誘ってしまった。
それは悪いことではない。
風吹は、人化して早数年。火車と言う妖なのに、訳あって人間の屍肉を食べられなくなった。
その理由で、ほとんどの同類にも疎遠にさせられたりだったので。人化して、人の中に紛れ込もうと決めたのだ。
屍肉を貪っていたのに、生きた血肉の匂いは風吹の鼻には毒で。だから、ぎらついた目を見られないように前髪を伸ばしたりと色々したのだが。美醜が際立っているせいで、ちやほやしてくる人間の女は嫌だった。
なのに、今目の前にいる田城真衣と言う女性は。
明るくて、笑顔はまるでひまわりのようで。
風吹、いや、人間の不動侑の拙い話にも喜んで聞いてくれるのだ。
「へー? 不動さんって、一宮なんですね? 私は植田なんです!」
「じゃあ……この辺には来やすいですね?」
「乗り換え一回と二回か悩むんですよね〜?」
植田、天白区。
比較的近いところだ。風吹の住居は一宮の界隈ではあるが、本性に戻れば飛んで行けるくらいの距離だ。そんな失礼なことは出来ないが。
「あ、ここ……です」
田城との会話が弾んで、目的地を過ぎるところだった。黒い漆塗りの木材が特徴の、威圧感漂う佇まい。
田城は、『おお』とでも言いたげに口を少し開けていた。
「和食……ですか?」
「ここの天丼は絶品なんです」
「おお、天丼! 最近食べてなかったから!」
「見た目より、結構安いんです。行きましょう」
「はーい」
少しだが、打ち解けてきたせいか。田城の言葉遣いもフランクになってきた。
見た目以上に、ライトな性格なのだろうか。
もっと知りたい。その気持ちが強くなり、掘り炬燵のテーブル席に座ってから改めて彼女を見た。
小綺麗に整えられた身なりは、私服ではあっても印象がいい。やはり、社会人になったからか、大学生とは少し違う感じだ。
風吹を助けてくれた時もそうだったが、若いのにしっかりしている。彼女の同期で、妖と交際している湖沼美兎と比較したら派手さはあるが、いやらしさはない。
今も、店内をキョロキョロ見て回る様子は愛らしかった。
「えと……ここ。天丼が多いんですけど。他の和食もありますから」
「うーん。せっかく不動さんの奢りなら、おすすめの天丼がいいです!」
「き、嫌いな食べ物……とかは?」
「これと言って全然。美兎っち……あ、湖沼ちゃんはキノコとこんにゃくがアウトですけど」
「……わかりました。すみませーん」
同期をあだ名で呼ぶことは珍しくないが、ずいぶんとフランクな感じだ。
それが、普段の田城かもしれない。風吹も妖の一部には呼ばれたりもしたが、それは本当にごく一部。
呼んで欲しいな、と思うのは傲慢だが。
「来週会えるって、湖沼ちゃんには聞いたのに。今日会えて嬉しいです」
注文を頼んだ後に、いきなり田城が爆弾を投下したような発言をしたのだった。
「俺と……ですか?」
「はい。あの時は具合悪くて、ほとんどお話出来なかったし。湖沼ちゃんの知り合いさんの知り合いさんって聞いた時は、驚いたけど嬉しかったんです。ちゃんと、不動さんと話したいな……って」
ああ、ああ。
こんな嬉しいことがあっていいのだろうか。
恋愛事情に疎い風吹でも、彼女の思っていることに。
自惚れていいのかと、顔に熱が上がってきて。思わず口を手で隠した。
「……俺も」
「え?」
「…………俺も。助けてもらったことへのお礼だけじゃなくて。田城さんと話したいって思ってました」
言い切った時に、田城の顔を見れば。
今まで以上に、花のような笑顔を向けてくれたのだった。
嬉しい。
もしかしなくとも、不動も同じ気持ちでいてくれるかもしれないから。
赤くなった顔を手で隠すのも、何だか年上なのに可愛らしく見えて。
真衣は、もっともっと彼のことが知りたいと思ったのだった。
そして、注文した天丼が到着すると、その圧倒的な天麩羅のサイズに目を丸くしたと思う。
「お……っきい、ですね?」
野菜もだが、穴子らしき長い天麩羅もめちゃくちゃ大きい。これは食べ切れるか、流石に心配になってきた。
「あ……すんません。いつもの頼んじゃって。もし……残ったら、俺が食います」
「え、こんなに多いの。不動さん、食べ切れるんですか??」
「いつも……二杯は普通なんで」
「わお!」
それなら安心が出来る。だが、片想いの相手に気を遣わせ過ぎてもいけない。
出来るだけ食べようと、まずは大きな穴子から口にしてみたら。
