「さて、じゃあ夕飯作ろうかな」
西河くんはオセロを片付けると、揚々とリビングへ向かった。
勝手に泊まることにされてしまった。
御両親は海外赴任中だそうなので、今夜はこの家にふたりきりということになる。
別に、何かあると思ってるわけじゃないけど。
諦めた私はスマホを置くと、夕飯の手伝いをするべく西河くんのあとを追った。
夕飯はふたりで自炊した。
といっても、ほとんどは西河くんが作り、私はその手伝いだけ。西河くんは手慣れた仕草で生姜を刻み、豚肉と一緒にフライパンで炒めている。
「生姜焼きでいいかな。ひとりだから、自分の好きな物しか作らないんだよね」
「うん。生姜焼き大好き。何か手伝おうか」
「じゃあ、テーブル拭いてから皿を出してくれる?」
「わかった」
私は布巾でダイニングテーブルを拭き、食器棚から盛り皿を選んだ。リビングと台所の間にあるダイニングは綺麗に片付いていた。
ふたりで食卓に着き、西河くんの手作り生姜焼きをいただく。豚肉の旨味が溢れ、生姜の仄かな辛みと絶妙な匙加減で絡み合っている。
「美味しい! 西河くん、料理上手なんだね」
「レパートリーは少ないんだけどね。喜んでもらえてよかった」
白米の御飯と、豆腐とワカメの味噌汁も添えられている。このような豪勢な食事ができることが、なぜか懐かしく思えた。夢で見たことが長く感じられたせいかもしれない。
「いつも自炊なの? すごいね」
「大体は自炊だね。テスト勉強で忙しいときは弁当だよ。生姜焼き弁当とか」
「生姜焼きばっかり」
私たちは共に笑い合った。和やかな食卓に、楽しげな笑い声が弾ける。
食事のあとはふたりで食器を片付けた。私が皿洗いをしている間に、西河くんは風呂にお湯を張っていた。水の流れる音が耳に届き、続いて風呂場の戸がぱたんと閉められる。そのあと西河くんが、押し入れから布団を取り出している物音が響いた。私がいるので、客用の布団を敷いているようだ。
洗い終えた食器の濡れた輝きを目にしながら、ふと気がつく。
まさか一緒の部屋で寝るわけにはいかない。一応、男女なのである。
リビングにスペースがあるので、私の布団はそこに敷いたほうがよいのではないだろうか。
私は台所から出ると、西河くんのもとへ向かった。
部屋にはすでに、二組の布団がぴたりと隙間なく並べて敷かれている。
「えっ……西河くんと、一緒の部屋で寝るの?」
枕を添えていた西河くんは、ごく当然のように頷く。
「このほうが自然かなと思って」
どこが自然なのだろう。むしろ不自然ですけれども。
西河くんは思い出したように手を打った。
「そうそう、これは総合情報部の活動の一環だよ。図書館から借りた本を調べよう。ひとりだと読むのが進まないんだよね。あともちろんだけど、俺が男だからって何もしないから」
とってつけたような言い方だけれど、図書館から借りた書籍に手をつけられていないのは私も同じだった。一緒に読めば情報共有もしやすい。レポートに纏めるのも、ひとりでやるよりは楽だろう。
「それもそうだね」
「先に風呂入っていいよ。着替えも用意してあるから」
勧められるまま、私は風呂場へ向かった。
なんだか西河くんに上手く丸め込まれてしまったような気がする。
脱衣場の籠には新品のパジャマと、これも新品の女物の下着が用意されていた。西河くんがドラッグストアで買ってくれた化粧水などのお泊まりセットも重ねて置かれている。用意周到とはこのことだ。
服を脱ぎ、洗い場で体をお湯で流す。それから湯気を立てている湯船に肩まで浸かる。
ふう、と細い吐息が零れた。温かな湯が、心の強張った部分を解いてくれるようだ。
実は泊まれてよかったと思っている。
あの悪夢を見てから、ひとりで眠るのはとても怖かったから。
皮膚が焦げて、肉が溶け、骨が焼かれる感覚に襲われそうになる。
火あぶりにされて殺される恐怖が脳裏によみがえる。
ぞくりと背筋に悪寒が走る。
私は左の手のひらを開いてみた。
握りしめたまま焼かれた、最後の一文字。
赤い痣は火傷の痕のようでもあり、血のようにも見える。
ぽたり、と湯船に水滴が落ちた。
今まで目を背けていた、生まれたときからある痣を、私はずっと見つめていた。
