ここは柚子白高校。都心部とはかなり離れている田舎の学校だ。
昼休みという空腹が満たされている至福の休み時間。
僕、露木隼人はカッターシャツの上に冬服を身に纏い、窓側の一番後ろの席という誰もが憧れる席に座り、本を読んでいる。
本を読みながら横目に見える窓。その窓の奥からは雪が深々と降り、積もっている。道路には轍ができ、本格的な冬の訪れを感じる。
「また本読んでる。隣いい?」
声のする方に目を向けると、幼馴染兼彼女である水菜瑠璃の姿があった。
きちっとしたセーラー服を身にまとい、黒髪ロングに水色のヘアピンをつけている。瑠璃の姿はかわいいというより綺麗という言葉が似あう女の子だ。
「いいよ。僕の隣の子、今日は休みだから」
そう言うと瑠璃は僕の隣の席に腰を下ろした。
瑠璃の長い髪の毛が僕の肩に触れて、少しばかり緊張する。
「風邪流行ってるもんね」
「そうだね」
瑠璃と付き合い始めたのはつい先日のこと。
今までは至って普通の仲の良い幼馴染という関係だった。
瑠璃と出会ったのは幼稚園の時。絵本を読んでいた僕のところに瑠璃が声をかけてくれた。
それからだ。僕は毎日、瑠璃と遊ぶようになっていった。幼稚園だけじゃない。それ以降の小学校、中学校と僕の日常にはずっと瑠璃がいるのが当たり前になっていった。いつからだっただろう。
瑠璃が好きという気持ちが表れたのは。確か小学校の高学年になってからだったと思う。そんな中、今の今まで告白しなかったのは単に怖かったからだ。今まで仲良く過ごしていた日常が壊れることが。友達としていつも横にいた瑠璃が離れてしまう可能性があることが。だから今までずっと好きという気持ちは押し殺してきた。
僕は、気持ちを伝えるつもりは全くなかった。
だけど先日の帰り道。ふと瑠璃の顔をみてつい口にこぼしてしまった。
「好きだ」
「え?」
「あ、えーと...」
ふいに出てしまった言葉。故意じゃない。無意識だ。もう後には戻れない。誤魔化すような機転の利くセリフも僕は持ち合わせていない。
こぼした瞬間、頭が真っ白になる。隠せないな。そう思い、僕は思いを告げる。
「瑠璃。ずっと...ずっと好きだった。僕と付き合ってくれませんか?」
後半は謎に恥ずかしさが勝り敬語になってしまった。普段は瑠璃に敬語なんて使わないのに。
今、思うとなんてぎこちない告白なんだろうと思う。
「やっと...やっと好きって言ってくれた。うれしいよ。隼人。私もずっと好きだった。これからは仲の良い友達としてじゃなく、恋人だね」
瑠璃は微笑んだ。とてもやさしい笑顔を僕に向けて。
こんな形で告白は成功。決してかっこいいとは言えない告白だった。
そして、今、恋人として瑠璃は隣の席に座っている。
「なんの本読んでるの?」
「よくあるミステリー系かな」
「へぇー。読み終わったら貸してよ。私も読んでみたい」
「いいよ。明日にでも貸すよ」
「相変わらず読むの早いね、隼人は」
「瑠璃も似たようなもんだろ」
お互いに本が好きという事もあって、昼休みは本の話をする。時には一緒に本を読んだりもする。
他のクラスメイトは体育館に行って、バスケットボールやドッジボールをして楽しんでいる。今、教室にいるのは僕と瑠璃だけだ。僕は断然インドア派の人間。こんな寒い日に教室から出るなんて考えられない。というか凍え死ぬことが目に見えてるし。
何より瑠璃と過ごすこの静かで穏やかな時間が非常に落ち着く。
「今日も静かだね。この教室は」
「嫌か?」
「ううん。逆。とても落ち着く」
「僕も」
そう言って瑠璃は僕の肩に頭をこてんと預けてくる。とても濃い時間だ。
そんな二人の時間に浸っていると、ガラッと教室の扉が開く。
そちらに目を向けると見知った二人の姿があった。
一人は僕と同じカッターシャツを着ていて、腕を物干しざお代わりに冬服をかけている少し茶色がかった短髪の男子生徒。もう一人は瑠璃と同じセーラー服をきているがベージュのカーディガンの腕の部分を腰に回し結び付けており、茶髪のポニーテールを跳ねさせているいかにもJKというような女子生徒だ。
「おうおう、お熱いですな。お二人さん」
そう煽ってくる物干し竿、いや男子生徒は小学生から仲良くしてる僕の親友。翡翠蓮だ。
小学生のころに同じ陸上のクラブに入っていた。小学生当時はクラブに入ることが強制だった。僕は先生に言われて陸上に入ったが、インドアな人間からしたら地獄だ。そんな時に悩みを聞いてくれたのが蓮だ。それを機に仲良くなった。今ではもう本音を言い合える唯一の友達だ。
「どうしたんだ蓮。とっくに夏は過ぎてるぞ」
僕は煽りを華麗にスルーして返事をする。
蓮は高校になって急激に短距離のタイムが伸び、うちの高校のエースといわれるくらいの実力者だ。そのせいか他校の女子からは絶大な人気を誇っている。あくまで他校だ。この高校では大人気というわけではない。理由はただ一つ。うるさいからだ。もう少しおとなしくしていれば顔立ちもいいし完璧なのにと僕は思う。
「無視か。まぁ、いいけど、実は「聞いてよ!りー!」」
蓮の会話に割り込んで来るや否や椅子の背もたれ越しに瑠璃に抱き着いてきたのは瑠璃の友達の桔梗紗南。
桔梗は僕と家が近く、顔見知り、というか普通に女友達だ。瑠璃とは中学のころ、一緒のクラスになってからずっと仲がいいらしい。瑠璃も大切な友達って言ってたし、なにかきっかけがあったのかは知らないけど、瑠璃と一緒にいる友達といえば桔梗というイメージがあるくらいだ。
「この蓮とかいうバカが、また騒いで先生に捕まってさ。たまたまそこにいた私も捕まって二人でこの寒い中、掃除させられてたの」
「わぁー、ほんとだ。紗南ちゃんの手、すごく冷たいね。私の手でよければカイロ代わりに使って?」
「りー!ありがとう!お言葉に甘えてりーも寒いだろうから右手だけ借りるね」
「どーぞ」
瑠璃はにこっと微笑んで桔梗に右手を貸してあげている。
というか、昼休みのあとに掃除の時間があるのに、その昼休みに掃除なんてこいつらも大変だな。桔梗は蓮が騒いでたって言ってるけど大方、桔梗も騒いでいたんだろう。
「うそつけ。紗南、お前も騒いでたくせに」
「ふんっ」
蓮の言葉に知らんぷりをする桔梗。これはやっぱり予想通りみたいだ。
「ところでりーと本屋さんはまた本読んでたの?」
「うん。そうだよ。隼人も私も本好きだから」
「毎回言うけど、僕のことを本屋さんっていうのはやめてくれ」
桔梗はとにかく変なあだ名をつける。
