名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 殺されるかと思った。

 それくらい、あの猫人は視線だけで妖術を使えるのかと思った程だ。


「ふふふ、ふふふ! 大袈裟ですよ、(かおる)さ〜ん?」
「冗談やないでー、芙美(ふみ)やん!」


 ただいま、界隈の妖電報名古屋支社にて。

 たまたま来ていた、情報屋でありのっぺらぼうの芙美が一反木綿(いったんもめん)の馨の話を聞いてくれたのだ。

 反省の意を込めて、今は白い布切れのような姿。一反木綿の本性になっている。馨が一度本性に戻ると数時間は人化出来ないので、煙草を吸えない戒めだ。

 ただの布切れ。子供を襲うと言われる妖だが、現代日本でその手が通じるわけがないし。馨は襲うつもりはない。

 人間の子供を食らう必要がないし、現代の界隈ではいくらでも美味いものがある。人間界でもそうだ。

 とりあえず、手足の部分みたいな布切れを使って、ドリップマシーンで淹れたコーヒーを飲む。口の箇所も一応あるのだ。


「けど〜、大将さんをスクープにしないで正解ですよ〜? 美兎(みう)ちゃんには本気の本気だから〜、もしやっちゃってたら地獄の業火を呼んだかもしれないですね〜?」
「うっわ! ほんま、せんで正解やったわ!?」


 芙美はあの女性、美兎と言う人間の女性のことを芙美に簡単に教えてもらった。

 (さとり)御大(おんたい)の子孫。

 座敷童子の真穂(まほ)が唯一守護についた人間。

 とんでもない人物だ。

 スクープにしたい内容だが、真穂までいると後が余計に怖いので断念したが。

 かなり前に、スクープにしかけてこの建物を破壊されかけたのだ。

 そんな彼女が憑く相手とは、よほど魅力的な霊力の持ち主なのだろう。


「でも〜。あのお店で、人間と妖が結ばれる話が多いんですよね〜?」
「……ほぅ?」


 その噂は聞きかじっていた。

 今目の前にいる情報屋の芙美が、酔っ払った時に広めたらしいので信憑性は薄かったが。

 素面の今なら、本当のことが聞けるのだろうか。


「美兎ちゃんでしょー? 私でしょー? あと、火車(かしゃ)風吹(ふぶき)さんも」
「……えらい、いますなあ?」
「あそこは(えにし)を繋いでくれる場所ですけど〜」
「おん。芙美やんの馴れ初め聞いても?」
「記事にしちゃいます〜?」
「せんせん」


 もししてしまったら、芙美経由で火坑(かきょう)に繋がり。結局は、楽庵(らくあん)に出禁させられることになるだろう。

 それだけは避けたかった。


「えっとですね〜?」


 そこから聞かされた内容は。

 こちらが、甘ったるい金平糖を噛み砕くような。甘々のものばかりで。

 こりゃ、記事には出来ないと馨は納得したが。とりあえず、赤鬼の隆輝(りゅうき)が勤務する人間界の洋菓子店が絶品とも教わり。

 久しぶりに奴に会いに行くついでに、取材しに行こうと。人化出来るようになってから、芙美を見送ったのだった。
 着物で歩くのは、初詣の時もそうだったが結構大変だった。

 真穂(まほ)には動きやすい草履を選んでもらったが、それでも着慣れない着物姿と言うのは疲れるものだ。

 隣にいる火坑(かきょう)はよく平気でいられるのが、少し羨ましかった。


「大丈夫ですか? 美兎(みう)さん」


 その疲れが顔に出てたのか、火坑が顔を覗いてきた。


「……すみません。少し、草履が」
「僕も気づかずすみません。初詣でも、大変そうでしたのに」
「いいえ! デートは本当に楽しいです!」
「ふふ。わかっていますよ?」


 響也(きょうや)の顔で、火坑はにっこりと微笑んでくれた。


「響也さんは平気なんですね?」
「普段から草履なもので」
「あ、気づかなかったです」


 店で会う時は、あまり足元は見ないものだから。

 彼女として、少し申し訳ないな、と思っていたら。火坑に髪をぽんぽんと撫でられた。


「ふふ。慣れの差はどうしようもないですからね? 真穂さんに連絡してから、彼女の家に行きましょうか?」
「え?」
「着物だけ返しに行きましょう? そのあと、僕の家でゆっくりしませんか?」
「けど。この後も案内してくださるんじゃ?」
「辛い思いをされてまで、は本意じゃないです。大丈夫ですよ? デートはこれっきりじゃありませんから」
「……はい」


