大晦日。
と言っても、妖に休日はあるようでないとされている。
現世の慣わしで年末年始と、百鬼夜行が行き交う盆や春先に比べたら、日本に取り入れられた面白おかしな行事を楽しむだけ。
かく言う、猫人の火坑も。今日は待ち望んでいたのだ。
ここ数年なら、年の締め括りとして特別営業をしていたのだが、今年は違う。
番うことを約束した、妖の子孫であった人間の湖沼美兎に彼女の先輩である沓木桂那とその恋仲である赤鬼の隆輝。
秋の烏天狗の翠雨達とは違うが、彼女が人間の組み合わせであるダブルデート第二弾だ。元旦の昼に初詣でのデートを約束しているので、火坑は楽しみだった。
猫人に輪廻転生してから、妖同士でも付き合いが何処となく希薄がちだったからだ。黒豹の霊夢に育ててもらい、楽庵を開くまで修行したのだが。
自分は自分、客は客とどこか線引きしていたのかもしれない。
それを変えてくれたのが、ほかでもない美兎だから。
「さて。ご自宅のお節は堪能されてるはずだから。僕は出来るだけ楽庵らしいメニューを……と言っても」
錦の界隈で小料理屋を営んでいる身としては。彼氏であれ、出来れば凝った料理を作りたい。それがお弁当でも。
なので、晦日の今日は店を思い切って閉めてから取り組んだのだが。何がいいのかサイトを見つつも悩みに悩んでしまっている。
「ん? これは!」
妖共有サイトである、料理などのレシピ集。そこに、女性が食いつきそうなメニューが載っていたのだった。
「ちょうど、いくらの醤油麹漬けが出来てるから! これは明日の朝に作れば鮮度も問題ない!」
なので、下準備をしてから美兎と年越しのメールをする時間まで自宅に戻ってから仮眠をして。
年越しまで、あと少し、となったら美兎から通話していいかとLIMEがあったので、承諾した。
『こんばんはー』
「こんばんは、ご実家はどうですか?」
『え……と、かきょ……響也さんのことを話したら、連れて来いと言われまして』
実家なので、火坑の偽名で呼んでくれるのも酷く愛らしく感じる。きっと、通話の向こうでは少し顔が赤いかもしれない。抱きしめたいが、距離が距離なので無理だが。
「わかりました。ご希望のご予定などは?」
『えっと……土日なら、くらいですけど』
「うーん。水藻さんや、空木さんとのご予定もありますしね? でしたら、月末近くにしませんか?」
『多分、大丈夫です! 私もまだ休日出勤になるくらい仕事は増えていないので』
「わかりました。明日……もう少しで日付も変わりますが。今年一年ありがとうございました。美兎さんと出会えて本当に良かったです」
『……私もです。響也さん』
「はい」
そして、お互いに笑い合ってから通話は終わり。
自宅から楽庵まで徒歩で移動してから、例のお弁当作りのために楽庵に向かう途中。
年越し直前で、夢を売ったり買ったりしていた夢喰いの宝来と遭遇した。
「お、火坑の旦那じゃねーか?」
「ご無沙汰しています。盛況のようですね?」
「おう! 真穂様も仕事されているからなあ? 俺っち達もうかうかしてらんねーぜ?」
「! 僕もひとつ吉夢を買いたいのですが。お代はとりあえずこれで」
「! 筋子じゃねーか!?」
「僕が漬けたので、お味は保証しますよ?」
「よしきた! 持ってけーい!」
翡翠に似た、ビー玉のような吉夢。
美兎には卯月のはじめ以来だろうが。恋人にどうしてもあげたいと思った火坑なのだった。
一月一日、元旦。
新社会人となって一年目の、美兎としては喜ばしい吉日。
先輩の沓木達もいるが。それぞれの妖の彼氏と一緒に初詣に行く予定である。だから、美兎は実家で年を越してから軽く仮眠を取り。
まだ成人してから三年程度しか経っていないので、母にお願いしていた振袖に袖を通すことにした。
これは、沓木と決めたので。おそらく男性陣にはバレていない。着付けは全部自分では出来なかったので、そこは母もだが兄の海峰斗にも手伝ってもらった。
何故兄を加わらせたのは、最終的な帯締めのため。本職でもないのに、きつくなくけれど崩れにくい結び目を作れるからだ。
昔、母が親戚の結婚式の時に留め袖を着るのに、遊び半分で高校生の海峰斗が締めたのだが。これが好評過ぎて、以来お駄賃を菓子などでもらう代わりに請け負うことになったのだ。