見た目以上にサクサクの衣。甘辛いタレが天麩羅の衣に良く絡んでいて。天麩羅だけでもいけるがご飯も欲しくなる。
ついつい、いつもの会社での昼ごはんのようにパクパク食べ進めてしまっていた。
気がつくと、半分以下になっていたくらい。
そこで、我に返って不動を見れば。一心不乱に天丼にがっついていた。
前髪がずれて、あの綺麗なブルーアイが見えて。
その目はとても真剣に天丼と向かい合い。これが作法と言わんばかりに、どんどんどんどん天丼が彼の胃袋へと消えていく。
その勢いに飲まれて、真衣は天丼を食べる手を止めてしまっていた。
「あ……腹いっぱいになりました?」
丼をおろすと前髪も元に戻ってしまったが、真衣は聞かれたので手をぶんぶんと顔の前で振った。
「いえ! とっても美味しいです!! ちょっと……不動さんの食べっぷりに圧倒されちゃって」
「あ、すんません。勝手に食べ進めちゃって。俺……天丼には見境ないから」
「そんなにお好きなんですか?」
「毎日三食は天丼でもいいくらいです!」
「ぷ!」
そんなに食べまくっても飽きないことにもだが、太らない体質にも羨ましく思えた。
「? 俺おかしなこと言いました?」
「違います。そんなに高カロリーなものを食べ続けても太らないのが、羨ましいなって」
「まあ…………アラサーでも、まだ若いんで」
「そうですね?…………残り、お願いしていいですか?」
「もちろん」
不動の食べっぷりを見ていると、流石にこれ以上は食べれないと実感出来たので。丼を渡せば、彼はまたすごい勢いで食べ進めてくれたのだった。
「蕎麦茶です」
ゆっくりしていると、店員が食後のお茶を持ってきてくれたので。温かいお茶に、真衣はほっと出来たのだった。
「不動さん、いつもご贔屓にありがとうございます。ちょっといい企画があるんですよ」
店員が手にしていた広告を一緒に見ると、不動が喜びそうなものが記載されていた。
「……バレンタイン企画、デカ盛り天丼選手権?」
「はい、彼女さんも観覧だけでも参加されませんか?」
「え?」
「……彼女、じゃないです。恩人です」
「あら、すみません」
彼女じゃないのは当然だが、想いを寄せているのに変わりないので少し胸が痛んだ。
天丼が来る前の、あの照れ隠しに自惚れかけたのだが違うのだろうか。
「けど」
不動が顔を上げて、真衣を見てきたのだ。前髪から見え隠れするブルーアイがしっかりと向けられた。
「けど?」
「俺……参加したいんで、応援には来てもらえませんか?」
「い……いんですか?」
「もちろん」
「じゃ、不動さん。こちらの参加希望にお名前だけいただけますか?」
「はい」
飲み会もあるのに、次の約束があるだなんて。
デートではないのに、デートの約束をする感じだった。
と思ったところで、今のこの時間もある意味デートでは、と。不動が記入している間に顔が熱くなるのを感じた。
バレンタイン間近、の飲み会。
定時過ぎに上がることが出来た美兎は、同期の田城真衣に休憩室に連れて行かれたのだった。
「え、約束?」
田城が、実は休日に不動侑こと火車の風吹と再会していたことを聞かされた。
「その……デートってことじゃないんだけどぉ。不動さんが『大食い選手権』に出るから応援に来て欲しいって」
これからまた会うのに、デレデレしてしまっている田城は年相応の恋する女性に見える。それがとても可愛らしく見えた。
社内の、彼女を狙っている男性陣には申し訳ないが、ここまで風吹を好いているのなら本物だろう。
ただし、この様子だとまだ彼が妖怪と言われる存在であることは知らないと思われる。
言わないことが悪いわけではないのだが。出来れば、どちらも傷つかない方向になって欲しいのだ。美兎が火坑とのことで散々悩んだように。
「そっか。いいんじゃない?」
「……うん。この間会った日もぉ。デートだったのかな? デートだよね? 二人でご飯食べるってぇ!?」
「真衣ちゃんがそう思うなら、そうなんじゃない?」
「うーふーふ」
とりあえず、若干気味の悪い笑顔は引っ込めてほしいが。
今日は、美作おすすめのイタリアンレストランに連れて行ってくれるらしい。最初そのワードに、ろくろ首の盧翔を思い浮かんだが、界隈どころか久屋大通なので違うだろう。
田城を連れて、待ち合わせ場所に行くと。既に美作ともこもこに着込んだ風吹が待っていたのだった。
「お待たせしました!」
