- 作戦会議 -
*** Miss Spring ***
私はまた、階段の一番上に座って、二人を眺めていた。
アキの話を、涙を流しながら聞いていた。アキの中の、私との、思い出。アキの心の中の、笑わない私。それは、私の中のアキとの思い出と、アパートで見る笑わないアキと、一致するような気がした。
私が人バクレイになった理由は、私がアキに未練や執着を持っていることと、彼が私の魂を縛っていることの、両方なのかもしれない。お互いに縛りあって、いつの間にか複雑に絡み合って、辛くても抜け出せなくなっているのかもしれない。
アキの話を聞きながら、春ちゃんも泣いてくれていた。
春ちゃんは優しい子だ。きっと自分も辛いのに、アキの悲しみを分かち合おうとしてくれている。最初の頃、彼女に嫉妬して、アキに近付かせないようにしていた自分が恥ずかしい。私はもう死んじゃってるから、アキを救えるはずないのに、アキは私だけのものだって独占しようとしていた。それが、彼の苦しみを解き放つのを遠ざけているとも気付かずに。
「じゃあ、ハルを忘れろって言うのかよ……。ハルの願いは、ハルが生きた証はどうなるんだ!」
アキが声を荒げた。私の願い、私が生きた証……
かつて、高校の裏のあの丘でアキに話した言葉が、その時の風景と一緒に、鮮明に心に浮かんだ。初夏の夕日が天使の梯子になって、私たちの世界に差し込む綺麗な時間だった。
(それにさ、自分の生み出した作品が人の目に触れて、世に残るって、とっても素敵なことだと思うんだ。私がこの時代、この場所に、確かに生きていたんだっていう、証明になるみたいな感じ。誰かがこの絵を観てくれて、私という存在を認識して、覚えててくれる……。ね、素敵だと思わない? だからさ、アキも、ね)
アキは、私のこの言葉を、ずっと覚えていてくれたんだ。そしてこの言葉が、アキをずっと、縛り続けていたんだ。
また、涙がぽろぽろと零れてきた。ごめんね、アキ。
私を忘れないで。その願いが、私の大切な人を苦しめ続けていた。
「これはもう、やるしかないでしょ」
「やる……? 何を?」
春ちゃんが階段を駆け下りて、砂浜の上で両手を広げた。
「私たちで、ハルちゃんの展覧会を開くんだよ!」
心臓がドクンと動いた。
アキに名前を呼ばれた時みたいに、私の鼓動が波紋になって、空間に広がった。
理解するのに、少し時間がかかった。胸のドキドキが、だんだん早くなってきた。
私の……展覧会。
私の夢。
それを、アキと春ちゃんが開いてくれる。
それって、それって……なんて素敵!
春ちゃんが、作戦会議を開こうと言って、アキを民家の方に連れて歩き出した。私も立ち上がって、二人の後から付いて行こうとしたら、後ろから呼び止められた。
「サクラじゃない。また、久しぶりね」
「きなこ! この前はごめんね、私間違ってたよ」
「あら、あなた、また泣いてるのね。何かあったの?」
「うん、うん、色々あったんだけど、でも今は、すごく嬉しいの」
「嬉しいのに、泣いてるの? やっぱり人間って面白いわ」
「うん、そうかも、えへへっ」
また、きなこに全部話した。アキと春ちゃんが、私の絵の展覧会を開いてくれることも。
「そう、良かったわね。あなたの夢が叶うのね」
「そうなの! ……あ、そろそろ壁がくるかも」
おじいさんの喫茶店に向かう二人の姿が、小さくなってきた。壁に押されることを覚悟して身構えていたけど、しばらくしても壁は来ない。
「あれ……、変だな。この距離だと壁に押されていてもおかしくないのに」
「もしかしたら、壁の範囲が広がったんじゃないかしら」
「そ、そうなのかな。そういえば前は、狭くなったこともあったんだよ」
「サクラ自身の心と、サクラの魂を縛るアキって子の心の変化に、壁が影響を受けるのかもしれないわね。今のあなた、なんだか晴々とした表情をしているわよ」
「そうかな。今私、すごくウキウキドキドキしてるの。嬉しくて、楽しくて、走り出したいくらいなの。これからね、二人がおじいさんの喫茶店で、展覧会の作戦会議を開いてくれるんだって。きなこも一緒に聞きにいかない?」
