自転車ならば十分もかからない駅までの道のりを徒歩で行くのは、向かい風に猛スピードでぶつかっていく気にはなれなかったからだ。雪があまり降らない地域とはいえ、冬という季節柄寒いものは寒い。積もるほど降らないというだけで、今目の前にみぞれが横切った。

それに、いくら道が増えたからって、どこを通るにも帰りは上り坂を避けられない。よほど急ぐとき以外は、季節に関わらず徒歩を選ぶ。

昔は自転車の移動が楽しくて、無意味に坂の下まで下っては、来た道を夏哉と家まで競走していたことを思い出した。


マフラーに顎を深く埋めると、家を出る前にリップを塗ったくちびるに繊維が張り付く。口元は出しておく形にして、首に風が入らないようにきつく巻き直す。

ポケットの中の指先を擦り合わせたとき、視界を遮る灰のような冷たい粒が鼻先に引っ付いて、背筋がヒヤリとした。


急ぎ足で駅に向かうと、ちょうど向かう方面への電車がホームに入ってきて、待つことなく乗車できた。

端っこの座席を陣取り、車窓の外を流れていく景色に目を細める。瞬く間に移りゆく景色を少しでも留めていたくて、暖房の効いた車内で意識的に瞬きの回数を減らすと、乾いた瞳がわずかに痛んだ。

隣町との距離はそう遠くない。川に架かる橋を目前にしてようやくスピードが出始めたらしく、まさか脱輪するわけがないし橋が落ちることもないのに、膝の上に置いていた手を手すりに滑らせた。


橋を過ぎると、電車は緩やかにスピードを落としていく。車内にアナウンスが流れ、隣町の駅に到着した。

改札を出たところで地図を開き、現在地を確認しようとしたところで、思わず顔をしかめる。


「馬鹿なのかな」


地図は目的地である幼稚園の周辺を示していて、現在地の駅は見切れている。なんとなくの位置はわかるけれど、この辺りは入り組んだ道が多い。こんな地図ではなんの役にも立たない。唯一頼れそうな駅員さんは、道を尋ねる老婦人の対応をしていて、話しかけられる雰囲気ではなかった。


こういうときに便利なのものをすぐに思いつき、ポケットの重みを取り出す。簡単に頼ってしまうのは悔しいけれど、背に腹はかえられない。冷え切った携帯を手早く操作し、マップに現在地と目的地を打ち込めば、数秒もせずに夏哉の地図よりもずっと分かり易い経路が表示された。


徒歩六分と書かれていたけれど、私のゆったりとした歩みでは、十分ほど経ってようやくそれらしき建物が見えてきた。

幼稚園というと常に騒がしい様子を浮かべていたのに、園庭に子どもはひとりもいなくて、休園日なのかと勘違いするくらいに静まり返っている。


近付いてみてもやっぱり話し声のひとつも聞こえなくて、つい柵の上に首を伸ばして室内を覗こうと試みる。目を凝らしても、すりガラスな上にベタベタとシールが貼られているせいで、中の様子は何も見えない。うっすらと照明がついていることと、大人の頭は見えるから、無人というわけではなさそうだ。


何の計画も無しにここまで来たわたしでも、今日が平日であることは確認済み。週明けには仮卒期間に入るわけで、何時までは家を出ないように、との指示も出なかったから、わたしがここにいることには何も問題はない。

ただ、この幼稚園の周りには住居も店もそこそこあって、尚且わたしがここら辺の住民でなければ幼稚園の先生を含め園児達と何の関係もないことが問題なのだ。せめて挙動不審に捉えられないように、背筋は伸ばして直立の姿勢を保つ。