「や! 俺達も今着いたとこ」
「……ども」
「こ、こんばんは!」
「!?」
わかりやすい。実にわかりやすい。
風吹は田城が挨拶すれば、すぐにニット帽とマフラーを外して顔を露わにさせた。その顔は真っ赤っかだった。
「なーに、なに? 不動、お前。こっちのお嬢さんと別でまた会ったのか?」
「う、うるさい!」
「へーへー。あ、俺こいつの同期で。湖沼さんとは飲み友の美作辰也だよ」
「どーも。田城真衣です」
「その節は、こいつ助けてくれてありがとね? 今日は俺とこいつの奢りだから遠慮なく」
「いいんですか? 美作さん?」
「うんうん。湖沼さんも遠慮しなくていいから」
「あ、あの!」
とここで、田城が風吹の前にひとつの紙袋を渡したのだった。
「? 俺、ですか?」
「これ良かったら、バレンタインプレゼントです!」
「え……い、んですか?」
「はい! 私達の先輩の彼氏さんの……お店のですけど」
「…………ありがとうございます」
受け取った途端に、ふにゃっとした笑顔になるのだから田城に筒抜けだと思われるのに。田城も田城で、ふにゃっとした笑顔になるだけだった。
「……湖沼さん、湖沼さん。もうあいつらデキてるんじゃない?」
「両片想い状態ですね? ただ……」
「そだね。あいつ、妖だから」
ほわんほわんした空気が漂う中、コソコソっと美兎と美作は話し合う。
そして、やはりぶつかる壁をどう突破すべきか美作も悩んでいるようだった。
「……とりあえず。急ぐわけでもないですし。移動しませんか?」
「そうだね? おーい、お二人さん? 移動するぞ?」
案内してくれたレストランは、表通りにあって。盧翔の店よりかはだいぶ居酒屋に近い外観だった。席順は、真衣の向かいに風吹が座るように。
双方、顔はまだ赤かった。
さて、どう手助けすれば良いのやら。
どちらも一目瞭然なのに、何も言わずじまい。
なので、美兎は正面にいる美作に目配せするが、あちらも同じ心境か肩を落とされた。
「とーりあえず、注文どーする? 俺が適当に頼むぞ?」
「!……あ、ああ。頼む」
「わ、私もお任せで大丈夫です!」
ガチガチに固まり過ぎだ。先日再会した時はどうだったのかはわからないが、田城の話だと会話が弾んでいたはずなのに。
美兎達がいることで、逆に緊張感を煽ってしまったのだろうか。適当に言い訳して二人きりにさせようかと言う考えは、美兎的にはよくないと思っている。
この場合、風吹に美兎から話題を持ちかけよう。とりあえず、飲み物は全員イタリア産の瓶ビールになった。
「え……っと、不動さんはエンジニアなんですよね? エンジニアって色々あるじゃないですか? そう言うお話はあんまりお聞きしてなかったので」
「そーそー。この間、俺と湖沼さんと会った時もそう言う話しなかったよな?」
「私……もです」
やはり、していなかったのか。なら、話題としてはいい選択だった。
「え……と。アプリ開発関係のプログラミング……とか、です。どっちかと言うと、プログラマーで……すけど」
「固くなり過ぎだぞ、不動? お前の仕事は社内じゃ信頼されまくっているし、もっと自信持てって!」
「……痛い」
「悪い悪い」
わざと悪ノリして場を和ませる美作は凄い。田城も、少しだけ緊張がほぐれてきたのか、興味有り気に顔を輝かせていたから。
「アプリ開発ですか!? どんなのを作っていらっしゃるんですか!!」
「……興味、あるんスか?」
「ありますよ! 入れ過ぎなくらい、スマホとかPCにはダウンロードさせてます」
「……最近は。女性向けのソーシャルゲーム、ですね」
「色々手がけているんですか??」
「まあ。うちの会社、アプリなら何でも屋みたいなとこがあるんで」
「へー!」
打ち解けてる、打ち解けてる。
美作に目配せすれば、ぐっと親指を立てていた。
話が弾んでいる間に飲み物が到着して、四人で改めて乾杯したのだった。
そして、田城もだが風吹の飲みっぷりもなかなかのものであった。
「ぷはー! 直接瓶ビールで飲むとか久しぶり〜〜」
加えて、田城にしては珍しく酔いの回りが早かった。
ひょっとしたら、まだ緊張感があってなのかもしれない。止めようかと思ったら、美作から待てと目配せで止められたのだった。
「不動さんは〜〜、どんな女の子が好みですかぁ?」
「え?」
いきなり、どストレートに聞くとは。それだけ風吹が好きなのだろう。
まさか、自身が想われているとは知らないのに。