「あたしは当日を楽しみにしておくことにさせてもらうわ。これからお昼寝の予定なの」
「そっか。じゃあ、日付が決まったら教えるね」
きなこはあくびをして階段の上に丸まった。それを見届けてから、私も喫茶店へ走る。
*** Mr. Autumn ***
海を後にして、僕たちは『cafe cerisier』に向かっていた。
ハルの展覧会を開くことに向けた作戦会議を行うためだ。春はそれを、「ハルちゃん解放大作戦」と名付けた。安直過ぎる名前だったが、今の僕の心は驚くほど軽かったので、笑って賛同した。春が作戦隊長となり、僕は参謀に任命された。春は終始ご機嫌だった。
おじいさんと顔を合わせることに、少なからぬ躊躇を感じたが、その事を春に伝えると、
「前言ってたことを気にしてるんだね。それなら大丈夫。おじいちゃんには私から厳しく言っておいたから。私の決めたことに陰で口出ししないで! って」
「でもそれじゃ、おじいさんがちょっとかわいそうだな」
「おじいちゃんは人格者だから大丈夫! ……それにさ、今決める必要なんて、全然ないんだよ。秋が、私を選ぶかどうかなんて。この作戦が成功して、秋も、ハルちゃんも、全部救われたら、その時に考えてくれればいいよ」
「うん……。わかった」
春の気遣いに、胸が締め付けられる。出来る事なら、僕の手で、君を幸せにしてあげたい。いつか心の中のハルが許してくれたら、この気持ちを伝えよう。
春が木の扉を押し開けると、おじいさんはいつもの優しい表情で迎えてくれた。
「おかえり、春。秋君も、いらっしゃい」
「おじゃまします」
軽くお辞儀をし、扉を閉めると、春が駆けだして行っておじいさんに抱きついた。
「おじいちゃん! 私たちね、すごいこと思いついたんだよ。今、ドキドキして、ワクワクしてしょうがないの!」
「ほう、それは良かったね」
おじいさんは限りなく優しく微笑んで、春の頭を撫でた。それから僕の方を見て、
「秋君、この前は、本当にすまなかった。春に叱られてしまったよ。私は、結論を急ぎすぎたようだね……」
「いえ、そんな……」
「できれば、これからも遊びに来てくれ。その方が、春も喜ぶから」
「はい、もちろんです」
昼食を作ると言って、おじいさんは二階に上がっていった。そういえばもうお昼を大分過ぎていた。急に空腹が襲いかかる。何か美味しいものを沢山食べたい。自分の中に、今までにないエネルギーを感じる。春が言っていたように、今は僕も、ドキドキして、ワクワクしてしょうがなかった。未来に輝く希望を感じて、今すぐにでも走り出したかった。
僕たちはいつもの席に座り、春がひとつ咳払いをした後、切り出した。
「それでは、『ハルちゃん解放大作戦』の第一回作戦会議を始める」
春が真面目な顔で変な作戦名を言うので、吹き出してしまった。
「えー、何で笑うのさー!」
「いや、何でもないよ。続けてくれ、隊長」
「うむ。じゃあまずはー、作戦の概要を整理してみよっか」
鞄からノートとペンを取り出し、書いてみる。
ハルの桜の絵の展覧会を開く!
なるべく沢山の人に観てもらい、ハルを覚えてもらう。
「うーん、まとめてみるとこれだけなんだね」
「そうだな。何かちょっと寂しいし、普通だよな」
「もうちょっと、スパイスを加えられないかな。観てくれた人に、もっと強い印象を残すような……。何かないかね、作戦参謀よ」
腕を組んで考える。ハルの夢だった、桜の絵の展覧会。ただの個展では終わらせたくない。
特殊な場所……?
「見晴らしの良い場所……。東京タワーの展望台を借りるとか」
「え、あそこって個人で借りられるの? 借りられるとしても、そんなお金ある?」
「ありません」
素敵なBGM……?
「うーん、BGMと言っても、感動する程のものなんて思いつかないよね。それに、全然関係ない音楽が絵に勝っちゃったらダメじゃない?」
「たしかに」
特別ゲスト……?
