「じゃあね実行委員、また明日。」
「実行委員、日誌書くの頑張って。」
「おお体育祭実行委員。気をつけて帰れよ~。」

「とりあえず一回ずつデコピンでもいいですか?」

放課後、日直のため日誌を書いている私の背中に声がかかる。
ちなみにさっちゃん、塚田くん、花ちゃんの順。
煽りすぎじゃない皆、私泣くよ?

次々と教室から人が減っていく中、
日誌を書き終えた私は、集めた提出ノートと共に日誌を運んで。

カバンを取りに教室に戻ろうと廊下を歩いていれば、
先ほどまで騒がしかった校内は静かになっていた。
・・騒がしかった教室が静かになったこの時間、
なんとなく好きだなあ。

なんて思って教室に足を踏み入れようとすれば
視界に誰かの制服が映る。

あれ?誰かいる?

誰か忘れ物でもしたのかな、なんて特に深く考えずにドアを開く。
その音に、中にいた誰かはとても驚いて。

「・・っ!」
「えっ!!」

あまりの驚きように私も驚いてしまった。
いや、驚いた理由はそれだけじゃなくて。

「・・須藤先輩?」

そこにいたのは同じクラスの生徒でも同じ学年の生徒でもなくて。
この学校の生徒会長、須藤先輩。
・・よかったやっと名前を覚えられた、じゃなくて。

「・・そこ、さっちゃんの机・・」

会長がいたのはさっちゃんの机の前。
そしてその手には、
よく分からない緑の物体が描かれた、シャープペンシル。

「まっ!これは!違くて!!」

私を見て驚いたまま固まっていた会長だが、
私の言葉に焦ったようにそう言った直後、教室の前のドアから走り出す。

「えっ!ちょっと!え!!」

まって、情報量多すぎて秋山パニック状態です。
それでもとりあえず追いかけなきゃ!と私も教室を飛び出す。
・・・が、当然の事ながら。

「っ・・疲れた・・!」

運動音痴の上運動不足の私。
当然会長に追いつけるわけもなく、
その距離はどんどん開いていく。

どうしよう、どうするのが正解だろう、
と思いつつとりあえずは走り続けていたのだが。

走るのに一生懸命な私、
足元にあった廊下のゴミ箱をよけられず。
あっ、と思った時には時すでに遅し。
・・・こういう時って景色がスローモーションになるよね。

ベチン、と間抜けな音を出して
膝から転んでしまった。

「・・・!!」

転んだ音が聞こえたのだろう、
私より数十メートル先にいた会長がこちらを振り向く。
あ、止まってくれるんだ。

会長は私の方を見て、正面を向いて、そしてもう一度振り返って。

「・・・だ、大丈夫か?」

まさかの戻ってきてくれた。秋山驚き。

「大丈夫です。」
「っ!でも!血が出ている!!」
「あ、ほんとだ。」
「ど、どうする!絆創膏だ!あ、でも今日お昼に転んだ生徒にあげてしまった・・・!」

会長にいわれて自分の膝を見れば、
少しだけ血がにじんでいて。
そんな小さな怪我に私以上にあたふたする会長。

・・・なんか、この人。

「そうだ!保健室からもらってくる!」
「いいですよそんな。このくらい大丈夫です。」
「何を言っている!女の子に傷跡が残ったら大変だろう!」

悪い人じゃ、ないんだろうなあ。

「・・会長。」

保健室に行こうとする会長を呼び止める。

「なんで舞ちゃんのシャーペン持ってるんですか?」
「っ!」
「あ、いや!盗んだって思ってるわけじゃないですよ。あ、そりゃ最初は思いましたけど。でも今は。」

「会長は絶対いい人なんだなって思ったので。」

私の言葉に会長は驚いたように目を開いて、
そして、ふう、と息をついた。


「お話の前に、これ。」

会長が口を開こうとする前に、
後ろから聞こえてきたのは、けだるげな声。

声の主は私の前に屈みこんで、
絆創膏を膝に貼ってくれる。

「・・・何もない所で転んだの?」
「違うよ、ゴミ箱のせいだよ。」
「こんな大きいゴミ箱に気づかなかったの?」
「・・・だってゴミ箱が気配消してたから。」
「どういうタイプ言い訳?」
「ていうか春原くん、いつからいたの?」
「秋山が転んだ後くらい。」

間抜けな音したよね、と笑う春原くん。
怒りたいところではあるが、どうやら彼は転んだ私に会長があたふたしてるのを見て保健室に絆創膏をもらいに行ってくれたらしい。感謝。

