結局、言えないまま会社を後にした美兎は、慣れた足取りで栄に向かい。
錦に到着したら、これまた慣れた足取りで界隈に入り、角の角を曲がったら、座敷童子の真穂が待っていてくれた。
「……浮かない顔ね?」
「……そんな出てた?」
「出てた出てた」
つい先日から、兄の海峰斗とお付き合いを始めた真穂。今日は約束しているかわからないが、海峰斗が本当の火坑にも会ってみたいと言ってるらしく、彼女と挨拶しに行く約束をしたんだとか。
連絡は、美兎も真穂が守護についてくれてから知ったが、真穂専用のスマホでLIME。購入先は、あの大型デパートである鏡湖なんだとか。役員に近い存在なので、わりかし安価で済むらしく。
大妖怪と言うのは、なんでもありなんだなと感心しか出来なかった。
「あのね、真穂ちゃん」
「んー?」
「火車さんって、わかる?」
「え? あのメカクレでインテリ野郎? それとも、宗睦のようなオネエ?」
「ふ、複数いるんだ??」
「妖は単体でって、呼称で呼ばれてるのはぬらりひょんの間半とかダイダラボッチくらいね?」
「だい……だら?」
「ダイダラボッチ。知能は低いとか噂されてるけど。真穂は実際に会ったから知ってるわ。巨人族の一種なんだけど、大昔に湖や山を作った最古の妖もしくは神霊の類の存在。小さくなって、たまにこの辺に来たりもしてるらしいわ」
「へー?」
真穂の話によると、富士山を作ったのがそのダイダラボッチらしい。だが、そんな凄い存在なのにどうして知能が低いなどと噂されるのだろう。
そこは感心したが、本題から逸れたので話を戻すことに。
「で、どっち??」
「えっと……メカクレさんの方かな? まだうちの会社にいらっしゃるんだけど、三田さんのお知り合いなんだって」
「あれ? 美兎、風吹と直接会ってないの?」
「うん、実は……あ、着いちゃったね?」
楽庵に到着したので、続きは三田と混じえて。っと思ったら、前髪の長い男性と一緒に、サンタクロース姿の三田が先に食事をとっていた。
「……どうも。はじめまして」
とても、過去に人肉を食べていたなどと思えないくらい、大人しい性格の男性のようだ。上背が高かったので、挨拶するときは見上げる形になった。
髪は黒く、少し癖っ毛のようだ。ゆるく波打つ髪は前髪だけでなく全体的に。そのせいで、田城が言っていたイケメンとやらが確認出来なかった。
「あ、はじめまして。湖沼美兎と言います」
「……火車の風吹です。今日は、わざわざありがとうございます」
「いらっしゃいませ、美兎さん。真穂さん。お約束とお伺いしましたので、今日は終わりのふぐ料理にしてます」
「ひゃっほーい!」
立ちながら話もなんだと、とりあえず美兎は必然的に風吹の隣に座り、真穂は逆隣に。火坑からまず熱いほうじ茶の湯呑みを渡された。
「ほっほ。今日は無礼講じゃ? 風吹くんも、せっかく彼女の友人に来てもらったんじゃから、ちゃんと話すんじゃぞ?」
「……ええ、御大」
そして風吹はくしゃりと前髪を触ると、一応人間に変身しているのに目だけが日本人じゃないオーシャンブルーの瞳だった。
と同時に見えた顔は、たしかに面食いの田城がはしゃぐくらいのイケメン。赤鬼の隆輝ほど快活な感じではないが、火坑が元旦に超絶美形になったあの顔に近い感じだ。
「……あの。三田さんにもお伺いしたんですが、私の同僚の田城さん……に助けていただいたんですか?」
「!……はい。えと……人間としては、不動侑って名乗っているので。どっちでもどうぞ」
「あ、はい! えっと……田城さんからは不動さんのことは、お名前以外のこと、少し聞きました。満員電車の中で倒れかけたって」
「……みっともないとこを見せました。火車なのに、俺人肉の匂いがダメなんです」
「え??」
三田から、火車という妖は人間の死体を食べる猫が化け物となったモノと聞いたのに、風吹の場合は違うらしい。
それについて、真穂は先に来た生ビールを煽りながら、突っ込んできた。
「こいつ。大昔は屍肉とか食べれたんだけど。世界大戦ん時に血潮の匂いを大量に嗅いだのがきっかけで、今じゃ人間が集まる場を避けてんのよ。けど、人間のことは好きだからって、仕事はしてるわけ。矛盾しまくりだけど」
「……へー」
複雑な事情を抱えているが、それでも人間と関わりたい。
そして、田城と出来れば交際したいと思う気持ちは、きっと本物なのだろう。
「今日は、いつもより早く出勤しなくちゃいけなかったのであの時間の電車に。だけど……生きた人肉の臭いに酔いかけた時に、田城さんに助けていただいたんです」
「ふーん? それでほの字??」
「……はい。真穂様」
「とまあ。湖沼さんと縁深い女性なのは儂もびっくりしたんじゃが。風吹くんが避けてたところを突き進む姿勢に感嘆したんじゃ。とりあえず、今日は湖沼さんに来ていただいたわけでの?」
「……なるほど」
田城もだが、お互いに気になり出して仕方がない様子。
今風吹に、実は田城もと言うのは簡単だが。ポジティブ思考が強くても、根は真面目な彼女は他人伝に知っても納得しないかもしれない。
