名古屋錦町のあやかし料亭~元あの世の獄卒猫の○○ごはん~

 恋人である湖沼(こぬま)美兎(みう)の兄、海峰斗(みほと)

 猫人の姿で会ってみたいと事前に情報があったので、今日は節分兼休日だったから何組かの妖と節分行事をしていたのだ。

 妖なのに、鬼を祓う行事をやるのはどうだと思われるかもしれないが、単純に遊びたいだけだ。妖とて生きているのだから、人間達の遊びを真似したくなる。

 それが仕事となり、界隈で店を開くのも多い。師匠である黒豹の霊夢(れむ)も趣味がこうじて楽養(らくよう)を開けたそうだ。

 今から作るコーラ煮も彼に教わったのだ。


「知っていましたか、海峰斗さん? コーラ煮は今回手羽先で作りますが。豚肉とも合うんです」
「へー! 想像つきにくいけど、火坑(かきょう)さんの料理美味しいし。次食べてみたい」
「ふふ、ありがとうございます」


 最初は、先日の初対面の時のように緊張がかなりあったが。今は酒とスッポン料理のお陰でほぐれてきている。スープはもうすぐ出来るので、火坑は焼いて置いた手羽先に、海峰斗の心の欠片であるコーラを躊躇なく注いでいく。


「あー、肉の焼き目のいい匂いね〜?」


 そして、彼の恋人になった座敷童子の真穂(まほ)。人化の年齢を引き上げたのか、いつもより愛らしい感じだ。海峰斗のためか、今日湖沼の家に挨拶に行くのに年齢を調整したのだろう。


「沸騰したら、キッチンペーパーなどでささっと灰汁を取ります。そこに、鷹の爪と醤油を入れてからアルミホイルでフタをして」


 だいたい十五分煮るので、その間にスッポンのスープを出したら。


「う……っわ! 美兎とか真穂っていっつもこんなすげーの食ってんの!?」


 サービスで、スッポンの頭を入れたら少々驚かせてしまったようだ。


「美味しいわよー? 内臓とかはあんまり無理だけど。肉とか皮とか。コラーゲンたっぷりの甲羅の部分とか」
「……んじゃ、真穂がそう言うなら。……この頭ってどう食べんの?」
「普通にかぶりついて吸い付く感じよ」


 再会してからまだ数日で、付き合いも始まったばかりなのに。まるで、長年連れ添った感じなのが、火坑の目には微笑ましく写った。

 そう言えば、美兎にタメ口とか呼び捨てをしていいか聞かれたのだが。火坑の場合、誰かを呼び捨てする癖とかがほとんどないので、今のままでもいいと思っているのだが。

 もう少し、彼女の懐に手を伸ばしていいのなら。少し、考えたかった。


「さ、いい具合です。出来立ての手羽先のコーラ煮をどうぞ」


 盛り付けてから二人の前に出せば、真穂もだが海峰斗も声を上げたのだった。


「すっげ! 美味そう!」
「豚もいいけど、鳥もいいわねー? 手掴みの醍醐味よ!」
「うん、食べよ!」


 スープはまだ途中だったので、火坑は洗い物をしながら二人の食事を覗くことにした。ものによるが、一人で切り盛りしているので今風に食洗機を使っている。

 軽く濯いでから、食洗機に入れたり。ぬるま湯で浸しておくのと分けたりするのだ。


「ふま!」
「甘辛くて美味しい! 鷹の爪効いてるわよ、火坑!」
「ふふ、お粗末様です」


 この時間だと、他の客が来てもおかしくはないが。真穂が伴侶を連れているからと控えているかもしれない。妖デパートの鏡湖(かがみこ)の役員であり、大妖怪の一角であり、人間としては売れっ子の小説家。

 おそらく、だが。美兎もそのことを今日知ったはずだ。


「へー? コーラって飲むもんだけじゃなかったんだ? 料理に使えるって意外」
「海峰斗さんは……美容師さんですよね?」
「うん。他にもメイクとかしてあげっからスタイリストだけど」
「化粧品にお詳しいのであれば、炭酸水を使うのはご存知ですよね?」
「うん? 肌がもちもち……あ、そっか?」
「おそらく正解です。豚肉だと圧力鍋で作ることが多いですが、炭酸水もしくはコーラを使うと成分の関係で肉が柔らかくなるんです」
「なーるほど」


