トロイメライ

小学3年生の夏、私は家族を失った。
一家心中の末のことだった。

私には母と、三つ下に妹がいた。
父のことはほとんど知らない。
物心ついたときから父親の存在はなく、また、母が父について話すことはなかったからだ。

母は女手ひとつで、私と妹を育てていた。
笑顔を絶やさない優しい人だったが、その表情の中にいつも疲れが見えていたことを覚えている。

生活はとても貧しかった。
両親を早くに亡くした母は、頼れる人も居らず、一人で働き、一人で家事をし、一人で家計を支えていたのだ。
そんな生活に限界が来たのが、私が9歳になったころのことだったのだろう。

それはある日の、突然のことだった。
燃え盛る炎の中で、母は強く私の肩を掴んでいた。

「ごめんね雨音……ごめんね……」

虚ろな顔をした母がしきりに謝り続け、傍らでは妹が苦しげな顔で倒れている。
それはまるで、地獄のような光景だった。

それから何が起こったのかはよく覚えていない。
分かっているのは、家族の中でなぜか私だけが一命を取り留め、今でも生き続けているということだけだ。

「雨音ちゃん、どうするの?」

「まだ小さいしねぇ。うちは無理よ。自分の子供だけで手一杯」

「やっぱり施設に入れるのが一番かしらね。あの子のためにも」

家がすべて焼け落ちてしまったため、幼かった私は親戚の家に預けられることとなった。
しかし親戚と言えど、葬式で初めて会うような繋がりの薄い人々ばかりだ。
私の存在にいい顔をする者は誰もおらず、ましてや引き取りたいと言う者もいない。
そんな様子を、私も幼いながらに分かっていた。

迷惑になるのならいっそ、私も二人と一緒に死んでしまえたらよかった。
その方が、丸く収まったのに。

「それにあの子、なんだか気味が悪いわ」

「家族が亡くなったのに、涙ひとつ見せないなんて」

「心も壊れちゃったのよ、きっと」

口々に噂される声を他人事のように聞きながら、私は庭に出て、咲いている植物を眺めていた。
ここは誰の家だっただろう。
丁寧に植えられた色とりどりの花が、行儀よく並んでいる。

壊れてなんかないよ、私。
心の中で小さく反抗の言葉をもらして、私は膝を抱えた。

壊れてなんかいない。
二人が死んでしまったことも、すべてが燃えてしまったことも、全部全部分かっている。
けれど頭の中はいつだってぼんやりしていて、何かを考えたいとは思えないのだ。
そのせいか、涙も流れない。

それに私は、少しだけホッとしていた。
お母さんはたくさん苦労をしていたけれど、これでもう、悩むことも疲れることもない。
妹は熱い炎に飲み込まれて辛い思いをしただろうけれど、お母さんがいれば寂しくないだろう。
だからきっと、これでよかった。

「私も……」

私も早く、二人の元に行きたいな。
ひとりぼっちはとても心細いから。

そんなことを考えていると、視線の先で赤い花が揺れた。
目に焼きつくようなその色は、燃え盛る炎の色に似ている。
何の気なしに近寄り、そっと触れてみれば、すべてを許してくれるかのように、花も笑ってくれた気がした。

「あら、サルビアね」