友達だったら、あだ名で呼び合いたいというのが彼女の性らしい。瑠璃の"りー"はまだわかる。女子生徒同士のあだ名って感じだ。だが、"本屋さん"は違うだろ。名前の原型もないし、その呼び方だと誤解を招く場合もある。
「えーいいじゃん。別に。いつも本読んでるし」
「その呼び方だとどう考えても変だろ。というかあだ名じゃない」
「うー。わかったよ。また考えとくから」
と返事する彼女だが多分、これは考えないパターンだ。もう数十回このやり取りをしているが、一向に"本屋さん"からあだ名は変わったことがない。もう半分あきらめかけている僕がいるのも確かだ。
「にしてもようやく付き合ったよな隼人と瑠璃」
この二人は唯一、僕と瑠璃が付き合っていることを知っている。
お互いの親友の好みってことで二人には伝えた。
「翡翠くん、昨日も同じこと言ってたよ」
微笑みながら返事をする瑠璃。
瑠璃は基本的につながりがあれば誰とでも話せる。蓮とも僕との友達つながりから仲良くなっている。
「いや~、なんかお父さんの気分だよ俺は」
「なんでだよ」
すぐさまツッコミを入れる。
まぁ、蓮が言うことも分からなくはない。小学校の頃から蓮に瑠璃が好きっていうのは気づかれていたみたいだし。そう考えれば蓮は約5年くらい付き合うまでを見ていたという訳だ。と言ってもお父さんの気分は盛り過ぎだとは思うが。
「ほんとやっとかって感じで。俺はうれしいよ」
「はいはい。それはありがとう」
「私も、りーと本屋さんのこと応援してるよ。なんたって二人お似合いのカップルさんだもんね~」
「ありがとう。紗南ちゃん」
桔梗。お前やっぱり直す気ないだろ。と思いつつも素直に応援してくれることはありがたいことだ。
僕と瑠璃とはまるでタイプの違う親友が二人。この二人のおかげで僕と瑠璃だけでは彩られないであろう日常が彩られるのは素直にうれしいことだ。僕も瑠璃も比較的おとなしい方だから、賑やかな二人が入ると楽しい。高校生っていう感じだ。それになにより、こんな騒がしい二人の親友も本気で僕と瑠璃の関係を応援してくれている。お互いに良い親友を持ったと心の底から思う。
「桔梗ー!蓮ー!どこ行ったー!まだ、掃除終わってないだろー!」
教室の外から僕らのクラス担任の西田先生の声が聞こえてくる。
僕らの担任はいかにもな体育会系。あんな大きな声を出す先生、うちの学校にはそういない。
「やばっ、先生の声だ。紗南、行くぞ。これ以上掃除増やされたらたまったもんじゃない」
というかお前ら、反省の掃除抜けだしてきたのかよ。せめて掃除終わってから、僕らのところに来た方がよかったんじゃないかと思う。
「えー、やだ。私はりーと温め合いっこするの」
そう言って瑠璃から離れようとしない桔梗。
「ほらっ、行くぞ」
先生の声が近づいてくる。
焦った蓮は瑠璃と桔梗を無理やり引きはがし、腕を引っ張りズルズルと連れていく。
「やだやだ。りー助けてー」
「ごめんね、紗南ちゃん。掃除終わったら、また手貸してあげるから」
「そんなぁ~」
がっかりした顔で連れていかれる桔梗。さすがにこれは瑠璃でも擁護しようがないだろう。というか二人が悪い。仕方のないことだ。
二人が教室を出るとき、蓮がこちらを向いて、僕を指さす。
どうせいつものあれだろう。
「隼人!瑠璃を幸せにしてあげろよ」
蓮は毎日同じことを僕に向かって言う。付き合い始めてからずっとだ。
そんなこと蓮に言われなくてもわかってるよ。でも僕のことを思って言ってくれているのだけは毎回伝わってくる。
「何回言えば、気が済むんだよ。お前は。わかってるよ」
僕が蓮に向かってそう言うと、蓮はにこっと笑顔を向けグッドポーズをした。そして、そのまま、桔梗を連れて教室を出ていった。
二人が教室を出ていった後も、扉越しに二人が言い合いをする声が聞こえてくる。
「あの二人、なんだかんだ仲いいよね」
「二人とも同じタイプだし、なんだかんだ気が合うのかもな」
「ちょっと憧れるな」
「蓮と桔梗に?」
確かにあの二人は何事に対してもはっきりというか自分の意見を言う、積極的と言えばいいのだろうか。そういうタイプだ。瑠璃はどちらかといえば消極的の方ではある。でも人はそれぞれだ。
「うん。それに隼人も」
ここで僕が出てきたのは意外だった。だって、どう考えても消極的な方だと思うからだ。瑠璃への告白だって何年もしなかったくらいだし。
「二人はともかく僕は違うと思うけど」
「そんなことないよ。3人とも自分の意見をはっきり言う方だよ。さっきの隼人と翡翠君のやり取りみたいに」
なるほど。そのことか。
今思うと、確かに恥ずかしいことをはっきりと言ってしまった。今になって顔が熱くなってくる。
「あの時は...」
言いかけた時に昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。
それと同時に瑠璃が席から立ち上がる。
「昼休み終わっちゃったね。さ、掃除いかないと」
そういって教室の扉のほうに向かう瑠璃。
僕はさっきの会話がどことなく引っ掛かって瑠璃を引き留める。
「瑠璃!人はそれぞれだし、意見を言うことがすべてじゃないと思う。瑠璃は人の話をきちんと聞いてくれて、思いやりがある。僕は瑠璃のそういうところに憧れてる」
「ふふっ、心配してくれたの?ありがとう」
「あ、いや...」
「ねぇ、隼人。私も隼人のこと幸せにしたいと思ってるよ」
その言葉を残して瑠璃は教室を後にしていった。
教室に一人残った僕は、本を閉じながら
「瑠璃こそしっかりしてるよ」
小さくつぶやいた声は静かな教室に溶け込んでいった。
あっという間に1日の授業が終わる。あとはホームルームを残すのみだ。
教室は帰宅の準備を始めながらがやがやとクラスメイト同士で騒ぐ声に包まれている。
少しすると、ガラッと扉が開き、担任の西田先生が入ってくる。
「ほらー、席につけー」
その言葉で一気に教室が静まり返る。さすが体育会系の先生といったところだ。
「明日からまた雪がひどくなるらしいから、気を付けて学校に来るように」
「せんせー!休みにはなりませんか?」
蓮が手を挙げて先生に尋ねる。
学校では一度は味わったことがあるこの下り。蓮はたびたびこの下りをする。まぁ、クラスではムードメーカー的存在なのだ。
「蓮、お前だけは絶対登校だ」
「えー、それはあんまりっすよー」
先生と蓮のやり取りでクラスが笑いで包まれる。
