僕らのノイズ

 「えー、君達はここ、私立芝原(しばはら)学院高校の生徒としてその名に恥じぬ行動を心がけ、3年生は受験に向けて引き続き頑張ってもらいたい。」
 校長先生の話長くね?、俺ら暑すぎて死にそうなんだけどー。そんな悪態をついている声が後ろから聞こえてくる。
 季節は、夏の終わり。高校2年の2学期が今日から始まる。
 世間一般的には1番、中だるみが発生しやすい時期といわれている、あの「魔の2学期」が、遂に、始まった。
 夏がもう直ぐ終わる、というのに、連日猛暑は少し腹が立つ。そんなことで怒りを抱けば体温が上がってしまうから、私は、頭の中でかき氷を食べて涼んでいた。
 校長先生の長話の後、校歌を歌って指揮が終わると、出入口から生徒がぞろぞろと出て行き、私も自分の教室へと向かった。

 ホームルームが終わり全員解散すると、クラスの中でも特に目立つグループが、私の席の両隣と目の前を囲んできた。
 悪夢の始まりだ。
 前学期はトイレで水をかけてきたり、移動教室から戻ると私の机を廊下に出していたり、ととにかく暇そうな3人組だ。
 まあよくも、"奇数人数で仲間割れしないな..."と感心する。
 そんな風に心の中でクスっと笑っていたのが、相手方にバレたのか、3人組の1人、桜木朋美(さくらぎともみ)が机の柱を軽く蹴った。
 私は、蹴られた衝撃で、全身に雷が走り、身震いした。
 「夕夏さ、いつになったら芝学辞めんの?・・・目障りなんだけど。」
 朋美がそう言い放つと、私のバッグの口を逆さまにして中身を全て落とすなり、片足でぎしぎしと踏みつけた。
 もう何度目だろう?
 いちいち数えなくなった今、見つめた先にあるのは、散乱したバッグの中身。
 前学期のように、私が慣れた手つきでバッグにそれらを戻す間に、3人ともどこかへ行ってしまった。
 きっと、部活の時間だから部室へ3人とも向かったんだろう。

 幼稚園の頃から、お互いの家の向かい側という関係で仲良しだったはずの幼馴染、朋美。そして、高校から関わるようになった、まるで、朋美の後ろを追うようにくっついている河原陸(かわら りく)井原那月(いはらなつき)
 私とこの3人は、中学時代の実績を買われ、高校入学時から芝学の有力合唱部員として「エース組」として名を連ねていた。
 しかし、今はあの3人だけがエース組となった。
 "芝学(しばがく)"の愛称で親しまれているこの高校は、他校・地域住民たちから「音楽の国」と称されている。なぜなら、毎年のように吹奏楽や合唱、箏曲(そうきょく)といった音楽系部活が、全国大会に勝ち進むほどの強豪校だからだ。
 それゆえ、かつてはその3部とも、学校の「強化指定部」だった。
 けれど、約半年前、私が事故に遭ったことをきっかけに、合唱部のみ、その名を外された。

 2026年1月。高校1年の冬のこと。
 私が集合場所になっている会場に向かう途中、車と接触事故を起こし、一時意識不明の重体となった。それを知った芝学は出場権を、本番直前で「棄権」した。
 私は、自由曲の重役とも言える、ソロを任されていた。
 そのソロが1人欠けた状態で、事前に代役を用意していなかったミスなどが重なり、棄権せざるをえなかったのだ。
 朋美や陸、那月の3人"以外"は棄権に賛成した。しかし、3人だけは違った。将来を見据え、強化指定部の有力部員「エース組」としての実績を重視していた。だから、大会を棄権するきっかけになった私を憎んでいるのか、無視し始めるようになった。
 朋美に「あんたがいなければ、芝学は全国まで行けたはずなのに!」と泣き叫ばれた日を境に、私は、責任を取るように、合唱部を退部した。
 それからだ、この悪夢が始まったのは。

 私は、我に返り、立ち上がってスカートの埃を両手ではたいた。
 教室を見渡すと、周囲の視線を浴びたからか、だんだんと喉の奥がぎゅっと締め付けられそうになり、逃げるように早歩きで学校を出た。
 走って駅に向かい、乱れた呼吸を整えながら改札口を通り、電車に乗った。
 空席に座り、バッグを膝の上に置くと、いじめで染まった学校生活から逃げられた、という安堵感が心の中に広がり、いつものように背もたれに体を預けた。
 視界にかかっていた(もや)が晴れ、目の前がはっきりとしてきた。
 ふと、顔を上げて、車内の中吊り広告を見ていた。

(あなたの願いを叶えます…?)

 心の中で、中吊りの広告の1つに書かれている一文を、復唱した。
 あまりにも絵本に出てくる言葉のようなそれに、違和感を覚え、スマホで検索した。
 すると、「あなたの願いを叶えます」とだけ書かれたサイト名が、偶然にも、1件目に出てきた。他にはよくある占いサイトの広告ばかりが出てきて、(1つだけ怪しいサイトかもしれないし、アクセスしないでおこう)と思いながらスマホをバッグにしまった。

 家の最寄り駅につき、電車を降りると学校では感じなかった、別の苦しさが両足をじわじわと蝕み始めた。
 帰ったとて、家には、私を穏やかに理解してくれる優しい人間など存在しない。それなのに、なんで、あの場所が、私の家なんだろう。
 家って、もっと、こう、心が休まるとかのイメージなのに。

 お父さんは、表向きは会社の敏腕営業マン、家では飲酒して一人で勝手に暴れているし、お母さんは、朋美のお母さんととても仲良しだけれど、家では、私と朋美を比較して「なんでこんな出来損ないが私から生まれたの?」が口癖で。
 世間一般的には、この2人は毒親気質がある、とでもいうんだろうか。
 確かに私は成績は落ちこぼれ、帰宅部、授業中は上の空、家で手伝いなんてしない・・・最低な娘なんだと思う。
 そんなことを考えながら家に入ると、ただいまを言えないまま、すぐに2階の自分の部屋に向かった。
 居場所、そう言える唯一のこの1人部屋。ベッド、学習机、ベランダまである。けれど、本棚には、かつての私が熱中した合唱の楽譜ばかりが並んでいるから、もう2度と見なくて済むよう、夏休みの間に、本棚に小さな黒色のカーテンを付けた。

 楽譜なんて見ると、今でも全身が固まってその場から動けなくなる。
 なんで、音楽なんて、合唱なんてやっていたんだろう。最終的には、辛くて苦しくて、悔しい、それだけが残っただけなのに。

 あの日の事故の後遺症は身体ではなく、私の心に表れてしまった。そんなこと、誰も気づかない。気づこうとすらしない。
 去年の今頃のようには、他人と関われなくなった。心が拒んでいるからか、体がいざとなると動かなくなるから。