そのあとの一日は流れ作業だった。
 オフィスに着く。
 掃除をする。
 出勤してきた同僚に挨拶をする。
 事務所で席について、毎日の入力作業。
 こなしながら、こんな無為なこと、まるで志月と再会する前のようだ、と思った。
 いや、志月と再会する前だったら、今より日々は楽しかった。彼氏が居なくても「まぁいいか」と思ってしまうくらいには。
 でも今はそんなこと思えない。
 それは志月がたっぷりと愛をくれたから。
 優しくされることも愛されることも、そこからえられる幸せも教えてくれたから。
 ああ、もう自分は彼無しではいられないんだ。
 思ったときは流石に胸が痛んだ。
 涙が込み上げて、でもオフィスだったので無理やり飲み込んだ。パソコンの液晶を睨みつけて。
 謝らないと、と思う。
 仕事上がりにラインをしてみようと思う。
 スマホの画面越しではなく、実際に会って「ごめん」とは言うつもりだ。
 けれどその約束だってあらかじめとりつけなければいけないし、でも志月が「はい」とか「いつにしますか?」とか言ってくれるとは限らない。
 「頭を冷やしたい」とか……最悪「もう別れましょう」と言われるとか。
 しまいにはそんなネガティブな思考すら浮かんだ。自分の心が弱ってしまっていることを思い知らされる。
 ダメ、そんなことは悪い妄想だから。
 嫌なことを思ってはそのように自分に言い聞かせながら過ごす一日は、嫌な意味でとても長かった。
「お疲れ様でした」
 退勤して外に出るなり、幸希はスマホを取り出した。
 本当は、心のすみで少しだけ期待していた。志月のほうから連絡してくれるのではないか、と。
 そんなことはやはり甘えであるので、それも自己嫌悪に繋がったのだけど、浮かんでくる思考としてはどうしようもなかったのだ。
 それはともかく、しかし志月から連絡はなかった。
 スマホは沈黙したまま。家族や友達からすら連絡がない。今日はそれがちょっと寂しかった。
 でも連絡がないなら、こちらからするまで。
 ちょっと悩んだけれど、オフィスから少し歩いたところにある公園へ入った。ベンチに腰掛ける。
 歩きスマホは危険な上に、入力する内容をよく考えられない。
 かといって、カフェに入る気分でもない。
 それよりは少しだけ真剣に考えたあと、もう家に帰ってしまいたいという気持ちだった。
 ベンチの頭上には綺麗に色づいた黄色いイチョウが葉をつけていたけれど、それを見る余裕は今の幸希にはない。
 画面を見つめて、ゆっくり入力していく。画面の活字に丁寧もなにもないのかもしれないが、少しでも真摯にできるように。
『昨日はごめん』
 まずはそれだ。
 今はスタンプで誤魔化していいところではない。
『会って謝らせてくれる?』
 悩んだものの、最終的に選んだ言葉はそれだけだった。
 でも、それだけでいいような気もする。色々言い繕ってもただの言い訳であるし、大体スマホでやり取りをしたくないと思っていたので。
 数秒悩んで。
 てい、と内心つぶやいて、送信アイコンをタップした。
 しばらく画面を見つめていた。心臓がどくどくと騒ぐ。
 けれどすぐに既読がつくことはなかった。
 まぁそうだろう。営業の志月はまだ仕事中だろうから。
 既読がつくのを見るか、それとも返信がきたとき、また心臓が高鳴ってしまうのは確実だったけれど、とりあえず帰ろう。
 一応の『やること』はなしとげて、幸希は家へ帰るべく駅へ向かった。
 混んでいるホームへ上がって、電車を待って、乗り込んだのだけど。
 そこでぶる、とスマホが振動した。予想していたように、幸希の心臓は跳ね上がる。
 やってきたのは幸希の望んでいたように、志月からの返信だった。
 そしてもうひとつ。
 予想していたのと同じ。
 志月からの返信のはじまりも『僕もすみませんでした』でした。

 謝らないで。

 思って胸が痛んだ。
 責めてくれていいのだ。
 別れる、とは言ってほしくないけれど。
 でも、『幸希さんが悪いです』とは言ってほしい。
 図々しかった自分を諫めてほしい。
 なんてまた勝手なことを思って。
『早いほうがいいですよね? 今日、ご飯一緒にしませんか。定時であがれますから』
 続いてやってきたメッセージを見て、今度こそ、幸希の目の前がじわ、と滲んだ。
 これを見ただけでわかる。
 志月は「別れましょう」なんて言わない。許してくれるつもりなのだ。
『ごめん、ありがとう。予定は大丈夫』
『良かった。じゃ、場所は……』
 素早いやり取りで、時間も場所も決まった。
 幸希の家の方向ではないので、電車に乗りなおさなければいけない。けれどそんなことは些細なことだった。
 幸希は次に止まった駅で電車を降りる。逆側のホームへと向かった。
 そして進んできたのと逆方向、つまり戻る方向への電車に乗った。
 待ち合わせは30分後。まだ遠くまできていなかったので、じゅうぶん間に合う。
 都内のほうへ向かう電車だったので、それほど混んではいなかった。けれどそれなりに人はいて、座席は埋まっているし、立っている人もちらほらいる。
 それらに交じってつり革を握りながら、幸希は暮れつつある車窓の風景を眺めた。志月からメッセージをもらったことで、少し落ち着いたのだ。
 それでも思う。
 今回のこと。
 忘れないようにしなければいけない。
 志月が許してくれたって、それに甘えてはいけない。
 嫉妬するのは仕方がないにしても、ゆがんだ形で出してはいけない。
 素直に伝えるか、別のところで消化するか。そうするべきだったのだ。
 そうして、次はもう繰り返さないように。
 とりあえず明日はダイエットシェイクを買いに行こう、と思った。