 酒が無くなったので、生ビールを追加した海峰斗は完全に酔う前に真穂と一緒に帰っていった。今日は真穂の居住地で泊まるのだそうだ。

 少し、羨ましい。と感じたのは。初詣でもだが、美兎となかなかデート出来ていないからだろう。

 仕事がもうひと段落ついたら、スマホで連絡しようと思ったら。

 新たな客がやってきたのだ。


「大将さーん! 正月ぶりー!!」
「こ、こんばんは……」


 山の神の使いである、河の人魚と河童。

 予定より少し早いので、どうしたのかと気になったのだった。
 少し早い来訪だが、何も用がないのに来るわけがない。

 火坑(かきょう)は、真穂(まほ)達が使った食器を手早く片付けて。人魚の千夜(せんや)と河童の水藻(みずも)を通した。


「……お早いお越しですね?」
「うん! 大将さんに、あのお姉さんに作ってあげたいものをお願いしたくて。ちょっと先に来たんだよ」
「そ、そうなんです!」
「僕に? ですか?」
「これなんだけどー」


 と、千夜が自分の身の丈程ある、白い布に包まれた荷を解こうとした。猫人なので、常人より少し鼻は強いが少し腐敗した肉の匂いと血の臭いがした。

 そして、千夜が布から取り出したのは。獣の皮が残ったままの、おそらく鹿の脚肉だった。


「鹿肉……をですか?」
「ほら! 人間達も使うねっとってカラクリがあるじゃない? 僕と水藻でちょっと調べてたんだけど。鹿肉で作って欲しいのが」


 と、水藻の方が懐からスマホを取り出した。携帯初心者の割には現代社会に馴染んでいるらしい。先日の、彼の弟も含めて元旦の縁日に来るくらいだ。順応性が高いのだろう。

 とりあえず、画面を見せてもらうと見覚えのある料理が写っていた。


「餃子……ですか?」
「うん! 僕も水藻も食べてみたいなーって」
「ふむ。熟成期間はまずまず……家畜とは違って、血抜きも容易ではない鹿肉をですか」
「難しそう?」
「いえ。これだけ丁寧に血抜きと下処理がしてあれば大丈夫です。しかし、よく持って来れましたね?」
「あ、僕の……わがまま、です」


 スマホをカウンターテーブルの上に置いた水藻が、わかりやすくモジモジし出した。


「水藻さんが?」
「この前の……元旦に弟にいただいたおにぎりが美味しくて。きっと色々お勉強されているんだなと。僕でも出来るかなって、こちらの界隈でスマホを買ったんです。で、千夜と一緒に調べてたら美味しそうで」
「で! 僕が鹿達と掛け合って。少し老生した奴を献上してもらったんだー」
「なるほど……」


 あの時の礼も兼ねて。けれど、希望は双方同じく。

 なら、一度彼らに試食をお願いしよう。それくらいに、鹿肉の食べられる箇所は豊富だ。それを告げれば、千夜も水藻も目を輝かせた。


「今食べれるの!?」
「ありがとうございます!」
「捌くのに少々時間がかかりますので。スッポンのスープはいかがでしょう?」
「飲むー! あとお酒も飲むー!」
「僕も!」


 と言うわけで。骨の周りの肉を削ぎ落として、美兎(みう)が食べる用と今食べる用にと分けて捌き。餃子にすべく、二本の包丁で今使うのをミンチにする。

 粘り気が出てきたら、次は別の包丁でネギとニラを刻み。肉には溶き卵を入れて混ぜ合わせてから、野菜を入れる。香味野菜を使っているので、ニンニクは無し。生姜も今回は省く。仕上げにごま油をひと回し。