「じゃあ、ホームルームはこの辺で」
「あ、そうだ。露木。放課後、職員室に来てくれるか?」
僕の名前が呼ばれ、なにかしたっけと考えつつ返事をする。
誰しも先生に呼ばれたときは、まず、心当たりを探すことから始まる。僕もそうだ。
「はい、わかりました」
「あー、隼人。お前なんかしたんじゃねえか」
蓮に茶化され、クラスの視線が僕に集まる。
「蓮じゃあるまいし、そんなわけないだろ」
「安心しろ蓮。お前と違って露木は優秀だからな。委員会のことだ」
「二人して、つめたーい」
なまったるい声で蓮が答える。
その返事でまたクラスに笑いが起こる。ほんとこのクラスは蓮のおかげで賑やかといっても過言ではない。
そして、蓮のおかげで僕が呼ばれた理由のおおまかなことは分かった。
「じゃあ、気をつけて帰るように」
瑠璃も聞いていたはずだから分かってるとは思う。
けど、とりあえず先に帰っててくらいは言っておかないと。ずっと待ってもらうのも悪いし。
「あ、瑠璃、今日...」
「うん。下駄箱のところで待ってるね」
「遅くなるかもしれないよ?」
「いい。待ってる」
瑠璃は一度言うと聞かない、謎に頑なな部分がある。
「わかった。あまりに来なかったら帰ってていいから」
「うん」
瑠璃を後にして、帰る荷物をまとめて一階の職員室に向かう。
なんだろう。職員室に呼ばれるなんて初めてなくらいだ。蓮や桔梗みたいに職員室常連じゃない。
そんな疑問を持ちつつ、職員室の扉を開ける。
「2年C組の露木です。西田先生いらっしゃいますか?」
「露木。こっちだ」
職員室に入ると、すぐに先生に呼ばれた。僕のほうに向かって手を振っている。
独特な空気に包まれた生徒なら誰しも緊迫する空気を切りながら、先生の机に向かう。
「悪いな。放課後に」
「いえ、大丈夫です」
「この本を図書室に持って行って、登録しておいてくれないか?」
先生の頼みは図書室にはいる新規本の登録の話だった。
この先生は体育会系でありながら、図書委員会の担当教諭という似合わない役職に就いている。
まぁ、先生本人は読書が好きらしい。知ったときは人は見た目じゃないという言葉が身にしみて感じた。
「わかりました。やっておきます」
「おう。頼んだぞ」
僕はこの先生が嫌いじゃない。
いや、この先生が嫌いな生徒なんていないと思う。
もちろん厳しい部分はあるが、面白いし、生徒一人一人と向き合う。時には男女関係なく生徒と遊ぶ。
人気な先生の典型的な例だ。なにより、生徒に対してこんな温かい目で見てくれる人はそういない。
職員室を後にした僕はすぐに図書館に向かう。
新規本の登録。1年生の頃はとても手際がいいとは言えず、かなりの時間がかかっていた。
でも、2年生になった現在まで図書委員を続けているおかげか手際よく、図書室の仕事なら大抵のことはできるようになった。今では、僕のことを"図書室の番人"なんて呼ぶ生徒もいるくらいだ。
放課後の図書室は相変わらず閑散としていた。まぁ、休み時間ならまだしも放課後に図書室に来るもの好きな生徒なんてそういないか。
「100冊くらいか」
とはいえ、この量は骨が折れそうだ。
職員室から持ってきた分だけかと思っていたが、図書室にはそれ以上に新規本が山積みになっていた。
本来なら僕のクラスの図書委員は僕を含めてもう一人いるけど、あいにくその子は今日休んでいる僕の隣の席の子だ。一人では多いなんて言っていられないので、とにかく手を動かす。黙々と本の中身に印を押す。ページを開く音だけが静かな図書室に流れていった。
作業を終えるころには、雪は止み、雲の隙間から顔を出した陽が窓に差し込んでいた。嵐の前の静けさというやつだろうか。
「もう5時か」
職員室に行った時が3時半くらいだったから、あれから1時間半経っているわけだ。
何かに集中すると、時間の流れが速く感じるとはこのことだ。
「もうさすがに帰っただろうな」
誰一人いない図書室の窓に向かってつぶやく。
そして、荷物をまとめ図書室を出る。今の時期は雪が降り積もるということもあり、部活動をする生徒はいない。
通常ならば部活動の声が聞こえてくる時間帯の廊下を抜け、下駄箱に向かっていく。
「あ、おつかれ」
「瑠璃。先帰っていいって言ったのに」
下駄箱には瑠璃の姿があった。
相当待ってたんだと思う。この季節の廊下、ましてや外の風が流れ込んでくる下駄箱付近はとにかく寒い。
瑠璃の手先が真っ赤になっていることが待ち時間の長さを示していた。
「待ってたかったから」
もちろん僕にとっては嬉しいこと。だけど、もう少し自分を大切にしてほしいと思う部分が瑠璃には多々ある。
この件だけではない。瑠璃は優しすぎるから、自分は二の次なことが多い。
「せめて教室で待っていればよかったのに」
「入れ違いになるかなと思って」
淡々と返答してくる瑠璃。
確かに入れ違いの可能性があり、筋が通っているから、僕は何とも言い返せない。
「次からは教室で待ってて」
「うん。わかった」
「さ、帰ろっか。待たせてごめん」
「全然いいよ。帰ろ」
二人並んで学校を後にする。
並んで帰る通学路。僕は車により跳ねる雪解け水から瑠璃を守るように車道側を歩く。
僕らの横の道路を車が走り抜ける。車が通るたびに冷たい風が突き刺さり、僕らの間を突き抜けていく。
隣では、瑠璃が真っ赤にした両手を擦り合わせている。見るからに寒そうだった。
「手、つなぐ?寒そうだよ」
「いいの?」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
ここで僕らは恋人という関係になって初めて手をつないだ。少しばかり恥ずかしい。
瑠璃の右手から、氷のような冷たさが左手に伝わってくる。随分、待たせてしまったなと改めて感じる。
なんだか未だに実感が湧かない。瑠璃が彼女として僕の隣にいるのは。
「ふふっ、なんか実感湧かないな。今まで幼馴染で友達だった隼人が恋人として隣にいるなんて」
「僕も同じこと考えてた」
「ねぇ、隼人。これからは恋人としての思い出たくさん作っていこうね」
この日一番の瑠璃の笑顔が僕に向けられる。
とても幸せだ。もう一生気持ちを伝えられないと思っていた瑠璃が今はこうして隣にいる。
心が満たされていく感じだ。これから瑠璃と恋人として様々な思い出が形成されていく。楽しみで仕方がない。
「うん。もちろん」
