芙美の一方的な思い込みで、.美作と接触出来ないでいる。
その誤解をどう解くべきか、第三者としてわかりかねていた美兎だったが。せめて、仲直りのようなものが出来たらいいなとは思ったのだ。
芙美はホットモカを飲み終えると、またテーブルに顔を伏せていた。
「……芙美さんは、美作さんと仲直りしたいと思ってますか?」
美兎が質問すると、芙美はこくりと頷いた。
「……仲直り……したい」
「だったら、会いましょう? LIMEでもいいかもしれないですが、謝るにしても直接の方がいいと思います」
「……楽庵とかでー?」
「それは芙美さん次第ですが」
「…………うん」
と。決断したら早いのか、芙美はポケットからスマホを取り出して。おそらく、美作にLIMEでメッセージを送ったのだろう。
のんびり屋に見えて、流石は情報屋と言うべきか。
美兎も美味しいブレンドコーヒーを飲みながら待っていると、芙美が小さく声を上げた。
「来ました?」
「……うん。今楽庵に向かっているって〜」
「行きます?」
「…………行く〜」
季伯に勘定をお願いしようとしたら、芙美がささっと払ってしまい。彼女からは『相談のお礼』と言われたので受け取るしかなかった。
とりあえず、楽庵に行くと。引き戸を開ければ、珍しく煙草の香りがしたのだった。
「あ」
「あ」
奈雲三兄弟はいなかったが、カウンターで美作が煙草を吸っていたのだ。吸うのを見るのは初めてかもしれない。
美作は芙美と目が合うと、すぐに煙草をやめて灰皿に入れて消したのだった。
「こ、こんばんは〜……」
「ども……」
少々気まずい雰囲気ではあるが、美兎もいるので中に入ることにした。
「いらっしゃいませ」
火坑は火坑で、いつも通りの涼しい笑顔のままだ。何か聞いているかもしれないが、本人達がいるので聞くのはやめておこう。
とりあえず、手土産のフィナンシェは渡しておいた。
まだまだ寒いので、すぐに熱いおしぼりと煎茶が出てきた。
芙美は必然的に美作の隣に腰掛けることになったので、ギクシャクしている状態。
「そ……その……」
けど、謝るつもりでいたらしく。すぐに声をかけようとしていた。
「……いや。俺の方が悪かったです」
「え?」
「俺が……曖昧な態度したから、芙美さんに誤解を招くことしちゃったし」
「え、だって……美作さん、困っていたから」
「いや。照れてただけですよ?」
「はえ!?」
おっと。これはもしかして、もう切り出すつもりか。
美兎もだが、火坑も聞いてていいのかと思ったが。火坑から目配せで座敷席にと言われたので、湯呑みとおしぼりだけを持って移動することにした。
二人は自分達の話に夢中になっているせいか、美兎の行動に気づいていなかった。
「だって、あれカップル限定商品だったじゃないですか? 俺は彼氏じゃないのに、勘違いされて……まあ、しばらく彼女いなかったからどう反応すればいいか困っただけですよ?」
「いやじゃ……なかったんですか〜?」
「嫌だったら、誘われる時に断っていますよ?」
「よ……よかった〜……」
座敷席から、そろっと後ろ姿を確認すると。芙美はカウンターに突っ伏していたのだった。
「……俺。逆に芙美さんも嫌だったんじゃないかって。勘違いしてました」
「ふぇ?」
これはまさか、と美兎は覗きながら唾をごくんと飲んだ。
「俺が彼氏だって勘違いされて。嫌な思いしたのは芙美さんじゃないかって」
「そんなことないです!」
「え?」
「お……おこがましいと思ってます……けど。美作さんが彼氏だったら、いいんじゃ……ないかって」
「……芙美さん?」
顔を上げた芙美が美作を見ると、大胆に美作の手を掴んで、ぎゅっと握ったのだった。
「こんなダメダメのっぺらぼうですけど! 美作さんが……辰也さんが好きなんです! 付き合ってください〜!」
まさかの大胆な告白。
