あれから、美作のスマホにも連絡が来ないので。
ひょっとしたら、と美兎は考えてしまうが。どうなったかもわからないのに、先を考えてはいけないだろう。
美作と界隈をくぐって、火坑が営む楽庵訪れたが。
結構食べてきたので、いつもの梅酒のお湯割りで温まってはきたのに。どうも、田城達のことが気になってしまうのだ。
「ふふ。美兎さん、難しい顔をされてますね?」
カウンター越しだから、顔が見えて当然。
隣にいた美作も、それぞれの守護になってくれてるかまいたち三兄弟や座敷童子の真穂にも苦笑いされてしまった。
「なーに、美兎? 風吹達がそんなに心配?」
「だって……どっちにも相談されたし。あんな帰り方させたんだもん。気になるよ」
「まあねぇ? けど、妖だからって風吹も男よ? 男なんだから、やる時はやるわよ?」
「真穂ちゃんの言う通り! あいつもなんだかんだ男だから、ケジメつける時はつけると思うよ?」
「で」
「やん」
「す!」
「そうですけど……」
自分とは違う、妖と人間との恋。
いくらポジティブ人間の田城でも、そこを受け入れられるかどうか。
悩んでいても仕方がないと思うと、火坑が何かを出してくれた。
「まあまあ。ずっと悩まれる美兎さんも可愛らしいですが、ひとまず落ち着きましょう。愛媛から、知人が送ってくれたものですが。『紅まどんな』と言う品種のみかんです」
「みかん……ですか?」
出されたみかんらしいものは、どう見ても小ぶりのオレンジサイズ。
とてもじゃないが、みかんには見えない。それに切り口が綺麗なオレンジカラーで、とても瑞々しい。
「うっわ! みかんでこんな美味そうに見えるの初めて!」
「愛媛の特産品ですからね? 普通に剥けませんので、このような提供になりますが。甘くて少し酸味があって、果肉がゼリーみたいにジューシーなんです。皮は剥きにくいのでご注意を。さ、どうぞ」
「い、いただきます」
たしかに剥きにくい皮だが、薄皮がとても薄い。果汁が溢れそうで、もったいない。
行儀が悪いと思うが、もう辛抱できないとかぶりつき。口いっぱいに、果肉たっぷりのゼリーを食べたような幸せな気持ちになれた。
「おい……しい、です」
「それはよかったです。心配されるのも最もですが、ひとまずは時間の流れに身を任せましょう?」
「そうですね」
たしかに、美兎がいくら悩んでいても関係ないと言えば関係ない。
これは、当人達の大事な問題だから。
が、美作達と一緒にみかんを堪能してから少しして。美兎のスマホに通知があった。
手を拭いてからスマホの画面を開けば。LIMEに田城の名前が。
すぐにタップすれば。
「!?」
「あら、どしたの?」
「田城さんから?」
「…………いいことでしか?」
矢継ぎ早に質問されたが、今言えることは。
「無事に……お付き合いすることになったみたいです」
追伸で、美兎に別口で相談があると言われたが、おそらく添付の写真と関係があるに違いない。
美兎の目には、猫目と猫耳で写真に写っている風吹がいたのだから。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
めでたいことだ。
同期で、実は妖だった。火車の風吹こと不動侑が。
飲み友の湖沼美兎の同期である田城真衣と付き合うことになった。妖と人間とのお付き合い組がまたひとつ増えたのだが、美作辰也は少々物悲しかったのだ。
いい感じに社会に揉まれて、いい感じに経験も積んできた。長年の悩みだった、体の意味不明な切り傷も解決出来て。一端の人間としてはそろそろ誰かとお付き合いもしたいとは思っているのだが。
まったくモテないわけではないのだが、今の会社に入社してからは誰とも付き合っていない。切り傷も無くなったのに、なんとなく軽い気持ちで付き合えないのだ。
本気の本気。まったく異なる種族同士の付き合いを見てきたせいか、どうも今まで通りにはいかないのだ。
