7月に入って暑い日が続いている。昼休みに携帯が鳴った。誰からだろうと見ると紗耶香ちゃんからだった。昼間にはまずかけてこないのにどうしたんだろう?

「父が倒れて危篤状態だそうです。どうしてよいか分かりません」

紗耶香ちゃんは気が動転して泣き声になっている。

「しっかりして、一緒にすぐ帰省しよう」

「はい」

「詳しく話して」

「警察の取り調べ中に脳出血で倒れたそうです。市立病院に入院していますが、危険な状態とか」

「警察って?」

「どういうことかよく分かりません」

「紗耶香ちゃんは今どこにいるの?」

「三軒茶屋です。このまま東京駅へ向かいます」

「東京駅で落ち合おう。今からなら4時ごろには着ける」

「分かりました」

東京駅の新幹線の改札口で紗耶香ちゃんが切符を二人分買って待っていてくれた。もう顔が真っ青で震えていた。大丈夫と抱きかかえるようにして、新幹線に乗り込んだ。

紗耶香ちゃんはずっと僕に寄りかかって泣いていた。どう慰めていいのか分からないが、きっと大丈夫だとしか言ってやれなかった。

山本家に不運が襲いかかってきた。父親から聞かされた姫の死に至る話が思い出されて、紗耶香ちゃんに不幸が及ばないか心配になった。

金沢駅に着くとタクシーで市立病院へ向かう。受付で病室を確かめてエレベーターで3階へ。集中治療室の中に父親はいた。母親が付き添っている。僕たちを見るとすぐにやってきて、ベッドに連れて行ってくれた。

「意識が少し戻ったり、無くなったりで安定していないのです」

「お父さん」

紗耶香ちゃんの声で意識が戻って目を開けた。

「紗耶香か?」

「私です、先生も一緒に来ています」

「合田さん、紗耶香をお願します。20歳の内に結婚して幸せにしてやってください。最後の頼みです。必ず必ずお願いします」

「分かりました。お約束します」

「お父さん、しっかりして」

「紗耶香、合田さんとすぐに結婚しなさい。いいね、すぐに、分かったね」

「はい」

その会話が最後になった。それから意識が戻らずに次の日に亡くなった。その晩、僕はあの夢を見た。誰かが僕を呼んでいる夢だ。遠いところで僕を呼んでいる。声がはっきり聞こえた。懐かしい声だが誰の声か分からない。悲しみに満ちた声だった。

お葬式が終わった晩に今後のことを母親と紗耶香ちゃんと僕とで話し合った。母親は開き直ったように平常心を取り戻していた。

紗耶香の父が経営していた建設会社は社員が5名ほどの小さな有限会社で経営も堅実だった。その父親が入札談合の疑いで取り調べを受けた。後で分かったことだが、誰かが父親の会社も加わっていたと嘘の証言をしたらしかった。

父親の会社は社員が引き継ぐことで継続することになっていた。ただ、社長名義の借入金が3500万円ほどあり、その返済をしてほしいと言われて、母親は返済を承諾したと言う。

「合田さん、夫の会社のために自宅を処分することにしました。それから、東京の二子玉川のマンションも処分することにしました。これは紗耶香も承知しています」

「それでは紗耶香さんが大学に通うのに支障があるのでは?」

「紗耶香は大学をやめると言っています」

「そうなのか?」

「はい、母と相談して決めました。学費もかかりますし、思い切ってやめたいと思います。それから、こういうことになったので、婚約も解消していただいてもよいと思っています」

「それは絶対にできない。お父さんとの約束がある。大学の学費は僕に出させてほしい。それから生活のめんどうも」

「先生にご迷惑をかけられません」

「こうしたらどうだろう。紗耶香さんが僕のマンションに引っ越して一緒に住む。1LDKで狭いけど二人でも何とか住める。大学へは僕のところから通えばいい。それから、結婚式を挙げて入籍する。そして、学費は僕が負担する。僕の奥さんのためだから気にすることは何もないから」

「先生はそれでいいんですか?」

「いいもなにもない。これが二人のためのベストだと思うけど」

「そうおっしゃっていただけるのならお言葉に甘えさせていただきます。どうかよろしくお願いします」

「合田さん、娘のこと、どうかよろしくお願いします」

それから当面の日程などを相談して僕は東京へ戻った。