第4話 EPHEMERAL
闇に浮かぶ仄かな光りは、まるで小さな花のようで。
それを真っ直ぐ見つめる「彼」は、まるで小さな子供のようで。
無邪気に笑ってみせるけど
その眼差しは、どこか儚く哀しげで
吐息さえ、ガラスのように冷たくて
憂いを帯びた横顔は
荒野を照らす満月のように
触れたら消える粉雪のように
荒々しくも繊細で
例えようもなく、美しい…。
「…あれ?もしかしてオレのこと、知ってんの?」
ぽかーんと口を開て自分に見とれているみちるを、からかうように覗き込んでタツヤは言った。
端正な顔を近づけられて頬の温度が一気にカーッと上昇したが、隠すことも忘れて、赤くなった顔をみちるは人形のようにコクコク動かした。
「そっか、オレもそこそこ名前残して死ねたってワケか。良かったわ、ハハッ」
いたずらっ子のような無邪気な顔でタツヤが微笑む。この笑顔で多くの女性ファンを虜にしていた彼だったが、今の笑みは完全に自嘲だ。いじましいほどの無邪気さに、みちるは何とも答えられなくなり黙って俯いた。
一瞬の沈黙。
暗闇の世界に、その静寂はむしろ心地よいものとは言えなかった。無理をして明るく振る舞うタツヤに対して、声が出せないとはいえ何の反応も示せない自分…そんな罪悪感に襲われ、みちるは思い切って伏せていた顔をタツヤに向けた。
『タツ…』
「チョロッと売れたからって」
みちるの「声にならない声」を遮るように、長い指で摘んだビー玉を見つめながら、少し強い口調でタツヤが話し出した。
「調子乗ってたんだよ。こんなことになって、シュウにも迷惑かけちまった」
「シュウ」というのはタツヤのいたジェットストリームのギタリストだ。
どうしてもボーカルの方が目立つので、その存在は時として影武者のようだったが、バンドの作曲は全て彼がこなしていたし、ファンサービスも旺盛で評判も良かった。メディアでの好感度も高かったので、タツヤ亡きあと、その動向を心配する声も度々聞いていた。
「今までハナにも掛けられなかったオレ達が、色んな場所の有名なハコで幾つも演れることになって。どんどんチケも売れてって。
もっともっとって、欲張ったんだ…あんなモンに頼ったりする…から…」
語る声が、段々と小さく弱々しくなっていく。その声色には後悔の念が色濃く出ていてみちるはさらに切なくなったが、タツヤは語るのを止めなかった。
「バカな歌うたいの間で流行ってたんだ。声枯れさすのに良いって。あのタバコ…調子乗ってバカバカ吸って、終いにゃ肺に穴空けて…」
このザマだ、、、最後の一言は殆ど声になっていなかった。ガックリと肩を落とし、身体は小刻み震えている。よほど後悔しているのだろう…無理もない、年上とはいえタツヤだってまだ23、4だったはずだ。死ぬにはまだ早すぎる。
「…あったかいんだな、おまえの手は」
気がつくと無意識に彼の背に手を伸ばし、おもむろに摩っていた。その身体は氷のように冷えていておそろしい程冷たかったが、構う事なくみちるは摩り続けた。
「おまえは、生きてるんだよ」
そう言って少し微笑って、タツヤはみちるの手を取り、着ていたシャツの胸ポケットから何か取り出してそっと上に乗せた。
タツヤの身体と同じくらい冷たい「何か」の感触が右手に広がる。それはみちるのものとはまた別の、深い青色をしたガラス玉だった。
(これって…もしかして…)
「オレの声だよ。オレの核。…でももう必要ない。無くたって喋れるし。ここに初めて堕ちた時、オレがおまえにやったみたいに、オレの事助けてくれたヤツがいて。
でも、オレは助からなかった。それも最初は光ってたけど、オレが死んだからすぐ消えた」
(タツヤの声…?)
