- 私は、ずっとあなたが -
*** Miss Spring ***
夜も更けてきた頃、お店の扉が開いた。振り返ると、春ちゃんとアキが出てきた。こんな夜中にどこに行くんだろう。しばらく眺めていたら、オレンジ色の光が灯った階段の前で止まった。その光を目で追っていくと、切り立った崖の上に、仄かな光に照らされた桜の木のてっぺんが少し見えた。バクレイになってからアキに会う前まで、春の季節は毎日眺めていた桜だ。そういえば、ちゃんと近くで見たことないな。
「私も行く!」
走って二人に追いついて、天国にでも続いていそうな階段を上る。
「誰もいないよっ。ラッキー!」
階段を登り切った所で、笑顔の春ちゃんが指さす先を見ると、大きな桜の木が、満開の花を重たそうに揺らしていた。オレンジの光に照らされる白い花の向こうに、大きな満月と、沢山の星が見える。すごく綺麗……。
アキと春ちゃんと三人で、しばらく景色に見入った。
やがて春ちゃんが桜の木に駆け寄って、ヒラリと振り向いた。アキに、またモネの丘に連れてって欲しいと頼んでいる。横にいるアキの顔を見たら、大切なものを見るみたいに、目を少し細めて、春ちゃんを見つめていた。
「……分かった。約束するよ」
「ふふっ、ありがとう!」
春ちゃんが、素敵な伝説でもありそうな大きな桜の木の下で、春の女神みたいに笑った。
みんなを幸せにするような春ちゃんの笑顔を見ていたら、頭の中で、アキの声が聞こえた気がした。
(ハル、ごめん、好きな人ができたよ)
耳じゃなく心で聞こえるような、きなこの声みたいだ。少し驚いたけど、胸がぎゅうっと痛いけど、アキの方を振り向いて、笑顔で返事をした。
「うん……、知ってるよ」
まったく、謝ることないのに。
春ちゃんはいい子だし、私に似てるんだから当然だよ。
春ちゃんを泣かせたら許さないからね。
でも……。
ゆっくりと、春ちゃんの所へ歩く。
でも……最後に、ちょっとだけ、私もわがままを言ってもいいかな。
アキから聞きたかった言葉が、ずっと欲しかった言葉があるんだよ。
アキはまだ、私に言ってくれてないんだよ。
桜の木の下で微笑む彼女と重なって、アキを見つめる。
ごめんね春ちゃん。でも最後だから、許してね。
アキが今見ているのは、私じゃなくて、彼女だって分かってる。
でも、今だけ、私を見て。私に微笑んで。
私を好きだったって、言って。
海の方から風が一つ吹いて、桜の花びらが舞い散った。
アキ、アキ……、私は、私はね、
「私は、ずっとあなたが好きでした!」
「ひゃあっ?」
どうせ誰にも聞こえないからと、苦しい想いをぶつけるように思いっきり叫んだら、春ちゃんが急に驚いた。つられて私も驚いてしまう。どうしたんだろう。秋も心配そうな顔をする。
……もしかして、私の声が聞こえたのかな。いや、そんなわけないよね。
(これってもしかして……ハルちゃんの声?)
「ええっ?」
頭の中に女の子の声が響いた。これってもしかして……春ちゃんの声?
(え、え、何これ。ねえ、誰かいるの? 私の考えてる事が聞こえてるの? もしかして、ハルちゃんなの?)
「う、うん。私が分かるの?」
心臓が苦しいくらいにドキドキしてるけど、自分の心臓なのか春ちゃんのなのかもう分からない。
(すごいすごい! ホントにハルちゃんなんだ! ちょっと待ってて、秋に教えるから!)
えっ! ちょっと待って!
「おい……、大丈夫か?」
「えっ? あ、うん、私は大丈夫。それよりも、すごいよ秋! あのね!」
「ちょっと待ってぇ!」
急いで両手を動かして、春ちゃんの口を塞いだ。
「ハルんむうっ?」
「あれ、ご、ごめん春ちゃん」
私の手と春ちゃんの手が一緒に動いた。レイヤーが違うのに、何で?
そもそも、私今、会話できてるの? 何で? 分からないことだらけだよ!
(あれ、どうして止めるの? 秋と話したくないの?)
「話したいよ……いっぱい話したいよ。でもちょっと待って……」
(う、うん……)
アキが心配そうに、こっちに歩いて来ようとするのが見えた。
「ま、待って秋、大丈夫だから。ちょっと、ちょっと待っててね」
「あ、ああ……分かった。待ってるよ」
春ちゃんが止めてくれた。ありがとう。いろいろ突然すぎて混乱してるから、考える時間が欲しいんだよ。
(あの……ハルちゃん……)
「え、なに?」
(私のこと……きらい?)