交代で風呂に入ったあとは、布団を敷いた西河くんの自室で、図書館から借りた本を取り出す。私は鞄にそのまま入れていた『龍宮神社の成り立ち』というタイトルの書籍を手にした。
夢で見た龍神信仰の村では、龍神の社はあったけれど、龍宮神社という名ではなかった。
だから関係はないだろうと思い、軽くページを捲る。
「あっ……」
著者が描いたという墨絵風の挿絵が目に留まり、ぎくりとする。
緩やかな山の稜線のもとに広がる、扇形の地形。山間の小さな村の集落。
村の奥に位置する社の前に引かれた、一本の太い縦線。
私は唐突に理解した。
この縦線は、社にあった樫の巨木を表している。
龍神の那岐が、茂蔵に鎖で幾日も結いつけられた、あの樫の木だ。
それが呪いの証であるかのように、挿絵の中に描かれていた。
「どうしたの?」
他の書籍を捲っていた西河くんに声をかけられる。
「この景色……夢の中で見たよ。龍神信仰の村で、怒った村人に龍神が縛りつけられたのが、この樫の木なの。私は生贄の娘で、蔵の中で焼き殺されてしまうの」
「へえ……」
興味深げに覗き込んだ西河くんと共に、書籍の内容をじっくりと読んでみた。
江戸時代に日照りで苦しんでいた水池村は、かつて存在した龍族を神と崇めて雨乞いを行っていた。村には龍族の化身である青年がいたが、水が枯渇したある年、村人は青年の雨乞いをまやかしと糾弾して殺害しようとした。それが龍神の怒りを買い、村は水底に沈んでしまった。後悔した村人は高台に龍宮神社を建て、幾世代にわたり、龍神に許しを請うことにした。
それが龍宮神社の始まりとされていた。
要約すると、そういうことだった。
生贄の娘が焼き殺されたとは、どこにも書かれていなかった。
ニエのことを除けば、私が夢で見た内容と合致する。
私はこの村で起きた詳細を、初めて知ったはずなのに。
西河くんは著者名を確認した。
「龍宮神社一二代宮司、鑓水茂樹。神社の宮司さんなんだね。この人の祖先が、水池村の村民だったんじゃないかな」
龍神信仰の村は、江戸時代に実在した。
じゃあ、私が夢に見たあの村は……。
書籍のどこを捲っても、龍族の化身であるという青年が、その後どうなったのかは記されていない。
西河くんはオセロを片付けると、揚々とリビングへ向かった。
勝手に泊まることにされてしまった。
御両親は海外赴任中だそうなので、今夜はこの家にふたりきりということになる。
別に、何かあると思ってるわけじゃないけど。
諦めた私はスマホを置くと、夕飯の手伝いをするべく西河くんのあとを追った。
夕飯はふたりで自炊した。
といっても、ほとんどは西河くんが作り、私はその手伝いだけ。西河くんは手慣れた仕草で生姜を刻み、豚肉と一緒にフライパンで炒めている。
「生姜焼きでいいかな。ひとりだから、自分の好きな物しか作らないんだよね」
「うん。生姜焼き大好き。何か手伝おうか」
「じゃあ、テーブル拭いてから皿を出してくれる?」
「わかった」
私は布巾でダイニングテーブルを拭き、食器棚から盛り皿を選んだ。リビングと台所の間にあるダイニングは綺麗に片付いていた。
ふたりで食卓に着き、西河くんの手作り生姜焼きをいただく。豚肉の旨味が溢れ、生姜の仄かな辛みと絶妙な匙加減で絡み合っている。
「美味しい! 西河くん、料理上手なんだね」
「レパートリーは少ないんだけどね。喜んでもらえてよかった」
白米の御飯と、豆腐とワカメの味噌汁も添えられている。このような豪勢な食事ができることが、なぜか懐かしく思えた。夢で見たことが長く感じられたせいかもしれない。
「いつも自炊なの? すごいね」
「大体は自炊だね。テスト勉強で忙しいときは弁当だよ。生姜焼き弁当とか」
「生姜焼きばっかり」
私たちは共に笑い合った。和やかな食卓に、楽しげな笑い声が弾ける。
食事のあとはふたりで食器を片付けた。私が皿洗いをしている間に、西河くんは風呂にお湯を張っていた。水の流れる音が耳に届き、続いて風呂場の戸がぱたんと閉められる。そのあと西河くんが、押し入れから布団を取り出している物音が響いた。私がいるので、客用の布団を敷いているようだ。
洗い終えた食器の濡れた輝きを目にしながら、ふと気がつく。
まさか一緒の部屋で寝るわけにはいかない。一応、男女なのである。
リビングにスペースがあるので、私の布団はそこに敷いたほうがよいのではないだろうか。