「……なあ、不動」
「ん?」
「……妖の可愛い子紹介して」
「ぶ!? お、前!?」
風吹が田城と付き合うことになった翌日。
昼が一緒になったので、その店の個室で辰也はなんとなく風吹に聞いたのだった。
「いやだってさ? 俺の事情も事情だし、いずれは奈雲達のこと話さなきゃなんないだろ? だから、人間よりは妖がいいかなぁと」
「……それもそうだが。お前、妖とその…………性行為したら、自分だって人間じゃなくなるんだぞ?」
「あ、そなの? 人間やめるのはなあ。……田城さんには言ったのか?」
「…………言った。すぐに……出来ないから、残念がられた、けど」
「キスはしたのか?」
「…………」
「あー、はいはい。わかったわかった」
幸せのオーラが出まくり、なのでこれ以上野暮な事は聞かないでおこう。
とりあえず、食べるものも食べたので。会社に戻るか、と店を出てすぐに。
不注意ではあったが、誰かとぶつかってしまった。
「きゃ!?」
「おっと、すみません!」
注意散漫過ぎだと、自分で反省しながらその女性を抱き止めると。
顔を見た途端、辰也は二重の意味で心臓に衝撃を受けたのだった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
照れた顔がとても愛らしい女性。
年は美兎と変わらないくらい。
けど、その顔がどういうわけか。辰也にはだぶって見えて、目も鼻も、口もないのっぺらな顔があったのだ。
「? おい、美作? どうし……?」
風吹が声をかけて来ても、辰也は彼女の顔に釘付けだった。
可愛いと、のっぺらな顔が二重に見えるなど普通じゃないと思いながら。どう言葉をかけていいものかと。
「? あ、あの……?」
「! あ、すみません。……立てますか?」
「はい」
立たせると、結構小柄ではあるが。顔以外に気になったのは、男なら見てしまう胸部の部分だった。失礼だが、美兎より立派だった。
「……気をつけて」
「? はい、そちらも」
ああ、行ってしまうと思ったが。ひとつだけ確信があった。
隣に立った風吹に振り返り、思いっきり肩を掴んだ。
「? どうした?」
「今の子! 顔がないようにも見えたんだけど!!」
「! ああ……のっぺらぼうか」
「けど!? 変身? してる顔可愛いんだけど!!」
「お前……惚れたのか?」
「かも?…………ああ、なんで連絡先聞かなかったんだ、俺!!」
一生の不覚、と後悔していたら。風吹に掴んでた手を払われた。
「連絡先をある意味知る方法があるだろう?」
「あ?」
「錦の界隈。楽庵で出会える可能性もある。あの大将は顔が広いからな?」
「あ」
たしかに、それもそうだ。
すぐに、とまではいかないが。今晩行こうと決めたのだった。
バレンタイン当日。
美兎は、今日も今日とて仕事が終わったら。錦にある界隈をくぐって、愛しの猫人が営む小料理屋へと向かう。
今日はバレンタインだから、先輩の沓木に教わった薔薇のチョコクッキーはもちろん。もうひとつ用意していたのを落とさないようにして、楽庵に向かうのだ。
ちなみに、座敷童子で守護の真穂は兄の海峰斗と約束して、自宅に招くそうだ。スピード恋愛なのに、ごちそうさまを言いたくなるくらいラブラブである。
「こんばんは〜」
暖簾をくぐれば、客が帰ったばかりなのか。火坑がカウンターの食器を片付けていた。
「こんばんは、美兎さん」
相変わらず、涼しい笑顔で出迎えてくれる。その気遣いだけでも、美兎は嬉しかった。
席に着いて、熱いおしぼりをもらうと。二月の半ばでもまだまだ寒いと実感出来た。
先付けと熱いほうじ茶を出してもらってから、美兎は彼にバレンタインプレゼントを渡した。
「ハッピーバレンタイン、です!」
「! これはこれはありがとうございます」