 少し子供みたいなわがままを言ってしまった。

 けれど、火坑は優しく諭してくれるだけで、否定はされなかった。

 その優しさに涙が出そうだったが、ぐっと堪えて。真穂に連絡したら、『了解』と返事がもらえたので、街の端に頑張って移動してから火坑の妖術で移動した。

 到着すると、マンションの下で真穂が待っててくれていた。


「お疲れ様」
「着物、ありがと」
「草履が大変なら、次はブーツにしてみる?」
「ブーツ?」
「ほら、ハイカラさんとかが着てる感じ」
「おお!」


 次回もあるのなら、美兎は期待が膨らんできたのだった。

 とりあえず、美兎が着替えている間に火坑には別室で待っててもらい。

 朝来た通りの服装に戻ったら、重い着物からの解放感に少しホッと出来た。


「おつかれー」
「着物って、筋トレになりそうだね……?」
「ま、ねー? あとちょっとで京都行くんだし、もうちょい慣れないとね?」
「……うん」


 四月。

 実は美兎の誕生日が近いのだが、まだ火坑には伝えていない。

 プレゼントをねだるだなんて、可愛くないことだと元彼に言われたことがあったので控えていたが。

 火坑は違う。

 彼の誕生日も去年祝ったし、美兎の方も、と思っているかもしれない。

 着替え終わって、ひと息ついたら彼の自宅まで手を繋いで歩き。

 彼の家に着く直前に、言ってみることにした。


「火坑……さん」
「はい?」
「……私。来月の五日が誕生日なんです」
「え」


 当然驚かせてしまい、火坑は鍵を開ける手を止めてしまった。

 迷惑だと思いかけていたら、彼は鍵を急いで開けて。美兎の手を引っ張ったと思えば、中に入って扉を閉めたらすぐに美兎を抱きしめたのだった。


「火坑さん……?」


 苦しい一歩手前の力加減だったので、美兎はドキドキしっぱなしだったが。

 火坑は猫人には戻していない響也の顔のまま、大きく息を吐いた。


「僕は大馬鹿者です」
「え?」
「美兎さんの……彼女の誕生日を聞き出す勇気を持っていませんでした」
「わ、私が言わなかっただけで!」
「けど、残り時間が少ないです。……美兎さん、今思いつきましたが。誕生日プレゼントを旅行にしませんか? 日にちは流石に別日になりますが」
「! はい!」


 突然の思いつきでも、美兎のことを考えてくれていたので。

 美兎は火坑に抱きつき、その後、彼からは甘い甘いキスをもらったのだった。
 今日あった出来事を、赤鬼の隆輝(りゅうき)に話したら。

 当然のように声を上げてバカ笑いされてしまった。


「そりゃ、(かおる)君が悪いよ?」
「せやけど、隆やん? あの大将はんがやで?」
湖沼(こぬま)さんには、火坑(かきょう)君はベタ惚れだからね?」


 今、隆輝の自宅にいる。界隈ではなく、人間界の。

 人間と共に仕事をしているので、付き合い云々。緊急連絡先などと色々手続きがあるのだ。面倒だが、わざわざ専門学校まで行った彼の努力を、馨は否定しないし、むしろ感心している。