私の膝に絆創膏を張り終わった春原くんは、
今度は会長に目を向けて。

「白河の後をつけてたのも、会長ですよね。」
「へー・・・、って、え!?!?」

そうなの!?
驚いて会長の方を見れば、
彼はもう一度息を吐きだして、ポツリと話し始めた。



・・・結論から言えば、
会長は舞ちゃんのストーカーではなかった。

ストーカーでは、なかったのだが。

「初めて彼女を見た時、辺りに爽やかな風が吹いたような感じがした。」
「・・・」
「勉学に励む姿は秀麗で、でも校庭で駆けている姿も美しくて。」

そう語る先輩はさっちゃんの姿を思い浮かべているのだろう、とても目を輝かせていて。
・・・どうやら会長は、さっちゃんのファン、らしい。割と熱狂的な。

会長ストーカー疑惑が始まってしまったのは数週間前。さっちゃんが会長の前でシャーペンを落としてしまった事がきっかけだった。

その時会長はまださっちゃんの存在を知らず、ただ普通に落ちたシャーペンを拾い、さっちゃんに声も掛けた。のだが、さっちゃんはその呼びかけに気づかず。

「もう一度声をかければよかったのだが・・あまりの美しさに見とれてしまって。」
「・・はあ、なるほど。」
「その後も!何度も返そうとしたのだが・・・」

女子と話すのが苦手な上、さっちゃんに心を射抜かれてしまった会長は、さっちゃんの美しさに勝てなかった(会長の言い方)らしく。

そんな時、移動教室で全学年が使用する生物室でたまたま見つけた忘れ物のノート。名前を見ればそれはさっちゃんの物だった。

「ノートも、シャーペンと一緒に返そうと思ったんだ。・・・あ、いや、でも少し。」
「少し?」
「使い終わっていたから・・・その、どうせ捨てるなら欲しいなとも、」
「春原くん、この人やっぱりクロかも。」
「僕もそう思った。」
「ちょっとまってくれ!!!」

そんなこと言わなきゃバレないのに、会長は顔を真っ赤にして下を向く。
・・・さてはこの人、ちょっと間抜け?

最後に無くなった下敷きは、忘れ物として最近生徒会室に届けられているらしい。

「さっちゃんの後をつけたのは?」
「断じてつけていた訳ではないのだ!学校では恥ずかしくて話しかけられないから、せめて2人ならと・・・!」
「それでも結局駄目だったんですか?」
「・・・その通り。」
「・・春原くんはなんで会長だってわかったの?」

俯いてしまった会長を横目に春原くんに聞けば、
彼はああ、と頷いて。

「別に会長だって決めつけてた訳じゃないけど。でもシンプルに、ネクタイ。」
「ネクタイ?」
「白河が、ネクタイでこの学校の生徒かも知れないって思ったわけでしょ。」
「うん。・・・あ。」
「この時期ちゃんとネクタイ締めてる人なんて絶滅危惧種だよ。」

確かに。初めて購買で会長を見かけた時も、夏場なのにきっちり締めているネクタイに目が行った記憶がある。

「本当のストーカーだったらそもそも制服姿のままで後なんて着けないし、すごく危ない人の可能性は低いんじゃないかなあって思ってた。」
「なるほど。」

同じトーンで話し続ける春原くんを思わずジッと見つめてしまえば、かれは小さく首を傾げる。

「何見てるの。」
「・・いや、春原くんってポンコツに見えてそうじゃないなあって。」
「おでこ貸して。くぼみ作ってあげる。」
「えええなにそれ怖。」

絶妙な言い回しに余計に恐怖を感じました。


「本当にすまなかった。」

翌日、生徒会室に呼ばれた私とさっちゃんと春原くん、ついでに塚田くん(おい)。

「私からも、本当にごめんなさい。」

教室に入れば会長だけでなく、
舞先輩にも頭を下げられた。

『優しいよ、すごい。・・優しいんだけどねえ。』

『不器用すぎるところ、あってさ。』

廊下であったとき、そう言っていた舞先輩を思い出す。先輩が言ってた不器用さとはこういう所だったんだろうな。

「本当に悪い人じゃないんだけど、引いちゃうくらい不器用で。」
「うっ・・」
「中学生の時もクラスの女の子に直接話せないからって手紙送りつけちゃってね。
しかもメッセージじゃないのよ、自作の詩よ。誰得?って感じじゃない?」
「ううっ・・・」
「しかも下駄箱にほぼ毎日。恐怖体験よね。」
「舞先輩、そろそろやめてあげてください。会長死んじゃいます。」

普段の口調で淡々とディスり続ける舞先輩に、
会長のHPはほぼゼロ。・・・舞先輩、結構毒舌極めてるタイプの人?


