名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 団体客の予約が入った。

 団体と言っても、この狭い店内にとってはだが。

 昼頃に、恋人の美兎(みう)からLIMEで連絡があり。(くだん)田城(たしろ)真衣(まい)火車(かしゃ)風吹(ふぶき)がお付き合いを始めた。

 今日ランチの時に打ち明けられ、沓木(くつき)と一緒に美兎も火坑(かきょう)とのことを打ち明けたそうだ。

 結果は、田城が秘密を持っていたことにむくれただけだったそうだ。それで、ここに来たいと言い出したので予約となったわけである。

 よかった、と思うと同時に。良い猪肉が手に入ったので、師匠の霊夢(れむ)直伝の角煮でも仕込もう。

 残りは、カレーにでもしてみようか。

 半端な肉とかでカレーを仕込むのは、火坑の密かな楽しみだ。美兎にもいずれ食べさせてやりたいと思っていたので、いい機会だろう。

 角煮を仕込んでいると、匂いにつられたのか早いお着きの客がやってきた。


「やあ」


 入ってきたのは、妖の総大将とも呼ばれている、ぬらりひょんの間半(まなか)だった。

 今月になってからははじめての来訪である。


「少しご無沙汰ですねえ?」
「なーに? あちこちで目出たい出来事があったからだよ。知ってるかい?」
「? なにがでしょう?」


 カウンターに腰掛けたと同時に質問されたが、いきなりの問いかけに火坑はすぐにわからなかった。

 熱いおしぼりを渡せば、間半はさらにいたずらっ子のように微笑んだ。


「この店が。妖と人間の(えにし)。しかも、恋縁を繋ぐ場と化していると」
「……どなたがそのように」
「さあ? 僕も詳しい事情は聞いていないねえ?」


 実際は知っていそうだが、当ててみろと言わんばかりの風態。

 仕方ないので、先付けの牛蒡と蓮根のきんぴらを出した。


「……まさか、情報屋の芙美(ふみ)さんではないでしょうし」
「ふふ。そのまさか。酔った勢いで広めてしまったらしいよ? 自分自身も、『友達』とは言え縁が繋がったからねえ?」
「……はあ」


 いつもは冷静な芙美が。余程、嬉しかったらしい。美作(みまさか)とはまだ友達らしいが、それでも縁が繋がったのを嬉しく思わないわけがない。


「まあ。いいことじゃないか? 種族は違えど、妖と人間の混血児も多々ある。僕の孫もそう言う感じだったしねえ?」
「……それは初耳ですね?」
「まだ最近……と言っても、十年くらいだけど。可愛いよぉー? ひ孫もいいねえ?」


 いつか。

 美兎が火坑と本当の意味で結ばれて。祖先の美樹(みき)のように不老長寿になってしまう。

 その生き方を、これまでは望んでいなかっただろうが。火坑と恋人になってからは、いいと告げてくれた。

 沓木と田城はどうかわからないが、同じ仲間が増えることは嬉しいだろう。まして、同じ場所で働いている先輩後輩だから。


「ふふ、それは喜ばしいことですね?」
「そうだとも。さて、今日の食材はなにがあるかなあ?」
「猪があるんですが。鍋か洋風かで仕込む時間の差が出来ますね?」
「! なら、気分は洋風だねえ? 香ってくる匂いは煮物だけど」
「今日、美兎さんが会社の方と来られるそうなので。角煮を作っているんです。洋風だとカレーになりますが」
「いいね、いいね! 小料理屋のカレーもいいねえ! あ、飲むのは熱燗にしてほしいな?」
「かしこまりました」