少し猫目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに目を細めてくれた。中身を落とさないように、カウンターの前にある台の上に置いて出した。
「!?」
「え……っと、先輩に教わって作りました」
薔薇のクッキーには流石に驚いたのか、目をこれまで以上に丸くさせた。
「美兎さん」
「は、はい?」
「食べずに保管していいですか?」
「た、食べてください!」
「ふふ、冗談ですよ」
いきなりの発言が冗談にも聞こえなかったが。
けれど、くすくすと笑いながら火坑はクッキーを台の上に置くともうひとつの包みを開けてくれた。
「!?」
「…………」
火坑が手に取ったのは、黒のマフラー。シンプルに二目ゴム編みでフリンジなどはない。
美兎の、手作りだ。
付き合ってまだ数ヶ月しか経っていないし、重いと思われるかもしれないが。美兎が、彼にそれを贈りたかったのだ。
「……似合いますか?」
いつのまにか、装着してくれた火坑は。とても、嬉しそうに笑ってくれていた。
それだけで、美兎は天にも昇ってしまうような気持ちになった。
「はい! とっても!」
作ってよかったとこぼせば、火坑の目がさらに丸くなった。
「お上手ですね?」
「セーターはあんまりですが……マフラーとかは得意なので」
高校の頃は家族によく作ってあげたものだ。
父や母は今でも使ってくれているらしい。
「……大事に使わせていただきます」
「はい!」
その言葉をもらえただけで、とても嬉しかった美兎に。火坑は、こちら側にやってきて美兎の頬に軽くキスをしたのだった。
「この姿では口はできませんので」
「……してくれないんですか?」
「小さいんですが、牙もあるんですよ?」
「むー……」
痛いのは嫌だが、興味はあった。
そう言うと火坑にぽんぽんと頭を撫でられただけ。少し残念に思っていると、後ろの引き戸が開いたのだ。
「こんばんは〜?」
女性客だ。けれど、雪女の花菜とかではなくて初めて聞く女性の声。
振り返れば、美兎は思わず火坑にしがみついたのだった。
「美兎さん?」
「か、かかかか、顔が!?」
口も目も鼻も何もない。
美兎でも知っている、のっぺらぼうと言う妖怪だった。
「あら〜? 人間のお嬢さん? ちょっと待っててくださいね?」
のっぺらぼうは顔の前でひらひらと手を振れば。唯一ある眉毛から、目、鼻と段々と顔に現れて。
出来上がったら、カントリーファッションが似合う可愛らしい女性に変化したのだ。年頃は美兎と同じくらいだった。
「おや? 芙美さん」
「お邪魔します〜。そちらのお嬢さんは初めまして」
「は、はじめまして! 湖沼美兎です! 驚いてすみません!」
「いいのよ〜。ちょっと今日は、大将さんに聞いていただきたいお話があってきたんですー」
「僕に? ですか?」
「多分だけど。ここの常連さんの人間なんですが」
「? 私じゃないんですよね?」
「ええ。殿方で……。かまいたちの気配がある」
「あ」
もしかして、美作。
芙美は名前までは知らないけれど、と。とりあえず、美兎の隣に腰掛けたのだった。
美作と、芙美と言うのっぺらぼう。
いったいどう言う関係なのかはこれから教えてくれるそうだが。火坑は何故か、厨房で甘い匂いのする何かを調理していた。
「火坑さん、それは?」
「ホットチョコですよ? 芙美さんは界隈で有名なくらいに、無類のチョコ好きなんです。僕のような店にも来ていただけるので、この時期にはストックしているんですよ」
「いつもありがとうございます〜」
「いえいえ」
そして、出来上がったホットチョコは。コーヒーチェーン店に負けないくらい美味しそうな出来上がりだった。なんと、美兎の分まで作ってくれたので、ありがたく飲ませていただくことに。
「はぁ〜……」
「甘〜い。大将さんは本職じゃないですのに、いつも美味しいですぅ」
「お粗末様です。それで、お話と言うのは? 常連さんには、たしかにかまいたちを守護に持つ方はいらっしゃいますが」