「怖い思いをさせてしまってすまなかった。
君たちも、巻き込んでしまって本当にすまない。」

もう一度深々と謝った会長に、さっちゃんは笑って。

「そんな全然。気にしてないですよ。」
「いや、でも怖い思いをさせてしまった。」
「いやいや。全部物も返ってきたし、」

ていうか、とさっちゃん。

「私が落としたのを拾ってくれただけじゃないですか。ありがとうございます。」

そう言ってにっこりと笑う。

ズキュンッと心臓が射抜かれる音が聞こえた。
・・・いや、私じゃなくて。

「っ・・・そっそんな・・お、お礼を言われるほどの事では・・・!」

もちろん会長である。
・・この定型文、最近使った気がするなあ。

「あ、でもノートは使い終わりだし要らないかなあ。」
「!!」
「・・・須藤くん?」
「ごめんなさい。」

さっちゃんのその言葉に会長の目が輝いたのが分かったが、舞先輩の鋭い視線に即謝る。息ぴったり。



そんなこんなで今回のさっちゃんストーカー事件は
大きな問題となることなく幕を閉じた。

のだが、秋山結依、ここで恐ろしい事に気づく。

「あの、会長。」

部活があるためと先に生徒会室を後にしたさっちゃんと塚田くん。教室に残っているのは私と春原くんと会長、そして舞さん。

「・・下敷き、落とし物として生徒会室に届いたんですよね?」
「ああ、そうだ。」
「じゃあ誰のか分からない状態で届いたってことですよね?」

当たり前だろう、と会長は不思議そうな顔で頷く。

「じゃあなんで、さっちゃんのって分かったんですか?」

小学生じゃないんだから、下敷きに名前なんて書いてあるはずがない。
さっちゃんがいつもいつも使っている下敷きは黄色と青のストライプが入っていて確かに特徴的だけど、そんなのはいつも見ている私だから覚えたんだと思う。
私の言葉に会長は顔を真っ赤にして。

「ちっ・・違うんだ!その!美しいなと偶然廊下で会う度目で追ってしまって!その時にいつも持っていたから覚えてしまって・・・」
「・・・偶然会う度?」
「・‥。月曜日と水曜日の3限は移動教室で2階の廊下を通ることは承知している。」
「春原くん、やっぱこの人クロ。」
「間違いない。」
「ごめんなさい、私も否定できないわ。」
「ちょっと待ってくれ!!!」

ナチュラルにストーカーである事は
否定できない会長なのであった。
「はい、じゃあ出場種目はこれで決定で。」

森田くんの言葉に合わせて、
黒板に書かれた名前に赤い丸をつける。

体育祭が3週間後に迫った今日。
ホームルームの時間を使って行われたのは出場種目決め。

「さっちゃんやっぱ引っ張りだこだったね。」

1人2種目までの出場と決まっている体育祭。
総合優勝を目指すには出場種目の振り分けも重要ポイントで。

我がクラスは陸上部エースのさっちゃん、野球部の森田くん、サッカー部塚田くんら運動部メンバーをどう振り分けるかがポイントとなっていた。

「よっしゃお前ら優勝目指そうぜ!優勝したら・・・」
「「お?お?」」
「全員のファミレスのドリンクバー代出してやる!!」

はい、花ちゃんはやっぱりケチでした。
その言葉にクラスメイトからブーイングが起きて、
今度は「やっきにく!!」という声が飛び出す。

花ちゃんのおごりで焼き肉かあ。
上手い飯が食えそうだぜ。

「皆の期待にそえるかはわからないけどねえ。」
「またまた~」

こうやってさっちゃんは謙遜してみせるけど、
さっちゃんがスポーツで活躍していない所は今まで見た事がなくて。

「少しくらい私に分けてくれたっていいのに。」
「なに身長のこと?あ、ごめん運動神経か。」
「ダブルで抉るのやめてもらっていい???」

ごめんごめん、と1ミリも思ってなさそうな口調で謝ってじゃあまた明日、と部活へ急ぐ。

私も手を振って帰ろうと思ったが、
いけない、今日は体育祭の実行委員会があるんだった。

はあ、とため息が出そうになるのをこらえる。

実行委員に決まったあの地獄の日から今日まで。既にやる事はたくさんある。
これからは当日の為の準備も増えるのだ、また忙しくなるなあ。嫌だなあ。
ああなんかあの日の花ちゃんの顔思い出してムカついてきた。今度イスに両面テープでも貼っとこう。