 さて、材料は確保しておかないと。この総大将は意外と大喰らいだからだ。
 まず、界隈の入り口からだが。

 田城(たしろ)は本当に視えるようになったのか、少し驚いていた。


「なんか……こっちより騒がしい音も聞こえる?」


 耳まで変わったのか、向こう側の喧騒まで聴こえているようだ。

 とりあえず、細い路地裏のようなところを通り、妖達にとっての表通りに出る。そこに出たら田城はさらに驚きの声を上げて、まるで子供のように口を開けたのだ。


「すっご、すっごー!」


 まるで遊園地に来たかのようなはしゃぎっぷりだ。

 たしかに、美兎(みう)も慣れなかった最初の頃は似たような気持ちではいたが。

 今は、慣れて新鮮さは失ったが。田城を見ていると懐かしく思えた。今日、座敷童子の真穂(まほ)は影に潜んでもらっている。

 田城の情報量を一気に増やさないためだ。


「とにかく、行きましょう」
「私とかもまだ行き慣れていないから、案内よろしく」
「美兎っちについていけばいーい?」
「うん」


 沓木(くつき)と一緒について来るように言い、はぐれないように注意する。

 とにかく、人間の世界と同じようで全然違う界隈の店達に、田城は目を輝かせていたが。

 楽庵(らくあん)に着くと、今まで以上に驚いていた。


「細!? 狭!?」
「個人経営だから、すっごく狭いんだよ」
「けど、腕前はピカイチ。この前のも美味しかったけど」


 ただ今日は、香ってくる匂いが和風ではなくて洋風だった。

 どこかで嗅いだことがあるような、知ってるような知っていないような。

 とりあえず、引き戸を開けて入ることにした。


「こんばんはー」
「お邪魔します」
「お邪魔しまーす!」


 中に入れば、先客が一人。

 ぬらりひょんの間半(まなか)だった。


「やあ、お嬢さん? 後ろのお嬢さん達は初めまして」
「初めまして」
「初めましてー! わ、イケオジ!!」
「ふふ。そう言ってもらえると嬉しいねぇ?」
「おじさんも妖怪ですかー?」
「ああ。僕はぬらりひょんの間半と言うよ?」
「田城でーす!」
「元気なお嬢さんだね?」


 田城には、界隈でいきなり下の名前をあまり名乗らないように言いつけてある。沓木は当然それを知っているので、同じように自分の名字を名乗った。


「いらっしゃいませ。田城さんとは初めましてですね?」


 美兎の恋人である火坑(かきょう)は調理の手を止めて、涼しい笑顔で接客してくれたのだった。


「わ! ほんとに猫!?」
「はい。肉球はありませんが、猫です」


 ほらっと、毛はあるが人間のような手を見せられて、田城はさらに目を丸くしたのだった。


「えと……本当に美兎……ちゃんの彼氏さん?」
「正真正銘、美兎さんの彼氏ですとも」
「へー? 人間みたいな変身は写真で見せてもらったけど。うん、なんかかっこいい」
「ふふ。ありがとうございます。さあ、おかけ下さい」


 美兎が間半の隣に座る形で、二人もそれぞれ腰掛けて。火坑から熱いおしぼりを受け取るのだった。


「あれ? メニューはないんだ?」


 おしぼりと先付けを受け取ったあとに、田城がカウンターの上でメニューを探していた。


「基本的にはお任せなんですよ。リクエストを受ける場合もありますが」
「へー? 何があるんですか?」
「今日は猪のいい肉があるので、角煮をご用意しました。あとは……カレーです」
「絶品だったねぇ?」
「総大将は食べすぎです」
「角煮!? カレー!? 食べたいです!!」
「かしこまりました。では、先にスッポンのスープで温まってください」


 そして、出されたスッポンのスープに。

 田城は甲羅を出されたが、びっくりしたもののスマホで撮るのだった。
 スッポンのスープで身体を温めてから。

 次に出された角煮は、田城(たしろ)の食欲を掻き立てるものだったらしい。

 目の前に出されてから、写真を撮った後に勢いよくひと口で食べ始めた。


「ほろっほろ!? え、柔らか!? 溶けた!!」
「ふふ。昼間に仕込みましたしね?」
「美味し!! 美兎(みう)っちの彼氏さんの料理マジ美味!? あ、えーと?」
火坑(かきょう)と言います。呼びにくいようでしたら、店長でも大将でも」
「おお! 大将とかかっこいい!」
「ふふ」


 酒は沓木(くつき)も含めて、美兎オススメの自家製梅酒のお湯割り。田城もだが、沓木も気に入ったらしく、ごくごくと飲んでいた。

 しかし、相変わらず角煮は絶品だ。

 蕩けそうなくらい柔らかいのに、口に入れたらふわふわであっという間に溶けてしまうのだ。なのに、脂身とは別の肉の部分はちゃんと歯応えがあって。

 練り辛子をちょこっとつけると、鼻を通り抜けていく刺激がなんとも言い難い恍惚感が訪れる。

 思わず、ぱくぱくと食べてしまえるほどだ。


「う〜ん! 今日も美味しい! これとあと猪のカレーって、ちょっと想像つかないけど」
「そうですね? 角煮と比べて脂身はほとんどありませんが。時短で煮込んで柔らかくなった肉が特徴です」
「猫坊主、僕にももう一杯」
「もうダメですよ? 美兎さん達の分で米もギリギリですから」
「時短ですればいいじゃないか?」
「ダメです」
「ちぇ」