社会人になってからは、さすがにほとんど断っているらしいが。久しぶりでも、海峰斗の腕は衰えていなかった。
「じゃ、行ってきまーす!」
「おう、楽しんで来いよ?」
「香取さんによろしく言ってよー?」
「うん!」
メイクも髪もバッチリ。最高の状態で大須観音に行くべく、昼前に地下鉄に乗ろうとしたのだが。
メインで使う、水色の線が特徴の鶴舞線もやはり利用者が多く。途中で乗ってくる沓木と合流しにくい感じだった。なので、個人のLIMEですし詰めになりそうだから車両合流が難しいと告げると。
ちょっと待て、とすぐに返事が返ってきたら。
「お待たせ」
「はえ!? 先輩!!?」
「はーい、驚き過ぎ。とりあえず、明けましておめでとう?」
「あ、あけましておめでとう……ございます」
何故、八事にいるはずの沓木は逆方向の平針に。しかも、反対の路線はまだ来ていないのだ。
疑問に思っていると、彼女は親指で後ろを指した。
「明けましておめでとう、湖沼さん」
「相楽さん!? あ……けまして、おめでとうございます」
今は人化している、赤鬼の隆輝も一緒と言うことは。十中八九、妖独自の魔法。妖術を使ったのだろうと、美兎にも見当がついた。
だったら、守護についてもらってる座敷童子の真穂を呼べばよかったかもしれないが。真穂は真穂で新年の祝いを最強の一角として界隈で忙しく動いているらしい。
ので、三が日以降までは美兎とも会えないのだ。
「んふふ。あんまりおおっぴらに使えないけど。隆君の瞬間移動。ちょっとだけなら使えるから」
「お、お気遣いありがとうございます」
「まー? 私服ならともかく、振袖って言ったのは私だし? 平針もこの時間結構混むもの。使えるとこは使いましょ?」
「さあさあ、お嬢さん方。とりあえず、端に移動しよう」
外のバスターミナルだと人目があり過ぎるので、最後尾の車両が止まるホームまで移動して。
隆輝が軽く手を振った途端に。
景色は、同じようで違うホーム。大須観音の地下鉄ホームに到着していたのだった。
「わお!」
「時間よりも早く来ちゃったけど。火坑さんはどうなのかしら?」
「あ! 聞いてみます!」
隆輝の妖術を使ったまでの経緯等々を火坑にLIMEで伝えれば。『では、僕も』と返事が返ってきたと同時に、三人の目の前に誰かが現れたのだった。
「皆さん、明けましておめでとうございます」
人化して、香取響也となっていた火坑が出てきたのだ。
「あら、かきょ……香取さんって間近で見るとフツメンじゃないわね?」
「そうですとも、先輩!!」
「ふふ、ありがとうございます」
「けどさー? きょーくんはあっちの方がイケメンなのにもったいないよ?」
「いえ、実は」
と、火坑が咳払いすると美兎達は揃って首を傾げた。
「何かあったんですか?」
「はい。僕が現世に転生して……師匠のもとで人化を学んだんですが。僕らしく変化すると……良過ぎて師匠に空手チョップをやられたもので」
「え、もっとかっこいいきょーくんが見れたかもしれないのに!?」
「はい。それでこの顔に落ち着いたわけです」
「……見てみたいわねえ?」
「……ちょっと、だけ」
人間の姿で、美形な火坑。
興味がないわけじゃないので、美兎も正直に言うと。
火坑が軽く手を振った後に、美兎はその美形過ぎる顔に霊夢がやめろと言った意味がよくわかったのだった。
何せ、烏天狗の翠雨が霞むほどのイケメンだったからだ。
とりあえず、大須観音に向かうのに地下鉄のホームから地上に上がり。
美兎は火坑と、沓木は隆輝と。それぞれ振袖なので恋人達にエスコートしてもらいながら、ゆっくりと階段を上がる。
大学の卒業式はドレスだったので、成人式以来の草履には少し注意しなくてはいけない。あとで火坑の足を踏まないようにも。
ちなみに、火坑の容姿は元の香取響也に戻っている。あの変貌ぶりは美兎にとっては目の毒過ぎるし、目立って逆ナンされるだなんてもっと嫌だった。
沓木にも頷かれたので、火坑は元の響也に戻ったわけである。妖の姿が本来の姿なのに、戻ると言う言い方は語弊かもしれないが。
「さて、もうすぐ地上です」
火坑に言われて、期待が膨らんでくると。地上の階段を出た途端に、喧騒が耳に届いてくる。エレベーターを使わなかったのは、元旦で混み合ってたせいもあるが。