「おーおー? さっそく聞いちゃう? 不動、答えてやれよ」
「お……前!?」
「ねーねー不動さぁん」
年相応の可愛らしい猫撫で声だ。
この可愛いらしい仕草に、応えられない男はいるだろうか。否、いないだろうと美兎は思う。
風吹の好みが、田城だから。
「お……れ、は」
美作と一緒に、紡がれる言葉への期待感が上がっていく。
わくわくしながら待っていれば。不動は耳と首を真っ赤にさせながら、トロンとした目で待っている田城を真っ直ぐに見た。
「好み……知りたい、ですか?」
「知りたいですぅ〜」
「……じゃあ、田城……さんは?」
「わたし〜ぃ?」
そして、田城はにっこーと音が聞こえそうなくらい、顔をふにゃふにゃ笑顔にさせたのだ。
「……!?」
「わたしぃ、はあ。不動さん!」
「っ!?」
「だからぁ、気になるんです……ぅ」
言い切ったら、寝落ち。
仕事も最近ハードスケジュールだったから、余計に酔いの回りが早かったのだろう。
うつ伏せに寝てしまった田城に、風吹はオロオロし出してしまった。
「え、え、え!?」
「うん。不動、哀れ」
「……え?」
「ど、どうします? 注文したお料理とかまだですけど」
「うーん。とりあえず寝かせてあげよっか? 疲れもあっただろうし、田城さんの分はテイクアウトするとして」
と言ってたら本当に料理が来たので、美作は店員に頼んでテイクアウト用の入れ物と袋を用意してもらい。
田城は三人が料理を食べている間、規則正しい寝息をしたまま寝てしまっていて。
帰ることになっても起きず、どうするかと思っていたら。また、美作が思いついたようににんまりと笑った。
「不動。お前、妖なんだから……例えば、田城さんの匂いとか辿って送る事とか出来るか?」
「……出来、るけども。俺に送らせるのか?」
「いいじゃん、いいじゃん? 意識朦朧としてでも告白されたんだし、お持ち帰りよかまだ良いだろ? 起きたら、湖沼さんに住所聞いたことにしとけ」
「わ、私も口裏合わせします!」
「…………わかった。送る、だけで」
「起きたら、ちゃんと言え」
「……無茶言うな」
けれど、送ることに異論はないようで。風吹は田城を背負って、手にはテイクアウトの袋を持ってから名城線に向かうのだった。
「うまくいってほしいですね?」
「だな? 湖沼さん、楽庵で飲み直さない?」
「いいですね?」
なので、二人で界隈に向かうことにした。
まったく、わざとなのかそうじゃないのか。
風吹は送ることになった、想い人の人間の女性。田城真衣を背負いながらとりあえず、地下鉄の名城線に向かった。
他に荷物もあったし、抱き抱えるよりも背負う方がいいと思い。徐々に濃くなる人肉の匂いに耐えながら、まずは改札で駅員に掛け合い。
酔って寝てしまったので、支払い等を改札口で済ませてからホームに向かう。
地味に目立つが、仕方がないので視線は総無視。
匂いが濃くなっていくにつれて、風吹も気分が悪くなってきたが。役目をまず真っ当せねばと、なんとか我慢した。
植田までの乗り換えの間も。
比較的端が空いていたので、その席に下ろしてから休ませて。着いたら、また背負ってを繰り返して。
途中、気を遣ってくれた人間もいたので、スムーズに駅まで行けた。はるか昔もだが、争うだけの人間だけじゃないのは、風吹にとって嬉しく思えた。
だから、あの大戦で血肉の臭いがダメになっても。風吹は人間がすきなのだ。
食べる対象ではなく、交友する側として。
矛盾はしているが、ここ最近変化もあった。
田城と再会してからだが、少しだけ人肉の臭いに耐性が出来てきたのだ。
今日くらいの、ちょっとした混み具合だったら気分が悪くなくなった。きっかけが、ひょっとしたら彼女かもしれないと、そう思えるくらい。
だって今も、背負っているとは言え。密着しているのに、彼女の血肉には気分が悪くならない。むしろ、花のような良い香りがするのだ。シャンプーとかの匂いかもしれないが。
「……さて、と」
植田の駅に降りるのも久しぶりだったので、適当に地上の出口から出たが。田城の家はこのままだとどこかわからない。
同期の美作が言ったように、匂いをたどることも出来るが彼女を背負っているので、紛れてしまう。
なら、目立ちにくいこの時間なら妖術を使えるかもしれない。
「……導け、導け」
目を閉じて、意識を巡らせ。
紡いだ言の葉を頼りに、田城の家を探る。
