美久が震えたのを感じたのだろう。快は美久を心配そうに見た。
「寒いか?」
 気遣ってもらえたけれど、だからといって出られるわけではない。美久は笑ってみせた。強がりだったけれど。
「う、うん……大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないだろう。……やっぱり、冷えてるじゃないか」
 そっと手に触れられた。冷えを確かめるためだというのに、どくんと美久の心臓は跳ね上がってしまう。
「女子はスカートだしな……」
 確かに。女子制服はスカートなので、長ズボンの男子制服より寒さを感じやすいだろう。美久は以前は長めだったスカートを、少し前から丈を詰めていた。
 留依に「このくらいなら怒られないよ」と教えてもらったのだ。「適度に短いほうがかわいいからさ」と。そのときは嬉しかったし、実際そっちのほうがかわいかったので満足していたのだけど。
 今ばかりはちょっと後悔した。
「脚も冷えるだろ。……これ、かけとけ」
 唐突に快は身を起こして、ジャケットを脱いだ。美久は驚いてしまう。
 ジャケットを差し出されても、すぐにはわからなかった。でもブランケットのように脚にかけておけ、と言われたのがわかる。
「え、そ、そんな、久保田くんが寒いよ」
 ジャケットなしでは快が寒いに決まっている。
 なのに快は「ほら」と促してくる。
「大丈夫だ。今日は厚いセーター着てきたから」
 それが本当なのかはわからないけれど、確かに快はセーターを着ていた。ベージュのシンプルなセーター。
 促されているのに「いいよ」と二度言うのも悪い。
 美久はおそるおそる、手を出した。快がジャケットを渡してくれる。
 ためらったけれど、美久は自分の脚にそれをかけた。
 ほわっとあたたかさが伝わってくる。それはジャケットをかけたあたたかさではなく。

 残っていた、……快の体温、だ。

 実感してしまって、かっと体が熱くなった。顔も赤くなっただろう。
 体温をこんなふうに感じてしまうなんて思わなかった。
 無性に恥ずかしい。

 でも、……嬉しい。

 じんわり美久の心に染み込んでいった。
 快の体温やジャケットで脚を覆ったことによるあたたかさだけではない。
 自分にジャケットを貸してくれた、快の気持ちが。
 そのあたたかさは美久にまた実感させてしまった。
 このひとのことが好きだなぁ、という。ほんのり想っていた気持ちを。
 とても優しいこのひとのことを。
「ありがとう。……あったかい」
 ちょっとためらったけれど、あったかい、と付け加えた。体温を指しているようで恥ずかしくなったけれど、快はただ、にこっと笑った。
「そりゃ良かった。しっかりかけておけよ」
「うん」
 それからぽつぽつと話した。外はもう薄暗い。腕時計をつけていたので時間はわかる。午後の五時半になろうとしていた。
 下校のチャイムももう鳴るだろう。
 本当に朝まで誰も助けに来てくれないのかな。
 思ったけれど、今は何故かさっきよりは不安ではなかった。
 それはジャケットのあたたかさが伝えてくれたからかもしれない。一人ではないから、と。
 快と一緒なら、本当に一夜誰も助けてくれないことになっても大丈夫だろう。
「ほんとにごめんな、あかりのやつが……」
 ぽつぽつと話すうちに、心底すまなそうな顔で謝ってくれた。まったく快のせいではないというのに。幼馴染みといっていたのだから、快も責任を感じてしまったのだろう。
「ううん、桐生さんも久保田くんのことを心配してるのはわかったから……」
 今、少し落ちついているからかあかりのことを悪く言う気にはならなかった。
 そりゃあ、こんな、ひとを用具室に閉じ込めてくるなんて良くないことだ。突き飛ばされたのもある。助け出されたら先生に言って、叱ってもらうことは当たり前だろう。
 でも、あかりの気持ちもわからないことはないから。
 好きなひとがほかの女の子と仲良くしている。その面白くない気持ちというのは。
 実際、あかりが言っていたのもある。

