼さんも、妖と契約したんだね?」
「真穂ちゃんと出会ったことで色々とわかって。ご好意で守護についてもらいました」
「うんうん。俺も、水緒さんとかに今も勉強してもらってる側だし」
「そうなんですか」
美兎が敬語なのは、まだ新人だから。会社が違えど、先輩に変わりない辰也には自然と敬語になり、逆に辰也はタメ語になっているわけだ。
とにかく、大所帯になったわけだが行先は変わりないので全員で楽庵に向かったのだが。
「……あ、れ?」
「貸し切り、って珍しい」
そう、楽庵の暖簾の前には珍しく。
『貸し切りのため、来訪はご遠慮ください』と言う添え書きがあったのだった。
「えー、貸し切り?」
「楽庵は人気ですからねぃ?」
「たまには」
「こう言う日もありやしょう」
「……どうしよう、差し入れのお菓子」
「俺も、久しぶりだから多めに買っちゃったよ」
困った事態になってしまったのであった。
「……けど。これ、妖気というか神気のに近い」
真穂が暖簾の前に立つと、悔しそうな声を漏らした。
「しんき?」
「つまりは、真穂以上の神がかった存在が客として来てるんだよ」
「か、神様!?」
「な、なんでも有りなんだなあ?」
「帰ろ? 他の店行くにしても、火坑の料理より美味しいのは美兎のご飯なんだもん」
「へー? 湖沼さん、自炊増やしたの?」
「け、契約の関係で少々……」
「じゃあさ? 今日は仕方ないってことで。お互いのお菓子交換にしない?」
「え、いいんですか?」
「日持ちは多少するし、真穂ちゃんと食べてよ」
「あ、ありがとうございます」
葛切りはまた買えば食べれるし、辰也のセレクトも結構すごいのだ。だから、ありがたく提案に乗ることにして、また界隈を出るのに全員で向かった。
出入り口で別れて、美兎は真穂と自宅に向かってさっそく辰也の選んだ差し入れを袋から出すと。
「あ、自分で挟む最中!?」
「ふーん? あっちも和菓子だったんだねぇ?」
「真穂ちゃん、濃いめのほうじ茶入れるから待ってて!」
「うん」
缶にビニール包装の餡子がたっぷり入っているのは、また現代向きではあるが。手包みとは違い、好きなだけ餡子を挟むことが出来る喜びに、美兎は真穂と堪能したのであった。
気配で遠退くのは感じ取れたが、少し申し訳ないと火坑は思った。
話し声も聞こえたから、おそらく湖沼美兎と美作辰也が来たのだろう。そして、二人をそれぞれ守護する妖達。
まだ通い出して半年にも満たない常連ではあるが、それぞれ火坑のような猫の妖などが好む『心の欠片』を生み出す大事な客。
けれど、今日はさらに二人よりも常連、且つ上客のお越しなので貸し切り状態にしているのだった。
「あんら? なんぞ、外にいた者達が気になったのか?」
「あ、すみません」
「良い良い。主は今でこそ、錦の料理屋だが。儂のような者ではとんとお目に触れれぬ地獄の官吏だったのだからな? こうして、時たましか来れぬが主の料理は実に美味じゃ」
まるで仙人のように立派な白銀の長い髭、髪も艶やかな白銀の長髪。
顔に皺などはあまりないのに、まるで老成したもののような風格は、この人物が只者でないことを証明している。何せ、火坑もあの世では滅多に出会うことのない神格である存在。
通称名を、大神と呼ばれる神の位に通じる存在だ。
名を明かせない存在になっているので、火坑や稀に同席する他の土地神などでも通称名で呼ぶ方が多い。
とりあえず、美兎達のことは一旦忘れて仕事に専念することにした。
「僕の料理を、いつもありがとうございます。次は、どうなさいましょう?」
「そうじゃの。下界の料理は、供物として供えられる場合が菓子や酒以外少ない。何か、秋らしいものでひとつ頼む」
「秋らしい献立ですか」
また、少し無理難題を言う御人だ。
けれど、逆らうことは出来ないために、火坑は包丁を持つ手を止めて暫し考えにふけった。
色々時間がかかるレパートリーばかり浮かんだが、ひとつ、師匠に賄いからメニューになった一品を教えてもらったことを思い出した。
「ふむ、閃いたか?」
「ええ。主役、と言うわけではないですが。秋らしい献立になるかと」
