「なんの資料?」
「いま作ってるマシンのやつです」
「そんなことは、言われなくても分かってるよ」
鹿島はUSBメモリーを抜き取った後も、カチカチとマウスを動かしている。
何をしているんだろう。
もしかして、履歴とか、中身が知られないための、完全削除?
「マシンのための、何の資料かっていうことを、聞いてんの」
「部品の購入先と、品番を調べたメモがどこかにあったのにって思って、探してただけです」
そんなことを言われると、ますます中身が知りたくなってくるよね。
俺は笑った。
「へー。そうなんだ」
まだ鹿島が見ている最中のパソコン画面を、パタンと閉じてやろうかと思って、やめた。
「部長の方は、順調に進んでますか?」
ようやく目的を終えた鹿島の目は、今度は作業台に置かれたマシンや設計図、部品の類いをじっと見ている。
いまの俺には、そんなことは、どうだっていい。
「ま、こんなの、間に合わなかったら間に合わなかったで、いいと思ってるからさ」
俺はわざとらしく、ニヤリと微笑んで鹿島を見上げた。
「お前がその分、頑張ってくれるんだろ? 奥川から聞いたよ」
へらへらっと笑ったら、彼は分かりやすく、ムッとした表情になった。
「そんなこと言わないで、部長もちゃんとやって下さい。困ってたら、手伝います」
「困ってねーよ」
俺は条件反射的に、そう答える。
「自分で納得のいく仕上がりにならなかったら、参加しないって意味だよ。焦らずじっくり取り組んで、『最高』と思えるものにならなかったら、大会には出場しない」
鹿島はそんな俺を、じっと見つめた。
「だからまぁ、お前らはせいぜい、ちゃんと参加出来るように、頑張れよ」
「……はい」
彼はそれだけで、頭を下げた。
仲間と共に理科室を出て行く。
なんだよ、もっと反発してくれないと、面白くないよな。
ここに残ったのは、山崎だけだった。
「で、鹿島は、何に困ってるわけ?」
俺はパソコンの前に陣取った、山崎に声をかけた。
「ん? あぁ、何かよく分かんないけど……」
山崎はこのパソコンからアカウント登録した、オンラインゲームのサブ垢で、ログインボーナスを受け取るのに忙しい。
「何か、前に調べた資料で、見たいのが見当たらないって、騒いでたよ」
そのままゲーム画面に移動し、デイリーミッションをこなしている。
久しぶりのログインだったから、やることが多い。
「うわ、なんでこんなレアアイテム、こっちで出るんだよ。本垢に移してー!」
これ以上のことを、突っ込んで山崎に聞くのは、『野暮』ってヤツのような気がする。
ワザと話題を外しているのか、でも俺にあれこれ聞かれたくないのなら、さっさと出て行けばいいのに、それでもここにいてぐだぐだしてるのは、なんでだろう。
「お前、戻んなくていいの?」
「うん、戻るよ」
椅子に腰掛けて、ゲームに夢中な山崎の姿をぼんやりと眺める。
こいつは、なんで今ここにいるんだろう。
俺は一体、何をやってるんだろう。
マシン完成のメドなんて一切立っていないし、本当に自分一人で全てを完成させる自信なんて、どこにもない。
手伝ってもらえるなら手伝ってほしいし、仲間がほしいし、一人じゃ淋しいし、この先だって、何から手をつけていいのかも分からない。
「なぁ、お前、本当に戻らなくていいの?」
「ん? もう行くよ」
彼は、タンタンタンと、小気味よくリターンキーを連打してから、立ち上がった。
「じゃあな」
実にあっさりと、山崎は本当にゲームだけを済ませて帰る。
静かになった理科室の窓からは、紅い夕日が差し込んでいた。
俺は山崎に、奥川と1年のケンカの原因を聞きてみればよかったと、後悔した。
校内の自販機にも色々と種類があって、ペットボトルタイプのものもあれば、紙コップや紙パックタイプのものもある。
校舎や階によっても、それぞれ違っていて、どこで何を売っているのかは、超重要情報だ。
季節ごとに入れ替わる、限定品も外せない。