 皮は三重の津餃子ほどではないが、大判の皮があったので出来上がった餡を乗せて包んでいく。


「うっわ……! 早い!」
「綺麗だね?」


 久しぶりに作るとは言え、体が覚えているものだ。

 丁寧に包んで皿の置き、餡が無くなるまで包んでいく。


「えーと、水藻さん? これは焼き餃子でしたか?」
「あ、いえ! 水餃子ですね」
「……なら」


 脂身は少ない鹿肉だが、濃いめでもさっぱりと。

 なら、とタレはポン酢に梅をペーストにしたのに醤油を少々。味見をして予想通りの味に決まったら、餃子を沸いた湯に潜らせて湯通しする。

 浮き上がったら、くっつかないように盛り付けて。出来上がりだ。


「わあ!」
「写真と同じ!」
「お待たせ致しました、鹿肉の水餃子です」


 お好みで、と自家製のラー油の瓶も添えたら。

 二人は、見た目の年齢には少々似合わない、生ビールのジョッキをかちあわせて、出来立ての餃子と一緒に食すのだった。
 最初はどちらかと言えば、気まぐれだった。

 同じ山の神の使いでありま、水と縁がある河童の水藻(みずも)が酷く褒めていたから。

 だから、気に入りの店のひとつである楽庵(らくあん)の大将の恋仲が、どんな女なのか。

 元旦の日に会えたのは、本当に偶然ではあるが。水藻の弟を見ても、怖気ずに。むしろ優しく接してくれた。

 人魚、と千夜(せんや)が明かしても少し驚いた程度。遙か昔、人間達が海山問わずに人魚を乱獲していた事実を知らないからだろうが。

 それでも、千夜の人化が少年だからか、少し年下に扱う節がある。嫌では、なかったが。

 (さとり)の子孫であれど、座敷童子の一角の加護があれど、人間には変わりない。こう言うのは人柄のお陰と言うのだろう。

 とりあえず、鹿肉を持参して。本人と改めて会う日よりも前に、久しぶりに楽庵に来た。

 そして、彼女の恋仲である猫人の火坑(かきょう)に頼みに来たのだが。

 まさか、試作させてくれるとは思わず、水藻と一緒にまずは生ビールで乾杯した。


「……、……、っはー! いつも御神酒だからこう言うのは良いよね!!」
「うん、良いよね!!」
「ああ。あちらの山の神ですと、缶ビールや瓶ビールはお供え物にないですよね?」
「そうなんだよ、大将さん! 敬ってくれるのはいいけど。供物が似たり寄ったりだと、僕らも神も飽きちゃうよ!!」
「ふふ。ですが、由緒正しい国津神ですからね? 無理は言えませんから」
「……ほんと。今日もついていくって言うの止めるの大変でした」


 山そのものが御神体である山の神が下界に出向くなど、正直言って無理だ。天変地異がないとも言い切れない。社に意識体を切り離す程度ならまだしも。その力も社を介さねば無理だ。

 だから、代わりに使いである千夜や水藻が界隈に出向いたのだ。鹿肉を献上してもらったのも本当。神直々の願いであれば、神獣の類とも言われている獣達も命を差し出すのだから。

 とりあえずは、若い肉もいいが老生した美味い肉を選び。千夜が首を落として、水藻が捌いた。

 血抜きは二人でやったが。

 そして、 最近購入したスマホと言うカラクリで色々調べたのも本当だ。ステーキやローストもよかったが、たまには変わり種をと、水藻と餃子を選んだのだ。

 水餃子なので、具材が少し透き通って見える様が美しい。

 躊躇わずに、火坑がこさえてくれたタレを軽く付けて、ひと口頬張る。


「はふはふ!! け……ど、梅と合うんだ?! すっごくさっぱりしてて美味しい!!」
「鹿は元々脂身が少ないけど。……うん、これは美味しいです!! 良い選択だったね、千夜!」
「だね、水藻!」
「お粗末様です」


 作り方は見ていたが、ニンニクと生姜を使っていないのに。卵を入れたせいか、まろやかな味わいで。さっぱり系のタレとよく合う。ビールも進む。これは予想以上に美味しい。

 それと。今日は人間で言うとこの休日なので、美兎(みう)はここにはいない。しかし、座敷童子の真穂(まほ)の気配はあった。

 それと、美兎に良く似た気配も。


「大将さーん? 今日あのお姉さん来てないのに、真穂の気配あるけど?」
「ああ。実は、彼女が美兎さんのお兄さんとお付き合いすることになりまして。今日こちらにいらしてくださったんです」
「え、美兎のお姉さんのご家族に、二つも妖を!?」
「お兄さんは、真穂さんとある意味幼馴染みのようで。再会は少し前ですが、どうやら長いこと想いあっていたようです」
「へー!」
「めでたいじゃん!! 乾杯!!」
「千夜ぁ、酔ってる?」
「水藻こそぉ」