とにかく、祭りの喧騒に期待が高まらないわけがない。しかも、元旦でデート。
一番混み合っている時間帯だろうに、隆輝と火坑のお陰か美兎と沓木は振袖ででも人混みで苦しむことはなかった。
「ああ、美兎さん」
火坑が進む前に、美兎の耳元に顔を寄せてきた。
「?」
「その振袖、よくお似合いですよ? 本当なら見せびらかしたくないくらいに」
「き、響也さん!?」
「ふふ」
相変わらず、不意打ちが凄い。
思わず、籠を持っている手をその耳に当てたが。少し熱く感じた。なのに、火坑は涼しい笑みで前を向くだけだった。
「湖沼ちゃん達、行くよー?」
「あ、はい!」
「行きましょうか?」
腕を組むと動きにくい日なので、手をしっかり握っていくスタイル。しかも、火坑となので安心の恋人繋ぎで。
嫌ではないのだが、少々気恥ずかしい。初彼でもここまで羞恥心を感じたことがないのに。やっぱり、将来を約束した彼氏だからだろうか。妖とかは関係ないだろうから。
「湖沼ちゃん、聞いてなかったけど。お腹の空き具合とかは?」
少し前を隆輝と歩いている沓木が振り返ってきたのだ。
「あ、いえ。お雑煮とかのおもち……たくさん食べたのでまだ」
「はは! 私もだね? 実家帰っちゃうと異常に食べちゃう!」
「先輩はご実家も八事なんですか?」
「そ。他の区に住んでも良かったけど。大学も全部八事で済んだし? けど、隆君と結婚したら多分この近くに住むと思うわ」
「はは? 俺頑張んないといけない?」
「私も頑張るけど、当然でしょ?」
微笑ましい光景だ。隆輝も見た目だけなら、爽やか風兄貴イケメンでしか見えない。沓木はサバサバしたお姉さんだからか、とてもお似合いだ。振袖も美兎のピンクとは違って、大人っぽい青。
わずか二年だけなのに、それだけ雰囲気が違うのは。
隆輝と出会えたからなのだろう。会社で、田城がいない時に聞いた、二人の出会いはとてもときめくから。
美兎と火坑とは大違いだった。
「あ! たこ焼きだけは食べれるんじゃない!?」
「隆君、私達の話聞いてた?」
「けどさ? 屋台って聞くとたこ焼きじゃん!? 俺がほとんど食うし、買うから食べようよ!!」
「はあ……」
妖なのに、屋台の料理は目移りしてしまうのだろう。隆輝の方がはるかに年上であるのに、火坑以上に沓木や美兎よりも年下に見えたのだった。
「あの、僕から提案が」
火坑が挙手をすると、ちょっと重そうだと思ってた肩掛け鞄を軽く持ち上げたのだ。
「提案、ですか?」
「軽く、ですが。雛握りのおにぎりを作ってきたんです」
「え、マジ!?」
「香取さんの手料理!?」
なら、大須の商店街の手前にある、寺の空いてそうなスペースまで移動して。
火坑が小さめの重箱を開けてくれたら、美兎と沓木は声をあげたのだった。
「可愛い!!」
「綺麗です!! それにいくら!?」
「ふふ。僭越ながらいくらは手製です」
『凄い!!?』
「きょーくん、器用?」
「隆輝さんほどではないですよ?」
おそらく、白い酢飯を丸く整えて。薄切りの蒲鉾を花のように見立てて海苔の代わりにぐるっと巻いて。仕上げに、いくらを花の中心にと載せてあり。
目にも楽しい、いくらと花蒲鉾のおにぎりが詰められていたのだった。
いざ、食べようと。火坑がコンビニとかで渡されるような紙おしぼりで手を拭いた後。
火坑もだが、隆輝も美兎の後ろをじっと見つめていた。沓木も気がついたらしく、美兎の後ろを振り向くと目を丸くしたのだった。
「あ、あの……?」
「湖沼ちゃん、後ろ後ろ」
「はい?」
やっぱり何かいるのかと振り向けば。
まったく人化にも変身していない、『河童』がよだれを隠さずに立っていた。だが、この前会った水藻とは違って、もっと子供な感じだ。
誰だろうと首を傾げると、左の方向から誰かがやってきたのだ。
「みーずーとぉおおおおお!?」
この河童の名前を呼びながら、美しい黒髪を振り乱してやって来たのは目を見張る程の美少年だった。上着をきちんと着込んで、パッと見た感じは人間には見えたのだが。
呼ばれた河童が彼を見れば、『にいちゃ』と可愛らしい声を上げたので、十中八九妖なのだろう。
「にいちゃ!」