昼休み、俺は用意していた紙パックのジュースを、奥川に渡した。
こいつの、いつも飲んでいるものは、知ってる。
パイナップルのやつだ。
差し出されたそれを、彼女は素直に受け取った。
「だからさぁ、いつも思うんだけど、どうして私をいちいち呼び出すの?」
俺の後ろをついてくる奥川が、そんなことを言っている。
まぁ、そうだよな。
「部長の仕事にさ、毎月の活動報告を、生徒会に出さないといけないの、知ってるだろ? それを手伝ってもらおうかと思って。お前なら、よく分かってるし」
昼休み、俺は彼女を連れて、人気のない校舎裏のベンチに座る。
こうやってたまに並んで話すのが、俺たちの間で、約束ごとのような、習慣になっていた。
「そういうのって、別にわざわざ会って話す必要なくない?」
俺が腰を下ろしたのに、奥川は立っていた。
ベンチのプラスチック板をぺしぺし叩いて合図したら、彼女はちゃんとそこに座った。
「だからさ、お願い出来るかな」
俺は彼女の顔をのぞき込む。
奥川はムッとした表情で、視線をそらせた。
「なぁ、頼むよ」
自分でも驚くような甘えた声に、俺は内心でふっと笑って、前を向く。
いつものフルーツ・オレを口にした。
申し訳ないとは思ってる。
きっといつまでも、こうして俺がだらだらしているから、彼女もイラついてんだ。
だから俺からちゃんと、言ってやらないと。
「山崎くんに頼めばいいじゃない。副部長なんだからさ。私は入部したての、新入部員だよ?」
いつか、いつかと思いつつ、ずっと引き延ばしてきたその思いを、俺は今、どうしようかと悩んでいた。
彼女の柔らかな唇が開く。
「だから、そういうこと言われても、困る」
そう言って、奥川は黙りこんでしまった。
俺はそんな彼女の横顔をのぞきこむ。
「悪いけど、もう少し、待ってくれないかな」
今、俺の心臓は最高潮にバクバクしていた。
こういうのは、やっぱり男の俺の方から、言わないといけないよな。
「俺だって、はっきりさせようとは思ってるよ。だけど、今はマシンの制作に集中したいから、だから……」
それが終わったら、ちゃんと彼女に言おう。
「は? なにを?」
奥川は立ち上がり、飲み終わったパックを俺の膝に放り投げた。
「私もマシンの制作に集中したい。なんせ部活入ってからの、初めてのまともな活動だからね」
「だ、だから、俺もそうなんだって。お互いに、今は大会に集中しよう」
「そうね。だから、お互いにちょっと、距離を置きましょう。私もこういうワケの分からないことに、もう関わりたくないし」
彼女はくるりと背を向けると、空っぽの紙パックと俺を残して、軽快に走り去ってゆく。
「ねぇ、それ、捨てといて」
いつもとは違う奥川の態度に、俺は正直とまどっていた。
いつもの彼女なら、なんだかんだと文句を言いながらも、最終的には何でもやってくれていた。
それが今日は、拒否する彼女の決意が固い。
何に怒っているのだろうか。
彼女がやっと電子制御部に入ってくれたのを、すぐにありがとうって、言わなかったから?
何かプレゼントとか、お礼でもしておけばよかった?
大体、入部していたこともちゃんと知らせずに、俺に察しろっていう方が、難しくね?
ため息をつく。
奥川との関係が、変わろうとしている。
それを変えるのは、俺自身の決意だと、そう思っていた。
一年とのもめ事の方を、先に聞かなかったのが、悪かったのかな?
ふいに俺は、「それか」と正解に行き着いて、頭を掻いた。
そうだよ。
奥川が一人で理科室に来たときは、そうやって言ってたじゃないか。
彼女はきっと、そっちの話しのつもりだったんだ。
だからきっと、彼女は怒ったんだな。
女の子って、難しい。
その日の俺は、放課後に入ってからも、ずっとイライラしていた。
一人理科室の扉を開け、乱暴に鞄をテーブルに置く。
大体、おかしくないか?
なんで部長が一人で、孤独に大会出場の準備をしていて、他の部員は好き勝手してる?