火坑はよく向かい側の厨房で、調理しながら聴けるものだ。と、少し感心してしまった。
美作の方は、顔を真っ赤にしていたが。すぐに、掴まれてた手に空いてる手を重ねたのだった。
「……俺も。芙美さんが好きです! 俺の彼女になってください!」
「はい〜!」
無事にハッピーエンドとなったわけである。
よかったよかった、と美兎もだが火坑も拍手で祝い。
四人でささやかだが、お祝いの席を開くことになったのである。
今のっぺらぼうの芙美は、天にも昇ってしまうくらい幸せだった。
些細なきっかけで、手を差し伸べてくれた人間の男。
顔と声が好みだった。最初はそれだけ。
けれど、次第に気になって気になって。
楽庵に来たことで『友達』にはなれたのだが、それだけでは芙美には物足りなかった。
欲が出てしまったのだ。
人間界や界隈でチョコ巡りをするのが趣味な芙美に、美作辰也も甘いものが好きだとわかると。遊びに行くついでのようにデートに誘ってしまっていた。
迷惑がられていないし、誘っても断れなかったから。
だからあの時も、カップル限定のショコラアソートを買いに行きたいと言うのにも、ついつい誘ってしまったのだ。
けれど、当日。
辰也は、店員からの対応に終始苦笑いしていた。それがまさか、照れているとは知らず。
芙美が勝手に迷惑をかけたと思い、勝手に気まずくしてしまい。
約半月、会わなかったし、避けてもいた。
それが、辰也も思っていたとは知らず。
今日、久しぶりに出会った湖沼美兎に勇気を持とうと言われ。
その結果、お互いの気持ちのすれ違いとわかり。無事に恋仲になれた。
凄く、凄く嬉しくて。
火坑が祝いだと、色んな料理を振る舞ってくれている最中。
芙美のわがままで、片手は辰也と手を握っていた。
「ふふ、ふふふ」
「芙美さん、ご機嫌ですね?」
「辰也さんと一緒ですから〜」
ついつい、お酒もすすんでしまうくらいだった。
「良かった。あ、火坑さん。心の欠片で、この前みたいなチョコって出せます?」
「ええ。では、ホットチョコでも淹れましょうか?」
「お願いします」
「わーい!」
チョコ好きの芙美にとって、ここのホットチョコは至高の逸品。
辰也の希望通りに出てきた心の欠片で、火坑はすぐにホットチョコを淹れてくれた。
ほわほわのホイップクリームもたっぷり。
界隈にもあるコーヒーチェーン店顔負けのホットチョコは、冬のお楽しみだった。別に、ホットチョコは年中飲めるが、冬のチョコは格別なのである。
「あっま! けど、うっま! へー? 女の子が好きそうなイメージだったけど、イケる」
「大将さんのこれは特別ですから〜」
まだ情報屋として半人前だった頃。
火坑も店を出して、少し経った頃。
たまたまお腹が空いた芙美がここに来て、火坑に頼んで、自分の心の欠片を渡したそれで作ってくれたのが。
今飲んでいたホットチョコよりももっと簡単なタイプだったが、すっごく美味しかったのだ。だから、年が明けてしばらく経ってから、芙美はここに来るようになった。
火坑も、来店のたびにチョコをストックしてくれるようになり。以来、それが決まった時期の習慣になったのだ。
だが、その習慣も終わりになるかもしれない。
辰也が一緒なら、もうしょっちゅう来るつもりだから。
ひと口飲むと、冷えた指先がじんわりと痺れるような感覚を得て。甘々トロトロの溶けたチョコが身体全体を温めてくれるようで。
相変わらず、美味しい。
特に今日は、辰也の心の欠片で作ったものだから。
「あ、火坑さん? バレンタインの時のマシュマロ? の、トーストも」
「かしこまりました」
「辰也さん?」
「俺からのホワイトデーってことで」
ああ、人間と言うものは。
妖よりも、はるかに短い生なのに。その短い時間で奇跡をたくさん生み出していく。
ついつい、感情が溢れて。
芙美は、辰也の頬に口づけを贈った。逆隣にいた美兎には『きゃー!』と声を上げさせてしまったが。