「悪い秋山。俺今日委員会行けそうになくて…。」
「いいよ全然。部活頑張ってね。」
「ほんとごめんな。さんきゅー!」

森田くんは申し訳なさそうに両手を合わせて、
焦った様子で教室を出ていく。

同じ実行委員である森田くんが所属する野球部は、先生が厳しいことで有名で。
そのためなかなか委員会にも出れないことが多い。

部活もあり、そして体育祭で活躍を期待される選手の1人でもある。
…忙しいんだろうなあ、大変だ。

はい。対照的にわたくし体育祭での期待値ゼロの秋山結衣です。
こういう所の為の人員です。

ガラガラガラ、と委員会の会場である教室のドアを開ければ、
そこには既に数人の委員がいて。

1番端っこの窓際の席に座って、
涼しい風を受けながら全員が揃うのを待った。
体育祭までの数週間は、体育の時間・ホームルームの時間を体育祭の練習の為に
充てることが出来る。
先生によっては科目の時間を練習のために使わせてくれる先生もいて。

現在2時間目。
ゆるさで有名数学のおじいちゃん先生が時間を使わせてくれた。

キュッキュ、と靴と体育館が擦れる音と共に走るクラスメイト。
バスケットボールが宙に放たれて、見事ゴールに入る。
すごいなあみんな。同じ人間なのかなあ。

私は当然バスケットには出場しないため端っこに座りながら試合を眺めていれば、
不意に横に立った気配がして。

「あれ、バスケットは出ないの?」
「絶対分かって聞いてるよね。」
「当日は何に出るの?」
「何に出ると思う?」
「…玉入れとか。デカパンリレー。」
「あれ?なに私のこと小学生だと思ってる???」

ふあ、と欠伸をしてそのまま横に腰かけた春原くんは練習をしてきたのだろう、
珍しく半ズボンになっていて。

「春原くんはバスケ出ないの?あんなに上手なのに。」
「出ないよ。」

いつかの体育の事を思い出してそういえば、
春原くんは少し顔を顰める。

「塚田が出ろってうるさくて。打倒2組に燃えてるらしい。」
「ああ、塚田くんガチだもんね。」

春原が出れば絶対勝てる!教室でもそうやってバスケ部員と共に勧誘していた様子を思い出した。
結局春原くんの粘り勝ちらしい。

「バスケって疲れそうだもんね。」
「歩くだけでつかれるのにね。」
「ああ、めっちゃ分かる。」
「秋山は、こういうイベントとか嫌いじゃないの。」
「うーん。」

運動は確かに嫌いだけど。
体育祭自体は、別になあ。

シュートを決めて嬉しそうにハイタッチをする運動部員達、
隅にいながらも試合を見つめてなにやら楽しそうに話しているクラスメイト、
当日の服装とお化粧について語り合う女子たち。