 珍しく、ぬらりひょんの間半(まなか)は少し酔っているらしい。いつもなら素面の顔も少し赤かった。


「結構飲まれたんですか?」
「ふふふ。君達のように、妖と人間で結ばれたように。僕の孫も同じでね? そのひ孫が可愛くて可愛くて。ついつい飲んじゃったよ」
「あら、おじ様は結構なお年なんですか?」
「うん。大化の改新から生きてるよー?」
「たいか? かいしん??」
「田城ちゃん、ちゃんと大卒?」
「歴史専攻じゃなくて、美術系でしたもん!」
真衣(まい)ちゃん、単純に忘れてるだけでしょ?」
「てへー?」


 ああ、こう言う飲み会を楽庵(らくあん)で出来るとは思わないでいた。

 美作(みまさか)もいたが、やはり会社が違うので会うのもまちまち。

 だから、同じ会社の人達と集うことが出来るだなんて思わなくて。

 ついつい、酒が進んでしまうものだった。


「さ。お待たせ致しました。猪肉のカレーです」


 そして、ついにお出ましになった、猪肉のカレー。

 焼いた肉がゴロゴロ入っているのが特徴的な、とても美味しそうなカレーだった。


「おお!」
「あら」
「美味しそう!」


 米も艶々していて、スプーンを装備したら。

 いざ、とすくうのだった。


「ん!?」
「ん!」
「んん!!?」


 そしてその味は。

 豚肉に似た力強い歯応えの、蕩けるような味わいのカレーであった。
 美味しい。

 何もかもが全部美味し過ぎて。

 田城(たしろ)真衣(まい)は初体験の波に揉まれてしまいそうだった。

 同期で友人でもある湖沼(こぬま)美兎(みう)の彼氏である、猫のような人のような不思議な妖怪らしい火坑(かきょう)と言う料理人。

 彼が手がけたもの全てが、人間の場で食べるもしくはそれ以上の美味揃いだったのだ。

 今食べている猪を使ったカレーも。何度か行ったことがあるインドやネパール専門のカレー店とは一線を画していた。

 日本人好みのカレー。しかも、ジビエを使った異色のカレー。

 なのに、味わいは口の中で蕩けるようで。角煮同様にいくらでも食べれそうだ。

 この合間に飲む、これまた自家製らしい梅酒のお湯割りもいい。度数がキツいはずなのに、ごくごくと飲めてしまいそうだった。


「美味し! もう、全部美味しいです!」
「ふふ、お粗末様です」


 猫の顔なのに、実に人間らしい表情をする不思議な妖怪。

 だから、美兎は彼に惚れたのだろうか。会社で美兎を狙う男達が知ったらどうなるか。真衣は美兎の友人なので、そんな馬鹿なことはしない。

 何せ、真衣の彼氏になってくれた、火車(かしゃ)風吹(ふぶき)との仲を取り持ってくれたのだから。むしろ、恩人に近い。

 彼は、ここに来るのだろうか。


「ねぇ、美兎っち」
「んー?」
不動(ふどう)さんってここ来るの?」
「うーん? 一度相談持ちかけられた時だけかな?」
「相談?」
「えっと……三田(みた)さんって清掃員のおじさんわかるよね?」
「うんうん」
「あのおじさんがサンタクロースさんで。相談に乗ってくれないかって頼まれたの」
「へ? サンタ??」
「実在してたのね?」
「ああ、あの御大(おんたい)かい? 本当だとも。日本にはまだいるようだが」


