今時、仲人をたてて見合いなんて事があるのだろうか。降都 菊理は結婚式もやっているホテルのラウンジで挙動不審な様子できょろきょろと周囲を見回していた。大きな窓からは庭園で写真撮影をしている団体も見える。
ウエディングドレス姿の女性と、白いタキシードの男は、はにかみながら何パターンものポーズで日本庭園の中での写真撮影に一生懸命なようだ。
自分も遠からずあちら側の人間になるのだろうか。
外で繰り広げられる光景の、水族館の水槽をのぞいているような非現実さで、菊理は我に帰った。アクリルガラスのあちら側が水の中なのか、こちら側が水の中なのか。
今感じているある種の息苦しさは、むしろこちら側が水中である証なのか。
ゆらり、と、自分が本来向き合わなくてはならない相手に視線をやってから、菊理は、はくはくとここが水の中でない事を確かめるように息を吐き出した。
「じゃあ、後は若いお二人で」
そう言って仲人である婦人が立ち上がった時に、菊理はあまりにもベタすぎてむせてしまいそうになったが、ギリギリで踏みとどまった。
「今時あんなベタなセリフを言う人がいるんですね……昭和かよ」
仲人の婦人と、菊理のつきそいに来ていた母の姿が見えなくなった事を確かめた上で、向かいに座っていた見合い相手が言った。
兼田 至という、財閥一族に名を連ねる、いわゆる御曹司は、自分の会社を持っているという。
資金繰りの心配のいらないおぼっちゃん社長、いつもの菊理ならばそう言ってこき下ろすところだったが、今はそんな事は言えない。
菊理の父が経営するレストランは、味もサービスも質の高さが自慢ではあったが、商売気に疎く、倒産寸前であった。菊理は一人娘で、就職後、家を出ていたのだが、折悪く業績悪化の為リストラ寸前。
生来の短気が災いして、自分から退職届を出したものの、次の職が見つからず、家でも継ごうか、などと気軽に考えていたところ、実家の方も菊理にかまっているような余裕が無い事がわかった。
菊理も、元マーケティング部門の能力を活かして店の再建に尽力したが、畑違いであるところに、客商売に向かない性格は父譲りで、一家三人、路頭に迷うところへ、助け手とばかりに縁談が舞い込んだ。
若い社長、さらに御曹司という太い実家持ちならば、結婚相談所に入所すれば相手などよりどりみどりだろうに、とも思ったが、今は好条件の金づるにすがるより他無いのだ。
「さて、どうですか? 俺という個人に興味は持てそうですか?」
自信たっぷりにそう言う兼田氏は、足を組んで見せつけるようにして菊理の方に向き直った。
「はあ……」
こういう時に、適当なお追従が出てこないところが、自分が出世できなかった原因だなと思いながら、菊理は兼田氏の要望の通りに頭の先からつま先までをまじまじと観察した。
仕立てのよさそうなスリーピースはきっとロードサイドの紳士服店などでなく、どこかのブランドのものか、老舗の仕立て屋で頼んだものなのだろう。一部の隙きも見つけられないような着こなし。
靴も、腕時計も、値段まではわからないが、相当高級で、この人を追い剥ぎしたら、菊理の家の家計は数カ月ならば延命できるのでは無いかと思うほどだった。
しかし、そんな風な隙きの無さを見せつけられるほど、菊理は自分が着ている服がもう数年前の一張羅で、めったに着ない分、経年劣化はしていないが、着慣れない上に少しだぼついた服を着てきたみじめな女、くらいには思われているんだろう。
みじめたらしくお断りされるくらいなら、いっそ自分から断ってしまえ、と、菊理は思ったが、自分の短慮さでの失敗をこれ以上重ねない為に、一縷の望みにすがる気持ちで押し黙っていた。
「俺、あなたくらいだったら余裕で養えると思うんですよね」
にっこりと笑う兼田氏から出た言葉は、菊理の想像の斜め上にあった。
「あなたのお父さんのお店、好きなんですよ、無くなってほしくないんです」
だったら素直に出資という形にしてもらえないだろうかと菊理は思ったが、次の言葉で納得した。
「あと、俺って一応いいとこのボンボンじゃないですか、当然モテる、でも、親も親戚も結婚しろとうるさいし、どこか適当なところで手を打ちたかったんです、実家のスポンサーが夫、って事になれば、多少のやんちゃは目溢ししてもらえますよね?」
つまりは、妻が欲しい、できれば何でも言うことを聞いてくれる、自由になる女が、という事だろう。
ああ、でも、むしろ最初にそう言ってもらえた方がよかったのかもしれない。
今更恋愛結婚ができるとも思っていなかった。
自分で自分を養う甲斐性も無い自分が、形だけでもこの男の妻にさえなれば、実家は営業を続ける事ができるのだ。
皆が望んだものを手に入れられる。……菊理自身を除けば。
自分には、何かを欲しがる資格も無いのだ、ならばこの取引はメリットが高い。