手の上に乗せられたガラス玉をまじまじと見つめる。
周囲の闇に紛れてしまいそうなくらいの、深い深い青色。
深海の水を、そのままガラスに閉じ込めたようだった。
タツヤのハスキーボイスは掠れた感じが十代の少年のような青っぽい瑞々しさを感じさせ、聞いていると何とも甘酸っぱい気持ちにさせられた。それが彼の最大の魅力で、地元出身という事もあり、みちるの周囲には大勢ファンがいた。
その「声」が、自分の手の中にある。不思議な感覚と驚きに、みちるは一瞬目を輝かせた。が、そのガラス玉が自分の物と同じように光っていない事に改めて気が付き、ハッとして隣にいるタツヤを見上げた。
「光らないイコール歌えない。話は出来ても生きてた時みたいには歌えない。もうあの声は出ない。死んでオレはリセットされて、ゼロになったんだ。多分…あとはあの扉を開けるだけ」
そう言って暗闇の向こうを真っ直ぐに指差した。タツヤの指す方向を目を凝らして見てみる。が、いくら凝らしてもみちるには何も見えない。目を見開いても首を伸ばしても、ただただ真っ暗闇の空間が広がっているだけだった。
「おまえには見えないみたいだな。って、オレもさっき見つけたんだ。おまえの声のおかげだよ。コレの光で見えた。…天国への階段」
なんつって、と、冗談めかして言いながらタツヤは立ち上がって、薄手のシャツから伸びた白い手を、隣にいるみちるに差し出した。
「コレがないと見えないし、見送ってよ?助けてあげたお礼に」
仄かな光を頼りに、闇の中をゆっくりと歩く二人。
自分には見えない「扉」を目指して、みちるはタツヤに手を引かれ、彼の一歩後ろを歩いていた。
「そう言えば、おまえの名前なんての?」
ふと立ち止まってタツヤが尋ねた。言われてみるとまだ名前も言っていない。繋いでいた手を解き、彼の手のひらにカタカナで「ミチル」と書いた。
「え?何、ミチルっていうの?いい名前じゃん。ちょっとボーイッシュな美人だし合ってる」
サラッと言ってのけるあたり、そういう類のセリフなんて業界慣れした彼には挨拶みたいなものなんだろう…分かってはいたが、タツヤのような人に言われるとやはり悪い気はしなかった。
ドキドキと鼓動が高鳴る。再び繋がれた手。この緊張がタツヤに伝わりませんようにと、祈りながらみちるは歩いた。
「みちるも歌好きなんだろ?こんな透明で透き通った声…勿体ない。歌手になれよ、かわいいし、おまえなら売れる」
本気なのか冗談なのか、けれど割と真剣な声色でタツヤが言った。
確かに歌う事は大好きだ。ただ流行りの歌を歌うより、なぜか教科書に載ってるような歌が自分の性に合っていた。
歌を仕事にするなら、TVの「歌のお姉さん」が理想だったが、喘息持ちなうえ何より歌っているだけでいつも幸せな気分になれたので、あまり多くは望んでいなかった。
「着いた…ここだ」
暫くすると、タツヤが急にピタリと歩みを止めた。
(ここに扉があるの?)
相変わらずみちるには何も見えない。が、タツヤは空中に流暢な動きで長い指を這わせた。その動きからして、やはり扉はあるようだ。
「最後におまえに会えて良かったよ。ありがとう、みちる。元気でな」
最初に聞いた、耳触りのいい声でタツヤが言った。その表情が意外なほど穏やかだったので、みちるは急に淋しくなった。
(本当に…本当に行っちゃうの?)
不安げにタツヤを見上げる。そんなみちるの心情を察してか、安心させるように彼は微笑みながら言った。
「コレもありがとうな。大事にしないと…」
差し出されたのは、みちるの「声」のガラス玉だった。みちるも慌てて持っていたタツヤのガラス玉を差し出す。
『わ、私の方こそありがとう。助けてくれて』
ーーその「声」が、伝わったかどうかは分からない。
事態は間も無く急変し、確認しようもなかった。
二人がお互いのガラス玉を交換しようとした、その時だった。
「…みちる、みちる!」
何処からともなく、自分を呼ぶ声がした。
聞き覚えのある声……母の声だ。
『えっ⁈何、お母さん?どこ……きゃっ』
「えっ!おい、みちる!」
何か得体の知れない力が働いて、気がつくとみちるはタツヤの身体一つ分ほど宙に浮いていた。
引き戻される!そんな予感が脳裏をよぎった。
いけない、まだお互いの『声』を交換していないーー
『タツヤ!』
「みちる!手を伸ばせ!」
「みちる!みちる、目を覚まして!」
早くーー!!
