- まだ、解けない -
*** Mr. Autumn ***
「え! ここでやる気?」
「……?」
春が驚いた。おじいさんは状況を理解できていないようだ。
「ここなら、お金もかからないし……あ、いや、必要でしたら、払えるだけ払います! ここなら、料理とか、デザートとか、コーヒーとかも出せるだろ。海辺の、木造りの喫茶店。風情があるじゃないか。それに、ピアノもある。春の歌を、展覧会のお客さんに聞かせてあげようよ」
「えーっ、無理だよ! 私の歌なんか……ハルちゃんの絵を台無しにしちゃうよ」
「ははっ。初めてここに来た日は、僕が同じようなことを言ってたな。春はそんな僕に、泣きそうな顔で作詞を頼んだじゃないか。頼むよ」
「ううー、それとこれとは、話が違うような……。それに歌詞もまだ、出来てないんでしょ?」
「それは僕が頑張るよ。必ず完成させる。だから、お願いします」
春とおじいさんに向けて頭を下げた。ここでなら、皆が幸せになれるような、そんな展覧会が、出来るような気がした。
「ふむ。あまり話が見えてこないが……。とりあえず、料理が冷めないうちに食べましょう。食べながら、私にも詳しい話を教えてくれないか」
「それがいい! 私お腹すいちゃったよ!」
それは僕も同意だ。興奮する心を落ち着かせて、僕はおじいさんのパスタに手を伸ばした。
「なるほど。亡くなった方の絵の展覧を……。それは素敵だね。うちでよければ、喜んで貸し出すよ。料理の提供についても、私に任せてくれ」
「ありがとうございます!」
おじいさんのカルボナーラは、感動的に美味しかった。これで店にお客さんが一人もいないのが不思議なくらいだ。
「うちはね、平日のランチタイムとかは結構混むんだよ。秋はいつも土曜日に来てるから、分からないんだね。まあ、私も平日は学校行っちゃってるから、バイトのくせに全然手伝えてないんだけど……」
春が説明してくれた。そういうことか。
「あとね、これは前にも話したけど、近くに桜の名所があって、満開の時期には手が回らないくらい繁盛するんだよ。外に行列が出来るくらい!」
「そうだね。その時は、春の手伝いがすごく助かっているよ。そうだ、多くの人に観てもらいたいなら、展覧会は桜の季節にするといい」
「なるほど。人も集まるし、ハルの絵もほとんどが桜だし。ちょうどいいですね」
「ほう、桜の絵か。それは奇遇だね。この店の名前『cerisier』は、フランス語で『桜』という意味なんだよ」
桜の名を持つ喫茶店で、桜の咲く季節に、ハルの桜の絵の展覧会を開く……。少し、出来すぎな気もしたが、逆に言えば運命のようなものすら感じた。
「よーし、じゃあ、場所と開催時期は決定だね」
「そうだな。書いておこう」
ノートに追記する。
場所:おじいさんの喫茶店
時期:桜の咲く季節
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌
「で、私の歌なんだけど……ほんとにやるの?」
「もちろんだ。歌手を目指してるんだろ?」
「うーん、そうだけど……。やっぱりハルちゃんの絵が主役でしょ。私の歌が雰囲気壊しちゃったら、ハルちゃんに申し訳ないよぅ。これはその、歌が絵に勝っちゃうって意味じゃ決してなくてね」
「それは大丈夫だ。ちょうど、考えていた歌詞は春がテーマなんだ」
「え……、私? ハルちゃん?」
「いや、季節の春な」
「ああ、そういうことか。今更ながら、この名前紛らわしいよね」
春は小さく笑った。今日、海辺で春の提案を聞いて、ようやく歌詞のメインテーマが定まった。今なら、心が曇ることなく書けそうな気がする。
「うーん、だいたい決まってきたけど、これを見ると秋、当日はなんにもしないね」
「うっ……。当日僕に出来ることなんて無いだろ? ウェイターくらいならやるけど……」
「そんなことないよ。ちょっと貸して」
春は僕のペンを奪い、ノートに何か書き足した。
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌、秋のスピーチ
「おいおい、展覧会にスピーチって何だよ……」
「何も言わずにお客さんを入れて絵を見せたって、ハルちゃんの印象は残らないよ。導入に、秋が紹介とかして、ある程度説明してあげないと」
「うーん、確かに、そうか……」
「よし、決まりね! 感動的なのを頼むよ、参謀くん!」
春がノートにさらに追記した。
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌、秋のスピーチ
(感動的なやつ!)