それからは他愛のない話をしていた。話が盛り上がるころにはお互いの家が近くなり、住宅街の路地に差し掛かる。僕らが二手に分かれる交差点が見えてきた。
まだ付き合って間もないがここに来ると少し寂しい思いに駆られることが多い。なにより今日は手を繋いでいるため、寂しさがいつもより深く感じてしまう。
「じゃあ、また明日ね。隼人」
「うん、また明日。気を付けて」
「うん、ありがとう。じゃあね」
淡々と別れの挨拶を告げ、手が離れる。
手を離した後も瑠璃の背中を目で追ってしまう。好きな人を目で追うことはいつになっても変わらないな。
かすかに右手に残る温かさがより一層寂しさを感じさせる。
さて、寒いから早く帰宅しよう。瑠璃の背中を追うことをやめ、瑠璃とは反対の道を進んでいく。
「はぁー、にしても寒い」
この日は最近で一番の寒さ。ほんとに冬は寒いから苦手だ。かといって夏が好きかと言われれば違う。夏はまた暑いから苦手だ。これは一般の人が大抵思う事なんだろう。
こんな寒い日だと人も少ない。みんな家で暖を取っているんだろうと思っていた矢先、角を曲がると人だかりが見えた。
「なにかあったのか」
人と絡むつもりもないので人だかりの少し後ろの方で僕はみんなの視線の先を見る。
そこには警察官数名にいかにもな中年くらいだろうかおじさんが道路に俯せになる形で押さえつけられていた。騒ぎの原因はこれか。
「はなせっ」
「うるさいっ。おとなしくしてろっ」
いつもなら閑静な住宅街に怒鳴り声が響く。
見るからに何か犯したのだろう。にしても珍しいな。こんな田舎は滅多に犯罪なんて起こらないから。
そのギャップもあり、こんなに人が集まっているってことなのだろう。決して見せ物ではないが、騒ぎのもとに集まるのは人間の性だな。僕も含めて。
帰ろう。僕は事態が知りたかっただけだ。何事なのか知れた以上、ここに止まる必要もない。
僕が後ろを振り向いて歩き出したと同時に後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああああ!」
「うああああああ!」
何事だ。すぐさま僕はまた後ろを振り返る。
僕の目にはとんでもない光景が飛び込んできた。警官の拘束を振りほどいた犯人が暴れている。そしてこっちに向かって走ってきている。
あれほどまで人だかりだった場所は一瞬で崩れ、レッドカーペットが敷かれたかの如く人の壁が二手に分かれた。
その中央をその犯人が走ってきて、一直線に僕の方に向かってくる。やばいやばいやばいやばい。どうする。逃げなきゃ。いや、だめだ。間に合わない。すぐそこまで来てる。やばい。やばい。
「あぶないっ!!」
警察官であろう人の声が僕の耳に入る。
ぷすり。
「っ!」
首元になにか刺された。
首筋の血管を伝って、何かの液体が流れ込んでくる。首筋から体の上へ下へと隅々まで流れ込んでくる感覚だ。その感覚を最後に僕の意識は途絶えた。
誰だろう。
誰かの声が聞こえてくる。聞き覚えのある人の声だ。
「はやと!」
その声に呼び戻されるように意識が起こされる。
目を開けると視線の先には真っ白な天井が広がっていた。独特な薬品のような匂いが鼻腔を刺激する。
「はやと?」
声のなるほうに顔を向けると僕の母親の姿が横にあった。
母さんは仕事終わりなのかスーツを身にまとい、背もたれもない独特の丸椅子にちょこんと座っていた。
僕はどうやら眠っていた。いや、意識を失っていたらしい。ぼやけていた意識が徐々に覚醒し、状況がつかめてくる。
「わかる?母さんだよ?」
「母さん」
「よかった。目を覚まして」
震えた声で母親が返事をする。頬には涙が乾いた跡がある。
どうやら相当心配をかけてしまったようだ。
「ここは?」
「隣町の病院よ」
やっぱりか。なんとなく理解はできた。
あの時、意識をなくしてからどうなったのか覚えていない。そして今、ベットに寝かされている。
この状況から察するに、あの後、僕は救急車で運ばれたのだろう。
「ほんと心配したんだから。隼人が救急車でこの病院に運ばれたって聞いて」
「ごめん。心配かけて。僕はどれくらい眠ってた?」
「私が来てから1時間くらいかしら」
ということはあれからそんなに時間は経ってないらしい。ベットの脇の時計を見ると、短針が8時を指していた。
アニメのように3日も眠り続けていたわけではないようだ。
それからはしばらく母さんと話していた。
僕が見たあの事件の犯人はあの後、警察官にまた取り押さえられたこと。病院の先生によると命に別状はないとのこと。ひとまず、それを聞いてほっとした。
僕が意識を失っている間に様々な検査をしたらしい。検査結果が出るまではもう少しかかるみたいだ。
検査結果を聞くまでもなく僕は大丈夫だろうと思う。目立った外傷もないし、何より自分の体のことは自身が一番わかっている。寝かされていることがおかしいくらい至って健康体だ。
気掛かりなことが一つあるとすれば、意識を失う直前に刺された"なにか"のことぐらいだ。
母親と話に夢中になり、お互いに笑顔もこぼれ始めた頃に、病室のドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
「失礼します」
母さんがドア越しに返事をすると、白衣を身にまとった40代?いやもう少し若いくらいの男性が入ってきた。
言わずもがな僕を診てくれた医師なのだろう。
「目を覚まされたみたいでよかったです」
「ありがとうございます」
「先生、ほんとにありがとうございます」
母さんと僕はベットの脇に立った先生にお礼を言う。
おそらく検査結果が出たのだろう。ここに医師が来たという事はそういう事だ。
「で、どうでしたか?結果のほうは」
母が真剣な面持ちで先生に尋ねる。
「命には別状はありませんでした」
「そうですか。よかった。ほんとによかった」
母は椅子に座り込んでほっとしたように崩れてしまった。
でも、僕には先生の言った言葉に引っかかった。"命には"という言葉に。その言葉遣いだと命には異常はないが、他の場所に異常があるように聞こえる。
そう考えていると先生がベットに座っている僕の目線まで腰を下ろす。
「確かに命には別状はありませんでした」
先生の顔色が曇り、真剣な眼差しを僕に向ける。
「隼人君もお母さんも落ち着いて聞いてください」
急な空気の変わりように一気に病室に緊張感が走る。
母さんの息を呑む音が聞こえてくる。それに呼応するように僕も息を呑む。
「隼人くん。君の記憶はあと7日後に消えてしまう」
