- 桜のヘアピン -
*** Miss Spring ***
春ちゃんが、アキが描いた絵をお店の壁に飾った。
秋の夕焼けの景色の中、少しだけ微笑む私が、佇んでいる。
アキが描いた絵が、私の個展に飾られた。
私との約束、守ってくれたんだね。ありがとう、アキ。
よく見ると、絵の中の私の髪に桜の花が一つ、小さいけれど咲いていた。左手で、自分の髪のその場所を触る。指に当たる感触を、何度も確かめる。髪からそっと外して、何度も眺める。見てるだけで、胸の辺りが暖かくなる。
アキがくれた大事な桜のヘアピン。嬉しくて、毎日のように付けてたな。私が成仏したら、これも消えてしまうのだろうか。
私が消えるのは、ちょっと怖いけど、もう納得できたし、それが正しいことだって思える。でも、このヘアピンがどこにもなくなっちゃうのは、寂しくて、悲しい。
絵の前でヘアピンを見つめて俯いていたらきなこが歩いてきた。
「サクラ、またそれ見てるわね。ホントに好きなのね」
「うん……。すごく大切なものなんだ」
「ちょっとあたしにも見せてちょうだい。何だか見覚えがあるような気がするの」
「えっ、そうなの?」
私はしゃがんで、きなこの目の前にピンを差し出す。きなこはパチパチと瞬きをしながらピンを見ている。
「うーん、何だったかしら……」
「これを、どこかで見たことがあるってこと?」
雑貨屋さんに売っているようなものだから、きっと同じものは日本中にいっぱいあるんだろう。それを見たのかもしれない。
「あ、そうだわ。いつだったか、あの砂浜で拾ったのが、これと同じだったような気がするわ」
「えっ……!」
体に電気が走ったみたいに、一気に全身に鳥肌が立った。
「砂浜って、あの、カーブの所の? 拾ったって、いつ頃?」
「ええと……サクラに会ってなかったから、あなたがバクレイになる前かしら……。場所はいつもあなたがいた階段の近くの砂浜よ」
「そ、それって……!」
それって、もしかして……、私が今持っているこっちのレイヤーのじゃなくて、事故に遭った時に私が付けてた、本物のヘアピンなのだろうか。
「あたし花好きだし、綺麗だったから、持って帰ったのよ。あれ、あなたのだったのかしらね」
「そ、それ、今どこにあるのっ?」
思わずきなこに掴みかかりそうになってしまった。それくらい、心臓がドキドキして興奮していた。
「あたしのベッドルームに置いてあったと思うわ。持ってくるから、ちょっと待っててちょうだい」
「うん。……あ、私も一緒に行っていいかな?」
「いいけど、草藪を通ったりするわよ」
「私バクレイだから大丈夫!」
「あら、そうだったわね。うふふっ」
きなこに付いて、お店の出口の所に来た。きなこが扉をひっかきながら、「なおー」と鳴いたら、おじいさんが来てくれた。
「おや、もうお帰りですか。お気をつけて」
おじいさんが開けてくれた扉を抜けて、外に出る。外はもう夜で、空に浮かんだ大きな満月が、海と砂浜を優しく照らしている。
きなこの後に付いて歩き、草藪を抜けると、小さなお寺の敷地に入った。そこの縁の下にきなこは潜り込む。しゃがんで見てみると、新聞紙や段ボール箱が置いてあって、きなこはその箱の中でごそごそと何かを探しているみたいだ。
「あったわ」
きなこの動きが止まった。心臓がひときわ大きく動いて、苦しく高鳴り出す。
きなこが何かを口に咥えて縁の下から出て来て、月の光に照らされた。
「ああ……」
思わず手で口を押さえてしまった。
暗くてよくは見えないけど、忘れもしない、目を閉じても鮮明に思い出せるヘアピンの可憐な桜が、きなこの口元で咲いていた。
「ああ……それだよ、きなこ……」
