第一章 私には、自分がない
八畳ほどの四角い白い部屋、三人の面接官と向かい合って、リクルートスーツにひっつめ髪の私はパイプ椅子に座っている。
隣室で順番を待っていた時から心臓はバクバクで、頭の中はグルグル沸騰している。夕べお母さんと最終面接の練習をさんざんしたけれど、いざ時が来るとそんなのまるで役に立たない。
深呼吸して自分を落ち着けさせようとするものの、肺すらも上手く機能してくれない。「いつもの唯でいいのよ、大丈夫」ってお母さんは今朝送り出してくれたけれど、いつもの私なんてどこか遠い場所に置いてけぼりだ。
さんざん書類でふるい落とされて、ようやく漕ぎつけた最終面接。都内でアメリカを中心に英語圏から輸入雑貨を買い付けている会社。どうしても、この面接に受かりたい! いい加減、就職活動、終わりにしたい!
いつまでも内定が取れない就活生というのは常に不安に付き纏(まと)われている。起きている時は就活のことばかり延々と考えて、寝ている時は就職先が決まらないまま春になってしまった夢を見る。ニートになった寒い春。このままじゃ私、おかしくなっちゃいそう。だからこの面接は絶対に失敗しちゃいけないのに。なのに。
三人の面接官は、左が三十歳くらいの白人の男の人、真ん中の人は日本人でこちらも三十代後半くらい、右の日本人の女の人はいちばん若くて二十代後半ってところ。みんな悪い人じゃなさそうなのに、私にとっては地獄の閻魔(えんま)様みたいに見えてしまう。地獄で閻魔様の裁きを受ける時って、こんな気分なのかなぁ。
「猪原(いはら)唯(ゆい)、泉丘(いずみがおか)女子大学四年生、文学部英文科です。今日はよろしくお願いいたします」
ちなみに私の自己紹介も、これからの会話も、すべて本当は英語。社内での公用語が英語だから、面接も英語で行われる。四歳から英会話教室に通わされていた私は、これぐらいの英語ならすらすら出てくる。
「猪原さんは英検一級なんですね」
真ん中の男の人が言った。ひと言ひと言に私を丸裸にさせる力が宿っていそうで、心の糸がぴんと伸びる。
「はい、三年生の時に取りました」
「TOEICも九二〇点、なかなかのものですね。それだけ英語に精通していながら、留学の経験はない、と」
左の白人の男の人が言う。いきなりなかなか厳しいところを突かれてしまって、私はしばらく言葉に詰まってしまった。
「ええと、それは……私は留学したかったんですけれど、母に反対されて」
「お母さんに?」
今度は右の女の人が言う。四角いフレームの向こうの目に、厳しく問い詰められている気がした。
「母が、お嫁に行くまでは実家にいなさいって考えの人なので。短い期間でも若い女の子が海外で暮らすのは危ないし、やめなさいと」
「それで、あなたは自分の希望をあっさり諦めたんですね?」
あっさり、なんて言われてしまうと言葉が出ない。たしかに留学したかったのは事実で、お母さんに止められたから諦めたのも事実。こんなことになるならお母さんを説得して留学しておけばよかったと、今さら後悔しても遅い。
「もう十二月ですね。就職活動もさんざんなされたことでしょう。この時期になっても就職が決まらない原因は、何だと考えますか?」
真ん中の男の人から、再び厳しい質問。私はまるで蛇に睨まれたカエルだ。
「そもそも私、公務員を目指していたんです。でも、公務員試験に落ちてしまって。慌てて就職活動を始めました」
「もともとは公務員志望だったということですか? 公務員になって、何がしたかったのですか?」
白人の男の人が問いかける。白い部屋に数秒、きんと空気が硬直したかのような沈黙が漂う。
「公務員になってほしいっていうのは、母の希望だったんです」
どうしても、嘘が上手く出てこない。正直に答えると、三人の面接官がいっせいに怪訝な顔になった。
「安定した仕事に就いて、安定した人生を歩んでほしいっていうのが母の希望で。私もその希望を叶えたくて、公務員を目指していました」
「ではあなた自身は、特に公務員になりたいわけではなかったということですか」
メガネの女の人の鋭い言葉に打ちひしがれたように、私ははい、と言った。
「質問を変えましょう。この会社で、何をしたいとお考えですか? 猪原さんは、どんな形でうちに貢献してくれるのですか?」
真ん中の男の人が聞く。これは予想されていた質問で、夕べお母さんとも練習していた。頭の中のカンニングペーパーを必死で取り出す。
「英語は四歳から習っていたので、自分の英語力を生かしたいと考えています。貴社の製品はとても好きですから、売り上げに貢献出来るよう頑張りたいと思います」
「その心意気は、大変素晴らしいですね」
メガネの女の人が言った。面接が始まってようやく、私の気持ちが少し届いた気がした。でも、とメガネの女の人は続ける。
「でも、あなたはうちの会社には向いていませんね」
その一言でわたしの心は、穴が開いた風船のようにたちまちぷしゅうとしぼんでいった。
「うちの会社では、外国人を相手に仕事をすることが少なくありません。日本人とは違い、外国人はあなたはどういう考えなのか、どういう意思なのか、そういうことをすごく聞いてきます。でもあなたは見たところ、お母さんの意向で留学をやめ、お母さんの意向で公務員を目指し、その夢が絶たれると慌てて就職活動に走った。どの就活本にも書いてあるような自己PR文で。どうもあなたには、自分というものがない。そういう人に、うちの会社での仕事は務まらないと思いますよ」
メガネの女の人は淡々と、小川を水が流れるように言った。しぼんでぺちゃんこになった心に、さらにぐさりと太い針を刺された気がした。
ありがとうございました、と挨拶をして、私は敗北感と共に部屋を後にし
た。
八畳ほどの四角い白い部屋、三人の面接官と向かい合って、リクルートスーツにひっつめ髪の私はパイプ椅子に座っている。
隣室で順番を待っていた時から心臓はバクバクで、頭の中はグルグル沸騰している。夕べお母さんと最終面接の練習をさんざんしたけれど、いざ時が来るとそんなのまるで役に立たない。
深呼吸して自分を落ち着けさせようとするものの、肺すらも上手く機能してくれない。「いつもの唯でいいのよ、大丈夫」ってお母さんは今朝送り出してくれたけれど、いつもの私なんてどこか遠い場所に置いてけぼりだ。
さんざん書類でふるい落とされて、ようやく漕ぎつけた最終面接。都内でアメリカを中心に英語圏から輸入雑貨を買い付けている会社。どうしても、この面接に受かりたい! いい加減、就職活動、終わりにしたい!
