あとでやれる
よく今しかできないとか、やらなくてもなんとかなると思ってはいけないとか?そういう戒めの言葉をききます。私も、若い頃はそう思っていました。とにかくなんでも今日中にしなければ、と思い続けて来ましたが、それもどうかな、と今では思っています。
というのは、計画通りやれるなんてことは、やれた試しがないからです。それより、計画通りに行かない事のストレスが大きすぎて、疲れてしまったら意味がありません。計画は、あまり鮮明には立てない方が良いのです。それよりも、なにかトラブルがあったときに、どう対処するか、のほうがよほど大切ですし、より能力は高いのではないかとおもいます。
だからこそ、計画は、あまり細かく立てない方が良いのです。後でやればいいは行けないというのは、単に学校の教師が生徒を牽制するために言っている言葉でしょう。そうではなく、後でやれることがあるのは、実は素晴らしい事だなと思うのです。自分がそれだけ、世の中にやることがあるんですから。だから、明日できることは今日しない。それで十分なのです。
最近になって、学校の教師が言うことは、実生活でほとんど役に立たないこともわかってきました。教師が言っていることは一見すると素晴らしいことのようですが、ほとんど実現不可能なことばかり。つまり、教師が言うことは、自分の方を向かせるための、一つの道具に過ぎないのでしょう。学校の言うことは、本当に意味のないことばかりです。
以前、佐々木正美先生が、真の成長には無駄が必要、と、おっしゃっていたことがありました。
つまり、無駄な時間というものは、意外になにかに役に立つのかもしれないのです。一生懸命働いていられることだけが人生ではありません。いまは、することは後回しにして休みたい、と思うことはいくらでもあるでしょう。そういうときは、それに従う方が、後になってより後悔することは少ないです。そういうときは無理しないほうが良いですよ。後でやればいいや、というのはそういうふうに考えると、悪いことではないのです。