『でも今の快は誰かと付き合ったりしてる余裕はないの』

 それは確かに、快を思いやっての言葉だろう。
 自分の叶わない片想いと、美久を邪魔にする気持ちを正当化する言葉だったのかもしれない。
 でもまったく根拠がなければ、こんな言葉、出るだろうか。
 だから引っかかっていたのだ。どうして余裕がないというのだろう。
 付き合う、というのは美久の気持ちをちょっと恥ずかしくしてしまったけれど。
 快への気持ちを自覚してしまった今では。
 だって、好きだということは、そのあとは付き合いたい、という思考になって当然だから。
「まぁ、それはあると思うけど……でも度が過ぎるから……」
 快は困ったように言った。快自身も『それはある』と言った。つまり心配される要素があるということだ。
 だけど美久は困ってしまう。快に「どうして余裕がないの?」なんて聞けるものか。
 快にはなにか事情がある。それは前から色々な場面で感じていたけれど、自分が聞いていいことではないとも感じていた。だから今回も美久は聞かなかった。「そうだね」とだけ返事をする。
「それに綾織さんの言う通りだよ」
 ふと顔をあげて快は美久を見た。随分暗くなった用具室の中だけど、これだけ近いのだ、顔ははっきり見えた。
 快の瞳は美久をまっすぐに見つめていた。優しい色の瞳が何故か今はちょっと固いように見える。
「俺がどうするかは俺が決めることだ。いくら幼馴染みだとかいっても、余裕がないとか決めつけられるいわれはない」
 美久は息を飲んだ。快の言葉には、強い決意と気持ちがこもっているのがわかったから。
 そして、自分がどうするかは自分が決める、と言ってのける彼がどんなに強いかということも。
 なにか抱えているものがあっても、それでも自分で切り開いていく、という気持ち。
「だから、したいことはするし……、仲良くなりたいと思ったら諦めるわけないし」
 不意に話題が違うほうへ行った。美久はきょとんとしてしまう。
 仲良くなりたい、というのはいい。実際、自分と親しくなっていって、仲良くしてしてくれてきたのは確かなのだから。
 でも『諦める』というのは。
 その意味が美久にはよくわからなかった。
 美久に伝わっていないのは快もわかっただろう。
 ふっと笑った。固かった瞳が優しい色になる。
 そっと手を伸ばされた。
 膝にかけた、快のジャケット。その上に置いていた美久の手に触れられる。
 きゅっと握られて、美久の心臓がどきりと跳ねた。
 こんな近くで見つめられた上に、手にまで触れられたら。
 快の手はあたたかかった。しっかりと厚くて、固くて、男のひとの手をしている快の手。
 どくどくと心臓がうるさく騒ぐ。息苦しくなってきた。
 こんな空気、美久は知らなかった。
 でも、第三者としては知っている。すなわち、マンガやドラマなんかで見るような状況。
 思い描いた途端、頭の中が煮え立つと思った。顔も真っ赤になったに違いない。
 まさか、なにか、そういう……恋愛的なことが。
 美久の反応は良いように取られたのだろう。もう一度、きゅっと手を握られた。
「俺は、綾織さんともっと仲良くなりたい」
 静かに言われた。どくどくと心臓を高鳴らせながら、美久はそれを聞くしかない。
 見つめた先の快の瞳が閉じられた。すぐに開かれて、まっすぐに見つめられた。

「綾織さんが好きだ。もっと知っていきたい」
 心臓を握り潰されたようだった。ぎゅっと痛くなる。
 まさか快からこんなことを言われようとは。
 この状況で『友達として』なわけはない。恋愛に慣れていなくたってそんなことはわかる。
 でもどう言ったらいいかわからない。
 いや、本当はわかる。
 だって、自分の気持ちはもうわかったのだ。
 「はい」と言ってしまえばいい。「自分も好きだった」と言えばいい。
 なのに、その言葉は美久の口からは出てこなかった。
 さっき、あかりと対峙したときは勇気を出すことができたのに、今はその勇気がどこかへいってしまったかのように。
「わ、わた、し……」
 呆然と言った。でもそこまでしか言えなかった。

 ダメ、こんなことじゃ。
 はっきり言わなきゃ。
 返事をしなきゃ。

 でも快の真剣な瞳を見つめるしかなくなっていた、そのとき。

 ドンドンドン!

 急に大きな音が入り口からした。美久は、びくんとしてしまう。
 それは快も同じだったようだ。びくっとして、入り口を見た。

 ドンドンドン!

 また叩かれた。誰かが来ているのは明らかだった。
 そしてその誰かというのはすぐにわかった。
「美久! そこにいるの!?」
「る、留依、ちゃん……!?」
 聞こえてきたのは留依の声だった。

