榊さんが買ってきてくれたのは、大量のレトルトのおかゆやスープだった。うちに鍋や包丁があるかどうか分からなかったから、と、彼女は笑って言った。
俺は、食事を用意する榊さんをベッドから見ていた。だるい体は横になっていると気持ちが良かったし、彼女を見ていると安心できた。ときどき彼女が何か話しかけ、俺はそれに簡単に答えた。
仕度ができると、彼女は俺が起きるのを手伝ってくれた。
靴下を履かせてもらったり、パーカーを着せてもらったり、甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは照れくさかった。でも一方では嬉しくもあり、具合が悪いことを自分で言い訳にして甘えていた。
おかゆは苦手だったけど、温泉たまごを乗せたら結構美味しく食べられた。榊さんも、買ってきたおにぎりを一緒に食べていた。途中で洗濯機が動いている音に気付いて恐縮した俺に、榊さんは「あたしはスイッチを入れるだけだもん」と笑った。
そんな食事のあいだ、彼女は何度か俺の方を窺うように見た。けれど、そのたびに諦めたような顔をして目をそらした。
俺はそれには気付かないふりをしていた。彼女が決心するのを待とうと決めて。
温かいものを食べて体が温まると、人心地がついて、とても楽になった。
「さっき、俺が電話をかけ直さなかったら、どうするつもりだったんですか?」
そう質問をしたのは、再びベッドに入ったとき。俺を注意深く布団でくるんでから、榊さんはベッドの脇に座った。
「そのまま帰るつもりだったよ」
明るく微笑んで答える彼女。その表情は、「それ以外にないでしょう?」と言っているようだ。
「そうですか。じゃあ、すぐに気が付いて良かったな」
そう言いながら、榊さんは高校生のころと変わっていないんだと思った。ノートを返してくれと言えなくて立ち去ったあの頃と。こんなに近くまで来ていながら、それ以上の自己主張はできずに。いや、電話をくれた分、踏み出してくれているのかも。
「本当はね……」
少し憂いを含んだ微笑みで、彼女が俺を見つめる。
「来るかどうか、ものすごく迷ったの」
当然だろう。俺だって、まさか来てくれるとは思ってもみなかった。
「でもね、来ないと後悔するような気がして、思い切って来たの」
「あ……」
同じだ。榊さんがノート男に手紙を出したことと。
あの話をしてくれたとき、彼女は、迷った末に思い切ってやったあとは必ず後悔する、と言っていた。事実、ノート男に手紙を出したことを酷く後悔していた。でも、ここに来てくれたことは後悔なんかしてほしくない。
「嬉しいです」
気持ちを言葉にしてみると、そのまま一気にあふれてきた。微笑みも一緒に。
榊さんはぽかんとした顔をした。そんな彼女のことがますます愛しくなってしまう。
「来てくれて、メチャクチャ嬉しいです」
布団から手を出して、そっと彼女の頬に触れる。彼女はハッとして、ゆっくりとした動きでその手をはずし……握った。それから、少し悲しそうな目で俺を見た。
「……どうして?」
静かな問いかけ。
静かで、悲しげな。
「どうしてあんなことをしたの?」
(やっとだ……)
思わず目を閉じる。そしてゆっくりとその言葉を味わった。それが胸の奥に沁み込むまで。
ようやく満ち足りた気分になって、安堵のため息をつく。目を開けると、俺の指先を握ったままの榊さんが、静かに俺を見ていた。
「やっと言ってくれましたね」
「え……?」
「『どうして?』って」
「あ……」
動揺した彼女が、俺の手を離そうとしたのが分かった。その片手をつかまえて、静かに引き寄せる。
「そう訊いてくれるのを待っていました」
榊さんは困った様子で俺を見た。でも、無理に手を引っ込めようとはしなかった。
「どう……して?」
「それが、榊さんが俺の答えを聞く覚悟ができた合図だと思ったからです」
「覚悟……」
そうつぶやいて、彼女は遠い目をした。
「そうかも知れない……」
諦めたように顔を伏せ、ふふっ、と笑う。
「よく分かったね」
「榊さんのこと、たくさん考えましたから」
「ああ……、あたしも」
彼女の微笑みにまた淋しさが混じった。
「たくさん考えて、どうしても理由を聞かなくちゃって……思ったの……」
「ありがとうございます」
とうとうこの瞬間がやって来た。
榊さんが悲しそうな顔をするのは心のどこかで予想していたような気がする。だからそれは気にならなかった。
「榊さんのことが、好きだからです」
彼女の緊張が、手から伝わって来た。俺は握った手に力を込めて、彼女をまっすぐ見て、続けた。
「好きで好きで仕方ありません。だから……、同窓会のことが心配で、待ってたんです」
俺の言葉を聞きながら、彼女はますます悲しそうな顔になってしまった。悲しそうで、困って、途方にくれたような。
「あ……、あたし………」
そこまで言って、急に榊さんはしゃっくりをした。
「え? あれ? っく!」
驚き慌てる榊さんにお構いなしに、しゃっくりは「ひっく」「ひっく」と続き、榊さんは本当に焦った顔をした。それが可笑しくて、俺は笑ってしまった。
「俺のことは嫌いですか?」
助け船を出そうと訊いてみる。すると彼女は首を横に振った。
