翌日、約束したのだから朝一にでも連絡があるものと思っていた私は、午後になっても連絡をよこさない宮部に完全に呆れ果て、肩透かしを食らった気分だった。
まったく、昨夜はあんなに強引に話を進め、子供の事を心配していたのに、なんて薄情な男だと思いながら、私は仕事に出かける支度をした。
でも、考えてみたら、仕事とはいえ、結局は赤の他人の子供だ。しかも、ただの失踪か誘拐かもわからない状態で、他にも沢山事件を抱えた警察官が一々気を配るには、些細すぎることなのかもしれない。でも、もしそうだとしたら、なぜ宮部はわざわざ私を訪ねてきたりしたんだろう。事件にばかり集中していて、宮部の真の気持ちを読み忘れていた私は、そんなことを考えながら、兄が喜ぶ少し乙女の入った可愛い服に袖を通した。
私がこの仕事を始めて以来、兄とはすれ違いが多い。基本的に夕方の五時ごろに家を出て、仕事を始めるのが六時くらいの私と、朝の九時からの仕事に間に合うように家を出る兄とでは、なかなか一緒に過ごす時間もないのだけれど、兄は私が帰ってくるまで寝ずにまっていてくれるので、シンデレラよろしく午前零時まで休みなく働くと、帰りはタクシーを使うことにしている。もちろん、贅沢すぎるから、終電で帰れるようにしたいとは思っているのだけれど、締め切り時間前に並ばれてしまうと、視終わるまで仕事を終わりに出来ないのが辛いところで、全員の鑑定を終えると、タクシーで帰ることになる。それでも、気分が乗らない日はお休みだし、決して大変な仕事ではない。だから、私なりには頑張っているつもりでも、兄からは『まともじゃない仕事』と呼ばれている。たぶん、兄は私がスーツを着て朝九時から夕方六時までの会社勤めをしたら安心して喜んでくれるのだろう。でも、自分で自分がわからない私に、同じ人とずっとかかわり続ける仕事が務まるのか、自分でもわからない。
いざ、家を出るぞと立ち上がろうとした瞬間、私の携帯電話が鳴り始めた。
それは、宮部からだった。
『すいません、連絡が遅くなって。』
宮部は名乗らずにいきなり謝った。
「昨日のお話なら、お断りします」
私は不愉快さに流されて、断りを入れた。
『すいません、日中は忙しくて、ご連絡ができなかったんです。出来たら、これから最後に目撃されたデパート前までご一緒していただけないですか?』
あまりにも勝手な物言いに、私はかなり気分を害していた。
「すいません、もう仕事に出る時間なんです」
本当は、いつ休んでも文句は言われない仕事だ。事実、気分が乗らない日は休むことが多いし、ある程度の時間行かないと、お隣さんが親切に『お休み』の看板も出してくれる。でも、そんなことを宮部に教える気もなければ、義理もない。。
『お仕事前の忙しいところにすいません。ほんの少しの時間でいいんです。見ていただいたら、お送りしますし、帰りも仕事の後にお送りします。』
タクシーに乗らずに帰れるのはありがたいが、二日も同じ男性に送って貰ったら、兄の反応の方が怖い。
『ほんの数分でもいいんです。お願いします。』
ここまで下手にでられると、断る私の方が悪いことをしているように感じてしまう。
「わかりました。じゃあ・・・・・・」
『えっと、あと五分で迎えに行きます。』
宮部の言葉に驚いた私は、仕方なく『わかりました』と答えた。
宮部は、ぴったり五分後にアパートの前に車を停めた。遅れてきたら、仕事に出てしまおうかと思ったのに、仕事柄か、そういうところはしっかりしているらしい。
「お待たせしました」
笑顔で迎えられ、その緊張感のなさに少しまた宮部という男に失望したものの、約束なので促されるまま助手席に乗り込んだ。
「今日は、お時間を作っていただきありがとうございます」
私が車に乗り込むと、宮部の表情は一転した。
「では、最後に目撃された場所にご案内します」
宮部は言うと、車を走らせた。
都内の田舎的場所にある家から都心までは、そう遠くない。とはいえ、電車とは異なり、車となると、それなりの時間はかかる。
特に話すこともないので、私はゆっくりと宮部の心と頭の中を眺めた。
昨夜はなかったのに、生意気に隠し事をしまう金庫を心の中に作っている。確かに、誰だって人に知られたくないことはある。だから、私に読まれないように隠し事をしまえるようになったからと言って、それを責めるつもりはない。だって、隠し事をできるようにすること言うことは、私の力を疑っていないという証拠でもあるからだ。
一応、朝から事件の情報は見直してきたらしく、昨夜は見えなかった情報が見えるようになっている。