 つまみは食べているが、久しぶりの生ビールなので酔いのまわりが早いのだろう。

 良い気分になったので、暮れの水藻のように良い気分になるまで千夜達は飲み明かしたのだった。

 そして後日、美兎と再会した時に。鹿肉の水餃子は大層喜ばれた。
 まったく、人間と言うのは大抵酒精に弱い。

 ついこの間の、湖沼(こぬま)の家に火坑(かきょう)が来訪した時もそうだったが。

 湖沼海峰斗(みほと)と言う人間は、人間としてなら強い部類ではあるものの。妖である座敷童子の真穂(まほ)と比較したら全然弱い。

 彼と妹の美兎(みう)である父の方が強いが、それでも真穂に比べれば弱い。総じて、妖などは酒に強い。神の部類になる者も。

 結局、去年以来大神(おおかみ)は来ていないが、美兎と火坑が結ばれたから満足しているのかもしれない。来て、また一週間以上貸し切りは勘弁だが。

 今真穂は、足元がギリギリ使えている海峰斗を軽く支えながら居住地まで運んでいる。妖術で瞬間移動をしても良かったが、たまには人間のように夜道を歩くのも良い。

 と、同時に見せつけてやりたかったのだ。

 この、妖の血縁でもある人間の男は、自分の物だと。コソコソと、真穂の懐をつけ狙う悪質な連中には辟易していたからだ。

 なら、真穂の気持ちが本物かとなった相手である海峰斗を。無防備な姿であれ、真穂自ら介抱している人間が只者ではないことを示すため。

 現に、遠巻きに舌打ちをする連中を見て、真穂は気分がいい。

 そう思いながら、界隈の奥の奥。ビルのような建物に入り、迷うことなくエレベーターに乗って最上階まで登ると。

 海峰斗が、まだ酔ってはいるが目を覚ました。


「……あれ?」
「気がついた? みーほ?」
「……どこ?」
「真穂の家。来るって言ったじゃない?」
「あー……うんうん。思い出した。楽庵(らくあん)出る前くらいに言ってた」
「で、エレベーターだけど。もう着くわよ?」
「……おー」


 が、降りてからの反応が面白かった。


「さ、どうぞ?」
「……え?? エレベーター直結!? 広!? 床大理石!? 真穂ってお金持ち!?」
「LIMEでも言ったじゃない? こっちの界隈じゃデパートの役員のようなものもやってるって」
「あと売れっ子小説家……だから?」
「まーね!」


 ここまでの財を築き上げてきたのは容易ではないが。美兎のような好ましい霊力を保持する人間と出会うまでは、実に味気ない生活を送っていた。

 だから、あの日。(にしき)に出入りする美兎に気付き、気まぐれに座敷童子としての加護を与えたのだ。その選別で、見事守護に値する者だとわかり。

 (えにし)の次第で火坑と結ばれたが、まさか真穂本人もその兄で昔のよしみである海峰斗と再会して。

 こうして結ばれるに至ったわけだが。


「……けど。普段はほとんど、美兎の家に行ってんだろ? なーんか殺風景だなって」
「いいとこに気づいたわね?」


 小説家の仕事のスペースも、案内しながら教えた一間で事足りているし。自炊はしなくもないが、そこまで食事を必要としない真穂達妖にとっては嗜好品に近い。

 なので、普段は酒かコーヒーとかで済ませている。人間にとっては不健康そうだが妖の主食は霊力や妖気だから関係ない。

 それを告げれば、なるほどと頷かれた。


「じゃさ、じゃさあ? 毎日は無理だけど。会う日には俺がなんか作るよ? 美兎よりは得意だし」
「あら嬉しいわね? けど、別にあなたを小間使いのつもりで付き合っているわけじゃないのよ?」
「まーね? けど、俺って付き合うと尽くしたいタイプだからさ? もちろん、火坑さんとことか他の店も知りたいけど。俺と二人で過ごしてほしい」
「!……ほんと」


 美兎もだが、湖沼の人間。あの(さとり)の子孫は食えない性格の人間ばかりだ。

 だが、不思議とそれが不快に感じない。


「? どかした……!?」


 不意の喜びをくれたのなら、真穂もそれを与えようと。

 真穂は少し背伸びをして、海峰斗の唇を奪った。


「……どうせなら、真穂と一緒に作る選択肢はないの?」
「…………喜んで」


 これが交際と言うことなら、今まで疎遠だったのを恨むくらい。けど、待った甲斐があったかもしれない。
 ここは、錦町(にしきまち)に接する妖との境界。

 ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。

 たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。

 元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵(らくあん)』に辿りつけれるかもしれない。









 さて、客として行くのは久しぶりだったが。

 約束をしたのに、三月(みつき)もの時間をかけてしまった。

 だが、それほど時間をかけた意味もある。

 (さとり)の一人、空木(うつぎ)は琵琶を人間が扱うようなケースに入れて。準備がそろそろ出来たはずの妻の方にと声をかけた。


美樹(みき)、行きますよ?」
「は、はーい! 空木様、早いです!」
「ふふ。あとは、美樹の化粧だけですか?」
「はい! あと少しです!!」


 名古屋とは程近い場所にある、春日井(かすがい)の界隈に居を構えている空木。騒がしいところは嫌いではないのだが、年々その騒がしさに妻である美樹が少々辛いとこぼしたのをきっかけに。

 だいたい十五年程前にこの界隈に越してきた。平屋の日本家屋を購入したが、演奏家としても名を馳せていた空木の懐はぴくりとも動いていない。

 それに、子も離れて。錦の界隈で見かけてから色々施してやった、二人の子孫でもあるあの少女。妻と瓜二つのあの子に、今日やっと会える。

 美樹も楽しみだから、装いに気合を入れているのだろう。支度が出来たら、それはそれは愛らしい女性となっていた。


「美樹、美しいですよ?」
「あ、ありがとうございます。着物も少し久しぶりなので」
「ふふ。世の装いに順応してしまいましたからね?」
「楽ですけど、せっかく子孫に会えるのなら張り切りますよ!」
「そうですね。例の贈り物は?」
「空木様にいただいた、この鞄の中に!」
「わかりました。行きましょうか?」
「はい!」