「え...」
僕の日常が壊れた瞬間だった。
昼休みという空腹が満たされている至福の休み時間。
僕、露木隼人はカッターシャツの上に冬服を身に纏い、窓側の一番後ろの席という誰もが憧れる席に座り、本を読んでいる。
本を読みながら横目に見える窓。その窓の奥からは雪が深々と降り、積もっている。道路には轍ができ、本格的な冬の訪れを感じる。
「また本読んでる。隣いい?」
声のする方に目を向けると、幼馴染兼彼女である水菜瑠璃の姿があった。
きちっとしたセーラー服を身にまとい、黒髪ロングに水色のヘアピンをつけている。瑠璃の姿はかわいいというより綺麗という言葉が似あう女の子だ。
「いいよ。僕の隣の子、今日は休みだから」
そう言うと瑠璃は僕の隣の席に腰を下ろした。
瑠璃の長い髪の毛が僕の肩に触れて、少しばかり緊張する。
「風邪流行ってるもんね」
「そうだね」
瑠璃と付き合い始めたのはつい先日のこと。
今までは至って普通の仲の良い幼馴染という関係だった。
瑠璃と出会ったのは幼稚園の時。絵本を読んでいた僕のところに瑠璃が声をかけてくれた。
それからだ。僕は毎日、瑠璃と遊ぶようになっていった。幼稚園だけじゃない。それ以降の小学校、中学校と僕の日常にはずっと瑠璃がいるのが当たり前になっていった。いつからだっただろう。
瑠璃が好きという気持ちが表れたのは。確か小学校の高学年になってからだったと思う。そんな中、今の今まで告白しなかったのは単に怖かったからだ。今まで仲良く過ごしていた日常が壊れることが。友達としていつも横にいた瑠璃が離れてしまう可能性があることが。だから今までずっと好きという気持ちは押し殺してきた。
僕は、気持ちを伝えるつもりは全くなかった。
だけど先日の帰り道。ふと瑠璃の顔をみてつい口にこぼしてしまった。
「好きだ」
「え?」
「あ、えーと...」
ふいに出てしまった言葉。故意じゃない。無意識だ。もう後には戻れない。誤魔化すような機転の利くセリフも僕は持ち合わせていない。
こぼした瞬間、頭が真っ白になる。隠せないな。そう思い、僕は思いを告げる。
「瑠璃。ずっと...ずっと好きだった。僕と付き合ってくれませんか?」
後半は謎に恥ずかしさが勝り敬語になってしまった。普段は瑠璃に敬語なんて使わないのに。
今、思うとなんてぎこちない告白なんだろうと思う。
「やっと...やっと好きって言ってくれた。うれしいよ。隼人。私もずっと好きだった。これからは仲の良い友達としてじゃなく、恋人だね」
瑠璃は微笑んだ。とてもやさしい笑顔を僕に向けて。
こんな形で告白は成功。決してかっこいいとは言えない告白だった。
そして、今、恋人として瑠璃は隣の席に座っている。
「なんの本読んでるの?」
「よくあるミステリー系かな」
「へぇー。読み終わったら貸してよ。私も読んでみたい」
「いいよ。明日にでも貸すよ」
「相変わらず読むの早いね、隼人は」
「瑠璃も似たようなもんだろ」
お互いに本が好きという事もあって、昼休みは本の話をする。時には一緒に本を読んだりもする。
他のクラスメイトは体育館に行って、バスケットボールやドッジボールをして楽しんでいる。今、教室にいるのは僕と瑠璃だけだ。僕は断然インドア派の人間。こんな寒い日に教室から出るなんて考えられない。というか凍え死ぬことが目に見えてるし。
何より瑠璃と過ごすこの静かで穏やかな時間が非常に落ち着く。
「今日も静かだね。この教室は」
「嫌か?」
「ううん。逆。とても落ち着く」
「僕も」
そう言って瑠璃は僕の肩に頭をこてんと預けてくる。とても濃い時間だ。
そんな二人の時間に浸っていると、ガラッと教室の扉が開く。
そちらに目を向けると見知った二人の姿があった。
一人は僕と同じカッターシャツを着ていて、腕を物干しざお代わりに冬服をかけている少し茶色がかった短髪の男子生徒。もう一人は瑠璃と同じセーラー服をきているがベージュのカーディガンの腕の部分を腰に回し結び付けており、茶髪のポニーテールを跳ねさせているいかにもJKというような女子生徒だ。
「おうおう、お熱いですな。お二人さん」
そう煽ってくる物干し竿、いや男子生徒は小学生から仲良くしてる僕の親友。翡翠蓮だ。
小学生のころに同じ陸上のクラブに入っていた。小学生当時はクラブに入ることが強制だった。僕は先生に言われて陸上に入ったが、インドアな人間からしたら地獄だ。そんな時に悩みを聞いてくれたのが蓮だ。それを機に仲良くなった。今ではもう本音を言い合える唯一の友達だ。
「どうしたんだ蓮。とっくに夏は過ぎてるぞ」
僕は煽りを華麗にスルーして返事をする。
蓮は高校になって急激に短距離のタイムが伸び、うちの高校のエースといわれるくらいの実力者だ。そのせいか他校の女子からは絶大な人気を誇っている。あくまで他校だ。この高校では大人気というわけではない。理由はただ一つ。うるさいからだ。もう少しおとなしくしていれば顔立ちもいいし完璧なのにと僕は思う。
「無視か。まぁ、いいけど、実は「聞いてよ!りー!」」
蓮の会話に割り込んで来るや否や椅子の背もたれ越しに瑠璃に抱き着いてきたのは瑠璃の友達の桔梗紗南。
桔梗は僕と家が近く、顔見知り、というか普通に女友達だ。瑠璃とは中学のころ、一緒のクラスになってからずっと仲がいいらしい。瑠璃も大切な友達って言ってたし、なにかきっかけがあったのかは知らないけど、瑠璃と一緒にいる友達といえば桔梗というイメージがあるくらいだ。
「この蓮とかいうバカが、また騒いで先生に捕まってさ。たまたまそこにいた私も捕まって二人でこの寒い中、掃除させられてたの」
「わぁー、ほんとだ。紗南ちゃんの手、すごく冷たいね。私の手でよければカイロ代わりに使って?」
「りー!ありがとう!お言葉に甘えてりーも寒いだろうから右手だけ借りるね」
「どーぞ」
瑠璃はにこっと微笑んで桔梗に右手を貸してあげている。
というか、昼休みのあとに掃除の時間があるのに、その昼休みに掃除なんてこいつらも大変だな。桔梗は蓮が騒いでたって言ってるけど大方、桔梗も騒いでいたんだろう。
「うそつけ。紗南、お前も騒いでたくせに」
「ふんっ」
蓮の言葉に知らんぷりをする桔梗。これはやっぱり予想通りみたいだ。
「ところでりーと本屋さんはまた本読んでたの?」
「うん。そうだよ。隼人も私も本好きだから」
「毎回言うけど、僕のことを本屋さんっていうのはやめてくれ」
桔梗はとにかく変なあだ名をつける。