暗闇に三人の「声」が重なったとき、その空間からみちるの姿が消えた…
闇に浮かぶ仄かな光りは、まるで小さな花のようで。
それを真っ直ぐ見つめる「彼」は、まるで小さな子供のようで。
無邪気に笑ってみせるけど
その眼差しは、どこか儚く哀しげで
吐息さえ、ガラスのように冷たくて
憂いを帯びた横顔は
荒野を照らす満月のように
触れたら消える粉雪のように
荒々しくも繊細で
例えようもなく、美しい…。
「…あれ?もしかしてオレのこと、知ってんの?」
ぽかーんと口を開て自分に見とれているみちるを、からかうように覗き込んでタツヤは言った。
端正な顔を近づけられて頬の温度が一気にカーッと上昇したが、隠すことも忘れて、赤くなった顔をみちるは人形のようにコクコク動かした。
「そっか、オレもそこそこ名前残して死ねたってワケか。良かったわ、ハハッ」
いたずらっ子のような無邪気な顔でタツヤが微笑む。この笑顔で多くの女性ファンを虜にしていた彼だったが、今の笑みは完全に自嘲だ。いじましいほどの無邪気さに、みちるは何とも答えられなくなり黙って俯いた。
一瞬の沈黙。
暗闇の世界に、その静寂はむしろ心地よいものとは言えなかった。無理をして明るく振る舞うタツヤに対して、声が出せないとはいえ何の反応も示せない自分…そんな罪悪感に襲われ、みちるは思い切って伏せていた顔をタツヤに向けた。
『タツ…』
「チョロッと売れたからって」
みちるの「声にならない声」を遮るように、長い指で摘んだビー玉を見つめながら、少し強い口調でタツヤが話し出した。
「調子乗ってたんだよ。こんなことになって、シュウにも迷惑かけちまった」
「シュウ」というのはタツヤのいたジェットストリームのギタリストだ。
どうしてもボーカルの方が目立つので、その存在は時として影武者のようだったが、バンドの作曲は全て彼がこなしていたし、ファンサービスも旺盛で評判も良かった。メディアでの好感度も高かったので、タツヤ亡きあと、その動向を心配する声も度々聞いていた。
「今までハナにも掛けられなかったオレ達が、色んな場所の有名なハコで幾つも演れることになって。どんどんチケも売れてって。
もっともっとって、欲張ったんだ…あんなモンに頼ったりする…から…」
語る声が、段々と小さく弱々しくなっていく。その声色には後悔の念が色濃く出ていてみちるはさらに切なくなったが、タツヤは語るのを止めなかった。
「バカな歌うたいの間で流行ってたんだ。声枯れさすのに良いって。あのタバコ…調子乗ってバカバカ吸って、終いにゃ肺に穴空けて…」
このザマだ、、、最後の一言は殆ど声になっていなかった。ガックリと肩を落とし、身体は小刻み震えている。よほど後悔しているのだろう…無理もない、年上とはいえタツヤだってまだ23、4だったはずだ。死ぬにはまだ早すぎる。
「…あったかいんだな、おまえの手は」
気がつくと無意識に彼の背に手を伸ばし、おもむろに摩っていた。その身体は氷のように冷えていておそろしい程冷たかったが、構う事なくみちるは摩り続けた。
「おまえは、生きてるんだよ」
そう言って少し微笑って、タツヤはみちるの手を取り、着ていたシャツの胸ポケットから何か取り出してそっと上に乗せた。
タツヤの身体と同じくらい冷たい「何か」の感触が右手に広がる。それはみちるのものとはまた別の、深い青色をしたガラス玉だった。
(これって…もしかして…)
「オレの声だよ。オレの核。…でももう必要ない。無くたって喋れるし。ここに初めて堕ちた時、オレがおまえにやったみたいに、オレの事助けてくれたヤツがいて。
でも、オレは助からなかった。それも最初は光ってたけど、オレが死んだからすぐ消えた」
(タツヤの声…?)
