それから十五分ほどして出てきた『おむれつらいす』は、控えめに言って至高だった。

 「へいよ、オムレツライスお待ち」

 店主の声で出てきたソレに、思わず永松達は感嘆の声を上げる。

 まず目を引くのは、眩いばかりの黄色の層だ。スプーンで触れるとふわりと弾んでしまうほど弾力性がある。ワインを下味に使っているのだろうか、コクのある深い匂いが鼻孔を満たした。目と鼻が喜んでいるのが自分でも解る。

 そして何より素晴らしいのは、艶やかな黄色と対照的な赤色のケチャップだ。まるで黄色のキャンパスに塗られた絵の具のように輝いている。ケチャップが帝都に普及し始めたのは明治の後半から。永松が子供の頃には存在さえもしなかった食材だ。生きていると色々と良い事があるものだと実感する。

 ごくりと生唾を呑み込み茜に目を向けると、彼も同じような表情をしていた。ならばもう何も言う必要はあるまい。三人は何も言う事無く、ぱちんと手を合わせて頭を下げる。

 「「「いただきます」」」

 賑やかな食堂に、三人の弾んだような声が混じった。永松がソレにスプーンを刺すと、卵の層がすっと裂ける。

 すると中からケチャップと共に炒められたであろうライスがどうだとばかりに姿を見せる。湯気に乗せられトマトの香りが一層強く鼻をくすぐってきた。本当に罪な香りだ。

 ごくりと生唾を呑み込みながら、永松はスプーンで掬ったソレを口に頬張った。

 「んー、上手ええっ!」

 口に入れた瞬間に広がった旨味に、思わず地団駄を踏んで悶絶する。向かい側の茜も機嫌良く目を細めながら「上手いねえ」と笑っていた。

 「銀座の煉瓦亭のも好きだけど、ここは卵の層を作って閉じ込める造りで斬新だねえ。山椒も和のエッセンスもほんのりと感じる事ができる。良い一品だよ」

 「卵もバターと一緒に混ぜられているみたいです。上手いなあ」

 最早何の集まりかさえ解らなくなってきたが、やはり『美味しいもの』を食べた時のこの充足感、幸福感は誰であろうといつの時代であろうと変わらないらしい。気を良くした永松は店主へ「大将ーっ! ビール一つ!」と大声を投げかけた。

 「ご主人、あたしにはワインを。赤とかあるかい? ・・・・・・ええ、売ってないって?調理用だけ? そいつは困ったねえ・・・・・・」

 「私はオレンヂジュースでっ」

 茜と雑賀も各々が好き勝手に飲み物を頼み、小一時間も過ぎた頃には永松はすっかり出来上がっていた。

 「――――ほんっとに、成金共が今の日本を腐らせてんだよっ!」

 顔を紅潮させながら、永松はグラスを机にドンと置く。

 「信用は二の次。どいつもこいつも目先の利益だけ考えて、粗悪品をとにかく売って売って売って売ってさあ! 今や日本製品とくりゃあ粗悪で安い扱い。恥ずかしいよっ」

 酔いが入っては居るが、全て永松の本心だった。

 自分が童の頃は『江戸っ子』い相応しい気概在る商売人が沢山居たが、最近目にするのはいかに自分が設けるかを第一にする奴らばかりだ。

 「ったく、いつから日本人は、商売人の心ってのを忘れちまったんでえ!」

 荒れ狂う永松とは裏腹に、茜は涼しい表情で「確かにねえ」と困ったように笑った。永松と同じ量を飲んでいるにも関わらず、その白い肌を僅かに赤くしただけだ。どうやら相当酒が強いようだ。

 「ここ数年、貧富の差は目を覆いたくなるものがあるよ。国は潤っただろうが、そこに住まうあたしらには色んな確執が生まれちまった。でもね、いつの時代も栄枯衰退。陰と陽。1918年(にねんまえ)の米騒動然り、その反動はいつか裏返るのだろうさ」

 「あれはいい様でえっ! 強欲な商人どもめ、ばちが当たったんだ。少しはあれであいつらも懲りただろうよっ」

 「はは、永松さんの気持ちもわかるけど、一概に善だ悪だとはあたしはいえないねえ」

 赤い顔で笑う永松に、茜は困ったような表情で笑った。

 「何でえ、先生は、あいつらの味方かい?」

 ぐいと永松が詰め寄ると、茜は珍しく殊勝に首を振る。

 「あたしは誰の味方でもないよ。でも今は永松さん達の味方かな」

 そう茜は気前よく笑った。この男、随分と人ったらしな事を言ってくるものだ。

 「ったあ先生、会った人間全員にそんな事言ってんですかい?」

 と言いつつも、その言葉は存外に嬉しかった。自分が今日会ったばかりの相手とこう気分良く飲めているのも、きっと彼だからなのだろう。

 言葉にするのは憚られたので、代わりに永松はビールを豪快に煽る。

 やはり大勢の人飲む酒は美味い。大勢で囲む食事は美味い。

 それから一時間ほど、楽しい声は途切れる事は無かった。