思 えば、父と里司の好物は知っていても、佐和子の好物は知らない。
「ずんだのプリンにしましょうか」
「いいね。絶対美味しいじゃん」
 少し気分が沈んだところにずんだプリンと言われたのでまた乃里のテンションは上がる。
「ず、ずんだ餅も食べたいです!」
 挙手をしながら乃里が提案する。甘いものばかりじゃないかと笑われそうだと思ったが、伝えずにはいられない。
「いいね。作ろう」
「乃里さんの甘味趣味はとてもいいですね」
「そ、そうですか……えへへ。楽しみ」
 兄弟が受け入れてくれたのが乃里には嬉しかった。
 なにが好物か、夕飯はなにがいいか。作ったものは美味しいか、次はなにが食べたいか、作ってほしいのか。
 食卓でそんな話をしたことがあっただろうか。
 母が生きていたときは、自分は幼過ぎた。記憶が朧げだ。それが口惜しい。もっと色濃く母の記憶が残っていたのなら、また違ったのかもしれなかった。
 食事は大事だ。食べないと生命を維持できないことが根本ではあるけれど、美味しい食事は心も満たされる。
 ひとりで生きる術を手に入れること以外にも、母の姿を追い求める気持ちから、乃里は料理人を目指すようになったのだ。
 こんな風に心を見つめる機会があるのも、兄弟に出会えてよかったんだな。
ふたりが猫又であって、人智を超えた存在であることも忘れてしまいそうだった。
 主に乃里だけが息を切らしながら階段を上がり切ると、視界が開けた。
境内に広場があると吉野が言っていたが、ここのことだろう。
「わりと広いですね」
 萩は境内を見渡した。
 奥に木造の小さな社がある。手前には手水舎があり、水がちょろちょろと流れている。
 大規模な神社とは違い、小さいが静かで、木々の間から太陽光が降り注ぎ程よい明るさだった。
 ここを、村の人たちは大事にしてきたことが伺える。
 乃里は深呼吸する。木々に囲まれてはいても風通しがよく、空気が澄んでいて気持ちが良かった。
「ここで収穫祭をするのはいいとして、階段がこれだけあると、大皿や鍋ものとか運ぶのはしんどいぞ」
「そうですねぇ……」
 たしかにそうだ。ここで調理をするのも難しいだろう。コンロを使うとなればガスボンベなども必要となり、そんなに重装備を運ぶことはできない。食器などの割れ物も。
 兄弟が思案していると、奥の木々がガサガサと揺れた。咄嗟に三人は身構えたけれど、顔を出した大きな姿に警戒を解く。顔に続いて、木の枝をバキバキと折りながら、葉っぱまみれのカワオヌが姿を現した。
「カワオヌさん!」
 乃里が駆け寄る。
「おいおい、突然出てきて……俺たちのほかに誰かいたらどうするんだよ」
「気配で分かるから大丈夫っす。人間は乃里ちゃんだけだ」
 頭を掻きながら、カワオヌ目を細めて皆を見る。
「どうだった? 村の人に会ったか?」
 カワオヌが言うと、牡丹が返事をする。
「会ったよ。吉野さんというおばあさんに会った」
「ああ、村長さんとこの。もうだいぶ移動が始まっていて、残すところ村長さんの家はじめ数軒なんだ」
「そうみたいだね。農業を廃業する家がほとんどだって、紅首村の名産の茶豆ももう食べられなくなるんだな」
 カワオヌが遠くを見る。生い茂る木々の向こうに広がる村の風景を見ているのだろう。
 乃里はカワオヌに声をかける。
「吉野さんたちと話していて、村全体がカワオヌさんに感謝をしていて、大事に思っていることが分かりましたよ。カワオヌさんが村の人たちに感謝しているように、皆さんも同じ気持ちでした」
「そう、なのか」
「そうです。でね、楽しいんですよ。楽しいお知らせです! なんと、ここで村の収穫祭をすることになりました!」
 乃里が両手を広げて「やったー! 重大告知!」とひとり飛び跳ねるが、カワオヌは首を傾げている。
「しゅうかくさい……?」
 言葉の意味がわからなかったのだろうか。
「あの、収穫を、実りを感謝するお祭りです……ここカワオヌ神社でなにか祭りをしたことはあるのかと聞いたところ、伝説はたしかにあるのだけれど、村が拡張するにあたり鬼人信仰が受け入れられなかった歴史があるとの話で、祭りはしたことがないと聞きまして」
「たしかに、そうだな。ここはずっと静かなものだ」
「そこで乃里さんが、お祭りをしましょうよと提案してくれたんです。吉野さんも賛成してくれて、次の日曜に、ここでやります」
「お祭りか。楽しそうだな。みんなくるのか?」
 カワオヌは大きな体を揺さぶって、とても嬉しそうだ。
 自分が参加するわけにはいかないだろうが、料理を食べて、皆が楽しむ姿を見ることはできる。一緒に実りを喜ぶことができる。
「村の人たちと、束の間一緒に過ごせますよ。同じ空間で。萩さんと牡丹さんがね、村の作物で料理を作って振舞うんです。素敵でしょう!」
「なんと、まぁ」