付き合う瞬間から見届けていたとは言え。
今は帰ってしまったのっぺらぼうの芙美に、その恋人になった美作辰也はとても上機嫌で帰って行った。
座敷童子の真穂のように、界隈に居住しているらしく、いきなりだが芙美が連れて行くそうだ。
美兎は二人のラブラブっぷりに当てられて、少し感心してしまった。
まったくではないが、美兎の仕事も忙しかったし、また火坑とデートが出来ないでいた。
先日の突撃訪問は驚いたが、あれも嬉しかった。
そして、芙美達が帰ってしまった今。店には美兎と火坑だけ。
今日も梅酒のお湯割りで体を温めて、スッポンのスープと雑炊でお腹は満たされた。甘いものも、美作のお陰で満たされているが。火坑の仕事している様を見ると、酷く落ち着くのだ。
「美兎さん」
少し、見惚れていたら。火坑がこちらに振り返ってきた。
「はい?」
「今月も残り少ないですが。以前お話ししたお着物デートを覚えていますか?」
「覚えてます」
火坑と話すことは極力忘れないようにしている。
仕事は仕事。プライベートはプライベートだが、大事な大事な恋人との思い出は忘れないようにしているのだ。
美兎が頷くと、火坑は涼しい笑顔で口を開いた。
「でしたら、近いうちにしませんか? 名古屋でお着物デート」
「! したい、です!」
「よかったです。着物レンタルは、実は真穂さんが提案してくれたんですよ?」
「? 真穂ちゃんが?」
「はい。人化した時と然程変化がないので有れば、自分の着物を貸すと」
「わぁ!」
普段は子供の姿でも洋装なのに、やはり妖だから着物は持っているのだろう。
それなら、お言葉に甘えたかった。
「いつにしましょうか?」
「えっと……ちょっと待ってください」
スマホではなく、手帳を取り出して残り少ない三月の予定を見れば。ちょうど、今週末は二日とも休みになっていた。
それを伝えれば、火坑はにっこりと笑ってくれた。
「でしたら、真穂さんと確認をとってから決めましょうか? 僕も一張羅を出してこなくてはいけませんね?」
「火坑さんもお着物着られるんですか?」
「もちろんですとも。普段はこんな格好ですが、地獄で働いてた時も一応着物でした」
「えーと? 前世、でしたっけ?」
「猫には複数の魂。生き方のルートがありますからね? 道真様の飼い猫だった時を合わせてもまだ三つです」
「三つでもすごいですよ?」
「ふふ」
人間でも前世の記憶を持って生まれると言うこと自体あるかどうかわからないのに。
猫だからか、妖だからか、色々特殊かもしれない。
遠い遠い、火坑の生まれ育った時代。
当然無理だが、美兎はそこにはいない。
「……火坑さんのこと、もっと知りたい」
ぽつりと口に出したら、火坑にも聞こえていたのか目を丸くした。
「僕のことですか?」
「! あ、いえ! すみません、出過ぎたことを!?」
「……ふふ。いいえ、美兎さんのわがままは可愛らしいですから」
「……可愛いですか?」
「ええ。それなら、手始めに敬語をやめてみますか?」
「無理……です」
「ふふ」
ちょっとだけ。
ちょっとだけ、わがままになっていいのだろうか。
元彼には、ウザいだのなんだの言われたりもしたが。
比べとようもない素敵な猫人は、美兎の心のしこりを上手に取ってくれた。
なら、と美兎は手招きで火坑を呼んで。
初めて、猫の口にキスをしてみたのだった。
「!?」
「人間とは全然違いますね……?」
唇もあるようでない。ヒゲがチクチクするが少しくすぐったい。
ヘラヘラ笑っていると、火坑は瞬時に響也になった。
「……お返しですよ?」
と言った直後。
ちょっかいを出したのを後悔するくらい、濃い濃いキスをされてしまったのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
四月目前。