 それはいいのだが、あの大将とも友人でいるこの鬼もまた、人間の女と交際しているのだ。


「隆やんもやし、なんなん? 人間の女がそんなにええのん?」
「馨君も、いつか出来たら分かると思うよ?」
「……おん。その笑顔で言われると納得してまうわ」


 蕩けそうな笑顔。

 本当に、相手を想っているからこそ、出来るものだ。

 一反木綿(いったんもめん)として生を受けた馨だが、戦前に戦後の人間の生き方を厭うわけではない。

 だが、短い命で、とてもか弱い。

 それを同胞として引き込むのも、どうしたものか。

 とは言え、あの猫人の関係者はほとんどそんな感じだ。


「人間でも妖でも。大好きだと思う人が出来て、そんな相手に尽くしたいと思えるんだ。そんな瞬間が最高で仕方ないんだよー?」
「……最高にねぇ?」


 今日会った、火坑やのっぺらぼうの芙美(ふみ)もだが。

 それほど、人間相手にそこまで惚れるのが。やはり、馨にはいまいちわかっていなかった。

 けれど、聞いた話ではぬらりひょんの総大将の身内もだとか。

 惚れに惚れ抜いて、同胞に(いざな)うのは。

 どれだけ、惚れたらわかるのだろうか。少なくとも、わずかに興味を持った程度の今ではわからないだろう。


「と・り・あ・え・ず。真穂(まほ)様を二度も怒らせる事態にならなくて、よかったんじゃない?」
「それはほんま勘弁!! まさか、あの嬢ちゃんの守護に憑くとは思わんやろ!?」
「まあ、妖力は巧妙に隠しているからねえ?」
「あの嬢ちゃんの霊力は桁違いやったけど」


 芙美の言ってたように、(さとり)御大(おんたい)の子孫。

 見目はなかなか可愛らしいが、それだけで火坑が見初めたわけではないだろう。猫人だと、これまた言い寄られることもあるらしい彼が、唯一心を許した相手。

 それを機に、彼の店である楽庵(らくあん)では様々な(えにし)によって結ばれている人間と妖のカップルが多い。

 それくらいは芙美のせいで噂にもなっているし、記事にもしたいところだが。絶対出禁にされるので却下だ。

 彼の師匠である黒豹の霊夢(れむ)の料理も実に美味いが、なんというか、火坑の方がほっと出来るのだ。仕事上がりに一杯ひっかけるくらいに、ちょうどいい店。

 そんな安寧の居場所を失いたくないのだ。


「まあ、仮に。俺とケイちゃんを記事にしたら俺でも怒るよ?」
「……肝に銘じておくわ」


 いつか、出会える相手。

 それに少し期待を抱きながらも、馨は界隈に戻るのに隆輝の家を後にしたのだった。
 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。











 美兎(みう)はドキドキしていた。

 新社会人のタグが外れ、入社二年目と言う重みを背負うことになったのもだが。

 今週末、とうとう恋人と京都旅行に向かうのだから。


「へ〜〜? 美兎っち京都行くんだ〜?」
「ちょうどいい時期じゃない?」


 新入社員の入社式と研修準備を終えて、昼休み。

 美兎は、同期の田城(たしろ)真衣(まい)と先輩の沓木(くつき)桂那(けいな)とランチに出かけていた。

 そして、日取りと予定が立ったので、二人にも伝えたのだ。


「お土産、買ってきますね?」
「期待してる〜〜!! 定番の八つ橋もいいけど〜、ロールケーキとか色々あるもんね〜?」
「あら、田城ちゃん? 京都行ったの?」
「いえいえ〜? テレビの特集見ただけですよ〜? あ〜、(ゆう)さんとも行きたい〜!」


 まだ付き合いは三人の中だと一番短いが、確実に美兎よりもラブラブなのだろう。

 風吹(ふぶき)には最近会えていないが、バレンタイン以降一度だけ再会した時は。メカクレがなくなり、綺麗な顔を丸出しにしていた。

 田城と付き合うことで、自信が持てたのだろう。


「京都……ね? 夏はあんまり行かない方がいいわよ? 名古屋とは違う猛暑で死ぬし、地下道ほとんどないから」
「先輩、夏に行ったんですか?」
「出張の関係でね? 新人だったから、ほんと体力なくて死ぬとこだったわ……」


 二度と行きたくない、と言う沓木の表情に。一度、火坑(かきょう)に聞いてみようかなと思った。


「夏? 初夏? たしか、京都では伝統のお祭りありましたよねえ?」
「七月の祇園祭ね? 広告関連はうちに仕事来ることないけど。名古屋の行列祭り以上に人混み凄いらしいって聞くわ」
「ずっと長く続いてるお祭りらしいですよね?」


 伝統の祭りに、もし響也(きょうや)の火坑と行けたら。たとえ人混みが凄くても、きっと楽しいに違いない。

 とりあえずは、すぐ目の前に迫ってる旅行の方が優先だが。


「まあ。なんであれ、楽しんできなさい? あの大将さんのことだから、丁寧にエスコートしてくれると思うわ」
「舞妓体験とかする?」
「え……っと、お着物デート……はするよ」
「おお!」
「その方が無難ね? 舞妓っていうか芸妓? の体験で着る着物の方が動きにくそうだし」
「え、芸妓なんすか?」
「舞妓って呼ばれる期間は結構短いらしいわよ?」