「え〜〜っと、実はですねー?」
ホットチョコのマグカップをカウンターに置いてから、芙美はモジモジし出した。
「?」
「実は……昼間に人間界に行って。通りでちょっとぶつかったんです。もちろん人化してたので、正体はバレてないと思ってたんですが。あの人……の顔が。私を見て、驚いていたんです。きっと、見鬼の持ち主で気づかれたんだと思うんですが」
「だけど?」
美兎が催促すると、芙美は自分の真っ赤になっていく頬を両手で挟んだ。
「か、かっこよかったんです〜! しかも、あんなにも紳士に対応してくださるだなんて〜! 私、初めてだったんで〜〜!」
どうやら、一目惚れしたらしい。
照れてふにゃんとなる顔は妖でも人間でも変わりないのだ。しかし、芙美はそうでも美作本人がどう思っているのか。
LIMEで呼んで、ここに連れてくることは出来るだろうが、それが正解とも言えない。美兎はまだ温かいホットチョコで、指先がじんじんと温まりながらも考えるのだった。
「ふむ。かまいたちの気配と情報屋としてのスキルを使われて、ここにいらっしゃったんですね?」
「ご名答です〜」
「情報屋……さん?」
「界隈での私の仕事なんです〜。この顔以外にも色々なれるんですよ〜?」
と言って、芙美はぱっぱっと、手を振っただけで色々な顔になったのだった。のっぺらぼうの特技なら、純粋に凄いと思えた。
「今日人間界に行かれたのはバレンタインフェアだからですか?」
「そうなんです〜。限定チョコを買いに行ってる途中に。あ、今は家に置いてきました」
「なるほど。……しかし、彼が今日ここにいらっしゃるかわかりませんね? 皆さんご自分のお仕事をお持ちですから、来られる日もバラバラですし」
「あ、いえ。ここの常連さんだって、わかって良かったです! 久しぶりにここのお料理も食べたかったですし!」
「ふふ、光栄です」
なんとかしてあげたいが、美兎が勝手に動くわけにもいかない。火坑も同じ気持ちだろう。
すると、後ろの引き戸が開く音が聞こえてきた。
「こんばんはー。火坑さん、ちょっと聞きたいことが」
まさか、その本人が来ると思うだろうか。
「え!?」
「おや?」
「ん?……え、あ!? 昼間の!!?」
飛んで火に入る夏の虫、とは言わないだろうが。
もしくは、灯台下暗しと言うことわざがしっくり来るかもしれない。
とにかく、美作と芙美の再会となったので。二人は座敷に座ることになった。
まさか、本当に会えるとは思わず。
辰也は、商談の時以上に緊張しまくっていた。
昼休みの時に、偶然出会った女性。しかも、妖で同期の不動が言うには、おそらくのっぺらぼう。
けれど、今は人間と同じように変身しているので。可愛らしい女性の顔がちゃんとある。
大将である猫人の火坑から、せっかくだから座敷席でゆっくり語らうといい、と。カウンター以外でたった一つしかない座敷席に通された。
二、三畳程度しかない本当に小さな小さな座敷。
けれど、掘り炬燵で暖を取るにはちょうどいい。ただ、ただでさえ狭いので足を入れた掘り炬燵では彼女の足先が当たってしまう。
いい歳なのに、まるで学生のような青二才だ。
顔と妖である正体以外、この彼女のことは何も知らないでいるのに。
「あ、あの……」
どう声をかけていいか悩んでいたら、彼女の方が口を開けてくれた。
「お、お気づきでしょうが。私、妖です。のっぺらぼうの芙美と言いますー」
「! どーも。美作辰也です」
何度聞いても今の顔もだが、可愛らしい声だ。
少し間延びした口調も、随分と可愛らしい。辰也の惚れた欲目からかもしれないが。
「昼間は……急にぶつかってすみませんでしたー。痛くなかったですかー?」
「いえ、全然。芙美さんこそ、大丈夫でした?」
「! 大丈夫ですー! こう見えて結構丈夫なので!」
ふん、っと意気込む様子まで可愛らしいとは。