「嫌いじゃないかなあ。
…このクラスの事。好きだし。」

運動が出来なくて迷惑を掛けてしまっても、優しいクラスメイト達は笑って許してくれるのだ。ありがちなギスギスした雰囲気がこのクラスには無くて。

むしろイベント自体は好きかもしれない。
いつもとは違う雰囲気に、少しドキドキする。

「そっか。」
「まあ何も貢献できないんだけどね。運動は苦手だし。」
「確かに。」
「1回くらいフォローしてみよっか??」

でも少しくらい役に立ちたいなあ。
なんて私の呟きを春原くんは黙って受け取る。

春原、なんて彼の名前を呼ぶ声がして顔をあげればそこにいたのは塚田くん。

「次、別の種目の練習だって。」
「えー」
「えーじゃない、ほら、起立。」

渋々立ち上がった春原くんを、塚田くんが引っ張っていく。
…あれ、なんか。

「春原くん。」
「何?」
「足、痛い?」

少しだけ、本当に少しだけだけど。
心無しか右足を引きずっているような気がした。

春原くんが少し驚いたのが分かる。
しかしすぐにまたいつもの無表情に戻って、ひらひらと手を振って。

「大丈夫。」
「…そっか。」

否定も肯定もしない大丈夫という言葉。
まあでも本人がそういうのなら大丈夫なのだろう。

塚田くんに連れてかれる春原くんを見送って、
バスケの試合をしばらく観戦した。
「手が空いてる人こっち手伝って!」

先生の指示で会場の設営が進行していく。
体育祭までは、あと3日。
準備も本格的になって来ていて。

「天気はどうなるのかなあ。」
「予報では良さそうでしたよ。」
「そうなんだな。私の日頃の行いかね。」
「そうだといいですね。」

一緒に机を運びながら優しいのか冷たいのか分からない相槌を返してくれるのは、
同じ体育祭委員の柳くん。

身長は春原くんと変わらないくらいで、特徴を一言で表すなら純粋。ピュアさとフレッシュさに時々目が潰れそうになる。
一個下の1年生で、委員会をきっかけに仲良くなった子だ。

「柳くんは何に出るの?」
「バレーとバスケです。」
「お。やっぱスポーツできそうだもんねえ。」

バスケに出場する人はクラスの運動できるランキング上位の方たちのはず、
というのが秋山説である。なんの根拠もないけど。でもきっとそう(確信)。

「あとやることは・・・対戦表のコピーか。」
「あ、先輩。俺やりますよ。」
「ほんとに。ありがとう〜」

柳くんにプリントを渡せばコホン、と一つ咳が出て、
そこから少し咳が続く。

「大丈夫ですか?風邪?」
「大丈夫。すこしだけ喉が痛くて。」

心配そうに顔を覗き込む柳くん。

「のど飴ありますよ。」
「ありがとう。でも大丈夫。」
「いつでも言ってくださいね。」

何この子神なの?どこから舞い降りてきたの??

もう一度咳が出そうになって、のどを潤そうと水筒を口に含んだ。
ここ数日、熱は出ないものの少し体調が悪い日々が続いていて。

しかし体育祭は目前。
今日からの準備、そして、当日にももちろん仕事がある。
部活が忙しい森田くんに加え私も休んでしまったら、
委員会の人やクラスメイトに迷惑をかけてしまう。
・・・しっかりしないと。

「あ、結依ちゃん。」
「舞先輩。会長!お疲れ様です。」

不意に声をかけられて振り向けば、
そこにいたのは会長コンビ。

今日も美しいですね、なんて言えば、
あらありがとう、と優雅な笑みで返される。
・・・絶対この人お嬢様なんだろうな。

「さっちゃんは多分教室だと思いますよ。」
「えっ・・いやあ別にそんな・・・」

明らかにさっちゃんを探している会長にそう言えば、頬を少し赤らめて。
恥じらいがあるんだか無いのか分からないなこの人。
ピュアをこじらせるとこうなるのか、柳くんには気を付けて欲しいものだ。