「おバカ!! 水藻が必死になって探しているのに、なーんで僕の近くからも離れるの!?」
「ご、ごめしゃ……」
「はいはい。言い訳は俺より水藻に言いなさい。……あ」
少年もこちらに気づいたが。美兎や沓木よりも、火坑や隆輝に目を向けていた。
「お?」
「おや?」
「大将さん達だ! え、なんで? なんで……って、ことはそっちのお姉さん達は」
ぽんっと手を叩いて、一人で納得していたのだった。
「ふふ。美兎さん、こちらの方は水藻さんがおっしゃっていた方ですよ?」
そして、火坑は美兎のちんぷんかんだった頭にヒントを出してくれた。
「水藻さんが……?」
美少年と河童。
たしか、山の神に仕える妖であり。楽庵で席を共にした時に、人魚に会わせてくれると約束してくれたのだが。
まさか、この美少年が、と妙に納得出来てしまいそうだった。
「はじめまして! 僕は千夜と言います!! えと……そっちの桃色の振袖のお姉さんが、水藻を知っているなら。聞いているかもね? うん、僕……河の人魚」
名乗りは元気だったが、正体に関しては小声で教えてくれた。人魚だから勝手に女の子をイメージしていたのだが、どうやら男の子らしい。
みずとに妖術で人間の子供にさせてから、一緒にぺこりと謝ってくれた。
「水藻さん達も参拝ですか?」
火坑が聞けば、千夜が苦笑いしたのだった。
「半分は、ここ近辺の露店巡りだよ。人間達の供物よりも美味しいからね? まだちっちゃい僕や水藻の弟や妹達を連れていく理由にもなるけど」
「だよなだよな? 露店のもんは高くてもうまいもんな?」
「隆輝んとこのお菓子も美味しいよ?」
「どうも、ご贔屓に」
見た目は少年でも、隆輝は火坑と同じ年頃らしいから、千夜の方が歳上かもしれない。
それも気になるが、みずとが相変わらずかまぼこのおにぎりを見つめていたので、美兎が火坑に目配せしてから二つを取り。みずとと千夜の前に差し出した。
「う?」
「え、いいの!?」
「たくさんあるし、みずと君が欲しがっていたから」
ラップを巻いてあるおにぎりをそれぞれの手に握らせたら、千夜が苦笑いしたのだった。
「ありがと。今度楽庵行く時に、お土産持ってくよ」
「あら、いいのに」
「ふふ。僕、お姉さんが気に入ったよ! 山の神にも頼んで、とびっきりのお土産持ってく!!」
じゃあ、またね、と。軽く風が吹いたら二人の姿はもうなかった。
「……妖怪でも、見た目通り元気な子達だったわね?」
「あれでも、神の使いだから。俺やきょーくんよりずっと歳上だよ?」
「そうなの? まあ、隆君まだ若いもんね?」
「ふふ」
いったい幾つかと聞くのは野暮かもしれない。
火坑も江戸時代から生きているらしいし、二人は友人だから同じ年頃かもしれないが。
とりあえず、美兎達もかまぼこのおにぎりを口にすると。
やはり、料亭レベルのおにぎりは時間が経っていても美味しかった。
そこからは、きちんと大須観音で初詣を済ませるのに行列に並び。
それぞれの彼氏様に、動きにくい振袖でも丁寧にエスコートされてから参拝して。四人全員おみくじを引いたが、見事に美兎以外は大吉となり。
美兎だけが、凶だったので急いで結び場にくくりつけに行った。
「大丈夫よ、湖沼ちゃん? あくまで運勢なんだから」
「けど……幸先悪いです」
沓木が慰めてくれても、心はもやもやしたままだ。すると、反対側から軽く頭を大きな手で動かされ。ぽすんと温かい場所に抱きこまれた。
「大丈夫ですよ? 天国在住ではありませんでしたが、僕がいますかから」
「き、き、響也さん!?」
目立ちにくい場所にいるとは言え、他に人目があることに変わりないのに。火坑は片手で大胆に美兎を自分の懐に抱きとめたのだ。
「きょーくん、やるぅ」
「初々しいわねえ?」
「俺達もする?」
「ここはヤダ」
「えー?」
バカップルがもうひと組いるのに、やはり経験の差を考えると沓木の対応は大人だ。さすがとしか言いようがない。
火坑は少しの間笑ってから、美兎を解放してくれた。
「とりあえず。当初の目的は終わりましたが……。女性のお二人は、足など痛いところはありませんか?」
「……えーと」
「正直言って疲れたわ。このまま露店歩き回るとか無理」
「だろーね?」