 その前に、と空木は軽く人化の術を自分に施して。髪は黒で少し短く。目も黒に近い茶色に。

 出来上がった空木の顔に、美樹はほうっとため息をこぼした。


「どうですか?」
「素敵です……!」
「美樹に喜んでいただけて何よりです。さ、久しぶりに人間界にも行きましょう?」
「はい!」


 琵琶は背負う形なので、空木は美樹と手を繋ぎ。

 通り過ぎるご近所の妖達と挨拶をしながらのんびりと、人間達の住むあちら側に向かい。

 地下鉄はないので、JRで春日井からまずは名古屋駅に。

 時刻はまだ正午にもなっていないのに、人間達がひしめきあっていた。


「……相変わらず、ここはいつも人通りが多い。美樹、大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 空木……さん」
「ふふ、それならよかったです」


 流石に、人間達がいる中で様付けするのは不審がられてしまう。美樹も随分と長く生きているはずなのに、その慣れていない感じがいつまでも初々しく感じるのだ。


「あ、○ナちゃん人形!」


 名古屋駅の名物の一つとも言える、巨大なマネキンのことだが。

 相変わらず無駄に大きい。下を潜る時に上を見ても暗くてよく見えない。大したものだと、空木も毎回感心してしまうが。


「美樹、せっかくですから。お昼はホテルの中のランチと行きませんか? 以前紹介したマネージャーと連絡を取ったので、予約済ですよ?」
「い、行きます!!……けど、この恰好で大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、和食なので」


 夜もある意味和食ではあるが、あの猫人のことだから色々創作料理を作ってくれるかもしれない。

 琵琶を落とさぬよう、美樹の手を離さぬよう、ゆっくりと空木は双子のようにそびえ立つ高層タワーのホテルの一角に向かうことにした。
 祖先に会える。

 美兎(みう)はバレンタイン直前のその日が、待ち遠しかった。

 あちらの都合で日程が何回か変わったりしたが、美樹(みき)と言う美兎そっくりの祖先と会うのは本当に楽しみだった。

 どれだけ似てるのか。

 顔が、声が。

 まるっきり瓜二つとまではいかないだろうが、世の中の言葉には『覚醒遺伝』と言うこともある。だから、美兎が彼女に似ているのかもしれない。

 仕事をこなし、休憩時間になると。LIMEの通知音が鳴り、珍しく美作(みまさか)からの連絡だった。


「…………不動(ふどう)さんのかあ」


 忘れていたわけではないが、先月末に相談を持ちかけてきた火車(かしゃ)風吹(ふぶき)こと不動(ゆう)

 美兎の同期であり、彼が想いを寄せている相手。田城(たしろ)真衣(まい)に謝礼をした上で知り合いたいと言った件。

 いきなり、界隈にある楽庵(らくあん)は難しいので。久屋大通(ひさやおおどおり)の適当な店を見繕うから、日程の候補を教えてほしいと言われたのだ。

 さて、このことを田城にどう伝えるべきか。

 いきなり、飲み会で再会となると、この前のように騒がないか。いや、絶対騒ぐだろう。とは言え、美作の提案を無視出来ないので休憩に行こうとした真衣の後を追った。


「…………え? 美兎っちの飲み友達さんと、あの人が同期!?」


 今日は姿を見せていない、三田(みた)のいない屋上の休憩スペースに移動してから打ち明けたのだ。


「うん。私もちょっとだけ会ったんだけど……先に帰ったからこの提案は知らなかったんだ」


 半分嘘だが、とは言えないが。

 それはともかく、真衣は目を潤ませながら手にしてたコンビニのおにぎりを握りしめそうになっていた。


「〜〜! 会える!? あの人に会えちゃうの!!?」


 美兎の嘘には気づかず、喜んでダンスでも踊りそうな雰囲気にはなっていた。とりあえず、昼飯を潰すなと告げたらもそもそと食べだした。今日のおにぎりは高菜明太らしい。


「落ち着いて? あ、名前は不動侑さんだって」
「ふどう……?」
「漢字は、ほら? 不動産の不動」
「おお! かっけー! 歳とか聞いてる??」
「えっと……二十六歳?」
「超タイプ!!」