冷蔵庫の奥にしまって置いたビニール袋を引っ張り出して、火坑は手に小さな芽のような食材を掴んだ。
「ほう? 茗荷か?」
「はい。焼き茗荷ですが。味噌仕立てなので、お酒にはちょうどよろしいかと」
「茗荷と聞くと夏が旬のものが多いのに、あえてえぐみの強い秋茗荷を焼くのか。……面白い! 実に主は面白い!」
「ふふ。しばらくお待ちください」
まず、味噌。みりんに砂糖で甘味噌を拵える。秋茗荷はざっと洗って、根本を切り落とさずに半分に切る。
切った面に甘味噌をたっぷり塗り、専用の和風グリルでしっかり焼く。焦げ目が多少つく程度がミソだ。
「ほーう。味噌の香ばしい匂いぞ」
「お待たせ致しました。秋茗荷の甘味噌焼きです。根本以外は全部食べられます」
「うむ……うむ。これは大吟醸の冷酒が合うと見た!」
「お出ししますね?」
妖でも神でも、総じて酒には強い。
人間にもザルなどと呼ばれる酒豪も存在しなくはないが、さっき寄りかけていた美兎や辰也はどちらかと言えば弱い。この前も、美兎は守護についた座敷童子の真穂の勢いで、かなりちゃんぽんして眠ってしまったくらいだ。初回に出会った時より強くなってはいるが、まだ社会人一年目だから青い青い。
この目の前にいる大神に比べたら、誰でも弱く見えてしまうだろう。
火坑は、とっておきの相当冷やして置いた大吟醸を取り出して、ガラスの猪口にゆっくりと注いだ。
その間に、大神は端でつまんだ茗荷を説明通りに根本だけを口にせずに頬張ってくれた。髭に味噌はついていないようだ。
「! なんとも言い難い甘辛仕立てよ!」
「お気に召しましたか?」
「うむ! ここに主が注いでくれた冷酒を……!」
きゅっと、一気に煽りはせずにほんの少し口に含み、喉を通っていく快感を味わっているのだろう。恍惚とした表情に、火坑は会釈した。
「ようございました」
「うむ、うむ! これは下界の者でなければ知らぬ味よ! 味噌で思い出したが、この辺りでは特有の味噌はあったな?」
「三河の八丁味噌やこの辺りでは、甘辛い味噌……でも色々ありますからね? よければお作りしましょうか?」
「そうさの。今は野菜だったから、肉がいい」
「かしこまりました。では、名古屋名物の味噌カツを披露させていただきますね?」
それから、大神は夜明けに近いくらい飲み食いしたものだが一向に倒れる気配もない。それは神だから、と言うのもあるが、これほど飲むのはこの御人でもいささか珍しい。
何かお有りになられたのか、と聞こうにも。先の世とは違い、火坑は今ただの妖風情。
だから、たまには飲み明かしたい気分になられたのだろうと思うしか出来なかった。
「……今の世は、信仰心がだいぶ離れてしもうた」
さすがにもうそろそろお開きにさせようかと思った時に、大神は猪口を置いて語り出した。
「出雲も、伊勢も、この尾張も。観光とやらで我ら神にすがる人間ばかりじゃ。だが、そうでなければ人間達は我らの社には来ず、願いを届けようともせん」
まだ大きな戦が終わって百年も経っていないのに、随分な移り変わり様だと、大神は独りごちて、珍しく寝てしまわれた。
「…………そうですね」
あの世のこともだが、近頃の人間達は神もだが妖のことも軽んじている傾向が強い。
信仰心などの希薄もだが、美兎や辰也のように視える人間が少なくなってきているせいもある。
火坑は、美兎が美味しそうに自分の料理を口にしてくれた後の笑顔を思い出し、少し胸が痛んだのだった。
会いに行きたい。
けど、また会えないのが少し辛い。
ここ、二週間くらい美兎は楽庵を座敷童子の真穂と訪れてはみたのだが。
依然として、貸し切り状態。
ずっと、ずっと、ずーっとである。
その度に、自分達で食べる、もしくは美作辰也と交換して手土産も処理してしまっているが。正直言って、寂しさを感じた。
新入社員になりたてのあの虚無感に匹敵するくらいに、美兎は火坑に会えなくて寂しかった。
けれど、勇気を出してお店の固定電話に何度かかけても留守番電話だった。以前、辰也の件で携帯にかかってきたのもこの番号だったので、火坑自身の携帯番号を美兎は知らないでいた。