すると、風吹の頭の中に地図が浮かび上がり。目を開ければ、赤い糸のようなものが道しるべをしてくれていた。
それに沿って、田城と荷物を落とさないように背負って、ゆっくりと歩き出した。
道は住宅街に向かう感じで、血肉の臭いがあまりしない。比較的住みやすそうだな、と思ったらそれらしきアパートの前に到着して。
部屋の前に着くと、いい加減田城を起こそうと声をかけた。
「田城さん。……田城さん、起きてください。着いたっスよ?」
「……んぅ? にゃ〜? 不動さぁん?」
「その不動です。家に着きましたよ?」
「あにぇ〜? 私ぃ、場所教えましたっけ??」
「湖沼さんに聞きました。部屋の鍵出してください。てか、立てます……?」
「えーとぉー」
眠いのか、酔いがまだ回っているのか、相変わらず可愛過ぎる舌ったらずな声だが。とりあえず、上着のポケットから鍵を出してくれたので、受け取ってからドアを開けた。
中は一人暮らしのワンルームで、綺麗に片付いていた。界隈に自宅がある風吹とは大違いだった。
「……じゃ、俺はここで」
「え〜〜、せっかく来たんですから。上がってくださいよぉ〜〜」
「田城さん、まだ酔ってます?」
「ひとりじゃさみしいんですぅ〜。不動さぁん、帰らないでぇ」
「……俺、男なのわかってます?」
さらに言うと人間でもないのだが、とは言えないので。
そこをグッと堪えていると、田城は玄関に座り込んでふにゃふにゃの笑顔になったのだ。
「知ってますぅ〜〜、不動さんはぁ、素敵な男の人ですもん!」
「……田城さん」
たしかに、酔って本音が出まくり、店でも告白のようなのをされてしまったが。
未だに酔ったままでも、本音を言ってくれるのだ。嬉しくないわけがない。けど、自分は人間じゃない。かつては屍肉を貪っていた妖と呼ばれる化け物だ。
それを知った上でも、受け入れてくれるかわからない。
だが、彼女の想いにも応えたい自分がいるのも嘘じゃない。
「不動さんが〜すぅき!」
「! 俺の正体、知ってもですか?」
「しょーたい?」
「…………俺、人間じゃないんです」
完全に人化を解かずに、目を猫目にさせて、猫耳を出してから田城と向き合った。
田城はポカンとしてたが、すぐにまたふにゃふにゃの笑顔になった。
「……猫しゃん?」
「……半分あってますけど。化け猫ですよ、火車って」
「……それが悪いことなんですか?」
「……え?」
もう一度田城に顔を向けると、彼女はふにゃふにゃどころか苦笑いをしているだけだった。おそらく、今ので正気に戻ったのかもしれない。
「……私は。不動さんが好きです。何者でも、いいんです」
完全に酔いが覚めてしまったらしく、風吹は背筋が凍るような感覚を得た。
けれど、田城はまだ言葉を続けてくれた。
「人間じゃなくても、なんでもいいです。それだけじゃ、ダメですか?」
「……化け物ですよ?」
「けど、不動さんは不動さんです」
そして、座ったままなのに風吹に抱きついてきたのだ。
間近に感じる、好きな人間の匂いに。血肉とは違う匂いで酔いそうになった。
「田城さん!?」
「なんだっていいんです。私は気にしません」
「……後悔、しないんですか?」
「絶対、と言い切れないのは申し訳ないけど。今は言えます。あなたが好きです」
「……俺も、です。真衣、さん」
風吹も生まれて初めて。生きている人間を抱きしめて、幸せな気持ちになれたのだった。
あれから、美作のスマホにも連絡が来ないので。
ひょっとしたら、と美兎は考えてしまうが。どうなったかもわからないのに、先を考えてはいけないだろう。
美作と界隈をくぐって、火坑が営む楽庵訪れたが。
結構食べてきたので、いつもの梅酒のお湯割りで温まってはきたのに。どうも、田城達のことが気になってしまうのだ。
「ふふ。美兎さん、難しい顔をされてますね?」
カウンター越しだから、顔が見えて当然。
隣にいた美作も、それぞれの守護になってくれてるかまいたち三兄弟や座敷童子の真穂にも苦笑いされてしまった。
「なーに、美兎? 風吹達がそんなに心配?」
「だって……どっちにも相談されたし。あんな帰り方させたんだもん。気になるよ」
「まあねぇ? けど、妖だからって風吹も男よ? 男なんだから、やる時はやるわよ?」
「真穂ちゃんの言う通り! あいつもなんだかんだ男だから、ケジメつける時はつけると思うよ?」
「で」
「やん」
「す!」