三月もあと少し、と言うところで。美兎は大好きな恋人、猫人の火坑と着物でデートする約束をしていた。
着物はレンタルショップではなく、美兎の守護である座敷童子の真穂から借りることになったのだ。
金曜の夜に、界隈の真穂の家にお邪魔して。小物から何から何まで用意してくれたことには驚いた。
「すっごーい!」
豪華絢爛と言うゴージャスなものから、可愛らしいもの。現代に合わせた生地に模様があるものまで。
どれもこれもが素晴らしく、本当に美兎が借りていいのか、と少々不安になった。
「着せるのはまっかせなさーい? とりあえず、三月も終わりだーかーらー」
パパっ、パパっと着物と小物などを仕分けて。片付けながら美兎の前に置くと、それもそれで美兎の好みの着物ばかりを用意してくれた。
「こ……こんな綺麗なのを……?」
「美兎に地味柄着せれるわけないじゃん? 真穂の人化と背丈あんまり変わんない……けーど」
「けど?」
「浴衣じゃないけど。美兎の胸でかいから、ちょこっとは潰さないとね?」
「……そーなの?」
例の元彼には小さいのなんのとか言われていたから、平均以下だとは思っていたが。
そうか、小さくないんだ。と、少し嬉しくなった。
とは言え、火坑とそう言う進展にまで行くのは当分先だ。うっかりで致してしまったら、美兎の人生を大幅に狂わせてしまう。
LIMEで、先祖の美樹に聞いたりはしたが、出来るだけ人間界での生活を謳歌してからがいいと言われた。たった一回でも。妖の力で、人間の体は簡単に変わってしまうらしい。
それに、身近。会社の先輩同期もだが。美兎の兄である海峰斗までもが、今目の前にいる真穂と付き合っているのだ。
女もだが、男の方が性欲が強いとされているのに。
海峰斗は大丈夫か、少し心配になってきた。
「ん? どうかした?」
「……あの、さ」
「うん?」
「お、お兄ちゃんと……その」
「うん?」
「せ……っくす、我慢してる?」
「ぶは!? いきなりどしたの?」
「ちょ、ちょっと……気になって」
直球過ぎだと思ったが、気になると聞いてしまっていた。
真穂と海峰斗との問題だが、美兎も他人事ではない。多分だが、いつか響也の姿で火坑とはそう言う関係になるだろうから。
だから、聞いてみたかったのだ。
「まあ、そうね?」
帯をカーペットの上に置いてから、真穂は腕を組んだ。
「みほには超我慢させてるわ。男だし、人間にしちゃいい歳だし。キスしかしてないけど、まあ凄い凄い」
「す……ごいんだ?」
「そう言う面は、妹のあんたでも知らなくて当然よ? お陰で、キスシーンのネタには事欠かないわ」
「おお……」
「は、ともかく。みほの仕事は接客メインだもの。しかも、真穂みたいに定年があるようでない職種。だから、もしみほと結婚しても子供作るまでは、なーし。って話し合ったわ」
「……すごい長いね?」
「みほも納得してくれてるわ。ま、最後までしなきゃ大丈夫は大丈夫だけど」
理性無くす可能性あるから、禁止にはした。と、真穂は言い切った。海峰斗も頑張っているんだなと、美兎は思えた。
なら、美兎も今は我慢しようと決めた。
「うん。ありがと」
「けど、美兎も美兎でちゃーんと火坑とそう言う決め事した方がいいわよ?」
「? うん?」
「半分人間のようでいて、あいつは獣だからさ?」
「猫だから?」
「猫だから」
意味がよくわからなかったが、とりあえず。
美兎はピンクと薄い金色が地の着物を選ぶことにして、髪も着付けも一通り真穂に手がけてもらうことになった。
着物に袖を通すなど、いつ振りだろうか。
仕事で作務衣のようなものは着ているが、着物とは言い難かった。洋服のようにちゃっちゃっと着れるから、火坑には違うと思っていたのだが。
普段着も似たような服なので、本当に着物に袖を通すのは久しぶりだ。
恋人の美兎がどのような煌びやかな着物を着てもいいように。出来るだけ、落ち着いた風合いに。