 どうして、留依ちゃんが、ここへ。

 美久は今度、違う意味で呆然とした。
「美久! いるんだね!? 無事!?」
 外の留依の声が、ちょっとだけほっとしたというような声音になった。
 でも美久の口から言葉は出てこなかった。あまりに急展開過ぎて。
 代わりに留依に応じたのは快だった。
「渚さん! 俺だ、D組の久保田だ。綾織さんと一緒だ」
 声をあげて留依に答える。留依の声がひっくり返った。
「久保田くん!?」
「ああ。大丈夫だ、綾織さんも無事だ。でも早くここから」
 しっかりした声で言った快に、すぐに声が聞こえた。
「う、うん! 今、鍵をもらってくるね!」
 それからすぐ、バタバタと走り去るような音が聞こえて、すぐに聞こえなくなった。
 美久はぼうっとしていた。
 この急展開にちっともついていけなくて。
 その美久を快が覗き込んだ。
「綾織さん、出られるぞ!」
 言われてやっと、はっとした。そうしてから自分が恥ずかしくなる。
 留依が助けに来てくれて、呼びかけてくれたのに、まともに答えることもできなくて。
 でも理由はある。
 快に言われたことに混乱してしまっていたから。そこへこの展開だ。ついていけなくても仕方がない。
 やっと言った。
「よ、……良かった……」
 力が抜けそうになった。違う意味で体が震えてくる。
「良かった」
 しかしすぐにまたどきっとしてしまった。握られたままだった快の手に、もう一度ぎゅっと力がこもったから。
「悪い、こんなときに、ヘンな話をして」
「えっ……」

 まさか、取り消されてしまうのだろうか?
 自分がこんな、まともに返事もできなかったから?

 心臓が冷えた美久だったけれど、それは違ったようだ。
「今度、落ちついてから返事、聞かせてくれたら嬉しい」

 今度?
 落ちついて?
 返事?

 美久はその言葉をひとつずつ噛みしめなくてはいけなかった。
 そしてそれが染み入ったとき、かぁっと顔が熱くなった。
 快は落ちつけずにいた自分を気遣ってくれたのだ。それで今、無理に返事をしなくていいと。この騒動が解決して、落ちついてからでいいと。
 また優しくされてしまった。
 自分に恥じ入るやら情けなく思うやら、でも快から言われた言葉とそれに対する返事は決まっているのだから、顔や胸が熱いやら。
 そんなものを抱えているうちに、外からバタバタと足音がした。今度は複数だった。
「美久! 久保田くん! 鍵持ってきたよ!」
 ガチャガチャと開けられる音がする。
「綾織! 久保田! 無事か!」
 大人の声もした。桜木先生だ。留依と一緒に来てくれたようだ。
 すぐにガチャッと扉が開いた。
 すっかり暗くなった、外。声の通り、留依と桜木先生が立っていた。

 助かった。

 実感して、美久は一度立ち上がったが、ふらふらとへたり込んでしまった。
 もう頭の中がぐちゃぐちゃだったのだ。
「美久!」
 留依が近付いてきてくれたけれど、快のほうが早かった。美久の腕を掴む。
「お、おい、綾織さん! 大丈夫か」
「だ、だいじょう……ぶ……」
 なんとか言った。自分の腕を掴む手。今は優しい、快のもの。それに心底安心した。
 留依が近付いてきて、美久の前に膝をついた。腕を伸ばして抱きしめてくれる。
「心配したよぉー! 全然戻ってこないからどうしたのかと思って……桜木先生も美久が来ないって言ってたから一緒に探して……」
 留依のほうが泣いているようだった。声が震えている。
 心配をかけてしまった。
 それにずっと探してくれていたのだ。それが嬉しくてならない。
「ありがとう……」
「見つかって良かった……用具室の窓が明るいって、渚が言ったんだ。ライト……か?」
 桜木先生も入ってきて、窓を見上げた。そこにはペンライトがあるはずだ。快がセットしてくれたもの。役立ってくれたのだ。
「はい。ペンライトを持っていたので……誰かが見つけてくれたらって……」
「ああ、あれが目印になったみたいだ。なかったらもっと時間がかかってたかもしれない。久保田、よくやったな」
 桜木先生が快の肩を叩いた。
 これでこの騒動はひと段落した。


