頭頂部に視線を感じて顔を上げれば、前の席に反対向きに座った塚田がこっちを見ていた。

「・・・なに。」
「別に?」

そう答えつつ、塚田の視線は俺を捉えたままだ。
もう一度目で訴えかけると彼は少し楽しそうに笑う。

「いや?春原がそんなに余裕ないとはなあって。」
「・・・うるさい。」
「秋山、落ち込んでたぞ。」
「・・・分かってる。」

分かってる、そんなこと。秋山を傷つけていることも、彼女は何も悪くないことも、全部自分の中の勝手な気持ちだと言うことも。
謝るタイミングを逃してしまって、今日こそは謝ろうと思った。しかし帰りのホームルームが終わるタイミングで彼女はすぐに教室を出てってしまい、まだ戻ってきていない。

カバンが置きっぱなしの隣の席を見て、そのまま視線を前の席に向ける。そこにもスクバが置かれたままで、ああ、ダメだ。どうしても気持ちがコントロール出来なくて、思わずため息がこぼれた。

そんな俺を見ながら塚田は困ったような、微笑ましいような、からかうような、なんとも言えない表情を浮かべるから机の下で足を蹴っておいた。
・・・今日はもう帰ろう。

これから自主練をして帰るという塚田と別れ、1人廊下を歩く。人気の少ない歩いていればなんかいい匂いがするなあ、なんて思ったのと同時に聞こえてきたのは悲鳴で。

「きゃああああ!」

女子のものと思われる悲鳴が重なる。
なにがあったのかと少し駆け足で悲鳴が聞こえた方角へ向かう。
どうやらいい匂いも悲鳴も出処は同じく調理室のようだった。

「っ・・・大丈夫!?」

ガラガラ、と勢いよくドアを開ければその中にいたのは見知った顔の人達だった。

半泣きで固まっている春日と、同じく真っ青な顔で固まる雪緒。その傍では秋山が両手を丸めて合わせていてその中に何かが入っているようだ。

そのままテコテコと窓の方まで歩き、彼女は手のひらの中から何かを逃がす。
・・・虫?

「もう帰ってくるんじゃないよ〜」
「結衣先輩っ!はやく!手洗ってください!!」

春日に急かされるまま秋山が石鹸で手を洗って、そのままふっと顔を上げた。

「!?!?春原くん!?」
「そんなに驚く?」

まるで幽霊でも見たかのような顔をする。雪緒たちもそこで俺の存在に気づいたようだ。雪緒もまたひどく驚いた顔をして、そしてなぜか顔を赤らめた。

何か事件じゃなくて良かった、と安心すると同時に視界にラッピングされたお菓子の存在が目に入る。赤いリボン。中に入っているのはケーキだろうか。

俺の視線を辿って、なぜか雪緒がひゃあ、と変な声を出して更に顔を赤らめた。そんな彼の背中を、春日がグイグイと押す。

「あーーもう!ひっそり引き出しの中に入れようと思ってたのにい!」
「それ普通に怖いですから。ほら、早く早く。こうなったら今言っちゃいましょうよ。」

押されるままにおずおずと前に出てきた彼は少し俯いて、意を決したように顔を上げた。

「こ、これ!ハミングバードケーキって言って、アメリカではメジャーなスイーツなの!中に入ってるのはパイナップルとオレンジ。甘いものが苦手って聞いたから、スポンジにもクリームにもお砂糖は入ってないから、だからもしよかったら・・・」

食べて欲しくて。消えかかりそうな声でそう言い切った雪緒はそのまま俯いて後ろに下がろうとする、がそれを春日が許さない。自分で手渡せ、と言わんばかりに雪緒にケーキを握らせた。
彼もまたふう、と息を吐いてからラッピングされたケーキを恐る恐るという様に俺に差し出す。