 世間は狭い、狭過ぎる。

 まさか、妖怪だけでなくサンタクロースまで実在しているだなんて。

 頭の容量が越えてしまいそうだったが、まだ話は終わってないので続きを聞くことにした。


「で。真衣ちゃんに……ある意味一目惚れだったんだって」
「! ふふ……んふふ。そっかあ」
「幸せ者ねえ?」


 風吹も一目惚れ。

 真衣も一目惚れ。

 こんな素敵な縁があっていいだろうか。

 残ってたカレーを平らげていると、美兎が火坑の前に両手を差し出していたのだ。


「さて、今日はどうしましょうか?」


 何を、と思っていると。

 肉球のない手を美兎の手の上でぽんぽんと軽く叩き。

 一瞬光ったかと思えば、何もなかった美兎の手に袋詰めの焼きそばのような麺が出てきた。


「な、なにそれ!?」


 思わず立ち上がってしまったが、先輩の沓木(くつき)は平常心でいた。


「ここの。特に人間の代金の支払い方法らしいわ。妖怪の栄養分になる、魂の欠片。文字通り、『心の欠片』だそうよ」
「……栄養分?」
「あなたも、妖怪とかが視えるようになったから、出来るんじゃない?」
「……食べ物がお代?」
「こちらでの換金法もきちんとありますので、赤字ではないんですよ?」


 試しに、と真衣も同じようにしたら。

 真衣の手の中に、何故か可愛らしいシャーペンが出てきて。もう一度叩かれると、小さめの半玉キャベツが出てきた。

 あとで、沓木もすると。そちらはネギだった。


「……出てきた」


 まさか、本当に出てくるとは思わなかった。

 ちょっと触ってみると、たしかに本物の食材。

 これをどうするかと思うと、なんと料理してくれるのだそうだ。


「そうですね……米を召し上がっていただきましたが。オム焼きそばとスッポンのスープでラーメン。どちらがよろしいでしょう?」
「悩みます!」
「いいねえ?」
「むー、どっちも濃いけど」
「ん〜〜……」


 全員が悩みに悩んで。

 結局、オム焼きそばになったのだった。
 不思議な(えにし)がこの店にはある。

 ぬらりひょんの間半(まなか)は、本当に度々しか訪れていないのだが。

 今日の客人は、皆タイプは違うが可愛らしい人間の女性ばかり。

 中でも、今日界隈デビューしたばかりの田城(たしろ)と言う女性。

 他の二人に比べるとかなり明るくて、好奇心旺盛。

 彼女が、最近界隈では話題になっている、火車(かしゃ)風吹(ふぶき)と付き合うことになった。あの根暗でメカクレな陰湿野郎が、まさか、とは思ったりもしたけれど。

 対照的な女性を想うことになったとは。まったく、ヒトではなくとも、ヒトが好きなのに、ヒトの臭いはダメだったのが。

 大した進歩だ。かく言う、間半の孫も似たような感じではあったが。

 今日は久しぶりにひ孫の顔を見に行けたので、上機嫌だった。かつて、総大将の孫とは言え、ぬらりひょんが人間とどうのこうの言われたりもしたが。

 十年と短い期間経った今では、その騒動なども落ち着いている。そして、半妖となったひ孫はぬらりひょんの血を濃く受け継いでいるので、どちらかと言えば妖寄りだ。

 彼女達が将来的に、妖達と契るかは未だ不明ではあるが。少なくとも、沓木(くつき)と言う女性は確実だろう。多少濃いが、赤鬼の妖気が身体に染み付いているからだが。


「ごめんください」


 猪口を傾けていたら、見知った声と妖気を感じたのだ。


櫂斗(かいと)


 何故、今考えていた孫がここに。

 しかも、一人じゃなくて小さな影も。


「じぃじ!」
「……咲穂(さきほ)まで」


 可愛い可愛い、ひ孫の少女が。

 きちんとした格好で間半のところまで歩いて来ようとしていた。


「わ、可愛い!」
「さっき言ってらした、ひ孫ちゃん?」
「ちっちゃい!」


 咲穂を抱き上げると、女性達は可愛い彼女を見てはしゃいでくれたのだった。


「すみません、お祖父様。咲穂がどうしても今あなた様に会いたいと泣きわめくもので」
「……そうか。ダメだよ、咲穂? じぃじとはいつでも会えるんだから、お父さんを困らせてはいけないよ?」
「むぅ〜、じぃじに会いっちゃかったんだもん!」
「嬉しいけど、もうお前は寝る時間じゃないか」
「にゅ〜……」
「まあまあ。可愛いらしいわがままではないですか? 櫂斗さんもよかったら、オム焼きそばはいかがです? 咲穂ちゃんも」
「あ。ありがとうございます」