 美久と快は職員室へ連れて行かれてヒーターの前であたためさせられて、熱い飲み物も振舞われた。ほっと一息つけたものだ。
 美久と快を閉じ込めたあかり達については「明日、話をする」と桜木先生が言ってくれた。
 それで、その日は桜木先生が車で美久達を家まで送ってくれた。
 家でも美久の帰りが遅いと心配していたお母さん。
 桜木先生が「申し訳ございません。私の管理不行き届きです」と、なにも悪くないのに謝ってくれて。
 これで本当にひと段落した。
 快から言われた言葉がじわじわ染み込んで美久の顔を熱くしていくのは、むしろこのあとだったけれど。
 翌日の学校はちょっとした騒ぎになった。
 美久と快が用具室に閉じ込められたことと、その犯人であるあかりと友人数人のことについてだ。
 あかりたちは一週間の停学を言い渡された。そしてその日は家に帰されてしまった。桜木先生が家に行って、コトの次第を保護者に説明するとも言っていた。
 停学の間は学校には来ないだろうが、その間、プライベートやその後にまたなにかされるのでは。
 怖く思った美久であったが、桜木先生が勇気づけてくれた。
「今回のことは先生たちの中でもちょっとした問題になっている。次になにかあれば処分はもっと重くなるだろう。だから大丈夫だと思うぞ」
 それで一応安心しておくことにした。
 それにずるい思考かもしれないが、快が美久と同じ立場であること。
 そしてあかりが快に強い思い入れがあること。
 その両方があれば、美久に直接なにかをしてくるということはあまりないのではないか。
 そう思ったことも手伝って。
 快もわざわざ朝、A組に来てくれた。
 「体調は大丈夫か?」と心配してくれたのだ。
「あそこは随分寒かったから……風邪かなんか引いてないかと思って」
 快がジャケットを貸してくれたからそんなことはなかったというのに、わざわざ様子を見に来てくれたのだ。美久の心がまた熱く騒いでしまう。
「大丈夫だよ。久保田くんも大丈夫?」
「ああ、俺は平気だ」
 それでこの事態は一旦の収束となった。一日中、どこか落ちつかない空気がA組と、多分D組でも漂っていただろうが、それでも一応授業はしっかりあったし、日常へ戻っていくのだと感じさせられた。
 放課後、留依が美久のところへ来てくれた。
「美久、一緒に帰らない?」
 美久はちょっと驚いた。留依は部活があると思ったのだ。
「私はいいけど、留依ちゃん、部活は?」
 聞いたけれど留依は首を振った。
「今日は休むよ。部活のひとたちも昨日の事件は知ってるもの。休んでいいって」
 その言葉で美久は理解した。昨日のことを詳しく聞いてくれるつもりなのだ。
 ……嬉しい、と思ってしまった。
 心配してくれる友達がいるというのは。
 だから美久は「ありがとう」と言って、それを受け入れた。快と約束している水曜日ではなかったことも、快に「どこかで会おう」と言われなかったのも手伝って。
 今は快と二人きりになるのはちょっとためらわれた。
 なにしろ告白なんてされてしまったのだ。
 そして美久からはまだはっきりと返事をしていない。
 その状態で一緒に過ごすのは。
 快もこの事情で声をかけてこなかったのかもしれなかった。すなわち、美久に一人で考える時間が欲しいだろうと。気をつかってくれたのかもしれない。
 留依と帰路について、駅へ向かって電車に乗る。その間ちょっとそわそわしていた。
 色々と話すことはある。
 あかりに呼び出され、閉じ込められてしまった経緯とか、快がそこに何故いたのかとか。
 けれど一番重要なことはやはり。
 
 快に告白されてしまったこと。

 話すに決まっていたのだから。
 留依が選んだのは、留依の部屋だった。外でも良いと美久は言ったのだけど「誰がいるかわからないよ。聞かれると困るかもしれないでしょ」と留依が言ってくれたのだ。そういうところまで気を回してくれるのは留依のすごいところで、優しいところだと美久は思った。
 そんなわけで留依の部屋にお邪魔して、話した。
 起こったこと、全部だ。
「え、呼び出されたの? 桜木先生の呼び出しの場所を、嘘を言って騙して?」
 まずはそこからはじまった。留依はその時点で既に「なんて卑怯なの」と怒ってくれたのだけど、美久がどう対応したのかということを話すと目を丸くした。
 別に自慢したいわけではなく、話さなければ用具室に閉じ込められたことと話が繋がらなくなるからだったのだが。
「……へー……久保田くんのことについてねぇ……」