「・・・ありがとう。」
「あ!!全然!!嫌だったら捨てて・・・」
「捨てるわけない。食べるよ。」
「・・・本当に?」
「うん。ありがとう。」

嬉しい、と俺が言う前に雪緒があああああ、と変な声を上げる。

「もおおお、死ぬかと思った・・・」
「頑張りましたね、えらいえらい。」
「・・・アンタ、意外といい奴ね。」
「意外じゃないでしょ、見た感じいい奴でしょ。」

崩れ落ちる雪緒の頭を春日がポンポン、と叩いていて、そんな彼の声は教室の時よりもワントーン以上高い。それはさっきからだけど。一人称も変わっていて、けれどそれに驚くというよりも彼の王子様スマイル以外の表情を見れたことが何だか新鮮で、やっと雪緒の体温を感じられた気がした。

何気なく調理台の上を見渡せば、赤いリボンのラッピングの横に透明な袋に入っただけの何かが見える。中身は何だろう、と思って近づけば、あああああと声を上げたのは今度は雪緒ではなく秋山だった。

「・・・これは。」
「ちょっと!!見ないで!!!」

焦げて・・・いるのだろうか。中に入っているものは所々黒くて(本当は所々以外が黒い)、そしてスポンジがポロポロと崩れてしまっていた。俺の前に立って、精一杯袋を隠す秋山。その背中を、今度は雪緒が押す。

「えっと・・・これは・・・」
「・・・」
「ハミングバードケーキ、になる予定だったものです。」

そのまま秋山は一度俯いた。その手は不安そうに制服の裾をつまんでいる。

「私、知らないうちに春原くんに嫌な事しちゃってたのかなって。」
「・・・ごめん、それは違くて・・・」
「全然何が原因なのか思いつかなくて、そういう所も駄目だなって思っちゃって。私あんまり賢くないから、人の気持ちとか分からない時あるし。」

だから違うんだよ、その俺の声に重ねて秋山が顔を上げる。

「でも、私やっぱり春原くんと話せないのは悲しい。悪い事しちゃってたならきちんと謝りたいし、ちゃんと仲直り、したいなって。」

そこまで言って、秋山の視線は机の上に戻る。真っ黒のケーキ。それを見つめて、秋山は遠い目をする。

「でも上手くできなくて。私の人生こんなもんですアハハハハ。」
「ゆいゆい、目が空洞になってるわ。」
「こんな時ですら何も上手くできない。ああ一体どうして私は・・・」
「結衣先輩、どーどー。」

宙を見つめて乾いた笑いをする秋山をすり抜けて机の上に手を伸ばす。あ、と彼女が止める前に封を開いて口の中に放り込んだ。

「・・・・・・おい゛じい゛」
「世界一分かりやすい気遣いをありがとう!ほら!ぺってして!!」

慌てふためく彼女を横目にすべてを飲み込む。ごっくん、という音と共に涙目になってしまいそれは隠せず。ごめん秋山。

「ありがとう。嬉しい。」
「そんな、わたしは・・・」
「あと、俺の方こそごめん。ていうか秋山は何も悪くない。何も嫌なことなんてしてない。」
「・・・春原くん。」

もう一度謝った俺の顔を少し不安そうに見上げて、彼女が手を差し出す。

「仲直り、してくれますか。」

迷わずに俺も手を差し出せば、彼女は少し躊躇いながら俺の手を握る。少しの沈黙の後、秋山はふふっと可笑しそうに笑った。

「お手本のような仲直りの仕方だね。」
「だね。」
「小学生に見せてあげたいね。」

いや、小学生の方がちゃんと仲直りできるか、見せるべきは大人かな?なんて真剣な顔で考え始めるから、思わず俺も笑ってしまった。




昨日も今日も。きっと明日も明後日も、雪緒くんは私にちょっかいを出してくる。

「ねえねえ、駅前にできたカフェ行こうよ。」
「いいね!そこのチーズケーキ美味しいって噂だもん!」
「プリンも美味しいみたいだよ。あとSNSフォローすれば割引あるって。」
「さっすが雪緒くん。ぬかりないね」