余計なことを……。宿題が増えてしまった。
その日は、おじいさんが淹れた美味しいコーヒーを飲みながら、当日の店内のレイアウト等を話し合って暗くなるまで盛り上がった。
帰り途、春が駅まで送ってくれた。二人で並んでゆっくり歩いた。
途中、ハルを殺したカーブに差し掛かった。もう胸は痛まなかったが、足を止めて、暗い海に目を向けてみる。今までは、夜の海には計り知れない恐怖を感じていたが、今日は波音も穏やかで、静かな優しさのようなものすら感じた。
ハル……。もう少しだけ、待っていてくれ。もう少しで、君の夢が叶いそうなんだ。
「秋……、大丈夫?」
春が心配そうに、僕のコートの袖を掴んだ。
「うん、大丈夫。今は未来に希望さえ感じる。春のおかげだよ。ありがとう」
本気で感謝していたので、しっかりと春の目を見て言った。春は驚いたような表情を見せ、やがてぽろりと涙を零した。雫は頼りない街灯に照らされ、琥珀のように煌めいた。
「えっ、なんで泣くんだ?」
「だって、嬉しくて……。もしかしたら今日、秋に、もう会わないって言われるかと思って……本当は先週からずっと怖かったから……。よかったよぉ……」
ひたすらに前向きで明るい子かと思っていたけど、そんな風に考えてくれていたのか。不安な思いをさせてしまった。そういえば、ハルとそっくりなせいか忘れがちだけど、春と会うのはまだこれで三回目なんだ……。もっと春の事を知りたい。君の強い心も、弱い部分も、全て知って、受け止めたい。
思わず抱きしめそうになったけど、今はまだ、春の優しさに流されてはダメだ。きっと後悔する。ぐっとこらえて、春の頭を撫でるだけに留めた。
「ごめん……。もう大丈夫だから、一緒に、作戦を成功させよう」
「うん……。私、隊長だもんね……。がんばるよ」
春は静かな声でそう言ったが、この雰囲気に似つかわしくない「作戦」や「隊長」という言葉が妙に可笑しく、また噴き出してしまった。
「ぶはっ」
「もー、だから何で笑うのさー!」
春は軽く僕を叩いたが、その顔も笑っていた。
*** Miss Spring ***
アキと春ちゃんが開く私の絵の展覧会は、桜が咲く頃に開催することが決まった。私の生まれた、暖かくて優しい、一番好きな季節。嬉しいな。
それに、アキが私を紹介するスピーチをして、アキが作詞した歌を春ちゃんが歌ってくれるみたい。私の絵だけじゃなくて、みんなの展覧会だ。すごく素敵!