美兎は二年ぶりでも、草履で長時間歩くのは痛みを伴う。
沓木もかなり久しぶりらしいから、そこは同じく。
どうしようか、と二人で顔を合わせたら。火坑がぽんと手を叩いた。
「であれば、うちの店まで移動しましょう。人目のつきにくい場所までは頑張ってください。そこから妖術で移動します」
「い、いいんですか??」
「ええ。食材もありあわせ程度ですが、まったくないわけではないので」
と言うわけで、また大須観音駅の地下鉄ホームまで移動して。瞬時に、火坑の妖術で錦の楽庵まで瞬間移動出来た。
しかも店の中だったが、暖房をあらかじめつけておいたのか。室内はとても温かった。
「あら? 暖房つけておいたんですか?」
沓木が問い掛ければ、火坑は元の猫人に戻りながら涼しい笑顔で微笑んだ。
「食材の関係もありますが。今日ご迷惑でなければ、皆さんをお誘いする予定だったんです」
「あら」
「ナイス! 火坑君!」
「ありがとうございます!」
完全なプライベートだが、元旦から火坑の手料理が食べられる。
こんなに、嬉しいことはない。と、美兎は足の痛みも吹き飛ぶくらい嬉しかった。
「さて。お餅はまだ届いていないですし。蕎麦は遠慮したいでしょうから……」
「火坑さん、火坑さん!」
「何でしょう、美兎さん?」
提案をするのに、美兎は椅子に座る前に手を差し出した。
「私の心の欠片を使ってください!」
「心の欠片??」
「ケイちゃん、俺とか火坑君が人間からちょっとだけもらう栄養源の話したの覚えてる?」
「あ!……じゃあ、せっかくだから。私のも出せそうなら」
「かしこまりました」
それからはお節料理とかではなかったが。
身内だけの温かい集いが出来たと思うくらい。楽庵でのんびりとお正月デートを過ごすのであった。
ここは、錦町に接する妖との境界。
ヒトとも接する歓楽街の界隈に、ほんの少し接しているのだが。ヒトから入るには、ある程度の資質を持つ者でしか訪れるのは叶わず。
たとえばそう、妖が好む霊力があるとすれば。
元地獄の補佐官だった猫と人のような姿をしている店主の営む小料理屋、『楽庵』に辿りつけれるかもしれない。
田畑が地方にしか残らないようになってきた、名古屋。
尾張の国とも呼ばれていたはるか昔には、もっと景色は地平線も見えただろうに。
己の知る景色はもうなく、代わりに石や鉄の塊である家家や大きな城のようなものが立ち並んでいる。
己には少々住みにくい。中央に行けば行くほど、その鬱陶しさは重なるばかりだ。
だが、望んでいる場所に行くためには、そこへと行かねばならない。
「大事な大事な、小豆も届けなくてはいけないからのぉ?」
だからこそ、小豆洗いである自分は栄に行くのだ。錦の界隈にある、妖が営んでいる小料理屋。その店主が、己にと小豆を仕入れて欲しいと頼まれたのだから。
「たまには、一杯ひっかけたいからなあ?」
店主の手がける美味の数々。もう随分と昔に食した切りだが、今でも鮮明に覚えている。消えていく伝承の中で、愚痴を聞いてくれたあの猫人の馳走を。
そして、術よりもたまには人間達に揉まれるかと地下鉄とやらに乗ったが。意外と快適だった。
仕組みも色々と変わっていたせいもあるが、以前よりはすんなりと乗れた。わざわざ切符を買わずとも良い方法があると仲間の小豆洗いに聞いたが、まさしく。
これなら、いつでも来られるかもしれない。とは言え、仕事をせずに遊びに呆けているのもあまりよろしくはないが。
そして、栄に降りたのはいいが。仕組みは以前とまた少々変わっていたので、出口がどちらだったか分からなくなっていた。
オロオロしていると、後ろからとんとんと誰かに肩を叩かれた。誰かに。
「?」
「あの、失礼ですが。お困りですか??」
振り返ったところにいたのは、人間にしては小綺麗で美しい女だった。
妖の、目を見張るくらいの美貌ほどではないのだが、好ましい印象を受ける女。栗色の髪をしているが、丁寧に手入れが行き届いて触りたくなるくらい。
だが、おかしい。
小豆洗いは賃金こそは払ったが、人間に化けてはいない。妖のままだから、人間には普通見えないはずだが。
「……お嬢さん。儂が視えておるのかい?」
「あ、え? もしかして、妖……さん?」
「視える人間がいるのは珍しいのお。どれ、お嬢さんが困る。ちょっとまっとれ」