いつまでも内定が取れない就活生というのは常に不安に付き纏(まと)われている。起きている時は就活のことばかり延々と考えて、寝ている時は就職先が決まらないまま春になってしまった夢を見る。ニートになった寒い春。このままじゃ私、おかしくなっちゃいそう。だからこの面接は絶対に失敗しちゃいけないのに。なのに。
三人の面接官は、左が三十歳くらいの白人の男の人、真ん中の人は日本人でこちらも三十代後半くらい、右の日本人の女の人はいちばん若くて二十代後半ってところ。みんな悪い人じゃなさそうなのに、私にとっては地獄の閻魔(えんま)様みたいに見えてしまう。地獄で閻魔様の裁きを受ける時って、こんな気分なのかなぁ。
「猪原(いはら)唯(ゆい)、泉丘(いずみがおか)女子大学四年生、文学部英文科です。今日はよろしくお願いいたします」
ちなみに私の自己紹介も、これからの会話も、すべて本当は英語。社内での公用語が英語だから、面接も英語で行われる。四歳から英会話教室に通わされていた私は、これぐらいの英語ならすらすら出てくる。
「猪原さんは英検一級なんですね」
真ん中の男の人が言った。ひと言ひと言に私を丸裸にさせる力が宿っていそうで、心の糸がぴんと伸びる。
「はい、三年生の時に取りました」
「TOEICも九二〇点、なかなかのものですね。それだけ英語に精通していながら、留学の経験はない、と」
左の白人の男の人が言う。いきなりなかなか厳しいところを突かれてしまって、私はしばらく言葉に詰まってしまった。
「ええと、それは……私は留学したかったんですけれど、母に反対されて」
「お母さんに?」
今度は右の女の人が言う。四角いフレームの向こうの目に、厳しく問い詰められている気がした。
「母が、お嫁に行くまでは実家にいなさいって考えの人なので。短い期間でも若い女の子が海外で暮らすのは危ないし、やめなさいと」
「それで、あなたは自分の希望をあっさり諦めたんですね?」
あっさり、なんて言われてしまうと言葉が出ない。たしかに留学したかったのは事実で、お母さんに止められたから諦めたのも事実。こんなことになるならお母さんを説得して留学しておけばよかったと、今さら後悔しても遅い。
「もう十二月ですね。就職活動もさんざんなされたことでしょう。この時期になっても就職が決まらない原因は、何だと考えますか?」
真ん中の男の人から、再び厳しい質問。私はまるで蛇に睨まれたカエルだ。
「そもそも私、公務員を目指していたんです。でも、公務員試験に落ちてしまって。慌てて就職活動を始めました」
「もともとは公務員志望だったということですか? 公務員になって、何がしたかったのですか?」
白人の男の人が問いかける。白い部屋に数秒、きんと空気が硬直したかのような沈黙が漂う。
「公務員になってほしいっていうのは、母の希望だったんです」
どうしても、嘘が上手く出てこない。正直に答えると、三人の面接官がいっせいに怪訝な顔になった。
「安定した仕事に就いて、安定した人生を歩んでほしいっていうのが母の希望で。私もその希望を叶えたくて、公務員を目指していました」
「ではあなた自身は、特に公務員になりたいわけではなかったということですか」
メガネの女の人の鋭い言葉に打ちひしがれたように、私ははい、と言った。
「質問を変えましょう。この会社で、何をしたいとお考えですか? 猪原さんは、どんな形でうちに貢献してくれるのですか?」
真ん中の男の人が聞く。これは予想されていた質問で、夕べお母さんとも練習していた。頭の中のカンニングペーパーを必死で取り出す。
「英語は四歳から習っていたので、自分の英語力を生かしたいと考えています。貴社の製品はとても好きですから、売り上げに貢献出来るよう頑張りたいと思います」
「その心意気は、大変素晴らしいですね」
メガネの女の人が言った。面接が始まってようやく、私の気持ちが少し届いた気がした。でも、とメガネの女の人は続ける。
「でも、あなたはうちの会社には向いていませんね」
その一言でわたしの心は、穴が開いた風船のようにたちまちぷしゅうとしぼんでいった。
「うちの会社では、外国人を相手に仕事をすることが少なくありません。日本人とは違い、外国人はあなたはどういう考えなのか、どういう意思なのか、そういうことをすごく聞いてきます。でもあなたは見たところ、お母さんの意向で留学をやめ、お母さんの意向で公務員を目指し、その夢が絶たれると慌てて就職活動に走った。どの就活本にも書いてあるような自己PR文で。どうもあなたには、自分というものがない。そういう人に、うちの会社での仕事は務まらないと思いますよ」
メガネの女の人は淡々と、小川を水が流れるように言った。しぼんでぺちゃんこになった心に、さらにぐさりと太い針を刺された気がした。
ありがとうございました、と挨拶をして、私は敗北感と共に部屋を後にし
た。