まだ二度目なのに、随分と自分は単純な人間だったようだ。まさか、種族が違う存在に惚れてしまうとは。
とここで、火坑が何か料理を持ってきてくれた。
「今日は芙美さんがいらっしゃったので、チョコレートを使った料理にしてみました」
「わー!?」
「え、いきなりデザートですか?」
「いえいえ、料理ですよ?」
と、お盆の上に載っていたのは、たしかに料理。しかも、韓国料理のプルコギに見えた。
「プルコギ……ですか?」
「正解です。少し甘いですが美味しいですよ?」
「大将さんのは絶対美味しいです!」
「ふふ。宗睦さんのようにカクテルは作れませんので申し訳ないですが」
「十分です!」
酒は熱燗でも合うらしく、芙美と一緒に乾杯してからひと口。まだまだ冷え込む時期なので、体が温まってきた。
「……うーん」
しかし、飲み物やデザート以外でチョコレート。
辰也は初体験なので、いくら火坑の料理でも抵抗感はあった。
が、芙美の方は遠慮せずにぱくぱくと食べていた。
「おいひ〜! ちょっと甘くて。けど、豆板醤とかの辛味もあって! ぱくぱくぱくぱくいけちゃう〜〜!!」
「……じゃあ」
先入観だけで決めつけてはいけない、と思い。箸を伸ばしてみる。
見た目だけなら、オイスターソースとか醤油を使ったような色合い。
芙美が美味しそうに食べているのだから、と辰也も口に入れたら。思いの外、チョコの風味が気にならず。以前どこかの店で食べたような韓国料理のプルコギと変わらない。
いや、むしろこの方が美味しかった。
「美味しいですよね〜?」
辰也がどんどん箸を進めていたら、芙美がふふっと笑ってくれたのだ。
「意外ですね?」
「チョコって偉大ですよ〜! そのままでも良し、ドリンクにしても良し! 溶かして他の食材にかけても、こうしてお料理にも出来るんですから〜」
「……チョコが好きなんですね?」
「もう、超超超好きです〜!」
そう言えば、昼間にぶつかった時に大量の荷物を手にぶら下げていたが。あれは全部チョコだったのかもしれない。
今日は、バレンタインだから。
しかし、相変わらずなんでも作れる火坑を凄いと思った。
「あの……芙美さん」
「はい〜?」
そして、そのバレンタインだからこそ。辰也はこのチャンスを逃すつもりはなかった。
「LIMEしてます?」
「してますよ〜?」
「……その。せっかくの縁ですし、友達になりませんか?」
「! はい!」
やった、と思ったら表側の方で雪崩が起きたような音がして。
慌てて見に行くと、かまいたちの奈雲達がひっくり返っていたのだった。
偶然の再会と言うべきか。
とにかく、縁が無事に繋がったことでのっぺらぼうの芙美と美作が『友達』にはなれた。
そう、友達、なのだ。
いくらお互いに一目惚れ同士ではあっても、ほとんど初対面に近い。
それだからか、美作は慎重になって言い出したかもしれない。
美兎は自分と火坑のこともあったので、簡単に言い出したり出来なかった。
二人は今、友達になったお陰か座敷席で会話は弾んでいるようだが。
「よう、久しぶり!」
と、暖簾をくぐって来たのはかまいたちの水緒。たしかにクリスマス以来だったから久しぶりだ。
「お久しぶりですね、水緒さん」
「ちぃっと立てこんでたんでなあ? とりあえず、燗酒」
「かしこまりました」
「あ、水緒さん!」
「ん?」
美作が水緒の声に気づいたのか、座敷席から顔を出して来たのだ。
「ども」
「おう? 辰也じゃねぇか? 珍しいなあ? そっちにいるなんて」
彼らが知り合ったばかりの頃は、水緒は美作を兄さんとか呼んだりしていたが。今は呼び捨てだ。
逆に、美作は恩人なので、相変わらず敬称付きではあるが。
「えと、さっき友達になった人と一緒に飲んでて」
「こーんばんはー? あ、かまいたちの!」
「お? 芙美の嬢ちゃんじゃねぇか? 界隈で直接会うのは久しぶりだなあ?」