ペシペシと横にしか毛のない頭を軽く叩いたら、小豆洗いは瞬く間に初老の老人へと変化したのだった。
「……えっと。おじさまは?」
「儂は小豆洗い。久しぶりにこの辺りに来たんじゃが、どうも勝手が変わり過ぎててなあ? お嬢さん……視えるんなら、錦の界隈に行ったことがあるかい?」
「あります!! ちょうど、ご飯食べに行くとこなので」
「そうかいそうかい。この老いぼれに、楽庵と言う店を教えてくれんかね??」
「あ、そこです。途中連れとも合流するんですけど、一緒にいきましょう!!」
「それはありがたい」
偶然とは言え、縁が結びついている気もするのだが。小豆洗いにとっては都合が良すぎた。
湖沼美兎と名乗った女は楽しそうに、小豆洗いと話してくれていたが。
愛らしさ以外に、色々加護があるのにびっくりですまなかった。であれば、もしやとは思ったが。
界隈への角を曲がると、その正体がよくわかった。
「あら、珍しい? 小豆洗いじゃない?」
「……お久しぶりにございます、真穂様」
最強の妖の一角とされている、座敷童子の真穂。
それが美兎を守っている加護となれば納得出来たのだった。
地下道で声をかけた老人が、まさか妖だとは思わず。
美兎は小豆洗いの老人の機転のおかげで恥ずかしい思いをせずに済んだが。
こんな街中で妖と出会うのは、あの大須観音での人魚達との出会い以来だったので。
ついつい、自分の視える力。見鬼の才とやらが高まったことを忘れがちだった。あと少しで、その原因となった、先祖である空木夫妻との食事会もあると言うのに。
とりあえず、界隈に入って、座敷童子の真穂と合流してから経緯を話せば。
当然とばかりに、彼女から軽く頭にチョップをお見舞いされたのだった。
「あう!?」
「いーい、美兎? こいつの場合人間と見た目似てるからって、見鬼のコントロールとかしなよ?」
「う、うう……だって、本当に困ってたようだったし」
「ま、真穂様?? 儂が久方ぶりにこの辺りに来たので、悪いのは儂ですじゃ」
「保鳥はとりあえず黙ってて」
「……はい」
ちなみに、小豆洗いの名前は保鳥と言うそうだ。
そして、見た目はお爺さんと孫にしか見えないのに、力の差とかで立場は逆だ。
とにかく、再三再四言われてから、三人で一緒に楽庵《らくあん》へと向かうことになった。
「九州から珍しいじゃない? ここまで何しに来たの??」
真穂は問い掛ければ、保鳥は背中に背負っている大きな木箱のリュックのようなものを軽く揺らした。
「儂が小豆洗いゆえ、と言いますか。楽庵の大将殿に、小豆の仕入れを頼まれまして。ならば、久方ぶりにこの辺りも寄りたいなと」
「なるほど?」
「小豆洗いさんってどんな妖さんなんですか?」
「美兎、小豆とぎとかって聞いたことない??」
「小豆……とぎ?」
「小豆洗おか〜、人取って喰おか〜? ですな?」
「え、後半の唄? 物騒ですけど」
「実際には喰いはせんのじゃ。ただの手慰みの唄じゃて」
「川のほとりで、小豆を洗う音に吸い寄せられて……で大昔の人間達は死んだって噂もあるけど」
「興味本位でしたからの」
ほんの、少しだけ。美兎は怖い印象を持ってしまったが、保鳥は苦笑いするだけ。
きっと、これまでにも人間達と関わりがなかったかもしれない。なら、出会ったばかりの美兎が恐れるわけにもいかない。
「えと。わざわざ九州から単身で名古屋に?」
「そうじゃ。大将殿は時期になると、儂ら小豆洗いにも小豆を注文するんじゃよ。なにせ、太宰府にまあまあ近い儂の地元では小豆の生産も盛んじゃからな?」
「あっちの界隈だと、農業とかが盛んらしいわ」
「へー? 小豆……だざいふ? なんか聞いたことがあるような??」
「太宰府天満宮のことよ、美兎? 分社は錦二丁目にもあるわ。桜天神社って言うけど」
「あ、受験の時に親戚からお守りもらったわ! けど……錦にもあるの??」
「おお!! それは知らなんだ。真穂様、儂そちらにご挨拶に行きたいのですが」
「後でね、あと。人間が御霊になったんだからって……あいつとはあんまり会いたくない」
「おや、つれないね?」
「そりゃ……って!?」
割り込んできた男性の声に美兎も振り返ったら。