 舞妓体験をしてみたくないと言えば嘘になるが。

 着物できちんとデートするのも、少し前に名古屋駅回りを歩いた着物デートで知ることが出来た。

 あのデートも楽しかったから、京都だともっと楽しいかもしれない。

 とりあえず、妖界隈の人達にもお土産を買おうかどうか悩んだが。

 その日に楽庵に行く時、座敷童子の真穂(まほ)に聞いてみたら。


「真穂達へのお土産? 人間界の京都で?」
「うん。出来れば皆に買ってきたいんだけど」
「真穂はいいわよ。守護だから、影でついていくし。京都の魑魅魍魎達はうるさいもの」
「うるさい?」
「いくら火坑が居ても、霊力が高まった美兎を守り切れるとは限らないわ。こっちより、京都の方がそう言う妖達で面倒いの」
「へぇ……」


 たしかに。美兎は普通の人間ではないけれど、狙われるとは思ってみなかった。

 楽庵に到着して火坑にも聞くと、同じような返答があった。


「そうですね。力不足ですが、僕だけじゃ美兎さんをお守り出来るかわかりません」
「ね? けど、春の京都に連れてってあげたいんでしょ?」
「ええ。京都の八重桜を」
「わあ」


 危険はあるかもしれないが、どんな京都旅行になるのか楽しみだった。

 ちなみに、妖達のお土産は霊夢(れむ)のところに預けて配る形になり。

 お土産も味の違う八つ橋にしようと決めたのだった。
 風の噂で聞いた。

 あの飼い猫だった妖が、恋仲を連れて京の都に来るのだと。

 妖もだが、神々での噂は広まるのが早い。

 北野天満宮で、主神である菅原(すがわらの)道真(みちざね)はその噂に耳を傾けていた。


「京に来るのか、火坑(かきょう)?」


 道真に知らせて来ないと言うことは、本当に気まぐれで訪れるだけかもしれない。

 あの可愛らしい美兎(みう)と言う女性を連れて京に来る。春の小旅行かもしれない。いい時期だと思う。

 太宰府(だざいふ)に左遷され、朽ちて、また怨霊として京に戻って来てから天満宮に祀られ。

 今では学問の神だのなんだの言われてきたが、元飼い主であった道真にもまた会いにきてくれるかもしれない。

 しょっちゅうではないが、また名古屋に行くのもいいかもしれない。

 少し驚かせに行くか、と。眷属に留守を任せてひとっ飛びで名古屋に到着した。

 界隈に滑り込めば、相変わらず賑わっていた。京の都も魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)しているが、ここはまた違う賑わいだった。

 騒がしいが、苦に感じない。それが土地の気質とも言うかもしれないが。

 とにかく、楽庵(らくあん)に向かえば。気配を感じた。あの美兎と座敷童子の真穂(まほ)

 真穂には少々煙たがられているが、まあ仕方ない。装いを以前のように今風の人間に寄せて変化して。

 引き戸を開ければ、やはり彼女達がカウンターに座っていた。


「受け狙いで、ラムネ味とかの八つ橋はありなんじゃない?」
「あ、いいかも。食べたことないけど」
「試食で食べれば?」
「あるかなあ?」
「ふふ。邪魔するよ?」


 声を掛ければ、やっと気づいた二人は道真を見て目を丸くするのだった。


「道真様!?」
「ちょ、なんでいるわけ!?」
「いらっしゃいませ、道真様」
「三者三様だね?」


 相変わらず、ここは面白い。

 それぞれの反応を見た後、暖簾をくぐった道真は真穂とは逆隣である美兎の隣に腰掛けた。


「お久しぶりです。今日はどうされたんですか?」


 美兎が挨拶してくれると、道真は緩く目を細めて彼女の髪を軽く撫でてやった。


「なに。君と火坑が私のいる京に来ると噂を聞いてね? それが本当だったら、私也にもてなそうかと思って」
「え? 道真様が?」
「……休業のお知らせをしただけですのに。師匠のところから広まったかもしれないですね?」
「北野天満宮においで? 君達の(えにし)をさらに強固なものにしてあげよう」
「わあ!」
「それは、お邪魔しなくてはいけないですね?」
「ま、いいんじゃない?」