 席はカウンターにあと一席空いてたので、櫂斗が座り。咲穂は間半の膝に座ったのだ。そしてすこぶる上機嫌になってくれるのだから、許してしまうのは仕方がないだろう。


「お待たせ致しました。美兎(みう)さん達からいただいた心の欠片で作りました、オム焼きそばです」


 艶々のオムレツ風卵焼きに、ソースにマヨネーズに鰹節。

 湯気が立っていて、とても熱そうだ。それぞれの前に置かれると、咲穂は首をひねったようだ。


「じぃじ。これなーに?」
「これはご飯だよ?」
「ごはん?」
「まだ、咲穂には焼きそばは食べさせていませんからね?」
「咲穂、見ててごらん?」


 間半が箸でオムレツを割ると、中からはこれまた美味そうな焼きそばが顔を出してきたのだった。

 まずひと口、と間半が食べれば。

 さすがは心の欠片。上質な霊力を感じつつも味は一級品の焼きそば。麺の硬さも、ソースの濃さも。卵と合わせれば、ちょうど良い調和を口に与えてくれたのだった。


「じぃじ、咲もー」
「はいはい。熱いから少しお待ち?」


 息を吹きかけて、程よく冷ましてから口に入れてあげたら。


「おいちー!!」


 くりんと振り返りながらも、笑顔が全開で。

 ああ、ひ孫もやはりいいものだ、と思わずにはいられなかった。


「咲穂。それはお祖父様のご飯だから、あんまり食べ過ぎてはいけないよ? 明日の朝ご飯が食べれなくなるよ?」
「はーい」
「咲穂ちゃんはりんごはお好きですか?」
「? はい。普通には」
「でしたら、長野の蜜りんごがあるので。サービスしますよ」
「お気遣い、ありがとうございます」


 そして、咲穂は出されたりんごに満足したら眠ってしまい。

 まだ飲みたりないが、彼女達は彼女達で時間を過ごしてもらおうかと、ぬらりひょん一行として帰宅することにしたのだった。
 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。










 桃の節句も過ぎ。

 あと少しで、人間達で言う『ホワイトデー』と言うイベントがある。

 バレンタインが妖の文化にも浸透してきた昨今。そのお返しに値する日も浸透していて当然。

 だから、各地の界隈などにある妖のデパートでも装いが変わっているのだ。

 だが、ろくろ首の盧翔(ろしょう)は悩みに悩んでいたのだ。

 去年の暮れ近くに、恋人になった雪女の花菜(はなな)にバレンタインのお返しをするために。

 店を休業させて、今日もプレゼントを探しにきているのだが、ちっとも見つからないのだ。


「おや、盧翔さん?」
「ん? あ、大将」


 顔は猫、手足は人間。

 だけど、毛並みは猫。

 化け猫は化け猫ではあるが、猫の霊でもないし。盧翔のようにほぼほぼ人間のような出立ちでもない。

 だが、この猫人は、昔。いや、輪廻転生する以前は幽世(あの世)で地獄の官吏をしていたそうだ。だが、その前世の位をひけらかすこともなく、今では一料理人として接してくれているのだ。


「……随分と難しい顔をされていましたが」
「あー、うん。まあね?」


 これ、と指を向ければ。火坑(かきょう)もなるほど、と頷いてくれた。


「お返しですか?」
「花菜がさ? すっげークッキー作ってくれたんだよ。味も美味くて……んで、俺作ろうにもデザートでパンナコッタ作るくらいだから、菓子はあんまり挑戦してなくてさ?」


 料理人として情けないわけではない。

 どうしても一人でほとんど経営していると、時間が限られてしまい、あまり作る時間がないからだ。

 少し肩を落とすと、火坑が何故かぽんと手を叩いたのだ。


「でしたら、盧翔さん。僕と一緒に作りませんか?」
「? 大将と?」
美兎(みう)さんも、花菜ちゃん達と作られたそうですよ? それともう一つ。お菓子作りにでしたら。隆輝(りゅうき)さんにご指導いただくのもありではと」
「おー……忘れてた」


 知り合いにパティシエがいるのに、すっかりと忘れていた。

 今日は休日だが、隆輝は人間界側の店に勤めているので忙しいかと思いきや。

 午後から休みをもらえるシフトだったらしく、一旦盧翔の店に集まることになった。


「ホワイトデーのお菓子とかね? 今の人間界でのお菓子には色々意味があるらしいよ?」


 盧翔が淹れたインスタントコーヒーを飲みながら、隆輝は語ってくれた。


「定番だけど、マシュマロは『あなたが嫌い』。クッキーは『友達』とかさ?」
「え、マジで?」
「隆輝さんにお聞きして正解でしたね? 僕達だけでは、間違った意味で購入していたかもしれません」