「ええっ、どうして?」
(だって……、秋がハルちゃんの事好きって知って、ハルちゃんも秋を大好きだったって知ったのに、それでも秋を、何て言うか、奪おうとしてるっていうか……)
「そ、それは……仕方ないよ。私は、死んじゃってるんだし……。私も、春ちゃんがアキの事好きだって、知ってるから」
(う、うん……)
心臓のドキドキが、少し落ち着いてきた。春ちゃんは、やっぱり優しい子だった。
(あのさ、もしかしてなんだけど……、モネの丘に行った時も、私の傍にいた?)
「えっ、どうして分かるの?」
(そっか、やっぱりか。ホントはあの時も、今ほどじゃないけどこんな感覚になって、ハルちゃんの気持ちとか思い出みたいなものが少し流れてきた気がして、驚いてたんだ)
「そ、そうなんだ……」
あの時……。春ちゃんの想いが伝わってきた気がしたけど、私のも、彼女に伝わってたのか。何だか恥ずかしいな。
(ああ!)
「えっ、どうしたの?」
(そうか……きなこが持ってきたあのヘアピン……。まさかとは思ったけど、やっぱりハルちゃんのだったのか……。今、見えたよ、あなたの思い出が……。ああ……)
目から暖かい雫が零れる。春ちゃんが泣いてくれてるのか、自分が泣いてるのかも分からない。涙でぼやけた景色の中、アキがまた心配そうな顔をするのが見えた。
「お、おい……本当に大丈夫なのか?」
「あ、うん。大丈夫! ホントに大丈夫! ちょっと感激しちゃっただけ。待っててね」
「うん……。何かあったら、すぐに言えよ」
「うん、ありがとう」
(えへへ、秋、心配してるね)
「ふふっ、それはそうだよ。突然驚いたり泣いたりだもん」
(ところで、秋に何か伝えたいことない? 私が言ってあげるよ)
アキに、伝えたいこと……。すごくすごく、いっぱいあるよ。
ずっと好きだったこと。ヘアピンがすごく嬉しかったこと。死んじゃってからも、ずっとあなたの傍にいたこと。今でもずっと、あなたを好きなこと。
アキに言って欲しいこともある。いっぱいある。
好きって言って欲しい。可愛いって言って欲しい。私といられて幸せだったって、言って欲しい。
でも、でも、でも……
「ううん。……いっぱいあるけど、言えないよ」
(……どうして? あなたの苦しみが、すごく伝わってくるよ。無理しないでいいのに)
「うん、いいんだ。だって、だって、伝えたら、きっとアキはまた私に囚われちゃう。またアキを苦しめちゃう。そうなったら、私も悲しいから……」
(うーん。でもそれじゃあ、ハルちゃんがかわいそう……)
「ふふっ、ありがとう春ちゃん。私は、もういない存在なんだから、いいんだよ。こうして二人と一緒に過ごせた時間をもらえただけでも、すごく幸せだよ」
(そっか……)
うん。やっぱり私は幸せだ。もしかしたら、世界で一番幸せな幽霊かもしれない。
「……でも、一つだけ、お願いしていいかな」
(うん! 何でも言って!)
「さっき、きなこが持ってきた、アキがくれたヘアピン……。あれをね、春ちゃんに持っていて欲しいんだ」
(えっ……、いいの?)
「うん。こうして春ちゃんと話して、確信したの。あなたに、持っていて欲しいって。私はたぶん、近いうちに消えちゃうから、私の思い出の証を、あなたに託したいの」
(え、消えちゃうって……、それって、成仏……ってこと?)
「うん。春ちゃんのおかげで、私は救われたんだよ。私も、アキも、いっぱい、いっぱい救われたよ。ありがとね。本当にありがとう」
(そんな……。でも、せっかく話せるようになったのに、お別れなんて寂しいよ。これからもっと仲良くなろうよ。みんなで一緒にいようよ)
胸がぎゅうっと痛くなる。私も寂しいよ。ずっとみんなといたいよ。
「うん……。でも、それはだめなんだよ。お別れは寂しいけど、私はいちゃいけない存在なんだよ。直感みたいなので分かるんだ」
(でも、でも……。うう。じゃあせめて、展覧会が終わるまでいてね。それがだめなら、私の歌を聞き終わるまではいてね!)
