注文を済ませ、呼び出しベルを二つ受け取り席に戻ると、上原くんが財布を持って立ち上がった。
「いくらだった?」
「え?」
「それ。部費から出るから、レシート置いといて」
 言い捨てるようにそう呟いて去っていく。それと同時に、吉岡くんが帰ってきた。
「お! ステーキっすか! いいっすねぇ」
 恐らく、呼び出しベルの色を見てわかったのだろう。私は上原くんに言われた通り、机にレシートを置いた。何も言わない私の代わりに、日彩が答える。
「そうなんですよ〜。でも部費からご飯代まで出るなんて、初めて聞きました! 私は仮入部してないので、お姉ちゃんの奢りですけど」
 日彩がからからと笑う。酷い妹だ。でもこの大事な時期に、私の個人的な用事に付いてきてくれたのだから、相当の対価だろう。
 吉岡は一瞬不思議そうな顔でいたが、三秒経つ頃には腹を抱えて笑っていた。
「おい、大丈夫か」
 汚物を見るような目で、帰ってきた大賀くんが腰を下ろす。吉岡くんはどうしたものか笑いが止まらないらしく、大賀くんの肩に手を預けて全身を震わせていた。
「大賀、聞いてくれよー! 上原が昼食費を部費から出してくれるんだってさ」
 その言葉の意味を理解したのかしていないのか、大賀くんの口角が薄らと上がる。
 私と日彩は顔を見合せた。何だかよく分からないが、楽しそうな二人を見て日彩も笑っている。私だけが状況を理解出来ず、更には溶け込むことも出来ずにしばらくの間居座っていた。
 上原くんが戻ってくる頃には落ち着いているかと思いきや、その沼は思った以上に深いらしい。
 呼び出しベルと財布を片手で持ちながら、上原くんが帰ってきた。この異様な空気に、訝しげな表情で全体を見るも、特に話題に触れることなく座る。
「上原ぁ、俺らの分の昼食費はー?」
 冗談らしき口調で、吉岡くんはくしゃりと笑いながら絡んでいく。上原くんは何かを察したのか、今まで見た中で一番疲れた表情を出していただろう。
「仮入部生限定だよ」
 ガンッと私の手前の机に拳が乗る。それが離れると、価値のある紙切れの遺物が三枚あった。
 私と日彩の二人分だった。
「え、でも……」
「部費からだから、気にすんな」
 そうは言いつつも、上原くんは自身の財布を鞄に直している。強制的に連れてきてしまったことに対するお詫びだろうか。いや、それでも結局来たのは私だ。
 受け取ることに戸惑っていると、大賀くんが「部費だから、ここは遠慮せず受け取っておいた方がいい」と鼻で笑いながら話す。余計に真意がわからない。
「あ、ありがとう」
 ちゃんと届いただろうか。悪いとは思いながらも、受け取るより他にない様子だった。日彩の方を見ると、何やらくすくすと笑っている。
 日彩が笑っていることはいつもの事だが、今回ばかりは何故か不愉快だった。
「ピピピピピ、ヴーッヴーッ」
 私と日彩の呼び出しベルが振動して、机上を滑る。
 日彩が素早く二つ手に取り、椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「吉岡先輩、大賀先輩、一緒に取りに来てもらってもいいですか?」
 誘われるがままに、二人は机に手をかけた。高い背丈が伸び、席から離れる。
「え、でもそれ私のだから……」
「お姉ちゃんは座ってて!」
 走り去るように三人は行ってしまった。
 一体何の気遣いだか。ただでさえ、他人と二人きりなんて厳しいのに。
 私は荷物を整理する振りをして、鞄の中を漁った。でも、特に整理できるほど物は入っておらず、ハンカチ、ティッシュ、財布に携帯くらいだった。
「永遠は、どういう感じのを作ってんの? 恋愛ものとか、高校生向けとか」
 特にすることが無かったのか、先程と変わらぬ話題を持ち出してきた。私は鞄を掻き回す手を止め、チャックを閉める。
「一応、中学生が主人公のもの……」
 声は小さいながらも、私はハッキリと答えていた。恐らく、アニメについてだからだろう。趣味について共有出来る仲間は今まで居なかった。日彩ですら、私が動画を投稿してることを知らないはず。だから、どこかで楽しんでいる自分に気付いていたのかもしれない。
「そうなんだ。俺は今まで自分の年齢に合わせた主人公にしてきたけど、次は中学生にしようかな」
 上原くんが凪いだ目付きで遠くを見つめた。その先には地元の制服を着た、男子中学生が楽しそうに会話をしたり、ラーメンをズルズルと啜っている。
 休日だから部活帰りなのかもしれない。私の中学は、寄り道を禁止されていたが。
「あそこ、部活帰りかな。寄り道とか、俺の学校じゃあ怒られてたけど。今は違ってんのか、それか普通に校則違反をしてるだけか。そういうのって、やっぱりその年齢でないと分からねぇし、リアリティ出ないから難しい」