けれど、美兎としては双方想いあっているのなら、手を合わせ欲しいとも思ってる。どうしたものか、首を捻っていると、引き戸が開く音が聞こえてきた。
「あれ、珍しく満席??」
久しぶりに聞く声だった。
飲み仲間の美作辰也。年が明けてからは初めてだったので、挨拶をしようとしたら風吹が勢いよく立ち上がったのだ。
「美作……?」
「へ? お前……不動?? なんでこの店に」
「……そっちこそ」
どうやら、こちらはこちらで接点があったらしく。
席は三田がかまいたち兄弟と座敷に移動してくれたので、辰也が風吹の逆隣に座ることになったのだ。
美作と風吹が知り合い。
またもや、世間は広いようで狭いと実感する美兎であった。
「お久しぶりです、美作さん」
「ほんと。遅いけど、明けましておめでとう」
「あ。あけましておめでとうございます」
たしかに、クリスマスイベント以来だったので時期は過ぎても新年の挨拶を交わした。風吹は、交互に美兎達を見たが、すぐに辰也の方に向く。
「……彼女と知り合いだったのか?」
「おう。飲み友達の女の子がいるって言っただろ? それが湖沼さん」
「……そうだったのか」
同じ会社の同僚なのだろうか。それにしては服装が違い過ぎる。辰也は少し着崩しているがスーツにネクタイ。対する風吹こと不動侑はジャンパーは膝に、服は仕立てのいいセーターとジーンズだ。
だから、もしくは会社外の友人かもしれない。が、人肉の匂いが苦手な風吹に人間の友人と言うのも、少し不思議に思ったのだ。
「あの、失礼ですが。おふたりのご関係は?」
恐る恐る聞くと、辰也が風吹の頭を軽く小突いた。
「会社の同期。俺が営業、こっちがエンジニア。こう見えて、こいつ。うちの会社じゃホープなんだよ?」
「……それはお前もだろうが」
「俺は営業だからいーんだ」
「……あっそ」
やはり、同じ会社だったのか。なら、風吹の人間年齢はだいたい二十六歳くらいと言うことか。田城は歳上好きだから余計にはしゃぐだろうと、ほうじ茶を飲みながら思った。
「つか何? 今までこことかの事言ってないのに、なんで居んの? お前も視えるタイプだったのか??」
「…………」
「……なんでだんまりになるんだよ?」
たしかに。会社の同僚が実は、妖だったと知ればどう思うか。それまで人間だと思っていたのが実は、だと。辰也はかまいたち兄弟と守護の契約をしていても、界隈に来る以外で特別なことをしてもらってないようだ。
腕などの傷も、彼らに癒してもらっているので今まくったワイシャツから見えた腕は綺麗そのもの。
かと言え、真実を受け入れられるかとなると別問題。
しばらく、風吹は黙っていたが。猪口の酒を煽ってから前髪を軽く撫でた。
「…………俺、さ」
「おう?」
「…………妖怪。……妖なんだよ」
「……マジ?」
「……ああ」
言った。
言ってしまった。
風吹の隣でしか見ていることしかできなかったが、ほうじ茶を飲んで辰也の反応を見ると。最初は目を丸くしてたが、すぐに苦笑いして風吹の頭を撫で回した。
「なんだよ! 同期が妖って驚いたけど、納得! おっ前、顔良すぎだから隠してるしさ?」
「…………止めて。てか、それだけ?」
「なんで?」
「普通……もっと気味悪いとか思うだろ?」
「俺だって、視える人間だし。かまいたちとかに守護ついてもらってっから……全然?」
なんなら、ろくろ首とも友達だと言い張るので。多分、それは盧翔だなと思った。
とりあえず、悲しい場面にならなくて良かったとほっと出来た。
「……そう、か」
撫でるのをやめてもらった風吹の首が、美兎の目には真っ赤になっているのが映った。
「やっほー、辰也?」
場の空気が和んでから、部外者になりつつあった座敷童子の真穂が辰也を呼んだ。
「お? 真穂ちゃん。あけおめ」
「あけおめー。真穂も美兎のお兄ちゃんと付き合い出したのよ?」
「え、何そのおめでた話!?」
是非聞きたいと言いたげだったが、まだ風吹の話の途中なので。辰也は火坑に熱燗を頼んだ。
「実は、今日。不動さんが私の同期に助けてもらったそうで」
「ふんふん?」
「その……いわゆる恋愛相談をするのに、三田さん。サンタさんにお話されたんだそうです」
「なになに? かわい子ちゃん? 不動が惚れるってよっぽどじゃね? こいつ、会社じゃ付き纏われたらガン飛ばす奴だぜ?」
「美作!?」
「事実だろ??」
たしかに、隠れている素顔は超絶美形に属すので女性には人気だろう。OLなんかの会社の女性は、そんな好物件を見つけたらハイエナのように付き纏うかもしれない。全部、沓木の見解から思ったことだが。
「で、私の同期だとわかって。今日ご一緒になったんです」
「ふーん? 湖沼さんの会社の。どんな子?」
「えと。すっごいポジティブなんですけど、仕事には真面目で慕われやすい子です。顔も可愛いですよ?」
「むっちゃ避けてた方じゃん! なになに? 苦手タイプでも助けてもらった時に惚れた?」
「……悪いか」