 マシュマロは白とピンクなど、色があって可愛いと思っていたから。本当に選ばないで正解だったと安堵のため息を吐いたものだ。


「ま、あくまで人間が考えた意味だしね? でも、広告関係だからケイちゃん達は、多分知っているかもね?」
「花菜も知ってそう……」
「どうしましょうか?」
「ん〜……あ、フロランタンとかどうかな?」
「ふろら?」
「フロランタン。クッキーみたいな見た目だけど、手間がかかって美味しい焼き菓子なんだ」


 とりとめて意味がないから、と隆輝は言ったので。三人で今度は材料を買いに行くのに界隈に出たのだった。
 ぬらり、ぬらり。

 諏訪(すわ)の森から、久しく尾張(おわり)に向かっていた。

 それはヒトの目に写る程、巨大ではあるのにあまりヒトの目には写らない。

 ヒトではないからだ。

 そして、普通の妖とも違う。

 ヒトの言葉で言うのなら、精霊に近いかもしれない。

 少し透明ではあるが、木々や建物にぶつかることはないのだ。考えたことはないが、精霊だからかもしれない。

 ひと月ぶりに訪れる尾張は、白や青などの装飾であふれかえっていた。なんだったかな、と思いながら。巨体を界隈におろしてどんどんと小さくさせる。

 しまいには、普通の人間くらいの大きさになり。格好もきちんと季節に沿った物を着込んでいた。

 そして、界隈にあるデパートの装いを見ると。英語で『ホワイトデー』と書いてあった。なんだったかな、と記憶を頼りにしていると。

 先月に、恋人である狐狸(こり)宗睦(むねちか)が甘くて美味しい菓子をくれたことを思い出した。


「……ああ。たしか言ってたね〜?」


 自分は頻繁には界隈に来れないから、お返しとかは気にしていないからと。忘れかけてはいたが、何もお返しをしないのは憚られる。

 せっかく来たのだ。何か見繕って行こう。

 そう決めたら、誰かにぶつかってしまった。


「! 申し訳ありません!」
「いや〜? 大丈夫ー」


 ぶつかった相手を見ると、自分の正体を知ったのかすぐに深く腰を折ったのだ。


「本当に、申し訳ありませんでした!」
「気にしないで〜? 僕も不注意だったし〜?」
「そ……う、ですか?」
盧翔(ろしょう)さん、どうされました?」
「あれー?」


 同伴者がいたようだ。

 片方は赤鬼。片方は見覚えのある猫の妖。

 猫の方と目が合うと、彼は自分に軽くお辞儀をしてきた。


「これはこれはダイダラボッチの」
「うん。久しぶり〜?」
「お久しぶりですね? ですが、珍しいですね? 界隈にいらっしゃるとは」
「なんとなく〜。僕の連れにお返しでも買おっかなって」
「ホワイトデーのですか?」
「そうそう、それ〜」


 ダイダラボッチの更紗(さらさ)

 人化した見た目は、柔和な笑みが似合う男性ではあるが。恋人はあの宗睦。同性のカップルなのである。


「チカにですかー?」
「うん。結構頑張って用意してくれてたみたいだし〜?」
「あれの作り方教えたの。俺の彼女なんですよー」
「そうなんだ〜? お礼言ってくれる?」
「はい」


 三人もかと聞けば、まだビクビクしている盧翔の持つ袋を猫の方が指を向けた。


「我々は、お返しを手作りしようかと。隆輝(りゅうき)さんはお菓子作りがお仕事なので。僕らよりは断然詳しいんです」
「手作り〜?」
「はい。今のホワイトデーには、お菓子にも色々な意味があって。あまりいい意味でないのが大半だそうです」
「……僕もいーい?」
『え?』
「僕もチカに作りたい〜」


 材料費はもつからと言うと、さらに声を上げさせてしまい。

 場所は、隆輝の自宅となって、全員で大量のフロランタンの材料の入った袋を持つことになった。


「……更紗様に荷物持ち」
「いいんだよ、盧翔〜? 僕のわがままだし〜?」
「そうかもですけど!」
「まあまあ。いいじゃない? 更紗様は料理経験とかはどんな感じですか?」
「料理〜? お米は炊けるけど、作るのは卵かけご飯くらいだよー?」
「……わかりました。菓子作りは初心者ですね?」
「うん。ご指導お願い〜」


