千鶴がぶらんこの柱にふれて、「さっき良太さんが話していた通りだわ。柱が木に変わってる。場所は昔のままだけど、私が知っているぶらんこの柱は鉄だったのよ」と言った。
 夢とそっくり同じ光景を眼前にしながら、良太は驚愕と混乱のなかにいた。このようなことが真実であるわけがない。科学的にはあり得ないことだ。それでは、あの夢と完全に一致する場所に立っているこの現実を、どのように説明したらよいのだ。俺はいま、人類にはまだ未知の、不可思議な世界の入口に立たされているような気がする。
「なあ、千鶴」と良太は言った。「自分で体験したことなのに信じられないよ、こんなこと。同じ指紋を持つ人間はいないと言うけど、もしかすると、同じ指紋を持つ人間が何人も集まるという、考えられないような出来事もあり得るんじゃないかな。おれが見た夢とこの校庭が何からなにまでそっくりなのも、そんな出来事のひとつかも知れないな」
「良太さんは、ここに来る途中でわかったんでしょ、もうすぐ夢で見たのとそっくりな所に行くんだって。どうしてわかったのかしら」
「それも不思議だけど、俺には感じられたんだよ、あの夢の景色をもうすぐ見ることになるって。予感というより、絶対にそうなるんだという気がしたんだ」
「神様かしら、良太さんに教えてくれたのは」
「神様ならば、もっと意味のあるものを見せてくれそうな気がするけどな」
 良太には全身に鳥肌が立つほどのできごとであったが、そのことに拘って時間を費やすわけにはいかなかった。良太と千鶴はぶらんこの傍をはなれて校舎へと向かった。校舎や講堂の周囲を歩きながら、千鶴は良太にその学校での思い出を語った。
 見学を終えてふたたび校庭にもどると、前方に先ほどのぶらんこが見えた。
「あのぶらんこでけがをしたのよ、2年生のとき。すりむいたところから血がいっぱい出たので、泣きながら家に帰ったわ。そんなことでも、なんだか懐かしいわね」
「千鶴が2年生のときには俺は5年生だったんだ。たった10年ほど前のことなのに、俺にも小学校のことが懐かしく感じられるよ」
「いつか話し合ったわね、子供の頃には時間が長く感じられたこと。小学校の頃がなんだか昔のことみたい」
「この学校、千鶴が通った頃と変わっていないだろ。建物や花壇や遊び道具など」
「ぶらんこの柱が木になったのと、名前が国民学校になったことね、変わったのは」
「大事な日用品の鉄やアルミまで、軍艦や飛行機のために供出させられるんだから、ぶらんこの柱なんかは真っ先に木に変えられたんだろうな」と良太は言った。
 ぶらんこの近くにベンチがあった。ふたりはそこで昼食をとることにした。
 ふたりは良太が見た不思議な夢を話題にしながら、千鶴が作った握り飯を昼食にした。
「夢で見た景色はこことそっくり同じだから、あれが普通の夢だったとは思えないし、心が体を抜け出してここに来たと仮定しても、見たのは昼間の景色だったから、これも否定するしかないわけだよ。そもそも、心が抜け出すことなどあり得ないしな」
「もしかしたら、予言者って、良太さんみたいにして未来のことを知るのかしら」
「今はわけがわからなくても、科学で説明できる日がくるかも知れないよ、何百年も何千年も先になるかも知れないけどな」と良太は言った。
 つぎに訪ねるのは小石川植物園だった。つれだって歩きながら、千鶴は女学校での思い出を語った。良太に聞いてもらえることが嬉しくて、千鶴は夢中になって語り続けた。
 好天に恵まれた日曜日だったが、戦時の植物園にはわずかな人影しかなかった。
 園内をめぐりながら千鶴は語り続けた。少女時代のできごと。家族との思い出の数々。千鶴は思い出話を夢中で語り、良太はひたすらに聞き役をつとめた。
 植物園の出口に向かう頃になってようやく、千鶴はしゃべり過ぎたような気がした。
「ごめんなさいね。なんだか私、随分おしゃべりになったみたい」
「それでいいんだよ。今日は俺が千鶴のことを知るための日じゃないか。千鶴のこと、もっと知りたいくらいだよ」と良太が言った。
 浅井家を出てからの数時間を、ふたりはほとんど歩きづめだった。千鶴の故郷をめぐる小さな旅を終えることにして、ふたりは植物園をあとにした。
 その一日を良太に満足してもらえたことが嬉しく、千鶴は帰り道でも饒舌だった。話しながら千鶴は良太に笑顔をむけた。良太の笑顔が千鶴をさらに喜ばせた。

付記
 良太が体験した予知夢は、作者自身の2度にわたる予知夢体験を参考にしたものです。予知夢を体験した者にとっては真実であろうと、未体験者には絵空事と思えることでしょう。時間の概念が覆るできごとであり、いかに科学が発展しても、その解明は難しそうに思えます。
 科学で説明できないことを体験した科学者たちが、その体験を書物に著しており(電子工学に関わる人が多い。例:坂本政道、天外伺朗(本名土井利忠)、森田健、 矢作直樹)、図書館の多くで蔵書になっております。