「ま、そうかもね」
「シズさん、負担じゃないかと思って……その、人間だし、若者でもないわけだし」
 足腰が、とか。言い出すかもしれないではないか。もう仕事がきついから、とか。
「そうだね。だから、乃里ちゃんがいるんじゃん」
「……どういう意味ですか」
 牡丹のビー玉みたいな目が、鍋から乃里に移る。
「人間は、死ぬだろ?」
 乃里を見ていた目は、再び鍋に戻った。
「悲しむのは自分だけだと思ってるだろ、人間は。俺たちが悲しくないわけないだろ。一緒にいた人間が先に死んだら、悲しくて寂しいよ。だから悲しくなくなるように、探すよ。俺たちは」
 代わりを、ということか。
 人間だって、飼い猫や飼い犬が死んだら悲しくて、新しい家族を迎えることがある。もちろん見るのもダメになる人もいるけれど。
「そうですね」
 猫又兄弟たちにとって、乃里は自分がなにになれるのかわからない。ゆくゆくはシズの代わりなのかもしれないが、いまは全く想像できない。
 居場所を探している乃里にとって、嬉しいことのはずなのになぜか胸が重苦しく感じる。
「大丈夫だよ。乃里ちゃんのせいじゃない」
 重苦しさを感じ取ったのか、牡丹は「昆布、戻すところからするから」と指示をする。乃里は返事をして、昆布をボウルに入れて水を入れた。
 飼い猫に悲しさや寂しさを察知された飼い主はこんな気持ちなんだなと、水分を吸って元の姿に戻っていくのだろう昆布を見ながら思った。
 じっと見ていても昆布はまだ硬いままだ。

 次の日、いつものように乃里がしろがねに到着すると、数人の若い女性客が帰るところだった。
「ごちそうさまでしたー」
「ありがとうございました。またどうぞ」
 帳場から見送るのは萩。
 女性客たちは萩の姿を振り返りながら「イケメンだよね」「綺麗」などと嬉しそうだ。
 そうだろう。どうだ、と得意になってしまう乃里。
「お疲れ様です。萩さん」
「はい、お疲れ様です。今日は少し忙しかったです」
「いまのお客様は、人間ですか?」
「そうです。はぁ」
 萩は珍しく溜息をついた。どうしたのだろうか。
「萩さん、なんだか顔色が悪いですけれど。もしかして体調悪いんですか?」
「いいえ。そうじゃありません。人間の女性たちは元気でいいですね。少々疲れました」
 なるほど、萩はいましがた帰っていった女性客の興味の視線に疲れたのだろう。
 それだけの容姿をしていれば、仕方が無いのかもしれない。
「乃里―!」
 奥から足音が聞こえたと思ったら、タキが転がるように走ってきた。
「あ、タキ」
 服を着替えたのだろうか。子供用の浴衣を着ている。しろがねの貸し出し浴衣ではない、青と白の市松模様のものだ。浴衣は似合っているが、足は毛むくじゃらの狼の足だ。
「なかなか来ないから、退屈しちゃったよ」
「ごめん、ごめん」
「タキさんにずいぶんと懐かれていますね、乃里さん」
 タキは「飯食ったのか」と乃里に向かってニコニコしている。
「歳が一番近いからですかね。それにうちの弟と同じ年頃だし」
 里司に接しているように思えてくる。自然と頭を撫でる手が出る。
「シズさんには話してありますから、あとは任せて出かけますよ」
 どこへ、と問う前に萩は帳場を出て廊下を進んでいく。背中をタキと共に追った。
 タキが泊った部屋に牡丹も来て、萩と乃里、タキの四人が集まった。
 萩が手の中で慣らしたのが車のキーだった。また遠出をするのだろうか。
「タキさん、名前の由来を乃里さんに教えて」
「由来?」
 首を傾げる乃里に向かって、タキは得意げな表情を見せた。
「俺が生まれたのが、大きな滝がある場所だったから名前がタキなんだ。かっこいいだろ」
「あ、うん……そうだね。滝かぁ」
 滝があるならば、おそらくは山なのだろう。どこの滝かはわからないけれど。
「おそらく、秋保大滝です」
「秋保?」
 萩が頷く。
「彼はその滝の名前は知らないとのこと。昨夜少し話をしたのですよ」
 名前から滝を連想し、秋保大滝に辿り着いた萩は流石だ。
 秋保にはたしか小さいころ、家族で日帰り温泉に行った記憶がある。それに、宮城県内では有名な観光地なので、地元情報番組で紅葉シーズンになると放送されるイメージだ。
「秋保に狼がいるんですか?」
「狼ではなくて狼男ですね」
 あ、じゃあ日本全国どころか世界的なことですね。乃里は思わず納得してしまった。
 人間の子供ならまだしも、狼男の子供。里司と同年代だとしても人間の子供を扱うようにはいかないのかもしれない。乃里は、タキの頭を撫でて優しく話しかけた。
「タキ。あなたがお父さんと再会できるようにわたしたち協力するんだけれど、いまのままではなにもわからないのよ。だから、もう少し教えてくれる? タキはいまもそこに住んでるの?」