(帰って来ない……)

榊さんの使っている駅に着いてから一時間半。まだ彼女は現れない。

たぶん、2軒目に行ったんだ。その可能性も考えてきたから待つことは構わない。こうやって行動を起こしてしまったら気持ちが落ち着いたし。

待っている間に余計な不安は少しずつ消えて行った。残っているのは同窓会に対する不安ではなく、榊さんは俺を見て何て言うのだろう、ということ。

理由を尋ねてくれるだろうか? 「どうして?」と言ってくれるだろうか?

それだけを考えている。

(それにしても寒いな)

雨が降ってくるとは予想外だった。しかも、風も結構強い。湿気を含んだ冷たい風が吹きつけてくる。

暖かいつもりで選んだ厚手のニットの上着は、強風に対してはあまり役に立たないようだ。履いてきたジーンズも、冷たい空気で冷えてしまった。靴も、ときどき吹きこむ雨で湿って冷たい。

最初は改札口の中で待っていたけれど、なんとなく居づらくなったので外に出てしまった。自販機で暖かい紅茶を買い、改札口が見える場所に陣取っているうちに雨が降り出した。

残念なことに、この駅の改札口は道路に向かって設置してあって、改札口の外側は1.5メートルくらいの屋根があるだけ。壁際に寄っていても、風は避けられない。

(また中に入るのも、なんかなー……)

駅員は俺のことなんか見ていないかも知れない。でも、変なところで格好が悪いと思ってしまう。榊さんに連絡して何時に帰るのか訊くのも変だし……。

(あー、寒い)

手が冷たい。首や耳に風が当たるとぞくぞくする。手袋やマフラーはまだ早いと思ってたけど、遅くなる可能性は分かっていたんだから……。

(とにかく、榊さんの顔を見るまでは)

ここまで待ったんだから、あとどれくらい待っても同じことだ。



(あ)

ホームからの階段を降りてきた彼女を見付けたのは、11時を少し過ぎたとき。体が芯まで冷えてしまったらしく、奥歯を噛みしめずにはいられなくなっていた。そろそろ諦めた方がいいかと弱気になり始めたときだったのでほっとした。

榊さんは見慣れたベージュのトレンチコートに今日は大きなストールを巻いて、バッグの中を探りながら足早に歩いて来る。毛先がくるりと丸まった髪が外からの風になびいた。

(榊さん!)

名前を呼んで手を振りたいのをどうにかこらえる。ようやく本人を見たらなんだかひたすら嬉しくて、自分が何をしに来たのか忘れそうになった。

バッグからパスケースと折りたたみ傘を取り出した彼女が顔を上げた。と同時に、目を丸くして立ち止まる。

(びっくりしてる。当然だよな)

俺に視線を向けたまま小走りに改札を抜けてくる榊さん。その彼女に小さく頭を下げた。

「お、お帰りなさい」

寒さをこらえてずっとあごに力を入れていたので上手くしゃべれなかった。ひとこと言ったあと、背中に悪寒が走った。

「紺野さん……、何してるの?」

“信じられない” という表情で榊さんが言った。理由を尋ねてもらえなかったことで、心の中に失望が広がる。

(でも、まだ分からない)

「榊さんを待ってたんです」
「『待ってた』って……何時から?」
「ええと…9時、かな」
「9時!?」

彼女が慌てて腕時計を確かめる。

「今11時過ぎだよ!? 2時間以上も!?」
「はい」
「こんなに寒くて……、雨も降って来ちゃったのに……」

俺を見つめる目が悲しそうだ。彼女はどうしたらいいのか分からないでいる。

(ダメか……)

胸の中でため息をつく。でも、彼女の無事を確かめた。今日はこれで終わりにしよう。

「ノート男には会ったんですか?」

笑顔を作って尋ねると、榊さんは「え?」と首を傾げた。

「ほら、榊さんが会いたくないって言ってたヤツですよ」
「あ、ああ、あのひと」

一瞬、彼女に苦々しい表情が浮かぶ。でもそれはすぐに、諦めたような微笑みに変わってしまった。

「ううん、遠くから見ただけ。来てるのを確認して、あとは隠れてた」
「そうですか。お疲れさまでした」
「あ」

彼女が何かに気付いたように、心配そうな顔で俺を見た。

「もしかして、あの話を心配して来てくれたの?」

(ああ、そう来ましたか)

当然だと思ったら、自分が笑えてきた。だって、ほかに解釈のしようがないじゃないか。

「ええ、そうです」

笑っている俺とは反対に、彼女はしょんぼりとうなだれた。

「ごめんなさい。やっぱりあんなこと話さなければよかった」
「榊さん、違います」

彼女に自分を責めてほしくなんかない。

「俺が勝手に心配しただけです。どうせ暇なんだからいいんですよ。ね?」

上を向いた榊さんは、それでも悲しそうな顔をしている。慰めたくて、その頬に指先で軽く触れた。

「はは、まるでストーカーみたいですよね、こんなところで待ってるなんて。すみませんでした。榊さんの無事を確認したから帰ります。じゃあ――」
「待って」

気付いたら、彼女が俺の手をつかんでいた。

(あ……)

両手で俺の手をそっと包むように握り、見つめる彼女。その真剣な表情の意味は……?

(榊……さん……?)

「紺野さん」

訴えるように俺を見上げる。そして今度は、俺の頬に片手を当てる。