友達だったら、あだ名で呼び合いたいというのが彼女の性らしい。瑠璃の"りー"はまだわかる。女子生徒同士のあだ名って感じだ。だが、"本屋さん"は違うだろ。名前の原型もないし、その呼び方だと誤解を招く場合もある。
「えーいいじゃん。別に。いつも本読んでるし」
「その呼び方だとどう考えても変だろ。というかあだ名じゃない」
「うー。わかったよ。また考えとくから」
と返事する彼女だが多分、これは考えないパターンだ。もう数十回このやり取りをしているが、一向に"本屋さん"からあだ名は変わったことがない。もう半分あきらめかけている僕がいるのも確かだ。
「にしてもようやく付き合ったよな隼人と瑠璃」
この二人は唯一、僕と瑠璃が付き合っていることを知っている。
お互いの親友の好みってことで二人には伝えた。
「翡翠くん、昨日も同じこと言ってたよ」
微笑みながら返事をする瑠璃。
瑠璃は基本的につながりがあれば誰とでも話せる。蓮とも僕との友達つながりから仲良くなっている。
「いや~、なんかお父さんの気分だよ俺は」
「なんでだよ」
すぐさまツッコミを入れる。
まぁ、蓮が言うことも分からなくはない。小学校の頃から蓮に瑠璃が好きっていうのは気づかれていたみたいだし。そう考えれば蓮は約5年くらい付き合うまでを見ていたという訳だ。と言ってもお父さんの気分は盛り過ぎだとは思うが。
「ほんとやっとかって感じで。俺はうれしいよ」
「はいはい。それはありがとう」
「私も、りーと本屋さんのこと応援してるよ。なんたって二人お似合いのカップルさんだもんね~」
「ありがとう。紗南ちゃん」
桔梗。お前やっぱり直す気ないだろ。と思いつつも素直に応援してくれることはありがたいことだ。
僕と瑠璃とはまるでタイプの違う親友が二人。この二人のおかげで僕と瑠璃だけでは彩られないであろう日常が彩られるのは素直にうれしいことだ。僕も瑠璃も比較的おとなしい方だから、賑やかな二人が入ると楽しい。高校生っていう感じだ。それになにより、こんな騒がしい二人の親友も本気で僕と瑠璃の関係を応援してくれている。お互いに良い親友を持ったと心の底から思う。
「桔梗ー!蓮ー!どこ行ったー!まだ、掃除終わってないだろー!」
教室の外から僕らのクラス担任の西田先生の声が聞こえてくる。
僕らの担任はいかにもな体育会系。あんな大きな声を出す先生、うちの学校にはそういない。
「やばっ、先生の声だ。紗南、行くぞ。これ以上掃除増やされたらたまったもんじゃない」
というかお前ら、反省の掃除抜けだしてきたのかよ。せめて掃除終わってから、僕らのところに来た方がよかったんじゃないかと思う。
「えー、やだ。私はりーと温め合いっこするの」
そう言って瑠璃から離れようとしない桔梗。
「ほらっ、行くぞ」
先生の声が近づいてくる。
焦った蓮は瑠璃と桔梗を無理やり引きはがし、腕を引っ張りズルズルと連れていく。
「やだやだ。りー助けてー」
「ごめんね、紗南ちゃん。掃除終わったら、また手貸してあげるから」
「そんなぁ~」
がっかりした顔で連れていかれる桔梗。さすがにこれは瑠璃でも擁護しようがないだろう。というか二人が悪い。仕方のないことだ。
二人が教室を出るとき、蓮がこちらを向いて、僕を指さす。
どうせいつものあれだろう。
「隼人!瑠璃を幸せにしてあげろよ」
蓮は毎日同じことを僕に向かって言う。付き合い始めてからずっとだ。
そんなこと蓮に言われなくてもわかってるよ。でも僕のことを思って言ってくれているのだけは毎回伝わってくる。
「何回言えば、気が済むんだよ。お前は。わかってるよ」
僕が蓮に向かってそう言うと、蓮はにこっと笑顔を向けグッドポーズをした。そして、そのまま、桔梗を連れて教室を出ていった。
二人が教室を出ていった後も、扉越しに二人が言い合いをする声が聞こえてくる。
「あの二人、なんだかんだ仲いいよね」
「二人とも同じタイプだし、なんだかんだ気が合うのかもな」
「ちょっと憧れるな」
「蓮と桔梗に?」
確かにあの二人は何事に対してもはっきりというか自分の意見を言う、積極的と言えばいいのだろうか。そういうタイプだ。瑠璃はどちらかといえば消極的の方ではある。でも人はそれぞれだ。
「うん。それに隼人も」
ここで僕が出てきたのは意外だった。だって、どう考えても消極的な方だと思うからだ。瑠璃への告白だって何年もしなかったくらいだし。
「二人はともかく僕は違うと思うけど」
「そんなことないよ。3人とも自分の意見をはっきり言う方だよ。さっきの隼人と翡翠君のやり取りみたいに」
なるほど。そのことか。
今思うと、確かに恥ずかしいことをはっきりと言ってしまった。今になって顔が熱くなってくる。
「あの時は...」
言いかけた時に昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。
それと同時に瑠璃が席から立ち上がる。
「昼休み終わっちゃったね。さ、掃除いかないと」
そういって教室の扉のほうに向かう瑠璃。
僕はさっきの会話がどことなく引っ掛かって瑠璃を引き留める。
「瑠璃!人はそれぞれだし、意見を言うことがすべてじゃないと思う。瑠璃は人の話をきちんと聞いてくれて、思いやりがある。僕は瑠璃のそういうところに憧れてる」
「ふふっ、心配してくれたの?ありがとう」
「あ、いや...」
「ねぇ、隼人。私も隼人のこと幸せにしたいと思ってるよ」
その言葉を残して瑠璃は教室を後にしていった。
教室に一人残った僕は、本を閉じながら
「瑠璃こそしっかりしてるよ」
小さくつぶやいた声は静かな教室に溶け込んでいった。
あっという間に1日の授業が終わる。あとはホームルームを残すのみだ。
教室は帰宅の準備を始めながらがやがやとクラスメイト同士で騒ぐ声に包まれている。
少しすると、ガラッと扉が開き、担任の西田先生が入ってくる。
「ほらー、席につけー」
その言葉で一気に教室が静まり返る。さすが体育会系の先生といったところだ。
「明日からまた雪がひどくなるらしいから、気を付けて学校に来るように」
「せんせー!休みにはなりませんか?」
蓮が手を挙げて先生に尋ねる。
学校では一度は味わったことがあるこの下り。蓮はたびたびこの下りをする。まぁ、クラスではムードメーカー的存在なのだ。
「蓮、お前だけは絶対登校だ」
「えー、それはあんまりっすよー」
先生と蓮のやり取りでクラスが笑いで包まれる。
