床に就いてしばらく。
琢磨が使っていた布団を引っ張り出してきて並べて、二人して天井を見上げて。
カチ、コチ、カチ、コチ。
時計の針の進む音だけが木霊する中、茜が訥々と語り始めた。
「兄さんは……琢磨は、とってもかっこいい人でした。私の、尊敬する人間でもありました」
「琢磨さんが?」
「ええ」
茜が天井向かって、真っ直ぐ手を伸ばす。
そこに今でもあるようで、けれども触れられない――そんな風に。
「両親が死んでから、兄は夢だった“小説家”を諦めました。文才こそとてもあったのに、きっぱりと止めて、諦めて、直接人を助けられる看護師を目指そうと。もし同じように事故現場とか大変な人を見てしまったとして、その時、手遅れにならない、自分がいたから救える命もあったんだって思えるように、兄は勉強に明け暮れるようになりました」
「そう、だったんだ……私の知ってる琢磨さんは、そんな感じじゃなかったのに」
「隠してたんだと思いますよ。あの人、そういうところ、とても上手だったから。自分がどれだけ苦労してたって、しんどくたって、忙しくたって、私にすらそれを悟らせないで、毎朝『いってきまーす』って明るく言うの…それに、どれだけ救われたか…」
「茜ちゃん…」
茜の語るそれはまさしく、茜だけが抱く、琢磨本人すら知り得ない話で。
上手いこと誤魔化せていたつもりが、その実結局は見破られていた事実。そして、他でもない一番護りたかった茜の、琢磨に対する評価だった。
「晴れて専門学校に入学して――高卒だったけど、看護師は国家資格だから、地位だってお給金だって確かなもので。これで茜を満足させられる、これで茜を護ってやれるって、そればっかり言ってたんですよ、もう。ふふふ、変な兄でしょう?」
「ううん。とっても、素敵なお兄さん」
「はい……誰に自慢したって恥ずかしくない、そんな兄でした。そんな…兄、だったのに…」
震える肩を、汐里がそっと抱き寄せる。
「茜ちゃん…今は大変だろうけど、琢磨さんのくれたものは、絶対に無駄にはならないわ。だって、たったの少ししか居なかった私だって、こんなに幸せなんだもん…」
「桃、さん…」
「不幸なことだったけれど、琢磨さんはちゃんと、茜ちゃんの下に残してるものがある……それがある限り、茜ちゃんは一人じゃないわ」
「……はい…はい…!」
もう、大人になったと思っていた。思っていたんだ。
もう茜も結構な年になっていて、だからこそ、もう安心しても良いと思っていた。
けれどもそれは、間違いだった。大いに、間違った考えだった。
琢磨がそうであったように、両親を失って、唯一の救いだった兄で失って、無事でいられるわけはない。
溜め込んで溜め込んで、溜め込んだ末の涙——だからこんなに温かくて、だからこんなに寂しくて。
だから、こんなに止まらない。
茜の気なんか、まったく分かってなかったんだ。
茜は強い子だが、我慢できるような子ではなかったんだ。
(……はぁ。まったく、俺は)
どんな、愚か者だろうか。
心の中でそんなことを考えながら、
「ゆっくりお休み、茜」
汐里に一言代弁してもらって、琢磨は汐里と共に眠りに就いた。
琢磨が使っていた布団を引っ張り出してきて並べて、二人して天井を見上げて。
カチ、コチ、カチ、コチ。
時計の針の進む音だけが木霊する中、茜が訥々と語り始めた。
「兄さんは……琢磨は、とってもかっこいい人でした。私の、尊敬する人間でもありました」
「琢磨さんが?」
「ええ」
茜が天井向かって、真っ直ぐ手を伸ばす。
そこに今でもあるようで、けれども触れられない――そんな風に。
「両親が死んでから、兄は夢だった“小説家”を諦めました。文才こそとてもあったのに、きっぱりと止めて、諦めて、直接人を助けられる看護師を目指そうと。もし同じように事故現場とか大変な人を見てしまったとして、その時、手遅れにならない、自分がいたから救える命もあったんだって思えるように、兄は勉強に明け暮れるようになりました」
「そう、だったんだ……私の知ってる琢磨さんは、そんな感じじゃなかったのに」
「隠してたんだと思いますよ。あの人、そういうところ、とても上手だったから。自分がどれだけ苦労してたって、しんどくたって、忙しくたって、私にすらそれを悟らせないで、毎朝『いってきまーす』って明るく言うの…それに、どれだけ救われたか…」
「茜ちゃん…」
茜の語るそれはまさしく、茜だけが抱く、琢磨本人すら知り得ない話で。
上手いこと誤魔化せていたつもりが、その実結局は見破られていた事実。そして、他でもない一番護りたかった茜の、琢磨に対する評価だった。
「晴れて専門学校に入学して――高卒だったけど、看護師は国家資格だから、地位だってお給金だって確かなもので。これで茜を満足させられる、これで茜を護ってやれるって、そればっかり言ってたんですよ、もう。ふふふ、変な兄でしょう?」
「ううん。とっても、素敵なお兄さん」
「はい……誰に自慢したって恥ずかしくない、そんな兄でした。そんな…兄、だったのに…」
震える肩を、汐里がそっと抱き寄せる。
「茜ちゃん…今は大変だろうけど、琢磨さんのくれたものは、絶対に無駄にはならないわ。だって、たったの少ししか居なかった私だって、こんなに幸せなんだもん…」
「桃、さん…」
「不幸なことだったけれど、琢磨さんはちゃんと、茜ちゃんの下に残してるものがある……それがある限り、茜ちゃんは一人じゃないわ」
「……はい…はい…!」
もう、大人になったと思っていた。思っていたんだ。
もう茜も結構な年になっていて、だからこそ、もう安心しても良いと思っていた。
けれどもそれは、間違いだった。大いに、間違った考えだった。
琢磨がそうであったように、両親を失って、唯一の救いだった兄で失って、無事でいられるわけはない。
溜め込んで溜め込んで、溜め込んだ末の涙——だからこんなに温かくて、だからこんなに寂しくて。
だから、こんなに止まらない。
茜の気なんか、まったく分かってなかったんだ。
茜は強い子だが、我慢できるような子ではなかったんだ。
(……はぁ。まったく、俺は)
どんな、愚か者だろうか。
心の中でそんなことを考えながら、
「ゆっくりお休み、茜」
汐里に一言代弁してもらって、琢磨は汐里と共に眠りに就いた。