やはり、知り合いだったようだ。妖は大抵顔見知りが多いと言うか、人間よりもコミュニケーションが凄いと言うか。
妖コミュニティについてはまだまだ詳しくないが、個体数は人間よりも少ないイメージがあるのだ。界隈に来る度に賑わってはいるが。
「美作さんとお知り合いなんですかー?」
「俺の恩人なんですよ。ほら、そっちのかまいたち兄弟が俺の守護についてくれるきっかけになった」
「ああ!」
「仲良いじゃねぇか? まさか、友達じゃなくてこれかー?」
「ぶ!?」
「水緒さん〜!?」
さすが水緒。
察するのが早い。
けれども、二人は違う違うと顔を赤くしながらも首を横に振ったのだった。
「な〜んだ、面白くない。ん? チョコの匂い」
「今日はバレンタインなので、チョコ尽くしですよ? もちろん、おつまみに出来る料理で」
と言って、火坑が美兎と水緒の目の前に置いたのは少し茶色がかった海老マヨだった。
野菜の彩りが美しく、とても食欲を掻き立てられた。
「ほーう?」
「いただきまーす!」
まずは、メインのエビをひと口。ぷりぷりのエビを揚げたものがなんと美味しいことか。ソースはマヨネーズとチョコもあるが、少しピリ辛。
野菜との相性も抜群なので、ぱくぱく食べれる。
まだ残っていたホットチョコじゃなくて、梅酒のお湯割りを煽ると。口の中が幸福感に包まれた。
「美味しいです!」
「お粗末様です。美兎さん、心の欠片を頂戴していいでしょうか? 締めのデザートを考えているんです」
「わかりましたー!」
両手を差し出して、猫手でぽんぽん。
光って、一瞬ハート型のブローチになったが。もう一度ぽんぽんされると、袋詰めの大量のマシュマロが出て来たのだ。
「美味しいデザートまで、料理をお楽しみください」
「待ってまーす!!」
チョコの好きだが、マシュマロも好きらしく。
軽く酔っている芙美が大声を上げたのだった。
ああ、楽しい、嬉しい。
情報屋としてのスキルを使えば、簡単に正体などわかったものの。
芙美は、まるで人間の少女のように心をときめかせていた。
人化していても、己の正体を知ったはずなのに。丁寧に応対してくれた彼に対して。どう言うわけか、心をときめかせてしまったのだ。
だから、芙美は情報屋としてのスキルをフル活用しなかった。出来なかったのだ。
人間じゃないし、のっぺらぼうだし、だいぶ生きてきた妖なのに。
そして今、その相手である美作辰也から『友達』にならないかと提案されて。嬉しくないわけがなかった。
加えて、楽庵の美味しい美味しいチョコを使った料理に舌鼓を打ち。少し酒に酔ってきたが今日くらいいいだろう。
嬉しい事尽くしなのだから。
「営業さんは大変ですね〜?」
酔いが回っているが、楽しいからいいだろうとうふふと笑うくらいだ。
「まあ。もう三年ですし、慣れましたよ? 芙美さんも情報屋って一人なんですか?」
「一人ですよ〜? 昔は組んでいた相手もいましたけど。それぞれ独立しましたしー?」
「へー?」
なんとなく、なんとなくではあるが。
もしかしたら、と言う希望があるかなと思っていたが。さすがは人間でも社会に揉まれて数年。芙美が期待していても、表面上は普通に酒を飲んでいた。
ちょっと残念に思ったが、まだまだ希望的観測でしかない。
今の芙美が人化で作っている顔に惚れているかもしれないなんて。
元は顔がない芙美でも、妖でもやはり恋愛関係はセンチメンタルなのである。
しかし、他に客はいても座敷席は個室に近いのである意味別空間。
ちょっと、いやだいぶドキドキしているわけである。
足先が当たるくらい狭い掘り炬燵なので、緊張が伝わってしまわないか、さらにドキドキしてしまうのだ。
「美作さんは〜? お仕事大変ですかー?」
「大変ですけど、やり甲斐はありますよ? 最近……あ、昼間一緒にいた野郎ですけど。風吹ってやつわかります? 一緒に仕事してるんですよ」
「! 風吹さん〜? 人化してまで、人間達に溶け込もうと頑張ってる火車ですねー?」