まるで、映画などの平安貴族が飛び出してきたかのような、美しい髭を蓄えた着物の男性が立っていた。
今の話の流れで、もしやと美兎もさすがに勘付いたが。
「お、おお!!」
「なんでいんのよ、道真!?」
「ふふ。面白いヒトの子と小豆洗いの様子も見に」
「絶対ぜーったい、口実でしょ!?」
「ふふ。バレたか」
そして、隣にいる美兎に振り向くと優しく微笑んでくれた。
「あ、あの?」
「はじめまして。今は天神とも言われているが、菅原道真と言うよ。わずかだが、私の気を感じたが。私の社の守りを持っていたのなら、通りだ」
「! え、日本史に出てた!?」
「ふふふ。あと百人一首にも私の歌があったねえ??」
「ご無沙汰しておりますじゃ、菅公」
「ああ。導きもご苦労」
大神もだが、二度目の神様との遭遇。
美兎の頭が許容範囲を超えそうで、思わず呆れ顔の真穂に抱きついたが。この雅な神様も一緒に楽庵に行くことになったのだった。
梅が香る。
まだ年が明けていくらも経っていないのに、不思議なことだ。
とは言えど、妖の界隈だから不可思議なことが起こっても無理はないが。
ただ、何故室内にいる火坑の鼻でも匂うのだろうかと。犬や狼とは違って、猫人の火坑では鼻も常人の人間より少し強い程度。
なので、このむせ返るような芳しい梅の香りには覚えがあるようでなかったのだが。
それからすぐにやってきた来客のお陰で、合点がいった。
「いらっしゃいませ」
「久しいな、火坑?」
「こ、こんばんはー」
「お邪魔ー」
「大将殿、お久しゅう」
団体客だが、恋人の美兎以外は人間ではない。彼女の守護についている座敷童子の真穂もだが、小豆を注文していた小豆洗いの保鳥に続き。
はるか平安の世に無念の死から、大怨霊を経て学問の神となった御霊。菅公とも呼ばれていた菅原道真。
火坑とも、縁の深い神となればこの梅の香りも納得がいく。
「……道真様、お久しぶりにございます」
「ふふ。私よりもはるかに得を持ったのに、相変わらずだねえ?」
「当然ですよ?」
「それに。猫とヒトのあいの子になったお陰か、良い縁も出来たようだが」
「……はい」
「? 珍しいんですね、火坑さんが様付けされるだなんて」
「おや、話していないのかい?」
「ふふ。特別聞かれなかったもので」
とりあえず、入り口は寒いからと席に着いてもらい。道真を真ん中に左が保鳥で右が美兎達になった。
道真にはあまり意味がないだろうが、熱いおしぼりを渡す前に持っていた扇を優雅に閉じた。
途端に、道真の姿が揺らいで平安の貴族装束から、どこぞの社長かと思わせるようなスーツ姿と適度な口髭に変わってしまった。
当然、術を見慣れていない美兎は可愛らしい目をまん丸にさせたのだ。
「え、え!? 道真様!?」
「ふふ。あの装束のままではいささか食べにくいからね?? どうだい、お嬢さん? 似合うかね?」
「は、はい!!」
「さて。私と火坑の関係だが……この猫人が昔に地獄の補佐官となっていた、さらに昔。私がまだ人間で朝廷に宮仕えしていた頃さ。まだ火坑とも名乗っていなかった、ただの猫だったのを飼ってたんだよ」
「え、えーと??」
「僕には補佐官になる以前の前世もあるのです。その時は、ただの飼い猫だったんですよ」
「……火坑さん、記憶力良すぎませんか??」
「おっもしろーい! 美兎、それで片付けちゃうんだ??」
「いや、だって」
慌てる様子が本当に可愛らしい。欲目を差し引いても可愛らしい。いや、そこは火坑のビジョンに合わせ過ぎかもしれないが。
しかし、本当に久しぶりの会合となった。火坑が今の猫人となって店を構えてからも、片手で数えられる回数しか訪れていないのに。
けれど、元飼い主とは言え、今の火坑がすることは贔屓ではない。
「本日はいかがなさいましょうか??」
「そうだね? 熱燗……といきたいが、あの機械はなんだい?」
「ああ、生ビールですか?」
「真穂それにする!!」
「儂も是非」
「私は、梅酒のお湯割りで!」
「かしこまりました」
生ビールに最適な、しかも寒い寒い睦月の始まりの始まり。
美兎は仕事始めで大変だろうし、小豆洗いの保鳥もわざわざ九州から来てくれた。
であれば、仕入れた小豆でここはひと工夫と行きたいところだが。