まだ四月前でも、猫毛程度の火坑の体毛では肌寒く感じてしまう。おまけに今日は、人間界でのデートだ。
猫の姿を隠すために、『香取響也』として彼女と名古屋の町を練り歩くのだ。寒いが、我慢するしかない。
「……こんなところか」
きちっと衿を整えて、羽織るのには羽織よりも和装向きのコートがいいだろうか。
一応昨夜までに決めてはいたのだが、気温が変わりやすいこの時期だから。そこは慎重に選ばなくては。風邪を引いたのは、今の生を得てから片手で足りるほどしか引いていないが。油断は出来ない。
とりあえずコートにすることにして、手には手袋。マフラーはいいかと思ったが、バレンタインに美兎からもらった手編みのマフラーを合わせると。意外に似合っていた。
ではこれで行こう、と。片付けをしてから人間界に向かう。
着物なので多少は目立つが、響也の顔は基本的には地味にしてある。調整しないと、以前美兎に見せた通り女性の心を鷲掴みにしてしまう傾向が強いからだ。
師匠である霊夢にも注意されたことがあるし、出来るだけ美兎を困らせたくはない。
ただ、今日は少し急いだ。
いつも最高に可愛い恋人が、着物で煌びやかに着飾っている姿はきっともっと素敵で可愛いだろうから。
待ち合わせの場所に着くと、予想以上に美兎は可愛く素晴らしく着飾った着物姿で待っていてくれた。ナンパされていないか心配だったが、座敷童子の真穂も一緒だったからか、大丈夫そうだった。
彼女に関しては、人化した姿で普通の服装だったが。
「じゃ、お邪魔虫は退散するわねー?」
火坑を見ると、ばいばーいと言いながら帰って行った。本当に、美兎を守るためだけにわざわざ出向いてくれたのだろう。
「おはようございます、響也さん」
振袖姿のような派手さはないが。
控えめな装飾でも、美兎の容姿を引き立たせていた。桃色と金糸が主体となった着物は本当に彼女によく似合っていて。
抱きしめたい衝動を堪えて、火坑は笑みを返した。
「おはようございます。……よくお似合いですよ?」
「あ、ありがとうございます!……響也さんも、素敵です」
「ふふ。ありがとうございます」
美兎も真穂に借りたのか、和装のコートを着ていた。それでも、首元から見える装いは愛らしく。
髪には、覚の奥方からいただいた手作りのかんざしをつけていた。約束通り、つけてくれたことが嬉しかった。
手を繋いでから、まずは着物で歩くことに慣れるために。
ゆっくりと、栄の街並みを歩くことにしたのだった。
たまたま、だった。
四月にほど近く、かと言えまだまだ冷え込む季節。
歩きタバコが禁止と、人間界ではつい最近決まってしまったので。口寂しいから飴を舐めていたのだが。
適当に栄の街並みを歩いていたら、少々驚いた光景を見たのだ。
「ほっほーう?」
目に入ってきたのは、人間と妖のカップル。
それ自体は、少々珍しいくらいなので然程驚くことではないのだが。
気になったのは、妖である男の方。
妖の人間への変身とも言われている『人化』は、人間のように言うならイケメンとか美女とかがセオリーなのだが。
その妖は、逆に地味だった。
いや、めちゃくちゃ地味ではないのだが。人間で言えば、そこそこ顔は整っている方だ。だが、妖となると地味だ。
だが、一反木綿の馨は彼の正体を知っていた。
錦の界隈で、小さな小さな小料理屋を営む、猫と人が合わさったような妖だ。ただの妖ではなく、前世が地獄の官吏だったと言う異例の妖。
そんな彼の噂はちょくちょく耳にしていたが、まさか本当に恋人が出来ていたとは。しかも、相当な加護をまとっている、可愛らしい人間の女と。
互いに着物を着ていて、とても仲睦まじく歩いていた。幸せがこちらにまで伝染しそうなくらいに。
「……随分と、かいらしいお嬢さんやんな?」
しかし、あの絶大とも言える加護はなんだろうか。妖、火坑の加護だけでは、あそこまでいかないだろう。