「やっぱり、あなたのものだった? ごめんなさいね、ネコババしちゃってたみたいで」
「ううん、いいの。それより、大切に守っててくれて、ありがとう……」
きっと、事故の衝撃で私の髪から外れて、砂浜に落ちたんだ。事故現場が片付いた後、きなこが拾って持ち帰ってくれて、今までずっとここで眠っていたのだろう。きなこが拾ってくれなかったら、雨とか風とかに晒されて、ボロボロになっていたかもしれない。もしかしたら波に飲まれて、海の底に行ってしまったかもしれない。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん!」
おじいさんの喫茶店に戻り、扉に前足をかけてきなこが鳴くと、春ちゃんが開けてくれた。アキもおじいさんも見当たらない。
「きなこ、帰ったのかと思ったよ。あれ、また何か持って来てくれたの?」
春ちゃんがしゃがんで、きなこの口元を見た。きなこは私を見上げて訊く。
「サクラ、どうしたい?」
「え……、ど、どうしよう……」
見つかった嬉しさで舞い上がってたけど、そういえば私、このヘアピンをどうしたいんだろう。アキに、持っていてもらう? でもそれじゃ、アキがまた苦しんでしまうのでは。じゃあ、春ちゃんに……?
悩んでいたら、春ちゃんがきなこの口からヘアピンを取り上げた。
「ヘアピン? 綺麗な桜だねぇ。誰かの落し物かな……。届けてくれてありがとね」
春ちゃんがきなこを撫でた。きなこが「うなうー」と鳴きながら私を見上げた。
「いいの? 何なら取り返すけど……」
「……ううん、いいの」
「……そう」
春ちゃんは暫くヘアピンを眺めていたけど、立ち上がってキッチンの方に歩き、台の上に置いた。
壁に立てかけてあったマットレスを床に敷きだした彼女は、少し手を止めて、アキが描いた私の絵を何秒か見つめたけど、すぐに作業に戻った。
*** Miss Spring ***
春ちゃんが、アキが描いた絵をお店の壁に飾った。
秋の夕焼けの景色の中、少しだけ微笑む私が、佇んでいる。
アキが描いた絵が、私の個展に飾られた。
私との約束、守ってくれたんだね。ありがとう、アキ。
よく見ると、絵の中の私の髪に桜の花が一つ、小さいけれど咲いていた。左手で、自分の髪のその場所を触る。指に当たる感触を、何度も確かめる。髪からそっと外して、何度も眺める。見てるだけで、胸の辺りが暖かくなる。
アキがくれた大事な桜のヘアピン。嬉しくて、毎日のように付けてたな。私が成仏したら、これも消えてしまうのだろうか。
私が消えるのは、ちょっと怖いけど、もう納得できたし、それが正しいことだって思える。でも、このヘアピンがどこにもなくなっちゃうのは、寂しくて、悲しい。
絵の前でヘアピンを見つめて俯いていたらきなこが歩いてきた。
「サクラ、またそれ見てるわね。ホントに好きなのね」
「うん……。すごく大切なものなんだ」
「ちょっとあたしにも見せてちょうだい。何だか見覚えがあるような気がするの」
「えっ、そうなの?」
私はしゃがんで、きなこの目の前にピンを差し出す。きなこはパチパチと瞬きをしながらピンを見ている。
「うーん、何だったかしら……」
「これを、どこかで見たことがあるってこと?」
雑貨屋さんに売っているようなものだから、きっと同じものは日本中にいっぱいあるんだろう。それを見たのかもしれない。
「あ、そうだわ。いつだったか、あの砂浜で拾ったのが、これと同じだったような気がするわ」
「えっ……!」
体に電気が走ったみたいに、一気に全身に鳥肌が立った。
「砂浜って、あの、カーブの所の? 拾ったって、いつ頃?」