「そうは言ってねーだろ?」
ところで、なんの妖かと問う辰也の質問には、風吹も火車であることはきちんと言ったのだった。どんな妖かと仔細を伝えても、辰也は引くことなく猪口を傾けるだけだった。
辰也が上機嫌になってきたところで、火坑の方からふぐ料理が出てきたのだが。
「火坑さん……これは??」
「しゅうまい? に見えるけど」
「美作さん、正解です」
細長い、綺麗なあしらいが美しい逸品。全体的見れば、たしかにしゅうまいには見える。だが、ふぐでしゅうまいが出来るとは驚きだった。
「…………下関だと家庭料理でも多いらしい」
「不動、食ったことあんの?」
「…………出張先で何度か」
「ほー?」
ふぐでしゅうまい。また新しい料理を知ることが出来た。美兎は定番になりつつある、自家製梅酒のお湯割りを頼むと。火坑から、とんとんと手を軽く叩かれた。
「ふぐ料理は洋風もあるんです。美兎さん、心の欠片をお願いしてもいいですか?」
「! はい!」
いつも通りに、両手を差し出して火坑に出してもらうと。紙箱とは初めてで、そのパッケージには見覚えがあった。
「あら、バターってことはムニエル?」
「真穂さん、正解です。あと、しゅうまいの残りを揚げる予定です」
「お! 豪華!! 俺もなんかいります??」
「そうですね。……では、野菜を出しましょう」
と、辰也から取り出したのはかぼちゃに、茄子にピーマン。何を作るのかと聞けば、天丼らしい。
「て……天丼!?」
その単語に、風吹の顔色が変わった。苦手ではなく、好物なのか鼻息が荒かったのだ。
その様子に、辰也がくくくっと喉の奥で笑い出した。
「こいつ、出先だと天丼ばっか食うんだよ。俺以上にPCワークすっげぇのに、太んないのってやっぱり妖だから?」
「……あんまり関係はないが。人化だと最適な姿になるだけだ。本性にしばらく戻ってないから分からん」
「ほーん?」
それなのに、美形。妖術という魔法はなんでもありだと思うしかない。とりあえず、しゅうまいを冷めないうちに頬張れば。
ふぐだけでなく、まろやかな味わいの中にエビとかが隠れていた。
「美味しい!! エビしゅうまい好きだから思うんですけど、ふぐとも相性がいいんですね!!」
「……お粗末様です。少し不思議な味わいがするでしょう? マヨネーズになる前の『玉子の素』というのを混ぜ込んであるんです」
「たまご、の素??」
「なんっすか、それ?」
「酢の入っていない、卵をメインに使ったタレのようなものです。今は使ってしまったので、お見せ出来ませんが」
「へー?」
「……美味しい」
蒸し物だけど、風吹の口に合ったのか美味しい美味しいと口にしながらあっという間に空にしてしまった。美兎も食べ終わると、次に美兎から取り出したバターでバター醤油のムニエルが一人ひとつ出てきた。
「尻尾以外の骨抜きはしてあるので、どうぞ」
「わー!」
「おー!」
「……綺麗」
半身とは言え、贅沢な食べ方だ。洋風が合うのが気になるが、唐揚げでも美味しかったのだから、きっと美味しいはず。
美兎は箸で少しほぐしてから口に入れた。
甘辛い、濃厚な味わいのタレが少し固い白身魚に合わさって、なんとも言えない幸福感が体を包んだ。
「おいひー!」
真穂はがっついていたが、理由が分からなくもない。お酒にも絶対合うだろうと、お湯割りと交互に食べたらさらに幸福の循環がやってきた。
辰也達もだが、座敷にいるサンタの三田やかまいたち兄弟も貪るように食べていき。楽庵の中で幸福が浸透していったのだ。
「さあ、さらにジャンキーにいきますよ? お待ちかねのふぐ天丼です!」
小ぶりではあるが、タレが染み込んだ天丼。
それが一人ひとり差し出されて、お腹がさらに空くのを美兎は感じたのだった。
天丼。
風吹が人間として。『不動侑』として人間社会に飛び出した時に出会ったのが天丼。
名前だけは、風吹も知ってはいたのだが。江戸時代の頃、屋台で売られているような天ぷらを美味しそうには思わなかったのだ。だがそれは、練り物を指す天ぷら。
小麦粉を溶いた衣をつけて、浴びるような油の中で踊るように揚げた天麩羅とはわけが違う。
その時は、たまたま入った店で人肉の匂いを凌駕するほどの暴力的な匂い。
それに感心して、人間達が食べている丼を頼んだら、天丼だったわけである。茶色主体の練り物とは全然違うスケールに圧倒されてしまい。
色とりどりの衣を纏った野菜に魚、時々肉。人間の食べ物は美味いと知っていたが、ここまで美味いものは初めてだと感激したほどだ。
なので、目の前にある猫人が大将をしている火坑が作り出した、ふぐをメインにした天丼も光輝いていたのだ。
「すげぇ……」
ふぐが、先程食したバターソテーくらい大振りに。同期の美作辰也の『心の欠片』から取り出した、野菜で作った色鮮やかな天麩羅。
そして、輝く金の衣に甘辛く仕上げた黒のタレが、天麩羅を引き立てている。今すぐ、がっつきたい欲求を掻き立ててくるほどだった。
「うっわ! マジですげ! え、火坑さんこれ一人一杯もいいんですか?」