俺は棚から作りかけのマシンを取り出すと、黒いテーブルの上に置いた。
やたらと磨かれた銀のボディーは、あざ笑うかのように光る。
今からでも、やめられるもんなら、今すぐやめたい。
もう嫌だ。
どうせ出来ないし、完成しない。
鹿島たちには上手いことハッタリかましてあるし、大丈夫。
バレないから、もうやめよう。
校庭から聞こえてくる運動部の力強いかけ声が、憎らしいほど、うらやましい。
どうしてあんなに、気楽にやってられるんだ。
果てしなく腹が立つ。
鹿島たちが勝手に更新している学校SNSでは、1年たちの楽しそうな活動の様子が、スクールネットで繋がった世界に向けて、発信されていた。
ニューロボコンのハッシュタグまでつけて、他の出場校とも、なんとなくメッセージのやりとりまでして、交流が始まっている。
あいつらは一体、何様のつもりなんだ。
マシンの完成までほど遠い状況なのは、こっちも同じだが、部員の顔は写っていなくても、マシンの制作過程と楽しそうな様子だけは、作られたように伝わってくる。
鹿島たちのマシンは、本体部分まで完成していた。
足回りにタイヤとかはついていないから、自走は出来ないのだろう。
メインの回転式のローターは、それに挟まれたピンポン球が、真っ直ぐには飛ばずに、ヘンな軌跡を描いて、あちこちに跳び散らかっている。
用意された公式サイズの的は、制止して動かなかったけれども、まだまだ正確に当てられるようになるまでには、先が長そうだ。
そんな、とてもじゃないが、まだ人様に見せられるような状態でもないマシンの短い動画に、とってつけたような賛美の声と応援メッセージ、ウソかホントか分からないような、いい加減なアドバイスが連なっている。
こいつらは、ネットでつながった同類か。
そう思うと、俺はまた余計にイラついた。
どうしてもそれは、オナニーのように感じる。
自慰的行為だ。
それも公然と。
気持ちわる。
そうやってお互いに狭い世界で、いちゃこらやってればいいさ。
誉めてほしけりゃ、まず相手を誉めろ。
そしたらお返しに、相手も自分を誉めてくれるからな。
いい子でいれば、いい子と思われる。
誰かにいい奴だと思われたければ、誰かを「いい奴」だと、言い続ければいい。
とても簡単だ。
そうしたらこの世の中に、イヤな奴もダメな奴もいなくなって、世界は平和になる。
君たちの望んだ素晴らしい世界だ。
よかったな。
そうやって俺みたいに、その輪から外された人間を、見えないようにキレイにのけ者にして、美しい世界を作ればいい。
お互いに距離をとって、接しないようにすごせれば、この世は安泰だ。
ざまあみろ。
夏だ。
ジリジリと最強の太陽が照りつける。
だけどな、お前がどんなに頑張ったって、エアコンのきいた部屋にいる俺たちには、どうしたって敵わないんだよ。
分かったか。
もうすぐテストが始まる。
それが終わったら夏休みで、夏休みが明けたら、すぐに文化祭が始まる。
そこでこのマシンの、お披露目会をやらないといけないな。
また新しい部員の獲得にも努めないと。
それが部長としての、俺の役目だ。
そうだろ?
10月には、いよいよ予選会が始まる。
残りは約3ヶ月。
それまでには、何とかしないとな。
俺は盛大にため息をつくと、一向に進まない金属の部品を手に取った。
「よ、部長さん、最近どう?」
そのタイミングを見計らったかのように、山崎が入ってくる。
山崎は入ってくるなり、パソコンの前で動画を見始めた。
「どうもこうも、お前には関係ない」
俺はそんな山崎を無視して、作業を始める。
本当はどうしていいのか、全く分かってないのに、分かっているフリをする作業だ。
「何しにきた?」
山崎が来てから、かれこれ1時間近くは過ぎていた。
俺は黙々と、ゲームの爆発音と、実況者の甲高い声を背景に、1ミリも進まない作業を続けている。
「え? なに?」
山崎は、パソコン画面を見ながら、ガハハと笑った。
今日は1年のところに、行かなくていいのか?