多少個人情報に詳しい、真穂ならもしくは、と思ったが。
「そこまでのプライバシー侵害はダメだよ、美兎? 真穂はあそこにちょくちょく通ってたから、火坑の誕生日も知ってただけだし」
それに、知らない電話番号じゃないにしてもいきなり携帯にかかってきたら驚くよ、と諭されてしまったので、美兎もぐうの音しか出てこなかった。
仕方なく、その日も楽庵は貸し切り状態だったので、今度は抹茶のわらび餅を真穂と楽しむことにした。
ご飯は、真穂と丸善の食品売り場で適当に購入したので、暑い夏も終わったが名古屋の熱はまだまだほとぼりが冷めないので冷やし中華にすることにした。
「いっただきまーす!」
「いただきます。召し上がれ」
真穂はいつでも美兎の自宅にいるわけではないが、錦に行く日には必ず女子大生などで姿を偽って美兎の前にやって来てくれる。
妖界隈などでも、ホストやホステスなどの勧誘やらなんやらに実は以前声をかけられたりしたが。真穂がいるだけで、一切誰も寄って来なくった。これは、大きな進歩とも言えよう。
声を掛けてくるのは、クレープ屋の珠央だったり、休みの日に錦の妖界隈に出かけた時に気に入った店の店主達だったりする。そう言う彼らに、美兎もだが真穂も無視はしない。
「名古屋の人間……、とりわけ、尾張や最近の三河でも。こんな麺類の食べ方って他じゃ見ないわよね〜?」
真穂が言っているのは、冷やし中華にマヨネーズがかかっている件だ。美兎はもともと三河と呼ばれる地方出身者だったが、母親が名古屋の人間だったために昔から冷やし中華にはマヨネーズが基本。
兄の海峰斗も文句を言わずに食べていたのを覚えている。
「真穂ちゃん、マヨネーズ嫌だった?」
「嫌じゃないけど。時々思うだけ。酸っぱいタレに、また少し酸っぱいモノをかけるヒトの味覚に驚くわ」
「味噌カツとか、どて煮とか。味噌が尾張じゃなくて三河のなのに、名古屋名物っていうのもあるよね?」
「火坑の店でも、味噌は色々扱っているよ? あの人の場合、地獄が長かったせいかどっちかと言えば関東寄りだけど」
「そうなんだ……」
知っているようで知らないことが多い。
当たり前だが、出会って半年足らずの人間でしかないのだ。悪酔いしてたのを助けてもらい、夢喰いの宝来とも引き合い、吉夢をもらった。
その縁が続いて、常連になったわけだが、店主の火坑のことをなにも知らなくて当然だ。
彼も多くを語らないし、いつも美兎は彼の作る料理を楽しんでいるだけ。その関係性に、恋慕の情など擦りもしないだろう。
そう勝手に思っていると、頬に小さな痛みを感じた。真穂に軽く頬を叩かれたのだ。
「臆病になっちゃダメだよ?」
「真穂ちゃん?」
「真穂がこの前も言ったじゃない? 妖と人間が好き合って悪いことだなんて何にもないんだもん。美兎が好きなら、ちゃんと火坑のこと好きだって自信持たなきゃ」
「……けど。何にも知らないに等しいし」
「ん〜〜…………! よし、行こ! 錦に。真穂の力で飛んで行こう!!」
「はい?」
「お菓子の袋とバックとか持って!」
「は、はい!?」
有無を言わせない力強い言葉に体を押されてしまい。
準備が出来たら、真穂は目を閉じて美兎と繋いでいない手を天井に向けた。
「繋げ。繋げ、彼のもとへ!」
瞬間。
周りが赤く光り出して、思わず美兎も目を閉じてしまったが。
気付いたら、どこか懐かしい匂いのする場所に到着したのか。思わず目を開けると。
「ほう? 座敷童子とヒトの子。珍しい取り合わせじゃの?」
「真穂……さん、湖沼さんまで」
到着したのは、楽庵の店内らしい。
だが、先の来訪者が既に席についていて。見た目は若い着物姿の青年なのに、随分と立派な白く長い髭を生やしていた人物と目が合った。
「……大神!?」
「久しいのお? 真穂、と言ったか?」
「何故? 神無月にはまだ少し時間があるけれど。何故貴方様がこの界隈にまで?」
「なに。一仕事の前に、馳走を欲しがるのに神も妖もヒトも関係あるまい?」
「……だとしても、半月以上も長居しすぎでは?」