 出来ないことをそのままにするよりも。

 出来るようにするのが、大変だけど楽しいと思っている。あのチカに、それを教わったからだが。

 隆輝の家に着いて、ひとまずお茶でひと息ついてから。

 お菓子作りのスタートとなったわけである。
 まさかまさか。

 ダイダラボッチと共に菓子作りをすることになるとは。

 ろくろ首の盧翔(ろしょう)は、畏れ多いとまだビクビクしているが。

 更紗(さらさ)は更紗で。これから作るフロランタンの材料に目を輝かせていた。

 妖でも特殊な位置。総大将のぬらりひょんともまた違う位置にいるダイダラボッチは、ほかの妖と一線を画している。

 そんな彼が、恋人へのお返しを手作りしたいと言い出したのだ。位はなんであれ、彼も一人の存在に変わらないのだろう。


「更紗様、まずは手を洗いましょう?」
「うん」


 料理初心者に等しいが、手を洗うくらいは認識しているようだ。長い金と水色が混じった不思議な色合いの髪を、火坑(かきょう)が結えてやって。隆輝(りゅうき)からエプロンを借りて着込んだ。


「えーっと。バターは常温のを買えたからすぐ取り掛かれる。グラニュー糖は、きょーくん。計っておいてくれるかな?」
「いいですよ」


 ジャンルは違えど、料理人は料理人。さすがに手際がよかった。

 盧翔には、バターを切ってもらい。更紗には初心者なので、粉を振るう作業をしてもらうことに。


「ここに粉を入れます。で、ここを握ると、下のボウルの中に綺麗に振るった粉が出てくるんです。全部落ちるまでお願いします」
「わかったよ〜」


 隆輝がちょっと見本を見せただけで、子供のように目を輝かせたが。振るうとなると、真剣に向き合っていた。やはり、ただの妖ではないからだろう。

 その間に、隆輝はレモンの皮をすりおろして。専用のビニール袋を棚から持ってきた。


「じゃ、次は。バターにグラニュー糖を入れて切るように混ぜていくよ?」


 ここからは、全員それぞれ自分の分を作るようにするので。全員同じ工程をするのだ。

 更紗が一番心配だったが、隆輝がすぐ隣にいたお陰か真似て同じように出来ていた。飲み込みが早い。


「次は。卵黄、俺がすりおろしたレモンの皮。バニラビーンズに、更紗様が振るった薄力粉を入れて。また同じように混ぜていくよ?」


 順番に入れて混ぜていけば、綺麗な卵色の生地が出来上がる。まとまってきたら、手でまとめて。隆輝が持ってきたビニール袋に入れて。


「本当は十二時間とか寝かせたいけど。そこまで時間がないから、あとで妖術使うね?」


 その間に、少し後片付け、と。ここも初心者の更紗に教えながら進めていき。生地に時短の妖術をかけてから、袋ごと麺棒で伸ばす方法を教えていく。


「直接でもいいけど。袋の上からだと汚れにくいし綺麗に伸ばせるので。だいたい厚みは3mmくらい。ほんと薄いって思うくらいかな?」
「ねえねえ、隆輝。これどんなお菓子になるの〜?」
「クッキーみたいなお菓子ですね? けど、残りの材料で飴の部分を作って。生地の上で焼いちゃうんです」
「? うーん。食べたことないなあ〜?」
「まあ。店で作るとこも少ないですしね?」


 とりあえず、生地を薄く伸ばして。順番にオーブンで焼いていく。隆輝は仕事柄試作を自宅でもするので、二段式オーブンが二つもあるのだ。

 焼いたら、次はアパレイユと言う飴の部分である。


「生クリームも入れるんですね?」


 改めて材料を見て、火坑が感心していた。


「口当たりが滑らかになるしね? スライスアーモンド以外を鍋に入れて、すこーし色づくまで鍋で煮ていくよ?」


 軽く煮立って、色がほんのりついた瞬間を逃さず。アーネストスライスを入れて混ぜて。

 出来上がったら、焼いた生地の上に流し込み。広げたら、また少し焼いていく。


「粗熱が取れたら切り分けるよー? 完全に冷めてから切ると、アパレイユがガチガチになって割れちゃうから」
「じゃ、僕がコーヒーを淹れましょう。更紗様はコーヒーで大丈夫ですか?」
「ん〜〜……牛乳とか砂糖欲しい」
「カフェオレですね? 盧翔さんは?」
「お、俺はブラックで」