 あかりが『快に近づかないで』と言ったこと。

 『快は幼馴染だけど、今、余裕がないから誰かとは付き合えない』と言ったこと。

 そしてそれに対して美久が『それは久保田くんが決めること』と言ったこと。

 最後に、それが原因であかりが爆発して美久を用具室に閉じ込めたこと。

 快がその中にいたのは偶然であること。

 全部だ。

 留依は時々相槌を入れながら聞いてくれた。そしてひと段落したとき、感嘆したように言った。
「美久、強くなったねぇ」
 美久はそんな場合ではないと思いつつも、その言葉に嬉しくなってしまう。
 それは確かにその通りだと思うし、そういう行動を取れた自分のことはよくできた、と思うから。
 あかりに怯えて「ごめんなさい、ごめんなさい」なんて言った末に閉じ込められてしまったのは違うのだ。
 結局閉じ込められてしまったというのが同じであろうとも、経緯がまったく違う。
「だって、言わなきゃって思ったから」
 言ったけれど、留依は首を振った。
「こんなふうに言ってごめんだけど、前の美久だったら言えなかったことだと思う」
 美久もそれには頷く。その通りだったから。
「そう、だと思う……でも、やっぱり言わないといけないと思ったの」
「それがすごいんだよ」
 留依は不意に立ち上がった。距離を詰めてくる。
 なにを、と思うと同時。腕を伸ばしてきた。そっと美久の肩に触れて、引き寄せてくれた。
 ふわっと甘い香りが漂う。留依のつけている香水の香り。
 オシャレな留依は毎日香水をつけていて、それはとてもいい香りがするのだった。ベリー系の甘い香り。これをこんなに近くで感じるのは二度目だった。
 昨日、美久を見つけてくれたときも同じように抱きしめてくれて、そのときなのだけど、あのときは混乱しすぎていてはっきりとは覚えていない。
 でも今ははっきりわかる。
 自分が随分落ちつけたことを、美久は自覚した。
「頑張ったね」
 美久をぎゅっと抱きしめて、留依は言ってくれた。じわっと美久の胸に染み入って、まったく違う意味の涙を零させた。
「……うん」
 ここで「そんなことないよ」と言うのは違うだろう。よって、ためらったけれど肯定した。
 美久のその返事も、前向きになれた証拠。勇気を出すことができた証拠。
 ぽろっと零れた涙だったけれど、もう泣かなくてもいいのだ。すぐに拭ってしまった。
 それに一番重要な話が待っている。
 美久は心を決めた。昨日の一番最後の、重要な出来事を話すと。
「あのね、それで、実はそれだけじゃなくて……」
 留依は体を引いた。美久から離れて「なに?」と聞いてきた。すぐ前に座り直す。
 そのように構えられてはためらってしまう、というか。恥ずかしくなってしまうのだけど。
 美久はごくっと唾を飲んだ。どきどきと心臓が高鳴ってくるのを感じつつ。
「あのね、久保田くんに……好きだ、って、言われちゃった……」
 言ったことには目を丸くされた。思いもしなかった、という顔だ。
 当然だろう、美久だってまだ信じられない。
 快がそれなりに美久のことを良く思ってくれていたことは知っていた。そうでなければ週に一度、会いたいなんて言ってくれるものか。
 だけどまさか、そんな……そこまで強い想いを抱いてくれていたとは知らなかったのだ。
 昨日、あんなことになった状況でそれを伝えられて美久が驚いてしまっても仕方がないだろう。
「……マジで」
 数秒のちに留依は言ってくれたけど、まだ驚きの声と表情のままだった。
 美久はこくりと頷く。
「私もまだ信じられないんだけど……」
 信じられないというのは、快の気持ちがではない。こんな素晴らしいことが起こってしまったことに、だ。
「で、美久はなんて」
 なんと返事をしたのかと聞かれて、もっと恥ずかしくなった。これは返事がどうとかそういうこともあるけれど、情けない理由もあるからだ。混乱してちゃんと返事もできなかったという。
「あの……動揺しちゃって……答えられなかった……」
 情けない、と思いつつ言ったのだけど、留依は「そっかぁ」と言った。
「それはそうだよね、突然だったんでしょ」
 美久に優しい言葉をかけてくれて、ほっとしつつ美久は頷いた。自分の勇気が足りないだけではないと言ってくれたのだ。
 本当は言おうかどうか悩んでいるところへ留依が助けに来てくれてあの話は中断されたのだけど、それは言わないことにした。留依は助けてくれたのに、邪魔をしたと自分を責めてしまうだろう。優しい子だから。
「でも、ちゃんと返事……しないと」
 美久が言ったこと。留依の目がふっと緩む。
「そうだね」
 そのあと。もう一度手を伸ばしてくれた。そしてもう一度ぎゅっと抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。今の美久なら言えるよ」
 勇気づけるように抱きしめて、背中を叩いてくれる。そこから勇気がじわじわと湧いてくるような気がした。
 美久はそっと目を閉じた。

 大丈夫。
 勇気はもう自分の中にある。そしてそれを増幅して応援してくれる友達もいる。
 だから、大丈夫。

「うん。できる」
 言い切れたことは、まだ自分でも信じられないことだ。
 でももうわかっているから。
 ちゃんと言うことができる。
 返事だけではない。

 自分の気持ちを、だ。

 『Yes』の返事だけではなく、『自分も久保田くんが好き』という、一番大切で、伝えたいことを。