「ええ。ふぐは終いの時期なので、まだ比較的安価ですし。お野菜などは美作さんにお願いした形ですからね? 遠慮なくどうぞ」
「っしゃ!」
「……い、いただきます!」
もう我慢出来ない。
それまでのふぐ料理もだが、天丼となれば騒ぎたくなってしまう。サクサクの衣はタレを纏っても萎びることはなく。
ふぐは、少しかみごたえがあるが魚特有の柔らかさ。
卵は半熟加減とタレの甘辛さが絶妙で。
野菜は火を通したことで、甘く蕩けるような舌触り。どれもこれもが今まで食べた天丼の中でピカイチだった。
ただ一点。
不思議なカレー風味のかき揚げに出会ったのだ。
「……大将。この緑で薄いかき揚げは?」
「気が付きましたか? グリーンカレーの天麩羅ですよ」
「え」
「カレー!?」
「けど、美味しいです! まろやかで美味しい!」
液体をかき揚げに。まったく、頻繁ではないがこの小料理屋では驚きばかり出会ってしまう。
今朝、介抱してもらった田城と言う女性にも是非食べてもらいたいくらい。
けれど、ここは錦の界隈。妖が行き交う、普通の人間じゃ訪れることが少ない裏世界だ。ただの人間でしかない、あのひまわりのように明るい笑顔の女性には、この界隈は不向きかもしれない。
そう思うと、風吹は美味しいと感じていた天丼が少し味気なく感じたのだった。
「不動さん?」
いきなり食べる手を止めたのに気付いてくれたのは。火坑とは恋仲であり、田城とは同期らしい湖沼美兎と言う女性。田城が快活なら、彼女は少しおとなしめの藤のよう。人間にしては綺麗な部類だが、座敷童子の真穂が気にいるだけでなく。サンタクロースから聞いた話では、覚の子孫らしい。
そんな彼女が、風吹を心配そうに見てきた。
「……いえ。出来れば、田城さんにも食べてもらえたらな……と。けど、彼女はあなたや美作とは違う。普通の、多分見鬼のない人間ですから」
「あ……そうですね」
そう、田城が助けてくれたのは。メカクレでインテリ野郎の『不動侑』。火車の風吹ではない。
体調を崩して助けてくれた恩返しもしたいが、それ以上にあの眩しさに憧れてしまった。人間を好きと最初に感じた、かつての自分と同じく。
けれど、風吹は人間どころかかつては屍肉を主食にしていた猫の化け物だ。彼女に相応しくない。
と、こぼしたら美作の方から少し痛いゲンコツを食らわされた。
「馬鹿か!」
「っで……!?」
「たしかに、妖は俺とか湖沼さんとは違うよ? けど、種族が違うだけで。こうして飯とか一緒に食えるだろ? そりゃ、お前の正体が結構怖いのは知ったけど。不動は不動だろ? 俺の同期」
「……美作」
「ほっほ。風吹くん、言われてしまったじゃないか? たしかに、君の所業は妖としては普通じゃ。じゃが、その理由で人間達と交友して良くない理由にはならん」
「……御大」
サンタクロースにまでそう言われてしまうとは。
でも、そうかもしれない。
風吹はあの大戦のせいで、屍肉は二度と食べられ無くなってしまったが。それでも、人間達は這いつくばってでも生きてきた。
その生き様に憧れて、こうして人化して社会に溶け込んでいるのに。
まったく、怖がらせては、と思うだけで尻込んでも意味がないと自覚出来た。
「っつーわけだ。俺と一緒に田城さんにお礼言いに行こうぜ? そっから、付き合うかどうなるかはわかんねーが知り合ういいきっかけになるだろ?」
「……直球的だな」
「なーんにもやらねーよかいいだろ?」
「私も賛成です! 実は、田城さんも不動さんにお会いしたい感じだったんで」
「ほらほら、チャンスだろ?」
田城が風吹に会いたい。
その言葉に、風吹は天に召されるのではと意識が遠のいてしまい。失神して辰也を押し倒したのは、倒れて五分後に知ったのだった。
同期が人間じゃなかった。
そのことに、美作辰也は、実は大層驚いていた。
部署が違えど、営業とエンジニア。
お互いに、なくてはならない存在なので同期としてずっと一緒だったからと絡んでは来たが。
まさか、今日いきなり人間じゃないとカミングアウトさせられて、驚かないわけがない。だが、軽蔑しないのも事実だ。
その同期である不動侑は、好物である天丼の残りにがっついていた。よく一緒に昼飯を食べに行のと同じように。
彼が好意を抱いた人間の女性に礼を言いに行くのと知り合うきっかけ、を提案したのは他でもない辰也本人だが。言い出してしまったからには、どうしたものかと生ビールを飲みながら思う。
メカクレでなければ、モデル顔負けに美形野郎がどうなってしまうのか。
もう先に帰ってしまった、飲み仲間の湖沼美兎とは同期の、明るくて元気の良い女性。田城真衣と言うらしいが、たった一度助けられただけで惚れてしまうとは。
よっぽど、良い女だったに違いない。
仕事以外に、積極性が天丼以外はほぼ皆無な同期が、無条件なくらいに惚れてしまうだなんて。
辰也は、不動が天丼を食べ終えてから久しぶりに、吸わないでいた煙草を吸おうと店主の火坑に灰皿とライターを借りた。