バクレイとして目覚めてから今までずっと続いていた、どんよりとした気分が嘘みたいに、今は全てがきらきら輝いて見える。体も軽い。今なら空も飛べちゃいそう。彼女の一言でこんなに変われるなんて、春ちゃんはすごいな。
夜になって駅に向かう二人の後ろをうきうきしながら歩いていたら、いつものカーブ地点でアキが足を止めて、海の方を眺めた。アキ、大丈夫だろうか。
春ちゃんが心配そうにアキの袖を掴んだ。アキがお礼を言ったら、春ちゃんが泣き出した。彼女も、不安とか心配を抱えていたのかもしれない。アキが彼女の頭を撫でるのを、少し遠くから眺めていたら、また少し胸が苦しくなった。
春ちゃんは優しいし、明るくて元気だし、可愛いし、きっとアキと一緒に幸せになれる。それは嬉しい。でも、そこにいるのが、アキに撫でられてるのが、自分みたいだけど自分じゃないと思うと……苦しい。
展覧会はすごく嬉しくて、心が晴れたけど、でも。
私の中の、アキへの執着が、まだ、解けない。
*** Mr. Autumn ***
「え! ここでやる気?」
「……?」
春が驚いた。おじいさんは状況を理解できていないようだ。
「ここなら、お金もかからないし……あ、いや、必要でしたら、払えるだけ払います! ここなら、料理とか、デザートとか、コーヒーとかも出せるだろ。海辺の、木造りの喫茶店。風情があるじゃないか。それに、ピアノもある。春の歌を、展覧会のお客さんに聞かせてあげようよ」
「えーっ、無理だよ! 私の歌なんか……ハルちゃんの絵を台無しにしちゃうよ」
「ははっ。初めてここに来た日は、僕が同じようなことを言ってたな。春はそんな僕に、泣きそうな顔で作詞を頼んだじゃないか。頼むよ」
「ううー、それとこれとは、話が違うような……。それに歌詞もまだ、出来てないんでしょ?」
「それは僕が頑張るよ。必ず完成させる。だから、お願いします」
春とおじいさんに向けて頭を下げた。ここでなら、皆が幸せになれるような、そんな展覧会が、出来るような気がした。
「ふむ。あまり話が見えてこないが……。とりあえず、料理が冷めないうちに食べましょう。食べながら、私にも詳しい話を教えてくれないか」
「それがいい! 私お腹すいちゃったよ!」
それは僕も同意だ。興奮する心を落ち着かせて、僕はおじいさんのパスタに手を伸ばした。
「なるほど。亡くなった方の絵の展覧を……。それは素敵だね。うちでよければ、喜んで貸し出すよ。料理の提供についても、私に任せてくれ」
「ありがとうございます!」
おじいさんのカルボナーラは、感動的に美味しかった。これで店にお客さんが一人もいないのが不思議なくらいだ。
「うちはね、平日のランチタイムとかは結構混むんだよ。秋はいつも土曜日に来てるから、分からないんだね。まあ、私も平日は学校行っちゃってるから、バイトのくせに全然手伝えてないんだけど……」
春が説明してくれた。そういうことか。
「あとね、これは前にも話したけど、近くに桜の名所があって、満開の時期には手が回らないくらい繁盛するんだよ。外に行列が出来るくらい!」
「そうだね。その時は、春の手伝いがすごく助かっているよ。そうだ、多くの人に観てもらいたいなら、展覧会は桜の季節にするといい」
「なるほど。人も集まるし、ハルの絵もほとんどが桜だし。ちょうどいいですね」
「ほう、桜の絵か。それは奇遇だね。この店の名前『cerisier』は、フランス語で『桜』という意味なんだよ」
桜の名を持つ喫茶店で、桜の咲く季節に、ハルの桜の絵の展覧会を開く……。少し、出来すぎな気もしたが、逆に言えば運命のようなものすら感じた。
「よーし、じゃあ、場所と開催時期は決定だね」
「そうだな。書いておこう」
ノートに追記する。
場所:おじいさんの喫茶店
時期:桜の咲く季節
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌
「で、私の歌なんだけど……ほんとにやるの?」
「もちろんだ。歌手を目指してるんだろ?」
「うーん、そうだけど……。やっぱりハルちゃんの絵が主役でしょ。私の歌が雰囲気壊しちゃったら、ハルちゃんに申し訳ないよぅ。これはその、歌が絵に勝っちゃうって意味じゃ決してなくてね」
「それは大丈夫だ。ちょうど、考えていた歌詞は春がテーマなんだ」
「え……、私? ハルちゃん?」
「いや、季節の春な」
「ああ、そういうことか。今更ながら、この名前紛らわしいよね」
春は小さく笑った。今日、海辺で春の提案を聞いて、ようやく歌詞のメインテーマが定まった。今なら、心が曇ることなく書けそうな気がする。
「うーん、だいたい決まってきたけど、これを見ると秋、当日はなんにもしないね」
「うっ……。当日僕に出来ることなんて無いだろ? ウェイターくらいならやるけど……」
「そんなことないよ。ちょっと貸して」
春は僕のペンを奪い、ノートに何か書き足した。
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌、秋のスピーチ
「おいおい、展覧会にスピーチって何だよ……」
「何も言わずにお客さんを入れて絵を見せたって、ハルちゃんの印象は残らないよ。導入に、秋が紹介とかして、ある程度説明してあげないと」
「うーん、確かに、そうか……」
「よし、決まりね! 感動的なのを頼むよ、参謀くん!」
春がノートにさらに追記した。
内容:ハルの絵、おじいさんの料理、春の歌、秋のスピーチ
(感動的なやつ!)
