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 お母さんがいなくなったのは、お父さんの退院の日だった。三ヶ月ほど入院していたお父さんがやっと退院できるというので、私は病院まで迎えに行った。その頃私はまだ小学四年生で、大きな荷物を持ったり、退院の手続きをしたり、タクシーを呼んだりはできなくて、お父さんは全部を自分でやって、私たちは一緒に家に帰った。家の玄関に入ったときから、違和感はあった。いつもなら三和土にずらり並んでいるお母さんの靴が姿を消し、閑散としていたからだ。キッチンのテーブルには便箋が置いてあった。便箋には、見慣れたお母さんの字で『さようなら』と書かれていた。お父さんは便箋をそっと折りたたみ、『大丈夫。舞夕は僕一人で守るから』と私を抱きしめた。

 父一人娘一人の生活は、二年ほど続いた。私立の名門女子校に進学した私は、部活にも委員会にも所属しなかった。学校にいる時間は一秒でも短くしたかった。お買い物に洗濯、掃除、食事の準備。全てを捌いたうえで、私は学年五位以内をキープし続けた。完璧でありたかった。お母さんがいないから、お父さんが仕事で忙しいから、家事に忙殺されているから。そんな理由付けを許す隙なんて見せたくなかった。私とお父さん、二人の選んだ道が間違っているなどと、誰にも言わせたくなかった。

 中学に入って一年が経とうかという頃だった。いつものように週末の外食に出かけたとき、お父さんは『舞夕に会わせたい人がいるんだ』と言った。その日、季帆さんはフォーマルなパンツ・スーツに身を包んでいた。そして緊張した声で『お父さんの会社でお世話になっている、木崎季帆です』と自己紹介した。その瞬間、私は裏切られたと思った。お父さんも思っていたんだ。父一人娘一人ではやっていけないと。私は完璧にやっているのに、お父さんは……。私は、そのときの私にできる限りの拒絶を示す声音で言った。『家のことを他人にやってもらうのは、申し訳ないです』と。『舞夕、そんな……』と慌てるお父さんを押し留め、季帆さんは笑顔を浮かべて言った。『じゃあ、いっしょにやろうか!』と。



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「さっきの子、お行儀よかったね」

 前を行く季帆さんが、振り返らずにそう言った。

「うん。いい子だったね」

「舞夕ちゃんも、あんな感じだったんじゃない?」

「えー。あんな可愛くなかったよ」

 本殿の脇をすり抜け、墓地へ向かう道。その途上で、私と季帆さんは小さく笑い合った。



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 季帆さんが入籍したのは、うちに来るようになってからそろそろ一年が経つかという頃のことだ。

 その頃季帆さんは金曜夜から月曜朝までうちに来て、掃除や洗濯をまとめて片付けるという生活をしてくれていた。最初のうちは私もいっしょにやっていたが、段々私はフェードアウトしてしまっていた。人任せにする楽さを覚えてしまい、私は季帆さんに甘えていた。成績も向上し、その頃私は学年一位の常連になっていた。

 季帆さんは、私の『お姉さん』だった。

 効率のよい家事の仕方を教えてくれた。
 勉強の息抜きにと紅茶を淹れてくれた。
 美味しいお菓子も買ってきてくれた。
 お茶をしながらいっぱいお喋りをしてくれた。

 一緒に服を買いに行ってくれた。
 一緒にスマホを買いに行ってくれた。
 一緒にカフェでケーキを食べてくれた。
 一緒に笑ってくれた。

 だから、日曜の夕食の場でお父さんが『舞夕、話があるんだが』と切り出したとき、先回りして『いいと思う。式は挙げるの?』と訊いてやった。

 そのときから季帆さんは私の『お母さん』になった。

 だから中学生になる前の私を、『お母さん』は知らない。

 結局、二人は式を挙げず、籍だけを入れた。『お父さん、二度目だからな』と言っていたが、多分それだけじゃない。私がいたからだ。

 だから季帆さんは、自分の結婚式すら知らずにいる。



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 塀際の小さなお墓に、お父さんたちは眠っている。墓石に積もった落ち葉を払い、『鶴崎家代々之墓』と刻まれた文字の窪みに積もった埃を拭き取る。そして借りた水桶から柄杓で掬った水を掛ける。お墓の掃除は、どういった心持ちで行うべきなんだろう? いつもそれが分からない。

「舞夕ちゃん、あのお水出してくれる?」

「はい」

 提げてきた鞄から、ペットボトルを取り出す。中身は普通の水道水。ただ、うちでから汲んで持ってきたという意味では、特別な水である。鶴崎家独自の作法というか、風習なのだ。家族には、家の水を飲ませてあげたい。お父さんもお祖母ちゃんも、いつもそう言っていた。もちろん季帆さんもそれを知っている。

 水鉢に、ペットボトルから水を注ぐ。それから二人、並んで手を合わせる。

「……」

「……」

 蝉の声が次第に大きくなっていくような、そんな錯覚。

 掃除のときと同じく、墓前では何を思えばいいのか、いつも迷う。故人を偲ぶって、どうすればいいんだろう?

「……私ね」

 季帆さんが呟いた。

 目を開け、隣を見る。季帆さんはまだ手を合わせたまま、目を閉じていた。

「いつも行洋さんに支えられてた。就職してすぐ親が死んで、一人きりになってた私に寄り添ってくれた。いつも頑張る姿を見せてくれた。だから私も……」

 季帆さんの声は蝉しぐれの向こうからでも、私の耳にしっかり届いた。でも、私は何も応えなかった。その言葉はお父さんに向けられているようだったから。

「……よし! お参りおしまい!」

 と、季帆さんは元気に目を開け、私を見た。

「何か食べて帰ろっか。お肉がいいな!」

 その笑顔には迷いなんてこれっぽちも見当たらなくて。

 掃除とか手を合わせているときとか、故人を偲ぶというのは、そういうことなのかもしれないと、そう思った。



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 帰りは吉祥寺の駅に近い洋食屋でハンバーグを食べた。熱い鉄板からデミグラスソースがばちばち撥ねる音に、季帆さんが「やっぱりこれだよね!」とはしゃぐのを見て、私も思わず笑ってしまった。

 駅ビルでは色々な味のワッフルを買ったし、紅茶の茶葉も買った。「お腹いっぱいだし、明日ね?」と季帆さんは言っていたけれど、結局お風呂の後は夜中のティータイムとなった。

 朝から晩まで、ずっと季帆さんといる一日だった。

 季帆さんには黙っていることがいろいろとある。

 でも、それはこんな日に言うべきことじゃない。

 そう思っているうちに、今日この日は過ぎていった。