「……かなり、珍しいな?」
食べ終えてから、不動が声をかけてきた。前髪から少し見えたブルーアイは不安げだった。最初に見た時はハーフか外人かと聞いたが、誤魔化された理由が妖なら納得がいく。妖怪と呼ばれる妖達は、総じて色の配色が人間と違うからだ。
今はサンタクロースと飲み続けている、守護のかまいたち三兄弟も目の色は兄弟揃って緑。店主の火坑も猫らしく水色に近い青だから。
それはさて置き。同期入社だった付き合いから、初期以降は禁煙し出した辰也が再び吸い出したので、驚いたのだろう。
「ま、ちょっと。な?」
「……俺のせいか?」
「……まー……全部じゃねーが。俺結構ビビりだったんだなーって」
「は?」
「慣れたつもりではいたけど。人間じゃねー人達とも交流だなんて、ある意味奇跡だろ? けど、お前もだけど人間食ってた過去がある奴もやっぱりいるんだなーって」
久しぶりの、独特の苦味が口に広がっていく。なんとなく、古い煙草を胸ポケットに入れてただけだったが、残りは後で捨てることにしようと決めた。
「……やっぱり、怖いか?」
「湖沼さんの前では、見栄張ってただけだけど。全部が嘘じゃねーって。ただ怖いだけ」
「ただ?」
「俺、楽庵来るまで。自分が視える人間だなんて知らなかったし、腕に切り傷結構あっただろ? 昔っからだったんで、化けもんに狙われてんのかと勘違いしてた」
「……今は、ないよな?」
「うん。かまいたちの兄さんのお陰。あと、あっちにいるかまいたち三兄弟が守護についてくれてんの」
「……それで」
「だから、拒否はしねーけど。怖くなるのは勘弁な? けど、やっぱ不動は不動だ」
メカクレで、表情はわかりにくいが。誠実な奴には変わりない。
煙草の灰を落とさないように、ガシガシと不動の頭を撫で回したら照れ臭そうな表情が少し見えた。
「……なんだよ、それ」
「そのまんまでいーいってこと。てかさ? 田城さんになんか手土産持ってくだろ? どこにすんだ?」
「……rouge。ああいう可愛いの好きそうだから」
「めっちゃ人気の洋菓子店じゃん! 人混み苦手なお前が行けんの??」
「……田城さんのために、頑張る」
「おー」
恋は人を変えるとよく言うが、それは妖かもしれない。
湖沼と恋人関係になった火坑も、にこにことこちらを見ながら料理をしていたし。
「あそこのお菓子は美味しいですからね? 隆輝さんもいらっしゃいますし」
「うん。……だから、大丈夫、だと思う」
「え、火坑さん。あそこにも妖さんがいるの??」
「ええ。美兎さんの先輩さんの彼氏さんがです。赤鬼さんですよ」
「世間狭!?」
美兎と帰って行った、座敷童子の真穂も美兎の兄と付き合い出したと聞いたし。自分もいずれ妖の女性と付き合うんじゃないかと思う、辰也だった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
節分の日。
日本人には馴染みのある行事だ。一年の厄災を祓う、豆を鬼役にぶつけるイベント。
と言うくらいしか、美兎は認識しないでいる。まあ、間違っていない。と、今日ある意味主役の真穂からは軽く頭を小突かれた。
「いーい、美兎? 日本の人間の行事って、だいぶ簡略化されてる部分もあるけど。節分って昔は年に四回もあったのよ?」
「え、なんで!?」
「まあ、面倒いとかやらなくなったとか色々あるけど。……とりあえず、今日は真穂……いいえ。私も頑張らなくちゃ!」
「真穂ちゃんが私って言うの、新鮮ー?」
「妖としてだと、『我』って使ったじゃない?」
「あれー?」
まだ一年も経っていないのに、随分と昔に思えてきた。それだけ、社会人として現代社会でもみくちゃになるくらい目まぐるしい生活をしていても。恋人になった火坑や真穂達がいてくれたお陰だからか。
とりあえず今日は、美兎が真穂とは友達と言うことで電車途中で合流して。平針に到着したら、兄の海峰斗がいると言うことになっている。
まさか、美兎と真穂がほぼ同居していることは流石に両親には言えないので。
今はちょうど、鶴舞線で平針に到着したところだ。
「ま。海峰斗も待っててくれてることだし、行こ行こ!」
「うん!」
改札でそれぞれ電子カードを通してから地上に上がり、前回同様にターミナルで海峰斗が待っていた。
「真穂ー!」
「やっほ、海峰斗ー!」
出会い早々にハグとは。美兎が火坑に出来ても腕にしがみつくくらい。これが性格の違いかと思わずにはいられない。
とりあえず、赤鬼の隆輝がいる店で事前に買った菓子は潰さないようにはしていたが。
そして、海峰斗は姉と慕ってた彼女を呼び捨てするくらいに好きでいるようだ。美兎もまだ火坑に呼び捨てとかタメ口調が出来ないでいるのに。
「美兎、行くぞー?」
「あ、うん!」
もう再会のハグタイムは終わったようで、海峰斗は真穂と手を繋ぎながら待っていてくれた。
並んで歩く二人は、歳の差があれどとてもお似合いに見えた。
「あれ? 真穂、外見年齢上げた?」