「秋、有名な知り合いでもいるの?」
「いません」
だめだ。いい案が浮かばない。空腹のせいだろうか。
このままでは参謀失格かと思われたその時、おじいさんがトレーを持って階段から降りてきた。部屋に漂う良い匂いが、空腹をより刺激する。
「待たせたね。簡単で悪いけど、昼食にしよう」
「わーい!」
春が大げさに喜んだ。心の中では、僕もおじいさんに万歳を捧げていた。
フェットチーネのカルボナーラだ。さすが喫茶店、お洒落な昼食が出る。
ん? 喫茶店、お洒落な食事。奥で佇むピアノ。僕の中で何かが閃いた。
「そうだ! おじいさん、このお店を貸してくれませんか!」
*** Miss Spring ***
私はまた、階段の一番上に座って、二人を眺めていた。
アキの話を、涙を流しながら聞いていた。アキの中の、私との、思い出。アキの心の中の、笑わない私。それは、私の中のアキとの思い出と、アパートで見る笑わないアキと、一致するような気がした。
私が人バクレイになった理由は、私がアキに未練や執着を持っていることと、彼が私の魂を縛っていることの、両方なのかもしれない。お互いに縛りあって、いつの間にか複雑に絡み合って、辛くても抜け出せなくなっているのかもしれない。
アキの話を聞きながら、春ちゃんも泣いてくれていた。
春ちゃんは優しい子だ。きっと自分も辛いのに、アキの悲しみを分かち合おうとしてくれている。最初の頃、彼女に嫉妬して、アキに近付かせないようにしていた自分が恥ずかしい。私はもう死んじゃってるから、アキを救えるはずないのに、アキは私だけのものだって独占しようとしていた。それが、彼の苦しみを解き放つのを遠ざけているとも気付かずに。
「じゃあ、ハルを忘れろって言うのかよ……。ハルの願いは、ハルが生きた証はどうなるんだ!」
アキが声を荒げた。私の願い、私が生きた証……
かつて、高校の裏のあの丘でアキに話した言葉が、その時の風景と一緒に、鮮明に心に浮かんだ。初夏の夕日が天使の梯子になって、私たちの世界に差し込む綺麗な時間だった。
(それにさ、自分の生み出した作品が人の目に触れて、世に残るって、とっても素敵なことだと思うんだ。私がこの時代、この場所に、確かに生きていたんだっていう、証明になるみたいな感じ。誰かがこの絵を観てくれて、私という存在を認識して、覚えててくれる……。ね、素敵だと思わない? だからさ、アキも、ね)
アキは、私のこの言葉を、ずっと覚えていてくれたんだ。そしてこの言葉が、アキをずっと、縛り続けていたんだ。
また、涙がぽろぽろと零れてきた。ごめんね、アキ。
私を忘れないで。その願いが、私の大切な人を苦しめ続けていた。
「これはもう、やるしかないでしょ」
「やる……? 何を?」
春ちゃんが階段を駆け下りて、砂浜の上で両手を広げた。
「私たちで、ハルちゃんの展覧会を開くんだよ!」
心臓がドクンと動いた。
アキに名前を呼ばれた時みたいに、私の鼓動が波紋になって、空間に広がった。
理解するのに、少し時間がかかった。胸のドキドキが、だんだん早くなってきた。
私の……展覧会。
私の夢。
それを、アキと春ちゃんが開いてくれる。
それって、それって……なんて素敵!
春ちゃんが、作戦会議を開こうと言って、アキを民家の方に連れて歩き出した。私も立ち上がって、二人の後から付いて行こうとしたら、後ろから呼び止められた。
「サクラじゃない。また、久しぶりね」
「きなこ! この前はごめんね、私間違ってたよ」
「あら、あなた、また泣いてるのね。何かあったの?」
「うん、うん、色々あったんだけど、でも今は、すごく嬉しいの」
「嬉しいのに、泣いてるの? やっぱり人間って面白いわ」
「うん、そうかも、えへへっ」
また、きなこに全部話した。アキと春ちゃんが、私の絵の展覧会を開いてくれることも。
「そう、良かったわね。あなたの夢が叶うのね」
「そうなの! ……あ、そろそろ壁がくるかも」
おじいさんの喫茶店に向かう二人の姿が、小さくなってきた。壁に押されることを覚悟して身構えていたけど、しばらくしても壁は来ない。
「あれ……、変だな。この距離だと壁に押されていてもおかしくないのに」
「もしかしたら、壁の範囲が広がったんじゃないかしら」
「そ、そうなのかな。そういえば前は、狭くなったこともあったんだよ」
「サクラ自身の心と、サクラの魂を縛るアキって子の心の変化に、壁が影響を受けるのかもしれないわね。今のあなた、なんだか晴々とした表情をしているわよ」
「そうかな。今私、すごくウキウキドキドキしてるの。嬉しくて、楽しくて、走り出したいくらいなの。これからね、二人がおじいさんの喫茶店で、展覧会の作戦会議を開いてくれるんだって。きなこも一緒に聞きにいかない?」