「うん! それは約束する! アキと春ちゃんの歌だもんね」
(うん、約束……)
月に雲がかかったのか、辺りが少し暗くなった気がした。
「あれ……? どこ行ったの?」
「え?」
春ちゃんが辺りを見回してる。あれ……、繋がりが、切れちゃったのだろうか。
そっか……。神様がくれたサービスタイムの終わりかな……。寂しいけど、でも言い残したことはないかな。
春ちゃん。ありがとう。最後にあなたと話せて、すごく、嬉しかったよ。
*** Miss Spring ***
夜も更けてきた頃、お店の扉が開いた。振り返ると、春ちゃんとアキが出てきた。こんな夜中にどこに行くんだろう。しばらく眺めていたら、オレンジ色の光が灯った階段の前で止まった。その光を目で追っていくと、切り立った崖の上に、仄かな光に照らされた桜の木のてっぺんが少し見えた。バクレイになってからアキに会う前まで、春の季節は毎日眺めていた桜だ。そういえば、ちゃんと近くで見たことないな。
「私も行く!」
走って二人に追いついて、天国にでも続いていそうな階段を上る。
「誰もいないよっ。ラッキー!」
階段を登り切った所で、笑顔の春ちゃんが指さす先を見ると、大きな桜の木が、満開の花を重たそうに揺らしていた。オレンジの光に照らされる白い花の向こうに、大きな満月と、沢山の星が見える。すごく綺麗……。
アキと春ちゃんと三人で、しばらく景色に見入った。
やがて春ちゃんが桜の木に駆け寄って、ヒラリと振り向いた。アキに、またモネの丘に連れてって欲しいと頼んでいる。横にいるアキの顔を見たら、大切なものを見るみたいに、目を少し細めて、春ちゃんを見つめていた。
「……分かった。約束するよ」
「ふふっ、ありがとう!」
春ちゃんが、素敵な伝説でもありそうな大きな桜の木の下で、春の女神みたいに笑った。
みんなを幸せにするような春ちゃんの笑顔を見ていたら、頭の中で、アキの声が聞こえた気がした。
(ハル、ごめん、好きな人ができたよ)
耳じゃなく心で聞こえるような、きなこの声みたいだ。少し驚いたけど、胸がぎゅうっと痛いけど、アキの方を振り向いて、笑顔で返事をした。
「うん……、知ってるよ」
まったく、謝ることないのに。
春ちゃんはいい子だし、私に似てるんだから当然だよ。
春ちゃんを泣かせたら許さないからね。
でも……。
ゆっくりと、春ちゃんの所へ歩く。
でも……最後に、ちょっとだけ、私もわがままを言ってもいいかな。
アキから聞きたかった言葉が、ずっと欲しかった言葉があるんだよ。
アキはまだ、私に言ってくれてないんだよ。
桜の木の下で微笑む彼女と重なって、アキを見つめる。
ごめんね春ちゃん。でも最後だから、許してね。
アキが今見ているのは、私じゃなくて、彼女だって分かってる。
でも、今だけ、私を見て。私に微笑んで。
私を好きだったって、言って。
海の方から風が一つ吹いて、桜の花びらが舞い散った。
アキ、アキ……、私は、私はね、
「私は、ずっとあなたが好きでした!」
「ひゃあっ?」
どうせ誰にも聞こえないからと、苦しい想いをぶつけるように思いっきり叫んだら、春ちゃんが急に驚いた。つられて私も驚いてしまう。どうしたんだろう。秋も心配そうな顔をする。
……もしかして、私の声が聞こえたのかな。いや、そんなわけないよね。
(これってもしかして……ハルちゃんの声?)
「ええっ?」
頭の中に女の子の声が響いた。これってもしかして……春ちゃんの声?
(え、え、何これ。ねえ、誰かいるの? 私の考えてる事が聞こえてるの? もしかして、ハルちゃんなの?)
「う、うん。私が分かるの?」
心臓が苦しいくらいにドキドキしてるけど、自分の心臓なのか春ちゃんのなのかもう分からない。
(すごいすごい! ホントにハルちゃんなんだ! ちょっと待ってて、秋に教えるから!)
えっ! ちょっと待って!
「おい……、大丈夫か?」
「えっ? あ、うん、私は大丈夫。それよりも、すごいよ秋! あのね!」
「ちょっと待ってぇ!」
急いで両手を動かして、春ちゃんの口を塞いだ。
「ハルんむうっ?」
「あれ、ご、ごめん春ちゃん」
私の手と春ちゃんの手が一緒に動いた。レイヤーが違うのに、何で?
そもそも、私今、会話できてるの? 何で? 分からないことだらけだよ!
(あれ、どうして止めるの? 秋と話したくないの?)
「話したいよ……いっぱい話したいよ。でもちょっと待って……」
(う、うん……)
アキが心配そうに、こっちに歩いて来ようとするのが見えた。
「ま、待って秋、大丈夫だから。ちょっと、ちょっと待っててね」
「あ、ああ……分かった。待ってるよ」
春ちゃんが止めてくれた。ありがとう。いろいろ突然すぎて混乱してるから、考える時間が欲しいんだよ。
(あの……ハルちゃん……)
「え、なに?」
(私のこと……きらい?)