「そうですけど……」
自分とは違う、妖と人間との恋。
いくらポジティブ人間の田城でも、そこを受け入れられるかどうか。
悩んでいても仕方がないと思うと、火坑が何かを出してくれた。
「まあまあ。ずっと悩まれる美兎さんも可愛らしいですが、ひとまず落ち着きましょう。愛媛から、知人が送ってくれたものですが。『紅まどんな』と言う品種のみかんです」
「みかん……ですか?」
出されたみかんらしいものは、どう見ても小ぶりのオレンジサイズ。
とてもじゃないが、みかんには見えない。それに切り口が綺麗なオレンジカラーで、とても瑞々しい。
「うっわ! みかんでこんな美味そうに見えるの初めて!」
「愛媛の特産品ですからね? 普通に剥けませんので、このような提供になりますが。甘くて少し酸味があって、果肉がゼリーみたいにジューシーなんです。皮は剥きにくいのでご注意を。さ、どうぞ」
「い、いただきます」
たしかに剥きにくい皮だが、薄皮がとても薄い。果汁が溢れそうで、もったいない。
行儀が悪いと思うが、もう辛抱できないとかぶりつき。口いっぱいに、果肉たっぷりのゼリーを食べたような幸せな気持ちになれた。
「おい……しい、です」
「それはよかったです。心配されるのも最もですが、ひとまずは時間の流れに身を任せましょう?」
「そうですね」
たしかに、美兎がいくら悩んでいても関係ないと言えば関係ない。
これは、当人達の大事な問題だから。
が、美作達と一緒にみかんを堪能してから少しして。美兎のスマホに通知があった。
手を拭いてからスマホの画面を開けば。LIMEに田城の名前が。
すぐにタップすれば。
「!?」
「あら、どしたの?」
「田城さんから?」
「…………いいことでしか?」
矢継ぎ早に質問されたが、今言えることは。
「無事に……お付き合いすることになったみたいです」
追伸で、美兎に別口で相談があると言われたが、おそらく添付の写真と関係があるに違いない。
美兎の目には、猫目と猫耳で写真に写っている風吹がいたのだから。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
めでたいことだ。
同期で、実は妖だった。火車の風吹こと不動侑が。
飲み友の湖沼美兎の同期である田城真衣と付き合うことになった。妖と人間とのお付き合い組がまたひとつ増えたのだが、美作辰也は少々物悲しかったのだ。
いい感じに社会に揉まれて、いい感じに経験も積んできた。長年の悩みだった、体の意味不明な切り傷も解決出来て。一端の人間としてはそろそろ誰かとお付き合いもしたいとは思っているのだが。
まったくモテないわけではないのだが、今の会社に入社してからは誰とも付き合っていない。切り傷も無くなったのに、なんとなく軽い気持ちで付き合えないのだ。
本気の本気。まったく異なる種族同士の付き合いを見てきたせいか、どうも今まで通りにはいかないのだ。
「……なあ、不動」
「ん?」
「……妖の可愛い子紹介して」
「ぶ!? お、前!?」
風吹が田城と付き合うことになった翌日。
昼が一緒になったので、その店の個室で辰也はなんとなく風吹に聞いたのだった。
「いやだってさ? 俺の事情も事情だし、いずれは奈雲達のこと話さなきゃなんないだろ? だから、人間よりは妖がいいかなぁと」
「……それもそうだが。お前、妖とその…………性行為したら、自分だって人間じゃなくなるんだぞ?」
「あ、そなの? 人間やめるのはなあ。……田城さんには言ったのか?」
「…………言った。すぐに……出来ないから、残念がられた、けど」
「キスはしたのか?」
「…………」
「あー、はいはい。わかったわかった」
幸せのオーラが出まくり、なのでこれ以上野暮な事は聞かないでおこう。
とりあえず、食べるものも食べたので。会社に戻るか、と店を出てすぐに。
不注意ではあったが、誰かとぶつかってしまった。
「きゃ!?」
「おっと、すみません!」
注意散漫過ぎだと、自分で反省しながらその女性を抱き止めると。
顔を見た途端、辰也は二重の意味で心臓に衝撃を受けたのだった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
照れた顔がとても愛らしい女性。
年は美兎と変わらないくらい。
けど、その顔がどういうわけか。辰也にはだぶって見えて、目も鼻も、口もないのっぺらな顔があったのだ。