私は台所から出ると、西河くんのもとへ向かった。
部屋にはすでに、二組の布団がぴたりと隙間なく並べて敷かれている。
「えっ……西河くんと、一緒の部屋で寝るの?」
枕を添えていた西河くんは、ごく当然のように頷く。
「このほうが自然かなと思って」
どこが自然なのだろう。むしろ不自然ですけれども。
西河くんは思い出したように手を打った。
「そうそう、これは総合情報部の活動の一環だよ。図書館から借りた本を調べよう。ひとりだと読むのが進まないんだよね。あともちろんだけど、俺が男だからって何もしないから」
とってつけたような言い方だけれど、図書館から借りた書籍に手をつけられていないのは私も同じだった。一緒に読めば情報共有もしやすい。レポートに纏めるのも、ひとりでやるよりは楽だろう。
「それもそうだね」
「先に風呂入っていいよ。着替えも用意してあるから」
勧められるまま、私は風呂場へ向かった。
なんだか西河くんに上手く丸め込まれてしまったような気がする。
脱衣場の籠には新品のパジャマと、これも新品の女物の下着が用意されていた。西河くんがドラッグストアで買ってくれた化粧水などのお泊まりセットも重ねて置かれている。用意周到とはこのことだ。
服を脱ぎ、洗い場で体をお湯で流す。それから湯気を立てている湯船に肩まで浸かる。
ふう、と細い吐息が零れた。温かな湯が、心の強張った部分を解いてくれるようだ。
実は泊まれてよかったと思っている。
あの悪夢を見てから、ひとりで眠るのはとても怖かったから。
皮膚が焦げて、肉が溶け、骨が焼かれる感覚に襲われそうになる。
火あぶりにされて殺される恐怖が脳裏によみがえる。
ぞくりと背筋に悪寒が走る。
私は左の手のひらを開いてみた。
握りしめたまま焼かれた、最後の一文字。
赤い痣は火傷の痕のようでもあり、血のようにも見える。
ぽたり、と湯船に水滴が落ちた。
今まで目を背けていた、生まれたときからある痣を、私はずっと見つめていた。
交代で風呂に入ったあとは、布団を敷いた西河くんの自室で、図書館から借りた本を取り出す。私は鞄にそのまま入れていた『龍宮神社の成り立ち』というタイトルの書籍を手にした。
夢で見た龍神信仰の村では、龍神の社はあったけれど、龍宮神社という名ではなかった。
だから関係はないだろうと思い、軽くページを捲る。
「あっ……」
著者が描いたという墨絵風の挿絵が目に留まり、ぎくりとする。
緩やかな山の稜線のもとに広がる、扇形の地形。山間の小さな村の集落。
村の奥に位置する社の前に引かれた、一本の太い縦線。
私は唐突に理解した。
この縦線は、社にあった樫の巨木を表している。
龍神の那岐が、茂蔵に鎖で幾日も結いつけられた、あの樫の木だ。
それが呪いの証であるかのように、挿絵の中に描かれていた。
「どうしたの?」
他の書籍を捲っていた西河くんに声をかけられる。
「この景色……夢の中で見たよ。龍神信仰の村で、怒った村人に龍神が縛りつけられたのが、この樫の木なの。私は生贄の娘で、蔵の中で焼き殺されてしまうの」
「へえ……」
興味深げに覗き込んだ西河くんと共に、書籍の内容をじっくりと読んでみた。
江戸時代に日照りで苦しんでいた水池村は、かつて存在した龍族を神と崇めて雨乞いを行っていた。村には龍族の化身である青年がいたが、水が枯渇したある年、村人は青年の雨乞いをまやかしと糾弾して殺害しようとした。それが龍神の怒りを買い、村は水底に沈んでしまった。後悔した村人は高台に龍宮神社を建て、幾世代にわたり、龍神に許しを請うことにした。
それが龍宮神社の始まりとされていた。
要約すると、そういうことだった。
生贄の娘が焼き殺されたとは、どこにも書かれていなかった。
ニエのことを除けば、私が夢で見た内容と合致する。
私はこの村で起きた詳細を、初めて知ったはずなのに。
西河くんは著者名を確認した。
「龍宮神社一二代宮司、鑓水茂樹。神社の宮司さんなんだね。この人の祖先が、水池村の村民だったんじゃないかな」
龍神信仰の村は、江戸時代に実在した。
じゃあ、私が夢に見たあの村は……。
書籍のどこを捲っても、龍族の化身であるという青年が、その後どうなったのかは記されていない。