白い車に男の子は一人で乗った。目撃者は何人もいない。でも、その車は父親の車じゃないし、第一日本を走っている車のほとんどは白かグレー、シルバー、どれも夕暮れには同じような色に見える。これが赤や緑だったら話は違うけど。子供の父親の車は二番目に多い黒か。確かに、警察泣かせね。でも、子供に近い人に会わないと、子供の事がよく見えない。母親か、父親か、近所の人でもいいか。七才なら、小学校に行ってる。学校の友達や先生、誰でもいい。本人の事を知っている人のそばに行かれれば。
「車に酔われましたか?」
宮部の声に、私の思考が止まる。
「大丈夫です。崇君の事を考えていただけです」
私が答えた瞬間、宮部の顔が驚愕に変わり、彼は躊躇しながらもコンビニの駐車場に車を停めた。
「飲み物、いかがですか?」
「じゃあ、温かいお茶をお願いします」
宮部が態度を硬化させた理由はわかっている。まだ宮部は『七歳の男の子』としか言っていないのに、私がうっかり宮部の中から見つけた『崇』という名前を口にしてしまったからだ。
いつもはもっと警戒しているのに、なぜか宮部を相手にするとハードルが自然と下がってしまう。彼が絶対に私の力を信じているとわかっているからかもしれないけれど、それはとても危険なことだと私は知っている。やりすぎれば、人は恐怖から私の事を『化け物』呼ばわりし、虐げようと、貶めようとするものだと、私は知っている。そして、それは兄にも被害をもたらすのだと。
良かれと思って参加したボランティアでの活動が原因で、私も兄も故郷を追われ、この人の坩堝、誰が何をしていようと誰も気にしない街まで流れてきたのだ。ここならば、私の力を疎むのではなく、お金を払って歓迎してくれる人がいるから。でも、それは、やりすぎなければの話だ。
今私は、再び兄と私の生活を危険に曝そうとしているのかもしれない。あの時、軽い気持ちでボランティアに参加した結果が、今の生活となったように。
お茶を買った宮部は、戻ってくると丁寧にペットボトルのふたを開けてからボトルを私に手渡してくれた。しかし、その行動にも思考にも躊躇と恐怖がある。
一口、また一口と、ペットボトルに口をつける。
「紗綾樺さんは、誰から崇君の名前を聞いたんですか?」
訊くべきか、訊かずにおくか、しばらく悩んでから宮部は問いかけてきた。
「宮部さんの中に崇君という名前が見えたので、そう思ったんですけど、違いましたか?」
私は今まで通りの話し方で答えた。
「聞いてください。これはマスコミにも何も発表していない。警察も誘拐か判断ができずにいるデリケートな事件です。もし紗綾樺さんが被害者の名前を知っているとしたら、この犯罪に関係していると疑われても仕方がない状況です。そのリスクをわかってください」
宮部の動揺も困惑も、そして悩みも私には言葉にしなくてもわかっている。
「もし、悩んでいるのなら、ここで降ろしてください。私は、このまま仕事に行きます。そして、このことには一切かかわりません。でも、もし宮部さんが、崇君が白い車に乗るところを目撃された場所に私を連れていくなら、どんな形であれ、この事件が解決するまで私に手伝わせてください」
五分以上、宮部は無言で考え続けた。それも器用なことに、すべての悩みは新しくあつらえたばかりの金庫の中でだ。つまり何か私には読まれたくないことを考えているという事だ。たぶん、本人は気づいていないけれど、彼の生き物としての本能が彼の中に私に読まれたくないことを考える金庫を作り出して、その中ですべてを考えようとしている。
それを感じながら、さすがに宮部は警察官で、都会の人間なんだと私は思った。私たちの郷里では、みんなオープンで、だからこそ、私は耐えられなくなった。人々が私を奇異の目で見つめ、心の中で悪し様に『化け物』と呼ぶことに。そして、心を病んでいく私を心配した兄は、郷里を離れる決心をした。
決心というとある意味大げさだ。私たちが去る時には、既に家も、家財も何もなく、それこそ、仕事も何もかも失った後だ。これ以上失うものなど、お互い以外に何もなかった。
「早くいかないと、お仕事に送れちゃいますね」
宮部の言葉に、私は彼が私とチームを組むことを諦めたのだと思った。
「目撃された場所は、銀座のデパートの近くです。たまたま窓の汚れを見つけて拭いていた店員が、崇君が白いバンに乗り込むのを見たんです。店員曰く、窓を汚した男の子かと思って観ていたが、両親らしき大人が居なかったので、人違いだと気付いたと。それと同時に、なんとなく不自然に感じたので、記憶していたそうです」
「そのお店は、何のお店ですか?」
「高級アクセサリーです」
「じゃあ、宮部さん、私達、婚約しましょう」