 同じことを考えていた事に驚いていたことが顔に出たのか、上原くんは眉を下げ、ため息のごとく小さな笑いで吹いた。
 どこか気恥ずかしい思いに支配され、肩を竦めて鞄を抱き寄せる。
「う、上原くんが、制作において大切にしてることってリアリティなの?」
 話題を逸らしたかったけれど、これだけは聞きたかった。何を重要視するのが一番良いのか、まだ作り始めて二年未満の私にはわからない。
「そうだな、リアリティはある程度大切にしてる。その時々の流行りとか言葉遣いとかルールとか。色んな経験をして、それを元に作ることが一番大事かな。中学生を主人公にしてるなら、中学を取材してみれば?」
「取材?」
 さも当たり前かのように、“取材”なんて言葉を口にする。確かに、リアリティを出すためには一番だろうが、私にそんな勇気はない。日彩を見て、何となくで描いているだけだ。
 だがもし、それによって良いものが作れるのなら。上原くんや、今日の映画の作者に近づけるだろうか。
 そんなことを想像すると、欲望と自分のコミュニケーションスキルとの差に苦しくなった。
「そう。妹、中学生だよな? 今何する時期だっけ、受験勉強のことしか覚えてねぇんだけど」
 私も同じく、勉強の記憶しかない。友達もいない私にとっては、受験生など関係なく毎日がそれだった。
 日彩なら何をしているだろうか。きっと青春を謳歌しているに違いない。
 勉強以外で何かをしていると話していた記憶の糸を辿る。網で魚を引き上げるように、細い糸を手繰り寄せた。
「あ、卒業式の歌の練習してるって言ってたかも、指揮者の担当になったって……」
 見事に魚が釣れた。それに上原くんが食らいつく。
「歌か、そういえばそんな事してたな。永遠、今度一緒に取材行かね?」
「え?」
 息をするほど自然に誘われた。周りの声が一段と大きくなった気がする。
 エアコンの温度がしっかりと調整されている、暑くも寒くもないこの空間に居座りたいという気持ちは山山だが、今だけは何も言わずに立ち去りたい思いでいっぱいだった。
「ほら、色んなことを見聞きしたり挑戦してみることは、絶対今後の作品にも繋がるしさ。妹の指揮姿も見れるし」
 ほとんど諭すような形だった。初めは絶対に嫌だと思っていたものの、“今後の作品にも繋がる”という何とも断り難い文言を並べられると、どうしてもそちらに吸い寄せられてしまう。
 空腹の動物に、餌をチラチラと見せびらかせているようだ。
「い、いいよ」
 そう言うと、上原くんの肩から空気が抜け、少しだけ口の端を上げたように見えた。
 いつもはあまり感情を表に出さない彼でも、睨みをきかせる時と安心した時の様子はわかりやすい。
「じゃあ妹の中学に連絡しておく。第二中だよな?」
「う、うん。ありがとう。上原くん、色々詳しいね」
 思い返せば、彼は様々なことを知っていた。私の名前も、いつどこで知ったのだろう。私も通っていたが、日彩の中学をどうして知っているのだろう。
「え、いや、別に。この辺だと一中か二中か三中くらいしかないだろ」
 あくまで平然を装っているつもりだろうが、無性に落ちてくる眼鏡が気になるらしく、何度も指で押し上げている。
 何を隠しているのだろう。上原くんは一体何者なのだろうか。
「お待たせしましたぁ! いやぁ、先輩たちの分も途中で呼ばれて、遅くなってしまいました!」
 楽しそうな声が響き、大きなトレーがカタンと置かれる。吉岡くんが私の分まで持ってくれており、軽く頭を下げて受け取った。
 入れ替わりで上原くんの呼び出しベルも鳴り、取ってくると目で合図をして床を蹴った。
「仲良くなれた?」
 突然、日彩がそんなことを耳打ちしてくる。周囲の雑音に負けないよう、手を添えたおかげで届いた。
 仲良くなれたかと言われると微妙なところだが、制作のことについて話せたことは有益だったし、楽しかった気がする。
 そもそも、ここまで誰かと話すことが久々なくらいだ。
 私は一旦首を傾け、その後頷いた。日彩はその反応を見て嬉しそうに微笑む。
 日彩なりに、私の友達事情を気にしてくれていたのかもしれない。
「じゃあ食べよ! 見て、中のお肉がちょっとつやつやしてる! 美味しそう!」
 大きくいくつかに分けられたチキンステーキを見て、いただきます、とナイフを立てる。
 吉岡くんと大賀くんも、その姿を見て食べ始めた。
 日彩のステーキ、吉岡くんのラーメン、大賀くんの海鮮丼、そして私のハンバーグ。
 家族以外の人と食事をするなんて、滅多にない。
 何だか胸がくすぐったく感じた。