「ええっ、どうして?」
(だって……、秋がハルちゃんの事好きって知って、ハルちゃんも秋を大好きだったって知ったのに、それでも秋を、何て言うか、奪おうとしてるっていうか……)
「そ、それは……仕方ないよ。私は、死んじゃってるんだし……。私も、春ちゃんがアキの事好きだって、知ってるから」
(う、うん……)
心臓のドキドキが、少し落ち着いてきた。春ちゃんは、やっぱり優しい子だった。
(あのさ、もしかしてなんだけど……、モネの丘に行った時も、私の傍にいた?)
「えっ、どうして分かるの?」
(そっか、やっぱりか。ホントはあの時も、今ほどじゃないけどこんな感覚になって、ハルちゃんの気持ちとか思い出みたいなものが少し流れてきた気がして、驚いてたんだ)
「そ、そうなんだ……」
あの時……。春ちゃんの想いが伝わってきた気がしたけど、私のも、彼女に伝わってたのか。何だか恥ずかしいな。
(ああ!)
「えっ、どうしたの?」
(そうか……きなこが持ってきたあのヘアピン……。まさかとは思ったけど、やっぱりハルちゃんのだったのか……。今、見えたよ、あなたの思い出が……。ああ……)
目から暖かい雫が零れる。春ちゃんが泣いてくれてるのか、自分が泣いてるのかも分からない。涙でぼやけた景色の中、アキがまた心配そうな顔をするのが見えた。
「お、おい……本当に大丈夫なのか?」
「あ、うん。大丈夫! ホントに大丈夫! ちょっと感激しちゃっただけ。待っててね」
「うん……。何かあったら、すぐに言えよ」
「うん、ありがとう」
(えへへ、秋、心配してるね)
「ふふっ、それはそうだよ。突然驚いたり泣いたりだもん」
(ところで、秋に何か伝えたいことない? 私が言ってあげるよ)
アキに、伝えたいこと……。すごくすごく、いっぱいあるよ。
ずっと好きだったこと。ヘアピンがすごく嬉しかったこと。死んじゃってからも、ずっとあなたの傍にいたこと。今でもずっと、あなたを好きなこと。
アキに言って欲しいこともある。いっぱいある。
好きって言って欲しい。可愛いって言って欲しい。私といられて幸せだったって、言って欲しい。
でも、でも、でも……
「ううん。……いっぱいあるけど、言えないよ」
(……どうして? あなたの苦しみが、すごく伝わってくるよ。無理しないでいいのに)
「うん、いいんだ。だって、だって、伝えたら、きっとアキはまた私に囚われちゃう。またアキを苦しめちゃう。そうなったら、私も悲しいから……」
(うーん。でもそれじゃあ、ハルちゃんがかわいそう……)
「ふふっ、ありがとう春ちゃん。私は、もういない存在なんだから、いいんだよ。こうして二人と一緒に過ごせた時間をもらえただけでも、すごく幸せだよ」
(そっか……)
うん。やっぱり私は幸せだ。もしかしたら、世界で一番幸せな幽霊かもしれない。
「……でも、一つだけ、お願いしていいかな」
(うん! 何でも言って!)
「さっき、きなこが持ってきた、アキがくれたヘアピン……。あれをね、春ちゃんに持っていて欲しいんだ」
(えっ……、いいの?)
「うん。こうして春ちゃんと話して、確信したの。あなたに、持っていて欲しいって。私はたぶん、近いうちに消えちゃうから、私の思い出の証を、あなたに託したいの」
(え、消えちゃうって……、それって、成仏……ってこと?)
「うん。春ちゃんのおかげで、私は救われたんだよ。私も、アキも、いっぱい、いっぱい救われたよ。ありがとね。本当にありがとう」
(そんな……。でも、せっかく話せるようになったのに、お別れなんて寂しいよ。これからもっと仲良くなろうよ。みんなで一緒にいようよ)
胸がぎゅうっと痛くなる。私も寂しいよ。ずっとみんなといたいよ。
「うん……。でも、それはだめなんだよ。お別れは寂しいけど、私はいちゃいけない存在なんだよ。直感みたいなので分かるんだ」
(でも、でも……。うう。じゃあせめて、展覧会が終わるまでいてね。それがだめなら、私の歌を聞き終わるまではいてね!)
「うん! それは約束する! アキと春ちゃんの歌だもんね」
(うん、約束……)
月に雲がかかったのか、辺りが少し暗くなった気がした。
「あれ……? どこ行ったの?」
「え?」
春ちゃんが辺りを見回してる。あれ……、繋がりが、切れちゃったのだろうか。
そっか……。神様がくれたサービスタイムの終わりかな……。寂しいけど、でも言い残したことはないかな。
春ちゃん。ありがとう。最後にあなたと話せて、すごく、嬉しかったよ。