渡月橋の北側にある浜では野次馬たちが群がっていた。老若男女問わず、興味本意で現場を囲っている。

「ええい! 離れんか! ここは現場だぞ!」

 野次馬となった人々を払いながら立ち入り禁止を命ずるのは一人の羅卒(らそつ)だった。
 中肉中背で、ちょび髭を生やす、いかにもな風貌の男性である。
 彼は腰にサーベルを添え、その場にいる他の羅卒たちに指示を出していた。

「まったく。このキョウトで……しかも天皇皇后両陛下が訪れている時になぜこんな……!」

 ぶつくさと愚痴ごちりながら布を被せた遺体をのぞき見る。
 顔色一つ変えないまま唾を吐く勢いで「迷惑な事だ」と呟いた。

「市民を遠ざけろ! それから【安倍三等警部】に連絡をしろ!」

 男性はハキハキとした口調で適切な指示を出す。他の羅卒たちは彼に従いながら、野次馬でしかない市民を浜の外へと追いやった。

「おい。この遺体の身元はわかったか?」

「す、すんまへん、九等警部。着とる物から女性やというんはわかりますが……」

「早く調べんか! 馬鹿者が!」

 九等警部と呼ばれた男は羅卒の言葉を腹に据えかねる。眉間のシワを必要以上に寄せて怒りを顕にした。
 それでも帽子を深く被り直し、首なし遺体を再度確認。

 着物の花柄の模様が美しい。着物そのものの手触りはよく、かなり高級な布を使用していることがわかった。その着物の袖が破け、(いかだ)に引っ掛かってもいる。
 けれど履いているはずだった草履(ぞうり)はなく、どこかで落とされてしまったものと推測できた。
 手首には何かで縛られたと思われる痕が残っている。
 首から上がないため顔の確認はできない。けれど背格好や着ている物から、女性であるのは間違いなかった。
 そして切断された首が鮮赤色ずんでいるが、現段階では何もわからないと彼は諦めてしまった。

 九等警部は遺体を運ぶ指示を出す。
 部下の羅卒たちは彼の指示に従い、遺体とともに野次馬たちの中を掻き分けていった。

「ええい! どかんか! 邪魔だ!」

 野次馬の中にいる文屋は、スプリングカメラで写真を必死に撮っている。小さな帳面に筆を走らせながら書く者もいれば「特集組まな!」と、叫んでいる記者もいた。

 九等警部は、そんな彼らを苦虫を噛み潰した表情で見定める。

「……人の死を喜ぶなど、(あやかし)と同類ではないか!」

 彼には、群がる人々が他者の死を喜ぶ妖怪に見えていた。
 それでも今、何を成すべきなのか。それを見極めた九等警部は文屋を無視し、先頭に立って腰をあげた。

「この遺体を司法解剖に回せ。まずはこの遺体が誰のものか。それを……ん?」

 九等警部が率先して野次馬を掻き分けていると、彼の目に銀の糸が止まる。

 銀の糸を辿れば、そこにいるのは一人の異國人。十六夜である。

「……誰だ?」

 九等警部は彼に対し、不信感を募らせていった。

 この國の者とは思えぬ色の髪。誰よりも高い背と、人間離れした顔立ち。
 それでも、こんなにも目立つ見目であっても、誰一人としてその者に注目してはいなかった。むしろ空虚で、気配そのものが感じない。

 それほどまでに十六夜の存在感はひしゃげていた。


「────」

 ふと、九等警部の視線に気づいた十六夜に微笑まれてしまう。十六夜の形のよい口が静かに動く。唇に指を当て、秀麗な艶笑(えんしょう)をしてきた。
 妖艶な瞳をぶら下げて何かを囁いたかと思えば、じっと見つめてくる。

「……っ!?」

 九等警部の体は冷や汗でいっぱいになった。声が恐怖で出ない。
 それでも不思議と視線を反らすことはできなかった。

「九等警部?」

 突然動きを止めた上司を心配し、部下が声をかけてくる。
 彼らの呼び掛けによって現実へと戻された九等警部は、慌てて首を振った。

 もう一度異國人がいた場所を見てみるが、既に姿はない。
 煙のごとき仕業で姿を消し、混乱させるだけの存在。
 気にはなるものの、心の隅にだけ止めておこうと、九等警部は安易な気持ちでその場の仕切り直した。


「──首のない死体、か。はてさて、その顔は美しいのでしょうかね?」

 姿を消したはずの十六夜は建物の物陰から様子を眺めていた。
 九等警部と呼ばれた、この場の指揮系統にあたる男を目視で捕らえる。
 そして身を影に投じながら、再び姿を消した。