「あたしは当日を楽しみにしておくことにさせてもらうわ。これからお昼寝の予定なの」
「そっか。じゃあ、日付が決まったら教えるね」
きなこはあくびをして階段の上に丸まった。それを見届けてから、私も喫茶店へ走る。
*** Mr. Autumn ***
海を後にして、僕たちは『cafe cerisier』に向かっていた。
ハルの展覧会を開くことに向けた作戦会議を行うためだ。春はそれを、「ハルちゃん解放大作戦」と名付けた。安直過ぎる名前だったが、今の僕の心は驚くほど軽かったので、笑って賛同した。春が作戦隊長となり、僕は参謀に任命された。春は終始ご機嫌だった。
おじいさんと顔を合わせることに、少なからぬ躊躇を感じたが、その事を春に伝えると、
「前言ってたことを気にしてるんだね。それなら大丈夫。おじいちゃんには私から厳しく言っておいたから。私の決めたことに陰で口出ししないで! って」
「でもそれじゃ、おじいさんがちょっとかわいそうだな」
「おじいちゃんは人格者だから大丈夫! ……それにさ、今決める必要なんて、全然ないんだよ。秋が、私を選ぶかどうかなんて。この作戦が成功して、秋も、ハルちゃんも、全部救われたら、その時に考えてくれればいいよ」
「うん……。わかった」
春の気遣いに、胸が締め付けられる。出来る事なら、僕の手で、君を幸せにしてあげたい。いつか心の中のハルが許してくれたら、この気持ちを伝えよう。
春が木の扉を押し開けると、おじいさんはいつもの優しい表情で迎えてくれた。
「おかえり、春。秋君も、いらっしゃい」
「おじゃまします」
軽くお辞儀をし、扉を閉めると、春が駆けだして行っておじいさんに抱きついた。
「おじいちゃん! 私たちね、すごいこと思いついたんだよ。今、ドキドキして、ワクワクしてしょうがないの!」
「ほう、それは良かったね」
おじいさんは限りなく優しく微笑んで、春の頭を撫でた。それから僕の方を見て、
「秋君、この前は、本当にすまなかった。春に叱られてしまったよ。私は、結論を急ぎすぎたようだね……」
「いえ、そんな……」
「できれば、これからも遊びに来てくれ。その方が、春も喜ぶから」
「はい、もちろんです」
昼食を作ると言って、おじいさんは二階に上がっていった。そういえばもうお昼を大分過ぎていた。急に空腹が襲いかかる。何か美味しいものを沢山食べたい。自分の中に、今までにないエネルギーを感じる。春が言っていたように、今は僕も、ドキドキして、ワクワクしてしょうがなかった。未来に輝く希望を感じて、今すぐにでも走り出したかった。
僕たちはいつもの席に座り、春がひとつ咳払いをした後、切り出した。
「それでは、『ハルちゃん解放大作戦』の第一回作戦会議を始める」
春が真面目な顔で変な作戦名を言うので、吹き出してしまった。
「えー、何で笑うのさー!」
「いや、何でもないよ。続けてくれ、隊長」
「うむ。じゃあまずはー、作戦の概要を整理してみよっか」
鞄からノートとペンを取り出し、書いてみる。
ハルの桜の絵の展覧会を開く!
なるべく沢山の人に観てもらい、ハルを覚えてもらう。
「うーん、まとめてみるとこれだけなんだね」
「そうだな。何かちょっと寂しいし、普通だよな」
「もうちょっと、スパイスを加えられないかな。観てくれた人に、もっと強い印象を残すような……。何かないかね、作戦参謀よ」
腕を組んで考える。ハルの夢だった、桜の絵の展覧会。ただの個展では終わらせたくない。
特殊な場所……?
「見晴らしの良い場所……。東京タワーの展望台を借りるとか」
「え、あそこって個人で借りられるの? 借りられるとしても、そんなお金ある?」
「ありません」
素敵なBGM……?
「うーん、BGMと言っても、感動する程のものなんて思いつかないよね。それに、全然関係ない音楽が絵に勝っちゃったらダメじゃない?」
「たしかに」
特別ゲスト……?
「秋、有名な知り合いでもいるの?」
「いません」
だめだ。いい案が浮かばない。空腹のせいだろうか。
このままでは参謀失格かと思われたその時、おじいさんがトレーを持って階段から降りてきた。部屋に漂う良い匂いが、空腹をより刺激する。
「待たせたね。簡単で悪いけど、昼食にしよう」
「わーい!」
春が大げさに喜んだ。心の中では、僕もおじいさんに万歳を捧げていた。
フェットチーネのカルボナーラだ。さすが喫茶店、お洒落な昼食が出る。
ん? 喫茶店、お洒落な食事。奥で佇むピアノ。僕の中で何かが閃いた。
「そうだ! おじいさん、このお店を貸してくれませんか!」