「主くらいよのお。妖でも特異な位置にいる座敷童子じゃから、儂に意見するのは」
「我よりも、契約主に問題があったんです」
「ふむ。そこな、女子か?」
「あ、あの……あなたは?」
蚊帳の外状態だったので、やっと質問出来たのだが大神と呼ばれた青年はにっと歯を見せて笑い出した。
「儂は神の一端。全ての神の総称でもあり、ただ一人でもある。が、大神とは日本狼の化身とも言う。儂の場合はそれに該当する神の端くれじゃ」
「か……みさま?」
「そう固くならずとも良い。むしろ、主の持つ菓子袋が少々気になるがのお?」
「……大神。これは火坑への土産ですよ?」
「はっは! そうか」
神様。
座敷童子も神のようであるが、どちらかと言えば妖の部類なので神とは違うらしい。
なのに、存外鷹揚な性格らしく、真穂の不敬も不問にしてくれていた。
それよりも、美兎の手にしてるわらび餅に用があるようなので、調理場でニコニコしていた火坑に手渡すことにした。
「本当は今日持ってくる予定だった、抹茶のわらび餅です」
「わざわざありがとうございます。大神様にもお出ししますね?」
「わらび餅か! 京の花街にも専門店がいくつかあったのお?」
「か……神様のお供物にかないませんが!」
「よいよい。主らも座れ。儂のせいで、この店に来られなかったからのお?」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず、来ることは出来たのだが。初来店以上の緊張感を覚える美兎であったのだった。
大神は神として長らく存在はしているが、実は人間達の住んでる下界や妖界隈には殊更興味を抱く、謂わば変わり者である。
いわゆる日本狼の神使、神の遣いとして人間達から崇められていた頃も。供物となるものよりも、人間の食べ物や酒に興味を抱いていた。
最近、斎宮などで取り扱う供物はほとんど同じなので、大神にとっては飽き飽きしてきた。俗に秋の盛りを迎えた神無月の宴が開かれる際も、酒や米は相変わらずで変わりばえがない。
それも、社である神主らからの供物であるがゆえに、仕方がないと言えばそれで終わってしまう。
だからこそ、たまには、と大神は今は愛知県と呼ばれる国に降り、尾張の一角に居を構えている元幽世の役人であった猫の妖となった火坑の店に行ったのだ。
半月ほど、ひとりで楽しんでいたのだが、どうやら常連の中でも困ったヒトの子と妖がいた。
瞬時に目的地へと移動出来る術を使ってやってきたのが、妖でも特異の位置にいる座敷童子の真穂にその契約主である湖沼美兎と言うヒトの子。
なかなかに上玉ではあるが、すぐに誰を恋い慕っているか見当がついた。
菓子の袋を手渡した時の、まるで恋する乙女のような微笑み。
まさか、ヒトが妖を好むとは。だが、美兎もいくらか妖の血を継いでいるのは纏う霊力で判別は出来た。
だから大神は、これまた面白い縁が結ばれそうなものよ、と神無月の宴で少々いじろうか決めたのだった。
「おふたりとも、お腹の方はどうですか?」
そんな美兎や大神の心境を知らない店主の火坑は、得意の優しげな微笑みで美兎や真穂に注文を聞くのだった。
「そうですね。実はご飯を少し食べてたので、そんなには」
「美兎の冷やし中華食べてたの!」
「なんぞ? 冷やした……中華とな?」
「現世の一般的な、夏や晩夏によく食べられる麺料理ですよ、大神様。あいにくと、僕の店では材料がありませんので難しいですが」
「……ふむ、そうか」
それならば仕様がないと諦めるしかない。先日の秋茗荷の味噌焼きや味噌カツもだが、この尾張では種類に富んだ食べ物が多い。だが、総じて甘辛い味付けが多かった。そろそろ違うものを食べたかったが、意外にも酒に合うので飽きは来ないのだ。
「うーん。そうですね……いきなりお菓子をお出ししては失礼ですし。あ、そうでした!」
ぱん、と手を叩いた火坑は冷蔵庫の中を漁って銀色の深いボウルを取り出してまな板の上に置く。
全員カウンター席なので、調理工程は見られるから何が起きるのか大神もだが少しワクワクしていた。
「綺麗に盛り付けて……出来ました、柿ときゅうりのサラダです!」