まあね、と答えた彼は春原くんの方を向く。

「春原くんも行くでしょ?」
「歩くのめんどくさい。」
「えー、冷たいなあ。」

あいかわらずの塩対応。
可愛くほっぺを膨らませた雪緒くんは、いいよ2人で行くから!と私に向き合える。

「秋山さん。」

「デートだね。」

・・・しまった、うっかりときめいた。声、表情、顔の角度、何もかもが完璧だった。くそう、何この敗北感。私の心の声が漏れたのか雪緒くんが勝ち誇ったように笑う、と同時に春原くんが顔を上げて。

「・・・俺も行く。」
「でも歩くの面倒なんでしょ?」
「気のせいだった。」
「甘いものも得意じゃないよね?」
「コーヒーとか飲む。カフェなんだからあるでしょ。」

ふーん、と雪緒くんは意地悪に笑って、そんな彼を春原くんが死んだ魚のような目で睨んでいた。果たしてこれでいいのかな?と思うのだが、どうやら彼は好きな人に意地悪したくなる典型的なタイプのようだ。困った顔を見るのが何より萌えるらしい。この話は雪緒くんから一方的にされた、あんまり聞きたくなかったけど。

そんなこんなで、私の大切な友達がまた1人増えたのだ。
「いいか!夏を制するものが受験を制す!」

この言葉を聞くのは既に何度目だろうか。
気付けば制服は夏服に変わっていて、外ではミンミンとセミが鳴いている。特別講師で来たというこの先生は、某有名塾から来たらしい。

「志望校もそろそろ固めなきゃな!目標が明確な方が絶対に人は頑張れる、そう思わんかね!!」
「・・・ん・・・ええ・・・お、思います・・・。」

汗でびっしょりのワイシャツをまくり上げた特別講師が突然私の方を指さす。なんでいきなり、変な声出ちゃったよ。

そのまま受験までの勉強の計画だったり、センター試験の事だったり、科目の絞り方だったり、案外タメになる事を話してその先生は帰って行った。続けて放課後のHRが始まって、花ちゃんの気の抜けた号令と共に解散になる。

「進路かあ・・・」
「結依志望校決まってるんだっけ?」
「ううん。進学はしたいなあと思ってるんだけど。」

そっか、とさっちゃんが頷く。
先週、さっちゃんは陸上のインターハイに出場して部活を引退した。さすがにインターハイへ応援に行くことは出来なかったのだが予選会での走りは見に行くことが出来て、やっぱりさっちゃんは誰よりもかっこよかった。
サッカー部は県大会で負けてしまったと塚田くんが笑って話していたけれど、その顔には少しまだ悔しさがあった。けど今はもう勉強に切り替えたようでその表情はいつにもまして爽やかだ。

「よし、ジャン負けアイスな」
「乗った。」
「「「最初はグー、ジャンケンポイ!!!」」」

言い出しっぺが負けるの法則、やはりある。
悔しそうに呻きながら塚田くんがお財布を取りに自分の席へと戻る。2人が部活を引退してから、こうやって放課後の教室で話すことも増えて。
楽しいなあ。けどなんか、寂しくもある。

「さっちゃんは?やっぱり推薦?」
「かなあ。折角声かけてもらったし、まだ陸上、続けたいし。」
「すごいなあ本当に。塚田くんは?」
「俺は教育系の大学に行きたいと思ってる。教員になりたくて。」
「へええ、似合いそう。」

塚田くんが買ってきてくれたアイスを食べながら、皆の進路を聞いてみる。
なんだなんだ、みんな思ったよりも全然ちゃんと決まっているじゃないか。祈るような気持ちで横を見れば、春原くんは大きな欠伸をしながら答える。