「じゃあ、ホームルームはこの辺で」
「あ、そうだ。露木。放課後、職員室に来てくれるか?」
僕の名前が呼ばれ、なにかしたっけと考えつつ返事をする。
誰しも先生に呼ばれたときは、まず、心当たりを探すことから始まる。僕もそうだ。
「はい、わかりました」
「あー、隼人。お前なんかしたんじゃねえか」
蓮に茶化され、クラスの視線が僕に集まる。
「蓮じゃあるまいし、そんなわけないだろ」
「安心しろ蓮。お前と違って露木は優秀だからな。委員会のことだ」
「二人して、つめたーい」
なまったるい声で蓮が答える。
その返事でまたクラスに笑いが起こる。ほんとこのクラスは蓮のおかげで賑やかといっても過言ではない。
そして、蓮のおかげで僕が呼ばれた理由のおおまかなことは分かった。
「じゃあ、気をつけて帰るように」
瑠璃も聞いていたはずだから分かってるとは思う。
けど、とりあえず先に帰っててくらいは言っておかないと。ずっと待ってもらうのも悪いし。
「あ、瑠璃、今日...」
「うん。下駄箱のところで待ってるね」
「遅くなるかもしれないよ?」
「いい。待ってる」
瑠璃は一度言うと聞かない、謎に頑なな部分がある。
「わかった。あまりに来なかったら帰ってていいから」
「うん」
瑠璃を後にして、帰る荷物をまとめて一階の職員室に向かう。
なんだろう。職員室に呼ばれるなんて初めてなくらいだ。蓮や桔梗みたいに職員室常連じゃない。
そんな疑問を持ちつつ、職員室の扉を開ける。
「2年C組の露木です。西田先生いらっしゃいますか?」
「露木。こっちだ」
職員室に入ると、すぐに先生に呼ばれた。僕のほうに向かって手を振っている。
独特な空気に包まれた生徒なら誰しも緊迫する空気を切りながら、先生の机に向かう。
「悪いな。放課後に」
「いえ、大丈夫です」
「この本を図書室に持って行って、登録しておいてくれないか?」
先生の頼みは図書室にはいる新規本の登録の話だった。
この先生は体育会系でありながら、図書委員会の担当教諭という似合わない役職に就いている。
まぁ、先生本人は読書が好きらしい。知ったときは人は見た目じゃないという言葉が身にしみて感じた。
「わかりました。やっておきます」
「おう。頼んだぞ」
僕はこの先生が嫌いじゃない。
いや、この先生が嫌いな生徒なんていないと思う。
もちろん厳しい部分はあるが、面白いし、生徒一人一人と向き合う。時には男女関係なく生徒と遊ぶ。
人気な先生の典型的な例だ。なにより、生徒に対してこんな温かい目で見てくれる人はそういない。
職員室を後にした僕はすぐに図書館に向かう。
新規本の登録。1年生の頃はとても手際がいいとは言えず、かなりの時間がかかっていた。
でも、2年生になった現在まで図書委員を続けているおかげか手際よく、図書室の仕事なら大抵のことはできるようになった。今では、僕のことを"図書室の番人"なんて呼ぶ生徒もいるくらいだ。
放課後の図書室は相変わらず閑散としていた。まぁ、休み時間ならまだしも放課後に図書室に来るもの好きな生徒なんてそういないか。
「100冊くらいか」
とはいえ、この量は骨が折れそうだ。
職員室から持ってきた分だけかと思っていたが、図書室にはそれ以上に新規本が山積みになっていた。
本来なら僕のクラスの図書委員は僕を含めてもう一人いるけど、あいにくその子は今日休んでいる僕の隣の席の子だ。一人では多いなんて言っていられないので、とにかく手を動かす。黙々と本の中身に印を押す。ページを開く音だけが静かな図書室に流れていった。
作業を終えるころには、雪は止み、雲の隙間から顔を出した陽が窓に差し込んでいた。嵐の前の静けさというやつだろうか。
「もう5時か」
職員室に行った時が3時半くらいだったから、あれから1時間半経っているわけだ。
何かに集中すると、時間の流れが速く感じるとはこのことだ。
「もうさすがに帰っただろうな」
誰一人いない図書室の窓に向かってつぶやく。
そして、荷物をまとめ図書室を出る。今の時期は雪が降り積もるということもあり、部活動をする生徒はいない。
通常ならば部活動の声が聞こえてくる時間帯の廊下を抜け、下駄箱に向かっていく。
「あ、おつかれ」
「瑠璃。先帰っていいって言ったのに」
下駄箱には瑠璃の姿があった。
相当待ってたんだと思う。この季節の廊下、ましてや外の風が流れ込んでくる下駄箱付近はとにかく寒い。
瑠璃の手先が真っ赤になっていることが待ち時間の長さを示していた。
「待ってたかったから」
もちろん僕にとっては嬉しいこと。だけど、もう少し自分を大切にしてほしいと思う部分が瑠璃には多々ある。
この件だけではない。瑠璃は優しすぎるから、自分は二の次なことが多い。
「せめて教室で待っていればよかったのに」
「入れ違いになるかなと思って」
淡々と返答してくる瑠璃。
確かに入れ違いの可能性があり、筋が通っているから、僕は何とも言い返せない。
「次からは教室で待ってて」
「うん。わかった」
「さ、帰ろっか。待たせてごめん」
「全然いいよ。帰ろ」
二人並んで学校を後にする。
並んで帰る通学路。僕は車により跳ねる雪解け水から瑠璃を守るように車道側を歩く。
僕らの横の道路を車が走り抜ける。車が通るたびに冷たい風が突き刺さり、僕らの間を突き抜けていく。
隣では、瑠璃が真っ赤にした両手を擦り合わせている。見るからに寒そうだった。
「手、つなぐ?寒そうだよ」
「いいの?」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
ここで僕らは恋人という関係になって初めて手をつないだ。少しばかり恥ずかしい。
瑠璃の右手から、氷のような冷たさが左手に伝わってくる。随分、待たせてしまったなと改めて感じる。
なんだか未だに実感が湧かない。瑠璃が彼女として僕の隣にいるのは。
「ふふっ、なんか実感湧かないな。今まで幼馴染で友達だった隼人が恋人として隣にいるなんて」
「僕も同じこと考えてた」
「ねぇ、隼人。これからは恋人としての思い出たくさん作っていこうね」
この日一番の瑠璃の笑顔が僕に向けられる。
とても幸せだ。もう一生気持ちを伝えられないと思っていた瑠璃が今はこうして隣にいる。
心が満たされていく感じだ。これから瑠璃と恋人として様々な思い出が形成されていく。楽しみで仕方がない。
「うん。もちろん」
