「あの。僕達、お祭りで観光課の人達から紹介されたのですが、一泊泊めて貰えることは出来ますか?」
 
「観光課……。ああ、なるほどね。そのパンフレットね。あ、はいはい。大丈夫よ、上がって。どうぞ」
 
 女性は蒼太からパンフレットを渡されると、合点がいったように頷いた。
 そして、スリッパを人数分出すと歩き出す。
 
「付いて来て。部屋へは後で案内するわね。まずはお茶でも出すわ。ご飯は食べてきた?」
 
 気軽に話しかける女性は、民泊をやっていて接客に慣れているのか、気さくで話しやすい。
 
「はい。お祭りの屋台で」
「ああ。今日、花火か。だからこんなにも賑やかだったのね」
 
 女性の言葉に、碧理は違和感を覚えた。
 花火大会の場所は、ここから目と鼻の先。今日の花火大会を忘れているかのような言葉が、少し気になった。
 
「こっちよ。あ、適当に座って。はい。ここにお名前書いてね」
 
 そう言って案内されたのは、十畳ほどの畳の部屋。その奥にはキッチンが見えた。和洋折衷でモダンな造りは、リフォームされているらしい。
 掘りごたつ式のテーブルに着くと、代表して蒼太がノートに全員分の名前を書いていく。
 
「花火見物に来てホテル取り忘れたの? それとも急に行きたくなったとか? どうぞ、レモン水よ」
 
 女性は、涼し気なガラスのコップを五人の前に置いていく。そして、栗羊羹も出してくれた。
 
「あ、えっと。皆で小旅行してたんですけど、宿を予約するのを忘れていて……今に至ります。実は花火大会に来るのが目的では無かったので」
 
 美咲が簡単に事情を話す。言いたくないことは上手く誤魔化し、勿論、親に内緒で来ていることは秘密だ。
 
「あら。それは大変だったわね。……目的は花火ではなくて『紺碧の洞窟』でしょ?」
 
 女性からその言葉が出てくるとは思わず、五人は息をのむ。
 そんな素直な五人の反応を、女性は面白そうに見ている。
 
「なぜわかったのかって顔をしているわね。簡単よ、この宿にやって来るのは、洞窟を目指す人だけだから。観光課はわかっていて回してくるのよ」
 
「……どうして、この宿に?」
 
 警戒しながら碧理が聞くと、女性は笑った。
 
 
「簡単よ。私も昔、洞窟へ行ったことがあるの。条件あったでしょ? 管理人へ会うことって。私が『紺碧の洞窟』の守り人……榊知世《さかきともよ》です」
 
 まさか、ここへ来て、こんなにもすんなりと管理人に会えるとは思わず、五人は言葉を失った。
 都市伝説だと、ただの噂だと思っていた話は、突然、現実味を帯びてくる。
 
 
「皆、良い反応するわね。青春十八切符でここまで来るのは大変だったでしょ? 途中で止める子達もいるのよ。長時間の電車は飽きるし疲れるわよね」
 
 グラスの中に入っていた氷が、溶けて音を立てた。
 
 その涼し気な音を聞いても、理解が追いついていない碧理達は、それを見ていることしか出来ない。
 
 五人が青春十八切符を使って、ここまで来たことがわかるのか疑問だった。見張っている人もいない。それは、五人以外誰もわからない。なのに、知世は確信しているらしい。
 
 五人が約束通り、青春十八切符を使って旅をしたと。
 困惑している五人を見て知世は話を続ける。
 
「……願いが、本当に、心からの願いがないなら止めておきなさい。軽い気持ちで出来ることじゃないから」
「どう言う意味ですか?」
 
 問いかけたのは碧理だ。
 
 今、この中で、誰よりも願いが強いのは碧理だろう。
 
 慎吾と翠子はお互いの気持ちが通じ合い両想いになった。だから願いも必要ない。美咲も黒川健人と話すことが出来て少しだが落ちついた。
 まだ未練は残しているが、凄く付き合いたい訳じゃない。
 
 蒼太は皆が心配で付いて来ただけで、最初から願いはなかった。
 でも碧理は違う。居場所が欲しい。そのために、ここまで来た。
 碧理の必死な様子を見て、知世は向かい合った。
 
「願いは、本当に叶うからよ。でも……代償も大きいわ」
「代償……?」
 
 怪訝な顔をした碧理に、知世は言う。
 それは長年、「紺碧の洞窟」の守り人として、探しに来た全員に伝えていること。
 願いは叶う。でも、無くなるものがあると。
 
「それはね。……願いが叶うと、大切な、忘れたくない記憶を一つ失うの」
「えっ……。記憶を?」
 
 思いもよらなかった代償に、五人は顔を見合わせた。
 記憶を失う。そんなことはファンタジーの世界だ。現代社会ではあり得ない。
 変なことを言って追い返そうとしているのか、それとも、洞窟の話自体が嘘なのか、碧理は判断に迷った。
 
「そんな、非現実的なこと……ある訳がない」
「そうね。皆、最初はそう言うわ。でも本当なの。もし願いを叶えたかったら覚えておいて。大切な記憶が一つ無くなると。それでも願うなら……案内するわ」
 
