大正時代。
 それは魔を呼ぶ、茜色の時代であった──



 外国の文化が流通し、景気は向上。
 各地では都市化が進み、教育の面でも大きく変化していった。
 ガスや電気、水道といった、生活には必要不可欠な物が一般家庭にも普及し、西洋文化の流行を迎える。
 食卓はもちろん服や小物まで、あらゆる生活用品が西洋に染まり始めていた。

 もちろんそれは物だけではなく、人とて同じであった──


「──聞いてくだはります? (わたくし)、想いを寄せる方がおりますの」

 窓のない車が砂利道を走っている。
 車の中には扇子で口元を隠し、ハイカラな服に身を包む女性が座っていた。
 大きな白い帽子の下からのぞくのは艶のある短髪(ショートボブ)。濃い黄色の中に白い水玉模様のワンピースを着た、モダン・ガールだ。

 彼女は運転手の男性へ独り言を永遠と語っていた。その最中、ふと、景色に映るとある存在へと目を止める。

「まあ! あそこにいてはりますのは、女性やありゃしませへん事? あないに汚しはって……これやから貧乏人は困はります」

 彼女が見ているのは通り道の脇にある大きな畑だ。そこには、泥まみれになりながらも汗を流して働く女性の姿があった。

「はあ……ほんま、嫌やわあ。あないに女を捨てはる人が当たり前におるやなんて」

 冷めた目で畑の中にいる女性を見るが、興味をなくした様子で運転手に「(はよ)う、進んでくれやす」と、高飛車に命令をしていた。

「ああ~、それにしても……お友だちから見せてもろうたこのお方は、どこにいてはるんやろか?」

 座る女性の膝の上には一枚の白黒写真がある。それを優しく撫でながら頬を赤らめていた。
 彼女が初々しく見つめている写真には、一人の人物が写っている。

 長い髪は白練(しろねり)色で、肌もその色に近い程だ。瞳は片方だけが無彩色で、少しだけ不思議な雰囲気を(まと)っている。
 そんな人物は濃い目の色をした上衣(コート)を着、優雅な姿勢で微笑んでいた。
 そして何よりも、写真に写る(それがし)は艶やかな色香を放っている。
 妖艶な唇。妖しさを持つ瞳を隠す長い睫毛となど、精巧な人形のごとき端麗な顔をしていた。
 それらが(あらわ)すは、蠱惑(こわく)な笑みである。

 写真に写る見目そのものが美しい。けれど男なのか、それとも女なのか。それすらわからぬ外見をしていた。

「はあ~。ほんま、濃艶(のうえん)なお方やなあ」

 女性はその色香に惑わされ、そして魅了されていった。

「お会いしとうございます」

 訛りのある口調を崩さず、想いの丈を写真に写る人物へと放つ。
 
「黒薔薇伯爵様──」

 女性は写真に写る者の虜になっていく。

 車はうっとりとした表情で写真に想いを寄せる女性を乗せ、走り去っていった──


 けれど、そんなハイカラな彼女をも霞ませるほどの建物が一つ。
 キョウト嵐山にある竹林の奥にひっそりと建てられていた。

 日の國の一般家庭にある二階建てではない。縦に長く造られ、都の中枢にある大きな洋装の鉄塔と似た高さの建物だ。
 けれど外装はそれとは大きく異なっている。
 外装の壁は全て硝子でできていて、中が丸見えとなっていた。その中はあまたの植物で埋め尽くされている。
 不思議な建物の周囲は特に変わった様子もなければ、別段におかしな場所ではない。

 そしてこの建物だけが異質な空気を放っていた──