「俺は医大に行きたいかなあ。」
「!?!?裏切者!!」
「え?どの辺が?」

いつかの裏切り再発だ。春原くんまでちゃんと方向を決めてるなんてずるい。こんなのひどい(ひどくない)。

・・・皆ちゃんと考えてるんだな。それに比べて私はまだ就きたい職業はもちろん、どんな分野の勉強をしたいかもイメージ出来ていない。自分がやりたい事も分かっていなくて、少し、焦る。

そして何より寂しいのだ。来年になれば受験をしなければいけない、卒業をしなければいけない、皆と離れなければいけない、当たり前の事なのにすごく寂しくて、一生この時間が続けばいいのに!なんて、ちょっと本気で思った。



朝からセミの大合唱が聞こえる。
気持ちいいくらいに晴れた休日の朝、私はあくびをしながら学校へ向かっていた。
塚田くんからサッカー部の引退試合があるからぜひ、と誘われたのは数日前。生徒も保護者も含め観覧自由で引退試合を行うのがサッカー部の伝統らしく、そういえば去年も女の子たちが騒いでいた気がするなあ。

サッカーをしている塚田くんを最後に是非拝もうとさっちゃんと春原くんとグラウンドの近くで待ち合わせだ。既に部員たちはアップを始めていて、保護者とみられる人々もちらほら。ビデオカメラをセットしたり、ビニールシートを腰かけたり。小さい子達もいてお兄ちゃんの試合を見に来たのかなあなんてなんだかほっこりしてしまった。

そんなことを考えながら歩いていれば、前から前が見えないほどの荷物を抱えた男の子が歩いてくるのが見えた。フラフラと歩く男の子は、小さな段差に躓いてそのまま持っていたカゴを一つ落とす。あらら。

「大丈夫ですか?」
「わっ!すいません!!」

カゴから転がったボールを拾えば、1年生だろうか。ユニフォームに身を包んだ彼は私と変わらないくらいの身長で、ペコペコ頭を下げながら一生懸命ボールをかき集める。
そのまままたカゴを荷物の上に重ねて、そして私にありがとうございました!と礼をする、からその勢いでまたカゴからボールがこぼれおちる。アホの子か。人の事言えないけど。

「すすす!すいません!」
「いえいえ。私、お手伝いしますよ。」
「そんな!申し訳ないです!」
「大丈夫です。どこまで運べばいいですか?」

全ての言葉にビックリマークがつく話し方をするたけのこボーイ(髪型)は、申し訳なさそうにしながらも私にカゴを渡す。ありがとうございます!と何度も繰り返す彼はやはり1年生のようで。

「今日で3年の先輩は最後なので!気持ちよくプレーできるように俺たちが頑張らないと!」
「大変だねえ・・・。」
「そんなことないっす!毎日楽しいっす!」

キラリ、と効果音が付きそうな笑顔で笑う。
そのままたけのこボーイと談笑しながらしばらく歩いていれば、おい!と少し遠くから声がして、思わず肩をすくめる。

「1年!テントの準備やっといて!」
「はい!!今行きます!!」

グラウンドのフェンスの内側からかけられた声に、たけのこボーイが焦ったように返事をする。返事をしたはいいものの部室まではまだ距離があって、彼は荷物を見たりグラウンドをみたり軽くパニック状態だ。こんなに分かりやすい事あるか。

「いいよ。私これ持っていくよ。」
「でも・・・」
「早く行かないと怒られちゃうでしょ。大丈夫だから。」

少し困った顔のまま固まって考えた彼は、すいません!と大きく頭を下げる。
このご恩はいつか必ず!となんだか古めのセリフを残してその場を走り去っていった。私も手を置きく振って叫ぶ。頑張れ!たけのこボーイ!