生涯、自分を愛さないであろう夫の妻でいる事に耐える事さえできればいい。
その覚悟をする『だけ』だ。
ウエディングドレス姿の女性と、白いタキシードの男は、はにかみながら何パターンものポーズで日本庭園の中での写真撮影に一生懸命なようだ。
自分も遠からずあちら側の人間になるのだろうか。
外で繰り広げられる光景の、水族館の水槽をのぞいているような非現実さで、菊理は我に帰った。アクリルガラスのあちら側が水の中なのか、こちら側が水の中なのか。
今感じているある種の息苦しさは、むしろこちら側が水中である証なのか。
ゆらり、と、自分が本来向き合わなくてはならない相手に視線をやってから、菊理は、はくはくとここが水の中でない事を確かめるように息を吐き出した。
「じゃあ、後は若いお二人で」
そう言って仲人である婦人が立ち上がった時に、菊理はあまりにもベタすぎてむせてしまいそうになったが、ギリギリで踏みとどまった。
「今時あんなベタなセリフを言う人がいるんですね……昭和かよ」
仲人の婦人と、菊理のつきそいに来ていた母の姿が見えなくなった事を確かめた上で、向かいに座っていた見合い相手が言った。
兼田 至という、財閥一族に名を連ねる、いわゆる御曹司は、自分の会社を持っているという。
資金繰りの心配のいらないおぼっちゃん社長、いつもの菊理ならばそう言ってこき下ろすところだったが、今はそんな事は言えない。
菊理の父が経営するレストランは、味もサービスも質の高さが自慢ではあったが、商売気に疎く、倒産寸前であった。菊理は一人娘で、就職後、家を出ていたのだが、折悪く業績悪化の為リストラ寸前。
生来の短気が災いして、自分から退職届を出したものの、次の職が見つからず、家でも継ごうか、などと気軽に考えていたところ、実家の方も菊理にかまっているような余裕が無い事がわかった。
菊理も、元マーケティング部門の能力を活かして店の再建に尽力したが、畑違いであるところに、客商売に向かない性格は父譲りで、一家三人、路頭に迷うところへ、助け手とばかりに縁談が舞い込んだ。
若い社長、さらに御曹司という太い実家持ちならば、結婚相談所に入所すれば相手などよりどりみどりだろうに、とも思ったが、今は好条件の金づるにすがるより他無いのだ。
「さて、どうですか? 俺という個人に興味は持てそうですか?」
自信たっぷりにそう言う兼田氏は、足を組んで見せつけるようにして菊理の方に向き直った。
「はあ……」
こういう時に、適当なお追従が出てこないところが、自分が出世できなかった原因だなと思いながら、菊理は兼田氏の要望の通りに頭の先からつま先までをまじまじと観察した。
仕立てのよさそうなスリーピースはきっとロードサイドの紳士服店などでなく、どこかのブランドのものか、老舗の仕立て屋で頼んだものなのだろう。一部の隙きも見つけられないような着こなし。
靴も、腕時計も、値段まではわからないが、相当高級で、この人を追い剥ぎしたら、菊理の家の家計は数カ月ならば延命できるのでは無いかと思うほどだった。
しかし、そんな風な隙きの無さを見せつけられるほど、菊理は自分が着ている服がもう数年前の一張羅で、めったに着ない分、経年劣化はしていないが、着慣れない上に少しだぼついた服を着てきたみじめな女、くらいには思われているんだろう。
みじめたらしくお断りされるくらいなら、いっそ自分から断ってしまえ、と、菊理は思ったが、自分の短慮さでの失敗をこれ以上重ねない為に、一縷の望みにすがる気持ちで押し黙っていた。
「俺、あなたくらいだったら余裕で養えると思うんですよね」
にっこりと笑う兼田氏から出た言葉は、菊理の想像の斜め上にあった。
「あなたのお父さんのお店、好きなんですよ、無くなってほしくないんです」
だったら素直に出資という形にしてもらえないだろうかと菊理は思ったが、次の言葉で納得した。
「あと、俺って一応いいとこのボンボンじゃないですか、当然モテる、でも、親も親戚も結婚しろとうるさいし、どこか適当なところで手を打ちたかったんです、実家のスポンサーが夫、って事になれば、多少のやんちゃは目溢ししてもらえますよね?」
つまりは、妻が欲しい、できれば何でも言うことを聞いてくれる、自由になる女が、という事だろう。
ああ、でも、むしろ最初にそう言ってもらえた方がよかったのかもしれない。
今更恋愛結婚ができるとも思っていなかった。
自分で自分を養う甲斐性も無い自分が、形だけでもこの男の妻にさえなれば、実家は営業を続ける事ができるのだ。
皆が望んだものを手に入れられる。……菊理自身を除けば。
自分には、何かを欲しがる資格も無いのだ、ならばこの取引はメリットが高い。
生涯、自分を愛さないであろう夫の妻でいる事に耐える事さえできればいい。
その覚悟をする『だけ』だ。