 まだまだ、若造故か更紗に対して緊張しているのだろう。見てて微笑ましく感じるが。
 普段から仕事でも料理をする火坑(かきょう)だが、菓子作りについてはやはり難しさを感じる。

 特に、今回のような半分飴細工を作るような工程は殊更難しかった。

 一瞬の時間で、その材料がダメになってしまうかもしれない。そこを考えると、火坑はいつも挑むスッポンを捌く工程と似ているなと思った。

 あれは一瞬の隙をつかないと、噛まれて指を怪我するだけで済まないのだ。まだ料理人の修行時代、興味本位でスッポンに手を伸ばしたら、霊夢(れむ)に盛大に拳骨をお見舞いされたものだ。

 今回はその危険性はないが、食材をダメにしてしまう方が強かったので気が抜けなかった。

 しかし、その工程が終われば。最後に切り分けるタイミングを逃さなければいい。

 出来上がったフロランタンは、茶色い飴が美しく。アーモンドが花のように散らばって、とても美味しそうに見えた。


『おお〜!!』


 赤鬼の隆輝(りゅうき)以外、その出来栄えに思わず声を上げたのだった。

 火坑が用意したコーヒーやカフェオレでそれぞれいただくことにした。


「へ〜? あの材料がこんなに綺麗になるんだ〜?」


 初参加のであるダイダラボッチの更紗(さらさ)は、本当に子供のように目を輝かせていた。


「人間の女性にも好まれている菓子ですしね? チカの奴は可愛いのに目がないから、喜ぶと思いますよ?」
「あのお花のクッキーも美味しくて凄かったけど〜〜。これも綺麗で可愛い〜。あ、持ち帰る袋か何か貰える〜?」
「ラッピングなら、後で皆でしましょうか? とりあえず、まずは試食です」


 それぞれ作った分を、試食用とラッピング用に分けて。まだまだビビっている盧翔(ろしょう)はさて置き。

 まずは、ひと口。

 幾度か食べたことのあるフロランタンよりも、飴の部分が少々柔らかく。だが、パリパリとしていて、下のクッキー生地がほろほろ崩れてなんとも言い難い快感を得た。

 スライスのアーモンドも香ばしくて、飴の甘さを少し抑えてくれた。火坑はブラックだが、更紗が飲んでいるような甘いカフェオレもいいだろう。


「うま!」
「美味しい〜〜!」
「ですよね?……あ」
「だから、そんな緊張しなくていいんだよ〜?」
「……すみません」


 食べ物の前では、神も妖も関係ない。

 そう思える、いいきっかけだったかもしれない。


「うんうん。良い出来。他の皆のも良いねえ? 俺負けそう〜」
「隆輝が負けたら、俺どうなんのさ?」
「僕だなんて、初心者だよ〜?」
「ははは。更紗様はセンスありますよー? もっと頑張れば、チカにも色々渡せるんじゃないですか?」
「ん? ん〜〜、僕普段は諏訪(すわ)にいるからなあ〜?」
「……寒くないです?」
「こっちも寒いけど〜、雪がまだ降るしね〜?」


 長野の寒さは、北陸程じゃないがまだまだ寒い季節だ。

 名古屋は、濃尾平野からの山おろしがまだ続くので。京都ほどではないが、盆地特有の寒さで手がかじかむくらい。

 火坑は、バレンタインプレゼントに美兎(みう)からもらったマフラーをずっと愛用しているが。手は猫毛に覆われているので平気は平気。

 とここで、思い出したが。

 付き合って、数ヶ月経つと言うのに。火坑の家には上がらせたことはあっても、逆に美兎の家には実家以外行っていない。

 なら、今日はまだ昼過ぎだが。

 最近、休日になると仕事の疲れで家で寝ていることが多いらしいので。

 行ってみるか、とフロランタンを食べながら思った。


「隆輝さん」
「んー?」
「少々所用を思い出したので。先にラッピングしてから帰らせていただいてもいいですか?」
「いいよー?」
「ありがとうございます」


 そのきっかけで、他の全員も解散することになり。後片付けから、簡単にラッピングして。それから火坑は人化して(さかえ)の町に足を運んだのだった。