☆☆☆
まったく、昨夜はあんなに強引に話を進め、子供の事を心配していたのに、なんて薄情な男だと思いながら、私は仕事に出かける支度をした。
でも、考えてみたら、仕事とはいえ、結局は赤の他人の子供だ。しかも、ただの失踪か誘拐かもわからない状態で、他にも沢山事件を抱えた警察官が一々気を配るには、些細すぎることなのかもしれない。でも、もしそうだとしたら、なぜ宮部はわざわざ私を訪ねてきたりしたんだろう。事件にばかり集中していて、宮部の真の気持ちを読み忘れていた私は、そんなことを考えながら、兄が喜ぶ少し乙女の入った可愛い服に袖を通した。
私がこの仕事を始めて以来、兄とはすれ違いが多い。基本的に夕方の五時ごろに家を出て、仕事を始めるのが六時くらいの私と、朝の九時からの仕事に間に合うように家を出る兄とでは、なかなか一緒に過ごす時間もないのだけれど、兄は私が帰ってくるまで寝ずにまっていてくれるので、シンデレラよろしく午前零時まで休みなく働くと、帰りはタクシーを使うことにしている。もちろん、贅沢すぎるから、終電で帰れるようにしたいとは思っているのだけれど、締め切り時間前に並ばれてしまうと、視終わるまで仕事を終わりに出来ないのが辛いところで、全員の鑑定を終えると、タクシーで帰ることになる。それでも、気分が乗らない日はお休みだし、決して大変な仕事ではない。だから、私なりには頑張っているつもりでも、兄からは『まともじゃない仕事』と呼ばれている。たぶん、兄は私がスーツを着て朝九時から夕方六時までの会社勤めをしたら安心して喜んでくれるのだろう。でも、自分で自分がわからない私に、同じ人とずっとかかわり続ける仕事が務まるのか、自分でもわからない。
いざ、家を出るぞと立ち上がろうとした瞬間、私の携帯電話が鳴り始めた。
それは、宮部からだった。
『すいません、連絡が遅くなって。』
宮部は名乗らずにいきなり謝った。
「昨日のお話なら、お断りします」
私は不愉快さに流されて、断りを入れた。
『すいません、日中は忙しくて、ご連絡ができなかったんです。出来たら、これから最後に目撃されたデパート前までご一緒していただけないですか?』
あまりにも勝手な物言いに、私はかなり気分を害していた。
「すいません、もう仕事に出る時間なんです」
本当は、いつ休んでも文句は言われない仕事だ。事実、気分が乗らない日は休むことが多いし、ある程度の時間行かないと、お隣さんが親切に『お休み』の看板も出してくれる。でも、そんなことを宮部に教える気もなければ、義理もない。。
『お仕事前の忙しいところにすいません。ほんの少しの時間でいいんです。見ていただいたら、お送りしますし、帰りも仕事の後にお送りします。』
タクシーに乗らずに帰れるのはありがたいが、二日も同じ男性に送って貰ったら、兄の反応の方が怖い。
『ほんの数分でもいいんです。お願いします。』
ここまで下手にでられると、断る私の方が悪いことをしているように感じてしまう。
「わかりました。じゃあ・・・・・・」
『えっと、あと五分で迎えに行きます。』
宮部の言葉に驚いた私は、仕方なく『わかりました』と答えた。
宮部は、ぴったり五分後にアパートの前に車を停めた。遅れてきたら、仕事に出てしまおうかと思ったのに、仕事柄か、そういうところはしっかりしているらしい。
「お待たせしました」
笑顔で迎えられ、その緊張感のなさに少しまた宮部という男に失望したものの、約束なので促されるまま助手席に乗り込んだ。
「今日は、お時間を作っていただきありがとうございます」
私が車に乗り込むと、宮部の表情は一転した。
「では、最後に目撃された場所にご案内します」
宮部は言うと、車を走らせた。
都内の田舎的場所にある家から都心までは、そう遠くない。とはいえ、電車とは異なり、車となると、それなりの時間はかかる。
特に話すこともないので、私はゆっくりと宮部の心と頭の中を眺めた。
昨夜はなかったのに、生意気に隠し事をしまう金庫を心の中に作っている。確かに、誰だって人に知られたくないことはある。だから、私に読まれないように隠し事をしまえるようになったからと言って、それを責めるつもりはない。だって、隠し事をできるようにすること言うことは、私の力を疑っていないという証拠でもあるからだ。
一応、朝から事件の情報は見直してきたらしく、昨夜は見えなかった情報が見えるようになっている。