 真穂は相変わらず、毛嫌いほどではないが道真には好意的な態度ではないようだ。

 たしかに、人間から神に昇格した存在は。古参の妖にはお気に召さないだろう。すべての妖に毛嫌いされているわけではないが。

 それからは、大いに飲み食いをして。またひとっ飛びで京の都に帰ってきて。社に入る前に、もう今は枝でしかない梅の枝を見ると。

 はるか昔に詠んだ、和歌を思い出したのだった。


東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな……」


 あの頃は、火坑をこの地に置いて行って、哀しい思いをさせたとは思うが。

 今は、あれだけ笑顔でいるのなら、道真は導くまで。

 あの世の獄卒だった時期もあったから、閻魔大王にも可愛がられただろうが。

 今を、充実しているのだから。その笑顔を壊したくはない。少し温かくなり、桜も蕾を綻ばせてきた。

 美兎と来る頃には、京中の桜も満開になっているだろう。

 そう思いながら、道真は装いを元に戻してから社に入った。
 名古屋から京都に行くには。

 新幹線で行った方が早い。他にも路線はあるが、火坑(かきょう)が奮発して交通費を支払ってくれたのだ。他にも、宿代まで。

 いいのか、と打ち合わせの時に聞くと。


「僕の貯金の使い道がなかったからですねえ? 大丈夫ですよ? 懐はまだまだ余裕があります」


 一人で店を切り盛りしている彼にとっては、多少奮発しても大丈夫なのだろうか。美兎(みう)とて、新社会人として貯金は少しくらいあるのに。

 元彼とでも、料金は割り勘だった。と言うか、後半からは美兎に払わせたりと。まったく、酷い男だった。

 兄が彼を殴り飛ばすまでは、自分が酷い男と付き合っていただなんて思っていなかったから。

 今が、楽しい、と美兎は思わず笑顔になってしまう。

 新幹線。しかも、グリーン車を予約してくれた火坑は。今日から少しの間響也(きょうや)の姿で一緒に過ごしてくれるので、隣の席でにこにこ笑ってくれていた。

 窓側が美兎、通路側が火坑だ。


「グリーン車だなんて初めてです!」
「僕も随分と久しぶりですね? 喫煙席が無くなったとはいえ、喫煙ルームから遠い方がいいでしょう? せっかくのお着物に臭いをうつらせては大変ですし」
「そうですね?」


 事前にメールで予約したらしい呉服屋の着物着付けで着る予定でいるので、今は普通の洋服だ。ずっと着物だと、慣れていない美兎には一時間程度の旅でも疲れるだろうからと。

 気遣ってくれた火坑には、本当に嬉しい気持ちでいっぱいだ。

 それと、少し、いやだいぶ気になっていたのだが。

 響也になった顔をじーっと見ると、火坑はきょとんとした顔になった。


「? どうしました?」
「いえ。響也さんのお金に余裕があるのはお聞きしましたが、こちら(・・・)でも使えるお金ってどうやっているんですか?」
「! ああ、そうですね? 美兎さんには一年近く通ってくださってますが、一度もお伝えしてなかったですね?」
「はい。心の欠片も、結局はほとんど食べさせてもらってますし」


 この車両には、たまたま美兎と火坑しかいないので他人には聞かれない。

 けれど、念のために出来るだけ界隈の単語を出さないようにしなくては。

 火坑は、少し首をひねってからゆっくりと口を開いてくれた。


「まず。心の欠片は文字通り、魂である心を具現化したもの。美兎さんのような稀有な霊力の持ち主や、一部の妖からいただくことが出来ます。これは覚えてますよね?」
「はい」
あちら(・・・)では、欠片のすべてを換金場所に持っていく必要がありません。必要なのは、内包されている霊力もしくは妖力なので」
「……? 本当にひとかけらでも?」
「可能ですよ? (にしき)との境目にその換金所があるんですが。原寸のままだと、換金レベルが暴落してしまいますからね? なので、ほんのひとかけらでも十分なんです」


 なので、美兎や美作(みまさか)が頻繁に来てくれるお陰で、店の売り上げはうなぎのぼりだそうだ。

 師匠の霊夢(れむ)のところよりは劣るらしいが、それでもすごいことらしい。

 一時期貸切が続いた、大神(おおかみ)の時は潤い過ぎても、疲れてもうやりたくないそうだが。


「その換金所でお金をもらえても。換金所は何で得をするんです?」
「いい質問ですね? 心の欠片は稀な吉夢を生み出します。宝来(ほうらい)さんのような夢喰い。あとは吉夢を食事にする妖が購入するんです。いわゆる、オークションのようなもので」
「……色々使われるんですね?」
「ふふ」


