「本当なら、死斑よりも目で判断したいところですが……なにぶん、首から上がありませんでしたからね」

 判断基準には入れることができないのだと、出されたお茶を飲みながら愚痴を垂らす。
 その意見には九等警部も同一の様子。静かに頷いていた。

「角膜の混濁だな?」

「ええ、その通りです。あれは死亡して十二時間以上たつと発生する、目の異常とも言えます」

 死亡すると栄養が体に通らなくなり、乾燥が始まる。その乾燥具合で死亡時刻を割り出すのが【角膜混濁】と言われていた。
 透き通っていた状態から、徐々に不透明へと変化。
 目の開閉具合によって乾く時間はかなり変わる。天候などの自然の力の影響も受けやすく、絶対というものではなかった。

「四八時間以上たつと角膜の濁りが酷くなり、見えなくなります。それがわかるようでしたら、もっと明確な推定時刻を割り出せた筈です」

「……そこは仕方あるまいて。貴殿も知っての通り、首なしなのだから」

「ええ。ですから、今回は角膜ではなく、死斑の方で当たりをつけました」

 十六夜は机の上に置いてある紙を何度か叩く。

「……さて。無い物ねだりはこのぐらいで良いでしょう」

 紙から視線を離し、今度は隣に座る妹へと手を伸ばした。
 美子のふわふわとした髪を撫でる。彼女は頬を赤らめ、目元を緩ませた。

「死因は一酸化炭素中毒。これについては、先程申し上げた通りです」

 十六夜は垂れていた銀の髪を耳にかけ、九等警部の表情をのぞき見る。
 九等警部は両腕と足を組み、椅子に深く座っていた。その表情は険しいけれど、黙々と話を聞く姿勢に見える。
 十六夜は彼が話の続きを聞くつもりがあると確信し、紙へと指を走らせた。

「美子。ここから先はお前が言いなさい」

 全ての説明を自分が言うのではなく、美子がやる。
 それこそ意味があるのだからと、美子を軽く説得した。すると美子は戸惑った様子で目を泳がせてしまう。

「私とお前では分野が違う。それの説明も兼ねているからね。ここからはお前がやる方が説得力あると思うよ?」

「……うっ!」

 美子は痛いところを突かれ、絶句してしまった。それでも十六夜は厳しい態度で彼女を机に向かせる。

「美子。このままだと彼は納得してくれないよ? それに……」

 美子から九等警部へと目線を移す。突然凝視された九等警部は「何だ?」と、疑問を投げつけてきた。

「いえ。特に深い意味はありません。ただ……」

「ただ、何だ?」

 九等警部から発せられる声は、不信感を乗せてしまっている。
 彼の心情に気づいた十六夜は苦々しく笑った。

「このままでは私だけでなく、妹も前に進めませんので……」

 意味深な発言だけを残し、嘘で塗り固めた笑みだけを浮かべる。

「……ま、まあ、何だ。話を続けたまえ」

 話が何度も脱線をしていることに気づいたのか、九等警部は苦く笑っている。
 十六夜は彼の広い心根に感謝し、のっぺりとした顔で語った。

「さあ、美子」

「……うん」

 十六夜に誘われ、美子はおずおずと口を開く。
 机の上にある紙。そこに描かれたものを見つめ、ぼそぼそと言問うた。

『突然後ろから抱きつかれて、抵抗すらできなかったって言ってる。そのままどこかの小屋に運ばれて、窓とかを全部閉じられた』

 美子が両目を閉じる。すると彼女の髪の毛は風も吹いていないのに、ふわふわと動き出したではないか。
 口から漏れる吐息は存外冷たいのか、唇は紫に変色していく。
 それでも瞑想し、しばらくしてから目を開けた。

『──苦しくて寒い。痛い、止めて!』

 ふと、放たれる声は美子のそれではなかった。
 彼女の声音よりも高くはあるが艶はない。雅は感じられぬが、憂いはあった。

『どうしてこんな事をするの!? 恋を一人占めしないで欲しいだけなのに……! ああ……もう、息が……』

 次の瞬間、美子はうっと小さな悲鳴を吐く。青ざめた顔色で隣にいる十六夜へと凭れかかり、苦し気に呼吸をしていた。
 十六夜は「ご苦労様」と、彼女の頭を撫でる。


「……え?」

 不思議な光景を見た九等警部は、開いた口が塞がらない状態だ。放心しながら、金魚のごとく口をパクパクさせている。

 十六夜はそんな彼に向かって、悔語(かいご)しながら述べていった。

「この子は神子(シャーマン)の血を濃く受け継いでいます。そのせいなのか、さ迷っている魂の声が聞こえたりもします」

 どこからが真実で嘘なのか。それすらわからなくさせてしまうほどの光景を見せた。
 けれど十六夜はそれでもまだ足りぬと、妖艶な笑みを浮上させて欲を出す。

「私と美子が不完全である理由の一つはこれです」

 混乱してしまっている九等警部を、言葉巧みに自身の内側へと引き釣りこんでいく。
 案の定、九等警部は興味深く二人を観察していた。


 これも全て十六夜の手の内。
 知らぬ間に術中に収まっていく九等警部を哀れに思う反面、操りやすくもあるが、とても危険(・・)な存在として十六夜の脳に刻みこまれた。