「ええと……サクラに会ってなかったから、あなたがバクレイになる前かしら……。場所はいつもあなたがいた階段の近くの砂浜よ」
「そ、それって……!」
それって、もしかして……、私が今持っているこっちのレイヤーのじゃなくて、事故に遭った時に私が付けてた、本物のヘアピンなのだろうか。
「あたし花好きだし、綺麗だったから、持って帰ったのよ。あれ、あなたのだったのかしらね」
「そ、それ、今どこにあるのっ?」
思わずきなこに掴みかかりそうになってしまった。それくらい、心臓がドキドキして興奮していた。
「あたしのベッドルームに置いてあったと思うわ。持ってくるから、ちょっと待っててちょうだい」
「うん。……あ、私も一緒に行っていいかな?」
「いいけど、草藪を通ったりするわよ」
「私バクレイだから大丈夫!」
「あら、そうだったわね。うふふっ」
きなこに付いて、お店の出口の所に来た。きなこが扉をひっかきながら、「なおー」と鳴いたら、おじいさんが来てくれた。
「おや、もうお帰りですか。お気をつけて」
おじいさんが開けてくれた扉を抜けて、外に出る。外はもう夜で、空に浮かんだ大きな満月が、海と砂浜を優しく照らしている。
きなこの後に付いて歩き、草藪を抜けると、小さなお寺の敷地に入った。そこの縁の下にきなこは潜り込む。しゃがんで見てみると、新聞紙や段ボール箱が置いてあって、きなこはその箱の中でごそごそと何かを探しているみたいだ。
「あったわ」
きなこの動きが止まった。心臓がひときわ大きく動いて、苦しく高鳴り出す。
きなこが何かを口に咥えて縁の下から出て来て、月の光に照らされた。
「ああ……」
思わず手で口を押さえてしまった。
暗くてよくは見えないけど、忘れもしない、目を閉じても鮮明に思い出せるヘアピンの可憐な桜が、きなこの口元で咲いていた。
「ああ……それだよ、きなこ……」
「やっぱり、あなたのものだった? ごめんなさいね、ネコババしちゃってたみたいで」
「ううん、いいの。それより、大切に守っててくれて、ありがとう……」
きっと、事故の衝撃で私の髪から外れて、砂浜に落ちたんだ。事故現場が片付いた後、きなこが拾って持ち帰ってくれて、今までずっとここで眠っていたのだろう。きなこが拾ってくれなかったら、雨とか風とかに晒されて、ボロボロになっていたかもしれない。もしかしたら波に飲まれて、海の底に行ってしまったかもしれない。
「じゃあ、帰りましょうか」
「うん!」
おじいさんの喫茶店に戻り、扉に前足をかけてきなこが鳴くと、春ちゃんが開けてくれた。アキもおじいさんも見当たらない。
「きなこ、帰ったのかと思ったよ。あれ、また何か持って来てくれたの?」
春ちゃんがしゃがんで、きなこの口元を見た。きなこは私を見上げて訊く。
「サクラ、どうしたい?」
「え……、ど、どうしよう……」
見つかった嬉しさで舞い上がってたけど、そういえば私、このヘアピンをどうしたいんだろう。アキに、持っていてもらう? でもそれじゃ、アキがまた苦しんでしまうのでは。じゃあ、春ちゃんに……?
悩んでいたら、春ちゃんがきなこの口からヘアピンを取り上げた。
「ヘアピン? 綺麗な桜だねぇ。誰かの落し物かな……。届けてくれてありがとね」
春ちゃんがきなこを撫でた。きなこが「うなうー」と鳴きながら私を見上げた。
「いいの? 何なら取り返すけど……」
「……ううん、いいの」
「……そう」
春ちゃんは暫くヘアピンを眺めていたけど、立ち上がってキッチンの方に歩き、台の上に置いた。
壁に立てかけてあったマットレスを床に敷きだした彼女は、少し手を止めて、アキが描いた私の絵を何秒か見つめたけど、すぐに作業に戻った。