・・・さて。

「どうやって運ぼう。」

引き受けたはいいものの、これは3往復はマストだ。ああもっと筋トレしとけばよかった。まずはボールが入ったカゴを重ねてゆっくりと歩き出す。まずは一往復。既にプルプルし始めている腕に今度はゼッケンが入ったダンボールを抱える。ひいい、と声が出そうになるのを我慢してそのまま一歩踏み出そうとすれば、横から伸びた手が私の手に重なった。

「なんで結依先輩がこれ運んでるんですか。」
「・・・某チョコレートはたけのこ派だから?」
「意味わかんないです。」
「だろうね。私も意味わかんないもん。」

そのまま柳くんはひょいとダンボールを抱えてくれる。あとは俺が運びます、なんて言ってくれたけどこれは私が引き受けた仕事!最後までやらしてくれと懇願したら代わりに柳くんのスポーツバックを持つことになった。役立たずでごめんなさい。

「今日は柳くんも出るの?」
「はい、多分。」
「そっか。サッカーって人数多いし遠いからなあ。ちゃんと見つけられるかな。」
「見つけてくれなきゃだめですよ。」

呆れたように笑った柳くんはあっという間に荷物を運び終えて、そのまま校庭へと走り去っていた。と思ったら途中で振り向いて、『見つけてくれなかったら怒っちゃいますからねー!!』と叫んで私に大きく手を振ってくれる。可愛いなあおい。養うぞ。
ホイッスルの音と共に歓声が飛び交う。保護者の人々の声だったり、制服姿の女の子たちの声だったり。さっちゃんが買ってきてくれたチョコレートを口に入れながら、私も必死に塚田くんの姿を追った。サッカーをちゃんと見る機会なんてなかったからすごく新鮮で、気づけば試合に夢中になってしまっていた。

「いけ!走れ!!」
「きゃー!!頑張ってー!!」

色んな人の声援が飛び交う中颯爽とドリブルしているのはおそらく柳くん。私も思わず手に力が入ってしまう。そのまま相手をかわした柳くんは、体制を崩しながらも足を振り向く。シュート!決まった!!

「きゃー!!!」

黄色い悲鳴が飛び交う中、柳くんがキョロキョロと観客の中で誰かを探しているのが分かる。そのうち柳くんの視線は一点で止まって、満面の笑顔で大きくブイサインを作る。その視線の先にいた女の子は顔を赤らめて、バカ!と小さく呟いた。なんてかわいい。エプロンがよく似合う彼女は、今日は私服姿だ。微笑ましくてじっと見つめてしまえばキッと睨まれてしまった。睨んだ顔も可愛いよ、我らが美和ちゃん。

そのまま試合は進んで、今度はまた違うチームでの対戦となるらしい。惜しくも大会ではレギュラーになる事ができなかった生徒の保護者だろうか。次のメンバー発表を聞いて涙ぐんでる人の姿も見えて、なんだか私も胸が締め付けられる。

「ちょっとトイレ行ってくるね。」
「はーい。迷わないでね。」
「私入学して3年目なんですが。」
「それなのに迷うのが秋山でしょ。」

さっちゃんと春原くんからのダブルパンチ。秋山のHPは減少した。

一番近いであろう体育館裏のトイレを目指して歩いていれば、体育館の日陰でうずくまっている男の子とその背中をさする女の子の姿が見える。どうしたんだろう。
声をかけてみれば、どうやら熱中症っぽくなってしまったみたいだ。よく見ればその男の子はゼッケンをつけていて、さっきまで試合に出ていたのだろうか。
マネージャーであろう女の子は2Lのスポーツドリンクや氷嚢を抱えている。誰かに届ける所なのかな。

「あの、私で良ければこの子保健室まで連れてきますよ。」
「えっ・・でも・・・」
「大丈夫。応援したい人の試合ももう見れたし。」
「すみません・・・!」

何度も頭を下げる女の子に手を振って、しゃがむ男の子に声をかける。すみません・・・と弱弱しく呟く彼の顔を覗き込めば。あ。

「今朝の・・・」
「たけのこボーイ!」

驚いた顔をした彼は、そのたけのこボーイって何なんすか・・・とビックリマークのかけらもない声で呟いた。



「大丈夫?」
「はい、だいぶ楽になりました。ありがとうございます。」

たまたまいた花ちゃんに保健室の鍵を開けてもらって、ベットでしばらく休んでいればたけのこボーイ改め新橋くんの顔色はだいぶ良くなった。良くなったが、今度は新橋くんは違う意味で頭を抱える。

