彼女が自分のことを良く「天才」だとか「神様」だなんて自称しているけれど。
「そうだね」と1つ頷いた後に視線を交えさせてはドッと笑い声を沸かす。
僕の狭い世界の中ではきっと本当の「天才」や「神様」が存在しないから。
君の事しか見えていないから、天才も神様も全ての役が君でいいと思っている。
不意に、わがままを言って欲しいって、そうあなたが言ったから
「じゃあキスしてよ」
だなんて笑って曖昧に流してしまったけれど。
ほんとうは___至極最低だけれど
あなたが
雪になって溶けても、花に変わって朽ちても
私に逢いに来てくれないと嫌だって。
困らせてしまいたかったの。
「来たみたいね、ダーリン」
「もう、囃さないでよ」
バイクのエンジン音が聞こえたらお別れの合図。
「また掛けるわね」と黒電話を指さして笑った彼女の家を出て、迎えに来てくれた彼に駆け寄り抱きついた。
「バカ、危ないだろ」
「迎えに来てくれてありがとう!」
「…お前1人じゃあ 危ないからな」
彼がヘルメットを少し深く被る。顔さえも見えないほどに。
私はそれが照れ隠しだと思ったけれど、彼は「早く乗れ」の合図のつもりだったから、わざと勢いを付けて飛び乗るような形で、そしてどさくさに紛れて彼の腰に手を回した。
「バカ、危ないだろ」
「そればっかりね」
発進したバイクはビュンビュンと風を切って、景色だけが後ろへ流れていく。
最初の頃はこの浮遊感に怯えていたけれど、今は怖がっているふりをしてしがみついているだけ。
「ねぇ、スピード落として!」なんてセリフも、バイバイまでの時間を少しでも長く取るためだけのもの。
「本気にした?」だなんて。
してないよ、 例えそう答えたとしても君は 嘘だ、と笑って弥次るくせに。
「本気にした」
言うつもりのなかった“好き”のわずか2文字の言葉が、違う形に変化して口から零れた。
「嫌だなあ。冗談だよ」
僕の回答に何気ない仕草で目伏せをした彼女。
その口元は不格好な笑みを湛えていたけれど、一向に僕との視線がかち合わないのは――
「はは、嫌だな」
照れているのだと思い込めれば、どれほど楽に君と恋愛をすることが出来ただろうか。
湧き上がってきた恋情以外の全てを押し殺して、なるべく優しくその頬に触れる。
「本気にした?」
君の言葉をなぞって乱暴に誤魔化してみせた。
「俺は、自分の中で恋愛っていう概念が消えたことがないから、分からないよ」
ごめんね、ってそうやって。
「泣きそう」だなんて。すでに涙を流していたくせに。
やけに優しい声色で幾度となくごめんねの言葉を洩らしてばかりの彼に、私の知っていた暖かさを感じて安堵をしたのはもう随分前の話。
そのたった4文字の台詞じゃあ、あの夜の私の気持ちが絆されることはなかったけれど。
今どきの若人は「すき」と言うわずか2文字の単語に、気持ちを重ねすぎているように見えるでしょう?この平成の世で「すき」その言葉の需要が年々下がってしまっていることをあなたは知っていますか。
彼にそう問い掛けられたあの時、嫌に心臓辺りが音を鳴らした。
それはドキドキ、なんて甘い音じゃなくて、ズドンとかズギンとか、耳響きの悪いようなそんな音。
だってまさに、あの時。
「…知らないです」
私は彼に、その口から漏らさた需要の低い「すき」という言葉を告げようとしていたから。
彼は続けた。僕はすきと言う言葉が嫌いな訳ではないんです、と。
ただ、平成を生きる同年代の人間達がすぐに「すき」を誓っては、無かった出来事にして、そうしてまたすぐに安い「すき」を掲げる。その頭の悪そうな行動のループを何万の人々が同時に行っている。その事実は今の時代に浸透しすぎていて、最早なんの違和感も感じない人が多くなっている、と。
そう不満げに口を尖らせた彼に、私はどうして「すき」と言うその安い感情を抱いてしまったのか。
初めは、頭の硬そうな人だと思っていた。理屈を好んで、曲がった意見を認めない、小難しい事に生きている人だと。
けれど、通じる冗談もあれば、ゲームがとても上手なところ、緑野菜が嫌いなところ、英語が致命的に苦手なところ。親近感というのか、割と普通の私と変わらない人間だということに気がついて、そして、__時が経つにつれ私も彼に「すき」と言うその感情を抱いていた。現に、それを伝えるつもりでいた。
彼は言った。その行為は果てしなく僕の迷惑になっていると。本気の「すき」を伝えて軽く見られては、安請け合いされては困ると。
「好きなんて言葉が、あなたにはどこまで響きますか」
あの時顔を伏せて私に問た、彼は。きっとこの先の生涯を共に生きる人。
安請け合いなんてしてはいないから、
私を寝かしつける度に、「ママには言っちゃダメだからね」そう言って釘までさして。お行儀悪くお布団の上で2人、よくお菓子を食べていたね。
「みっちゃんにこれは、まだ早いかなあ」
私にくれた事はなかったその洋酒入りのチョコレート。
食べては「酔っちゃった」だなんて、力なくヘラヘラと笑っていたっけ。
まだ幼かった私は、アルコールに侵食されてしまって泣き言を言ちる彼を、どうしようもない大人だと思って。
その背中に腕を回して、彼と同じ大人を見真似て。
柔らかな黒い髪の毛を撫でていたけれど。
本当の大人になった時に、アルコール分3・2%のチョコレートには、強がることが得意だった彼の背中を丸める力がないことを知った。
繋がったままの通話と迎えた朝、少し掠れた声で呼ばれた私の名前。
とうに起きていたくせに、解くことが出来なかったミュートモード。