白い車に男の子は一人で乗った。目撃者は何人もいない。でも、その車は父親の車じゃないし、第一日本を走っている車のほとんどは白かグレー、シルバー、どれも夕暮れには同じような色に見える。これが赤や緑だったら話は違うけど。子供の父親の車は二番目に多い黒か。確かに、警察泣かせね。でも、子供に近い人に会わないと、子供の事がよく見えない。母親か、父親か、近所の人でもいいか。七才なら、小学校に行ってる。学校の友達や先生、誰でもいい。本人の事を知っている人のそばに行かれれば。
「車に酔われましたか?」
宮部の声に、私の思考が止まる。
「大丈夫です。崇君の事を考えていただけです」
私が答えた瞬間、宮部の顔が驚愕に変わり、彼は躊躇しながらもコンビニの駐車場に車を停めた。
「飲み物、いかがですか?」
「じゃあ、温かいお茶をお願いします」
宮部が態度を硬化させた理由はわかっている。まだ宮部は『七歳の男の子』としか言っていないのに、私がうっかり宮部の中から見つけた『崇』という名前を口にしてしまったからだ。
いつもはもっと警戒しているのに、なぜか宮部を相手にするとハードルが自然と下がってしまう。彼が絶対に私の力を信じているとわかっているからかもしれないけれど、それはとても危険なことだと私は知っている。やりすぎれば、人は恐怖から私の事を『化け物』呼ばわりし、虐げようと、貶めようとするものだと、私は知っている。そして、それは兄にも被害をもたらすのだと。
良かれと思って参加したボランティアでの活動が原因で、私も兄も故郷を追われ、この人の坩堝、誰が何をしていようと誰も気にしない街まで流れてきたのだ。ここならば、私の力を疎むのではなく、お金を払って歓迎してくれる人がいるから。でも、それは、やりすぎなければの話だ。
今私は、再び兄と私の生活を危険に曝そうとしているのかもしれない。あの時、軽い気持ちでボランティアに参加した結果が、今の生活となったように。
お茶を買った宮部は、戻ってくると丁寧にペットボトルのふたを開けてからボトルを私に手渡してくれた。しかし、その行動にも思考にも躊躇と恐怖がある。
一口、また一口と、ペットボトルに口をつける。
「紗綾樺さんは、誰から崇君の名前を聞いたんですか?」
訊くべきか、訊かずにおくか、しばらく悩んでから宮部は問いかけてきた。
「宮部さんの中に崇君という名前が見えたので、そう思ったんですけど、違いましたか?」
私は今まで通りの話し方で答えた。
「聞いてください。これはマスコミにも何も発表していない。警察も誘拐か判断ができずにいるデリケートな事件です。もし紗綾樺さんが被害者の名前を知っているとしたら、この犯罪に関係していると疑われても仕方がない状況です。そのリスクをわかってください」
宮部の動揺も困惑も、そして悩みも私には言葉にしなくてもわかっている。
「もし、悩んでいるのなら、ここで降ろしてください。私は、このまま仕事に行きます。そして、このことには一切かかわりません。でも、もし宮部さんが、崇君が白い車に乗るところを目撃された場所に私を連れていくなら、どんな形であれ、この事件が解決するまで私に手伝わせてください」
五分以上、宮部は無言で考え続けた。それも器用なことに、すべての悩みは新しくあつらえたばかりの金庫の中でだ。つまり何か私には読まれたくないことを考えているという事だ。たぶん、本人は気づいていないけれど、彼の生き物としての本能が彼の中に私に読まれたくないことを考える金庫を作り出して、その中ですべてを考えようとしている。
それを感じながら、さすがに宮部は警察官で、都会の人間なんだと私は思った。私たちの郷里では、みんなオープンで、だからこそ、私は耐えられなくなった。人々が私を奇異の目で見つめ、心の中で悪し様に『化け物』と呼ぶことに。そして、心を病んでいく私を心配した兄は、郷里を離れる決心をした。
決心というとある意味大げさだ。私たちが去る時には、既に家も、家財も何もなく、それこそ、仕事も何もかも失った後だ。これ以上失うものなど、お互い以外に何もなかった。
「早くいかないと、お仕事に送れちゃいますね」
宮部の言葉に、私は彼が私とチームを組むことを諦めたのだと思った。
「目撃された場所は、銀座のデパートの近くです。たまたま窓の汚れを見つけて拭いていた店員が、崇君が白いバンに乗り込むのを見たんです。店員曰く、窓を汚した男の子かと思って観ていたが、両親らしき大人が居なかったので、人違いだと気付いたと。それと同時に、なんとなく不自然に感じたので、記憶していたそうです」
「そのお店は、何のお店ですか?」
「高級アクセサリーです」
「じゃあ、宮部さん、私達、婚約しましょう」
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