「い、いいえ、そんな、ひっ…く、こと」
「じゃあ……好き?」
その質問には困った顔。
俺は、食事を用意する榊さんをベッドから見ていた。だるい体は横になっていると気持ちが良かったし、彼女を見ていると安心できた。ときどき彼女が何か話しかけ、俺はそれに簡単に答えた。
仕度ができると、彼女は俺が起きるのを手伝ってくれた。
靴下を履かせてもらったり、パーカーを着せてもらったり、甲斐甲斐しく世話を焼かれるのは照れくさかった。でも一方では嬉しくもあり、具合が悪いことを自分で言い訳にして甘えていた。
おかゆは苦手だったけど、温泉たまごを乗せたら結構美味しく食べられた。榊さんも、買ってきたおにぎりを一緒に食べていた。途中で洗濯機が動いている音に気付いて恐縮した俺に、榊さんは「あたしはスイッチを入れるだけだもん」と笑った。
そんな食事のあいだ、彼女は何度か俺の方を窺うように見た。けれど、そのたびに諦めたような顔をして目をそらした。
俺はそれには気付かないふりをしていた。彼女が決心するのを待とうと決めて。
温かいものを食べて体が温まると、人心地がついて、とても楽になった。
「さっき、俺が電話をかけ直さなかったら、どうするつもりだったんですか?」
そう質問をしたのは、再びベッドに入ったとき。俺を注意深く布団でくるんでから、榊さんはベッドの脇に座った。
「そのまま帰るつもりだったよ」
明るく微笑んで答える彼女。その表情は、「それ以外にないでしょう?」と言っているようだ。
「そうですか。じゃあ、すぐに気が付いて良かったな」
そう言いながら、榊さんは高校生のころと変わっていないんだと思った。ノートを返してくれと言えなくて立ち去ったあの頃と。こんなに近くまで来ていながら、それ以上の自己主張はできずに。いや、電話をくれた分、踏み出してくれているのかも。
「本当はね……」
少し憂いを含んだ微笑みで、彼女が俺を見つめる。
「来るかどうか、ものすごく迷ったの」
当然だろう。俺だって、まさか来てくれるとは思ってもみなかった。
「でもね、来ないと後悔するような気がして、思い切って来たの」
「あ……」
同じだ。榊さんがノート男に手紙を出したことと。
あの話をしてくれたとき、彼女は、迷った末に思い切ってやったあとは必ず後悔する、と言っていた。事実、ノート男に手紙を出したことを酷く後悔していた。でも、ここに来てくれたことは後悔なんかしてほしくない。
「嬉しいです」
気持ちを言葉にしてみると、そのまま一気にあふれてきた。微笑みも一緒に。
榊さんはぽかんとした顔をした。そんな彼女のことがますます愛しくなってしまう。
「来てくれて、メチャクチャ嬉しいです」
布団から手を出して、そっと彼女の頬に触れる。彼女はハッとして、ゆっくりとした動きでその手をはずし……握った。それから、少し悲しそうな目で俺を見た。
「……どうして?」
静かな問いかけ。
静かで、悲しげな。
「どうしてあんなことをしたの?」
(やっとだ……)
思わず目を閉じる。そしてゆっくりとその言葉を味わった。それが胸の奥に沁み込むまで。
ようやく満ち足りた気分になって、安堵のため息をつく。目を開けると、俺の指先を握ったままの榊さんが、静かに俺を見ていた。
「やっと言ってくれましたね」
「え……?」
「『どうして?』って」
「あ……」
動揺した彼女が、俺の手を離そうとしたのが分かった。その片手をつかまえて、静かに引き寄せる。
「そう訊いてくれるのを待っていました」
榊さんは困った様子で俺を見た。でも、無理に手を引っ込めようとはしなかった。
「どう……して?」
「それが、榊さんが俺の答えを聞く覚悟ができた合図だと思ったからです」
「覚悟……」
そうつぶやいて、彼女は遠い目をした。
「そうかも知れない……」
諦めたように顔を伏せ、ふふっ、と笑う。
「よく分かったね」
「榊さんのこと、たくさん考えましたから」
「ああ……、あたしも」
彼女の微笑みにまた淋しさが混じった。
「たくさん考えて、どうしても理由を聞かなくちゃって……思ったの……」
「ありがとうございます」
とうとうこの瞬間がやって来た。
榊さんが悲しそうな顔をするのは心のどこかで予想していたような気がする。だからそれは気にならなかった。
「榊さんのことが、好きだからです」
彼女の緊張が、手から伝わって来た。俺は握った手に力を込めて、彼女をまっすぐ見て、続けた。
「好きで好きで仕方ありません。だから……、同窓会のことが心配で、待ってたんです」
俺の言葉を聞きながら、彼女はますます悲しそうな顔になってしまった。悲しそうで、困って、途方にくれたような。
「あ……、あたし………」
そこまで言って、急に榊さんはしゃっくりをした。
「え? あれ? っく!」
驚き慌てる榊さんにお構いなしに、しゃっくりは「ひっく」「ひっく」と続き、榊さんは本当に焦った顔をした。それが可笑しくて、俺は笑ってしまった。
「俺のことは嫌いですか?」
助け船を出そうと訊いてみる。すると彼女は首を横に振った。
「い、いいえ、そんな、ひっ…く、こと」
「じゃあ……好き?」
その質問には困った顔。