 あちらも真衣を想っていると知ったら、どうなってしまうのか。美兎の口から言うべき言葉ではないので言わないが。

 とりあえず、日程だ。


「いつにする?」
「そだね? 今日はさすがに無理だろうし……飲み会とかの予定はあんまないから、平日だったらどこでもいいよー?」
「私は今日ちょっと用事あるし。バレンタイン前は沓木(くつき)先輩と一緒に用事あるし」
「何すんの?」
「……秘密って言われてる」
「えー?」


 妖と交えてバレンタインチョコ作りとは、流石に言えないのでここは濁すしか出来ない。

 とりあえず、来週の木曜あたりにアポイントをかけてみたら、美作からすぐに大丈夫だと返信が来た。風吹は大丈夫かと心配にはなったが。

 矛盾はしてても、人と関わるのが好きで人間社会にいるのなら、満員電車のような人混みでなければ大丈夫だとは思う。


「大丈夫だって」
「よーし! じゃ、私バレンタインチョコの練習してみる!!」
「え、まさか」
「ダメ元でも告白するぅ! こんなチャンス滅多にないもん!!」
「……頑張って」


 クリスマス前に多少沓木に教わったから大丈夫だとは思うが。

 失敗の連続でないことを祈るしか出来なかった。
 少し不安は残ったが、仕事は無事に終わり。

 手ぶらはいけないだろうと、事前にrougeで隆輝(りゅうき)にお菓子の詰め合わせを予約したので受け取りに行き。

 隆輝からは、頑張ってと励ましの言葉をもらってから楽庵(らくあん)に向かう。

 細い路地裏、角の角を曲がり。

 慣れた足取りで、妖達棲まう界隈に到着する。そして、成人女性に変身している座敷童子の真穂(まほ)と出会うのもいつも通り。


「とうとうね?」
「うん! 空木(うつぎ)さんの奥さん、どんな人だろう?」
「あんたにそっくりってんなら……ドジなとこも似てたりして?」
「あ、ひっどーい!」


 兄の海峰斗(みほと)と付き合い出したとは言え、真穂は真穂だ。彼女からの事後報告によると、半同棲生活のようなものを始めたらしい。

 その関係で、美兎(みう)の守護の役目を少し減らしたそうだが、代わりに美兎への加護を強めたらしい。なので、海峰斗との用事がない場合は界隈に一緒には出向くが、頻度は減っている。

 それに、最近は美兎一人でも道々の妖達に会釈されるくらい顔見知りだ。だから、美兎を襲おうと思う妖は特にいない。


「それ、空木達に?」


 あと少しで到着する前に、真穂が紙袋を指した。


「うん! 相楽(さがら)さんに前持ってお願いしてたんだー!」
「手土産にはいいわね? ほら、着いたわよ?」


 目前なくらいの位置にいたので、美兎は軽く深呼吸をしてから引き戸に手をかけた。


「おや、いらっしゃいませ。美兎さん、真穂さん」


 今日も素敵に涼しい笑顔である猫人の火坑(かきょう)。客はほかにいなくて、空木達もまだ来てはいないようだ。

 だいたいの時刻を予定してたので、先に来ずともガッカリはしない。しないが、少々緊張がほぐれたのは嘘じゃない。


「こんばんは、火坑さん」
「ヤッホー? 空木達はまだ?」
「まだですね? さ、外は寒いでしょう。中へどうぞ」


 カウンターに座って、熱いおしぼりを受け取り。寒さでかじかんだ手を清めた。嬉しい熱さだった。


「あったかい〜〜」


 二月とは言え、京都ほどではないが盆地である名古屋は夏は猛暑で冬は寒い。

 雪は滅多に降らないが、風が刺すように痛くて冷たいのだ。

 その季節感は、人間界だろうが界隈も全然変わらないでいた。


「来月になれば、多少はマシにはなると思いますが。空木さん達がいらっしゃるまでひとまず、お湯割りなどで温まりますか?」
「そうします!」
「真穂は熱燗!」
「かしこまりました」


 食事はとりあえず先付け。今日は柚子豆腐と言うものらしい。ほんのり甘くて、柚子の香りがほんわかしている優しい味わいだった。


「すみません、遅れました」
「こんばんは」


 梅酒のお湯割りで指先まで温まった頃に、空木らしい客がやってきた。らしいと思ったのは、顔はともかく人間のように黒髪黒目の美しい男性が入ってきたからだ。


「おっと。この姿のままでしたね?」


 美しい男性は、軽く頭の上で手を振ると。そこから髪と目の色が変わり。薄緑色の長髪の男性に早変わりした。一度しか会っていないが、美兎の祖先である(さとり)の空木そのものだった。