「え、これまさかマヨネーズ!?」
「けど、綺麗だね!」
「……ほう?」
大神に出さなかったのは、珍味ゆえか甘いものが多かったゆえに避けていたのか。とりあえず、こちらにも出してくれたので、まずは目で見て楽しむ。
マヨネーズは聞き覚えがあったので、その白いクリームのような調味料が柿の色や胡瓜の緑に映えること映えること。
「ふむ」
箸で小さくつまんでから口に入れる。
すると、秋の味覚なのにまるで夏のような清涼感を感じた。
「おいしい!」
「え、これレモン汁とか入れてるんですか?」
「ええ、あと塩を少しですが。つまみ程度には最適でしょう? 秋らしくするなら、茹でたさつまいもを入れるのもいいですし」
「柿ってサラダにもなるんですね?」
「マリネやチーズと一緒に食べるのもオススメですよ?」
大神がいるのにこの賑わい様。
なんだかんだ、火坑もこのヒトの乙女を気に入っているのだろう。でなければ、客として受け入れないわけがない。
そこで、ふと。大神はこの店での代金などの支払いを思い出した。大神の場合は、霞む程の神気や供物の一部を渡しているだけだが、ヒトや一部の妖の場合は違っていた。
たしか、魂から溢れ出る『心の欠片』と言うものだったはず。今も、美兎が火坑に両の手を差し伸べて何かを取り出そうとしていた。
「今日はパルメザンチーズにしました」
「何が出来ますか?」
「柿のサラダで少し食欲が出たと思いますし……そうですね」
「火坑よ、儂が求めるものではダメか?」
「大神?」
「真穂よ、そう額に皺を寄せるでない」
独り占めしていたささやかだが謝礼くらいいいだろう。
供物がわりに菓子をくれるのだから、これくらいどうと言うことはない。
大神も少し真似をして、心の欠片のようなものを出してみた。
「……パスタ、ですか?」
取り出したのは、乾麺でも素麺ではない。
乾酪に合うのであれば、現世に多少詳しくなっている大神でも生み出せたものだった。
「足りねば、儂に言え。今宵は儂の奢りじゃ」
「か、神様にそんな!」
「良い良い。儂の謝礼代わりじゃ。受け取ってくれ」
「あ、ありがとうございます……」
小さく会釈する様は、今風のヒトの子らしく、酷く愛らしい。ならば、火坑はこの乙女の気持ちを知ったらどうなるのか。少し楽しみになった大神であった。
大神に奢られるなど、神様相手に恐れ多いことなのに。長い髭以外、美兎のような人間とほとんど変わりのない見た目。
雨女や雨男のように眼球が違うわけでもなく、座敷童子の真穂ともまた違う人間ではない存在。
そんな大それた存在から、心の欠片を渡されるだけでなく、長い貸し切りにしていた詫びとして奢るとも言われて、美兎はなんとも言えない気持ちになった。
大神は、まあまあ、などと座れと手招きしたので、恐れ多いが断れる立場ではないからと真穂と一緒に座ることにした。然程、広い店内なので、席はひとつ挟んだ形になったが。
「ふむ。パスタにパルメザンチーズ……そして、何より久しぶりのご来店ですので……ああ、そうですね!」
白い毛と涼しげな青い瞳が特徴的な店主である、猫人の火坑は材料を見比べてからまた肉球のない猫の手でぽんと手を叩いた。時々目にするので、それは彼の癖なのかもしれない。
その可愛らしい癖に、美兎は想いを寄せる側として少し嬉しくなった。
火坑は、狭い調理場に設置されている冷蔵庫や戸棚をくまなく探して、白くて大きな綺麗に処理された筍、玉ねぎにシャケ。あとは調味料に牛乳などなど。
「クリームパスタですか?」
美兎が聞くと、火坑は嬉しそうに目を細めてくれた。
「はい。秋らしく生シャケと筍のクリームパスタにしようかと」
「わあ!」
「きのこ入ってると、美兎はダメだもんねー?」
「う……」
「ふむ。ヒトの子の場合は馳走に好き好む部類が分かれるか? よいよい、好きなもので作ってくれぬか?」
「はい」
「お世話、かけます」
軽く会釈してから、先付けに出されたコンニャクなしの白和えを、これまた美兎のお気に入りである特製の梅酒をちびちび飲みながら待つことにした。