「大将殿、お願いいただいた小豆ですじゃ」
「ありがとうございます。では、本来なら去年の暮れの食べ物ですが。炊飯器でかぼちゃと小豆のいとこ煮を作りましょう」
「ほう? 甘い煮物か?」
「ふふ。少し塩気も入れますとも」
「そうかい?」
「あ、火坑さん! 今日も心の欠片お願いします!」
「そうですね? お願いします」
ぽんぽん、と差し出された両手を軽く叩けば。
美兎の手から出てきたのは、今日は気分的にと餅を選択したのだった。
またひとつ、恋人の古い話が聞けた。
嬉しいことなのに、美兎には少し悲しさを覚えたのだ。自分は人間だから、彼らとはどうしても壁が出来てしまう。
いずれ同じ道を歩くとは決まってはいても。埋められない差はどうしたってある。それが、ほんの少し哀しい。
だから、今は気づかないフリをするしかないのだ。
しかし、まさか教科書なんかに載るくらいの、歴史人物が元飼い主だとは誰が予想出来ようか。
「……ふむ。びーるは供物にもあったりするが、それよりも泡がきめ細かい気がするね?」
「お粗末様です」
「ここに来るのも随分と久しいが、盛況しているようだね?」
「お陰様で」
その元飼い主が、今では神に。その猫だったのが、地獄の補佐官だった経緯から妖になってこうして店を営むことになったのは。座敷童子の真穂の言葉を借りるのであれば、縁のお陰だろう。
「ん? どうかした??」
そんな真穂は、今日は子供の姿のままで生ビールをぐいぐいと飲んでいるのは、絵面がなんだかシュール見えた。
「あ、ううん。縁って色々あるんだなあって」
「そりゃあね? あんたが火坑と付き合うようになったのだって、縁でしょ??」
「そ、そうだけど。それは……まあ」
「ふむ。風の噂程度に、太宰府までも届いていたが。火坑? お前とこの可愛らしいお嬢さんとはどうやって出会ったんだい??」
「み、道真様!? それはご勘弁を!?」
「ほう?」
「あー、まーね??」
「ふふ。せめて、美兎さんがお帰りになられてからで」
「火坑さん!?」
などと、やり取りしている間に。例の妖術とやらで時短料理したかぼちゃと小豆のいとこ煮をいただくことになった。
「……ほう? 見た目は普通のかぼちゃの煮物に小豆を足したように見えるね??」
「人間の慣わしですと、師走の冬至によく作られるいとこ煮があるんです。今回は時間を短縮させて調理させていただきました」
「美味しそうですじゃ」
「温かいうちにお召し上がりください」
「いっただきまーす!」
「いただきます!」
随分と昔に、美兎はまだ祖母が健在だった頃に食べた記憶がある。甘いものと甘いものが美味しくなるわけがないと、小さい頃は毛嫌いしていたのだが。
味覚も成長した今なら、それが美味しいとわかる。
かぼちゃは時短してても、ほっくりと柔らかくて調味料の味もシンプルに甘味と醤油の塩気。小豆もほろほろ溶けるように口の中でほぐれて、甘いと甘いなのにしょっぱさが中和して。本当にいとこと思えるくらい、甘くて柔らかくて美味しい煮物に仕上がっていた。
ここにさらに、甘い梅酒のお湯割りと合わせたら幸せの循環が訪れた。
「……なるほど。甘い野菜と甘く煮付けることが多い小豆をこうも調和させるとは。……うん、見事。腕を上げたね?」
「お粗末様です」
そして、元飼い主とは言っても神様を納得させるくらいの腕前を持つのだから、美兎個人としては嬉しいと同時に誇らしく思えたのだ。
美兎がいずれ、火坑と婚姻を結ぶこととなれば。この狭いが温かみのある店内に立つ日が来るのだろうか。
手際が悪いわけではないが、美兎は普通の家庭料理がいいとこだ。友人でもある雪女の花菜に、少し教わろうかと思ったが。
それなら、自分に聞いて欲しいと火坑なら言いそうなので、また提案しようかと思っておくことにした。
「では。年初めは過ぎましたが……虎ふぐが手に入りましたし。道真様、鰭酒はいかがでしょう?」
「是非頂戴しよう」
「美兎さん達はいかがですか?」
「真穂も鰭酒ー」
「儂も是非に」
「私もいただきます!」
束の間の宴会は、美兎が少し酔った程度でお開きになり。〆には美兎の出した餅で即席お汁粉を堪能したが。美兎は、女子大生姿になった真穂に自宅まで送ってもらうことになったのだった。