「? おい、美作? どうし……?」
風吹が声をかけて来ても、辰也は彼女の顔に釘付けだった。
可愛いと、のっぺらな顔が二重に見えるなど普通じゃないと思いながら。どう言葉をかけていいものかと。
「? あ、あの……?」
「! あ、すみません。……立てますか?」
「はい」
立たせると、結構小柄ではあるが。顔以外に気になったのは、男なら見てしまう胸部の部分だった。失礼だが、美兎より立派だった。
「……気をつけて」
「? はい、そちらも」
ああ、行ってしまうと思ったが。ひとつだけ確信があった。
隣に立った風吹に振り返り、思いっきり肩を掴んだ。
「? どうした?」
「今の子! 顔がないようにも見えたんだけど!!」
「! ああ……のっぺらぼうか」
「けど!? 変身? してる顔可愛いんだけど!!」
「お前……惚れたのか?」
「かも?…………ああ、なんで連絡先聞かなかったんだ、俺!!」
一生の不覚、と後悔していたら。風吹に掴んでた手を払われた。
「連絡先をある意味知る方法があるだろう?」
「あ?」
「錦の界隈。楽庵で出会える可能性もある。あの大将は顔が広いからな?」
「あ」
たしかに、それもそうだ。
すぐに、とまではいかないが。今晩行こうと決めたのだった。
バレンタイン当日。
美兎は、今日も今日とて仕事が終わったら。錦にある界隈をくぐって、愛しの猫人が営む小料理屋へと向かう。
今日はバレンタインだから、先輩の沓木に教わった薔薇のチョコクッキーはもちろん。もうひとつ用意していたのを落とさないようにして、楽庵に向かうのだ。
ちなみに、座敷童子で守護の真穂は兄の海峰斗と約束して、自宅に招くそうだ。スピード恋愛なのに、ごちそうさまを言いたくなるくらいラブラブである。
「こんばんは〜」
暖簾をくぐれば、客が帰ったばかりなのか。火坑がカウンターの食器を片付けていた。
「こんばんは、美兎さん」
相変わらず、涼しい笑顔で出迎えてくれる。その気遣いだけでも、美兎は嬉しかった。
席に着いて、熱いおしぼりをもらうと。二月の半ばでもまだまだ寒いと実感出来た。
先付けと熱いほうじ茶を出してもらってから、美兎は彼にバレンタインプレゼントを渡した。
「ハッピーバレンタイン、です!」
「! これはこれはありがとうございます」
少し猫目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに目を細めてくれた。中身を落とさないように、カウンターの前にある台の上に置いて出した。
「!?」
「え……っと、先輩に教わって作りました」
薔薇のクッキーには流石に驚いたのか、目をこれまで以上に丸くさせた。
「美兎さん」
「は、はい?」
「食べずに保管していいですか?」
「た、食べてください!」
「ふふ、冗談ですよ」
いきなりの発言が冗談にも聞こえなかったが。
けれど、くすくすと笑いながら火坑はクッキーを台の上に置くともうひとつの包みを開けてくれた。
「!?」
「…………」
火坑が手に取ったのは、黒のマフラー。シンプルに二目ゴム編みでフリンジなどはない。
美兎の、手作りだ。
付き合ってまだ数ヶ月しか経っていないし、重いと思われるかもしれないが。美兎が、彼にそれを贈りたかったのだ。
「……似合いますか?」
いつのまにか、装着してくれた火坑は。とても、嬉しそうに笑ってくれていた。
それだけで、美兎は天にも昇ってしまうような気持ちになった。
「はい! とっても!」
作ってよかったとこぼせば、火坑の目がさらに丸くなった。
「お上手ですね?」
「セーターはあんまりですが……マフラーとかは得意なので」
高校の頃は家族によく作ってあげたものだ。
父や母は今でも使ってくれているらしい。
「……大事に使わせていただきます」
「はい!」
その言葉をもらえただけで、とても嬉しかった美兎に。火坑は、こちら側にやってきて美兎の頬に軽くキスをしたのだった。
「この姿では口はできませんので」
「……してくれないんですか?」
「小さいんですが、牙もあるんですよ?」
「むー……」
痛いのは嫌だが、興味はあった。
そう言うと火坑にぽんぽんと頭を撫でられただけ。少し残念に思っていると、後ろの引き戸が開いたのだ。
「こんばんは〜?」
女性客だ。けれど、雪女の花菜とかではなくて初めて聞く女性の声。