 凄過ぎて、頭になかなか入って来ないが。

 とりあえず、そういうものだと理解しておくことにして。

 少し、眠くなってきた美兎は、火坑の肩にもたれかかってから寝てしまい。

 一時間後には、京都駅に到着していたのだった。


「ずっと寝ててすみません……」
「いえいえ、今日のためにお仕事を頑張られたからですし」


 美兎の寝顔を見れて役得だと言われると。

 思わず、顔に熱が集まってきたのだった。

 グリーン車から降りた京都駅は。

 小学校の修学旅行では使わなかったので驚いたが。

 名古屋駅以上に、スタイリッシュな装いの駅になっていたのだった。
 さて、どこから案内しようか。

 と言っても、火坑(響也)として京都に来たのも十年以上も前だ。景観のために保存をしなくてはいけない条例があるとは言え、店は色々変わっているはずだ。

 かつての首都だった場所。

 そして、火坑(かきょう)が二世前に、過ごしていた平安の都だった場所でもある。

 道真(みちざね)の邸以外、野良でなかった火坑は特に都を知らなかった。主人だった彼の知り合いの貴族の邸に母猫がいて、そこで生まれたのが火坑だった。

 大勢いた兄弟の一匹でしかなかったが、珍しい白猫だったからと道真は気に入って邸に連れ帰ったのだ。彼の最期がああなるとは、誰も予想出来なかったが。

 火坑の、猫としての一度目の生涯は、置いて行かれたので飢えで死んだのだ。


響也(きょうや)さん?」


 少し思い出にふけっていたら、美兎(みう)が心配そうに覗き込んできた。


「! ああ、すみません。少し昔を思い出して」
「昔……? あ、道真様と一緒だった頃ですか?」
「ええ。僕は貴族の飼い猫でしかなかったからですし。今の京都に来たのも十年くらい前です。色々変わったんだな……と」
「私も修学旅行以来ですね!」


 思い出にふけっている場合じゃない。

 生涯の伴侶とも思っている、大切な女性をエスコートしなくては。

 着物に着替えるのは昼前なので、タクシーを使って清水寺がある場所へ移動することにした。てっきりバスで移動すると思ってたらしい美兎は、タクシーに乗る前に目を丸くしたのだった。


「あとでたくさん歩きますしね? 今のうちに体力は温存しておきましょう?」
「ありがとうございます……」


 嬉しいのか、はにかんだ笑顔が愛らしい。これだったら、レンタカーを借りてスキンシップし放題も有りだなと思えた。

 火坑は妖だが、人間としての自動車免許もきちんともっている。

 回数は少ないが、アンコウの時期には小ぶりでも自転車で運ぶのが重いからだ。時期は過ぎてしまったが、次の旬の頃には美兎にご馳走してあげようと決めた。

 とりあえずタクシーに乗ってしばらくすると。

 窓越しに桜並木が目に飛び込んできた。当然、美兎は歓声を上げたのだった。


「ちょうど見頃ですからねー?」


 美兎の声に、運転手がくすくすと笑い出した。


「おふたりは、今の京都は初めてで?」
「あ、修学旅行では来たことはあるんですが、秋だったので」
「僕は十年くらい前ですね?」
「じゃ、清水に行くと人混みはすごいですけど。あちこち咲いているから、いいお花見になりますよ?」
「ありがとうございます」