 知世は真剣で、騙そうとしている様子や、嘘を付いているようには見えない。
 
 碧理は願いを叶えたかった。
 でも、記憶を失ってまで欲しい物か考え込む。
 あと半年経てば家を出る。
 
 いつも不愛想で、碧理と進んで話すこともなく家にはいない。そんな拓真は、再婚してから穏やかになり人が変わったように笑うようになった。
 しかも、さっきの電話だ。
 今までなら碧理を気にかけることなどなかった。なのに、外食まで提案された。何かが変わり始めている。
 
「願いを叶えたいのは、あなただけかしら? 後の人は興味がないみたいね」
 黙り込む碧理とは対照的に、他の四人は心配そうに様子を伺っている。
「碧理。本当かどうかわからないけど止めとかない? 記憶を失うとか怖いよ」
 
 美咲が止めに入る。
 
「止めとけよ、花木。願いは……自分で叶えれば良い。現実味はないけど嫌な予感がする」
 
 美咲の意見に、野生の勘でも働いたのか慎吾も引き止める。
 
「そうですよ、碧理さん。辛いことがあれば、私も協力しますから」
「花木さん。記憶を失うだけの価値が、その願いにあるか考えて。……困っているなら、迷っているなら、僕も相談にのるから」
 
 美咲以外は碧理の願いを知らない。でも、口々に思い留まるようにと説得をしてきた。
 
「いいお友達ね。明日のお昼までに返事を頂戴……ゆっくり考えて。あ、もうすぐ花火よ。二階の部屋に案内するわね。ここから良く見えるわ」
 
 四人が何を言っても、碧理は考え込んだままで返事はない。
 それを見ていた知世が碧理を見た。
 
「後悔をしないように。人生は一度きりだから。願いを取るか、記憶を取るかはあなた次第よ」
 
 
 
 
 
 
「……碧理。どうする?」
 
 知世に案内された部屋は二階の二間。続き間になっていて、今ではあまり見ることのない畳の部屋だ。
 知世は「寝る時は男女別々ね」と言うと、一階へと下りて行った。
 
「……うん」
 
 気のない返事をしながら、碧理は窓の外の景色をじっと見つめる。
 色とりどりの大輪の花火が、暗い夜空を飾っていた。
 水上花火も行っているらしく、光が海に映る様子は、また格別に美しい。
 
 他の四人も、その光景を目に焼きつけるように見入っていた。
 明日、家に帰ることは決定事項だ。逃避行も終わりを迎える。
 
「……皆、家に帰ったら、残りの夏休みはどう過ごすの?」
 
 沈黙が続く中、碧理が口を開いた。
 
「私は勉強する。引きこもり止めて二学期から学校行くから」
「えっ?」
 
 不登校児の美咲の宣言が意外すぎて、碧理以外の三人も目を見張った。
 
「なによ、その意外そうな顔。私もそろそろ本腰入れて勉強する。ほら、商社狙いたいし、そこから素敵な結婚に繋げたい。待っているだけじゃ相手は来ない! シンデレラじゃなないんだし。なら将来有望な人がいっぱいいる一流企業狙いよ」
 
 いつの間にか、美咲の夢はお嫁さんになったらしい。しかも、相手はハイスペック狙い。そのために自分自身を磨くと言う。
 理由はともあれ、引きこもり解消は目出度いことだ。
 
「なら、美咲と学校で会えるね」
「うん。たまにはお昼を一緒にお弁当食べよう」
「楽しみにしてる」
 
 学校でも美咲と会えることが嬉しくて、碧理は笑顔を見せる。
 
「俺も勉強かな。まず英語。それから……白川と同じように学校、真面目に行くか」
 
 慎吾の口からも勉強の二文字が出てきて碧理は驚いてしまう。
 
「良いんじゃない。慎吾は元々、頭が良いからすぐに追いつくよ。僕も頑張ろう。部活で遅れた分、取り返さないと」
 
 高校三年の夏、皆が未来に向けて動き出す。
 手探りで、そして、まだ見ぬ先に不安を抱いて。少しでも前へ向こうと。
 
「私は残りの夏休みで海外に行って来ます。留学先を選びたいので」
 
 翠子は張り切って未来を語る。
 一番大人しいように見えた翠子が、一番行動的だった。ここにいる誰よりも先に歩き出そうとしていた。
 そんな翠子の姿が、碧理には眩しい。
 目標を決めて夢を叶えようとする姿が、羨ましいと思った。
 
「碧理はどうするの?」
 
 美咲の声に、碧理は答えられない。自分で質問をしといて、自分がどうするのか、全く思いつかない。
 
「うん。たぶん、私も勉強かな」
 
「そっか。……来年の今頃は、私達、高校生じゃないんだ。なんだか寂しい。皆、どんな道に進むんだろうね」
 
 漠然と不安を感じているのは、碧理だけではないようだ。
 皆がもがき、最善の道を探すため必死に努力する。
 
「なんか……センチメンタルだね」
「だって、こんなに綺麗な花火を皆で見られるなんて思わなかったから。一人で見ても面白くないし」
 
 美咲の感想は他の四人も同じだ。
 偶然とは言え、そこまで親しくなかった四人が不思議な縁で今ここにいる。それが、碧理には嬉しかった。
 仲間が出来たみたいで。
 
「あ、もう終わるね……。私、眠くなっちゃった。お風呂入って休もう」
 
 美咲の言葉に、全員が頷き眠る準備をする。
 
 
 花火が終わった空はとても暗くて、海もまた、全てを呑みこんで消し去りそうに見えて、碧理は身震いした。