「会長と舞先輩はクラスは一緒なんでしたっけ?」
「いや、別だ。」
「そうなんですね。じゃあ敵同士なんですね。」

その言葉に舞先輩はふふっ、と笑う。

「敵・・・にもならないかもねえ。」

なにその恐ろしすぎる台詞。

「・・・それは、どっちの意味でですか?」
「秋山くんのご想像にお任せするよ。」

舞先輩の笑顔が怖い。怖すぎる。
会長と目を合わせてゆっくり頷く。これ以上は聞かない事にした。

「当日、晴れるといいですねえ。」

私の言葉に2人とも頷いて、
じゃあまた、と歩き出す。

「秋山くん。」

歩き出す直前、会長が私の名前を読んで。

「少し、疲れているようだ。あまり無理するなよ。」
「・・・ありがとうございます。会長も、舞先輩も。」

私の言葉に優しく笑って手を挙げる。

・・・疲れている感じ、出てただろうか。

少しの申し訳なさと、けれど気遣ってくれる会長の優しさが染みて、
心がじんわりと温かくなった。





「あれ、春原くん。」

既に生徒が帰宅した放課後。
仕事を終え教室に戻ればそこにいたのは春原くんで。

「どうしたの、こんな時間まで。」
「・・・寝てた。気づいたら誰もいなかった。」
「なるほど。」

どおりで。
彼の表情はいつにもまして眠そうだ。

「秋山は実行委員の仕事?」
「そう・・・っ」

と、返事をすると同時に、
少し激しくむせてしまう。

春原くんは少しだけ眉を下げて、
わたしにペットボトルを差し出した。

「・・・飲む?」
「大丈夫、ありがとう。」

私の顔を覗き込んだ春原くんは、
少しだけ心配そうな顔をしているように見えて。

「体調悪いの?」
「少しだけ。でも全然元気だよ。」
「元気じゃないやつが言う台詞だよそれ。」
「ほんとに大丈夫。ありがとう。」

おもむろにカバンを開けた彼は、
そこから何かを取り出し、私に投げる。

「秋山・・・それはさすがに」
「お黙り」

運動神経の悪い私。
当然キャッチ出来ませんでした、ええ。

明らかにからかおうとした春原くんの言葉を遮断し、
拾い上げたものは、小さなのど飴で。

リンゴ味。
私の好きな味。

「体調。」
「ん?」
「悪化したら絶対休む事。」
「・・・でも皆に迷惑かかかっちゃ」
「いいから。」

はあ、と春原くんはため息をつく。

「無理もしない事。」
「・・・はい。」
「無理したら、小指が飛ぶと思って」
「どこぞのヤクザの方ですか??」

心配されているのかされていないのか。

飄々としたままの春原くんは立ち上がって、
ひらひらを手を振って教室を出て行った。

手に残ったのど飴をじっとみつめる。
何となく舐めてしまうのがもったいなくて、そのままポケットにしまった。
生徒の騒がしい声が聞こえて、
ジャージ姿の生徒たちが道を駆け抜けて。

体育祭当日の今日。
現在は午前10時頃。開催は間もなくだ。

「・・・快、晴。」

対戦表の張り出しを行いつつ空を見上げる。
そこには雲一つない。見事に晴れた。

「・・・ふああ。」

欠伸が出そうになるのを噛み殺す。
いや、待って全然噛み殺せてなかったわ。

気持ちのいい秋晴れと打って変わって、
私の体調は芳しくない。
テントの設営、日程の確認、実行委員の集合は朝早くて。
早起きが苦手な私にとっては大事件だった。そのため非常に眠い。

加えて数日前から続く体調不良も回復しておらず、
のどの痛みと倦怠感との戦いである。なんてことだ。

「あ、結依。朝から大変ね。」
「さっちゃんおはよう。今日は一段と可愛いね、結婚する?」
「寝ぼけてんの?」

さすがの辛辣さ。
選抜リレーに出場するからであろう。ポニーテールにしている髪の毛が揺れて。
凄く似合ってる、可愛い、結婚。

「まだ仕事あるの?」
「うん。」
「そっか。お昼は一緒に食べようね。」
「食べるー!リレー頑張ってね~」

そんな会話をしているうちに生徒の歓声が聞こえてきて、
どうやら最初の試合が始まったようだ。

これでよし、と。
対戦表を張り終え、余った紙を持ったまま実行委員の本部テントに戻れば
そこにいたのは柳くん。

何やら彼は焦っているようで。

「結依先輩。お疲れ様です。」
「お疲れさま。どうかしたの?」
「えっと、実は~~」

怪我や事故防止の対応のため、
それぞれの試合場所には実行委員が1人ずつ待機している事になっている。
その当番の時間は事前に決まっているのだが、どうやらその時間が
試合の時間と被ってしまっているらしい。調整ミスだ。

「何時からなの?」
「11時からです。」
「じゃあ、私当番変わるよ。」
「え、いやでも・・・結依先輩もやること色々・・・」
「大丈夫だって、先輩にお任せなさい。」

心配そうな顔で渋っていた柳くんだが、
すいません、と頭を下げる。

「ふふん。プリンで許そう。」
「高めのやつ買ってきます。」

謝ってからバタバタとテントを出て行く柳くん。
時計に目を向ければ、やばい、私も時間があまりない。

1人になったテントの中でやるべきことを整理する。
同時に咳が込みあげてきてしまって。
しばらく咳と闘う。うう、胸が苦しい。

水分を補給しようと水道へと向かう。

えっと、歩きながら整理整理。
自分の当番の時間を確認して、試合の進行確認、柳くんの当番が11時、
あと救護室に行って器具の確認も・・・

・・・て、あれ。

順調に働いていたはずの頭が、そこで止まる。

急に世界がゆがんで、
体中の力が抜けていく。

これは、やばいやつだ。

そう思っても体は言う事を聞かず、
重力に逆らえないのを感じる。
世界が反転して、揺らいでいく視界の中で、
焦ったような柳くんの顔が映った。
・・・やってしまった。