「あああもう!なんで俺ってやつは!!」
「まあまあ。」
「せっかく先輩と試合できるチャンスだったのに・・・!」

どうやら彼は試合後だったわけではなく、この後の試合に出る予定だったらしい。名前を呼ばれゼッケンをもらい、先輩と試合できる事が嬉しくて張り切ってアップをしていれば体調を崩してしまったという。
部員数の多いサッカー部。相当上手くない限り3年生とプレーを出来る機会はそうそうなくて、今日が最後のチャンスだったのに、と彼が呟く。

「俺、ずっとあこがれてる先輩がいて。中学校も一緒だったんすけど、その先輩を追っかけて高校決めたんです。」
「へえ、そうなんだ。」
「誰にでも平等に優しくて、でも怒るところはきっちり怒ってくれて。自分自身に対してはすっごいストイックなんです。練習に手を抜いてるところとか、見たことなくて。」

当時の事を思い出したのか、新橋くんは懐かしむように小さく笑う。

「俺は体も小さいし、頭脳派でもないし、要領も悪くて先輩にも先生にも怒られて。同級生にだって馬鹿にされて。何回も本気でやめようと思ったことがあるんです。でもそのたび、声をかけてくれて。」

『俺は好きだよ、お前のプレー。』
かけてくれるその言葉が嬉しくて、彼はやめる事なくサッカーを続けられたそうだ。

「まあでも俺ずっと下っ端だったんで。先輩はそんなこと覚えてないと思うんすけどね。」

ヘヘッ、と誤魔化すように笑った新橋くん。その笑顔が少し寂しそうで、そんなことない、と声を上げようとしたと同時に保健室のドアが開く。入ってきたその人は、驚いたように私の名前を呼ぶ。

「秋山だったのか。助けてくれたの。」
「塚田くん。お疲れさま。」

タオルを首からかけた塚田くんの額には汗が浮かんでいて、試合直後なのだろう。『部員の妹さんだと思います』ってマネージャーが言ってたから秋山だなんて思わなかったよ、なんて塚田くんが爽やかに笑う。ツッコミたいけどツッコミません。多分傷つくだけなんで。

「悪かったな、うちの部員が迷惑かけて。」
「全然迷惑なんてかけられてないよ。」
「ありがとう。新橋、大丈夫か。」

問われたはずの新橋くんの返事が無くて振り向けば、そこにいた彼は真っ赤な顔をして口をパクパクと開けていた。そのまま彼は勢いよく立ち上がる。大丈夫か病み上がり。

「あああああの!お、おれ!!」
「うん?」
「塚田先輩に、ずっと憧れてて・・・!」

彼が拳を強く握りしめているのが分かる。

「先輩みたいになりたくて、サッカー続けてきました!覚えてないと思うんですけど、辞めたいって弱音はいてる俺に先輩がいつも声かけてくれて・・・。今日も先輩とプレーできるの楽しみにしてたのに、」
「覚えてない訳ないだろ。」
「!?本当ですか!?」

塚田くんが呆れたように笑って頷く。そのまま昔を懐かしむように笑って、その顔はさっきの憧れを語る新橋くんの表情とよく似ていた。

「ひたすらボールしか追わないからもっと周り見ろって怒られて、すぐ熱くなるから審判に目え付けられやすくて、試合中に転んで怪我したって絶対交代しないって監督にメンチきってたのは伝説だろ。」
「うっ・・・それは・・・」
「でも俺は、そういう新橋のプレーがすげえ好きだったよ。」

塚田くんの言葉に新橋くんが驚いたように顔を上げる。塚田くんは一歩近寄って、ポンポン、と彼の背中を叩いた。

「別に今日卒業する訳じゃないんだから。また練習にも顔出すしさ。そん時また一緒にサッカーしようぜ。」
「塚田先輩・・・」
「新橋がこれからどんな選手になるか、楽しみだな。」