麺類は、さっき食べていた冷やし中華とかぶるが。火坑の作るものにハズレはないと信じ切っている美兎は、心をときめかせながら待つことにした。
カウンター席は、厨房と違い少し高低差があるせいかこちらから厨房、火坑の手元はよく見えるのだ。
それだけ、見せる自信がある腕前だと知っているから。美兎はこの時間も素敵だと思っている。
具材を切り揃えて、並行して大神の出した乾麺のパスタを湯がき。具材を炒める前に、小麦粉のような粉をボウルに入れて、少しずつ牛乳を加えて混ぜ合わせていく。そこからさらに、調味料を入れていったが市販品ではないのか、美兎には何かわからなかった。
「カルボナーラのように、チーズを入れずに。シンプルに小麦粉と牛乳でとろみをつけるんです」
「へー?」
「おもしろーい!」
「ほう?」
次に、具材を炒めたらザルでこしながらソースを加えて煮込んでいく。ある程度とろみがついたら、ぴったり茹で上がったパスタを加えて黒胡椒で味を整える。
軽く、火坑が味見をしたら。三人分の底が深い皿に盛り付けてくれて、さらにさらに、仕上げには美兎から取り出した心の欠片であるパルメザンチーズをおろし金で贅沢にすりおろしていく。
「うむ。見事也」
「美味しそう!」
「ねー?」
「湖沼さん達の分は、パスタの量を少々控えめにしました」
「ありがとうございます!」
小さな気遣いがとても嬉しくて、大神と一緒に手を合わせてから。出来るだけ行儀良くパスタをフォークに絡めると。
「! 生クリームじゃないのに、ちゃんとクリームパスタです!」
「筍とシャケって合うね? パルメザンチーズもいい仕事してるよ」
「うむ……うむ。やはり、主に頼んで正解だ! しかし……この味付け。どことなく、昆布の旨味を感じるが」
「その通りです、大神様。味付けに昆布茶を使いました。他には、オイスターソースにコンソメですね?」
「斯様なものか。実に美味だ!」
そして、冷やを盛大に煽った大神の様は、神様だからか酔った雰囲気が見られない。これが人間と神の違いか、と勝手に思ってしまったが。
だが、素直に美味しいと、このパスタを食べて思わずにはいられない。濃過ぎず、薄過ぎず。調味料もだが筍の食感とシャケの風味が実に秋らしく心地よい。
真穂もだが、美兎も。さらに、多めに食べていた大神まであっという間に平らげてしまった。
「ふむ。今日はもう締めにするかの。刻限は夜半に近い。美兎……とやらは明日も仕事があるのだろう?」
長居していたわけではないが、たしかに今日はプレミアムフライデーとかではない週の真ん中あたりだ。
真穂も少しは気にしていたらしいが、腰を据えていたので少々忘れていたようだ。
なら、と火坑は冷蔵庫に入れておいた、美兎の手土産であるわらび餅を器に入れてこちら側に出してくれた。
「冷たくておいひい!」
「ふむ。少し懐かしい感じじゃのぉ? しかも、抹茶とは粋な計らいよ?」
「あ、ありがとうございます……」
美兎自身が作ったわけじゃないのに、少しこそばゆく感じた。美兎もしっかり味を確かめていると、視線を感じた。
誰、と思っていると。追った先にいたのは火坑。何故か、とても優しい顔をしていたのだった。
その表情に、美兎は鼓動が高鳴り、息が荒くなりそうだった。
「……美兎よ」
「は、はひ?」
けれど、その至福の時間を壊したのは大神だった。
少し驚いたが、呼ばれたからには答えなければいけないのですぐに振り返った。すると、いつの間にかすぐ隣の席に腰掛けていたので、二重に驚いた。
間近で見ると、益々美形っぷりが凄い。
女顔負けの容姿に肌のきめ細やかさ。長い仙人のような髭は少々気になるが、それでも美兎にとっては美形の部類とさして変わりない。
と言うよりも、いきなり近くなったのと呼びかけられた意味がわからない。何か粗相をしてしまったのかと思ったが、こちらに手を差し伸べられてしまい、少しドキドキしてしまう。
火坑や真穂は助けてくれないのかと思っても、妖よりも断然偉い位の神様にだから、手出し出来ないのか。しかし、真穂は瞬間移動した後は文句を言っていたけれど。
「……うむうむ」