まず最初に、そう思った。

目を覚ました瞬間映ったのは白い天井。
体にかかっている毛布。

まだ少し痛む頭を持ち上げて時計を見れば、
時刻はもうお昼を過ぎていた。

・・・ああ、ほんとに。やってしまった。
私は何人の人に迷惑をかけてしまったんだろう。

「・・・目、覚めた?」

誰もいないと思っていた保健室。
聞きなれた声がしてカーテンが開いて。
そこにいたのは、少し怖い顔をした、彼。

「・・・微熱だって。倒れたのは寝不足と熱中症もあるんじゃないかって先生が。」

水を差し出しながら、春原くんはそう教えてくれる。

「さっきまで白河もいたんだけど、バスケの試合があるから泣く泣く出て行ったよ。すごく心配してた。あとここまで連れてきてくれた柳くんも。無理させちゃったって気にしてた。委員の仕事の事は気にしないで下さいって。」
「・・・。」
「森田も。秋山に委員の仕事やらせてばっかりだったってすごく反省してたよ。後で謝りに来ると思う。」
「そんな・・・」

さっちゃん。柳くん。心配をかけてしまった。
森田君だって忙しいから仕方ないのに。

迷惑をかけてしまった事、
皆に心配させてしまった事、
色んな事が相まって少し泣きそうになる。

そんな私の変化に気づいたのか、
春原くんは私の頭に優しく手を置いて。

「無理するなって言ったのに無理する。」
「う・・・」
「それが秋山なのかもしれないけど。でも、皆心配してるんだよ。」

ごめんなさい。
小さく呟いた私の声に、春原くんはうん、と答える。

手伝えなかった俺もごめんね、
なんて春原くんも謝って。

やめてよ、更に泣きそうになっちゃうじゃないか。

「・・・私、運動出来ないから。」
「うん。」
「どの種目やっても迷惑かけちゃう。けどみんな笑って許してくれるし、凄く優しくて、」
「うん。」
「私に出来る事したいなって。優勝には貢献できないから、こういう所で力になりたいなって。皆の事、好きだから。」
「・・・ほんとに、秋山は馬鹿。」

そう言いつつ、彼の声色はとても優しい。

春原くんはしばらく、そのまま傍にいてくれた。
静かな空間にまたうとうとし始めた私に気づいて、
春原くんは席を立つ。

「まだ体調良くないでしょ、もう少し寝てな。」
「・・・うん。ありがとう。」
「あ、あと。小指捨てる覚悟は出来てる?」
「それ有効だったのね?そして今言うのね??」

思わずいつも通りのツッコミが出てしまった私に、
春原君は冗談だよ、無表情のまま答えて保健室を出て行った。
・・・いや冗談じゃなかったら恐ろしすぎるんだけど。



「結依!大丈夫!?」

数十分後、
勢いよくドアがあき入ってきたのはさっちゃん。

ゼッケンは付けたままで、額には汗が光っていて。
急いできてくれたんだろうなあ。

「大丈夫だよ、ありがとう。」
「もう!心配したんだからね!ていうか結依が体調悪いのに私気づけなくて・・・」
「そんなことないって。心配かけてごめんね。」

私の顔を心配そうにのぞき込んで、
そして少し泣きそうな顔で微笑む。

「微熱あるって聞いたけど、どんな感じ?」
「少しだるいくらいかな。寝たらだいぶ良くなった。」
「そっか。よかった。」

睡眠不足も大きかったのだろう。
寝たことで朝よりも大分気分は良くて。

「体育祭はどんな感じ?」
「あ!!そう!それ!!」
「びっ・・くりしたあ。」
「ごめんごめん。」

私のその質問に、
さっちゃんは焦ったように声を荒げる。

「今女子バスケは負けちゃって準優勝。あとは男子バスケの決勝で、
これで勝てれば総合優勝かなって感じなんだけど!!」
「え!すごい!!」
「2組相手に互角の勝負してるの!!」

2組はバスケ経験者が多く、確か昨年の優勝組だった気がする。
そんな2組に互角とは・・・すごい。
やっぱりバスケ部員が頑張ってるのかな?それとも塚田くん?