「そうそう。あいつが妖だってのは最近知ったんですけど。あいつ、向こうにいる湖沼さんの同期と付き合うことになって」
「それはいいことですね〜?」
実は、出会ったばかりの美作と付き合いたいと思っている芙美ではあるが。
まだまだ知り合ったばかり。
せっかく友達になれたのだから、少しずつ知っていこうと思う。
少しお酒を飲んでいると、濃厚なチョコの匂いが鼻をくすぐってきたのだ。
「お待たせし致しました。美兎さんからいただいた心の欠片で作った、『マシュマロトースト』です」
「おお!?」
「ふわぁ〜!?」
持ってきてもらったら、チョコの匂いもだがマシュマロが焦げた香ばしい砂糖の匂いも混じって。
ひとりにつき一枚と贅沢に用意されたそれは、すぐに食べたくなるくらい美味しそうだった。
薄く焦げたマシュマロ。その下には溶けたチョコ。
パンも香ばしく焼けていたので、絶対美味しいと確信出来た。
「あ、火坑さん。俺の心の欠片も」
「はい。お願いしますね?」
心の欠片。
妖が生きる糧とは別に、生命力にも繋がる美味な魂の欠片。
火坑がぽんぽんと彼の両手を叩けば。丸いタブレット型のチョコが詰まった袋が出てきたのだった。
「……チョコ?」
「お菓子作り用に使いやすいタイプですね? これでカフェモカでもお作りしましょうか?」
「とことん、チョコ尽くしっすね?」
「今日はバレンタインですしね?」
冷めないうちに、とトーストを勧められて。
芙美は口いっぱいに広がった、溶けたマシュマロとチョコの甘さに幸せを感じたのだった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
どうすべきか。
いや、どうしようもない。
同期の田城真衣が、昼休み少々膨れっ面になっているのだ。
美兎はどうしたものか、とオロオロするしか出来なかったが。同席していた先輩の沓木桂那は呆れたようにため息を吐いていた。
「子供じゃないんだから……」
「……だって、先輩達」
「だって?」
「私が不動さんのことで真剣に考えてたのに!! 同じような境遇で彼氏さんがいただなんて知らなかったんすよ!!」
そう、田城がむくれているのは。
風吹が妖だと判明して、それでも付き合うことには異論はなかった。
だが、世間体を省みるとどうすればいいのか散々悩んでいたのに。今日、美兎と沓木に話したら、二人もと分かると今のように膨れっ面になったのだ。
「まあ、普通に言えるわけないじゃない?」
「……ですよね?」
ちなみに今は、屋上の休憩室ではなく。ランチで外に出て個室を借りているのである。
「〜〜……そうかも。そうかもしんないすけど!? 世間狭!!」
とりあえず納得はしたのか、テーブルの上に突っ伏したのだった。
「まあ、偶然も偶然よねえ? 普段一緒に働いてる面子が、揃いも揃って妖怪とお付き合いしてるだなんて」
「むぅ〜〜。あのイケメンさんが、妖怪? 言われちゃうと納得しますけどぉー?」
「ちなみに鬼よ?」
「先輩食べられちゃうんすか?」
「まだよ、まーだ」
「えー?」
風吹は彼女に、性行為をすると人間としての体の作りまで変わってしまうのを伝えたのだろうか。
風吹のことだから、きっと伝えたはずだが。
「湖沼ちゃんの方は色々特殊よねえ? 猫と人間のミックスみたいな見た目で、前は地獄の補佐官だっけ?」
「あ、はい。合ってます」
「え? 不動さんと同じ?」
「ううん。妖怪の種類には当てはまらない妖怪かな?」
「なにそれ、面白! ちゃんと会ってみたい!」
「お、驚かないでね?」
「うーん。頑張る」
とりあえず、と田城は手を叩いた。
「?」
「どしたの?」
「美兎っちの彼氏さんのお店行きたい!」
「え……い、いけど」
「? なんか問題ある?」
「相楽さんのところとは違って、妖怪がたくさんいる場所にあるんだよ? 真衣ちゃん視える人じゃないでしょ?」