余計なことを……。宿題が増えてしまった。
その日は、おじいさんが淹れた美味しいコーヒーを飲みながら、当日の店内のレイアウト等を話し合って暗くなるまで盛り上がった。
帰り途、春が駅まで送ってくれた。二人で並んでゆっくり歩いた。
途中、ハルを殺したカーブに差し掛かった。もう胸は痛まなかったが、足を止めて、暗い海に目を向けてみる。今までは、夜の海には計り知れない恐怖を感じていたが、今日は波音も穏やかで、静かな優しさのようなものすら感じた。
ハル……。もう少しだけ、待っていてくれ。もう少しで、君の夢が叶いそうなんだ。
「秋……、大丈夫?」
春が心配そうに、僕のコートの袖を掴んだ。
「うん、大丈夫。今は未来に希望さえ感じる。春のおかげだよ。ありがとう」
本気で感謝していたので、しっかりと春の目を見て言った。春は驚いたような表情を見せ、やがてぽろりと涙を零した。雫は頼りない街灯に照らされ、琥珀のように煌めいた。
「えっ、なんで泣くんだ?」
「だって、嬉しくて……。もしかしたら今日、秋に、もう会わないって言われるかと思って……本当は先週からずっと怖かったから……。よかったよぉ……」
ひたすらに前向きで明るい子かと思っていたけど、そんな風に考えてくれていたのか。不安な思いをさせてしまった。そういえば、ハルとそっくりなせいか忘れがちだけど、春と会うのはまだこれで三回目なんだ……。もっと春の事を知りたい。君の強い心も、弱い部分も、全て知って、受け止めたい。
思わず抱きしめそうになったけど、今はまだ、春の優しさに流されてはダメだ。きっと後悔する。ぐっとこらえて、春の頭を撫でるだけに留めた。
「ごめん……。もう大丈夫だから、一緒に、作戦を成功させよう」
「うん……。私、隊長だもんね……。がんばるよ」
春は静かな声でそう言ったが、この雰囲気に似つかわしくない「作戦」や「隊長」という言葉が妙に可笑しく、また噴き出してしまった。
「ぶはっ」
「もー、だから何で笑うのさー!」
春は軽く僕を叩いたが、その顔も笑っていた。
*** Miss Spring ***
アキと春ちゃんが開く私の絵の展覧会は、桜が咲く頃に開催することが決まった。私の生まれた、暖かくて優しい、一番好きな季節。嬉しいな。
それに、アキが私を紹介するスピーチをして、アキが作詞した歌を春ちゃんが歌ってくれるみたい。私の絵だけじゃなくて、みんなの展覧会だ。すごく素敵!
バクレイとして目覚めてから今までずっと続いていた、どんよりとした気分が嘘みたいに、今は全てがきらきら輝いて見える。体も軽い。今なら空も飛べちゃいそう。彼女の一言でこんなに変われるなんて、春ちゃんはすごいな。
夜になって駅に向かう二人の後ろをうきうきしながら歩いていたら、いつものカーブ地点でアキが足を止めて、海の方を眺めた。アキ、大丈夫だろうか。
春ちゃんが心配そうにアキの袖を掴んだ。アキがお礼を言ったら、春ちゃんが泣き出した。彼女も、不安とか心配を抱えていたのかもしれない。アキが彼女の頭を撫でるのを、少し遠くから眺めていたら、また少し胸が苦しくなった。
春ちゃんは優しいし、明るくて元気だし、可愛いし、きっとアキと一緒に幸せになれる。それは嬉しい。でも、そこにいるのが、アキに撫でられてるのが、自分みたいだけど自分じゃないと思うと……苦しい。
展覧会はすごく嬉しくて、心が晴れたけど、でも。
私の中の、アキへの執着が、まだ、解けない。