「あ、あの……」
けど、結果はそう大したことではなく。美兎の頭をまるで子供のように優しく撫でただけだった。ちょっと安心はしたが、この神様の行動の意味がよくわからない。
「うむ、良き女子よの。儂のような神や、火坑らのような異形の妖を怖れぬ。誠、良いヒトの子よの?」
「は、はあ……?」
「大神様。引き留めはそれくらいに。湖沼さんは明日もお仕事でいらっしゃいますから」
「ふむ、仕方ないのぉ。美兎よ、機会が合えばまた飲もうぞ?」
「か……かしこまり、ました」
「美兎はかしこまらなくていいよ。大神が次来られるのだなんて、神無月が過ぎた後だもん!」
「はは、そうさの」
特に何もなかったせいか、火坑や真穂も遠慮なく割り込んできた。一応の約束をさせられそうになったが、次の機会まで結構あるのならば、少しほっと出来た。
あの麗し過ぎる美貌は、ブスとは違う意味で目の毒だ。美兎は火坑が好きなのに、思わずドキドキしてしまうのだから。
「じゃ、美兎。帰りもひとっ飛びで帰ろ? もう終電ないだろうし?」
「え! もうそんな時間!?」
「ふむ。儂も明日からは出雲に立たねばならん。しばらく顔が見れぬが、またの?」
「あ、はい!」
「お気をつけてお帰りください」
そして、火坑と大神に見送られた美兎達は急いで瞬間移動で自宅に戻り。そのままだった食器とかは適当に片付けてシャワーを浴び、子供の姿の真穂と一緒にベッドで眠ることにした。
座敷童子の効果というか、契約主と一緒に寝ると気持ちのいい目覚めが出来るらしい。なので、楽庵に行く日は決まって真穂に来てもらって眠ることにしている。
また明日も、いい一日になりますように、と思いながら眠りにつくのだった。
だが、翌朝目覚めてみると、うっかり忘れてたことがあったのだ。
「……今日、はじめての振替休日だった」
先週は休日出勤だったので、有給はまだ取れない美兎の場合には振替休日が会社で定められている。週末以外ならどこでもいいかと適当に決めたのが今日の木曜日。
起きて、アラームの後に見えたスケジュール帳のお知らせでやっと思い出した。
なので、真穂にもクスクスと笑われてしまう。
「なーんだ。急いで帰らなくてもよかったんだー?」
「けど、神様とオールだなんて絶対無理無理! 火坑さんがいても無理!」
「ま。滅多にない機会だしねー? そうだ、美兎。今日一日、お休みなら昼前まで寝直して。その後、妖デパートとかで服とか見ようよ?」
「へ? 服?」
「お金かけるところ、そろそろお菓子以外にもしようよ。真穂が守護についてからずーっと見てるけど。美兎の服って似たり寄ったりだよ?」
「あ、あう……」
「妖デパートは行き来する人間達だっているし、人間用の服もあるよ? ランチとかは真穂が奢ってあげる!」
「え、いいの? お金は?」
「ふふーん。天下無双の座敷童子の一角だよ! 奉納金とかの一部は真穂のポケットマネーなの!」
「そ、そうなんだ……」
あの大神とはしばらく会うこともなく、いつものように日常が戻るかもしれないが。
今日もまた、錦のあの小料理屋に赴けれるのだから、嬉しくないわけがない。
ならば、とびっきりの可愛らしい服装であの猫人の目に写ろうじゃないか。
大神は、長らく居座っていた楽庵を後にして、のんびりと雲の移動で尾張の町を後にした。
ごみごみしい、鬱蒼としたビル街は少し目が疲れるが不思議と嫌ではない。
世は移り変わりするもの、何もかもが同じではない。
ヒトの縁もそう。時折、妖の一端と結ばれることもあるが。それはほんの一握りでしかない。あの湖沼美兎と言う、大神が髪を撫でることで少々の繋ぎを強化してきたのだが。神は縁をいじるだけでつないではいけない。
なぜなら、無理に繋いだら場合によっては拒絶反応を起こすからだ。それが別れと単純で済めばいいのだが、移り変わりの世ではそれだけで済まない時も多い。
「縁に幸あれ、美兎よ」
一見優しげで、しかし心に受け入れる隙をあまり与えないあの猫の妖を。どうか、ゆっくりと溶かしてやって欲しい。次に会う時が少し楽しみな大神だった。
雲は、島根県の出雲へ向かう。