「あ、そっか。……ん?」
「ん?」
何か思い出したのか、田城は首を捻った。
「今度は何?」
「いえ!……実は、不動さんとキスしちゃったんですけどぉ」
「けど?」
「翌日から、寒気とか薄っぺらい幽霊みたいなのが視えてきたんすよ」
「あら、じゃあ」
「多分、大丈夫っす」
つまりは、風吹の妖力をもらったことで。いわゆる見鬼の力を得たのかもしれない。もしくは、元々素質があったかもしれないが。
「んー、じゃあ。今晩あたり行ってみる? 残業するくらい溜め込んでいないでしょう?」
「うぃっす!」
「はい!」
いわゆる女子会となったので。少し、楽しみだった。
団体客の予約が入った。
団体と言っても、この狭い店内にとってはだが。
昼頃に、恋人の美兎からLIMEで連絡があり。件の田城真衣と火車の風吹がお付き合いを始めた。
今日ランチの時に打ち明けられ、沓木と一緒に美兎も火坑とのことを打ち明けたそうだ。
結果は、田城が秘密を持っていたことにむくれただけだったそうだ。それで、ここに来たいと言い出したので予約となったわけである。
よかった、と思うと同時に。良い猪肉が手に入ったので、師匠の霊夢直伝の角煮でも仕込もう。
残りは、カレーにでもしてみようか。
半端な肉とかでカレーを仕込むのは、火坑の密かな楽しみだ。美兎にもいずれ食べさせてやりたいと思っていたので、いい機会だろう。
角煮を仕込んでいると、匂いにつられたのか早いお着きの客がやってきた。
「やあ」
入ってきたのは、妖の総大将とも呼ばれている、ぬらりひょんの間半だった。
今月になってからははじめての来訪である。
「少しご無沙汰ですねえ?」
「なーに? あちこちで目出たい出来事があったからだよ。知ってるかい?」
「? なにがでしょう?」
カウンターに腰掛けたと同時に質問されたが、いきなりの問いかけに火坑はすぐにわからなかった。
熱いおしぼりを渡せば、間半はさらにいたずらっ子のように微笑んだ。
「この店が。妖と人間の縁。しかも、恋縁を繋ぐ場と化していると」
「……どなたがそのように」
「さあ? 僕も詳しい事情は聞いていないねえ?」
実際は知っていそうだが、当ててみろと言わんばかりの風態。
仕方ないので、先付けの牛蒡と蓮根のきんぴらを出した。
「……まさか、情報屋の芙美さんではないでしょうし」
「ふふ。そのまさか。酔った勢いで広めてしまったらしいよ? 自分自身も、『友達』とは言え縁が繋がったからねえ?」
「……はあ」
いつもは冷静な芙美が。余程、嬉しかったらしい。美作とはまだ友達らしいが、それでも縁が繋がったのを嬉しく思わないわけがない。
「まあ。いいことじゃないか? 種族は違えど、妖と人間の混血児も多々ある。僕の孫もそう言う感じだったしねえ?」
「……それは初耳ですね?」
「まだ最近……と言っても、十年くらいだけど。可愛いよぉー? ひ孫もいいねえ?」
いつか。
美兎が火坑と本当の意味で結ばれて。祖先の美樹のように不老長寿になってしまう。
その生き方を、これまでは望んでいなかっただろうが。火坑と恋人になってからは、いいと告げてくれた。
沓木と田城はどうかわからないが、同じ仲間が増えることは嬉しいだろう。まして、同じ場所で働いている先輩後輩だから。
「ふふ、それは喜ばしいことですね?」
「そうだとも。さて、今日の食材はなにがあるかなあ?」
「猪があるんですが。鍋か洋風かで仕込む時間の差が出来ますね?」
「! なら、気分は洋風だねえ? 香ってくる匂いは煮物だけど」
「今日、美兎さんが会社の方と来られるそうなので。角煮を作っているんです。洋風だとカレーになりますが」
「いいね、いいね! 小料理屋のカレーもいいねえ! あ、飲むのは熱燗にしてほしいな?」
「かしこまりました」
さて、材料は確保しておかないと。この総大将は意外と大喰らいだからだ。