 それから二十分後に清水寺に通じる小径に到着すると。たしかに凄い人混みだったが、桜もあちこち咲いていた。


「良い旅を」


 火坑が料金を払ってから、運転手はそう言ってくれた。

 いい運転手に巡り会えたな、と思ったら。一瞬顔がぶれて、狐の顔が重なったのだった。

 まさか、と振り返れば、運転手は人差し指を口に当てていた。

 タクシーは、ターミナルを回るかと思えばすぐに帰って行ってしまい。

 道真の導きと言うか、もてなしのひとつを受けたのだな、と火坑は軽く息を吐いた。


「響也さん! 凄いです、凄いです!」


 今は、はしゃぐ恋人とともに旅行を楽しもう。

 とりあえず、人混みではぐれないように、しっかりと手を握ってあげたのだった。
 人混み、人混み。

 桜、桜。

 美兎(みう)の目に写るのは、京都の街並みの一角に過ぎないだろうが。どこもかしこも人だらけ。

 けれど、それに負けず桜の木もあちこちに植っていて、美兎の目を楽しませてくれた。

 そして何より。

 大好きな恋人と一緒に歩けるのだから、楽しくないわけがない。

 響也(きょうや)の姿でいる火坑(かきょう)は目が合うたびに、にこにこと笑い返してくれた。


「楽しいですか?」
「はい!」
「それは何よりです。少しだけ距離はありますが、手を離さないでくださいね?」
「はい!」


 絶対離さない。

 離すわけがない。

 好きな恋人と手を絡めて歩いているのだ。気持ちがぽかぽかして、少しくすぐったい。けど、全然嫌じゃないのだ。


「八つ橋がメインのお土産屋さんでも、軽食が食べれますが。二年坂にもあるカフェとだとどちらがいいですか?」
「調べてくださったんですか?」
「もちろん、今回の旅行のためです。美兎さんには是非楽しんでいただきたいですから」
「わ、私も調べたんですが」


 少し小腹が空いたので、食べ物関係も魅力的だったが。まずは清水寺の方面にも行きたかった。

 その奥には、恋縁で有名な神社があるのだ。縁結び関連で、道真(みちざね)がいる北野天満宮にもお呼ばれされているのでもちろん行くが。

 清水寺に行くとだけは事前に聞いていたので、その周辺を雑誌やネットで調べていたら。その神社がヒットしたのだ。

 ちょっとした恋まじないもあるらしいが。それはスルーしていいだろう。恋縁のお守りが欲しいだけで、恋人は既にいるのだから。


「……文化遺産にもなっている地主神社ですか? そちらに行かれたいんですね?」
「その……両想いのお守りもあるよう、なんで。お、お揃いで持てたらなあって……」
「是非行きましょう」
「はい!」


 と乗り気になってくれたので、まずは参道の人混みをゆっくり進んでから清水寺に入り。

 修学旅行以来の清水の舞台にも行ったが、子供の時に見た頃よりはるかに高い気がして震え上がりそうになってしまった。

 その後に、地主神社に向かえば。観光客でいっぱいだったが、例の『恋占いの石』は順番待ちだった。

 目を閉じて、片方の石から反対の石に向かってたどり着ければ恋の願いが叶うおまじない。

 でも、美兎は大好きな恋人ととっくに結ばれているから問題ない。ある意味将来の約束をしているし、なおさら。

 だから、大学生くらいの女の子が挑戦しているのを見ると、少しほっこりしてしまうのだ。

 神様に会えるかわからないが、本殿でお参りしたけれど。道真や大神(おおかみ)のように会えるわけではなかった。

 お守りも希望通りのものが買えたので、それぞれ見せ合ってから無くさないようにバックに仕舞い込んだのだった。


「さて、チェックインや着付けまでまだ時間がありますね? どうします? 二年坂の先にも八つ橋のお土産はありますが、どちらで買います?」
「んー……そうですね?」


 宿泊の荷物は、実は真穂(まほ)が影で預かってくれると言うので、それに甘えているのだ。

 だから、たくさんお土産を買っても大丈夫だが。

 京都銘菓、しかも妖達へのお土産に予定している八つ橋をどこで買おうか。

 結果、清水寺周辺の方が味の種類が豊富なので、二人は来た道を戻るのだった。
 お土産屋で、八つ橋の試食をしたりしてから購入して。

 真穂(まほ)にはトイレでこっそり彼女の分を渡すついでに、その購入した紙袋を預けてから。

 ほぼほぼ手ぶらに戻り、火坑(かきょう)と二年坂に向かう。もちろん、手は繋いで。

 石造りの小径だと転けやすいので、まだ慣れない腕組みだと足元がおぼつかないから。けれど、指を絡めてしっかり繋ぐのも美兎(みう)は好きだった。


「疲れていませんか?」
「全然です!」


 着物だったら疲れてたかもしれないが、普通の服装に加えて靴はスニーカーだ。火坑から事前に服装については言われたので、たしかにこの格好で正解だった。可愛くピンヒールにしていたら、絶対音を上げていたはず。

