犯人は女を背後から襲った。そして抵抗できぬ女を密閉した部屋に連れ込み、一酸化炭素中毒死させてしまう。
 なぜ、こんなことをするのか。誰がやったのか。

 残念ながら美子にはそこから先は見えず、これ以上は無理とだけ呟いてお茶を一気飲みした。

「ぼくが見えるのは、その人が亡くなるまで。その人が見ていない……見えなかった事はわからない」

 自身をぼく(・・)と呼ぶ風変わりな美子は、額に流れる汗を袖で拭う。
 十六夜が彼女のその行動を止めてハンカチィフを渡した。

「美子。何度も言っているだろう? 君は女の子なんだから、ぼくではなく私と言いなさ……」

兄様(あにさま)に言われても説得力ない」

「うっ!」

 十六夜は自身の人称を【私】としている。
 中性的な外見が相まって、私と言っても違和感すらない。持たれることすらなく、そのまま自然に受け入れられてしまうだけだった。
 痛いところを突かれた十六夜は人称について黙認する。
 軽く咳払いをし、真正面へ向き直った。

「九等警部さん。この子の能力は、ここでは余り強く発揮できないようです」

 机の上にある紙を手に取り、綺麗に折り畳む。そのまま上衣(コート)の内ポケットにしまい、ゆっくりと立ち上がった。
 隣に座る美子を見下ろし、彼女に手を差し伸べる。

「ここでは死者の魂の声は聞こえにくい。雑音が多すぎますから」

 どこにでもない場所へ瞳を走らせた。
 九等警部が「雑音?」とだけ聞き返すと、十六夜は部屋の出入り口に向かって歩み出す。
 木製の引き戸に手を伸ばし、頷きながら扉を開いた。

「……人の声、吐息。車の音など。自然とは違う音は、死者にとって邪魔でしかありません。この屯所(とんしょ)自体、人は寄り付くのを嫌う場所だと思うのですが?」

 凍り付く笑みで遠回しな物言いをする。
 美子を手招きし、九等警部には冷めた瞳だけを送った。

「寺や神社といった場所もそうですが、死者は魂の姿であっても、本能的に嫌がる場所というものがあります」

「それが、この屯所である。そう、言いたいのかね?」

 彼の言葉を聞くと十六夜は秀麗で、かつ、薄氷の表情を浮かべる。
 九等警部がそれに反発せんと、ひと睨みしてきた。けれど十六夜の前では彼の抵抗は赤子そのもの。
 微笑み続ける十六夜には効果すらない。
 さしもの九等警部は(ほぞ)を噛むしかなく、肩を大きく上下させて負けを認めてしまった。

「ふふ。それでは、ここよりももっと声が聞こえる場所へ行きましょうか」

 九等警部の心を意のままに操作しながらの会話は、茶番としか言いようがなかった。
 表向きは普通に語っている。けれど内では九等警部を言葉巧みに先導。

 九等警部は羅卒(らそつ)といえど、所詮は人間。心理的な部分は他の者となんら変わらなかった。
 事件の解決は羅卒としては当たり前。されど、手詰まりな上に、手がかりとなりうる物が飛び込んできた。
 嘘か本当か。それすらも九等警部にはわかり兼ねる状態ではあった。それでもここまで話が進んでいったのはなぜか──


 ──十六夜自身が、九等警部の好む言葉を選んだ結果であった。

 十六夜は深層で彼を哀れに思いながら、感情を殺した笑みだけを九等警部に向けていく。


「まずは渡月橋の向こう側……橋の南側へと向かいましょう」

 表面上だけ取り繕った残笑は、更に九等警部へ水を向けていった。
 十六夜の術中にはまった九等警部が腰を上げれば、美しい兄妹は部屋の外へと一歩前進する。

「あちら側は土産物店が並んでいて、観光客が多い北側とは違います」

 廊下に出ると、地図を頭の中に思い浮かべながら淡々と語った。

「南側にも土産物屋はありますが、北側ほど賑わってはおりません」

「確かに北と南では異なってはいるが……対して変わらんのではないか?」

 十六夜が南側に固執する理由が知りたいと、九等警部に迫られる。

「そうですね。ですがご存知の通り、ここは幾つもの村が合併してできた場所です。噂では、十年後ぐらいにはキョウトに吸収されてしまうとも言われています」

 開発地区でもある嵐山は、手付かずな場所が多く残っていた。南側もその一つで、そちらには誰も住んでいない家がいくつもあった。

「また妹の力が必要にはなりますが、とりあえずは……」

 屯所の外に出ると、そこは細々とした住宅街だ。
 道は車一台通れるかどうかの狭さ。人はあまり歩いてはおらず、土産物店はない。
 あるのは古くから建てられている蕎麦屋と茶屋だけだった。

「あの茶屋で休みましょう。そこでいろいろと情報交換と行きましょうか?」

「──は?」

 まさかの休憩に、九等警部の目はひっくり返ってしまう。
 けれど十六夜は自由人のまま、茶屋へと足を運んでいった。