それからは他愛のない話をしていた。話が盛り上がるころにはお互いの家が近くなり、住宅街の路地に差し掛かる。僕らが二手に分かれる交差点が見えてきた。
まだ付き合って間もないがここに来ると少し寂しい思いに駆られることが多い。なにより今日は手を繋いでいるため、寂しさがいつもより深く感じてしまう。
「じゃあ、また明日ね。隼人」
「うん、また明日。気を付けて」
「うん、ありがとう。じゃあね」
淡々と別れの挨拶を告げ、手が離れる。
手を離した後も瑠璃の背中を目で追ってしまう。好きな人を目で追うことはいつになっても変わらないな。
かすかに右手に残る温かさがより一層寂しさを感じさせる。
さて、寒いから早く帰宅しよう。瑠璃の背中を追うことをやめ、瑠璃とは反対の道を進んでいく。
「はぁー、にしても寒い」
この日は最近で一番の寒さ。ほんとに冬は寒いから苦手だ。かといって夏が好きかと言われれば違う。夏はまた暑いから苦手だ。これは一般の人が大抵思う事なんだろう。
こんな寒い日だと人も少ない。みんな家で暖を取っているんだろうと思っていた矢先、角を曲がると人だかりが見えた。
「なにかあったのか」
人と絡むつもりもないので人だかりの少し後ろの方で僕はみんなの視線の先を見る。
そこには警察官数名にいかにもな中年くらいだろうかおじさんが道路に俯せになる形で押さえつけられていた。騒ぎの原因はこれか。
「はなせっ」
「うるさいっ。おとなしくしてろっ」
いつもなら閑静な住宅街に怒鳴り声が響く。
見るからに何か犯したのだろう。にしても珍しいな。こんな田舎は滅多に犯罪なんて起こらないから。
そのギャップもあり、こんなに人が集まっているってことなのだろう。決して見せ物ではないが、騒ぎのもとに集まるのは人間の性だな。僕も含めて。
帰ろう。僕は事態が知りたかっただけだ。何事なのか知れた以上、ここに止まる必要もない。
僕が後ろを振り向いて歩き出したと同時に後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「きゃあああああ!」
「うああああああ!」
何事だ。すぐさま僕はまた後ろを振り返る。
僕の目にはとんでもない光景が飛び込んできた。警官の拘束を振りほどいた犯人が暴れている。そしてこっちに向かって走ってきている。
あれほどまで人だかりだった場所は一瞬で崩れ、レッドカーペットが敷かれたかの如く人の壁が二手に分かれた。
その中央をその犯人が走ってきて、一直線に僕の方に向かってくる。やばいやばいやばいやばい。どうする。逃げなきゃ。いや、だめだ。間に合わない。すぐそこまで来てる。やばい。やばい。
「あぶないっ!!」
警察官であろう人の声が僕の耳に入る。
ぷすり。
「っ!」
首元になにか刺された。
首筋の血管を伝って、何かの液体が流れ込んでくる。首筋から体の上へ下へと隅々まで流れ込んでくる感覚だ。その感覚を最後に僕の意識は途絶えた。
誰だろう。
誰かの声が聞こえてくる。聞き覚えのある人の声だ。
「はやと!」
その声に呼び戻されるように意識が起こされる。
目を開けると視線の先には真っ白な天井が広がっていた。独特な薬品のような匂いが鼻腔を刺激する。
「はやと?」
声のなるほうに顔を向けると僕の母親の姿が横にあった。
母さんは仕事終わりなのかスーツを身にまとい、背もたれもない独特の丸椅子にちょこんと座っていた。
僕はどうやら眠っていた。いや、意識を失っていたらしい。ぼやけていた意識が徐々に覚醒し、状況がつかめてくる。
「わかる?母さんだよ?」
「母さん」
「よかった。目を覚まして」
震えた声で母親が返事をする。頬には涙が乾いた跡がある。
どうやら相当心配をかけてしまったようだ。
「ここは?」
「隣町の病院よ」
やっぱりか。なんとなく理解はできた。
あの時、意識をなくしてからどうなったのか覚えていない。そして今、ベットに寝かされている。
この状況から察するに、あの後、僕は救急車で運ばれたのだろう。
「ほんと心配したんだから。隼人が救急車でこの病院に運ばれたって聞いて」
「ごめん。心配かけて。僕はどれくらい眠ってた?」
「私が来てから1時間くらいかしら」
ということはあれからそんなに時間は経ってないらしい。ベットの脇の時計を見ると、短針が8時を指していた。
アニメのように3日も眠り続けていたわけではないようだ。
それからはしばらく母さんと話していた。
僕が見たあの事件の犯人はあの後、警察官にまた取り押さえられたこと。病院の先生によると命に別状はないとのこと。ひとまず、それを聞いてほっとした。
僕が意識を失っている間に様々な検査をしたらしい。検査結果が出るまではもう少しかかるみたいだ。
検査結果を聞くまでもなく僕は大丈夫だろうと思う。目立った外傷もないし、何より自分の体のことは自身が一番わかっている。寝かされていることがおかしいくらい至って健康体だ。
気掛かりなことが一つあるとすれば、意識を失う直前に刺された"なにか"のことぐらいだ。
母親と話に夢中になり、お互いに笑顔もこぼれ始めた頃に、病室のドアをノックする音が聞こえた。
「はい」
「失礼します」
母さんがドア越しに返事をすると、白衣を身にまとった40代?いやもう少し若いくらいの男性が入ってきた。
言わずもがな僕を診てくれた医師なのだろう。
「目を覚まされたみたいでよかったです」
「ありがとうございます」
「先生、ほんとにありがとうございます」
母さんと僕はベットの脇に立った先生にお礼を言う。
おそらく検査結果が出たのだろう。ここに医師が来たという事はそういう事だ。
「で、どうでしたか?結果のほうは」
母が真剣な面持ちで先生に尋ねる。
「命には別状はありませんでした」
「そうですか。よかった。ほんとによかった」
母は椅子に座り込んでほっとしたように崩れてしまった。
でも、僕には先生の言った言葉に引っかかった。"命には"という言葉に。その言葉遣いだと命には異常はないが、他の場所に異常があるように聞こえる。
そう考えていると先生がベットに座っている僕の目線まで腰を下ろす。
「確かに命には別状はありませんでした」
先生の顔色が曇り、真剣な眼差しを僕に向ける。
「隼人君もお母さんも落ち着いて聞いてください」
急な空気の変わりように一気に病室に緊張感が走る。
母さんの息を呑む音が聞こえてくる。それに呼応するように僕も息を呑む。
「隼人くん。君の記憶はあと7日後に消えてしまう」
「え...」
僕の日常が壊れた瞬間だった。