少々気になって、ついていこうとしたのだが。気配を隠せていなかったのか、火坑がこちらに振り返ってきたのだ。
「……あ」
「…………」
「響也さん?」
怖い。
地味だと思っていたが、凄む顔はどこか美しい。
と、的外れな思考でいなければ。火坑の睨みから逃れられなかったのだ。しかし、人間としての名前が『響也』とはよく考えたものだ。
「……馨さん?」
「…………はい」
「お知り合いですか?」
「ど、どーも」
まさか、尾行しかけていたのを女性の方は気がついていなかったようだが。
謝って帰ろうとしたが、火坑に肩を掴まれたので叶わず。
「……場所を移しましょうか?」
と、火坑が怖い声音で告げたので。
仕方なく、ついて行くことになってしまったのだった。
場所は界隈の、喫茶店『かごめ』。
馨も何回か来ているので、ここのコーヒーが美味しいのは知っている。だが、今は美味しいと思う余裕がなかった。
「そ、そそそ、その!」
とりあえず、出来心で尾行しようとしたことを謝罪しようと馨は腰を折った。
「尾行しようとして、すんませんした!!」
「え、尾行?」
女性の方は、まったく気がついていなかったようだ。なので、火坑が怒る前にさらに謝罪するのだった。
「自分、一反木綿の馨言います。そちらの火坑はんの店にも通わせてもらってる……妖電報の記者なんです」
「電報?……新聞記者さんってことですか?」
「砕けて言うと、そんな感じです! ほんま、デート中にすんませんでした!!」
「まったく……好奇心で人のデートを邪魔しようとしないでください」
「ほんま……すんません」
猫人でも温厚で、滅多に怒ることのない火坑が、本気で怒っている。それだけ、この女性には本気と言うこと。
再三謝ると、火坑も呆れたようなため息を吐いた。
「電報に、ふざけて僕達のことを書こうとはしませんよね?」
「し、しません!」
片隅には思っていたが。
だが、そうしたら彼の店には通えなくなるのが嫌で、ぶんぶんと首を横に振った。
「それなら、よかったです」
「あの……スクープ、にされそうだったんですか?」
「ええ。可能性の話ですが」
「お、おおお、俺は珍しい組み合わせやな〜と気になっただけで!!?」
「けど、可能性があったんですよね?」
「……あい」
とりあえず、馨は今日誓ったのだ。
元獄卒だったこの妖を怒らせてはいけないと。詫びに、コーヒー代とかは馨が持つことでお開きとなった。
少し、びっくりした。
また知らない妖と出会ったこともだが、火坑が怒っていたことも。
注意することはあっても、一度も怒ることはなかったのに。そんな彼が、一人の妖に対して怒っていた。
たしかに、相手も相手で。尾行しかけていたとは、犯罪の一歩手前ではあったが。新聞記者だったから、職業柄仕方がないと言うべきか。
けれど、美兎をスクープにしたところでなんの意味もないと思うが。
とりあえず、『かごめ』を出てから。火坑は電車で移動しようと言い、名古屋駅に移動したのだった。
「さて、どこからいきましょうか?」
響也として人間の姿になってる火坑は、猫人のような涼しい笑顔で美兎に聞いてきた。
「? 響也さんのオススメなんですよね?」
「それもですが。美兎さんのリクエストも聞きたかったもので」
「リクエスト?」
「まだ早いですが、お腹が空いているのなら柳橋から行こうかと」
「ん〜……お腹はまだそんなに」
「でしたら、ウィンドウショッピングといきましょうか?」
「はい!」
ただ、百貨店に行くと。
「あ、美兎ちゃーん!」
エレベーターで適当に降りた先で、久しぶりに栗栖紗凪と遭遇した。烏天狗の翠雨も当然一緒だったが。
「久しいな?」
「その節は、食材を届けてくださってありがとうございました」
「大したことはしてない。……今日は揃って着物か?」