「そりゃあね? あ、わ……たしは、自営業してるってことにして? 実際してるけど」
「なに?」
「私も聞いてないよー?」
「重複して言うのが面倒だからよ? 小説家よ? これ」
と、ダウンのポケットから取り出したのは、文庫本。小説家と聞くのは、美兎も初めてなのに、本は実在していたのかと驚かないわけがない。
一度止まって、海峰斗と表紙を見ることにした。
「榊……」
「真穂? え、このペンネームって?」
「んー? 美兎知っててくれた??」
「お母さんが大ファン……!」
「あら、嬉しい」
「え、え? 真穂、人間年齢でいつから書き始めてんの!?」
「んー? この姿が海峰斗と同じだから……十七歳?」
「ほー?」
「すっご」
美兎とは違う、創作の畑ではあるが。それだけ創作意欲が湧く世界に身を置いているのが、少し羨ましく感じた。
「人間の名前も同名だから」
「う、うん」
「うっわー、母さん超喜びそ! 親父もちょっと読み出してるって聞いたし」
「あらあら? イメージと違うって言われないかしら?」
「真穂は真穂だろ? 早く行こうぜ?」
もうすぐそこなので、湖沼の実家に到着すると。真穂は態度を変えて、上品に母達に挨拶をするのだった。
「榊真穂です。この度は、お招きいただきありがとうございます」
「あらあら、可愛らしい女の子ね? はじめまして、海峰斗の母です」
「……父です」
「お父さん、固くなり過ぎよー?」
さてさて、美兎はほとんど傍観者でがあるが。
真穂が海峰斗と付き合うのを認めてもらえるか、見届けなくては。
つい先日、火坑に引き続き。息子がもう彼女を紹介するのに、父親は驚いているのだろう。
真穂を見ても、少ししかめっ面をしているだけ。それは無理もない。海峰斗はスタイリストという職業柄、モテやすい。
妹の美兎から見ても、たしかにモテるイケメンだと思っている。ブラコンではないと思うが、昔から面倒見のいい兄とそこまで喧嘩したことはない。
ないが、まさか同じように妖と交際するまでは予想外だったが。
「お招きありがとうございます。つまらないものですが、こちらを持ってきました」
他所行きモードの真穂は、いつものマイペースさが欠片もない上品なお嬢様に見える。服装は着物ではなく洋服だが、それでも上品さが滲み出ているのだ。
そして、持ってきたお菓子は栄にあるrougeのマカロン。今日のために、赤鬼の隆輝が腕を振るったらしい。何せ、大妖怪の座敷童子が人間を伴侶にするからだ。
「あら、美味しそうなお菓子! 早速お茶にしましょう!」
母は、まだ真穂が小説家の『榊真穂』だとは気づいていないのか、初対面だから遠慮しているのか。とりあえず、父の案内でリビングのソファに海峰斗と一緒に腰掛けさせて。
美兎は、母の方を手伝った。
「お母さん、手伝うよ」
「あら、ありがとう。……ねえねえ、美兎」
「なーに?」
もしや、と身構えていたら。母がはしゃぎ出したのだった。
「榊さんって、もしかしてあの榊真穂先生!? 実年齢若いってのはインタビューとかであったし、もしかしてって思ったんだけど!!」
やっぱり、気づいていたらしい。けど、本人の前でいち早くサインを求めるまでの強引さはない。そこは、流石に大人として弁えているのだろう。
「……うん。実は私も今日知ったんだけど、真穂ちゃん作家さんなんだって」
「やっぱり!? あ〜〜、お母さんはしゃいじゃいそう!!」
「落ち着いて。とりあえず、お茶持って行こう?」
と、リビングにお茶とお菓子を持って行ったら。既に話は始まっていたのか、少し騒がしかった。
と言うより、母のように父がはしゃいでいるような。
「あのトリックには驚かされたよ! 真穂ちゃんは賢いんだね!!」
「いえ。そんな……ずっと書いていると慣れてもきますし」
「俺はまだあんま読んでねーけど」
「読みなさい! あれは直木賞を取ってもおかしくはないから!!」
「お……父さん、持ち上げ過ぎですよ?」
既に、真穂が小説家だと。おそらく海峰斗が話したか、父が聞いたのか。とりあえず、緊迫感は既にどっかに行ってしまったようだ。
「あらー? やっぱり、榊先生だったの?」
「あ、すみません。お父さんが気になったようなので」
「私も気になってたからわかるわ〜! ね、ね、後でサインいただけないかしら??」
「それなら……つい最近の献本を持参したので、これを。裸で申し訳ないですが」
「榊先生の新作!?」
「その、発売前のを!?」
ここまではしゃぐ両親を、今まで見たことがあるだろうか。美兎や海峰斗の就職祝いでもだったが、共通の趣味ではしゃいでしまうのは歳を重ねても同じだろう。
「さ、さ! 今日は榊先生が海峰斗と来たんだから色々お話しましょう?」
「あの、お母さん。先生……はこしょばゆいので真穂でいいですよ?」
「あら、いいの? じゃ、お菓子いただいたら全員で節分しましょうか?」
「お母さん、用意してたの??」
「ふふ。息子の彼女さん込みでやりたかったのよー? 真穂ちゃん、いいかしら?」
「喜んで」