ニコッと効果音が付きそうな笑顔で塚田くんが笑う。唇を噛んで俯いていた新橋くんは、ついに俯いてしまって。

「俺っ・・・絶対もっと上手くなります・・・っ・・・!絶対塚田先輩みたいな先輩になります・・・!」
「おいおい、泣くなよ。」

困ったように笑った塚田くんだけど、その顔には嬉しさが見えた。なんだか私も胸がいっぱいになってしまって静かに保健室を出る。いいなあ。何かを頑張ってる人は、やっぱりすごくかっこいい。
保健室を出た足で、そのまま少しグラウンドの周りを散歩してみる。少し暑さが和らいで、すり抜けていく風が心地いい。まだ試合が行われているグラウンドからは歓声が聞こえてきて、青春を一心に吸収しているみたいだ。

大きく深呼吸をして何となく辺りを見回せば、少し離れたところにジャージ姿の女の子が立っているのが見える。首にかけているのはストップウォッチで、マネージャーの子だろうか。さっき話したのとは違う子だ。
そのまま通りすぎようとしたけど、彼女が静かに目元を拭っているのが見えて。

「・・・これ、よかったら。」

ハンカチを差し出せば、彼女は少し驚きながらもペコリと頭を下げてハンカチを受け取る。その目はやっぱり赤くなっていて、大きな瞳からは絶えず涙が溢れていた。

「・・・ずっと、憧れてたんです。」

小さな声で話し出した彼女の視線はグラウンドに向かっている。

「でもやっぱり駄目でした。そんなの言う前から分かってたけど、実際言われるとキツイです。」

自虐的に笑って、でもその目からは更に涙がこぼれる。静かに彼女の背中をさすれば、その顔は徐々に歪んで。

「あーー、もう。本当に好きだったのになあ。」

そう言って泣きながら笑う。その声が、その言葉が切なすぎて私は彼女の背中をさすり続ける事しかできなかった。彼女の事は何にも知らない。何年生かも分からない。彼女の好きな人の事なんてもっと知らない。でも、2人とも幸せになりますように、そう心の底から願った。



「まさか本気で迷うとは思わなかったわ。」
「だから迷ってたわけじゃないんだって。」
「そんな恥ずかしがらなくていいんだよ、秋山ならあり得るから。」
「1ミリも恥ずかしがってないですからね、さっきの私の説明聞いてましたかね春原くん。」
「あんたはおせっかいすぎるのよ。」

そう言ってさっちゃんがため息をつく。返す言葉もございません。
2人がいる場所に戻る頃には引退試合は終盤に差し掛かっていた。最後の一試合。塚田くんが一生懸命走り回って、パスを出す。そのパスを受け取ったのはたけのこみたいに尖った髪型をした男の子で、満面の笑みで走り回っていた。

「・・・いいなあ。」
「ん?」

何か言った?と不思議そうな顔をするさっちゃんに小さく首を振る。

・・・部活が全てだとは思わない。運動部が良いとか文化部が駄目だとか、そんなことを考えたことも一度もない。ただただ、頑張ってる人はとてもかっこいい。何か目標に向かって、憧れに向かって頑張っている人はとてもキラキラしている。そのキラキラを私は今日いくつも目にした。

声を枯らして応援する保護者の姿も、あがる黄色い歓声も、土にまみれたユニフォームも、汗も、照り付ける日差しもキンキンに冷えたスポーツドリンクも選手の涙も、全てが眩しくて、かけがえのない時間だ。