興奮したように話すさっちゃんの口から出た名前は、
予想外で。


「春原が!すごいの!!」




キュッ、と靴と由香がこすれる音とボールが跳ねる音。
皆の歓声。

その中心にいるのは、いつもはけだるげな、彼。

「ほんとだ・・・」
「あんなに嫌がってたのになんかさっき急に出るって言いだしたみたい。
本当に上手だよねえ。」

さっちゃんに少しだけ支えてもらいながら、
体育館のスタンドへと移動した私達。

その点差はわずか4点で、
残り時間はあまりない。

皆の応援にも熱気がこもっていて。

「春原!!」

塚田くんの声がして、春原くんがボールを受け取る。
いつか見た華麗なドリブルで相手を抜かして、
そして、宙にボールを放つ。

シュンッ、という静かな音と共にボールはゴールに吸い込まれて。

わあっと歓声が聞こえる。
仲間とハイタッチを交わす春原君の顔には、汗が浮かんでいて。
すごいなあ、と思うと同時に、気がかりなことが一つ。

「・・・痛そう。」
「何が?」

やはり、春原くんが右足を少しかばっているように見える。
それでも彼は走り続けて、相手とぶつかって。
こんな春原くん、今まで見たことがあっただろうか。

点差は2点。時間はあと・・・数分。


必死の攻防、熱気あふれる応援。
多くの生徒や先生も集まっているこの体育館が、
まるで1つの熱の塊のようで。

「・・・ばれ」

「頑張れみんな!春原くん!!」

私1人の声なんて届くはずないのに、
春原くんが一瞬。こっちを向いた気がした。

同時に鳴ったのは、試合終了の合図。
疲れた~、という声と共に生徒が帰宅していく。

勝った話をしている者、負けた話をしている者。
内容はそれぞれだけど、その顔はみな晴れやかで。

「・・・お疲れさま。」
「ありがとう。」

体育館の裏。
誰もいない静かな石段の淵に腰かける彼は、いつにもまして眠そうで。

「体調は?」
「大分回復したよ。ありがとう。委員の仕事も今日は休んでいいって。」
「そっか。」
「惜しかったね。」

点差は2点。僅差で2組に敗れてしまって、総合結果は準優勝。
悔しそうに話していたクラスの皆だけど、その顔はやはり晴れやかで。
・・・春原くんも、例外ではない。

「あ、でもさっき花ちゃんがね。皆の事ご飯に連れてってくれるって言ってたよ。」
「あのケチで有名な花ちゃんが?」
「そう。焼肉は無理だけどって。皆の雄姿に感動したんだって。」
「なにそれ。」

ふざけてそう言っていた花ちゃんだけど、
どうやら皆が協力し合っている姿に本気で感動したらしい。
よかった。あの人にもちゃんと心があるんだな。

疲れた~。と春原くんは小さく伸びをする。
その右足に持ってきた氷を当てれば、つめたっ、と声を出す。

「足、大丈夫?」
「・・・大丈夫。痛そうに見えた?」
「見えた。」
「そっか。」

実際痛いのだろう。充てている氷を避ける事はせず、
春原くんはそのまま話し続ける。

「怪我。した。」
「怪我?」
「中学生の時ね。右足、靭帯切った。」
「・・そっか。」

それ以上は何も話す気はないのだろう。
だから私も聞かない。
横に腰かけて、涼しい風を受ける。

少し冷たくなってきた風を受けながら、
そういえば、と気になっていた疑問を口にする。

「痛いのに、なんで急にバスケ出たの?」
「なんでって・・・」

春原くんはなぜかため息をつく。
ん?私なんか変な質問した?

「だってあんなに嫌がってたのに。」
「・・・秋山はほんとに・・・」
「はい!もう聞きません!どうせ馬鹿っていうんでしょ!!」

よく分からないけどどうやら私はまた馬鹿にされる事を言ったらしい。
もう聞かない!!私だって傷つくんだぞ!!

自分で自分の耳をふさいでいれば、
春原くんは、ははっと笑った。

あ、珍しい笑顔、見ちゃった。

笑うと目がクシャッとなって、
少し、幼くなる。

私がじっと見てしまった事に気づいたのだろう。
春原君は少しだけ目線を外して。

「このまま負けたら、誰かさんが責任感じちゃうんじゃないかなって。」
「・・・え?」
「ほんと、鈍くて困る。」

不意に立ち上がった春原くんは、
いつも通りの涼しげな顔に戻っていて。


「その子のため以外、無いでしょ。」


氷ありがとう、そう言い残して春原君は歩き出した。
追いかけるタイミングを逃して、残された私。

ふとポケットに何かが入っているのを感じて取り出せば、
出てきたのはいつかののど飴。リンゴ味。
封を開けて口に含む。

「・・・おいしい。」

おいしい。
おいしいけど、なんか。

いつも以上に、甘い気がする。