「牡丹、お部屋にご案内しましょう。鬼さんも、少し休まれてはいかがですか?」
「あ、おら日帰り温泉で来たんだが……」
「お話もしたいですし、行きましょう。本日は宿泊客もいませんから」
申し訳なさそうにする鬼に「行こうぜ。冷たい麦茶もあるし」と牡丹が微笑んだ。
「乃里ちゃん、お茶とお菓子を用意するから、手伝ってほしいな」
「はい!」
牡丹に続いて厨房に行き、煎餅や羊羹の茶請けを人数分用意した。中に湯飲みがきちんと揃っているか確認して茶櫃を抱えて、客室へと向かった。
部屋には既に萩とカワオヌが座っていた。旅館が用意した浴衣に着替えたカワオヌだったが、明らかにサイズが合っていない。
「一番大きな浴衣なのですが。もっと上のサイズも準備しなければいけませんね」
「こんな大男が宿泊することあるかなぁ」
ふむむと思案顔の萩に対して、どうでもよさそうな牡丹。
この差が面白い兄弟だ。
雇い主であり旅館の主人、それに加えて猫に化けるという秘密を持つ兄弟。乃里の中でふたりはもの凄い勢いで特別な存在になっていく。
ここで働くのは、一筋縄じゃいかなくなるのだろう。
ど うしてか、ワクワクする。きっと佐々野兄弟が魅力的で、いま乃里が楽しんでいるからだろう。驚きはあったものの。
乃里が茶請けを並べながらそんなことを考えていると、茶を煎れる萩が言葉をかけた。
「ところで鬼さん、お名前は?」
浴衣が窮屈なのか、肩を丸めている鬼が「へぇ」と返事をした。
「カワオヌっていいます」
不思議な名だ。河川のカワだろうか。
「鬼が東北訛りでオヌと発音します。彼は東北の山間部出身なのでしょう。あとはもともと鬼という言葉は隠れるという漢字の読み、オンから来ていると言われます。河川に関係する鬼さんでしょうかね」
萩がさり気なく乃里のために説明してくれる。妖怪好きでもない限り、身近な話題ではない。知らなくて当然。とは言え、鬼の由来など、人間が勝手に作った言葉なのだろうけれど。
「さすが萩さん、物知りですね」
乃里が言うと笑顔になった萩。カワオヌに向き直ると話を戻す。
「先ほど、住む村のことをおっしゃっていましたね」
「おら、村に祭られている鬼なんだ。まぁこうして生きているから祭ってあるのは村人が作った木彫りの鬼面なんだけどよ。おっしゃる通り、おらは川の鬼ってことだよ。村人がみんな、カワオヌ様、カワオヌ様と言ってくれる。ずっと山に住んでて、村ができることを見守っていた頃、名前なんか無かったが」
いまはそれがおらの名前、と嬉しそうにカワオヌは言う。
「もちろん諸説ありますが、鬼伝説は、炭鉱や鉱山が関係していることが多いのです。たたらの熱で目を赤くした男衆や、力強く体の大きい炭鉱夫の容貌を鬼にたとえたといいます」
彼は本物の鬼ですが、と萩が言う。
村ができるところから見ているなんて。考えつく寿命の想像を遥かに超えている。
乃里は勝手に、カワオヌは三百歳くらいと決めた。
「鬼人信仰の村なのですね」
「んだな。大きな村じゃねぇが」
カワオヌは静かに話し出す。
「おらが住む紅首村は、山奥にある。当時、戦から逃れてきた人間たちが住みついて村になったと言われている。人を斬りながら命からがら……返り血を受けた顔を綺麗な川で洗い、水面に映った自分の顔を見て、生きていると実感したことからベニコウベって名前になったらしいんだ」
自分が元々住んでいた場所に勝手に人間が入ってきた。それを見守って共存してきたのだ。本当に心優しい鬼なんだなと乃里は思う。
「いつの間にか人間が住みついてるなーと、おらは見守っていたんだ。真面目なやつらだったし。人が増えて、子供らが走り回っていたり。最初は人力だった農作業も馬を使うようになり、それが機械になり。おらもこっそり手伝ったよ」
「手伝ったとは、また親切な鬼さんですね」
「畑のど真ん中にこーんなに大きな岩が埋まっていて、苦労してる家があったから。あんなの人間の力だけじゃどうすることもできねぇ。可哀そうだべよ」
カワオヌは両手を広げて、岩の巨大さを表現した。
「さすが怪力の鬼。あんた優しいなぁ、さぞ村人に感謝されただろうね」
牡丹が感心している。カワオヌは「なんてことねぇよ」と言いながらも褒められ、まんざらでもない様子だ。
「んだ。農作業の力仕事をこっそり手伝ううち、紅首村を囲む山には鬼がいる、と噂になったんだ。大岩を持ち上げたり、大きな穴を掘ったり。こんな怪力は村にはいない。きっと鬼が。そうだ、鬼に違いない。てな具合でな」
なるほど、納得な流れだ。
「当たっていますね。実際に鬼さんだったわけですから」
「たしかに。俺は村人が寝静まった夜中に村に降りるんだよ。夜目も利くし、それに人目に付くわけにいかねぇし。そんでな、いつからか、畑に食べものを置いてくれるようになったんだ。にぎり飯や漬物とか」
「感謝の気持ちですか。村人も心優しいですねぇ」
なんとも心が温かくなる話だと思いながら、乃里は羊羹を切り分け口に入れる。急展開のせいで興奮している心に甘さが染みる。
「山と共に穏やかに暮らしてきたんだ。しかし、山を縫うように流れる川が厄介でな。昔から水害に悩んだ歴史があんだよ」