「ふふ。四月以降に京都へ行く予定なので。その予行練習です」
「なるほど」
去年のようにダブルデートになるかと思いきや、二人は映画を観に行くようで。すぐに別れることになった。
「驚きました」
「ええ、本当に。他にも出会うかもと思ってしまいそうです」
「ふふ」
それが本当になるかと思いきや、意外にもそんなことはなく。百貨店などでウィンドウショッピングを楽しんでから、柳橋に移動する。
少し裏通りに面していたので、道で転けないように気をつけた。
最も、火坑が転けないようにエスコートしてくれたお陰もあるが。
「ここですよ?」
「わぁ……」
テレビなどで、東京の築地などは見たことはあるが。
海から遠い名古屋での生鮮市場は初めて見る。とは言っても、今日は休日なので火坑が普段利用する市場は閉まっている。
代わりに、食べ歩きや小さな食堂のような店があちこちに並んでいた。
築地でもあるような玉子焼き屋から漂う匂いに、美兎も流石に小腹が空いてきたが。
「ふふ。買いましょうか?」
「うう……」
腹の虫の音が聞こえてしまったのが、正直言って恥ずかしかった。
とりあえず、火坑に買ってもらった玉子焼きは。
少ししょっぱいが、甘くてとても美味しかった。そんな感じに食べ歩きしながら柳橋を回り。
お茶屋さんでひと息つくまで、美兎達はたくさん食べに食べて。
着物デートとは言え、服装以外は普通のデートだと思えるくらい、楽しむことが出来たのだった。
殺されるかと思った。
それくらい、あの猫人は視線だけで妖術を使えるのかと思った程だ。
「ふふふ、ふふふ! 大袈裟ですよ、馨さ〜ん?」
「冗談やないでー、芙美やん!」
ただいま、界隈の妖電報名古屋支社にて。
たまたま来ていた、情報屋でありのっぺらぼうの芙美が一反木綿の馨の話を聞いてくれたのだ。
反省の意を込めて、今は白い布切れのような姿。一反木綿の本性になっている。馨が一度本性に戻ると数時間は人化出来ないので、煙草を吸えない戒めだ。
ただの布切れ。子供を襲うと言われる妖だが、現代日本でその手が通じるわけがないし。馨は襲うつもりはない。
人間の子供を食らう必要がないし、現代の界隈ではいくらでも美味いものがある。人間界でもそうだ。
とりあえず、手足の部分みたいな布切れを使って、ドリップマシーンで淹れたコーヒーを飲む。口の箇所も一応あるのだ。
「けど〜、大将さんをスクープにしないで正解ですよ〜? 美兎ちゃんには本気の本気だから〜、もしやっちゃってたら地獄の業火を呼んだかもしれないですね〜?」
「うっわ! ほんま、せんで正解やったわ!?」
芙美はあの女性、美兎と言う人間の女性のことを芙美に簡単に教えてもらった。
覚の御大の子孫。
座敷童子の真穂が唯一守護についた人間。
とんでもない人物だ。
スクープにしたい内容だが、真穂までいると後が余計に怖いので断念したが。
かなり前に、スクープにしかけてこの建物を破壊されかけたのだ。
そんな彼女が憑く相手とは、よほど魅力的な霊力の持ち主なのだろう。
「でも〜。あのお店で、人間と妖が結ばれる話が多いんですよね〜?」
「……ほぅ?」
その噂は聞きかじっていた。
今目の前にいる情報屋の芙美が、酔っ払った時に広めたらしいので信憑性は薄かったが。
素面の今なら、本当のことが聞けるのだろうか。
「美兎ちゃんでしょー? 私でしょー? あと、火車の風吹さんも」
「……えらい、いますなあ?」
「あそこは縁を繋いでくれる場所ですけど〜」
「おん。芙美やんの馴れ初め聞いても?」
「記事にしちゃいます〜?」
「せんせん」
もししてしまったら、芙美経由で火坑に繋がり。結局は、楽庵に出禁させられることになるだろう。
それだけは避けたかった。
「えっとですね〜?」
そこから聞かされた内容は。
こちらが、甘ったるい金平糖を噛み砕くような。甘々のものばかりで。