「あ、どうも」
「こちらの予定変更に付き合わせてしまい、申し訳ありません」
「だ、大丈夫です」
「空木様〜、私前見えないです」
「おや、すみません」


 いよいよ、彼の妻と対面出来る。

 空木本人は、美兎と瓜二つと言っていたが。果たして、どこまで。

 声は似ているかと聞かれても、自分ではわからないが。空木が少し横にズレてから彼女の姿が見えたのだった。


「はじめまして。空木の妻、美樹(みき)と申します。あなたが……私達の子孫?」
「は、はい!」


 たしかに。

 髪や目の色は違うが、ほとんど顔はそっくりそのまま。

 美樹が黒髪に対して、美兎は薄っすら染めた茶髪。長さも、美樹は和服に合わせてまとめているがだいたい同じくらいかもしれない。

 背丈もあまり差はない感じか、一緒に出歩いていたら双子だと勘違いされてもおかしくはないだろう。美樹も美兎を見てから、目を丸くしていたほどだ。


「あら、本当に瓜二つですね?」
「は……じめ、まして。湖沼(こぬま)美兎です」
「あらあら! 湖沼の姓は今でも残っているのね? 美森(みもり)……達とは会っていないようですね?」
「あれらは人見知りが激しいからね?」
「さ。お二方もお席にお付き合いください」
「ええ」


 その前に、と美兎は用意していた菓子折りを空木に渡したのだった。


「つまらないものですが」
「おや。わざわざありがとうございます。帰宅後にゆっくり食べますね?」
「はい」
「あらあら。じゃあ、私からも」


 と、美樹が美しい和物の鞄の蓋を開けて。中から細長い、これまた綺麗な布に包まれたものを取り出した。

 空木から美兎の隣に座るように言われた美樹の手ずから受け取り、是非開けるようにとも言われた。

 ゆっくり開けると、中身はかんざしだった。


「……綺麗」


 花は、赤い梅を樹脂か何かで固めたような。二股の軸のようなものは銀色だが少し重くて、まるで本物の銀を使っている感じだった。

 あとの飾りもビーズに見えそうだったが、触ると冷たかったので。まさか本物かと思いかけたくらい。

 じっくり眺めてから美樹を見れば、にこにこと微笑んでいた。
 こんな高価な品を頂けるだなんて、とんでもない。

 そう言おうと思ったら、空木(うつぎ)の妻である美樹(みき)は少し貸して、とかんざしを手に取り。

 なんと、軽くブラッシングしているだけの美兎(みう)の髪を触り。どうやら、そのかんざしをつけてくれるようだった。


「あ、あの!」
「ふふ。大丈夫よ。私と同じ顔もだけど、若い女の子こそ。特別な時に着飾るべきよ? 今はお仕事着だけど」


 まあまあ、と美樹の手でかんざしをつけてもらうことになり。

 出来上がると、うなじ辺りが少しすーすーしたが違和感がなかった。


「……よく、お似合いですよ。美兎さん」


 調理場にいる恋人の火坑(かきょう)が、嬉しそうに微笑んだのだった。


「ほんと……ですか?」
「ええ。お約束していた着物デートの時にでも」
「いやねえ? 火坑ったら、そんなモダンデートの約束までしてんの?」
真穂(まほ)さんも海峰斗(みほと)さんとご一緒に行かれては?」
「そうね? 挨拶回りついでにいいかも」
「真穂ちゃん……加減はしてあげてね?」
「まー、あいつなら大丈夫大丈夫」


 とりあえず、かんざしをずっとつけていると首元が落ち着かないので。美樹には申し訳ないが外させてもらい、布に包んでから折れないように鞄に仕舞わせてもらった。


「ふふ。久しぶりに作ったけど、孫の孫くらいの子にも似合って良かったわ」
「え、美樹……さんが作ったんですか!?」
「ええ。空木様に梅と枝だけは調達していただいて。あとは全部私ね? 空木様とご一緒になる前はこれでもかんざし職人だったのよ」
「す、すごい……です」
「今の技術も面白いから取り入れたの。梅の花はレジンに閉じ込めたのよ」
「へー?」


 だから、生花のように見えたのか。ますます凄いと思わざるを得ない。

 着物を着る機会がちゃんとあるので、その時に出来る様に練習しようと心に決めた。


「さ。せっかくの宴です。今宵は私の支払いなので遠慮しないでください」


 と、空木が言うので。美兎はすかさず火坑に両手を差し出した。


「では、せめて。心の欠片だけでも!」
「ふふ。空木さん、どうされますか?」
「そうですね? 美樹も久しく心の欠片を口にしていないので。……お願いしてもいいですか?」
「任せてください!」