 二年坂に行く途中の大きなカフェで、軽くランチをして名物のコーヒーを堪能して。

 ほどほどに小腹を満たしたら、少し急な石畳の階段を降りて到着した二年坂は。

 清水寺やここまで来るまでに見たお土産屋さん達とはまた違った、華やかな雰囲気の通り道になっていた。


「どうです?」
「いっぱいお店がありますね!!」
「一応八つ橋も売っていますが、雑貨屋がメインの通りですからね? あと、少し変わったソフトクリーム屋さんも」
「ソフトクリーム屋さんですか?」
「ええ。食べたばかりですし、軽く見て回ってからにしましょう?」


 火坑がそう言うので、竹細工だったり、美兎が以前美樹(みき)から贈られたのとは全然違う造りのかんざしだったり。

 美樹達のお土産を買ってから、その例のソフトクリーム屋さんに行ったのだが。

 普通のソフトクリームとは違う店構えと、広告のタペストリーには。

『かぼちゃと栗のソフトクリーム』と『抹茶ソフトクリーム』が名物らしいが。

 受付兼会計の窓の横にあるメニュー表にも、そのソフトクリームの写真があったが普通のソフトクリームとは違っていた。


「ラム酒にハチミツ……? オリジナルペースト?」


 ただソフトクリームに混ぜるだけでなく、ペーストがコーンの中に載せてあるらしい。なんだかとっても美味しそうだった。


「いらっしゃい」


 店員は、男性ひとり。しかも、初老の男性だったのが意外だった。


「こんにちは、松村さん。ご無沙汰しています」
「! ああ、香取(かとり)さん! 十年ぶりですね? あの頃より大人になられて」
「それは……さすがに三十手前ですしね?」
「はは!」


 どうやら知り合いらしい。

 この男性は人間なのかどうなのか美兎にはわからないが、人通りが多いので話を合わせようと思った。


「はじめまして」
「! はじめまして、店長の松村と言います。香取さんの彼女さんですか?」
「は……はい!」
「可愛らしいですね? そうだ、うちの目玉商品。少しおまけしちゃいましょう」
「い、いいんですか?」
「せっかくの再会と、香取さんに彼女さんが出来た記念です。うちのメインはこのメニューにもある通りかぼちゃのと抹茶があるんですが、普通のも出来ますよ?」
「あ」


 抹茶は、手作りのペーストを使用しているらしく。しかも、三時間限定の賞味期限で売れなかったら一回一回廃棄処分するそうだ。

 もったいないと聞くと、松村は目を輝かせたのだった。


「コーヒーの出来立ての味が際立っているように、抹茶も鮮度などがあるんです。その分こだわっているので、自信はあります!」
「そうなんですか?」
「……じゃあ。抹茶は僕が。美兎さんはかぼちゃにしませんか?」
「はい!」
「では、早速作りますね?」


 そして数分後。

 ワッフルコーンからあふれんばかりのソフトクリームに、かぼちゃと栗のペーストは本当に美味しそうで。

 火坑の抹茶も、仕上げに抹茶がたっぷりふりかけてあるなど、豪華だった。

 付属のスプーンでペーストを少しソフトクリームと一緒にして口に運べば。

 今まで食べてきた、ソフトクリームはなんだったかと思うくらい、美味しくて飛び跳ねてしまいそうだった。


「美味しいです! ラム酒の風味も程よくて、すっごく甘くて滑らかで。アイスの方も美味しいです!」
「ありがとうございます。僕の手作りなんですよ」
「わあ」
「……やはり、ここのソフトクリームは食べやすいですね。甘いものがあんまりな僕でも食べれます」
「はは。自信作ですからね?」
「美兎さんもひと口どうです?」
響也(きょうや)さんも」


 とシェアしてたら、松村がさらにニコニコし出した。


「仲がよろしいことで。……………………菅公(かんこう)から聞いていますよ?」
「え?」
「ふふ。こちらの松村さんも、実は……なんですよ」
「ええ!?」


 やはり、人間ではなかったのか。

 こっそり事情を聞くと、妖ではなくて神の使いのような存在らしく。

 でも、わりかし暇なので、少し離れたこの二年坂で商売を始めたら。テレビなどでも取り上げられるくらい、有名になったそうだ。

 だが、少人数で経営したい意思を変えずに、今の店舗で満足しているらしい。


「さ。飲み物も欲しいでしょう? 春と夏限定ですが、ノンアルコールのソーダカクテルがあります」


 そちらはサービスしてもらい、美兎はラベンダー。火坑はライチをもらい。ゆっくりソフトクリームとカクテルを楽しんでから、松村の店を後にしたのだった。