振り返れば、美兎は思わず火坑にしがみついたのだった。
「美兎さん?」
「か、かかかか、顔が!?」
口も目も鼻も何もない。
美兎でも知っている、のっぺらぼうと言う妖怪だった。
「あら〜? 人間のお嬢さん? ちょっと待っててくださいね?」
のっぺらぼうは顔の前でひらひらと手を振れば。唯一ある眉毛から、目、鼻と段々と顔に現れて。
出来上がったら、カントリーファッションが似合う可愛らしい女性に変化したのだ。年頃は美兎と同じくらいだった。
「おや? 芙美さん」
「お邪魔します〜。そちらのお嬢さんは初めまして」
「は、はじめまして! 湖沼美兎です! 驚いてすみません!」
「いいのよ〜。ちょっと今日は、大将さんに聞いていただきたいお話があってきたんですー」
「僕に? ですか?」
「多分だけど。ここの常連さんの人間なんですが」
「? 私じゃないんですよね?」
「ええ。殿方で……。かまいたちの気配がある」
「あ」
もしかして、美作。
芙美は名前までは知らないけれど、と。とりあえず、美兎の隣に腰掛けたのだった。
美作と、芙美と言うのっぺらぼう。
いったいどう言う関係なのかはこれから教えてくれるそうだが。火坑は何故か、厨房で甘い匂いのする何かを調理していた。
「火坑さん、それは?」
「ホットチョコですよ? 芙美さんは界隈で有名なくらいに、無類のチョコ好きなんです。僕のような店にも来ていただけるので、この時期にはストックしているんですよ」
「いつもありがとうございます〜」
「いえいえ」
そして、出来上がったホットチョコは。コーヒーチェーン店に負けないくらい美味しそうな出来上がりだった。なんと、美兎の分まで作ってくれたので、ありがたく飲ませていただくことに。
「はぁ〜……」
「甘〜い。大将さんは本職じゃないですのに、いつも美味しいですぅ」
「お粗末様です。それで、お話と言うのは? 常連さんには、たしかにかまいたちを守護に持つ方はいらっしゃいますが」
「え〜〜っと、実はですねー?」
ホットチョコのマグカップをカウンターに置いてから、芙美はモジモジし出した。
「?」
「実は……昼間に人間界に行って。通りでちょっとぶつかったんです。もちろん人化してたので、正体はバレてないと思ってたんですが。あの人……の顔が。私を見て、驚いていたんです。きっと、見鬼の持ち主で気づかれたんだと思うんですが」
「だけど?」
美兎が催促すると、芙美は自分の真っ赤になっていく頬を両手で挟んだ。
「か、かっこよかったんです〜! しかも、あんなにも紳士に対応してくださるだなんて〜! 私、初めてだったんで〜〜!」
どうやら、一目惚れしたらしい。
照れてふにゃんとなる顔は妖でも人間でも変わりないのだ。しかし、芙美はそうでも美作本人がどう思っているのか。
LIMEで呼んで、ここに連れてくることは出来るだろうが、それが正解とも言えない。美兎はまだ温かいホットチョコで、指先がじんじんと温まりながらも考えるのだった。
「ふむ。かまいたちの気配と情報屋としてのスキルを使われて、ここにいらっしゃったんですね?」
「ご名答です〜」
「情報屋……さん?」
「界隈での私の仕事なんです〜。この顔以外にも色々なれるんですよ〜?」
と言って、芙美はぱっぱっと、手を振っただけで色々な顔になったのだった。のっぺらぼうの特技なら、純粋に凄いと思えた。
「今日人間界に行かれたのはバレンタインフェアだからですか?」
「そうなんです〜。限定チョコを買いに行ってる途中に。あ、今は家に置いてきました」
「なるほど。……しかし、彼が今日ここにいらっしゃるかわかりませんね? 皆さんご自分のお仕事をお持ちですから、来られる日もバラバラですし」
「あ、いえ。ここの常連さんだって、わかって良かったです! 久しぶりにここのお料理も食べたかったですし!」
「ふふ、光栄です」
なんとかしてあげたいが、美兎が勝手に動くわけにもいかない。火坑も同じ気持ちだろう。
すると、後ろの引き戸が開く音が聞こえてきた。
「こんばんはー。火坑さん、ちょっと聞きたいことが」
まさか、その本人が来ると思うだろうか。
「え!?」
「おや?」
「ん?……え、あ!? 昼間の!!?」
飛んで火に入る夏の虫、とは言わないだろうが。
もしくは、灯台下暗しと言うことわざがしっくり来るかもしれない。
とにかく、美作と芙美の再会となったので。二人は座敷に座ることになった。