それから、嘘の馴れ初めを話し。幼馴染みだったと言うことにしてから、最近付き合うことになったと両親には告げて。
美味しいマカロンを食べ終えてからは、海峰斗が鬼役になって豆まきをして。関西主流だった恵方巻きをハーフサイズにしたのを全員で頬張り。
火坑も一緒にできたらなあ、と思わずにいられなかった。
「あー、満腹。私もう無理かも」
「……私もちょっと満腹」
「大丈夫かー?」
母以外の女二人は、ハーフサイズでも具沢山の手作り恵方巻きは大変だった。普段から、軽めのを小分けして食べる習慣が楽庵であったので。美兎も真穂も満腹寸前。
「お父さんもちょっときついな?……歳は取りたくないな」
「そうね? 来年はもう少し控えるわ」
「そうしてくれ」
とりあえず、真穂は海峰斗の彼女と認識してもらい。
海峰斗は真穂を送りたいと言い。美兎の自宅ではなく、真穂の居住地に案内する理由で界隈デビューをするそうだ。
栄に来るのも、随分と久しぶりだった。
湖沼海峰斗は、つい先日彼女となったばかりの。座敷童子である真穂と手を繋ぎながら、これまた久しぶりに使う名城線に乗っていた。
スタイリストとして、名古屋駅や伏見駅にはちょくちょく来るが、中区はあまり行かない。仕事休みは自宅で爆睡しているから、わざわざ栄や矢場町に来ることも減った。
だが、今日行くのはただの栄ではない。妹の美兎の彼氏でもある火坑もいるらしい、界隈と呼ばれている妖怪達の巣窟。
少し緊張はするが、これも真穂と本当の意味で結ばれるためだと気合を入れていたら。ホームに降りると、真穂からくすくすと笑われた。
「緊張し過ぎ」
「いやだって……真穂以外。かきょーさんはまだ見てないし。妖怪がウヨウヨしてるとこに行くって、最初はビビるって」
「ま、そーね? 真穂は見た目子供の妖怪だもの?」
「うん。真穂ねーちゃんだから、それは思った」
だから人間の姿に似せている妖はきっと少ないはず。途中、rougeという真穂が買ってきてくれたマカロン専門店で抹茶のマカロンを買って。
夕飯ついでに、火坑の営む楽庵に行こうと彼女が提案してくれたのだ。
「お、俺払うよ!」
「んー? ある意味タダだよ? 考えてもみて? 美兎が新人社会人だったのに、こう言う場所の小料理屋でそうしょっちゅう食事出来ると思う?」
「思わ……ないけど。なんか秘密でもあんの?」
「とりあえず、行こ行こ?」
真穂に手を引かれて、海峰斗は細い裏路地のような場所を歩かされた。細身ではあるが、普通の成人男性くらいの海峰斗の体格だと少しきつい。
真穂は難なく通れるが、角の角をいくつか曲がったら。錦の裏通りのような場所に出て、スナックやBAR。居酒屋に小料理屋などと飲食店やホスト・ホステスの雰囲気漂う店がたくさん見えた。
だが、違うのは真穂のように人間のように見えたり、狐とか爬虫類に見える妖怪が客とか店員でいた。
通り過ぎても襲いかかることはなく、むしろ真穂が先導で歩いていたら彼女に敬意を表する者ばかり。
大妖怪とは聞いていたが、やっぱりすごい妖怪なのだろう。
そして、彼女が立ち止まった先には猫と人のような不思議な妖怪が暖簾を入り口にかけていた。
「猫? 人?」
「まんま、猫人よ? 火坑!」
「え、あの人が!?」
美兎の恋人の正体。
横顔に面影は全くないが、綺麗な猫の顔としか思えない。
背丈は似ているが、とてもじゃないが響也と同一人物に見えなかった。それが、真穂が今日年齢を上げたと同じく、妖怪変化の成せる技かもしれない。
「おや、真穂さん?……ああ、海峰斗さん。この姿では初めまして」
「ど、ども……」
声はまんまだったので、一致させるのには少し時間がかかったが。
とりあえず、外は寒いので店に入らせてもらうことになった。
「はい。お土産」
真穂は席に着く前に、火坑にマカロンの袋を渡したのだった。
「これはこれはありがとうございます。……今日はあちらでご挨拶だったのでは?」
「ふふーん。海峰斗の界隈デビューも兼ねて、早めに切り上げてきたの! あと、こっちのあなたにも会わせたかったし」
「そうですか……。海峰斗さん、大丈夫ですか?」
「……まだ。頭ん中が整理出来てないだけ」
猫、人。
人、猫。
真穂以外の妖怪を、今日初めて見たので色々と情報整理が出来ていないのだ。
とりあえず、妹がこの姿で惚れたのはわからなくもないと思った。美形だからだ、猫の方が。
「ま、慣れよ慣れ。とりあえず、海峰斗何飲む? 大抵のお酒あるわよ?」
「え……けど。ほんとにタダ?」
「ああ。心の欠片のことですね?」
「……なにそれ?」
「海峰斗さん、両手を上に向けて僕の方に出してください」
「……こう?」
そして、肉球がない猫の手で軽くぽんぽんと叩かれると。一瞬光って、手のひらの上に、海峰斗が仕事道具で使うスタイリング用のハサミが出てきた。
「さらに、これを」
もう一度ぽんぽんと叩けば。出てきたのはラベルのない、コーヒーかコーラのペットボトルだった。
「あら、少し気泡があるからコーラ?」