 さて、今日は何が出るか。

 ぽんぽんと火坑が美兎の手のひらを軽く叩けば、出てきたのは大き過ぎる骨付きの鳥もも肉だった。

 しかも、『達』がするくらいの量。

 びっくりしたので、慌てて落としかけたのだった。


「これは凄い! おそらく、空木さんが開花させ。さらに滝夜叉姫さんからも(まじな)いをかけられたために。霊力と妖気が高まったからでしょう」
「あと、真穂の加護も強めたし」
「ですね? これだけ立派な骨つき肉。フライドチキンもいいですが、時短で煮付けにしましょうか?」
「煮付け、ですか?」


 フライドチキンもきっと美味しいのに、空木夫妻に合わせてかそれともすっごく美味しいのか。

 とりあえず、待っている間にスッポンスープかと思いきや。余分にカットした肉と皮で即席塩味の焼き鳥をこさえてくれたのだった。


「あら、嬉しい」
「タレも良いですが、皮もいいですからね? 大将、その煮付けは少しお時間をかけていただいてもよろしいですか?」
「はい?……ああ。演奏なさいますか?」
「ええ。少々」


 なので、クリスマス以来の琵琶演奏会が開かれたのだった。
 いやはや、嬉しいことだ。

 (さとり)の夫妻がようやく来店出来たのもだが、少しぶりに会う恋人の美兎(みう)が、今日も一段と愛らしいからだ。

 祖先である、美樹(みき)夫人と彼女は色のパーツなどが違う以外は本当に瓜二つだった。ただし、声はいくらか美樹の方が高い。

 妖の妻となり、幾百年も生きているのならば不老ではあっても、一部は老生するだろう。

 そして、今は夫である覚の空木(うつぎ)が。持参した琵琶で演奏と(うたい)を披露してくれている。基本的に店内で音楽などをかけないので、即席のBGMが出来上がった感じだ。

 女性達は彼の演奏と謡にうっとりしていた。火坑(かきょう)もじっくり聴きたいところだったが、仕事は仕事。

 けれど、演奏の邪魔をしたくないのでできるだけゆっくりと。

 調味料を入れた大鍋を沸かして、その後に種を抜いた鷹の爪。美兎の心の欠片を下ごしらえした骨つきの鳥もも肉を、入れて。

 水を加えて、肉の八分目くらいにまで煮汁を調整。これを煮立たせてから味見。

 甘さが少し強い程度で大丈夫。塩辛いとせっかくの煮付けがしょっぱくなるので。それから火を止めて鍋を煽って煮汁と肉を馴染ませる。

 ここで、美樹の言葉を借りるわけではないが現在の調理道具を使う。クッキングシートで落とし蓋を作るのだ。


「まずは正方形に切って、中心から八等分に折り畳んで、天辺と縁を丸く切って」


 広げれば、丸い落とし蓋の完成。

 これを鍋に入れて蓋をして、焦げつかないように似ていくが。ここはいつもの、タイマーを利用した妖術で時短。


「えーと、水飴」


 調味料を置いているところから、水飴の瓶を取り出して。蓋を全部取ってから大さじ2ほど入れる。甘さが勝っているのに入れるのではなく、ツヤと照りのためだ。

 これを十分くらい煮立たせている間に、器、添え物の準備をして。普通にタイマーが鳴ったら、また妖術で煮ふくめさせていく。

 煮付けだが、熱々よりも常温が美味しい一品なので。


「お待たせ致しました。鳥もも肉の煮付けです」


 ちょうど曲が終わったところで声をかけて、カウンターに置けば全員感嘆の声を上げてくれたのだった。


「でっか!?」
「凄い、豪華です!」
「あらあら。とても美味しそう!」
「そうですね。せっかくなので、いただきましょう」


 置いておいた紙を持ち手に包み。少しお行儀が悪いようにも見えるが、誰も言わないのでそれぞれかぶりついてくれた。


「おい」
「しい!」
「柔らかいですね?」
「はい、空木様!」


 幾度か試作したことはあるので、火坑も味はわかっている。日本人好みの醤油が強い甘辛さ。酒とみりんのコクもあり、砂糖ではなくザラメと水飴の甘さが引き立つ。

 妖術で時短はしていても、芯まで染み渡ったその味付けと肉の柔らかさはたまらないだろう。

 まだまだあるので、ひとつだけ後で食べようと決めたのだった。


「ねえねえ? 美兎、と呼んでもいいかしら?」


 美樹が煮付けを半分くらい食べ終えてから、美兎に声をかけた。


「あ、はい。どうぞ」
「ふふ。娘や息子はもう独り立ちして長いから、なんだか孫にでも会えた気分だわ。たまに……だけれど、ここ以外でもお茶しましょう?」


 と言って、使いこなしているのかスマホを取り出して。空木も一緒に、美兎とLIMEのIDを交換するのだった。