最後にTシャツの背中に選手四人のサインを書いてもらった夏哉は帰り道で後ろ前を逆に着替え、裾を引っ張っりながら歩いていた。

伸びるからやめなよって言っても聞かない。

目いっぱいに裾を引っ張っているせいで、お腹が丸見えだ。

みっともないよ、って言ってもやっぱり聞かない。


『よかったね、サイン 』

『めっちゃ嬉しい……やべえよ』


一生洗濯しねえ!⠀と今度はTシャツを抱きしめる夏哉の喜びようは、これまで見たことがないほどだった。

夏哉は何にでも興味を持つけれど、意欲がなければ長くは続かない。

ほかのスポーツは一年かそこらしか続かなかったけれど、バスケならもしかして、と淡い期待がつのる。


『……ねえ、夏哉はプロになるの?』

『プロ?⠀考えたことねえなあ……』

『もし、続けるんなら、なりなよ。プロ。それで、わたしにサインをちょうだい』


知らない選手のサインなんてほしくない。

お気に入りの服に油性ペンで文字を書くなんてありえない、とわたしはさっきのイベントでサインをもらわなかった。


わたしがそんなことを言い出したのがよほど珍しかったのか、夏哉は裾をおろして自分の右手を眼前にかかげた。

ボールに触れていた手だ。

その手を握り締めて、夏哉がわたしを見つめる。


『なれなかったら?』

『なれなくてもなって!』


無茶なことを言った自覚はある。

夏哉は反論をするでもなく、無理だとも言わなかった。


『わかった。俺、バスケだけは続ける』

『絶対ね。約束ね』


そう約束を交わしたのち、夏哉はバスケ一本に道を絞り、小学生のチームに所属し続けて、中学ではバスケ部に入部した。

わたしは、バスケのルールから地元のプロチームのメンバーや試合日程にまで詳しくなって、夏哉にダメ出しまでするようになっていた。


中学三年生のとき、全中の県大会で優勝したのはチームメイトありきの結果だけれど、当時のチーム内のエースはまちがいなく夏哉だ。

実力は十分。重ねて、努力を惜しまなかった。

積み重ねていくものは、重ねているうちはその価値のすべてが見えない。

重ねてきたものの上に立って、遠くを見渡したときに、その景色を見て気付くものだと思っている。

県大会優勝は、夏哉が積み上げたものの上に、わたしも一緒に連れてきてくれたようなものだった。


だからこそ、スポーツ推薦で引く手数多だったくせに、わたしと同じ高校に進路希望を出したと聞いたときは、一ヵ月近く口を利かなかった。


わたしが家に一番近いからという理由で選んだ高校は、県立高校の中では少し偏差値が高くて、夏哉がボールを放って勉強をしている姿を見ているのが、すごく嫌で。

プロになって、というわたしの願いを、そんな形で裏切られるとは思っていなかったから。

せめて、夏哉の意思で選んでほしかった。

わたしがいるから、とはっきり夏哉の口から聞いたわけではないけれど、そうでなければ同じ高校を選ばないはずだ。


高校のバスケ部は弱小と呼ぶほどではないけれど、目立ちもしなければ試合で群を抜いた結果を残すわけでもなく、夏哉という型がしっかりと填まる場所ではなかったと思う。


それでも、夏哉は真剣に向き合っていた。

横顔が、いつもの能天気な面とは違って見えて、夏哉だけを映していたいくせに直視するのを躊躇った。


高校生らしさとは少し違った、大人の表情を目にしてからは、変わってしまった体格や背丈をふと寂しく感じたりもした。


公式試合ではせいぜい二校程度にしか勝ち上がることができず、いつからか夏哉は無表情でボールを追いかけるようになった。

わたしはそれが心配だったけれど、何か声をかけるようなことはしなかった。

そんな姿を見ていると、別の高校に行っていれば、と思わずにはいられなかったから。


三年生が引退するとき、二年生の中で傍目に見てもリーダーシップがあり、かつバスケの経験も長い夏哉が次期キャプテンに指名されたという話は、夏哉がその指名を断ったことと同時に聞かされた。

そのときですら、わたしは夏哉に何も言わなかった。何も、聞けなかった。


夏哉は三年生になってからも正式に引退をする日までバスケ部に所属していたけれど、わたしはもう、夏哉のユニフォーム姿なんてずっと見ていなかった。