手の上に乗せられたガラス玉をまじまじと見つめる。
周囲の闇に紛れてしまいそうなくらいの、深い深い青色。
深海の水を、そのままガラスに閉じ込めたようだった。
タツヤのハスキーボイスは掠れた感じが十代の少年のような青っぽい瑞々しさを感じさせ、聞いていると何とも甘酸っぱい気持ちにさせられた。それが彼の最大の魅力で、地元出身という事もあり、みちるの周囲には大勢ファンがいた。
その「声」が、自分の手の中にある。不思議な感覚と驚きに、みちるは一瞬目を輝かせた。が、そのガラス玉が自分の物と同じように光っていない事に改めて気が付き、ハッとして隣にいるタツヤを見上げた。
「光らないイコール歌えない。話は出来ても生きてた時みたいには歌えない。もうあの声は出ない。死んでオレはリセットされて、ゼロになったんだ。多分…あとはあの扉を開けるだけ」
そう言って暗闇の向こうを真っ直ぐに指差した。タツヤの指す方向を目を凝らして見てみる。が、いくら凝らしてもみちるには何も見えない。目を見開いても首を伸ばしても、ただただ真っ暗闇の空間が広がっているだけだった。
「おまえには見えないみたいだな。って、オレもさっき見つけたんだ。おまえの声のおかげだよ。コレの光で見えた。…天国への階段」
なんつって、と、冗談めかして言いながらタツヤは立ち上がって、薄手のシャツから伸びた白い手を、隣にいるみちるに差し出した。
「コレがないと見えないし、見送ってよ?助けてあげたお礼に」
仄かな光を頼りに、闇の中をゆっくりと歩く二人。
自分には見えない「扉」を目指して、みちるはタツヤに手を引かれ、彼の一歩後ろを歩いていた。
「そう言えば、おまえの名前なんての?」
ふと立ち止まってタツヤが尋ねた。言われてみるとまだ名前も言っていない。繋いでいた手を解き、彼の手のひらにカタカナで「ミチル」と書いた。
「え?何、ミチルっていうの?いい名前じゃん。ちょっとボーイッシュな美人だし合ってる」
サラッと言ってのけるあたり、そういう類のセリフなんて業界慣れした彼には挨拶みたいなものなんだろう…分かってはいたが、タツヤのような人に言われるとやはり悪い気はしなかった。
ドキドキと鼓動が高鳴る。再び繋がれた手。この緊張がタツヤに伝わりませんようにと、祈りながらみちるは歩いた。
「みちるも歌好きなんだろ?こんな透明で透き通った声…勿体ない。歌手になれよ、かわいいし、おまえなら売れる」
本気なのか冗談なのか、けれど割と真剣な声色でタツヤが言った。
確かに歌う事は大好きだ。ただ流行りの歌を歌うより、なぜか教科書に載ってるような歌が自分の性に合っていた。
歌を仕事にするなら、TVの「歌のお姉さん」が理想だったが、喘息持ちなうえ何より歌っているだけでいつも幸せな気分になれたので、あまり多くは望んでいなかった。
「着いた…ここだ」
暫くすると、タツヤが急にピタリと歩みを止めた。
(ここに扉があるの?)
相変わらずみちるには何も見えない。が、タツヤは空中に流暢な動きで長い指を這わせた。その動きからして、やはり扉はあるようだ。
「最後におまえに会えて良かったよ。ありがとう、みちる。元気でな」
最初に聞いた、耳触りのいい声でタツヤが言った。その表情が意外なほど穏やかだったので、みちるは急に淋しくなった。
(本当に…本当に行っちゃうの?)
不安げにタツヤを見上げる。そんなみちるの心情を察してか、安心させるように彼は微笑みながら言った。
「コレもありがとうな。大事にしないと…」
差し出されたのは、みちるの「声」のガラス玉だった。みちるも慌てて持っていたタツヤのガラス玉を差し出す。
『わ、私の方こそありがとう。助けてくれて』
ーーその「声」が、伝わったかどうかは分からない。
事態は間も無く急変し、確認しようもなかった。
二人がお互いのガラス玉を交換しようとした、その時だった。
「…みちる、みちる!」
何処からともなく、自分を呼ぶ声がした。
聞き覚えのある声……母の声だ。
『えっ⁈何、お母さん?どこ……きゃっ』
「えっ!おい、みちる!」
何か得体の知れない力が働いて、気がつくとみちるはタツヤの身体一つ分ほど宙に浮いていた。
引き戻される!そんな予感が脳裏をよぎった。
いけない、まだお互いの『声』を交換していないーー
『タツヤ!』
「みちる!手を伸ばせ!」
「みちる!みちる、目を覚まして!」
早くーー!!
暗闇に三人の「声」が重なったとき、その空間からみちるの姿が消えた…