「ねぇ、1年の体育館倉庫って、暑い?」
「エアコンつけてもらった」
「あっそ」
ゲーム効果音の、激しい打ち合いの音に続いて、すぐに自分の操作するキャラクターがやられた時の、終了音が聞こえた。
画面の向こうで生配信中のゲーム実況者は、再起をかけて再び戦場へと向かう。
長い長い独り言で自分を励まし、鼓舞する言葉が、延々と垂れ流されている。
彼はたった一人でも、とても楽しそうだ。
「ねぇ、あのローターって、どうやって制御してんの?」
実況者の悲鳴が、音割れするほどの勢いで、スピーカーから響いた。
山崎は腹を抱えて、笑い転げている。
俺はようやく出来上がった骨格に、シリンダーを取り付けた。
これで何とか、体裁だけは整ったかな。
一度だけ動かしてみたピストンは、カシャンと機嫌のよい音をたてた。
「あ、意外と出来てんだ」
山崎はようやく、動画視聴をやめる気になったらしい。
今度はネットから検索した、お気に入りのバンドの曲を流し始めた。
「うるさいよ」
「じゃあ消す?」
ネットから流れる電子の音楽が消えたら、リアルで正しい高校放課後生活BGMに戻った。
山崎は自分の耳に、携帯のイヤホンを差す。
「1年と、なんかあった?」
思い切ってそう聞いたのに、彼の耳には届かなかったらしい。
窓の外を眺めながら、一人たたずむ山崎に、背を向ける。
今度こそ、俺は本当に作業を始めた。
その日の帰り道だった。
山崎はとっくに先に帰っていて、そこにはいなかった。
俺は理科室の片付けを済ませ、まだまだ余韻のように陽の残る階段を降り、校舎の外へ出た。
奥川と鹿島がいた。
奥川は遠目にも、ちょっとおかしいくらいテンションが高くて、鹿島は少し、困ったように歩いていた。
奥川が進路を邪魔するように歩くから、鹿島は歩きにくくてしょうがない。
奥川の肩と鹿島の腕がぶつかった。
それに鹿島が立ち止まったのをいいことに、奥川は完全に立ちふさがる。
鹿島は両手に段ボール箱を抱えていて、どうにもできなかった。
彼女は鹿島に、何かを必死で訴えていた。
それはきっと、言葉にしたくても上手く出来ないセリフで、だけど一番言いたくて言えなくて、気づいてほしいけどはっきりとは言われたくない、そんな類いの言葉だった。
相手の顔色を敏感にうかがっている。
ちょっとでも彼の感情が動けば、彼女はとても傷ついたり喜んだりするのだろう。
そのことに奥川自身は気づいていて、鹿島は多分気づいていないか、気づかないフリをしている。
それが俺には、よく分かる。
それは今、こうやって奥川を見ている自分が、鹿島を見ている奥川そのものだからだ。
俺は大きく息を吸い込んでから、ゆっくりと吐き出す。
いつからこんなにも、遠慮がちになったのだろう。
言いたいことがあるのなら、はっきり言ってしまえばいいのに。
それでどうなるかなんて、結局はやってみないと、分からないじゃないか。
そうやってもう、ずっとずっと自分に言い聞かせながら、一歩を踏み出せずにいる俺は、弱いとか、そんなんじゃない。
負けたくないとか、失敗したくないとか、そんなことでもない。
間違えたりして、空気読めない人間だと、思われたくないからだ。
それ以外に、理由なんてない。
言えないんじゃない、言わないだけだ。
もう一度奥川を見た。
鹿島にウザがられているのが、分かってないのかな?
イタイ女だ。
俺は彼らに、見つかってもよかったし、見つかりたくもなかった。
校舎の外へ、一歩を踏み出す。
俺はそのまま、普通に右足と左足を交互に出し、普通に左右の手を自然に振って、普通に歩いた。
普通に最短距離を通って、普通にあの二人の様子を気にすることもなく、普通に気づいてもいないような感じで、普通に通り過ぎる。
アイツらは俺に、気づいたかな?
気づかなかったかな?
鹿島はどうだか分からないけど、奥川は気づいたような気がする。
後から、慌てて追いかけてきたり、しないかな。
学校の敷地を出る頃には、すっかり夕方になっていた。
真っ赤に焼けただれたような、燃えるような空だ。
後ろを振り返ったって、誰も追いかけてきたりなんかしていないし、この世界で、誰も俺を見ていないことは、分かっていた。
駅までの道を、ゆっくりと歩く。
そうだ。
奥川とは、距離を置こうと約束したばかりなのを、忘れていた。