こりゃ、記事には出来ないと馨は納得したが。とりあえず、赤鬼の隆輝が勤務する人間界の洋菓子店が絶品とも教わり。
久しぶりに奴に会いに行くついでに、取材しに行こうと。人化出来るようになってから、芙美を見送ったのだった。
着物で歩くのは、初詣の時もそうだったが結構大変だった。
真穂には動きやすい草履を選んでもらったが、それでも着慣れない着物姿と言うのは疲れるものだ。
隣にいる火坑はよく平気でいられるのが、少し羨ましかった。
「大丈夫ですか? 美兎さん」
その疲れが顔に出てたのか、火坑が顔を覗いてきた。
「……すみません。少し、草履が」
「僕も気づかずすみません。初詣でも、大変そうでしたのに」
「いいえ! デートは本当に楽しいです!」
「ふふ。わかっていますよ?」
響也の顔で、火坑はにっこりと微笑んでくれた。
「響也さんは平気なんですね?」
「普段から草履なもので」
「あ、気づかなかったです」
店で会う時は、あまり足元は見ないものだから。
彼女として、少し申し訳ないな、と思っていたら。火坑に髪をぽんぽんと撫でられた。
「ふふ。慣れの差はどうしようもないですからね? 真穂さんに連絡してから、彼女の家に行きましょうか?」
「え?」
「着物だけ返しに行きましょう? そのあと、僕の家でゆっくりしませんか?」
「けど。この後も案内してくださるんじゃ?」
「辛い思いをされてまで、は本意じゃないです。大丈夫ですよ? デートはこれっきりじゃありませんから」
「……はい」
少し子供みたいなわがままを言ってしまった。
けれど、火坑は優しく諭してくれるだけで、否定はされなかった。
その優しさに涙が出そうだったが、ぐっと堪えて。真穂に連絡したら、『了解』と返事がもらえたので、街の端に頑張って移動してから火坑の妖術で移動した。
到着すると、マンションの下で真穂が待っててくれていた。
「お疲れ様」
「着物、ありがと」
「草履が大変なら、次はブーツにしてみる?」
「ブーツ?」
「ほら、ハイカラさんとかが着てる感じ」
「おお!」
次回もあるのなら、美兎は期待が膨らんできたのだった。
とりあえず、美兎が着替えている間に火坑には別室で待っててもらい。
朝来た通りの服装に戻ったら、重い着物からの解放感に少しホッと出来た。
「おつかれー」
「着物って、筋トレになりそうだね……?」
「ま、ねー? あとちょっとで京都行くんだし、もうちょい慣れないとね?」
「……うん」
四月。
実は美兎の誕生日が近いのだが、まだ火坑には伝えていない。
プレゼントをねだるだなんて、可愛くないことだと元彼に言われたことがあったので控えていたが。
火坑は違う。
彼の誕生日も去年祝ったし、美兎の方も、と思っているかもしれない。
着替え終わって、ひと息ついたら彼の自宅まで手を繋いで歩き。
彼の家に着く直前に、言ってみることにした。
「火坑……さん」
「はい?」
「……私。来月の五日が誕生日なんです」
「え」
当然驚かせてしまい、火坑は鍵を開ける手を止めてしまった。
迷惑だと思いかけていたら、彼は鍵を急いで開けて。美兎の手を引っ張ったと思えば、中に入って扉を閉めたらすぐに美兎を抱きしめたのだった。
「火坑さん……?」
苦しい一歩手前の力加減だったので、美兎はドキドキしっぱなしだったが。
火坑は猫人には戻していない響也の顔のまま、大きく息を吐いた。
「僕は大馬鹿者です」
「え?」
「美兎さんの……彼女の誕生日を聞き出す勇気を持っていませんでした」
「わ、私が言わなかっただけで!」
「けど、残り時間が少ないです。……美兎さん、今思いつきましたが。誕生日プレゼントを旅行にしませんか? 日にちは流石に別日になりますが」
「! はい!」
突然の思いつきでも、美兎のことを考えてくれていたので。
美兎は火坑に抱きつき、その後、彼からは甘い甘いキスをもらったのだった。