それぞれの憧れを抱きしめて、
きっとこれからも進んでく。
「・・・うええ寂しいよう・・・」
「いや早くない?」

ミーンミンと鳴くセミたちがうるさい。扇風機だけが回っている放課後の蒸し暑い教室の中には私と春原くんだけで、寂しいと騒ぐ私の背中を春原くんが叩いてくれる。

将来の事が何も決まらないまま淡々と進んでいく時間。近づいてくる卒業の2文字。まだ夏休みも始まっていないのに、なぜか私は既に凄く寂しい。なんでだ。

「わたしだけ、全然やりたい事決まってないし。」
「焦らなくてもいいんだって。」
「・・・でも、焦る。」
「大丈夫だよ。」

ふっと笑って、春原くんはもう一度繰り返す。大丈夫だよ、秋山なら。
何の根拠があって、なんて憎まれ口がこぼれたけど、春原くんの大丈夫を心強く感じてしまった事は内緒だ。

「あ、そういえば昨日カラオケ行ってたの?」
「そう、どうしても雪が行きたいって。上手かったよ。」

私の思考を先読みして、春原くんがそう付け加える。
えーー、めちゃくちゃ音痴とかだったら良かったのになあ。あの人さすがにハイスペック過ぎませんか?神様バランス間違えてますよ。

「卒業なんてまだ先だよ。今から悲しんでたら持たないよ。」
「そうだけどさあ・・・」

窓を開けて外を眺めながら、思わずため息がこぼれた。
春原くんも席を立って、隣で窓の外に手広げて伸びをする。

夏休みには夏期講習もあるし、きっと皆勉強で忙しくて遊んでる暇なんてないかもしれない。でも少しだけ、少しだけでいいからみんなで予定を合わせて花火をしよう。スイカを食べて、夏の夜を共有しよう。寒くなってきたら勉強の合間にコンビニにおでんを買いに行こう。不安な気持ちをぶつけあって、クリスマスくらいは少しだけパーティーをしよう。そして来年の春、桜をみんなで一緒に見よう。願わくば、その先も一緒に。

「・・・先の話ばっかしてる秋山に、俺も一つ。」
「ん?」
「卒業式の日。」

少し下から私の顔を覗き込んで、彼は笑う。

「卒業式の後に、話したい事がある。」
「今じゃ駄目なの?」
「駄目なの。」

ねえ、

「なんでだと思う?」
「なんでっ・・・て・・・」

私が答えを探していれば、春原くんは一度私から目をそらして窓の外を見る。しばしの沈黙の後、私の名前を呼んで。

「秋山ってさ。」
「うん。」
「本当に馬鹿だけど。」
「なんで急に悪口?」

でも、と彼が私の方に向き直る。少し眉毛を挙げた彼の口元には笑みが浮かんでいて。

「誤魔化してる時も、あるよね。」
「え・・・と・・・」
「卒業式の日は。」

私の顔に春原くんの手が伸びる。

「誤魔化させないつもりだから。覚悟しといてね、結依ちゃん。」

そう言って意地悪に笑った彼は、そのまま片手で私の口をつまんだ。ヘンナカオ、と笑って彼はそのままカバンを持って教室を出て行く。最後にまた明日、と振り返った彼はいつものような眠そうな顔に戻っていて。




「・・・なんだそれ。」

ひとり残された教室で、さっきの彼の言葉を思い出す。
顔が熱を持っているのが分かって、窓の外に顔を出して風に当たった。

卒業の事を考えると悲しくなってしまうし、将来やりたい事はまだ見つかっていない。でも夏はまだこれからだし、私の周りには大切で頼もしい友人たちがいて、これから先、忘れたくない事も忘れたい事も同じように増え続けていく。でもそれでいい、それがいい。
振り返って教室の中を見渡す。これから先、どうなっていくかなんて誰にも分からない。分からないけど。

最後に、隣の席で目がとまった。

「・・・よし。」

大きく伸びをして、深呼吸をした。窓の外をもう一度振り返って、雲一つない青空に向かって自分の気持ちを心の中でもう一度繰り返してみる。

これから先、どうなっていくかなんてわからないけど。


来年も、再来年も。
ゆるりと春風が吹く季節に、隣に彼がいればいいと思うのだ。

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