「そのようですね? ふむ、コーラ煮でもしますか?」
「え……コーラって煮物に使えんの!?」
「砂糖を追加しないので、少しあっさりめに仕上がりますよ?」
「へー……てか、なんでハサミ? から、コーラが出てくんの??」
「心の欠片とは、人間や一部の妖の魂の欠片から取り出せる……我々妖の栄養分みたいなものですよ。僕の店の場合はそれで金銭がわりにしています。ちゃんと換金場所はあるので問題はありません」
「……へー?」
とてもじゃないが、それで店を切り盛りしていけるとは思わないが。妖怪は妖怪で色々事情があるのだろう。
コーラ煮が出来るまで、海峰斗はえぐい解体ショーついでに美味なるスッポン料理と生ビールを楽しんだのだった。
恋人である湖沼美兎の兄、海峰斗。
猫人の姿で会ってみたいと事前に情報があったので、今日は節分兼休日だったから何組かの妖と節分行事をしていたのだ。
妖なのに、鬼を祓う行事をやるのはどうだと思われるかもしれないが、単純に遊びたいだけだ。妖とて生きているのだから、人間達の遊びを真似したくなる。
それが仕事となり、界隈で店を開くのも多い。師匠である黒豹の霊夢も趣味がこうじて楽養を開けたそうだ。
今から作るコーラ煮も彼に教わったのだ。
「知っていましたか、海峰斗さん? コーラ煮は今回手羽先で作りますが。豚肉とも合うんです」
「へー! 想像つきにくいけど、火坑さんの料理美味しいし。次食べてみたい」
「ふふ、ありがとうございます」
最初は、先日の初対面の時のように緊張がかなりあったが。今は酒とスッポン料理のお陰でほぐれてきている。スープはもうすぐ出来るので、火坑は焼いて置いた手羽先に、海峰斗の心の欠片であるコーラを躊躇なく注いでいく。
「あー、肉の焼き目のいい匂いね〜?」
そして、彼の恋人になった座敷童子の真穂。人化の年齢を引き上げたのか、いつもより愛らしい感じだ。海峰斗のためか、今日湖沼の家に挨拶に行くのに年齢を調整したのだろう。
「沸騰したら、キッチンペーパーなどでささっと灰汁を取ります。そこに、鷹の爪と醤油を入れてからアルミホイルでフタをして」
だいたい十五分煮るので、その間にスッポンのスープを出したら。
「う……っわ! 美兎とか真穂っていっつもこんなすげーの食ってんの!?」
サービスで、スッポンの頭を入れたら少々驚かせてしまったようだ。
「美味しいわよー? 内臓とかはあんまり無理だけど。肉とか皮とか。コラーゲンたっぷりの甲羅の部分とか」
「……んじゃ、真穂がそう言うなら。……この頭ってどう食べんの?」
「普通にかぶりついて吸い付く感じよ」
再会してからまだ数日で、付き合いも始まったばかりなのに。まるで、長年連れ添った感じなのが、火坑の目には微笑ましく写った。
そう言えば、美兎にタメ口とか呼び捨てをしていいか聞かれたのだが。火坑の場合、誰かを呼び捨てする癖とかがほとんどないので、今のままでもいいと思っているのだが。
もう少し、彼女の懐に手を伸ばしていいのなら。少し、考えたかった。
「さ、いい具合です。出来立ての手羽先のコーラ煮をどうぞ」
盛り付けてから二人の前に出せば、真穂もだが海峰斗も声を上げたのだった。
「すっげ! 美味そう!」
「豚もいいけど、鳥もいいわねー? 手掴みの醍醐味よ!」
「うん、食べよ!」
スープはまだ途中だったので、火坑は洗い物をしながら二人の食事を覗くことにした。ものによるが、一人で切り盛りしているので今風に食洗機を使っている。
軽く濯いでから、食洗機に入れたり。ぬるま湯で浸しておくのと分けたりするのだ。
「ふま!」
「甘辛くて美味しい! 鷹の爪効いてるわよ、火坑!」
「ふふ、お粗末様です」
この時間だと、他の客が来てもおかしくはないが。真穂が伴侶を連れているからと控えているかもしれない。妖デパートの鏡湖の役員であり、大妖怪の一角であり、人間としては売れっ子の小説家。
おそらく、だが。美兎もそのことを今日知ったはずだ。
「へー? コーラって飲むもんだけじゃなかったんだ? 料理に使えるって意外」
「海峰斗さんは……美容師さんですよね?」
「うん。他にもメイクとかしてあげっからスタイリストだけど」
「化粧品にお詳しいのであれば、炭酸水を使うのはご存知ですよね?」
「うん? 肌がもちもち……あ、そっか?」
「おそらく正解です。豚肉だと圧力鍋で作ることが多いですが、炭酸水もしくはコーラを使うと成分の関係で肉が柔らかくなるんです」
「なーるほど」
酒が無くなったので、生ビールを追加した海峰斗は完全に酔う前に真穂と一緒に帰っていった。今日は真穂の居住地で泊まるのだそうだ。
少し、羨ましい。と感じたのは。初詣でもだが、美兎となかなかデート出来ていないからだろう。
仕事がもうひと段落ついたら、スマホで連絡しようと思ったら。
新たな客がやってきたのだ。
「大将さーん! 正月ぶりー!!」
「こ、こんばんは……」
山の神の使いである、河の人魚と河童。
予定より少し早いので、どうしたのかと気になったのだった。