「あ、おら日帰り温泉で来たんだが……」
「お話もしたいですし、行きましょう。本日は宿泊客もいませんから」
申し訳なさそうにする鬼に「行こうぜ。冷たい麦茶もあるし」と牡丹が微笑んだ。
「乃里ちゃん、お茶とお菓子を用意するから、手伝ってほしいな」
「はい!」
牡丹に続いて厨房に行き、煎餅や羊羹の茶請けを人数分用意した。中に湯飲みがきちんと揃っているか確認して茶櫃を抱えて、客室へと向かった。
部屋には既に萩とカワオヌが座っていた。旅館が用意した浴衣に着替えたカワオヌだったが、明らかにサイズが合っていない。
「一番大きな浴衣なのですが。もっと上のサイズも準備しなければいけませんね」
「こんな大男が宿泊することあるかなぁ」
ふむむと思案顔の萩に対して、どうでもよさそうな牡丹。
この差が面白い兄弟だ。
雇い主であり旅館の主人、それに加えて猫に化けるという秘密を持つ兄弟。乃里の中でふたりはもの凄い勢いで特別な存在になっていく。
ここで働くのは、一筋縄じゃいかなくなるのだろう。
ど うしてか、ワクワクする。きっと佐々野兄弟が魅力的で、いま乃里が楽しんでいるからだろう。驚きはあったものの。
乃里が茶請けを並べながらそんなことを考えていると、茶を煎れる萩が言葉をかけた。
「ところで鬼さん、お名前は?」
浴衣が窮屈なのか、肩を丸めている鬼が「へぇ」と返事をした。
「カワオヌっていいます」
不思議な名だ。河川のカワだろうか。
「鬼が東北訛りでオヌと発音します。彼は東北の山間部出身なのでしょう。あとはもともと鬼という言葉は隠れるという漢字の読み、オンから来ていると言われます。河川に関係する鬼さんでしょうかね」
萩がさり気なく乃里のために説明してくれる。妖怪好きでもない限り、身近な話題ではない。知らなくて当然。とは言え、鬼の由来など、人間が勝手に作った言葉なのだろうけれど。
「さすが萩さん、物知りですね」
乃里が言うと笑顔になった萩。カワオヌに向き直ると話を戻す。
「先ほど、住む村のことをおっしゃっていましたね」
「おら、村に祭られている鬼なんだ。まぁこうして生きているから祭ってあるのは村人が作った木彫りの鬼面なんだけどよ。おっしゃる通り、おらは川の鬼ってことだよ。村人がみんな、カワオヌ様、カワオヌ様と言ってくれる。ずっと山に住んでて、村ができることを見守っていた頃、名前なんか無かったが」
いまはそれがおらの名前、と嬉しそうにカワオヌは言う。
「もちろん諸説ありますが、鬼伝説は、炭鉱や鉱山が関係していることが多いのです。たたらの熱で目を赤くした男衆や、力強く体の大きい炭鉱夫の容貌を鬼にたとえたといいます」
彼は本物の鬼ですが、と萩が言う。
村ができるところから見ているなんて。考えつく寿命の想像を遥かに超えている。
乃里は勝手に、カワオヌは三百歳くらいと決めた。
「鬼人信仰の村なのですね」
「んだな。大きな村じゃねぇが」
カワオヌは静かに話し出す。
「おらが住む紅首村は、山奥にある。当時、戦から逃れてきた人間たちが住みついて村になったと言われている。人を斬りながら命からがら……返り血を受けた顔を綺麗な川で洗い、水面に映った自分の顔を見て、生きていると実感したことからベニコウベって名前になったらしいんだ」
自分が元々住んでいた場所に勝手に人間が入ってきた。それを見守って共存してきたのだ。本当に心優しい鬼なんだなと乃里は思う。
「いつの間にか人間が住みついてるなーと、おらは見守っていたんだ。真面目なやつらだったし。人が増えて、子供らが走り回っていたり。最初は人力だった農作業も馬を使うようになり、それが機械になり。おらもこっそり手伝ったよ」
「手伝ったとは、また親切な鬼さんですね」
「畑のど真ん中にこーんなに大きな岩が埋まっていて、苦労してる家があったから。あんなの人間の力だけじゃどうすることもできねぇ。可哀そうだべよ」
カワオヌは両手を広げて、岩の巨大さを表現した。
「さすが怪力の鬼。あんた優しいなぁ、さぞ村人に感謝されただろうね」
牡丹が感心している。カワオヌは「なんてことねぇよ」と言いながらも褒められ、まんざらでもない様子だ。
「んだ。農作業の力仕事をこっそり手伝ううち、紅首村を囲む山には鬼がいる、と噂になったんだ。大岩を持ち上げたり、大きな穴を掘ったり。こんな怪力は村にはいない。きっと鬼が。そうだ、鬼に違いない。てな具合でな」
なるほど、納得な流れだ。
「当たっていますね。実際に鬼さんだったわけですから」
「たしかに。俺は村人が寝静まった夜中に村に降りるんだよ。夜目も利くし、それに人目に付くわけにいかねぇし。そんでな、いつからか、畑に食べものを置いてくれるようになったんだ。にぎり飯や漬物とか」
「感謝の気持ちですか。村人も心優しいですねぇ」
なんとも心が温かくなる話だと思いながら、乃里は羊羹を切り分け口に入れる。急展開のせいで興奮している心に甘さが染みる。
「山と共に穏やかに暮らしてきたんだ。しかし、山を縫うように流れる川が厄介でな。昔から水害に悩んだ歴史があんだよ」